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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

二年目

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第五章1【ウィスキー瓶と異国の王子】

 フランチェスコ王子とボナ王女の来訪によって最も忙しくなった人間は誰か、と言えばそれは間違いなく善治郎だろう。

 無論、この場合の「最も忙しくなった」というのは、来訪以前と以後を比べての相対的な評価であり、善治郎が王宮内で一番忙しい人間というわけではない。

 それまでの善治郎は、アウラの代役としていくつかの公的行事に顔を出してはいたが、日によっては丸一日自由時間ということも珍しくはなかったのだ。

 だが、そんな生活も、フランチェスコ王子とボナ王女がやってきて一変した。

 なにせ、大国シャロワ・ジルベール双王国の王子と王女だ。その相手をするにも、相応の『格』が求められる。一方、カープァ王国の成人している王族は女王アウラを除けば、王配である善治郎ただ一人。

 アウラが王としての責務を放棄できない以上、王子・王女への対応に善治郎がかり出されるのは、至極当然の結果なのであった。






「ゼンジロウ様。今朝お伝えした通りこの後は、フランチェスコ王子との面談となっております。先方はすでに控え室でお待ちです。お通ししてよろしいですか?」

 最近になって、事実上の善治郎の『執務室』兼『謁見の間』と化している王宮の一室に、ファビオ秘書官の平坦な声が響き渡る。

「ああ、問題ない」

 こちらを見下ろす、表情のない中年男と視線が合った善治郎は、ソファーの上で座り直すと、小さく首を縦に振った。

 本当ならば思い切り伸びをして、盛大に溜息をつきたいところなのだが、この常に一言多い妻の側近の前で、そんな無防備な体勢は取れない。

 アウラの言うとおり、この中年の秘書官が宮廷の機微に長けた有能な人物である事は事実なのだが、下手なことをする度に、嫌みや皮肉をまぜた忠告を飛ばすこの男を好きになる理由はない。

 だが、同時にこの男のアドバイスに従っていれば、致命的な間違いを犯さずにすむ、という安心感があることも、腹立たしいが事実である。あえて言葉に裏の意味をもたせて、こちらを試すような言動を取ることも多いファビオ秘書官であるが、こういう対外的に恥をかく訳にはいかないときに、そんなバカまねはやらない程度の常識はある。

「それでは、お通しします。少々お待ち下さい」

 それだけ言い残し、ファビオ秘書官は一時退室していった。







 それから約十分後。善治郎は対面のソファーに座るフランチェスコ王子と談笑を交わしていた。

「そうですか。フランチェスコ殿下も随分とこちらになれたようで、何よりです」

「ええ、気温も食べ物も、我が国とこの国はそう大きくは違いませんから。ハハハハ」

 作り笑顔の善治郎に、裏の全くなさそうな笑顔で金髪の王子はそう朗らかに答える。

 しかし、客観的な事実とフランチェスコ王子の今の言葉は食い違っている。 

 高温多湿で領土の大半を密林が占めるカープァ王国と、同じ高温でも領土内に砂漠を保有するため常に空気が乾燥しているシャロワ・ジルベール双王国の気候を『同じ』とは間違っても言えない。

 当然その気候の差は、植生やそこに生きる動物にも違いとして現れ、連鎖的にそこに住む人々の食生活に差を生む。

 主食が薄焼きパンだったり、香辛料をふんだんに使ったスープや焼き肉が好まれたりと、大筋では確かに似ているが、細かく見ればパンに使われる粉から、香辛料の種類まで何もかもが違うと言っても良い。

 言うならば、フランス料理とイギリス料理を「同じ西洋料理」として一緒にするくらいに乱暴な話なのだ。

(とはいえ、この王子様の場合は本気で言っている可能性も十分ありそうなんだけどな)

 この数日のつきあいで、フランチェスコ王子のおおざっぱな性格を把握しつつある善治郎は、心の中で苦笑を漏らす。
 とにかくこの王子様の言動は読めない。全ての言葉が感情と衝動のままに発せられているのか、その時々で言うことが矛盾することも多々ある。
 この言動が素か、よくできた演技かはおいておくとしても、いちいち真に受けていては、こちらの身が持たないのは事実である。

 ともあれ、飲食物に話が進んだのを幸いに、善治郎はあらかじめ用意しておいた言葉を口にする。

「そういえば、フランチェスコ殿下は夜会では、随分と『蒸留酒』を気に入られていた様子でしたね。どうですか、よろしければ一本お譲りいたしますが?」

 その言葉に、金髪の王子は目を輝かせて、体を大きく前へと乗り出す。

「本当ですかッ! ありがとうございます、ゼンジロウ陛下!」

 予想以上の食いつきに、若干顔を後ろにそらせながら、善治郎は自分の後に控えるファビオ秘書官に声をかける。

「え、ええ、本当ですとも。ファビオ、持ってきてくれ」

「はっ、承知いたしました」

 一礼して隣室に下がっていく中年の秘書官を視界の端にとどめながら、善治郎は秘書官が『蒸留酒』を持ってくるまでの間を沈黙のまま過ごす……つもりであったが、その目論見はもろくも崩れた。

「うわあ、楽しみだな。本当にありがとうございます、あんな強い酒は初めて口にしたんですよ、もうあれ以来すっかりはまってしまって! 元々酒は好きな方なのですが、あれはもう別格ですね。しかも、色々なものを混ぜて飲むのですよね? 試してみたい飲み方があるんですよ」

 対面に座る金髪の王子は、一時の沈黙すら我慢できないのか、うれしそうにしゃべり続ける。

 対等な相手に対して、一方的にしゃべり続けるというのはいささかマナーに反しているのだが、フランチェスコ王子に対してその程度のマナー違反をいちいち指摘していては、キリがない。

「そうですか、それほどに気に入っていただけたのならば、私としても贈るかいがあるというものです」

 善治郎が、作り笑顔で対応をしている間に、ファビオ秘書官は戻ってくる。

「ゼンジロウ様。お持ちいたしました」

「ああ、ご苦労」

 ソファーに腰を下ろしたまま小さく頷き返す善治郎の前に、ファビオ秘書官は赤い布地にくるまれた瓶を音も立てずに置く。

 テーブルの上に置かれたそれに手を伸ばした善治郎は、包んでいる布の結び目をほどき、その中身を露わにした。

「おお!」

 と、フランチェスコ王子が感嘆の声を上げるが、今回ばかりはその反応も大袈裟とはいえない。事実、フランチェスコ王子の背後に控えている護衛の騎士も、それまでの彫像のような無表情が破れ、驚きの色を隠せずにいる。

 赤い布の中から現れたそれは、『無色透明な四角い器』であった。

 元々は、善治郎がこちらの世界に持ち込んだ『ウィスキー瓶』である。

 底が四角く、縦に長いそのその瓶は、分厚い透明なガラス製だ。しかも、全体に亀の甲羅のような凹凸がつけられているため、窓から差し込む陽光を浴びて宝石のようにキラキラと輝いている。

 元は琥珀色のウィスキーが入っていたその瓶に、現在詰められているのは限りなく無色透明に近い善治郎手製の『蒸留酒』だ。おかげでそのウィスキー瓶が完全な無色透明である事が一目で見て取れる。

 ガラス製造技術が存在しない南大陸の人間から見れば、それはただの器というより一種の工芸品に近い。

「すばらしいっ! それをそのまま戴けるのですか!? 飲み終わったら器は返却という事はありませんよね?」

「ありません、そのままお持ち帰り下さい」

 王族とは思えないちょっと貧乏くさい心配をするフランチェスコ王子の懸念を、善治郎は苦笑を浮かべつつ首を横に振って否定してやる。

 善治郎は、ウィスキー瓶を赤い布で包み直すと、ソファーから少し腰を浮かせ、それをフランチェスコ王子の前まで押しやる。

「ただし、気をつけて下さい。その器は、木製や金属製の物とは比べものにならないくらいに衝撃に弱いですから。高所から落とせば簡単に割れてしまいますし、下が固ければ勢いよく横倒しになっただけでも破損する恐れがあります」

 そう忠告しながら、善治郎は細心の注意を払い、フランチェスコ王子の言動を見守る。

 このガラス製のウィスキー瓶をフランチェスコ王子に渡すのは、善治郎の独断ではない。昨晩の内にアウラと話し合って、決定したことである。

 双王国の人間は、ビー玉に強い興味を示している反面、ビーズにはさほどの興味は示さなかった。

 では、透明なガラスの瓶ではどうだろうか? これで、何らかのリアクションを見て取ることができれば、という思惑からの行動だったのだが、その結果は予想以上であり、同時に期待外れでもあった。

「いや、本当にすごいですね、これは。いったい何でできているのでしょう? 水晶でも私はここまで濁りの無いものを見たことはありませんよ。ましてこんな全く歪みなく見事な形に作り上げるだなんて!」

 大袈裟なくらいに喜ぶその王子の顔つきは、あまりに無邪気すぎて、その喜びが単なる「美しい芸術品」に対する物なのか、「魔道具として利用価値の高い物」に対するものなのか、判別がつかない。

(まいったな。俺の眼力じゃ全く見抜けないや。やっぱりアウラに同席してもらうか、さもなければ『デジカメの動画モード』で盗撮できる体勢を整えてからにするべきだったかなあ)

 と内心で後悔するものの、現実問題としてそれが難しかったことは承知している。

 王としての責務に追われるアウラが同席できるタイミングを見計らえば、いったいいつまで待たなければならないか分かった物ではないし、デジカメでの隠し撮りを周囲の不審をかわずに行う方法も今のところ思いつかずにいる。

 日本ならばただの燃えないゴミだが、こちらの世界では数に限りのあるウィスキー瓶を一つ手放したのだ。成果がゼロではさすがにちょっと割に合わない。

 そんな善治郎の懸念を、フランチェスコ王子は悟ったかのように、

「さすがにこれほどのモノをいただいてなにも返さないのは、心苦しいですね。いかがでしょう? 私からゼンジロウ陛下に一つ『魔道具』をお贈りする、というのは」

 と、善治郎からすると願ってもないことを申し出てくれる。

 魔道具制作に関して、向こうから話を切り出してくれるとは、もっけの幸いである。

 善治郎は再びフランチェスコ王子の表情と言葉使いに注意を払いながら、言葉を返す。

「それは、魅力的なお話ですね。しかし、魔道具の制作には非常に時間がかかると聞きましたが大丈夫なのです
か? フランチェスコ殿下にはすでに滞在中に一つ、魔道具を作っていただくお約束になっていたと記憶しておりますが?」

 フランチェスコ王子一行の滞在費および、護衛騎士達の王宮内の限定武装を認める代償として、フランチェスコ王子とボナ王女はそれぞれ一つずつ、魔道具をカープァ王国に進呈する約束が結ばれている。

 魔道具制作に必要とされる時間は、簡単な物で月単位。『血統魔法』を込めるとなれば年単位の大仕事だ。必然的に、そのウィスキー瓶に対する『私的なお礼』は、何年も後のことになってしまう。

「ああ、確かにそうですね。うーん、どうしよう。あの透明な宝玉さえあれば解決する問題なんだけどなあ……」

「ッ!?」

 後半独り言のように小さな声で発せられたその言葉の内容に、吹き出さなかった自分の自制心を、善治郎は褒めてやりたい。

(正気かッ、この王子様!? それって向こうの秘中の秘のはずだよね?)

 ビー玉のような『透明な真球に近い物体』を用いれば、魔道具の制作時間は大幅に短縮できる。というのは、ごく一部で流れている信憑性のない噂でしかない。

 アウラは、その噂話や双王国本国とやりとりした書状などで、その噂が真実であると半ば確信しているようだが、当然ながら確証と呼べるほどの裏付けは取れていないままだ。

 それをこんなに早く、しかも向こうから白状してくれるとは、予想外もいいところである。

 ひょっとしてこの王子は、本当にただの馬鹿なのではないだろうか? そんな都合の良いことを善治郎がチラリと考えてしまったそのときだった。

「失礼します。ゼンジロウ様」

 入り口の扉の向こうから、見張りに立っている近衛兵士が声を上げる。

 善治郎は「失礼」と一言正面に座るフランチェスコ王子に断ると、

「どうした?」

 と、大きな声で扉の向こうに声をかける。

「はっ、ボナ殿下がお見えになりました。お通ししてもよろしいでしょうか?」

 その言葉に善治郎は、今更ながら気がついた。

 そういえば、なぜこの場にボナ王女がいないのだろうか?

 会談の申し込みがフランチェスコ王子一人の名前で告げられていたため、フランチェスコ王子が単独でやってきたことに違和感を覚えていなかった善治郎であるが、冷静に考えてみればおかしい。

 夜会でのやりとりなどを見れば一目瞭然だが、ボナ王女はフランチェスコ王子の『お目付役』のはずだ。

 問題児扱いされている王子が単独で他国の貴人と面会する。そんな危険きわまりないことを、あの生真面目そうなボナ王女が許すだろうか?

「フランチェスコ殿下?」

 半ば落ちが読めた善治郎が疑問を投げかけるように、そう対面に座る金髪の王子の名前を呼ぶ。

 フランチェスコ王子は、一欠片の邪気も見えない朗らかな笑みを浮かべると、

「ええ、いつもいつも付き添ってもらっては迷惑でしょうからね。あの子にも、自由な時間は必要ですし。

 そう思って、ボナには言わずに来たのですけれど、いやあ、あの子は本当に責任感が強いですね」

 そう言って、その金髪に覆われた頭をかく。

「そうでしたか。ですが、来てしまった以上通してもかまいませんね?

 聞こえたか! お通ししろ」

(……ボナ王女も大変だ、こりゃ)

 心の中で大いに栗色の髪の王女に同情を寄せつつ、善治郎は大きな声で扉の向こうの兵士にそう命じたのだった。
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