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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

二年目

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第三章3【就寝前の会話】

 エアコンの冷風が吹き下ろすベッドの上に腰を下ろしてしまえば、今更熱気の立ちこめるリビングルームに戻るという選択肢は、頭の中から消え失せる。

 就寝時間までには、まだ間がある善治郎とアウラの女王夫妻は、ベッドの縁に並んで腰を掛けたまま、夜の会話に花を咲かせていた。

「それでは、そなたの今日の昼間は、ほとんどこの『エアコン』の設置に費やされてしまったのだな?」

「うん。大げさでも何でもなくて、本当にそれしかできなかった。石鹸造りとか、蒸留酒造りとか、やりたいことはたくさんあったんだけどね」

 アウラの問いに、善治郎はそう答えて、首を縦に振る。

 最近は、アウラの代役として、多少は王宮の行事にも顔を出すようになってきている善治郎は、以前ほど暇を持て余している身ではない。そのため、日がな一日なにもやることのない日というのは、それなりに貴重だったのだが、流石に今日は他のことをやるだけの暇も、気力も体力も残っていなかった。

 四十度を超す気温の中での、エアコンの取り付け作業は、善治郎にとってはそれだけの重労働だったのだ。

 もっとも、塩の街道では、その炎天下で何日も行軍を続けている兵達がいるのだが、善治郎が率直な感想を言ってよいのなら、『兵士全員が人外の超人』にしか思えない。

(やっぱり、じょじょにでも身体をこの国の気候に慣らしてく必要があるよなあ……エアコンを設置したその日に、こんな事言うのもなんだけど)

 思わず内心そんなことを考える善治郎であったが、これはむしろエアコンの設置に成功したからこそ、頭をよぎる類の話だろう。

 人間、しんどい目に合っている真っ最中は、そこから逃れることしか頭に浮かばない物だ。殊勝な事を考え出すのは、その辛さから逃れたからこそである。

 ともあれ、それは今言うことではないと考えた善治郎は、話を切り替えるように自分がこれからやりたいと思っていることを、隣に座る妻に伝える。

「まあ、石鹸や蒸留酒造りは、暇を見て進めるよ。最近は、俺も王宮での仕事が増えてきたから、やりたい放題とはいかないけど、ね」

 夫の言葉にアウラは、少し眉をしかめて答える。

「やりたいことがあると言うのならば、仕事を減らしても良いのだぞ? 私も体調はほぼ元通りになっているのだからな」

 それは疑いの余地もなく、アウラの善治郎を思う気持ちから出た言葉であったが、夫は妻の好意に甘えることをよしとしない。

「そして、何年か後、アウラが出産するときに、去年と同じドタバタを繰り返すの? 駄目だよ、そんなの。自慢じゃないけど、俺は凡人だからね。例え一度はこなした仕事でも、半年もやらないでいたら、忘れちゃう自信があるからね」

「それは、確かに自慢ではないな」

 きっぱりと胸を張って答える夫の言葉に、アウラは苦笑を浮かべ、肩をすくめた。続いてアウラは、少し表情を引き締めて、善治郎に伝える。

「分かった。率直に言えば、確かに私も去年は出産時の行動制限というものを甘く見ていた節がある。今のそなたと同程度に仕事をこなしてくれれば、ありがたいことは間違いない。

 ただ、誤解しないでもらいたいのだが、私はただ甘やかす意味で、そなたに『やりたいことがあるならば、仕事を減らしても良い』と言っているわけではないぞ? これまでの実績から、そなたが作ろうとしている物がこの国によい影響を与えてくれることを期待しているからでもある」

 そんなアウラの言葉に、善治郎は困ったような顔で頭をかく。

「いや、そんな、あまり期待されても困るんだけど。俺がやっていることなんて、どれもこれも素人の生兵法そのものだからさ。はっきり言って、十中八九はうまくいかない位のつもりでやってるんだから。
 あ、でも、そういうことを言うって事は、ひょっとしてなんか成果があったの?」

 喋っている途中で何かに気づいたらしく、そう言ってくる善治郎に、アウラはニヤリと笑い、首を縦に振る。

「ああ。以前に指示を出した職人達のところに、今日の昼、足を運んだのだが、予想以上の成果があった。

 まず、ガラス。実験台一号の割には、ちゃんとした物ができたぞ。明日にでも持って来て見せてやる。まあ、今回出来たのは、光沢のある緑がかった黒い石でしかないが、これでやっていることの方向性が間違っていない事は、立証された」

「へえ、凄いな、それは」

 善治郎は素直に感心してみせる。

 あのような必要最低限の材料情報と、製造方法と呼ぶのもおこがましい粗雑な作り方の説明を頼りに、曲がりなりにも形にして見せたのだ。賞賛の言葉は、決して不相応な物ではあるまい。

「まあ、当然まだまだ問題は多いがな。現状ではガラスと呼ぶのもおこがましい真っ黒な代物だし、それを望む形に形成する技術もまだ、確立されていない。

 何より、この国で一般的に使われている土製の竃では、ガラスが溶け合う高温には負担が大きすぎる。この調子で使い続ければ、十回もしないうちに耐久限界を超えると、職人たちは言っていた」

 一転、渋い表情で、アウラはそう現状の問題点を羅列する。
 つられるようにして表情を引き締めた善治郎は、あごに右手をやり考え込む。

「うーん。となるとやっぱり『耐火煉瓦』が必要になりそうだね」

「ああ、忌々しいことだが、な」

 アウラは首肯すると、忌々しげに鼻を鳴らした。

 よほど以前に見たDVDの『耐火煉瓦の作り方』が気に入らなかったらしい。

 確かに、『古くなった耐火煉瓦を砕いた粉を混ぜた粘土を、耐火煉瓦で組んだ竃でじっくり焼き上げる』などと言う説明では、何の手がかりにもならないのだから、無理もあるまい。

 就寝前の妻にこれ以上不機嫌になられては堪らない善治郎は、少し慌てたように早口で、言葉を続ける。

「ええと、後の問題はガラスの色を抜く方法と、形を作る方法だよね?

 形作るのは、あのテレビ番組にもあったように、長い筒に絡め取って吹いて膨らませるのが一番現実的だと思うな。最近の窓ガラスなんかは『フロート式』とか言われるやり方で作ってるらしいけど」

 善治郎は、オレンジ色のLEDスタンドライトに照らし出される寝室の天井を睨むようにして、聞きかじりの頼りない知識を、脳裏から絞り出す。

「ふむ? 吹いて広げるやり方はそなたと一緒に見たが、その『フロート式』というやり方は初めて聞くな」

 興味を持ったのか、少しこちらに身を乗り出す妻の夜着姿に目を奪われつつ、善治郎は律儀に答える。

「俺も全然詳しくは知らないから、本当にざっとした説明しかできないけど、ようはガラスの融解温度より低温で液状化する金属の液面に溶かしたガラスを浮かべることによって、ガラスを板状にするやり方だったはず。

 そうすれば、後から磨かなくても両面ともツルツルで平らな板ガラスになるってわけ。

 ほら、水に暖めて溶かした動物油ラードを浮かべた状態を思えば、想像しやすいかな? そうした状態でしばらく放っておけば、動物油が板状に固まるでしょ? あんな感じ」

「なるほどな。ずいぶんと大がかりなやり方だが、原理は理解できる」

 頷き、理解を示すアウラであったが、その表情はさほど感銘を受けたようには見受けられない。

 これは、善治郎とアウラの『ガラス』という物に向けられる期待の方向性の違いだろう。

 ガラスといえば、窓ガラスが最初に思いつく善治郎に対し、何はさておいても球形のガラス――ビー玉にこそ、最大限の関心を持っているアウラである。

 アウラが、フロート式という精製方法にさほど興味を示さないのも、当たり前と言える。

 実際、フロート式のガラス精製を行うには、吹きガラスより遙かに困難が伴う。ガラスを浮かべるための金属プールの温度をある程度一定に保つ必要があるわけだし、液状化した金属プールの側で作業をするということは、作業者が蒸発する金属を吸い込む危険性がある。

 ラインの大半がコンピュータで制御され、自動化された現代だからこそ効率よい話なのであり、この世界の技術レベルでならば、吹きガラス式や、その応用であるクラウン式で作ったガラスを職人の手で磨いて平らにした方が、かえって効率がよいかも知れない。

 そこまで考えが及んだわけではない善治郎だが、今一妻の歓心を買えなかったことは理解できた。

「それじゃ、問題はもう一つのガラスの色、かな。こっちも、あのテレビ番組でやっていた通り、とにかく頑張って砂の中の鉄分を除去するしかないんだよね。

 やり方としては、もっと念入りに砂を石臼で引いて、水の中で攪拌させて、沈殿物の出来るだけ上澄みを選別することかなあ」

 話を次の議題に移した善治郎は、そう言ってまた首を傾げた。

 ガラス製造のテレビ番組でも簡単に説明していたが、ガラスに色が付く主な原因は、砂に混ざっている金属粒子である。

 そのため、一番簡単で確実な対策は、可能な限り砂から金属粒子を除去することに限る。

 石臼で丹念に引き、砂を出来るだけ細かく砕くことにより、金属粒子を除去しやすい状況を作り、その上でその砂をたっぷりの水の入った樽にぶち込み、思い切りよくかき混ぜた後、全ての砂が沈殿するまでゆっくりと待つ。

 こうすることで比重の重い金属粒子は沈殿物の底に溜まり、軽い砂が上に溜まる。

 あとはその沈殿物の中から、上の方だけをすくえばよい。

 善治郎の答えに、女王は最近鍛錬の成果でシャープさを取り戻しつつあるあごに手をやり、答える。

「ふむ。一応、その手順については、あの映像を見たときそなたから説明を受けていたので、やらせたのだがな。石臼での引きか甘かったのか、水中攪拌がうまくいかなかったのか、結果はさっき言った通りだ」

「んー、ひょっとしたら、砂自体の問題かも? 実際、ガラスに向いた砂とそうじゃない砂の差はかなり激しいらしいし。元が駄目なら、いくら努力しても限界があるのかも知れない」

 極端な話、砂鉄同然の黒砂をどれだけ丹念に石臼で引いても、劇的な改善はしない、ということだ。

 無論、アウラがいうとおり、引きが甘い可能性や、攪拌・選別がうまくいっていなかった可能性も十分にあるので、善治郎の意見が正しいという保証はない。

 だが、アウラの耳にも善治郎の意見は、十分に信憑性のある物に聞こえたようだ。

「なるほど、砂そのものの適性か。一度、各地から色々な砂を集めてみるか」

「うん、それが良いと思う。後は、これもあのテレビ番組でやってたんだけど、磁石で丹念に鉄分を除去することかな。

 磁石は一応、冷蔵庫に貼り付けてあるのが幾つかあるけど、あれに鉄片をくっつけて磁気を帯びさせても弱いだろうなあ。

 充電式電池が大量にあるから、それを直流電源に使えば、後は銅線があれば、電磁石の真似事ぐらいは出来ると思うんだけど」

 中学時代の理科の知識を頭の中からほじくり出す善治郎に、アウラは小首を傾げて問いを投げかける。

「銅線? なんだ、それは? 線状の銅ということか?」

「うん、銅線。糸みたいに細長く延ばした銅をグルグル巻きにして、そこに電気を通せば、巻き付けた芯棒が磁気を帯びるんだ。そうやって、鉄を磁石にする実験を子供の頃学校でやった記憶があるんだけど、こっちには銅線ってないかな? 場合によっては鉄線でも代用は可能なんだけど、効率はちょっと落ちる。銅は、銀の次に良く電気を通す金属だから」

 善治郎の問いに、アウラは大きな胸の下で腕を組み、考える。

「ううむ。少なくとも、現状この国に存在していないのは、間違いないな。問題は、王宮で抱えている技術者に命じて、作らせる事が出来るかどうかだが……そこまで細い物となると難しそうだな。しかもグルグルと巻き付けて使うのだろう? ということは十分な柔軟性も求められるわけだ。

 もしかすると、少々値は張るが、銅より銀の方が見込みがあるやもしれぬ。そうした細やかな造物は、銀細工師の領分に近い」

 アウラの答えに、少し意表を突かれたような表情を浮かべた善治郎は、その後すぐに納得したような表情で首を縦に振る。

「あ、そうか。電線みたいに大量生産するならともかく、少数の実験の為なら、銀でもそこまで高くはつかないのか。

 うん、分かった。見込みがありそうなら、お願いしようかな。こっちも、中庭の木陰に作業台を出して準備を整えておくから」

 素人の善治郎では、磁界が生じたときに、周囲にどのような悪影響を及ぼすのか、正確な予想が立たない。

 乾電池を電源にした電磁石程度で、パソコンを初めとした家電がいかれるとは考えづらいが、素人判断は危険だ。念には念を入れておくに、越したことはあるまい。

 この暑い中、外での作業を思うと、少々ウンザリするが、木陰や噴水の近くを選べば、我慢できないほどではないだろう。

「分かった。銀細工師については、こちらで手配しておく。砂もできるだけ、多くの地域から実験的に集めさせよう。こうしたことに、時間を割いていられるのも今のうちだ。早めに手はずを整えるに限る。

 もうしばらくすれば、シャロワ=ジルベール双王国から、王子・王女がやってくるからな。

 自由な時間は、今以上に少なくなる」

 動くならば、今のうちだ。という、アウラに、善治郎は思わず溜息を漏らす。

「ああ、もうそこまで話が進んでるんだ?」

「うむ。大型竜車での移動は、天候その他の要員で大きく日程がずれ込む故、何時とは明言できぬが、順当に行けば、半月か二十日後くらいには、こちらに来る予定になっている。そうなると、私もそなたも、対応に追われることになる。

 しばらくは、余裕のない日々が続くことを、今から覚悟しておいてくれ」

 善治郎の溜息が伝染したように、アウラも大きく息を吐いた。

 双王国の王族がやってくる。

 その一大イベントの前には、他の都合や当事者達の心情など二の次となる。

 アウラの言うとおり、しばらくは、笑顔の下に緊張と警戒心を隠した対応を迫られる日々が続くことになるだろう。

「了解。頑張るよ」

 一度大きく肩を落とした善治郎は、大きな深呼吸で陰鬱な空気を吐き出すと、気を取り直したようにそう答えを返した。





 その後もしばらくは、ベッドの上に腰を掛けたまま、事務的な会話を続けていた女王夫妻であったが、その会話は、ベッドの脇に置いてある携帯電話の電子音に遮られる。

「っと。タイマーが鳴っちゃった」

「なんだ、もう就寝の時間か。やはり、室温が快適だと、何をしていても時間の経過が早い」

 キングサイズのベッドの上を転がるようにして、携帯電話を手に取り、アラームを止めた善治郎に、アウラが名残惜しげにそう告げる。

 時間を忘れて睡眠時間を圧迫しないように、念のため携帯電話のアラームをセットしておいたのだが、早速役に立った。

「うん、これ以上話していてもきりがないだろうし、寝ようか」

 エアコンのリモコンを手に取り、ピッとボタンを押す善治郎に、アウラは少し不満げに言葉を漏らす。

「む、消すのか?」

 冷風の魅力にすっかり魅了されてしまった妻に、善治郎は苦笑を返す。

「いや、消さないよ。スリープモードっていって、寝ている時の設定に切り替えたの。流石に寝ている状態で、最強状態のエアコンの冷風を浴びるのは身体に悪いからね」

「そうなのか……」

 残念そうに首を傾げる妻の顔を見ていると、自分の意見を撤回して、再びエアコンを全開にしたくなってくる善治郎である。

 実際、夜でも三十度を下らないこの地では、エアコンを全開にしておいた方が、『適温』に近い室温が保たれる気もする。だが、初日からむだな冒険をする事もないだろう。

「それじゃ、電気も消すよ。大丈夫?」

「ああ、問題ない」

 その後、一度ベッドから降りた善治郎は、寝室を照らしてたオレンジ色のフロアスタンドライトの紐を引っ張り灯りを消す。

 明かりの絶えた寝室は、木戸を閉め切っている為、星明かりすら入り込まない完全無欠の真っ暗闇に包まれる。
 だが、善治郎にとっては、すでに一年以上を過ごしている勝手知ったる我が家だ。

 真っ暗闇の中、さして迷うことなくベッドに戻ってきた善治郎は、そのまま手探りでベッドによじ登り、愛する妻が待っているであろう、ベッド中央部へとすり寄る。

 この暗闇でもアウラには、こちらの輪郭程度は見えているらしく、四つん這いで近寄ってきた善治郎に、アウラは的確に手を延ばし、自分の隣へと導く。

「善治郎……」

「ん、ありがと」 

 当たり前のように、手をつなぎ、当たり前のように口づけをかわし、当たり前のように隣り合って床につく、男と女。

「それじゃ、お休みなさい」

「ああ、お休み」

 そして、妻と夫は、互いの寝息を耳に、互いの体温を肌に感じられるだけの距離を保ったまま、静かに眠りにつくのだった。
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