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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

二年目

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第三章1【エアコンとガラスと水車】

 塩の街道でチャビエル達が一戦を交えたその日から、十数日程過ぎた、ある日の午後。

 いつも通り、執務室で業務を続けていたアウラは、王領端の砦から『小飛竜』がつい先ほど届けたばかりの書類に目を通し、一つ深い溜息をついていた。

「……ふう。そうか、ガジール辺境伯のご子息は、討伐に失敗したか。まあ、街道を封鎖していた障害を特定して、その情報を持ち帰っただけでも成果と言えなくはないが」

 少々面倒な事になった、とアウラは、椅子の上に腰を掛けたまま、グルグルと首を回した。窓から差し込む日差しに、アウラのほつれた赤い頭髪が、キラリと光る。

「はい。その報告書にあるとおり、討伐対象が統率の取れた五十匹を超える群竜であったのならば、百人程度の兵力では、少々荷が重いでしょう。チャビエル卿の判断は、決して間違っていなかったかと」

「分かっている」

 アウラは、正面を向いたまま、斜め後ろから声をかけるファビオ秘書官に、そう短く素っ気ない言葉を返す。

 チャビエルの判断は間違っていないことには、アウラも賛同する。

 現在のカープァ王国は、まだまだ先の大戦から復興の真っ最中なのだ。例え直轄の王領の民ではなく、地方領主の民であっても、五体満足な若者はそれだけで貴重な存在である。

『群竜』の壊滅には成功したが、兵力は半減した。では、討伐成功とは言えない。

 そう言う意味では、ガジール辺境伯の三男坊は、初陣の若者とは思えぬ、理性的で的確な判断を下した、と言える。

 少なくともアウラは、この「討伐失敗」を、チャビエルのマイナスポイントとは思わない。しかし、アウラの立場では、チャビエルのその判断を、手放しで歓迎することが出来ないのも、また事実である。

「これで『群竜討伐』の主導権は、ガジール辺境伯家から、プジョル将軍に移るわけだ」

 アウラはそう言って、一つ大きく溜息をついた。

『郊外演習』の名目で、プジョル将軍率いる国軍の精鋭一千は、すでにその砦に向かって行軍を開始している。

 もしかすると、もうすでに砦に着いているかも知れない。

 いずれにせよ、すでにこの一件のイニシアティブは、プジョル将軍の手に移っている。

 王都から動けないアウラは、ただ黙ってその経過を見守ることしかできない。

「まあ、いい。あの男のことだ。どのような形にせよ、事態は解決してみせることだろう」

 人格はともかくとして、プジョル将軍の武人としての能力には、信頼を置いている。

 この一件で、次期領主の名声を高めておきたかった、ガジール辺境伯親子には少々気の毒だが、塩の街道の復旧は急務だ。塩の街道の復旧が遅れれば、直接被害を被るのは、他ならぬガジール辺境伯領なのだから、多少彼等の思惑が外れたとしても、我慢してもらうしかない。しかし……

「確かに、プジョル将軍の手に負えない可能性は、考えづらいですな。問題は、将軍がその手柄を足がかりに、更なる飛躍を狙うことですか」

 相変わらず、ファビオ秘書官は、その細面の顔が、実は良くできた仮面なのではないか、と疑いたくなるくらいに、無表情を保ったまま、感情の感じられない口調でそう言う。

「……分かっている。まあ、事後処理については、根回しをしておくさ」

 アウラは、椅子の肘置きに右肘を乗せ、だらしなく頬杖をついたまま、また一つ溜息をつくのだった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆





 その昔、善治郎がまだ小学生だった頃、テレビの音楽番組のトークコーナーで、耳にした逸話がある。

 それは、とあるミュージシャンのデビュー前の貧乏時代エピソードで、「その頃、経験した中で、もっともきつかったアルバイトは何か?」という問いへの答えだ。

 そのミュージシャンは、間髪入れずに即答していた。それは、「エアコンの取り付け工事のアルバイトだ」と。

 なぜならば、エアコンの取り付けを頼む部屋には、エアコンがついていない。そして、その部屋はエアコンの取り付けを頼む以上、エアコンが必須なくらい暑い。

 エアコンの入っていない空間で、汗だくになって作業をし、無事終えるとすぐに向かうは、次の仕事場。当然そこにもエアコンはない。

 真夏の日本で、エアコンのない空間から、エアコンのない空間へ、移動を繰り返す、難行苦行にも等しいアルバイト。それが「エアコンの取り付け工事のアルバイトだ」とそのミュージシャンが言っていたのを、当時の善治郎は、「あはは、なるほどねえ」と、エアコンの効いた茶の間でせんべいをかじりながら、笑って聞いていたものである。

 では、なぜ、今になってそんな十年以上も前の話を思い出しているかというと、何のことはない。

「くそっ、汗が眼に入った! 水平器のメモリが見えん!」

「ゼンジロウ様、大丈夫ですか!?」

「ゼ、ゼンジロウ様、足、足元、気をつけて下さい!」

 現在、山井善治郎は、真夏の日本に『避暑』に訪れたくなるくらいに暑い、異世界の後宮で、慣れない『エアコンの取り付け作業』に、汗を流していたのである。





「……よし、バックボード取り付け完了……!」

 どうにか、寝室の壁に、エアコンのバックボードを取り付け終えた善治郎は、もうそれだけで一仕事終えたような満足げな表情で、そう呟いた。

「ゼンジロウ様、タオルです」

「ああ、ありがとう、ドロレス」

 善治郎は、隣に控えていた背の高い侍女から、よく冷えた濡れタオルを受け取ると、それで顔の汗を拭う。

「……・ふう、生き返る」

 この熱の籠もる寝室で、壁に立てかけた梯子に登り、慣れない作業に勤しんだのだ。「生き返る」という感想は、決して大げさなものではない。

 侍女数人の協力を得て、梯子を押させてもらったり、侍女にバックボードを手で押さえて置いてもらったりしながら、どうにか、木製の三本の柱に長いねじ釘で、銀色に光る金属製のバックボードを水平に打ち付けることに成功した。

「大工の人達に感謝、だな。昨日は、アウラにも迷惑をかけたし、後で俺からも御礼をしておくか」

 善治郎は、取り付けたばかりのバックボードを見上げ、そう呟く。

 昨日、このエアコンを取り付けるために、わざわざ特別許可を出し、後宮に大工を入れて、寝室の壁際に、木製の柱を立ててもらったのだ。柱には、ガッチリと筋交いを入れて重いエアコンをぶら下げても、万が一にも倒れない用に補強してある。

 白い大理石作りの壁に、木製の柱を貼り付けて、間に斜めの筋交いまで入れたため、見た目はかなり見苦しくなってしまったが、まあ仕方がない。

 まさか、大理石作りの壁に、ねじ釘をぶち込むことも出来ない。向こうの世界には、石材用の釘や、その釘を打ち込むための電動工具もあるのだが、生憎善治郎が、この世界にやってきた時、そこまで特殊な道具には眼が行き届いていなかった。

 ともあれ、冷たいタオルで顔を拭き、一息ついた善治郎は、周囲に姿勢正しく控えている侍女達に気づき、声をかける。

「みんなも、遠慮しないで冷蔵庫のタオルを使って良いよ。ああ、あと、水差しの水もガンガン飲んで。このままだと冗談抜きで、熱中症や、脱水症状になりかねないから」

 彼女たちも、今ままで善治郎の指示を受けて、梯子を下で支えたり、善治郎がねじ釘を打つ間、下からバックボードを支えたりと、中々に辛い仕事をこなしてくれたのだ。

 少しでも体温を下げて、水分を補給しなければ、冗談抜きで体調不良を起こしかねない。

「はい、ありがとうございます」

「お言葉に甘えさせていただきます」

 額や頭皮、ドッと汗をかいていた侍女達は、善治郎の言葉に素直に礼を言うと、早速冷蔵庫のある隣のリビングルームへと向かった。

 一人、寝室に残った善治郎は、日本で色々なホームページからプリントアウトしてきた、『自分でおこなう、エアコンの取り付け方』を印した紙の束を、ベッドの上に広げ、あらためて目を通す。

「ええと、バックボードは水平を取ってガッチリ壁に設置したし、次は一度室内機をバックボードにかけて問題ないか、試すか。その後は、配管、電線、排水管(ドレンホース)とを壁の穴に通して……」

 そう言って、善治郎がバックボードの右隣に視線を向けると、そこには分厚い大理石作りの壁に丸い名が穿たれている様が見える。もちろん、排水が逆流しないように、少し下向きに開けられた穴だ。

「しかし、まあ、どこの世界でも、職人っていうのは凄いもんだな。穴の大きさも、角度も完璧こっちの注文通りだもんなあ」

 善治郎は、バックボードの右横に穿たれた穴を見上げて、感嘆の声を漏らす。

 その穴は、昨日、王宮付きの石工が、開けてくれたものだ。

 善治郎の二の腕の長さより厚みがある石壁に、電動工具も使わずに、思い通りの穴を穿ってみせるその技は、思わず見とれるくらいに見事なものであった。

 何でも、王宮付きクラスの高位の石工は、土系の『精霊魔法』を使えるらしく、穴を開ける前に、『石質軟化』、開けた後に『石質硬化』の魔法をかけたのだと言っていたが、それをふまえてもやはり大した技術であることに変わりはない。

 この穴に、配管、電線、排水管(ドレンホース)を通し、室外機と接続するのだ。

 善治郎は、一度顔を拭いてぬるくなってしまったタオルを、開いてたたみ直し、まだ冷たい内側の部分で、もう一度顔を拭くと、気合いを入れ直したように、声を上げる。

「よっし、それじゃ、まずは室内機の配管接続を済ませよう。その後は、配管その他を穴から外に出して、室外機の設置だ! 室外機の設置、か……」

 この炎天下。今おこなったのと同レベルの作業を、今度は日影もない中庭で行わなくてはならない。

「……はあ」

 善治郎は思わず、開け放たれた窓から差し込む陽光を睨み、溜息を漏らすのだった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆





 善治郎が後宮の中庭で、侍女達がさす日傘の日影だけを頼りに、慣れないエアコン設置作業に滝のような汗を流している頃、執務室での仕事を終えた女王アウラは、王宮の後庭を訪れていた。

 前後左右を白い革鎧と短槍で武装した近衛兵で固めたアウラは、女としては大股なしっかりとした足取りで、雑草が生い茂る大地を踏み締め、歩み進む。

 王宮の外面とも言うべき前庭や、賓客を招いて野外パーティの会場となる事もある中庭と比べ、ここ後庭は、『殺風景』と言うしかない作りになっている。

 その代わりに、その広さは、前庭と中庭を合わせたよりまだ広い。

 ここは、王宮に仕える職人達が、いざという時王宮内で作業をするために提供されている空間なのだ。

 石工はここで石を切り、大工はここで木材を荒く整える。鍛冶師は、王宮騎士達の武器を打ち直し、革職人は、防具の修繕を受け持つ。

 言うならば、ここは王宮内の『職人街』とでも言うべき空間なのである。

 王宮内には、他にも大規模な畑、過剰なくらいの井戸、食肉用の家畜を放牧地などが存在する。こうした区域を見れば、この王宮も、いざという時は籠城に耐えられる、砦としての側面を持っていることが、理解できるかも知れない。

 もっとも、幸いにして、先の大戦でも、ここ王都が戦火に包まれたという歴史はないが。

 護衛の兵士を引き連れて歩くアウラの存在に気づいた職人達は、一瞬作業する手を止めてその場で軽く一礼する。

「うむ。ご苦労。そのまま続けてくれ」

 アウラは、軽く声をかけて、そのままその場を歩き抜ける。

 仕事場で作業中の職人は、例え王その人が相手でも、礼を省略することが許されている。この辺りは、意外と柔軟だ。

 職人達の注目をそれなりに集めるアウラが、足早に向かったのは、今年になって建てられたばかりの、一軒の木造の小屋だった。

 王宮の水路の横に立ち、水車を一台確保しているあたり、新参でありながら、かなり優遇されている事実が、見て取れる。

 その小屋の前では、汚れた作業着姿の男が数人、直立不動でアウラの来訪を待っていた。

「アウラ陛下。ご足労頂き、ありがとうございます」

 代表して、そう声を上げたのは、髪も髭もすっかり白くなった老人だ。粗末で丈夫そうな長袖のシャツから除く手は、固く節くれだっており、彼が熟練の職人であることを物語っている。ただし、見る者が見れば、そのシャツの奥に隠れた筋肉が、「現役」と呼ぶには少しばかり衰えていることも解るだろう。

 対して、その後ろで全く緊張を隠せずに、コチコチに身体を強張らせているのは、皆十代の中盤から、良くても後半くらいの若い男達である。

 こちらは、身体もまだまだ華奢な上、その手の平の皮も薄い。

 一度現役を引退した老人の『鍛冶師』と、まだひよっこの『鍛冶師見習い』。 

 彼らは、『ガラス製造』の為に、アウラが集めた職人達である。

 現時点でどのような成果が出せるか、全く目算が立っていない現状、人材も現役世代からは引っ張って来ることが出来なかったのだ。

 アウラは、畏まる『ガラス製造チーム』の面々の前で、大きく胸を張ると、端的に切り出した。

「報告を聞こう。成果があったらしいな?」

 アウラの言葉に、老鍛冶師は、小さく首を縦に振る。

「はい、陛下。陛下のご指示通り、白砂と、焼いた貝殻の粉末と、天然重曹〈トロナ鉱石〉の粉末の混合物を、可能な限り高温で、五日五晩熱し続けたところ、どうにか溶け合い、液状化させることに成功しました。

 それを鉄棒ですくい取り、灰の中に垂らして冷やしたのがこちらです。ご覧下さい」

 そう言って老鍛冶師は、その節くれ立った手に持つ、細長い物体を、アウラに向かって差し出す。

「うむ」

 アウラが、そう言ってあごをしゃくると、側に控えていた近衛兵士の一人が、老鍛冶師の手からそれを受け取り、一通り丁寧になで回し、異常がないことを確認した後、その物体をアウラに手渡す。

 アウラは、手渡されたその物体を手の平で弄び、声を上げる。

「……ほう。なるほど」

 それは、端的に言えば『緑がかった黒曜石』とでも言うべき物体だ。

 表面はそれなりに艶やかで、光沢があるが、色はほぼ真っ黒に近く、言われてみなければ、それが緑がかっていることにも気づくまい。

 間違っても、善治郎の持つ食器や酒瓶に使われている『ガラス』と同質のモノには見えない。

 しかし、それを手にとって太陽にかざしてみると、僅かだが、透き通る性質があることがわかる。特に、その石の影に手をやると手に映る影は黒ではなく、緑がかっているのが何よりもの証拠だ。

「うむ」

 その影を見たアウラは、満足げな笑みを浮かべ、頷く。

 これだけは何の役にも立たない、ただの薄汚い石ころに過ぎないが、少なくともこれで、あの婿殿が見せてくれたDVDのやり方が、ガラス製造の方法として、基本的に間違っていないことが証明されたわけだ。

 最初の成果としては、上出来と言っても良い。

「良くやった。この調子で、この物体の製造方法を確立しつつ、透明度も高める方法も模索せよ。全く未知の作業だ。期限は設けぬ。失敗もとがめぬ。だが、試行錯誤を辞めることは許さぬ。今後も良く励め」

「は、はあ! 承知いたしました!」

 アウラの言葉に、老鍛冶師は、そう言って大げさなくらいに深く頭を下げた。あわてて、後ろで硬直してた若い鍛冶師見習い達も、ワンテンポ遅れて頭を下げる。

 実際、アウラの言葉は事実である。最初から、善治郎の見せてくれたDVDと同じようなものを作れるとは、アウラ自身まったく思ってもいない。

 この短期間で、曲がりなりにも「よく見れば確かにこれはガラスだ」と言えるものが出来ただけでも、『できすぎ』だと思うくらいだ。

 実際、ガラスは鉄よりも溶けづらいと善治郎から聞かされていたアウラは、しばらくは形にならないことも覚悟していたくらいである。

「で、どうだ? 今は、錬鉄用の窯をそのまま流用してやっているらしいが、そのままいけそうか?」

 アウラの問いに、老鍛冶師は渋い顔で首を横に振る。

「いいえ、陛下。それは少々厳しいかと。正直、今回のような使い方を繰り返せば、いつ熱で窯が逝かれてもおかしくはありません。それに、これだけの量を精製するのに、五日もかかるようでは、技術更新にも支障を来します」

「ふむ……となると、やはり、あの資料にあった『耐火煉瓦』とやらの製造にも、平行して手を伸ばした方が、結果的には、早道やもしれぬな……となると、今の人員では、人手が足りぬか」

 アウラは、しばし、無言のまま、あごに右手をやって考える。そして、

「あい、分かった。出来るだけ、追加の人員を用意できるように、取りはからおう。しかし、どのみちすぐに手配できるものではないからな。しばらくは、今の人員で出来るだけ、作業を進めてくれ。

『ガラス製造』そのものの研究を進めるか、それとも、『耐火煉瓦』の研究を優先するか。その辺りは、貴様の判断に任せる。最善を尽くせ、よいな?」

 そう言って、老鍛冶師に鋭い眼を向ける。

「は、承知いたしました」

 女王の勅命を、老鍛冶師は伏して、受諾するのだった。







 ガラス製造研究小屋の前を後にしたアウラは護衛の兵士を引き連れたまま、水路沿いに足を進め、別な区画へと向かう。

 やがて、アウラの視界に、少々奇妙な光景が映る。

「ふむ、ここか」

 それは一言で言えば、水路に平行して設けられる、大量の『水車』だった。数えてみれば、実に十もの水車が横一列に鎮座していることが解る。

 通常、常識からしてあり得ない光景である。

 これほど、近距離に連続して水車を設ければ、水力が不足して、下流の水車は満足な力を発揮できない。だが、この水車に関してはそんな心配は、最初からする必要もないだろう。

 なぜならば、その水車は皆、人の膝丈くらいの大きさしかないのだ。

 これでは、そもそも動力として、大した役には立つまい。

 アウラが、ドレスの裾を手で押さえて身を屈ませ、ミニチュア水車を上からのぞき込んだ、丁度その時だった。

「ア、アウラ陛下! いらしていたのですか。事前に仰って下されば、お迎えしたものを!」

 少し腹の出た中年の男と、ガッチリとした体型の若い男達がこちらに駆け寄ってくるのが見える。

 まだ息も整わぬまま、慌てて平伏しようとする職人達に、アウラは小さく肩をすくめ、手で制する。

「よい。予定のなかった急な来訪だ。すまぬな。私の気まぐれでそなた達に、心労を強いた」

「ははあ、勿体ないお言葉です」

 平伏こそしなかったものの、水車職人達は、揃って深々と頭を下げる。

 非生産的な言動に時間を費やす趣味のないアウラは、ここでも率直に話を切り出す。

「こちらもある程度『成果』は出ているようだな。私が見たところ、十ある水車のうち、六つが壊れているようだが」

「はい。ごらんの通りでございます。破損した六つのうち、五つは、従来通りの水車。残り一つは、陛下の御指示通りに作った『新型』の水車です」

「そして、生き残っている四つは皆、新型か」

「はい、左様です」

「たいした物だな。婿殿の知識というのは……」

 アウラは、周囲の人間に聞き取れないように、口の中だけでそう呟いた。

 この、水車の耐久実験も、善治郎のアイディアをアウラが形にした代物である。

 以前、アウラが善治郎に、「この国の水車は、北大陸のそれと比べて破損しやすい」と愚痴を漏らしたとき、善治郎がなんでもないことのように言った「それは、歯車同士が『互いに素』になっていないのではないか?」という提案を、形にしたのが、この十個のミニチュア水車なのである。

 歯車同士が『互いに素』になっているというのは、かみ合う歯車の歯の数が、1以外の共通の約数を持たない状態を言う。

 例を挙げれば、9と5には共通の約数が1以外にないので、『互いに素』であり、10と5は、1以外に5という共通の約数が存在するので、『互いに素』ではない。

 歯車同士を組み合わせる場合、この歯の数が『互いに素』になっているか、否かというのは、極めて重要なポイントである。

 かみ合う二つの歯車の、歯数が、『互いに素』になっていれば、全ての歯が均等な確率でかみ合う。一方、『互いに素』になっていない場合は、数ある歯車のうち同じ歯同士ばかりがかみ合い、全くかみ合わない歯の組み合わせが生じる。

 そうなると、結果はどうなるだろうか?

『互いに素』になっているかみ合わせの場合は、均等に二つの歯車が摩耗していくことで、使用するに従ってかみ合わせが最適化されていくのに対し、『互いに素』になっていないかみ合わせでは、極端に摩耗が進む歯と、全くといっても良いほど摩耗しない歯車が生じ、使い続けるに従い、急速にどちらの歯車も、形が歪になっていく。

 歪になった歯車は、いずれガタガタと唸りだし、それから程なくして自壊する。

 実際、同じ材質で同じ精度の歯車でも、互いに素になっているモノとそうでないモノを比べた場合、その平均寿命は冗談ではなく、十倍ではきかないくらいに開くことがある。

 これが、現代の地球で作られているような、超硬度合金製で、ミクロン単位の精度を誇る歯車ならば、『互いに素』になっていなくても、その技術力で誤魔化しがきくのだが、この世界の水車のように、木製という摩耗しやすい素材な上、精度も甘い歯車の場合、その差は如実に表れる。

「陛下の仰るとおりでございました。陛下のご指示された歯数の歯車は、我々が今までやってきた歯車と比べて、比較にならないほど長時間持つようです」

 自分たちの専門分野に、門外漢である女王が適切な助言をしたという事実に、職人達は追従でない、心底からの感嘆の言葉を、アウラにかける。

 本来、その賞賛を受けるべきなのは、自分ではなく善治郎であると考えているアウラは、内心複雑な思いがあったが、それをこの場で表情に出すほど迂闊な人間ではない。

「大したことではない。私の提案など、ちょっとした思いつきに過ぎぬ。貴様等職人の腕がなければ、形にはならぬのだ。我が言を受け入れ、この短期間で形にした貴様等の技こそ、国の宝よ。今後も、王家、王国、そしてこの王の為、その技を存分に振るってくれ」

「は、ははぁ」

 女王のお言葉に、水車職人達は、あらためてその場で深々と頭を下げた。

 頭を下げる職人達を、満足げに見下ろし、アウラは口元を大きく笑みの形に歪めながら、言葉を続ける。

「というわけで、今後王領の水車は、この新型の歯車に交換してもらいたいのだが、問題はないな?」

 念を押すアウラに、中年の職人は精一杯下手に出つつも、訴えたい思いを乗せた上目遣いで、言葉を返す。

「それは、もちろんです。陛下のご下命とあらば、すぐにでも取りかかります。ですが、その……念のために、一つお聞きしたいのですが……」

「ん? なんだ? いいぞ、申してみよ」

 この時点で、半ばこの水車職人の言いたいことを、確信していたアウラであったが、そしれぬそぶりで続きを促す。

「はっ、それでは、お許しを頂き、ご無礼つかまつります。陛下は、その新型歯車の情報を、他の領主様達にも、御披露目するつもりなのでしょうか?」

 職人の問いは、アウラの予想を裏切らないものであった。

(やはり、その点を気にしていたか。まあ、この男の立場で考えれば無理もないがな)

 従来の歯車より、圧倒的に長持ちする新型の歯車。

 その存在は、発注者である王族貴族や、使用者である農村の農民にとっては、福音そのものであるが、ごく一部にその存在によって、多大な損害を被る者達がいる。

 言うまでもなく、彼等水車職人達である。

 歯車の耐久年数が延びるということは、取りも直さず、彼等水車職人の仕事が減ることを意味する。

 ある意味、自分で自分の首を絞めるに等しい行為である。職人の懸念ももっともだ。

 そんな職人達の内心を、かなり正確に把握しつつも、アウラはポーカーフェイスを崩さずに、素っ気ない口調で答える。

「ああ、それは無論教えるとも。一国の王として、この様な有益な情報は、信頼の置ける配下と共有する義務があるからな」

「さ、左様ですか……」

 絶望。そんな題名の彫像のモデルが、務まりそうな表情で、中年の職人はそう擦れた声で言う


 がっくりと肩を落とす職人の変貌を、意図的に無視して、アウラは少々わざとらしく、話を続ける。

「ああ、そうそう。これは全くの別件なのだが、実は貴様達への依頼形態を変更したいと思うのだがな。

 今までのような、水車一つの設置、修繕を依頼するたびに金銭を支払うのではなく、一度設置した水車の管理・保全を貴様達に一任し、その経費をあらかじめ年の初めに纏めて支払いという形を考えている」

「え? それは、つまり……」

 すぐには、アウラの言葉を理解できなかった水車職人であるが、やがてその言葉の意味を解するに従い、またその表情は一変する。

 絶望から歓喜へと。

 アウラの提案は、簡単に言えば、『年間契約』だ。

 今までは、水車が壊れるたびに、職人達に仕事を依頼し、修理修繕してもらっていた。

 この形では、新型水車になり、水車の破損回数が減れば、その経費削減分は、ダイレクトに職人達の収入にマイナスとして、彼等に被さってくる。

 これでは、職人達がひとたまりもない。

 そうした事態を避けるため、アウラは、水車の修理修繕を、年間契約として、一年の初めに纏めて支払い、その後はたとえ一度も問題もなく、水車が稼働し続けても、その代金は返す必要はない、と言っているのだ。

 無論、逆に契約期間に水車が破損した場合には、追加の料金もなく、修理する義務が職人達には生じるのだが、それはまとめ役がよほどずぼらな会計管理を行わない限り、そうそう大きな問題にはならないだろう。

(無論、これまで水車の修理修繕にかかっていた年平均の見積もりを出して、年間契約料はそれより低い金額にさせてもらうがな)

 アウラは、内心でそんな事を考えていたが、たとえアウラの内心が読めたとしても、職人達の喜色がかげることはあるまい。

 アウラの今言った形式ならば、水車職人が一気に零落するという最悪の可能性は、回避できる。

 アウラとしても、ここで急な改革をおこして、水車職人達を路頭に迷わせるのは、不本意である。

 それに、年間契約という形を取るということは、途中で『予定外の出費』を強いられることがなくなるのだから、国庫の支出が計算しやすくなるという、メリットもある。

 職人達にとっても、収入自体は若干目減りするが、毎年決まった時期に決まっただけの金額が入金されるということは、年間計画が立てやすくなると言うことでもある。

(まあ、この辺りが落としどころだろう。また、婿殿のおかげで、僅かだが国庫に余裕が生まれそうだな。さて、この金はどこに回してやろうか)

「ありがとうございます、アウラ陛下。本当に、ありがとうございます!」

 平身低頭、礼の言葉を述べる職人達の前で、女王アウラはもう、次に打つ一手に頭を巡らせていた。
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