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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

二年目

46/93

第二章1【肉食竜討伐軍、始動】

 カープァ王国、ガジール辺境伯領。

 そこは、カープァ王国の中でも最南端に位置する辺境の地である。南大陸西部諸国の中でも指折りの国土面積を誇るカープァ王国であるが、その割には、地域ごとの気温差は、そう激しいものでもない。

 もっともこれは、カープァ王国だけに限ったことではなく、南大陸西部全域に言える事である。それはつまり、王都が一年でもっとも日差しが厳しい季節を迎えている今、ガジール辺境伯領も、同様に殺人的な酷暑期のまっただ中にあることを意味する。

 無防備に日なたで小一時間佇んでいるだけで、老人や子供ならば命が危険に晒されるこの時期は、雨期の次に大規模戦闘に向かない時期である。

 その辺りは、南大陸諸王国の支配者層が共有する価値観であるため、この時期に『人間同士』の戦争が起こる可能性は非常に低い。

 しかし、ここ南大陸には、人間の都合など歯牙にもかけない厄介な外敵が存在する。

 高温多湿な南大陸西部にもっとも適応している種族。単純な生息領域面積でいえば、人類を遙かに凌駕する南大陸支配層生物。

 肉食竜種。

 その肉食竜によって寸断されたと思しき『塩の街道』の流通を復活させるため、ガジール辺境伯軍は、一年で二番目に行軍に向かないこの時期に、軍事行動をおこしたのだった。




 百名弱の軍勢が、『塩の街道』をゆっくりと北上する。

 まだ午前中の比較的涼しい時間帯なのだが、ふり注ぐ陽光はすでに攻撃的な色合いを帯び、街道の左右に立ち並ぶ森林の緑を鮮やかに照らし出している。

 カープァ王国が天下に誇る国道、『塩の街道』とはいっても、その作りは現代人の感覚からすれば、実に粗末なモノだ。
 道幅は乗用車が一台ずつすれ違うのがやっとの太さで、表面は乾燥した土が剥きだしになっている。

 一応、道の中央が僅かに盛りあがるように整地して、道の両わきには浅い溝が掘られているので、雨期でも道路が水路になる恐れは低そうだが、それでもこの砂利も引いてない土の道路が『国家の大動脈である』、と言われても納得できる現代日本人はあまりいないのではないだろうか。

 アスファルトを敷きつめた現代日本の国道はおろか、紀元前に存在したローマ帝国の石畳みが敷きつめられたローマ国道にすら及んでいまい。

 科学技術は低くても、こちらの世界には、土を操作する魔法が存在しているのだから、古代ローマよりは条件的に恵まれているはずだろうに、この有様なのは、地球とは比較にならないくらいに、自然の驚異が強力である証なのかも知れない。

 もっとも、古代ローマ以降のヨーロッパ、中東の道路事情をかえりみれば、全盛期のローマ帝国の街道整備能力が、地球の歴史上でも例外という可能性もある。

 ともあれ、その『塩の街道』を辺境伯軍はゆっくりと進んでいた。

 先頭を歩くのは、大きな緑色の『走竜』に跨った騎兵達である。

 走竜を駆る騎兵の数は、五名。騎兵一人につき、一人ずつ従者を伴っているのが特徴だ。

 他の兵士達は、皆手に短い槍を持ったまま、粗末ながらも丈夫そうな革服姿で徒歩でその後ろについていっている。
 兵士達は皆、革服の上から白い厚手のフード付きコートの様な物を羽織り、日光対策を取っているのだが、それでも酷暑期の太陽は容赦なく人間を照らし出し、その身体から水分を搾り取る。
 すでに、兵士の半分以上が腰に下げている水袋をカラにしてしまっている有様だ。

 例外は、後方に位置する輜重兵くらいのものだ。輜重部隊は、『鈍竜』が引く荷竜車で移動する。

『走竜』と比べ速度では圧倒的に劣る代わりに、力に勝る『鈍竜』は、予備の武器や食料、水、薪、煮炊き用の大鍋などを満載した荷車を軽々と引き、土の道に大きくて深い足跡を築いている。

 そんな『鈍竜』が引く荷竜車が数台。百近くいるこの一軍の胃袋を、この作戦を終えるまで満たすと考えると、確かにこのくらいの大荷物が必要なのだろう。
 むしろ、地球の中世の常識に当てはめれば、長期遠征が予想される兵士百人分の補給物資を、数台の荷車ですませる『鈍竜』の運搬能力が異常とさえ言える。

 騎兵が五名。騎兵の従者が五名。輜重兵が十名。輜重部隊の護衛が十五名。そして、歩兵が七十名と少し。

 一般的な編成と比べれば、いささか騎兵が少ないように思われるが、それは今回の軍事行動が、『森の中での肉食竜退治』を予想されるからである。

 騎兵という兵種は、開けた地形でこそその高い機動力と攻撃力をもって活躍する反面、今回のような動きの限定される空間では著しくその戦闘力を減じる。

 実際、五人しかいない騎兵達も、戦闘時は騎竜から降りて、手綱は従者に任せることになるだろう。

「……ふう」

 その五人の騎兵の一人である、黒髪黒眼の小柄な若い騎士は、先ほどからなんども周囲に気づかれないよう、細く深呼吸を繰り返していた。

 チャビエル・ガジール。

 それがこの若き騎士の名前である。

 ガジール辺境伯の第三子にして、現在生き残っている唯一の実息。

 確かに良く見ると、チャビエルの目鼻立ちは、ガジール辺境伯のそれとよく似ている。

 しかし、体型は大違いだ。背はさほど高くないものの、老いてなお筋骨隆々とした体躯を維持しているガジール辺境伯とくらべ、チャビエルの身体は一見すると華奢で非常に頼りない。

 今は、走竜の背に跨っているので分かりづらいが、その身長は善治郎よりも低そうだ。善治郎が百七十二センチなのだから、チャビエルの身長は百六十の後半か、下手をすると百六十の中盤くらいしかないかもしれない。

 小柄で痩身の若輩者。

 間違っても頼りになる指揮官には見えまい。本人もその事を意識してるのか、先ほどからずっと走竜の背の上で、過剰なまでにピンと背筋を伸ばし、少しでも自分を大きく見せようとしている。

 こうして竜の背に跨って先頭を進んでいると、後ろから百人の兵士達が自分の一挙一動を監視しているような錯覚を覚える。

 無論、それは全面的な錯覚だ。まだ、日が低い時間帯とはいえ、この酷暑期に延々と行軍を強いられている歩兵達に、先頭を行く指揮官を常に見張っているような余裕などあるはずもない。チャビエルの空回りである。

「チャビエル様……」

 槍を持って隣を歩く色白の若い従者が、騎乗のチャビエルに心配そうに視線を向けるが、今のチャビエルにはその視線に気づくだけの余裕もない。

 もっとも、そこまでの緊張状態にあっても、その騎乗姿に揺らぎがないのは、見事とも言える。見た目は華奢でも、武術の鍛錬はしっかりとつんでいる証拠だ。

 とはいえ、そのような肩に力が入りまくった騎乗体勢を延々続けていれば、そう遠くない未来に、体力を消耗しきって失態を演じるのは目に見えている。

「チャビエル様。少々早いですが、大休止を提案します。もう少し進んだところに、野営に適した更地がございますから、そこでキャンプをはってはいかがでしょうか?」

 苦笑を隠してそう具申してきたのは、チャビエルの斜め後ろで走竜を操る、中年の騎兵だった。

 年の頃は、四十前後だろうか? 黒々とした口ひげを生やした壮年の騎士の言葉に、チャビエルはビクリと身体を震わせると、首を後ろへと向ける。

「ジョゼップ卿……」

 そして、その父の腹心である騎士の名を呼ぶ。

 騎士ジョゼップ。先の大戦でも、武名をならした歴戦の古強者である。

 普段はチャビエルの父であるガジール辺境伯の側近を務めているのだが、領主軍への委任状と行軍許可証を携え、女王アウラの魔法で辺境伯領に転移してきたのだ。
 委任状と許可証を持って来るだけならば、ジョゼップほどの騎士でなければならない理由はない。

 恐らく父が、自分の初陣の負担を少しでも軽くするために、彼を送ってくれたのだろう。

 その父の心遣いが嬉しくもあり、情けなくもある。

 ともすると、卑屈な方向に走りそうになる思考を振り払い、チャビエルはジョゼップに声をかける。

「大休止には少々早いのではないか、ジョゼップ卿? 確か予定では、午前中の間にもう少し距離を稼ぐ計画になっていたはずだが」

 主君の息子と騎竜を並べた歴戦の騎士は、緊張と使命感で鯱張った若者を諭すように、丁寧な口調で言葉を返す。

「はい、チャビエル様。確かにその予定でしたが、今日の気温は予想以上です。すでに、歩兵達はバテ始めています。ここで無理をさせるのは危険かと」

「そ、そうか」

 部下の提言を受けて、チャビエルは虚を突かれたようにそう声を上げた。
 この辺りの観察力は、どうやっても年期が物をいう。

 チャビエル自身が自分の足で歩いていれば、自分自身の疲労を通して歩兵の疲労に気づく余地もあったのだろうが、生憎チャビエルは指揮官としての威厳を保つためにも、走竜の背に乗っている。

 長時間走竜に騎乗するのも十分心身を疲労させる行為であるが、流石にこの炎天下を自分の足で歩いている歩兵の疲労とでは、比べものにならない。

 軍を率いる者としての教育はしっかり受けている若き辺境伯子は、「分かった」と頷いた後、騎竜の背の上で身体を後ろにひねり、後ろに続く部下達に向かい、精一杯の大声を張り上げる。

「この先の開けたところで、大休止を取る! もう少しだから、皆も頑張れ!」

 もう少し先まで進めば、休むことができる。

 その言葉を理解した兵士達は、今日初めて表情に歓喜の色を滲ませ、その首を少しだけ上にもたげた。

 その様を目の当たりにしたチャビエルは、改めて自分の至らなさを自覚する。

(なるほど。確かに、皆、かなり疲労しているみたいだ。駄目だな、ジョゼップ卿に言われる前に自分で気付くことができるようにならないと……)

 生来が生真面目な質なのだろうか。

 ガジール辺境伯第三男子チャビエルは、大きな走竜の背の上で、その小柄な身体を震わせるほどに強く拳を握りしめ、自分にそう言い聞かせるのだった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆





 ガジール辺境伯第三男子、チャビエル・ガジール率いる百名の討伐軍が炎天下の街道脇で大休止を取っている頃、王都カープァの王宮の中庭では、女王アウラが国内外の貴族を賓客に迎え、昼食会という名の非公式の会合の場を設けていた。

 一年のうちでもっとも暑くなるこの時期は、長い昼休みを取るのが一般的なのだが、何事にも例外というモノは存在する。

 スケジュールの都合上、今日を逃せば都合がつく日がずっと後ろに食い込んでしまうという現実を前に、不本意ながらアウラは、本来プライベートな時間であるはずの昼食さえも、外交の場として活用するハメになったのである。

 とはいえこの時期の日中、いつものように王宮に食堂で食事をとるには、あまりに暑すぎる。

 そういった事情をふまえ、昼食会は、高く水が吹き上がる噴水の横でとりおこなわれるのだった。




 四本の支柱に支えられる屋根だけの建物。四方には壁がなく、どこからでも自由に風が吹き抜けることができるその空間が、アウラの選んだ昼食会の会場だ。

 屋根があるので、攻撃的な陽光は遮られ、壁がないので、近くの噴水から吹き込む風が多少は涼しい空気を運んでくれる。

 そんな可能な限りの酷暑対策が施された中庭で、平たい堅パンをちぎり、スパイスの利いた辛いスープに浸して口に運んでいたアウラは、ふとその視線を右手側に座る一人の中年貴族へと向ける。

「というわけで、ご理解いただけたであろうか? ザマード伯。此度の出兵は国内の街道に出没したと推測される肉食竜の討伐が目的であり、その兵力はあくまで国内へと向けられている。

 ナバラ王国へは、そうお伝え願えればありがたい」

 ナバラ王国は、カープァ王国南部に位置する中堅国である。カープァ王国ガジール辺境伯領と国境を接するその国は、純粋な国力で見ればカープァ王国よりは遙かに格下ではあるが、曲がりなりにも先の大戦で、最後まで自国の自主独立を守り通した雄国でもある。

 アウラとしても、迂闊な対応は避けたいところだ。

「はっ、アウラ陛下のお言葉、確かにお聞きいたしました。必ずや、本国に届けることをお約束いたします」

 アウラの言葉を受け、中年の男――ナバラ王国貴族、ナルビア・ザマード伯爵は、そう言って小さく頭を下げた。

 ザマード伯爵は特にこれといった特徴のない、極々一般的な中年の男である。身の丈は、中肉中背、肌色は南大陸西部ではごくありふれた褐色。髪と瞳は黒色。

 基本的にここ南大陸では、南方の民族ほど肌や髪の色が濃くなると言われているが、南北に隣接するカープァ王国とナバラ王国とでは、民族的な外見上の違いは無いに等しい。

 もっともこの場では、皆それぞれの国を代表する略式の正装を身に纏っているので、外見で国籍を推測するのは、そう難しくはない。

 ナバラ王国の象徴色でもある、黄色を基調とした略式正装姿で昼食を取っていたザマード伯爵は、銀のサジをスープ皿の横に置くと、アウラの視線を正面から受け止め、言葉を続ける。

「ただ、恐れながら、塩の街道の異変が真に『肉食竜』の出没であるとするならば、隣接する我が国に取っても、他人事とは言えません。

 陛下、国元へと送る書状にはその旨を記し、我が国も『北の国境』を警戒するように忠告しておきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 隣国の貴族の言葉に、女王アウラは迫力のある笑みを顔に貼り付けたまま首肯した。

「無論、それは構わぬ。肉食竜の奴等には国境など意味を成さぬからな。こちらにも立場がある故協力はできぬが、掣肘を入れるほど野暮ではない」

「はっ、ありがたいお言葉です」

 アウラの言葉を受け、ザマード伯爵は椅子に腰を掛けたまま、深々と頭を下げた。

 少々、白々しいやり取りである。

 ガジール辺境伯領とナバラ王国が国境を接しているというのは事実だが、その間には険しい山脈が一種の緩衝地帯として広がっているため、よほどのことがない限り、ガジール辺境伯領に出没した肉食竜が、国境を越えてナバラ王国へ侵入する危険はない。

 それは、ザマード伯爵もアウラも当然承知している。

 その上で、ザマード伯爵が「国元へ、警告を入れる許可」を求めたのは、肉食竜ではなく、カープァ王国軍を警戒してのことだ。簡単に言えば「万が一その報告が嘘で、カープァ王国がこっちに軍事侵攻する場合に備えて、こっちも準備をさせてもらうぞ」、と返したのである。

 ナバラ国側の立場で考えてみれば、至極当然の対応だろう。隣国が国境沿いで軍事行動を起こしているのに、警戒しない方が国として間違っている。

 その返答を最初から予想していたアウラは、言葉の裏の意味を理解した上で、ザマード伯爵の問いに了承の言葉を返した、と言うのが一連の会話の裏側である。

 アウラとしては、ナバラ王国が国境の向こう側で警戒態勢を取るだけならば、十分に容認できるラインである。

 スパイスの利いたスープを銀のサジで口に運び、額に軽く汗を滲ませたアウラは、内心考える。

(まあ、実際にはこの様な配慮を取らなくとも、向こうとこちらの国力差を考えれば、まず馬鹿なことはやらないとは思うのだが、配慮を怠るわけにはいかぬからな)

 カープァ王国は南大陸西部でも有数の大国で、ナバラ王国は、数ある中堅国の一つに過ぎない。

 こちらが多少配慮の足りない態度に出たとしても、向こうが警戒以上の強硬な対応を取る可能性は低いはずだが、国際外交には『思いもよらぬ落とし穴』というのがあちこちに存在している。
 こうして、事後に相手国の外交窓口に話を通すだけで不幸な暴発を防ぐことができるのならば安いものだ。

 これも、カープァ王国が大国だからこそだろう。もし、カープァ王国とナバラ王国の国力が逆であったならば、話は数段面倒になる。

 間違っても今回のような、『事後承諾』をとる形は許されまい。

 まず、最初に隣国にお伺いを立て、「これから国境沿いで軍を動かしますが、断じてそちらに対する軍事行動ではありません」と釈明し、「理解」という名の「許可」をもらう事が優先される。

(そう考えれば、この程度で苦労などとは言っていられぬか)

 本来であれば、氷扇風機に吹かれながら、気の置けない夫と共に過ごすはずの昼食を、この様な非公式の外交の場とせざるを得なかったアウラは、自分にそう言い聞かせて納得させる。

 銀杯に入った生ぬるい水で喉を潤したアウラは、意識的に満足げな表情を取り繕うと、少々大げさな動作で一つ頷き、視線を他方へとずらす。

 そのずらした視線の先には、紫地に白の線が入った異国風の略式正装で身を固めた、一人の男の姿がある。

 シャロワ・ジルベール双王国の外交官、モレノ・ミリテッロ騎士である。

 アウラの視線を受けたミリテッロ騎士は、自分の役割を果たすべく、わざとらしく一つ咳払いをした後、ゆっくりと口を開く。

「まずは、両国共に些細な誤解が生じずにすみ、重畳でしたな。アウラ陛下のご配慮にも、ザマード伯の賢明なる判断にも、敬服いたします。

 いや、我が国も両国に習い、周辺諸国とは建設的で有意義な外交関係を築いていきたいものです」

「は、恐縮です。モレノ卿」

 ミリテッロ騎士の言葉を受け、ザマード伯爵は完璧に近いポーカーフェイスのはしから、少しだけ安堵の色を滲ませながら、そう言葉を返した。

 言うまでもないことだが、この非公式の外交の場に第三者の立場である、双王国の外交官、モレノ・ミリテッロを同席させたのは、アウラのナバラ国に対する配慮の一環である。

 カープァ王国とナバラ王国の国力差を考えれば、この様な非公式での口約束などは、力尽くで無かった事にされてもおかしくはない。

 無論、アウラには、そのような不義理を働く気は毛頭ないが、こちらの心情など相手側に伝わるはずもない。

 アウラ自身、大国の王としては比較的誠実な言動を取る人間という評価を得ているとは思うのだが、過去に後ろめたいことが何一つもないかと言われれば、そんなことはない。

 一国の王として、国益のために二枚舌を行使した経験がないと言えば、嘘になる。

 だからこそ、こちらの言葉に信を置いてもらうために、双王国の人間であるモレノ・ミリテッロをこの場に同席させたのだ。

 シャロワ・ジルベール双王国は、南大陸中央部に覇を唱える、カープァ王国と互角かそれ以上の大国である。双王国の貴族の耳に入った言葉となれば、カープァ王国の女王といえども、早々簡単には反故にはできない。

 そんなアウラの意図が伝わったのだろう。

「格別のご配慮、ありがとうございます。アウラ陛下」

 一度ちらりと、視線をモレノの方に向けた後、ザマード伯爵は上座のアウラの方へと向き直り、深々と頭を下げるのだった。




 双王国の人間の前で、ナバラ王国の人間に、『ガジール辺境伯領でおこした軍事行動』について説明し、納得してもらう。

 それがこの昼食会の名を借りた、非公式外交の目的であったのだから、この時点ですでにアウラとしては目的を十全に果たしたと言える。

 しかし、だからいって、ここでお開きというわけにはいかない。誰も信じていない建前に過ぎないが、表向きこの場は、『アウラが主催する私的な昼食会』なのだ。

 すでに食事を終えた貴族達は、食後に果実水や軽めの酒類で喉を潤しつつ、談笑をかわしている。
 辛いスープで汗をかいた分、水分を取り、また汗をかく。夏場はしっかりと水分を取っておかなければ、脱水症状を起こしてしまう。
 脱水症状の危険性に関しては、別段医学が発達していなくても、経験則的にこの世界の人間達も皆理解している。

 そんな中、単なる世間話のような軽い口調で、双王国の外交官モレノが上座で微笑むアウラに話しかける。

「それにしても、陛下。相変わらず、この国の地方への命令伝達は、大国とは思えぬほどに迅速ですな。やはり、こたびも陛下が魔法を使われたのですか?」

「ん? ああ、そうだ。急を要する一件だからな。私が魔法で使者を送った」

 特に隠す事でもないので、アウラはそう素直に答える。もっとも、内心油断はない。今回の命令伝達に、アウラが『瞬間移動』の魔法を使ったことなど、確認するまでもなく簡単に予測がつくはずだ。それをあえて、この場で、双王国の外交官がわざわざ確認してくるとは、なにかここから話を続けたい意図があるとしか思えない。

 そんなアウラの内心を知ってか知らずか、モレノ騎士は、さも感心したように大げさに目を見開き、言葉を返す。

「ほう! やはり、陛下の魔法でしたか。いや、やはり、カープァ王家の魔法の実用性は、諸王家の中でも群を抜いておりますな。

 しかし、そうであればあるほど、今は不自由が多いのではないですか? どれほど便利な魔法でも、使い手が陛下お一人では」

「……まあ、それは確かに、な」

 なるほど、この流れか。内心、モレノがこれから何を言いたいのか、おおよそ予測が付いたアウラは、少し余裕を持って頷き返す。

 実際、次にモレノが口にした言葉は、アウラの予想通りのものだった。

「では、いかがでしょうか、陛下。より有効にその魔法を活用するために、陛下の魔法を『魔道具』とされては」

 顔に社交的な笑みを貼り付けたまま、モレノ騎士はそう言ってのける。

『魔道具』の作製。言うまでもなく、今モレノが提案しているのは、『瞬間移動』の魔道具だ。

(やはり、その話か)

 アウラは笑みが苦笑に変わるのを、意思の力で制御しなければならなかった。

『瞬間移動』の魔道具作り。その提案は、アウラの代に限らず、遙か昔から双王国がカープァ王国に打診している話である。

 そして、常にカープァ王国はずっとはねのけ続けてきた懸案である。『瞬間移動』はカープァ王国を、南大陸西部で指折りの大国にまで押し上げた、アドバンテージの一つだ。

 その魔法を魔道具にすると言うことは、将来的、限定的にではあるが、『瞬間移動』の魔法をカープァ王家以外の人間が使用できる可能性を残すことを意味する。

 実際、過去双王国側は、「瞬間移動の魔道具を二つ作り、一つずつ分け合おう」という提案を、してきたこともある。

 そのような自国のアドバンテージを自ら捨て去るような危険な提案を、アウラが受け入れるはずがない。

「ありがたい申し出だが、お断りだ。そもそも、魔道具を作製するには、年単位で術者と魔動具制作者が協力する必要があるのであろう? そなたが今言ったとおり、現在『時空魔法』の使い手は私一人なのだぞ。

 まさか、貴様は私に玉座を空にして、双王国の王都へおもむけと言うつもりか?」

 挑発するように口元を歪め、アウラはそう問い返す。

 モレノの言いたいことは分かっている。
 双王国側も、まさか今アウラが言ったように、アウラを双王国の首都へ召喚したいとは考えていまい。おそらく、彼等が目を付けているのは、善治郎だろう。

 善治郎は、ここのところ急速に魔法技術を習得しつつある。まだ、魔力の調整が完全ではないが、現時点でもすでに五回に一回は、『結界』の魔法を発動できるところまで来ている。
 魔力の出力調整を身につければ、『瞬間移動』の魔法を習得するのも時間の問題だろう。

 早ければ今年中、遅くても来年には、実用レベルでの『時空魔法』の使い手となるのではないだろうか。

 瞬間移動が使えるようになった時点で、善治郎を双王国の王都へと招きたい。それが、向こうの最終的な狙いなのだと、アウラは見当を付ける。

(だとすれば、あまりにべもない返答を返すわけにいかぬな)

 アウラは、そう心の中だけで、眉をしかめた。

 なぜならば、善治郎自身が、「『瞬間移動』を使えるようになったあかつきには、双王国の首都へとおもむきたい」と言っているからだ。

 アウラが次の子を出産する際には、万が一に備えて『治癒魔法』の使い手であるジルベール法王家の人間をいつでも連れてくることができる態勢を整えておく。

 それが、今のところ善治郎の最大の目標だという。
 思い返すだけで思わず口元が緩んでしまうくらいに、嫁さん思いの婿殿である。

 そういった今後の情勢を鑑みれば、この場であまりはっきりとした断りの返答は返さない方が良さそうだ。

 素早くそこまで思考を巡らせたアウラであったが、非常に珍しいことにその先周りをした思考は、完全に無駄であった。

 なぜならば、アウラの予想と、モレノ騎士の返答は、根っこの部分からして全く異なっていたのである。

「いえいえ、陛下。その心配はご無用です。と申しますのも、実は、あの『透明な宝玉』や、『金剛石の指輪』を見たフランチェスコ王子とボナ王女が、ことのほか強い興味を示しておりまして。
 アウラ陛下のお許しが戴けるのでしたら、是非一度カープァ王国を訪問したいと、申しております」

「ッ!?」

 完全無欠に予想外な言葉に、アウラは不覚にも表情を取り繕うことも忘れ、顔中で驚愕の感情を露わにしてしまった。

 だが、それも無理はあるまい。

 フランチェスコ王子とボナ王女。それはどちらも『シャロワ王家』の王族である。『治癒魔法』の使い手として招かれる『ジルベール法王家』ならばともかく、『付与魔法』の使い手である『シャロワ王家』の人間が、国外訪問を踏み切った例は、少なくともここ百年では一例もないはずだ。

 実際、驚愕を表情で現したアウラなどまだマシな方で、その場にいるカープァ王国貴族の中には、不覚にも口に含んでいた飲料水で自分の服やテーブルクロスを濡らしてしまった者もいる。

 アウラも、それをとがめる気にはなれない。

 それくらいに、『シャロワ王家』の訪問というのは、驚愕の情報なのだ。しかも、「魔道具の作製」についても匂わせているのだから、場合によってはかなりの長期滞在も前提としているということになる。

「ああ、無論、これは確定ではありません。非公式の場での、軽い話題の一つとでも思っていただければ、幸いです。ただ、今申し上げた言葉は、誓って真実ではございますが」

 モレノは、最後に自分の発言が与えたインパクトの大きさを誇るように、にっこりとわざとらしい笑みをその顔に浮かべるのだった。
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