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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

一年目

39/93

第八章2【密約調印の前夜】

 数日後、善治郎は後宮のリビングルームでパソコンの前に向かい、妻であるアウラが読み上げる、密約文章の内容を、打ち込んでいた。

 昼間とはいえ、外は相変わらず豪雨が降り続いているため、窓はしっかりと閉められている。
 おかげで室内は、明かりがなければ、手元のキーボードを見るのにも苦労しそうな暗さだ。無論、今はしっかりと六つのLEDスタンドライトをつけているため暗くはないが、そのせいでもう夜のような錯覚がする。

「……の場合は、双王国はカープァ王国に、罰則として金貨三千枚を支払うこと。以上だ。どうだ、書き取れたか? なんなら、もう一度読み上げるが」

 赤いマタニティドレス姿でソファーにゆったりと腰を掛け、手に持つ竜皮紙を読み上げていたアウラは、夫の背中にそう声を掛ける。

 妻の声に善治郎は、妻に背中を向けたまま、カタカタとキーボードを鳴らし、一拍遅れで言葉を返す。

「……いや、大丈夫。全部打ち込めた、はず。念のため間違いがないか、こっちで読み上げるから確認してもらえる?」

「分かった」

 妻の返事を背中で聞いた善治郎は、椅子の上で座り直すと、パソコンのディスプレイに表示されている、今自分が打ち込んだ文章を読み上げていく。

「それじゃ、始めるよ。

1・ゼンジロウ・カープァ【甲】は、以後アウラ・カープァ【乙】以外の人間とは、子をなさない。

2・双王国は、【乙】の直系には、一切干渉しない。

3・カープァ王国が1を破り、【甲】が【乙】以外の人間と子をなした場合、双王国はその子【丙】の血統魔法適正を調べる権利を持つ。

4・【丙】に、『付与魔法』の素養が認められた場合、【丙】は十五歳から三年間、双王国に留学することとする。

5・留学中、双王国がその者に亡命を強要した場合、カープァ王国は途中でも【丙】を自国に送還する事が出来る。

6・三年の留学期間を終えた後、【丙】が自発的に双王国への亡命を希望した場合、カープァ王国はそれを止めてはならない。

7・【丙】は帰国後、双王国で学んだ知識を、カープァ王国で広める権利を持つ。

8・双王国が2を破り、【乙】の直系に干渉を試みた場合……」

 善治郎はすらすらと、ディスプレイに表示されている日本語の文面を読み上げていった。

 簡単に言えば、その条文の内容は、「善治郎の子作り制限」と「双王国のカープァ王国への干渉制限」について、両国がそれぞれの立場から、さらに制限を付けているという形だ。
 ザッと見た感じでは、アウラが相当頑張って、かなり押し込んだ内容になっていると善治郎は思った。
 善治郎がアウラ以外と子供を作ってはならない、と明記はされているものの、その条約が破られた場合について事細かに設定されているのを見ると、事実上この条文は守られる可能性が低いと、向こうも見なしているように感じられる。
 実際、条文の大部分は、「善治郎がアウラ以外の女に産ませた、『付与魔法』が使える子供」の取り扱いに付いてに割かれている。

 もっとも、善治郎としては今のところ、アウラ以外の女と子をなすつもりはないし、そのアウラとの子には一切の制限が設けられなかった時点で、個人的な文句はない。

 しかし、疑問がないわけではない。全部でもせいぜい十数項程度しかないその密約文は、日本の綿密な契約文章に慣れた善治郎には、少々大ざっぱ過ぎるように感じられる。

 そんな思いから、善治郎は椅子に座ったまま、身体をひねって後ろを振り向く。

「うん? どうした、ゼンジロウ? なにか、疑問な点でもあったか?」

 ソファーの背もたれから少しだけ身体を起こして、こちらに笑顔を向ける妻の顔を見た、善治郎は根拠もなく確信した。 

(ああ。多分、アウラも、双王国側もわざと条約文に『都合の良い解釈』を挟む余地を残したんだろうな)

 自分が一目見ただけで「大ざっぱ」と感じるような密約文章の穴を、アウラや双王国の中枢部が、半年以上の交渉の間、気がつかずにいたとは考えづらい。
 そう結論づけた善治郎であるが、実はこれは少しばかりこの世界の王族という存在を、買いかぶりすぎている。
 アウラや双王国の中枢の人間が、善治郎より遙かに交渉ごとになれた頭の良い人間であることは紛れもない事実だが、元々の文化風習として、この世界には、現代の先進国ほどに細部まで詰めた契約を交わす風習がないのだ。

 将来的に考え得る可能性を全て考慮し、こちらに不都合な解釈をされないように先周りをして潰しておく、という善治郎の考えは根本的に異端と言える。

(まあ、いいか。駄目ならアウラかファビオ秘書官が途中で止めるだろ)

「ん、ちょっと待って。少し詳しく聞きたいところがあるんだけど」

 そう考えた善治郎は一言断ると、プリンタにA4のコピー用紙が残っていることを確認し、今読み上げた密約文をプリントアウトする。

「よいしょ」

 日本語で密約文の書かれたコピー用紙を手に取った善治郎は、アウラの隣に腰を下ろす。

 お腹が大きくなっているアウラは、身体を前に折ることを禁じられている。
 善治郎は、背もたれに身体を預ける妻が体勢を動かさなくて良いように、現地の文字で書かれた竜皮紙と、今プリントアウトしたコピー用紙をアウラの顔の前に指しだし、自分の意見を述べる。

「ほら、まず一番気になったのは、ここなんだけど。将来的に2と3が矛盾……」

「ふむ。それは当然2が……」

「でも、明記されていない以上、強弁しようと思えば……」

 その後二人は、侍女の一人が夕飯時を告げに来るまで、額を付き合わせるようにして、密約文章の内容を詰め続けるのだった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆






 雨期の雨は簡単には降り止まない。
 夜も更けてきた頃。珍しく、アウラが寝室に下がった後も、まだ起きていた善治郎は、後宮のリビングルームで、一人の時間を過ごしていた。
 立ち上げられているパソコンからは、善治郎が地球でダウンロード購入した音楽が再生されている。
 善治郎が大学生の頃からよく聞いていた、日本の女性ホップス歌手の歌だ。
 LEDスタンドライトの灯りの下、アップテンポな日本語のポップス音楽を聴きながら、ソファーの上で漫画に目を落としていると、ここが異世界の後宮であることを忘れそうになる。

 だが、そんな錯覚も漫画から顔を上げて周囲を見渡せば、すぐに吹き飛ぶ。
 広い室内。異国情緒あふれる家具。そして、部屋の隅で畏まっている、三人の侍女達。
 間違えようもなく、ここは異世界であり、自分は今王族であると自覚させられる。

(しかしまあ、隣室にメイドさんが控えているのにはいい加減慣れたけど、同室にメイドさんがいる状況は流石に慣れないなあ……)

 ソファーの上で顔を上げた善治郎は、目の端でちらりと侍女達を見て、そんなことを考える。

(メイドさん達も、同じ部屋に俺がいたら体勢を崩せないから、辛そうだな)

 かといって、侍女達を部屋の外に出すわけにはいかない。彼女たちは、寝室で休んでいるアウラに万が一の事があった場合即座に対応するために、ここにいるのだ。寝室に直接繋がる部屋が、このリビングルームしかない以上、侍女達の居場所はここしかない。

 これ以上起きていても、くつろいだ時間は過ごせなさそうだ。

(やることを済ませて、俺もとっとと寝るか)

 そう決めた善治郎は、ソファーから立ち上がると、パソコンの前の椅子に座り、音楽を停止させた。

 一気に静かになったリビングルームに、窓の向こうからザーザーと雨の降り続ける音が、響いてくる。音楽を掛けていたから気づかなかったが、雨はまだ降り続けているようだ。雨音からすると、むしろ雨足は強くなっているようにも感じられる。
 どうせ、後宮と王宮だけで生活をしている善治郎に、天候の善し悪しはあまり関係ないのだが、こうも雨ばかりだと、やはり気分はあまり良くない。

 雨期でも三日に一日は雨が上がるとオクタビアが言っていたのだから、明日には晴れていると良いのだが。そんなことを考えつつ、善治郎はパソコンのマウスを操作し、デジカメの動画データを立ち上げる。

 アウラが時空魔法のお手本を見せてくれた時の動画だ。同時にパソコンの横のデジカメも録画モードにして、自分の声を録音する。画像はどうでもよい。大事なのは音声だ。

『モョティムヴァ』

 ディスプレイの向こうでアウラが唱えた呪文を、善治郎がまねる。

「一回目。モョティィムヴァ」

 自分では、正しく唱えたつもりなのだが、『言霊』が自動翻訳をしてくれなかったところを見ると、どこか間違っていたのだろう。
 善治郎はデジカメの画像データと同時に立ち上げた、表計算ファイルの一番左端上に×と打ち込む。

『二回目。我が指先を基点に、球形に世界を切りとれ。その代償として我は、空精に魔力三百五十九を捧げる(モョティムヴァ)』

 今度は言霊が働いた。先ほど×と打ち込んだ枠の隣の枠左隣に、今度は○と打ち込む。

「うん、少しずつ正しい発音が分かってきた気がするな」

 最近は言霊が翻訳してくれる――正しい発音が出来ている確率が、少しずつ高まってきている。
 それにしても、自分の口から出したはずの音が、全く別な意味のある長文となって耳に聞こえてくるのは、何とも奇妙な感覚である。
 しかも、アウラやオクタビアなど、他人が呪文を唱えた場合は、言霊に翻訳された日本語の長文だけがこちらの耳に聞こえてくるのに、自分で唱えた場合は、魔法語の呪文と、日本語に翻訳された長文が、同時に聞こえてくるのだ。

 言霊が翻訳する日本語部分は、自分の声というより、『機械に録音して再生した自分の声』のように聞こえるところから推測するに、身体の中を通り直接聞こえる音には、言霊が働かず、一度喉から出て空気を通して耳に入ってくる音には、言霊が働いているのではないだろうか。

 その善治郎の推測が当たっているかどうかは、確認のしようがないが、取り合えず『正しい発音』が自分の耳には、ちゃんと聞こえるという現象は、ありがたい。

「三回目。モョチィムヴァ」

 また、言霊が働かなかった。×と打ち込む。

 その後も、正しい呪文の発声練習を続ける。ただ闇雲に数をこなしても、意味はない。こうやって、一音一音丁寧に発音し、その正否をパソコンに打ち込み、後で録音したデジカメの音声を聞いて復習するのだ。

 百回の呪文練習。

 それが魔力知覚能力に目覚めたあの日以来、善治郎が毎晩自分に課している、ノルマである。
 初日は九十八個の×の中に、寂しく○が二個あるだけだった一覧表が、今晩は×が八十九個、○が十一個まで改善してきている。

 時間にすれば一回三十分にも満たない僅かなものだが、この毎夜の自主練習は、着実に善治郎の魔法語の発音を上達させていた。





 ノルマの呪文練習を終えた善治郎は、デジカメとパソコンの電源を落とし、寝室へ向かう。

「お休みですか、ゼンジロウ様?」

 代表して声を掛けてくる一人の侍女に、善治郎は小さく頷き、

「うん。後は頼んだよ。ソファーや冷蔵庫の中身は、いつも通り好きに使って良いから」

 そう気安い口調で言葉を返す。一晩の寝ずの番の間中、兵士でもないただの侍女が一晩中立ちっぱなしでは身体が持たないし、飲まず食わずも辛い物がある。

 善治郎の申し出は、侍女達の主として特筆するほど珍しいものではないが、侍女達からすると嬉しい申し出あることは間違いない。身体には少々辛い寝ずの番も、王族のために作られた上等なソファーに座り、冷たい果実汁や、よく冷えた果物を食べならば過ごすのならば、辛さよりも楽しみが勝る。
 蝋燭や油皿の灯りだけで一晩過ごすのならば、睡魔もかなり強敵だが、この部屋はLEDスタンドライトで、真昼と変わらない明るさを保っているため、寝ずの番も、それほどの苦行ではない。

 若い侍女の中には、この夜当番を楽しみにしている者もいるくらいだ。
 侍女頭が『問題児三人組』と呼んでいる特に頭の緩い侍女達などは、アウラの出産が終われば夏には夜当番がなくなると聞いて、揃ってがっかりと肩を落としたほどである。

「アウラに何かあったらすぐに呼ぶから、その時はよろしく頼むよ」

「はい、承知いたしました、ゼンジロウ様。お休みなさいませ」

 深々と頭を下げる三人の侍女達に見送られ、善治郎は寝室へと消えていった。






 寝室へ入った善治郎は、後ろ手でドアを閉めた。
 日本の家屋ほど、ドアの機密性が高くないのか、ドアと壁との隙間から、リビングルームの灯りが漏れ込むが、善治郎にとってはそれはかえって都合がよい。寝室のLEDスタンドライトを付けて、気持ちよく寝ている愛妻を起こすのは忍びない。

「…………」

 善治郎は物音を立てないように細心の注意を払いながら、ドアの隙間から差し込む光を頼りにベッドの上に用意された自分のパジャマを探し当てた。

 脱いだ部屋着をベッド横の籠に放り込み、地球から持ち込んだブルーのパジャマに着替えた善治郎は、静かに寝息を立てる愛妻の元へと歩み寄った。

「…………」

 大きなお腹を支えるように胸の所にクッションを抱き、横向きで寝るアウラの顔に耳を近づけると、スースーという寝息が聞こえる。
 どうやら、すっかり寝入っているようだ。
 ホッとした善治郎は、ふと思いついたように布団の上から、アウラの大きなお腹に手をあてがってみた。
 しかし、何の反応も返ってこない。薄いとはいえ、掛け布団越しでは衝撃が伝わらないのか、それともお母さんと一緒にお腹の赤ちゃんも眠っているのか。
 しばらく、布団の上からアウラの腹に手をそえていた善治郎であったが、やがて諦めたのか、そろそろと四つん這いで、静かにアウラのベッドから降りる。

(それにしても、よく寝ているな。寝てるときは以外と無防備なんだよな。それとも……そんな無防備な顔を見せるのは、俺だから?)

 顔に顔を近づけても、お腹にソッと手を乗せても目を醒まさない妻の様子に、善治郎はそんな事を考える。
 うぬぼれかとも思うのだが、日頃の迫力があって隙がないアウラの態度と、寝室での無防備な寝顔がどうにも重なりづらいのだ。

 事実は分からない。だが、この寝顔は自分だけが見ることを許されたものだと思うと、愛しさもまた一段と募ってくる。

(あ、でも、もう少ししたら、俺だけのものじゃなくなるのか)

 生まれてくる子供には、アウラも寝顔や笑顔も見せることだろう。その事実に気づいた、善治郎は唐突に自分が父親になると言う自覚を、強く感じた。

 妻と子。

 いずれ生まれてくるその子は、立場上、現代日本の家族のように、自分とアウラの手で育ててやることは出来ないだろう。乳をやるのは乳母の仕事だし、細かな世話は侍女達の役割だ。
 だが、それでも。たとえ、そうだとしても、子供が『両親の愛情』を実感できるように接してやることは出来る筈だ。

 そのためにも、明日の双王国との密約調印は、最善の結果をもぎ取らなければならない。

(よし、寝よ寝よ。睡眠不足で調印なんて、洒落にならないや)

 決意を新たにした善治郎は、自分のベッドに潜り込むと、静かに目を瞑るのだった。
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