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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

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第六章2【女王の懐妊、側室の拒絶】

 翌日の昼下がり。

 女王アウラは、王家の掛かり付け医であるミシェル医師の前に座り、その豊かな胸元を大きくはだけさせ、神妙にしていた。

「失礼します、陛下。ここをこう押されると、何か感じますか?」

「ああ、少し張っている気がするな」

「では、こちらは?」

「いや、そこは特に何も感じない」

 胸元を露わにした肉感的な美女と、その身体を触診する初老の男。一見すると、扇情的な光景だが、色艶めいたことを連想させるには、アウラはあまりに堂々としすぎているし、ミシェル医師はどこまでも業務に徹している。

 やがて、アウラへの触診と問診を終えたミシェル医師は、一つ頷くと言った。

「はい、アウラ陛下。もう、前を閉じて下さっても結構です」

「ふむ。して、ミシェル医師。どうだ、何か分かったか?」

 ドレスの肩紐を縛り直しながらそう問いかけるアウラに、ミシェル医師はしばしその白いモノの混ざった眉の間に皺を寄せて考え込んだ後、質問を返す。

「陛下、最後にもう一度確認させて下さい。最初に自覚のあった体調の不良は、微熱があるようなけだるさだったのですな?」

「そうだ。あとは、椅子から立ち上がるときの、めまいのような視界の揺れだな」

「ここ数日、味覚や嗅覚の変化を感じている?」

「ああ、魚がやけに泥臭く感じたり、今まであまり好きではなかった味の濃い食べ物が無性に食べたくなったり、な」

「さらに、下腹部に若干の張りを感じる」

「うむ、そちらはミシェル医師の触診を受けるまで、自覚はなかったが」

「そして、『月の物』はすでに二ヶ月近く来ていない」

「ああ、しかし、私の『月の物』は元々乱れがちだからな。大戦のおり、戦場では半年近くこなかったこともある」

 答えるアウラのミシェル医師を見つめる瞳は、ある種の期待に満ちている。
 最初は体調不良を訴えて、医師を呼んだアウラであったが、こうしてミシェル医師の問診を聞けば、彼が何を言わんとしているかは大体分かる。

 妊娠。

 この初老の医者は、アウラの体調不良の原因が、それであると考えているのだ。
 考えてみれば、極当たり前の事である。アウラが善治郎と肌を重ねるようになってからはや数ヶ月。妊娠の兆候が現れても、何ら不思議ではない。
 そして、カープァ王家唯一の生き残りとなったアウラにとって、自らの血を引く子を産むことは、王族の義務でもあり、希望でもある。

「して、どうなのだ、ミシェル医師?」

 アウラは、椅子の上から身の乗り出すようにして、老医師の言葉を待った。

 ミシェル医師は、コホンと一つ咳払いをすると、結論を述べる。

「はっきりとは断言できかねますが、私の見立てでは、ご懐妊の可能性が極めて高いと思われます。ただ、ご懐妊だと致しますと、これから一番流れやすい時期に入りますので、ご注意をお願いします」

 妊娠検査薬など存在しないこの世界では、腹が目立たない段階で、妊娠を特定することは難しい。ましてアウラのように、生理が不順ぎみの女の場合は特にそうだ。

 断言こそしないものの、どこか確信を感じさせる老医師の言葉に、アウラは満面の笑みを浮かべる。

「ほう、そうか! しかし、この味覚の変化が妊娠によるものだったとはな。私はてっきり妊娠中は、果物の類を食べたくなるものなのだと思っていたが」

「それは、もっとも一般的な味覚の変化というだけで、実際には人それぞれです。陛下のように脂っこくて味の濃い物が食べたくなる方もいれば、ひたすら甘い物が食べたくなる方もおられます。

 もっとたちが悪い例では、酒が飲みたくなる方もおられましたし、1番手に終えない例ではその後のつわりと相まって『何も食べたくない』という方もおられました」

「その言い方からすると、やはり妊娠中は酒を控えたほうがよいのか?」

 別段味覚の変化など無くても、生来酒が好きなアウラは、少し口元を歪めてそう確認した。

 アウラの言葉に、ミシェル医師はピクリとその温厚そうな顔を引き締めて、口を開く。

「当然です。他にも注意事項はたくさんありますぞ。そもそも、陛下は日頃から少々酒類の量が……」

「わかったわかった。我が子のためだ、一切逆らわんよ。何でも言ってくれ」

 詰め寄る老医師に、アウラは苦笑を浮かべ、降参とばかりに両手を上げるのだった。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆





「えー、妊娠!? 本当に?」

 その日の夜、妻の口から妊娠の話を聞かされた善治郎の反応は驚愕の一言だった。

 比喩ではなく、ソファーの上から跳び上がった善治郎は、そのまま駆け足で入り口で佇んだまま微笑むアウラに駆け寄り、少し離れた所からアウラの腹部を凝視する。

 アウラは、嬉しそうな笑みを浮かべたまま、自分の腹部を右手の平でさすりながら、ゆっくりとした足取りでソファーに向かう。

「まあ、まだ確定ではない。その可能性が高い、というだけだ。私は、『月の物』が乱れがちだからな。ミシェル医師でも断言は出来ないのだそうだ。無論、その可能性が高い以上、今後私はこの腹の中に子がいるという前提で動く。そなたにも色々と不自由を掛けることになると思うが、協力を頼むぞ」

「そ、それはもちろん。うん、俺に出来ることならね」

 ソファーに腰を下ろすアウラにそう答える善治郎であったが、大概の男親がそうであるように、この時点ではまだ自分が父になるという実感がもてず、右往左往している。
 日頃であれば当たり前のような顔をして、アウラの隣に腰を下ろす善治郎が、今夜ばかりは神妙な顔で、向かい側のソファーに腰を下ろす。
 昨日までは、平気でその肩を抱き、夜ベッドでは下に組み敷いていた妻の身体が、急に壊れ物のような繊細な存在に感じられる。

 明かな動揺を見せる夫の様子に、アウラは小さく笑ったものの、いつものように隣に座るよう促すことはなかった。
 なんだかんだ言っても、アウラ自身初めての経験である。心情など比較のしようはないが、善治郎より緊張しているのかも知れない。

「まあ、正直私自身、何をするべきなのか分かっていないからな。今のところ、あーしろ、こうしろとは言えぬのだが」

「あ、うん、そうだよね。そうか、赤ちゃんか」

 覚悟はしていた。そもそも、アウラが善治郎に世界を超えた求婚をした最大の理由が「次代の血を残す」事なのだから、意識をしていない方がおかしい、だが、こうしていざその場に立ってみると、何とも言葉で言い表しがたい衝撃に襲われるものだ。

 喜びと不安が、重圧となってのしかかってくるような、圧迫感。嬉しくない訳ではないのに、この場から逃げ出したくなるような、緊張感。
 膝の上でグッと手を組み合わせた善治郎は、手の指が緊張ですっかり冷たく強張っていることに気がついた。

 善治郎は強張った両手の指先を暖めようと、両手の平を擦りあわせながら、緊張をごまかすように適当な質問を投げかける。

「でも、そうなると、今夜からは一緒に寝るのもまずいのか。夜の営みが一時停止になるのはもちろんだけど、それ以前に俺、間違っても寝相の良い方じゃないし」

 善治郎とアウラが日頃一緒に寝ているベッドは、都心のワンルームマンションより広そうな馬鹿でかい代物だが、二人はその真ん中で身を寄せ合って寝ているのだ。
 これまでにも、朝目を醒ましてみると手や足を、アウラの身体の上にのせていたケースは何度かある。腕や足の1本や2本が乗った所でそう簡単に流産の可能性が高まるとは思えないが、例え1パーセントでも避けられる危険は避けるべきだろう。 

 善治郎のその物言いに、それまでずっと笑顔を浮かべていたアウラの表情がピクリと動く。
 いったん笑顔を納め、少し真面目な表情で姿勢を正したアウラは、ゆっくりを口を開いた。

「そうだな。確かに、妊娠の疑いがある現状、閨を共にするのは少々危険が伴うと、ミシェル医師も言っていた」

 そう言うアウラの口調は、僅かに夫の出方を探るような気配を滲ませていたが、それあまりにごく僅かなものであったため、緊張と驚きで我を忘れかけている今の善治郎が気づくことはなかった。

「そうなると、一緒に寝るわけにはいかないのか。今晩はしょうがないから別々に寝るとして、明日昼間の内に、寝室にベッドを追加してもらおうか。明日からは、俺はそっちのベッドで寝るよ」

 妊婦の疑いがあり、性交を行うわけに行かない状態となった妻と同じ寝室で寝るために、寝室の配置換えを提案する夫。

 妻としてその返答は、とても魅力的な物ではあったが、妻である前に女王であるアウラは、その提案に、すぐ了承の意を示すわけにはいかない。

「そなたは、本当にそれで良いのか?」

「へっ?」

 アウラの言っている意味が理解できなかった善治郎は、マヌケな声を発して首を傾げる。

 LEDスタンドライドの白い灯りに照らし出される夫の顔を注視し、嘘偽りを可能な限り見抜こうと神経を尖らせたアウラは、今度はもっと直接的な言葉をぶつける。

「今後も私を寝室に招き入れるということは、私が妊娠中も『私以外の女』は寝室に呼ばない、ということだぞ?」

 そこまで、はっきり言われれば、頭が今一働いていない今の善治郎でも理解できる。

 ようは、アウラは自分が身重になっている間、善治郎が自分以外の女に手を出す可能性を示唆しているのだ。

(あ、そうか。一応俺も王族だから、本来なら、アウラ以外の嫁さんがいてもおかしくはないのか)

 カープァ王国の男王族で、妻が一人であった例が極少数派であることは、善治郎もこの数ヶ月学んでいる。
 今までは、女王アウラとの間に『カープァ王家の血の濃い正当後継者』を作るという至上命題が存在したため、夫婦水入らずでいられたが、肝心のアウラが身重で性交不能な状態となれば、モーションを掛けてくる女――正確に言えば、女を差し出そうとする有力貴族――は必ず現れることだろう。

 自分の置かれている立場を理解した善治郎は、露骨に眉をしかめると、今にも舌打ちをしそうな口調で言葉を返す。

「嫁さんのお腹の中に自分の子供がいる状態で、他の女の人に目が向くほど、俺、甲斐性無いんだけど。っていうか、俺、今後アウラが無事出産するまで、アウラと子供の事以外考える余裕なんてないよ、多分」

 善治郎の言葉は、少し大げさではあるが、8割方真実だ。今はともかく、これから出産までの長い時間、ずっとアウラの身の心配だけをしているというのは、流石にちょっと非現実的だが、もし万が一、側室を迎え入れたとしても、側室と閨を共にする際、善治郎の脳裏にアウラの顔がよぎることは、間違いない。
 これはただの予想であるが、断言できる。

 聞きようによっては熱烈な愛の告白とも取れる善治郎の言葉に、アウラは頬が緩みかけるのを意思の力で制止し、真面目な表情を取り繕ったまま、ソファーの上から身を乗り出し、言葉を返す。

「しかし、現実問題として、私の妊娠が確定し、それが公然の事実となれば、その時点で有力貴族達はまず間違いなく動き出すぞ。この場合、事の正当性は断るお前よりも、押しつける貴族達にある」

「それは、まあ、そうなんだろうけど……。ねえ、アウラ。アウラは俺に言ってくれたよね? 「もう少し我が儘を言ってもいい」って。ここで俺が「そんなの嫌だ」と言ったとして、その我が儘は許容範囲に入らないのかな?」

 今日まで常にアウラの立場を考慮し、歯がゆくなるほど我が儘を口にしなかった夫の初めての我が儘。その内容は『側室の拒否』という予想だにしないものだった。

 アウラはその『夫の我が儘』に、身体の芯が熱くなるような喜びを感じつつも、困惑を隠せない。

「そなたがそこまで言うとはな。そんなに嫌なのか?」

 善治郎は、黒い革張りのソファーの上で一度座り直すと、真っ直ぐアウラの目を見つめ返し、こくりと頷く。

「そうだね。嫌か、嬉しいかの二択で答えるのなら、嫌だ。嫌か、嬉しいか、どちらでもないの三択で答えても、やっぱり答えは嫌、だね。
 まあ、俺もアウラと結婚した時点で、王族としての義務が生じることは理解しているから、拒否することでアウラやカープァ王国に多大な不利益をかけるくらいなら、なんとかして受け入れようとは努力するけど……正直、あんまり上手くやっていく自信はないな」

「ふむ。そなたがそこまで潔癖だとは思わなかったな」

 そんなアウラの評価を、善治郎は苦笑を浮かべ、顔の前で手を振って否定する。

「いや、別に潔癖な訳じゃないよ。例えば、俺は以前、1年ちょっとの間だけ、恋人がいた時期があるんだけど、その頃アウラに召喚されて求婚されてたら、多分俺はコロッとアウラに乗り換えてたと思う。
 もし、向こうの世界とこっちの世界を自由に行き来する手段があれば、二股だってやったかもしれない。だから、別に俺は潔癖な訳じゃない。さっきも言ったとおり、これはただの我が儘。

 好きでもない人を第三者の意思で押しつけられて、せっかく上手くっている嫁さんとの関係をギクシャクさせるのが嫌だってだけ」

「ギクシャクはしないだろう。確かにお前が他の女と肌を合わせれば良い感情は抱かんが、それを表に出さないくらいには、私は王族としての義務を心得ているぞ?」

「俺がギクシャクするの。夜、浮気をしておいて、昼間、嫁さんの所に「お腹の子供は順調?」なんて、悪びれないで顔出しできるほど、俺は面の皮厚くないよ」

「むう……」

 これは予想以上に強い反発だ。というより、そもそも善治郎がこの提案に反発すること自体予想だにしていなかった。

(知らぬ間に私は、異世界の一般人である婿殿が、この世界の貴族と同じ価値観を持っていると想定してしまっていたのだな)

 それはある意味、善治郎に対する「甘え」とも言えるだろう。
 細かな説明や説得がなくても、夫がこちらの立場を理解して、こちらの提案を受け入れてくれると、無意識のうちに考えていた。

(いかんな。口では「もう少し我が儘を言ってくれ」と言いつつ、内心我が儘一つ言わない夫の態度を『当たり前』と捉えていたなど、甘えも良いところだ)

 アウラは、反省の念を心に刻みつけるように目を瞑り、小さく細く息を吐く。

 予想外の形であるが、せっかく夫が漏らした初めての我が儘だ。出来れば聞き遂げてやりたい。しかも内容は「側室の拒絶」なのだから、妻としては本来喜んで受け入れたい『我が儘』だ。

 しかし、現実はどうだろうか? 今の王室と有力貴族の力関係を冷静に見て、ここで側室をはねのけることは、果たして許容範囲内の我が儘に収まるのだろうか。
 最悪なのは、その我が儘が、善治郎の我が儘ではなく、アウラの我が儘だと誤解されることだ。

 そして、その可能性は十分に高い。普通、アウラと善治郎の立場を考えれば、側室を拒絶するのは、アウラの方だろう。だが、アウラが夫の意思を無視して、側室を拒絶したと周囲に誤解されれば、その悪評は致命的とまでは言えないにしても、結構な痛手になりかねない。

 やがて、目を開いたアウラは、落ち着いた口調で告げる。

「分かった。可能な限りそなたの意思にそう形で決着を付ける。それは約束しよう。しかし、私は女王だ。例え家族との約定といえど、見過ごせない大きさの不利益が国に生じると判断すれば、約定を踏みにじることはあり得る。そこは、覚悟しておいてくれ。……すまない」

 真面目な表情で小さく頭を下げるアウラに、善治郎はこの日初めて、いつもアウラに向けている柔らかな笑みを返した。

「分かっているよ。そこまで深刻に受け止めてくれなくても、俺も自分の置かれている立場は、頭では理解してるから。ほら、あんまり落ち込んでるとお腹の子にさわるかもよ」

 善治郎の言葉に頭を上げたアウラは、表情を緩め、夫の言葉を受け入れた。

「そうだな。分かった。では、そろそろ時間もおしているし、今晩はこの辺りにしておくか」

 そう言ってアウラは、ソファーから立ち上がる。

 一瞬きょとんと首を傾げる善治郎であるが、すぐにアウラの言わんとしていることに気づく。今晩からは、同じベッドに入ることはしないと決めたのだ。今から寝室に予備のベッドを入れる暇がない以上、今晩だけは善治郎とアウラは別室で寝る以外に方法がない。

 一晩くらいは同じベッドで寝てもいいのではないか、と言う言葉が喉まで出かかったところで、善治郎はその思いを無理矢理飲み込み、立ち上がる。
 アウラに無事、子を産ませることこそが、善治郎に求められる唯一にして最大の義務なのだ。その邪魔だけは絶対にしてはならない。

「そっか。それじゃあ、気をつけてね。出来るだけお腹を冷やさないようにして」

「分かっておる。ミシェル医師からも散々言われてたわ。酒は駄目、長湯は駄目、寝相に気をつけろ。これだけ束縛されて、もし妊娠していなかったら、私は脱力感でしばらく立ち上がれなくなるぞ」

「あはは、それだけ大事だって事だよ、アウラとその赤ちゃんがさ」

 そんな言葉を交わしながら、アウラは善治郎に送られて、出入り口のドアの前まで足を運んだ。
 6つあるLEDスタンドライトは、ソファーを中心とした生活空間を内向きに取り囲むようにして配置されているため、この辺りは薄暗い。

「それではな」

 その薄闇の中、アウラはドアノブに手を掛ける前に、一度夫の方へ向き直り、その両腕を夫の首へと回す。

「うん、お休み」

 その抱擁を素直に受けいれた善治郎は、妻の背中と腰に手を回すと、その肉感的な褐色の身体を抱きよせ、軽く口づけをかわす。

「お休みなさい」

 しばし、互いの体温を味わうように抱擁と口づけを交わした後、アウラはそう言うと名残惜しげな笑みを残し、部屋から出て行った。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆




 夫に就寝の言葉を告げた女王が向かった先は、別な寝室ではなく、王宮のある一室であった。

「お帰りなさいませ、陛下。して、首尾はいかがだったでしょうか?」

 暗い一室に佇んでいた細面の中年男は、そう言って恭しく頭を下げる。

「暗いな、もう少し火を増やせ」

 アウラは、素っ気ない口調でそう言葉を返すと、蔦を編んで作られた椅子にいつも通りドスンと尻を落としかけ、途中でふと気づいたように動きを止め、そっと座る。

「は、しばしお待ちを」

 ファビオ秘書官が油皿の火を、燭台の蝋燭に移している間に、アウラは椅子の上で天井を仰ぎ見るように、上を向き話を始める。

「取り合えず、婿殿に懐妊の可能性と、その後発生するであろう側室問題について話をしておいた。ただ、ちと婿殿が予想外の『我が儘』を言ってな」

「ほほう? それは珍しい。どういう事ですかな?」

「なに、難しいことではない。端的にいえば、婿殿は出来るだけ側室を受け入れたくないのだそうだ。なぜならば……」

 スッと油断なく眼を細める秘書官に、アウラはぞんざいな口調で、先ほど後宮で夫と交わした会話の内容を話し始めるのだった。





「なるほど、ようは側室と肌を重ねるより、肌を重ねることの出来ない陛下と寝室を共にする方がよい、と。いやはや、陛下、愛されておりますな」

 一連の説明を聞き、多分にからかいの色を載せた言葉を秘書官は、主君にぶつける。

「ああ。お陰様で、これ以上ないくらいに幸せな新婚生活を満喫しているとも。だが、だからこそ、今は反省をするべきだ。すっかり、私は「物わかりの良い婿殿」を当たり前の存在として受け止めすぎていたようだ」

「そうですな。よもやこの様な形でゼンジロウ様が『我が儘』を仰るとは想像していませんでした。こちらとしても、あの方の聞き分けの良さに慣れ始めていたのは事実です」

 アウラに言葉に、秘書官はスッと表情を消し、小さく頷き返した。

「しかし、側室を問答無用で邪魔としか見なさないほど、陛下を愛する男性がおられるとは」

「ファビオ、言いたいことははっきりと言え」

 半眼で椅子の上から睨み上げる女王に、秘書官は直立不動のまま小さく肩をすくめ、答える。

「いえ。ただ、『蓼食う虫も好き好き』と思っただけで、他意はございません」

「……それ以上、他意があってたまるか。流石に無礼だぞ、ファビオ」

「おや? では、陛下はご自分が、男に好かれる質だとお思いなのですか?」

 わざとらしく聞いてくる秘書官に、アウラはどう猛な怒りの表情を浮かべるものの、反論は難しかった。

 元々男社会中心で、男尊女卑の傾向が強いカープァ王国では、どれほど美人でスタイルが良くても、アウラのような押しの強い女はあまり好まれない。
 形勢の不利を悟ったアウラは、コホンと一つ咳払いをすると話題を戻す。

「まあ、いずれにせよ、今回の件は良い機会だ。少し私も婿殿を過大評価しすぎていたようだからな。

 あの者は、本人が言うとおり、確かに平民の生まれだ。王侯貴族の価値観や生き方を理解できるだけの、知識と理解力を持ち合わせている上に、こちらの価値観に合わせてくれる寛容さも有しているため、つい誤解していたが、その人格をなす根底の価値観は、我々とは大きく異なっている」

「そのようですな。王族・貴族ならば、側室の存在くらい「当たり前」と受け止められなければならないのですが」

「そこまで婿殿に求めるのは、贅沢が過ぎるというものだ。あれだけ物わかりが良くて、こちらの立場を全面的に理解してくれる婿殿だぞ。なにもかもがこちらの理想通りに運ぶ婿など、最初は期待もしていなかったはずだろう」

 アウラの言葉に、秘書官は同意を示す。

「それは確かに。ですが、側室の拒絶というのは、現状のままではゼンジロウ様の我が儘とは取られませんぞ。陛下の我が儘と取られます。嫉妬のあまり女王アウラは、ゼンジロウ様に女を寄せ付けなくしている、と言われるのが関の山でしょうな」

「それは、分かっているさ」

 痛いところを突かれたアウラは右手の中指と親指で両こめかみを押さえ、ホッと大きく溜息を漏らした。

 カープァ王国で、『夫を立てない女』という悪評は、無視できないくらいに大きなダメージとなる。そればかりは、アウラは女王として何としてでも避けなければならない。

「どうしても、その我が儘を通すのであれば、ゼンジロウ様にある程度矢面に立って頂き、積極的に泥を被って頂く必要があるでしょうな」

 つまり、今後はもっと善治郎が社交界などに顔を出し、自分がどれだけ盲目的にアウラのことを愛しており、それ以外の女には目が向かないのかを、善治郎自らの口で説明させるべきだ、と言っているのだ。

「結局は婿殿に迷惑を掛けることになるのか」

 溜息をつくアウラに、秘書官は鉄面皮のまま、冷たい言葉を返す。

「仕方がありますまい。すでに陛下ご懐妊の噂は、王宮中に広まっております。主立った有力貴族の大半が、面会を申し込んでいる現状で、その全ての申し出を断るのでしたら、それなりの苦労はして戴かなければ」

 ファビオ秘書官の言葉に、アウラはチッと舌打ちを漏らす。

「もう、そんなに広まっているのか?」

 覚悟はしていたが、耳ざといことだ。

 だが、女王の妊娠というのはそれだけ皆が注視していた証でもある。正当なる血筋が保たれれば、側室を送りこむことに躊躇する必要はない。

 しきりに溜息を漏らすアウラに、ファビオ秘書官は、ふと思い出したように別な話を始める。

「ああ、面会と言えば、宮廷騎士である、ナタリオ・マルドナドがゼンジロウ様への面通りを願い出ております」

 秘書官の言葉に、アウラは少し驚いたように声量を上げた。

「ナタリオ? 聞かぬ名だが、どういった用件だ? 婿殿は原則後宮から出ないぞ。よほどの用事がない限り、男に婿殿との面会は許可できん」

「なんでも、ゼンジロウ様より賜った『竜弓』の礼を直接伝え、改めてゼンジロウ様に忠誠を誓うつもりなのだとか」

「ああ、なるほどな。あの立食会の時の一件か」

 事情を思い出したアウラは、それならば仕方があるまい、と納得した。

 プジョル将軍が善治郎に送ろうとした『竜弓』という貢ぎ物。それを、とっさに善治郎は、「その弓を使うに相応しい、力量と忠誠を兼ね備えた騎士に貸し与える」という言葉で、その場を纏めたのだ。
 プジョル将軍はその言葉通り、見込みのある騎士に『竜弓』を渡したのだろう。

 それ一張りで、選りすぐった戦闘用騎竜一匹にも匹敵する価値があるとされる『竜弓』を賜った騎士が、善治郎に礼を述べたいと申し出るのは、ごく自然な流れである。

「で、そのナタリオという騎士は問題のある人物なのか? 婿殿は力量と『忠誠』の厚い人物に渡せと命じたのだぞ?」

 もし、『忠誠』の方向が王家ではなく、プジョル将軍に向いているような人物であれば、到底面会させるわけにはいかない。
 肩に力を入れて問う、アウラの言葉を、秘書官は素っ気なく否定する。

「いえ、その辺りはプジョル将軍も弁えているのでしょう。ナタリオ騎士のマルドナド家は、家格こそ低いものの歴史のある王家直参の家柄です。本人も極めて品行方正で、ナタリオ騎士自身には、問題はないかと。

 まあ、『竜弓』を渡されたことで、プジョル将軍に好印象を持ったようではありますが、そう簡単に絡め取られることはありますまい」

「だが、その言い方だとなにかまだ問題がありそうだな? ナタリオ騎士自身には問題が無くても、その周りに何か問題がある、ということか?」

 アウラの言葉を、秘書官は素直に首を縦に振り、肯定した。

「はい。ご明察の通りです。ナタリオ騎士には、年頃の妹がおります。名をニエト。彼女も人格的には問題のない人物です。中々美しく、聡明で、兄同様王家への忠誠も厚い娘です。ただ、問題は彼女が、『ゼンジロウ様の後宮』に務めているという点だけで」

「…………」

 その返答に、さしものアウラも頭を抱えた。
 苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる主君に、秘書官は淡々と追い打ちを掛ける。

「聞けばゼンジロウ様は、後宮では非常に砕けた態度で侍女達と接しておられるとか。となれば、彼女は間違いなく、兄に貸与された『竜弓』の礼をゼンジロウ様に告げるでしょうな。あまり仲良くなりすぎなければよいのですが」

 相変わらずプジョル将軍の狙いは、分かりやすい。

 王家に忠誠の厚い宮廷騎士と、同じく王家に忠誠の厚い後宮に務めるその妹。その騎士ナタリオを絡め取り、妹が善治郎と距離を詰めることに成功すれば、少々迂遠ではあるが、王家へのパイプが完成する。

「……ナタリオ騎士は、どの部署に配属されているのだ?」

「以前は王都守護騎兵団所属でしたが、今はプジョル将軍の直下である『弓騎兵団』に転属が決定しました。

 半ば返答が予想できるアウラの問いに、秘書官が返した言葉は全く予想から外れないものだった。『竜弓』を貸与された者が、精鋭である『弓騎兵団』に所属を移される。少なくとも、表向きには何の問題もない、流れである。

 無論、その裏には、ナタリオを自分の派閥に組み込もうとするプジョル将軍の露骨な意図があることは言うまでもない。

「ということは、妹姫を婿殿の側室に入れるという野望は諦めたのか?」

「いえ、将軍自身は陛下への面会希望を出していますし、その可能性は薄いかと。おおかた、二つの話を同時に進めるつもりなのでしょう」

「相変わらず、分かりやすい男だ……」

 ここ数ヶ月、王軍と地方領主軍の再編成について、随分とアウラに配慮した言動が多かったため、ある程度落ち着いたのかと思ったのだが、どうやら『餓狼』の野心はまだまだ、健在だったようだ。

「まったく、頭の痛いことだ」

「心中お察しします」

 溜息をつく女王に、秘書官は全く感情の籠もらない声でそう言うと、慇懃に頭を下げるのだった。
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