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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

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第五章4【治癒術士の見舞い】

 善治郎が『森の祝福』を発病してから今日で6日。

 昨日から急きょ移動させられた、後宮の一室で、善治郎はベッドの上で寝汗をかいていた。

 すでに熱は37度の中盤くらいまで下がっているし、喉の腫れも収まり食欲も戻ってきている。
 一昨日までは、鶏肉とくせのない葉野菜の細切れスープを啜るのがやっとだったが、今朝は甘じょっぱいアンをかけたマッシュポテトのような料理も食べることが出来た。善治郎にはジャガイモの親戚に感じだが、実際には蒸かしたバナナを潰した料理らしい。宮廷料理と言うより、庶民料理のたぐいなのだが、比較的胃腸に優しく、栄養価が高いため、病人食に向いているのだという。

 医者の見立てでは、一両日中には完治するだろうとのことだ。
 善治郎自身、身体が格段に楽になったという実感がある。しかし、この数ヶ月で住み慣れた本来の寝室から、電化製品が一切無い別な寝室に移され、一人新品のベッドに横たわっていては身体が休まる気がしない。

 それでも、闘病で体力の衰えた体は眠りを欲する。過ごしやすくなったとはいえ、昼間は30度を超える熱気の中、ウツラウツラと船をこぎ出していた善治郎の意識を、まどろみの中から引き戻したのは、額に乗せられた柔らかい手の平の感触と、聞き覚えのない女の声だった。

「だいぶ熱も下がっているようですね。これならば、一両日中には日常に戻れるようになるのではないでしょうか」

「……んぁ?」

 うっすらと目を開いた善治郎の視界に飛び込んできたのは、自分の額に手を乗せて、柔らかな笑みを浮かべる、上品そうな中年女性の姿だった。

「……誰?」

 半覚醒状態のまま、善治郎はポツリとそう言葉を漏らす。

 真っ直ぐな淡い栗色の長髪。目元に優しげな皺を寄せた、焦げ茶色の瞳。そして、生来のモノではなく日焼けによって色の付いた肌。
 アウラ達、カープァ王国人はラテン系と黒人のハーフのような外見なのに対し、この中年女性は、より西洋人に近い顔立ちと色彩を持っている。

 あきらかにカープァ王国の人間とは人種が違う。記憶力にはあまり自信のない善治郎だが、これだけ特徴的な人間を見かけていたら、絶対に覚えているはずだ。

 異国の中年婦人――イザベッラ王女は、善治郎の額にのせていた手を外すと、椅子から立ち上がり、ドレスの裾を摘んで優雅に礼をする。

「お初にお目にかかります、ゼンジロウ様。シャロワ・ジルベール双王国18代法王、ベネディクト4世が第3子、イザベッラにございます」

「こ、これは丁寧なご挨拶を、私は……」

 大国の王女という国賓との遭遇に、慌ててベッドから身体を起こしかける善治郎を、イザベッラ王女は慣れた手つきでそっと制すると、

「そのままで。ゼンジロウ様のお体はまだ回復してはおりません」

 そう言って、善治郎に身体を戻すように訴える。

 言われて善治郎は気がついた。

「え? あれ? そう言えば、凄く身体が楽な気がする」

 ずっと寝ていたため、身体全体に力が入りづらいような違和感は残っているが、寝る前まで全身を蝕んでいたけだるい疲れや、霧が掛かったような鈍い頭痛は綺麗さっぱり消え失せている。

 イザベッラ王女はにこやかな笑みを浮かべたまま、身体を起こしかけていた善治郎の肩に片手をそえ、ベッドへと押し戻す。

「ゼンジロウ様、起きてはなりません。身体が楽になっているのは、私が先ほど施した『体力回復』と『精神疲労除去』の効果です。『病魔快癒』を使っても良いのですが、せっかくの『森の祝福』ですからね。自力で克服しなければ祝福の効果は得られませんから、あえてそのままにしておきました」

「は、はあ……なるほど」

 言われてみれば、体力は回復しているものの、身体はまだ火照っている。病気から完全に回復したわけではないようだ。

(ああ、そう言えば、昨晩見舞いに来たとき、アウラが言ってたな。双王国の王女様がお見舞いに来るから、部屋を移ってくれって)

 一通りの事情は、前もって聞かされていた善治郎であるが、なにせ昨日までは38度を超える熱を出していた身だ。細かな説明を覚えていないのも、無理はない。

(ええと、確か身分的にはこっちが上だけど、今回『治癒』の見舞いを受けた立場だから、下手に出ても問題はないんだっけ……?)

 冷静になってみると、椅子に腰を掛けるイザベッラ王女の後ろに、アウラが立ってこちらを見守っていることに気づく。

 こちらの視線に気づいたアウラは、こくりと小さく首を縦に振った。

(あれは、あまり細かい礼儀作法は気にしなくて良いって意味かな?)

 何となく、アウラの意図を察した善治郎は少し気を楽にして、ヘッドボードに頭を乗せ、上半身を少しだけ起き上がらせた体勢で、イザベッラ王女の方に首を向ける。

「ありがとうございます、イザベッラ殿下。おかげで随分と楽になりました」

「いえ。大したこともございません。後は、安静にして滋養のある物を取れば、明日には起きられるようになっていると思いますよ」

「はい、ンッ」

 まだ微熱があるのに、寝起きのまましゃべり続けてたせいか、返事を返す善治郎の語尾が擦れ、小さく咳を漏らす。

「ゼンジロウ、ほら水だ」

 すかさず、後ろに立っていたアウラが小さな銀の吸い飲みを手に取ると、寝ているゼンジロウの口元に近づけてやる。

「ああ、すまん」

 この数日で、アウラの世話になることになれてしまった善治郎は、特に恥ずかしがることもなく、アウラが手に持つ吸い飲みに口を付けて、水を飲ませてもらう。
 ぬるい湯冷ましで喉を潤した善治郎は、全身から心地よく汗が噴き出す感触を覚える。

「ふう……」

「もうよいのか?」

「うん、楽になった。ありがとう」

 ごく自然に、仲睦まじいところを見せつけられたイザベッラ王女は、口元を右手で覆い、小さな笑い声を上げる。

「お噂は聞いておりましたけど、お二人は本当に仲がよろしいのですね」

「あ……これは失礼」

「まあ、仲が悪いよりは良いだろう?」

 部外者の視線を意識した善治郎が少し恥じらうのとは対照的に、アウラはニヤリと笑い、胸を張ってそう言ってのける。

「確かに、それはその通りですわね」

 アウラの返答に、イザベッラ王女は同意を示し、コロコロと笑った。

 世間では誤解されがちだが、王族貴族の世界でも、「仲の良い夫婦」というのは決して珍しいものではない。王族の結婚は、当事者の感情よりも家のつながりや、権勢のパワーバランスが考慮されるというのは紛れもない事実だが、だからこそ当事者達は互いの関係を円満にするため、努力を重ねる。

 利害が致命的にぶつかり合わず、互いに歩み寄る心構えがあれば、結婚後に愛情を育んでいくことも、決して不可能ではない。
 だが、だからこそ、アウラと善治郎のように、婚姻から半年もしないうちに、このような息の合った仲睦まじさを見せるケースは非常に珍しい。

(よほど相性が良かったのかしら?)

 イザベッラ王女は、穏やかの笑みの奥に鋭い観察眼を隠し、アウラと善治郎の様子を見守る。

「そういえば、ゼンジロウ様はアウラ陛下とご結婚するため、世界を超えてきたのでしたね。言ってみれば世界を超える愛、ということでしょうか?」

「えっ? あ、ああ、そうですね」

 イザベッラ王女の口から出た「世界を超えて来た」という言葉に一瞬驚いた善治郎であるが、ちょっと考えてすぐに落ち着く。

 カープァ王家の血統魔法が『時空魔法』であることは周知の事実だし、大国カープァ王国の女王にして唯一の王族となったアウラの婚姻に関しては、各国の王侯貴族が目を皿のようにして注目していたはずだ。

 そう考えれば、突如降ってわいた伴侶である善治郎の素性など、ばれていない方がおかしい。

 そんな風に納得してしまったからだろうか。善治郎は、つい口を滑らせる。

「150年前、異世界へ愛の逃避行を果たした子孫が、こうして婚姻の為に戻ってきたのですからね。そう考えれば、感慨深いモノがあります」

「なるほど……150年前にそのような事が……」

 感心したような口調でそう相づちをうつイザベッラ王女に、水差しをテーブルに戻したアウラが、冷静な口調で口を挟む。

「あくまで噂だ。150年前、記録より抹消された直系王族がいたのは事実だが、その者が異世界に逃亡したという記録も、ましてやゼンジロウがその直系である証拠もない」

「……ええ、そうですわね。失礼しました。つい、年甲斐もなく、ロマンチックな恋物語に浮かれて軽率な発言をしてしまいました。
 そもそも、治りかけとはいえ、患者と長話をすること自体あまり褒められた行為ではありませんわね。

 ゼンジロウ様、アウラ陛下。私はこの辺りで失礼します」

「ああ、そうだな。我が夫のため、貴重な力を使って頂き、礼を言う。ありがとう」

 席を立つイザベッラ王女を、アウラ自ら先導し、仮の寝室の外へと導く。

「ありがとうございました、イザベッラ殿下。おかげで楽になりました」

 善治郎は言いつけ通り、ベッドに身体を横たえたまま、立ち去る女王と王女の背中に、そう礼の言葉を投げかけたのだった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆






 その日の夜。

 アウラは、腹心である、ファビオ秘書官と、筆頭宮廷魔術師エスピリディオンを、王宮奥の王家の私室に招き、秘密の会談を設けていた。

 王宮の中では狭い部類に入る、その部屋を照らし出すのは、燭台の上で燃える蝋燭の炎である。
 赤い炎の灯りに照らし出されたアウラは、意匠を凝らした飾り椅子の上で足を組むと、左斜め前に立つ、ファビオ秘書官に話を振る。

「それでは、報告を聞こうか」

「はっ」

 主の言葉に中年の秘書官は、一歩前に踏み出すと、いつも通りの抑揚の無い声で話し始めた。

「イザベッラ王女の『顧客』が判明しました。コブラゴ王国の前王、ルイス2世です」

 秘書官の言葉に、女王は得心がいかないといった表情で首を傾げる。

「コブラゴ国の前王がか? 妙だな。現国王ならばともかく、前王のためにイザベッラ殿下を呼ぶほど、あの国に余裕があるとは思えぬのだが」

 コブラゴ王国は、カープァ王国と国境を接する隣国であるが、国土面積も総人口もカープァ王国の5分の1程度しかない。当然、財力もそれに比した貧弱なモノだ。
 たまたま、立地条件に恵まれたため、先の大戦を生き延びた国であり、そのような小国が、すでに玉座を退いた老人のためにイザベッラ王女を呼ぶというのは、少々腑に落ちない。

「コブラゴ王国の規模ならば、ロベルト王子かトマーゾ王子、せいぜい奮発してマッテオ法王弟が相場ではないか?」

 そう言ってアウラは、ジルベール法王家の人名を挙げる。いずれも、イザベッラ王女と比べれば、治癒魔法の魔力は一段も二段も劣る王族だが、その分彼等ならば依頼料も安くすむ。

 アウラのもっともな意見に、中年の秘書官はその鉄面皮をピクリとも動かさないまま、反論する。

「しかし、陛下が今名前を挙げられた方々は皆男性です。後宮には入ることが出来ません」

「なぜ後宮が関係する? 患者はルイス前王なのだろう?」

 首を傾げるアウラに、ファビオ秘書官は淡々とした口調のまま答える。

「はい。ですから、問題はコブラゴ王国の後宮ではありません。我がカープァ王国の後宮です」

 ファビオ秘書官の言葉に、意図するところを悟ったアウラは、椅子の上でガタリと身を動かした。

「つまり、イザベッラ殿下の狙いは、最初からうちだったと言うのか?」

「はい。これはまだ調査中ですが、どうもコブラゴ王国はアウラ陛下が推測されたように、ロベルト王子の派遣を依頼したようです。そこに、双王国の側が「料金はそのままでよいから、ロベルト王子ではなく、イザベッラ王女を」という話をねじ込んだ、というのが真相ではないかと」

「まさか、婿殿が『森の祝福』で寝込んでいることも、双王国は察知していたのか?」

 アウラの言葉に、中年の秘書官は首を横に振る。

「いいえ、それはただの偶然でしょう。むしろ、ゼンジロウ様が病床に付いている事を知っていれば、あえてイザベッラ王女を派遣する必要はありません」

 ジルベール法王家の『治癒術士』達は、医者以上に特別な存在だ。患者の診察という名目があれば、男女の垣根を越えて男でも後宮に足を踏み入れることが許される。

「なるほど、確かにな。だが、そうなると双王国は、我が婿殿を一目見るためだけに、イザベッラ殿下を安値で派遣したということになるぞ?」

「大国カープァ王国に突如として現れた、女王の伴侶。その人となりを知るためならば、さほど不自然な一手ではないのでは?」

「ふむ……」

 アウラは椅子に座って足を組んだまま、顎に手をやり考えた。

 確かに、ファビオ秘書官の言うことももっともだ。アウラの意図を全面的にくんでくれている善治郎は、ほとんど我意を表に出すことなく陰に回ってくれているが、そんな現状を知らない諸外国の人間には、カープァ王国の舵に手を添える人間が一人増えたように映ることだろう。

 女王の伴侶が並外れた野心家であれば、カープァ王国は再び南大陸に戦乱の嵐を巻き起こす可能性もある。
 そう考えれば、確かに『善治郎の人となりを知る』のは、イザベッラ王女クラスが動くに十分な重要性を持つかも知れない。

「国内の顔見せが終わったと思えば、今度は国外か」

「以前の立食会は、ボロが出ても傷が最小限に治まるよう、諸外国の方は閉め出した場でしたから、その辺りは仕方がありますまい」

 暗い天井を仰ぎ見て、溜息をつくアウラに、ファビオ秘書官は冷静な口調でそう言った。

 この数ヶ月で、善治郎の「国政に極力口を出さない」という意思は、ある程度認知されていいるが、それはあくまでカープァ王国国内の話だ。諸外国の人間にまで、正しい認識が広まるのには、まだまだ時間も努力も必要だろう。

 この手の情報というのは、距離と時間が離れれば離れるほど歪みやすいという特徴もあるので、完全に正しい認識が広まる可能性は、最初から諦めた方が良いのかも知れない。

 アウラは、一,二度首を横に振ると、その話を打ち切った。

 アウラは視線を左斜め前に立つファビオ秘書官から、右斜め前に立つ紫のローブを羽織った老人へと移す。

「分かった。双王国の出方については、今後も注意しておこう。次に爺、話は聞いているな?」

 唐突に話を向けられた、紫のローブを羽織った老人――宮廷筆頭魔術師エスピリディオンは、のんびりとした口調で口を開く。

「ふむ、ゼンジロウ様の私物であるあの宝玉のことじゃな? 確かに、あれ一粒に双王国金貨50枚は破格じゃのう」

 話は、イザベッラ王女の動向から、イザベッラ王女が不可解な高値を付けた、ビー玉へと移行する。

 ファビオ秘書官に続き、エスピリディオンからも同意を得たアウラは、まずは一つ満足そうに頷くと話の続きを促す。

「あのイザベッラ王女が意味もなく、あれほど奇異な値を付けるとは考えがたい。爺、なにか心当たりは無いか?」

 女王の問いに、王国随一の魔術師は白い上げ髭をしごき、しばし沈黙を保った後、「これはかなり眉唾な話なのじゃが」と断った上で口を開いた。

「陛下は、グプタ王国の『雷壁の杖』については、どの程度の知識をお持ちかの?」

「『雷壁の杖』というのとあの、『バランゴ峠の奇跡』だろう? 1本の魔道具が、敵軍5万を半年間足止めしたという」

「はい、左様です。グプタ王国と、クシャール王国・ワルタナ王国連合軍の戦い。先の大戦初期の話ですじゃ」

 簡単に説明すれば、グプタ王国という国が、隣国二国の同時侵攻をくらい、滅亡の岐路に立たされたとき、一方の国境を『雷壁の杖』と呼ばれる魔道具一つで護りきり、その隙にもう一カ国を自力で撃退し、国を護りきったという逸話だ。

 恐らく南大陸でもっとも有名な魔道具の一つであろう。『雷』はグプタ王家の血統魔法である。

 つまり、『雷壁の杖』は、『雷』を操るグプタ王家の人間と、『付与魔法』の使い手であるシャロワ王家の人間が手を携えて作った魔道具ということになる。
 グプタ王国は、シャロワ・ジルベール双王国の属国に近い友好国なので、両王家が力を合わせて一つの魔道具を造る事自体は、特別不自然ではない。

 しかし、エスピリディオンは言う。

「問題は、杖の作製に費やされた時間ですじゃ。細かな話は今は省きますが、杖が作製された場所は、双王国の王都で間違いはありませぬ」

「まあ、それはそうだろうな。シャロワ王家の人間は、ジルベール法王家の人間と違い、よほどのことがない限り、王都から動かん」

 軽く頷き、同意を示すアウラに、エスピリディオンは大げさに頷き返し、話を続ける。

「となると、グプタ王家の人間が双王国の王都におもむき、そこで長い時間を掛けて杖を作製し、その後の杖を持ってグプタ王国へと戻ってきたと言うことになりまする。しかし、そうなると、どうしても時間が足りませぬのじゃ」

 エスピリディオンの話を聞いていた、横に立つファビオ秘書官も何かを思い出したように口を挟む。

「ああ、その話は私も聞いたことがあります。たしか、往復の道のりをもっとも足の速い走竜で計算しても、滞在時間は10日に満たない計算になるとか」

「正確には9日じゃな。それも、全ての道のりが順調にいったとしての理想値じゃぞい。現実的な試算では、グプタ王家の人間が双王国の王都に滞在した期間は、3日前後じゃと言われておる」

 腹心二人の話を聞きながら、アウラは自分の記憶を掘り起こす。
 大戦初期となると、アウラにとってはまだ生まれていない時代の話だ。記憶になくてもおかしくはない。

 だが、その話のおかしな所は分かる。通常、シャロワ王家の作る『魔道具』というのは、使い捨ての簡素な代物でも作製に最低一ヶ月はかかると言われている。ましてや、『雷壁の杖』ほどの大魔道具となると、年単位の時間が掛かるのが常識だ。

 現に、アウラが善治郎に貸し出した、あの『結界の絨毯』を作製したときは、カープァ王家の人間が双王国の王都に二年近く滞在するはめになったという記録が残っている。

 簡単なモノで一ヶ月。国宝クラスなら二年。それと比べれば、『雷壁の杖』の実質三日という数値はあきらかな異常である。

 信頼する爺の言葉とはいえ、流石にアウラも鵜呑みには出来ず、懐疑の念の籠もった言葉を返す。

「それは、ただ単にもっと前から密かにグプタ王家の人間が、双王国の王都に入り、秘密裏に作製を始めていただけではないのか?」

 自分の意見を否定する女王の言葉に、老魔術師は気を悪くするわけでなく、大きく頷くと答えた。

「はい。グプタ王家、シャロワ王家双方とも公式発表では、そのように申しておりまする。世間でも、その説が一番有力なのは間違いのない事実ですじゃ。しかし、そうではない説も未だ根強く残ってますのじゃ。

 すなわち、シャロワ王家には、いざという時、魔道具作製に費やす時間を大幅に短縮する『裏技』がある、と」

「ふん、なるほど、な」

 やっと本題に入ったと感じたアウラは、鼻をならすように小さく息を吐いた。

 この手の『王家秘伝の裏技、隠し魔法』の噂というのは、何時の世にも絶えない。

 いわく、ハルカネン王家の『探心魔法』には、人を永続的に傀儡とする術がある。いわく、南大陸北部の砂漠は、デルンブルク王家が『操緑魔法』を暴走させた結果だ。いわく、この大地はマカロフ王家の『創造魔法』によって作られた、等々。

 実際、アウラの使うカープァ王家の『時空魔法』にもその手の、「勘弁してくれ」と苦笑を漏らすしかない類の、噂はある。
『時空魔法』の最奥秘術には、時間逆行による『死者蘇生』が存在するという噂だ。

(そんな魔法が存在していれば、異世界で平和に暮らしている婿殿に迷惑を掛ける前に、兄上か弟達の誰かを生き返らせているわ)

 馬鹿馬鹿しい話ではあるが、同時にアウラには、一概に笑い飛ばすわけには行かない事情もある。噂の中に一抹の事実が含まれているという事実を、アウラは知っているからだ。

(死者蘇生か。その『死者』というのが、虫や貝の類ならばやってやれなくはないぞ)

 実際、『時空魔法』には、限定的な時間逆行の魔法が存在しているのは事実である。
 もっとも、『魔力を持つ対象にはかけられない』、『戻したい時間軸で、術者がその物体を目で見て、手で触れている必要がある』などという、厳しい制限があるため、使い道はほとんどないのだが。

 この世に生きる物は、虫や小魚のようなごく一部の下等生物を除き、皆大なり小なり魔力を有している。そのため、『時空魔法』で『死者蘇生』は事実上不可能なのである。

 とはいえ、「虫しか生き返らせられない」しょぼいものでも、『時空魔法』に死者蘇生が存在しているのは事実だ。
 その事実を踏まえて考えれば、各国の王家の噂にも、何らかの形で真実が紛れ込んでいる可能性はある。

 アウラは、ペロリと舌で上唇を濡らし、問いかける。

「で、爺の知っている『裏技』の噂いうのはどのような代物だ?」

「はい。一つは、シャロワ王家の人間が命を費やすことで、魔道具作製の時間を大幅に短縮出来るというものですじゃ。事実、『雷壁の杖』作製に前後して、シャロワ王家の王族が1人、病没しておりまする」

 エスピリディオンの最初の噂を、アウラは一刀の下で切り捨ている。

「ありえんな。確かに、グプタ王国は双王国にとっても大切な友好国で、重要な北の護りではあるが、そのために王族を一人死に追いやるなど、あの王家の気性からは考えられん」

「はい。儂もそう思いますじゃ。ですから、それはただの偶然じゃろうて。そこで、浮上するのがもう一つの噂ですじゃ。

『付与魔法』は、一定の条件を満たした物質を用いると、極端に時間と労力を短縮できる。という噂ですじゃ」

 回り回って、やっと最初の問いの答えが聞こえた気がしたアウラは、しばし沈黙を保った後、ゆっくりと低い声で問いかける。

「……で、『雷壁の杖』はどのような形状をしているのだ?」

「はい。仮にも王家の最秘奥魔道具ですので、あくまで又聞きの噂に過ぎませぬが、なんでも、真っ直ぐな木作りの杖の先端に、『大きな丸い透明の水晶球』が飾られていた、と聞き及んでおります」

 老魔術師の答えは、アウラが想像したとおりのものであった。

「…………」

 蝋燭の明かりに照らし出されるアウラの顔に、ニヤリと大きな笑みが浮かぶ。その笑い顔は、猫科の肉食獣が牙を剥く様に似ていた。
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