挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

一年目

27/94

幕間4【兄と妹、夫と妻】

 後宮で善治郎が、イタズラっぽい笑顔を浮かべるアウラに問い詰められていた頃、ギジェン家の王都屋敷では、王宮から帰還したプジョル将軍とその妹のファティマが、屋敷の一室で静かに会話を交わしていた。

「あの……お兄様、あれで良かったのでしょうか?」

 立食会で見せていた気の強そうな表情は何処へ行ったのか、ファティマはオドオドとソファーの上で身体を縮こませ、上目遣いに対面に座る兄を窺う。

 兄と妹と言うより、主人と犬を連想させるファティマの態度を、プジョル将軍は極当たり前のように受け止め、小さく首を縦に振る。

「ああ、上出来だろう。欲を言えばきりがないが、十分に合格点だ。良くやったぞ、ファティマ」

「はいっ! お兄様」

 兄に褒められた妹は、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべ、ホッと安堵の溜息を漏らす。

 ファティマの漏らした吐息が、テーブルの上に乗る燭台に掛かり、ユラユラと薄暗く室内を照す炎をゆらした。

 この世界で、夜間照明のメインとなっているのは、植物油に芯糸を垂らした油皿だ。
 固体である分、油皿より取り扱いが容易い蝋燭は利用価値が高いのだが、生産量も輸入量も限られているため、日常の照明として使用している家は、貴族の中でもごく一部の富貴層に限られる。

 ギジェン家はそのごく一部の富貴層である。

 もっとも、その机の上の小型の燭台と、部屋の四隅に設置されている背の高い四本の燭台、その全ての蝋燭の明かりをあわせてもその明るさは、善治郎が持ち込んだLEDランタンの半分にも満たない。
 それでも、向かい会って座る兄と妹に、互いの顔を視認させるには十分な灯りである。

 プジョル将軍は、嬉しそうに自分の顔を見上げる妹の目を見つめ返し、独り言を言っているような素っ気ない口調で言葉を返す。

「ともあれ、ゼンジロウ様はお前という存在を、意識するようになったはずだ。少なくとも、顔と名前は覚えてもらえただろうし、あの様子ならば第一印象もそう悪くはあるまい」

「はい」

 特に、立食会という大多数の貴族達の前でアピールできたという事実は大きい。
 あれであの場にいた貴族達は、プジョルのスタンスを理解したはずだ。プジョル・ギジェンが妹のファティマを善治郎の側室に入れる事を望んでいる、と。そう知った上で、今後、善治郎の元に自分の息が掛かった女を送りこもうとする人間は、どれくらいいるだろうか?

 まあ、海千山千の貴族達が、一気に全員手を引くことは絶対にないだろうが、少なくない数の貴族がギジェン家との衝突回避の方向に舵を切ることだろう。

 さらに、これまでファティマの元にはかなりの数の婚姻話が舞いこんでいたのだが、それらの攻勢にも今回の一件はいい牽制になるだろう。

 ギジェン家の家長であるプジョル・ギジェンは、妹を善治郎の側室に入れる事を望んでいる。
 裏を返せばそれは、王配の側室になるのと同等か、それに準ずるくらいのうま味のある婚姻条件を提示できなければ、プジョルは妹を他家の嫁に出さないという意思表示をしたとも取れる。

「…………」

「お兄様……?」

 プジョルは、蝋燭の明かりに照らし出される妹の顔に視線を固定したまま、考える。

(ふむ。欲目抜きで、なかなかの美人に育ったと思うのだがな。ゼンジロウ様の反応は今一分かりづらい)

 贈り物の『竜弓』を「自分は引けない」とはっきりと明言する辺り、武人としての側面は全く持たない人物のようだが、あの場で「腕の立つ忠誠厚い兵士に渡せ」と切り返す辺り、頭はそう悪くなさそうだ。

(馬鹿な野心家であれば、話は簡単だったのだが、そこまで都合の良い話はないか)

 あの受け答えを聞いている限り、善治郎という男は馬鹿ではない。だが、馬鹿でないのだとすれば、なぜあの善治郎と言う男は、女王の都合の良い人形に甘んじているのだろうか?
 よほどの馬鹿でない限り、女王の伴侶という立場は、少し手を伸ばすだけで大きな権力を掴むことが出来る立場であることを理解できるはずなのだが。

(もしかすると、冒険を嫌う質なのかも知れんな)

 自分自身が野心家である事を自覚しているプジョル将軍は、同時に世の男全員が、自分の様な野心家では無いことも理解している。
 ある程度の地位、ある程度の財、ある程度の名誉。それで、満足してしまう男も世の中には確かに存在する。ひょっとすると、あの善治郎という男もその類の存在なのかも知れない。

 女王の伴侶として、後宮でかしずかれ、贅をこらした生活を過ごすだけで当面の欲望を満足させてしまっている。そういう可能性はある。

(だとすると厄介だな。アウラ陛下との離間工作はまず成功すまい)

 現状に満足している人間を唆すのは難しい。まず、その満足している現状を悪化させるか、満足している心に野心を植え付けて飢えを覚えさせる所から始めなければならないからだ。そういった工作は、すでにある野心の火種を大きくするのと比べると、格段に手間が掛かる。

 プジョルは蝋燭の明かりで薄暗く照らし出される天井に視線を向け、無言のまま考え続ける。

(現状で最善は、ゼンジロウ様の側室にファティマを入れて、その間に産まれた子が次代の王になることなのだが、その可能性は低い、と見るべきか)

 ファティマを善治郎の側室に入れる事を諦めるつもりはないが、問題は時間だ。女王アウラと善治郎が閨をともにする間柄である以上、すでにアウラの腹の中には子種が宿っていてもおかしくはない。

 そこまでいっていないとしても、アウラと善治郎の関係が現状のまま一年も続けば、嫡子が生まれるのは時間の問題だ。これから側室入りを目指すファティマの第一子は、女王の第一子より年下になる、と考えるべきだろう。そして、その女王の第一子が男であったなら、それより後に生まれるファティマの子が、例え男であったとしても王位に就く可能性は低い。

(ならば、アウラ陛下とゼンジロウ様の間に子が産まれた場合にも、対応した身の振り方を考えておくべきか)

 幸い、プジョルはまだ三十代の前半という若さだ。もし、近いうちに、アウラと善治郎の間に男子が産まれたとして、その子が成人するのは十五年後。その時プジョルは、まだ五十になっていない。
 戦士としてはともかく、将軍、宮廷貴族としてはまだまだ現役のはず。

(カープァ王国で女王の即位は『場繋ぎ』と見なされるからな。一定以上の帝王学を身につけた成人した男子がいれば、王権の譲渡は時間の問題のはずだ)

 アウラと善治郎の間に子が産まれ、その子が成人と認められる十五歳になったところでアウラから子に王冠が移る。この先、波乱がなければそうなる可能性は高い。

 望ましい未来をたぐり寄せるために努力をするのは当然であるが、実現する可能性が高い未来の対策を取っておくことも、忘れてはならない。王国一名高い将軍と言っても、所詮はプジョルも1人の有力貴族に過ぎないのだ。一事が万事、思い通りになるはずもない。

「ふむ、やはり、多少はアウラ陛下とも足並みを揃えておくか」

 プジョルは、対面に座るファティマにも聞こえないくらいの小声でそう呟くと、視線を天井から下ろした。 

 政治の世界は複雑だ。全面的な敵や、全面的な味方というのは皆無に等しい。

 軍の最高位である『元帥』に野心を燃やしているプジョル将軍と、国軍を王家の指揮下に置いておきたいアウラの利害は、原則としてはぶつかり合っているが、視野を少し広げて、『国軍』と『地方領主軍』という別な対立構造から見ると、また立場は変わってくる。

 女王であるアウラも、国軍の最高位を目指すプジョルも、国軍の軍備増強、地方領主軍の縮小という方向性に関しては、見解の一致を見ている。

 一通り考えを纏めたプジョルは、真剣な表情でこちらの顔をのぞき込む妹に、その漆黒の双眼を向けて言う。

「ファティマ。私はお前を、ゼンジロウ様の側室に入れるつもりだが、状況は流動的だ。場合によっては、他家に嫁入りしてもらう可能性も十分にある。心づもりはしておけ」

 善治郎の側室に入れる事が、第一希望であることは間違いないが、ファティマは現在十七歳だ。今がまさに結婚適齢期。本人の容姿や能力、ギジェン家の家名を持ってすれば適齢期を過ぎても結婚相手に困ることはないだろうが、その場合、結婚相手のランクは確実に下がる。

 妹の幸せの為にも、時間制限を設けて、ある程度粘っても目がないようならば、側室入りはすっぱり諦めた方が得策だろう。

 プジョル将軍も、妹を幸せにしてやりたいとは思っているのだ。ただ、妹の幸せより、ギジェン家の繁栄や、自分の野心を満たすことの方が優先順が高く、肝心のその『妹の幸せ』というのも、プジョルが考える『幸せな結婚』を押しつけるだけなのが少々問題なのだが、それもこの場合は、さほど大きな問題にはならない。

「はい、お兄様。私は、どのような家に嫁いでも、ギジェン家の娘として恥ずかしくないよう、勤め上げて見せますわ」

 兄の言葉に、妹はうっとりとした表情で首肯する。

「うむ、期待しているぞ」

「はいッ」

 兄、プジョル・ギジェンを敬愛し、ギジェン家の娘であることに誇りを持ち、政略結婚の意義を幼少の頃から叩き込まれている少女、ファティマ・ギジェンにとって、プジョルに言われた内容は特に忌避するようなものではなかった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆





 夜更け頃、後宮の大きなベッドの上では、一糸まとわぬ裸体をさらした善治郎とアウラが、複雑に身体と身体を絡ませ合い、軽く息を弾ませたり、荒い息を吐いたりしていた。

 具体的に言えば、軽く息を弾ませているのがアウラで、思い切り荒い息をついているのが善治郎である。両者の息の上がり具合の違いは、ベッド上の運動における男女の運動量の違いと、それぞれ個人の基礎体力の違いに由来する。

 ちょっと前までソファーの上で、『ファティマに見とれていた』件について問い詰めていたアウラと、問い詰められていた善治郎が、こうして寝室のベッドで一戦交えるに至ったかについては、さほど長くも複雑でもない経緯がある。

 楽しげにアウラが善治郎を問い詰め始めたタイミングで、ドアの向こうから侍女が『浴室の準備が調いました』と告げてきたので、とりあえずは一度会話を打ち切った善治郎とアウラは、仲良く浴室に向かい、汗と香油を流すことを優先した。

 その後、湯上がりの薄着姿で部屋に戻ってきたアウラは追及を再開したのだが、元々本気で怒っていたわけではない。ただ、善治郎との会話を楽しみながら、『ファティマ』という少女の第一印象を聞き出したかっただけである。

 善治郎に焦った口調で「いや、確かにストライクではあるけど、せいぜい真ん中低めだよ。間違ってもど真ん中じゃない。この後、ど真ん中のストライクが来るって分かっている以上手をだすような球じゃないよ、絶対」などと言われれば、意地の悪い表情を取り繕うのも難しい。

 吹き出すアウラと、からかわれていたことに気づいて怒ってみせる善治郎。謝るアウラに、突っぱねる善治郎。謝りながら抱きつくアウラに、抱き返しながらアウラの口を自分の口で塞ぐ善治郎……。

 そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか2人は寝室のベッドで激しく愛し合うようになっていたのである。

「…………」

 善治郎は、裸の愛妻を胸元に抱き寄せ、その赤い頭髪を何度も撫でながら、顔を綻ばせる。
 氷扇風機から冷風が吹き抜けるベッドの上は十分に涼しく、こうして肌と肌を合わせていても互いの体温が心地よく感じられる。

「ん……」

 善治郎は横向きに寝たまま、アウラを抱きしめる腕に力を込めた。

「ふふ……」

 アウラは抵抗するそぶりも見せず、抱かれるに任せて、その汗ばんだ裸身を善治郎に押しつける。
 互いの心臓の鼓動が肌を通して感じられるほどの密着感。頬に当たる吐息や、肌をくすぐる髪の感触が生み出すくすぐったささえも、心地よい。

 抱きしめ、髪を撫で、背中を叩く。そうしているうちに、善治郎の腕の中でアウラはスースーと寝息を立て始める。

「相変わらず、寝付きが良いなあ……」

 窓から差し込む星明かりの下、照らし出される愛妻の赤い頭髪を手で梳くように何度も撫でながら、善治郎は微笑んだ。

 左腕をアウラの首の下に差し込んだまま、善治郎は少し上体を起こし考える。

 アウラの言葉を信じて良いのなら、今夜の立食会は、それなりに無難に乗りきることが出来たようだ。

「やたら疲れたけど、俺にとっても有意義な時間だったかもしれないな」

 立食会で向けられた貴族達の視線を思い出し、善治郎はポツリと呟く。

 異世界から現れた女王の婿に向けられる視線は、お世辞にも心地よいモノではなかった。大多数は、値踏むような好奇の視線だったが、善治郎がプジョル将軍に向かって「戦場では何の力にもなれない、非力な存在だ」と明言したときには、あからさまに失望や侮蔑の視線を向けてきた者もいた。

 それが当たり前なのだ。どれだけ後宮に引きこもっていても、どれだけアウラの足を引っ張らないように言動に気をつけていても、善治郎の事を疎ましく思う人間は絶対にいる。

「問題は、嫌われないように振る舞うことが最善ではない、ってことだよな」

 善治郎はあくまでアウラの伴侶であり、アウラの味方であり、アウラと運命を共にする者である。女王の伴侶として相応しくない、と思われるほど評判を下げるのはもってのほかだが、あまり評判を上げるのも考え物だ。

 元々妻が夫より前に立つことに忌避感が強いこの国で、下手に善治郎が『有能』だと勘違いされてしまうと、アウラの足場を揺らがせることになってしまう。

 理想は、『人畜無害で子作り以外の能はないが、最低限公的な場に出ても国の恥をさらさないだけの知識と教養を持った人物』、と思ってもらえることだ。

 なんとも、さじ加減の難しい話だが、その程度の苦労は矢面に立って国政を切り盛りしている愛妻の苦労と比べれば、微々たるものだ。その程度の労苦を厭うようでは、アウラの伴侶として横に立つ資格はない。

 もっとも所詮は、二流大学を出て中小企業のサラリーマンをやっていただけの自分が、『有能』と勘違いされるような成果を上げられるとは、善治郎自身は思っていないが。

「アウラ……」

 善治郎は改めて、自分の腕の中で寝息を立てる愛妻の寝顔を見る。無防備と言っても良いくらいに、穏やかな表情で眠るその様子に、善治郎はアウラの自分に向ける信頼が深まってきたという実感を覚える。

 最初に婚姻があり、そのすぐ後に身体を重ね、それからお互いのことを知り、愛情と信頼を高めていく。恋愛結婚になれている現代日本人の目には奇異に映る順序かも知れないが、お見合い結婚の一種と考えれば、むしろ理想的に事が進んでいると言っても良い流れだ。

 もっとも、アウラに一目惚れしたのに近い善治郎にとっては、恋愛結婚と言っても間違いではない。

「アウラ……」

 善治郎は、いい加減痺れてきた左腕を、アウラの首の下からそっと抜き取った。

「ん……んん……やあ……」

 その拍子にアウラは、むずがるように寝息を立てたが、目を醒ますまでには至らなかったようだ。
 ホッと安堵の溜息をついた善治郎は、腕を抜いた拍子に乱れたアウラの長髪を手で丁寧にすくい上げ、枕より上にそっと押し上げる。

「……俺も寝るか」

 そして、横向きに眠るアウラと顔と顔が向き合うように、身体を横たえると、眠気が来るまでじっと静かに目を瞑り続けるのだった。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ