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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

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第三章5【一番穏やかな時間】

 善治郎がオクタビアの教育を受けるようになって数日後。

 一足先に公務に向かった愛妻を見送った善治郎は、オクタビアの授業までの隙間時間を、パソコンに向かい、有効利用していた。

 パソコンで再生している動画は、アウラに協力してもらって作製した、善治郎用の教養・マナー講座である。

 デジカメの動画機能で録画した音声には『言霊』が働かないという問題点があったのだが、ちょっと考えて見れば、その解決方法は極めて簡単であった。

 アウラが説明した内容を、その場でそっくりそのまま、善治郎が日本語でオウム返しに繰り返せば良いのである。

『Cuando se invito al baile; a un companero que baila primero uno el pedazo y ultimo uno el pedazo……』

『ええと、ダンスパーティに招かれた時は、最初と最後の一曲を踊る相手に……』

 パソコンで再生される画像からは、聞き取れない現地語で話すアウラの声に遅れて、日本語で話す自分の声が聞こえてくる。
 機械で再生された自分の声を聞くというのは、あまり気持ちの良いものではないのだが、利用価値が高いのは間違いない。

 そうして善治郎が、パソコンで教養・マナーの復習をしていると、入り口のドアがノックされる。

『失礼します、ゼンジロウ様。オクタビア様がおいでになりました』

「ッ、わかった、すぐ行く」

 侍女の声に、善治郎はパソコンの電源を切り立ち上がった。パソコン、腕時計、携帯電話と正確な時計を複数持っている善治郎であるが、分単位で時間を守るのが善治郎一人のため、細かな時間を気にする意味はあまりない。

「よっし、それじゃ行きますか」

 善治郎がドアを開けて廊下に出る。そこには見慣れた金髪の侍女が丁寧に頭を下げていた。
 最初は、かなり戸惑っていた善治郎も、今ではある程度使用人達の慇懃な態度にも慣れてきている。

「ご苦労様。それじゃ掃除よろしく」

「はい、畏まりました」

 善治郎の意図をくみ、可能な限り善治郎がいる部屋には入ってこない侍女達を、善治郎は『ホテルの従業員』のように捉えることで、適切な距離を計っている。

 善治郎の言葉や態度は、後宮の主としては少々気安すぎるのだが、流石に『自宅』とも言うべきこの後宮まで、取り繕った態度をとり続けるのは、無理がある。幸い、後宮の使用人達はアウラが厳選した信頼の置ける口の堅い人間達だ。ある程度、砕けた態度を取っても、問題はないだろう。

(昨日の復習は一通り済ませたから、なんとか午前中のうちに教養とマナーの講義を終わらせたいな。そうすれば、昼休み明けから夜までの時間を魔法の講義に当てることが出来るしな。ああ、昼休みは三時間以上あるんだから、アウラと合流できればそこで魔法の予習復習も済ませておくか。その方が、午後の魔法講義もはかどるだろ)

 そうやって今日の予定をきっちりと効率的に立てながら、善治郎は行く。

 隙間時間を復習にあて、授業の内容を前倒し。昼の休み時間に午後の魔法講義の予習も済ませて、さらに効率化を図る。

 やはり、二十四年間培ってきた『勤勉』と『真面目』を美徳とする価値観は、今更書き換えようがないのだろうか。
 善治郎は、ヒモ志願者であった自分を一時的に忘れたかのように、与えられた責務を『可能な限り効率的に果たす』よう、計画を立てていた。





 善治郎がオクタビアの講義を受けている間に、侍女達は善治郎が普段使っているメインルームと寝室の清掃に取りかかっていた。
 王宮付きの侍女として、恥ずかしくないだけの高いスキルもを持つ彼女たちであるが、ここの掃除は他とはちょっと勝手が違う。

「分かっていますね? ゼンジロウ様の私物は原則から拭き、水拭きは厳禁ですよ」

「はい!」

 掃除担当侍女の全体責任者らしい、上品な中年女性の声に、若い侍女達は溌剌とした返事を返す。

 侍女達全員に、電化製品の詳しい取り扱い方を教えるのは無理がある。そう、悟った善治郎は、あらかじめ侍女達に「掃除はから拭きだけで十分。水拭きは辞めて」と伝えていた。

 実際には、水拭きが危険な部位は全体の一部なのだろうが、それをいちいち侍女達に教えるくらいならば、自分でやった方が早いというのが、善治郎の感想である。

 自らも手を動かしながら全体の動きを見張っていた中年の侍女は、テキパキと掃除を続けている風に見える若い侍女達三人組をジロリと睨み、大きな声を上げる。

「そこ! テーブルの前だけ、何人がかりで掃除をしているのです!? そこは一人で十分です。すぐに終わらせなさい!」

 中年侍女の叱責に、パソコンが設置されたテーブルを丁寧に拭いていた三人は、ビクッと首をすくめる。
 そこは、つい先ほどまで善治郎が座っていた場所である。つまり、稼働中の扇風機と、まだ溶けきっていない氷塊が置いてある場所だ。

 冷凍室の中では、すでに金だらいで次の氷塊を作っている最中だ。善治郎が戻ってくる昼休みまでには、完成していることだろう。そのため、善治郎はこの使いかけの氷は、侍女達が好きに使っても良いと許可をしていた。
 ついでに言えば、冷蔵庫の中で冷やしているタオルも、分別を守った範囲であれば、使用を許可している。
 周りにいる侍女達がこまめに汗をぬぐうのは、善治郎の環境を快適に保つ上でも意味のあることである。

「いくらゼンジロウ様が、残りの氷は好きにして良いと仰っても、それは仕事をちゃんとやった上でのお話です。仕事をさぼって主の道具を使い涼を取るなど、言語道断です」

 中年侍女はそう言うと、無情にも部屋の木戸を開け放つ。

 途端に窓は、ムッとするような熱風が部屋の中へと吹き込んできた。

「きゃっ!?」

「やだ、もうちょっとだけ」

「ああ、氷が、私の氷が溶けちゃう……」

 途端に掃除の振りをして、冷風を満喫していた侍女三人は、大げさなリアクションで嘆き悲しんでみせる。

 午前中は比較的過ごしやすいとは言っても、それでも気温は辛うじて体温よりは低い程度だ。

 悲鳴を上げる侍女三人に、中年の侍女は年を取ってまだ細いままの腰に両拳をあててプリプリと怒る。

「何時までもふざけているのではありません。日の光にさらさないと、汚れている場所が見えないでしょう。スタンドの灯りを消しなさい。消し方は分かっていますね?」

 有無を言わさぬ中年侍女の言葉に、若い侍女達は諦めたように仕事に戻る。

「はい」

「それじゃ、私はあっちの絨毯をぞうきんがけするわ」

「ああ、氷、私の愛しい氷……」

 どうにか仕事に戻った問題児三人組を見守り、中年侍女はホッと溜息をついた。

「まったく、この子達は。ちょっと眼を離すと、たがが緩むのだから」

 後宮勤めを仰せつかった当初は、彼女たちも緊張で身をガチガチに強張らせ、異世界から来たという主の不評を買わないよう細心の注意を払っていたのだ。
 しかし、いざ蓋を開けてみると、女王の婿という人物は、拍子抜けするくらいに手の掛からない主だった。
 我が儘は言わない。多少のミスは笑って許す。そもそも、滅多なことでは侍女を呼びつけない。おかげで、若い侍女達は一月もしないうちにこの様だ。

 この三人は、中でも特に「緩い」部類だが、同様の懸念は若い侍女全体に言えることである。

「ほんと、嘆かわしい。これが、栄えある後宮勤めの侍女達だなんて」

 中年侍女は、革張りのソファーを手際よく雑巾でふきながら、ぶつぶつと不満の声を漏らしていた。




 メインルームの掃除が終われば、次はベッドルームである。

「うわあ……」

「昨日もか……」

「陛下達、仲良しさんだねぇ」

 善治郎とアウラの寝室に入った侍女達は、毎日の事ながら、ベッドから立ちこめる匂いに、微妙に引きつった笑いを浮かべていた。

 ベッドのシーツ。横の籠に入れてある、昨夜使用した夜着や下着。そこから漂う匂いが、昨晩も女王陛下とその婿殿が、この部屋で思い切り仲良く過ごしたことを物語っている。

「結構なことです。この様子でしたら、早ければ来年にもお世継ぎが期待できるかも知れませんね」

 一方、中年の侍女は一人そう言って満足げに頷いている。
 確かに、王国の一国民としては、女王と婿の仲がよいことは嬉しいのだが、己の美貌にある程度自負のある、若い侍女達にとっては少々複雑な感情もある。

 南国であるカープァ王国の侍女服は、北部諸国のそれと比べて随分と薄着だ。
 明るいブルーのスカートは膝丈くらいまでしかないし、腕は完全なノースリーブである。流石にバストやウエストラインがはっきりでるような、無駄に扇情的な作りはしていないが、若い侍女が着れば結構魅力的に見えるはずなのである。

 それなのに、彼女たちの主は、今日まで彼女たちに指一本触れようとしてこない。
 よほど女に淡泊な質なのだとすればまだ納得もいくのだが、女王陛下との夜の営みにはこの上なく積極的であるという『物証』が毎朝寝室に転がっている。

 別段、女王の婿の『お手つき』になることを望んでいるわけではないのだが、こうも水を向けられないと、少し女としてのプライドが傷つく。

「ほら、あまり時間がありませんよ。手早く、済ませましょう。シーツを交換して。汚れた夜着を洗濯に回して、洗濯を終えたものを衣装箱に戻しなさい」

「はい」

「分かりました」

「ふー、寝室はちょっと涼しい……」

 メインルームと比べれば、寝室は狭い上にものも少ない。洗濯物やシーツの交換の時間を合わせても、寝室の手入れはメインルームのそれの半分以下だ。

 侍女達は慣れた手つきで、己の職務を果たすのだった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆





 その日の午後。今日もオクタビア先生との味わう余裕のない昼食会を済ませた善治郎は、午前中のうちに綺麗に清掃を終えた後宮のメインルームで、アウラと安らぎの時を過ごしていた。

 まだ昼と言うこともあり、二人が持つグラスに入っているのは酒類ではなく、氷を浮かべた水や果実の絞り汁だ。

 善治郎は講義で、アウラは政務で疲れた頭を休めるように、二人は寄り添うようにソファーに座り、テレビを見ている。
 テレビから流れてくる音声は、当然ながら日本語で、言霊も働かない以上アウラには理解不能であるはずなのだが、現在二人が見ている画像には、音声はあまり関係ない。

 しばらく黙って画面を見ていた後、「よし、分かった!」と声を上げたのは、アウラの方だった。

「嘘、また? 言うなよ、絶対言うなよ!」

 先を越された善治郎は、悔しそうに驚きの声を上げると、食い入るように画面に映る風景写真に見入る。

 その写真のどこか一部が徐々に変化しているはずなのだ。それを制限時間内に当てるというのがこのゲームの趣旨なのだが、今のところ持ち込んだ善治郎よりも、今日はじめてやるアウラの方が遙かに勝率が高い。
 やはり、観察力と注意力の差だろうか。

「うむ、言わぬ、言わぬ。画面右端に映っておる薄紅色の花は、今が見頃だろうなあ」

「うわああ! アウラ、お前、性格悪ッ!」

 ゲームを楽しむ二人の顔には、外では見せないリラックスした表情が浮かんでいた。





 その後。テレビとゲームの電源を切り、静かになったメインルームでアウラは氷水を入れたグラスを傾けながら、隣に座る善治郎に声を掛ける。

「で、講義の進み具合はどうだ? 昨夜の話では、そろそろ教養とマナーに関しては合格点がもらえそうだとの話であったが」

 アウラの問いに、善治郎は満足げに頷き答える。

「ああ、一応午前の講義でその辺りは、合格をもらったよ。まあ、最低限外に出ても恥をかかないってレベルらしいけど」

「ほう、それは良かった。では、午後の講義は魔法のみか」

 アウラは笑顔でそう答えつつ、内心思う。

 相変わらず、この婿殿は勤勉だ。本人にはその自覚がないようだが、与えられた任務に対し、己の力量が及ぶ範囲で最善の結果を出すことを、当然と考えている節がある。

 アウラの部下にもこの手のタイプは何人かいるが、実はこういった人間を使いこなすのは意外と難しい。努力を惜しまないので、使い勝手はよいのだが、弱音を吐くのが下手なため、上役が上手に仕事を割り振ってやらないと、壊れるまで一人で仕事を抱え込んでしまう悪癖があるのだ。

 そんな妻の内心を知らない善治郎は、笑顔で言う。

「うん、そうなんだ。だから、今のうちにちょっと、魔法について教えてもらえるかな? 確か、魔法の一番ネックとなるのは、効果の持続性が極端に低いって事なんだよね? で、その弱点を最初から克服しているのが双王国の『付与魔法』と、俺達カープァ王家の『時空魔法』だって聞いたんだけど、それってつまり、時空魔法はその名の通り、空間だけじゃなくて時間にも作用するってこと?」

 早速、午後の授業の予習を始める婿殿に、アウラは苦笑を隠さずに言葉を返す。

「こらこら、講義の話は講義が始まってからにせよ。今、お前の横にいるのは、教師であるオクタビアではなく、妻である私だ」

 教養とマナーに関して、最低限の合格点をもらったと言うことは、いよいよ善治郎も公務や大規模な社交界に姿を現す事になると言うことだ。今後はもっと忙しくなると言うのに、今からそんなに頑張り続けていては、長く持たない。

「あー、うん、そーだね。うん、そーだった」

 右腕に押しつけられる柔らかい愛妻の肢体に、眉尻を下げた善治郎の頭の中から、昼間のうちに確認しておこうと思っていた魔法に関する疑問点が、スルリと抜けて行く。

 隣り合って座るアウラは、善治郎の右肩に顔を乗せ、善治郎は背中から回した腕でアウラの肩を抱き、グッと抱き寄せる。

「スウ……」

「ふむ、寝たか……」

 夫が眠りについたのを確認した女王は、小さく笑うと静かに寝息を立てる夫の腰に腕を回し、自らも目をつむる。

「クー……」

 やがて、女王夫婦は身を寄せ合ったまま、睦合いで不足している夜の睡眠時間を取り戻すように、そろって寝息を立て始める。

 女王の婿、ゼンジロウの社交界デビュー数日前。善治郎は、まだ穏やかな時間を過ごしていた。  
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