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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

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第三章3【家庭教師は美貌の貴婦人】

 その日、後宮はちょっとした緊張感に包まれていた。

 これまでは善治郎と女王アウラの他には後宮で働く使用人しか存在しなかったその閉鎖空間に、今日初めて部外者が足を踏み入れるのだ。

 善治郎は、後宮の一室でソファーに深く腰を掛け、何度目になるか分からない深呼吸をする。

(しかし、家庭教師ね。この年で今更、勉強し直すとは思わなかったな。いや、社会人になってからも勉強はあったけどさ)

 社会人時代、それなりに外回りも経験している善治郎は、特別初対面の人間を苦手としているわけではないが、自分が『上』の立場で対応するのは初めてである。

 外部の人間に、善治郎が持ってきた電化製品を見せるわけにはいかないので、この部屋はごく一般的な後宮の一室だ。氷扇風機の恩恵を受けられない室温の高さに、善治郎はしきりに汗を流し、先ほどから黒砂糖と塩を適量に混ぜた水で水分を補給している。

(敬語は使っちゃ駄目、向こうが名乗るまでこっちは名乗らない。でも、極端に無礼と取られる言葉遣いや態度も厳禁、と。難しいな、マジで)

 善治郎が頭の中で、これまでアウラに教えられてきた基礎的な受け答えを思い出している間に、その時はやってきた。

『失礼します。オクタビア様をお連れしました』

「ッ、通せ」

 一度咳払いをしてから、善治郎は日頃あまり使わない命令口調でそう言った。一瞬サラリーマン時代の癖で、入り口まで出迎えに行きそうになったが、腰を浮かせたところで間違いに気づき、ソファーから立ち上がった体勢で、待つ。
 次の瞬間、ガチャリと音を立てて、入り口のドアが開き、一人の淑女が入室してきた。

「お初にお目に掛かります、ゼンジロウ様。カープァ王国マルケス伯爵領領主、マヌエル・マルケス伯爵が妻、オクタビアと申します。此度はゼンジロウ様の教師という大役を仰せつかり、光栄に存じます。無学、非才の身ではありますが、全力を尽くす所存です」

 淑女は耳に心地よい柔らかな声色でそう言うと、深々と頭を下げた。

(へー、無学、非才ってこの国でも『謙遜』の美徳はあるんだな)

『謙遜』は地球でも国によっては通用しない地域があると何かで読んだことのある善治郎は、そんな感想を抱きながら、精一杯威厳のある声を装い、命ずる。

「面を上げよ」

「はい」

 淑女――オクタビアは頭を下げたときと同様、流れるような仕草で頭を上げた。
 善治郎は、オクタビアの顔を目の当たりにする。

(なるほど、これがこの国で『貴婦人の鏡』と呼ばれる人か。確かに、そう言われるだけのことはあるな)

 華奢、清楚、貞淑。オクタビアの顔を見た善治郎の頭にそんな単語が唐突に浮かぶ。
 背はあまり大きくない。善治郎から見て『普通』の高さに目線があるのだから、恐らく百六十センチぐらいだろう。
 だが、肩幅が狭く、なで肩であるため、実際の身長以上に華奢で小柄なイメージがある。
 艶やかに光る真っ直ぐな黒髪。日本人でもめったにいないような漆黒の瞳。そして、そんな髪や目の色とは反するように、南国人にしては色素の薄い、クリーム色に近い小麦色の肌。
 鼻は高いが、全体的に顔の掘りも浅く、「日に焼けた日本人」といえば、そのまま通りそうな感じだ。
 もっとも、現代日本でこれほどの美人にお目に掛かりたければ、モデルや芸能人の事務所にいかないとまず無理だろうが。

「ゼンジロウだ。アウラ女王陛下の夫である。今後、どれほどの付き合いになるかは分からぬが、よい関係を築きたいものだ」

「はい。私めごときには、勿体ないお言葉です」

 善治郎が、必死に頭の中で考えたセリフを読み上げると、オクタビアは殊勝に頭を下げる。
 この、下手に出ていけない相手との会話というのは、予想以上に善治郎の精神を疲れさせる。 

「では、マルケス夫人の指導方針から聞こうか。座れ」

 思わず、善治郎は昨日のうちに頭の中で用意していた段取りをすっ飛ばし、オクタビアに着席を促した。

「? ッ、はい、失礼します」

 善治郎の言葉に、一瞬驚きの表情を浮かべたオクタビアであったが、すぐに自分が何のためにここに呼ばれたのかを思い出し、素直にソファーに腰を下ろした。
 オクタビアが腰を下ろしたのを見届けた後、善治郎もゆっくりとソファーに尻を戻した。





 テーブルを挟み、向かい会うようにしてソファーに座る善治郎は、オクタビアから今後どのような方針・方法で常識・マナー・魔術について学ぶのか、一通り説明を受けた。

「つまり、原則お前は私に歴史や魔術について教える。その際、私の態度にマナーや常識から外れている点があれば、その都度指摘する。そう言うことか?」

 頭の中で言われた内容を纏めて口にする善治郎に、オクタビアは柔らかに微笑み返す。

「はい、常識やマナーというのは、口頭で伝えてもなかなか身につくものではございません。ゼンジロウ様はすでに、大枠での振る舞い方はご理解されているようですので、そうするのが得策かと存じます」

「そして、今後は昼食もお前と一緒に取る?」

「はい、会食という場は、常識、マナーが凝縮された空間です。この二つを身につけるのは、最適であると考えました」

 なるほど。言っていることは確かに筋が通っている。マナーというのはいくら口頭で言い聞かされても、身には付かないものだ。
 やってみて、間違えて、指摘を受ける度に、磨いていく。時間は掛かるが、それが最適なのかも知れない。
 ただ、今後常識とマナーの先生に見守られながら毎日昼食を取ると思うと、いささかウンザリする。

 少なくとも、ここ数日アウラと過ごしていたような、心弾む楽しい一時にはならないだろう。

「わかった。お前がそれが最善だというのならば、こちらとしても否はない。そのように取りはからえ」

 善治郎の言葉に、オクタビアは柔らかく笑い、頭を下げた。

「ありがとうございます。では、早速ですが、先ほどゼンジロウ様は、私が入室したとき、ソファーから立って私を迎えてくださいましたね?」 

「あっ」

 早速の駄目出しに、善治郎は思わず素の声を上げる。

 オクタビアは、非難がましい口調にならないよう、細心の注意を払い言う。

「私ごときに丁寧な対応を取って頂き、非常に恐縮なのですが、ゼンジロウ様のお立場であのような行動を取りますと、『軽く見られる』恐れがあります。原則、ゼンジロウ様が立って迎えなければならないのは、国内ではアウラ陛下ただお一人です。
 国外の王族でも、王その人か第一位王位継承者以外には、あそこまで丁寧な対応をされる必要はありません。

 また、ゼンジロウ様は自分が立ったまま、私に席を進めて下さいましたが、これも身に余るご厚意です。常識やマナーは時と状況で変化しますので、決めつけるのは禁物ですが、もう少し腰を落ち着けた対応が、王族には望まれます」

「分かった。以後気をつけよう」

 表面を取り繕い、頷く善治郎であったが、内心は冷や汗をダクダク垂らしていた。

(やばい、気をつけていたつもりなのに、まだサラリーマン時代の癖が出てたか)

 サラリーマンであれば、商談に招いた客が席に着くまで自分は腰を下ろさないのが、常識だ。一度身につけてしまった、癖を矯正するのは、思った以上に難しそうだ。

 善治郎の内心を見抜いたのか、オクタビアは慰めるようににっこりと笑うと、落ち着いた声で次の話へ移行する。

「それでは、今日はまず、魔術の基礎についてご説明させて頂きます。不明な点、疑問な点がございましたら、なんでも仰って下さい。私の知識で分かる範囲で、お答えします」

「うむ、よろしく頼む」

「……ゼンジロウ様。その、頼むというのは」

「そ、そうだな。ええと……発言を許す、説明を始めよ」

 早速やらかした善治郎は、ごまかすように咳払いをすると、言い直す。

 今度は、合格だったらしく、オクタビアは小さく頭を下げると、耳の心地よい声で、丁寧に説明を始めた。

「では、最初に魔術の基礎からご説明させて頂きます。魔術とは、大きく二種類に大別できます。一つは、大小はあれども万人が操ることの出来る、『四大魔術』。もう一つは、特殊な血筋の方々のみが使用できる『血統魔術』です」

「四大というのは、地水火風で、血統というのは『時空魔法』とかのことか?」

 途中で口を挟む善治郎の態度に、オクタビアは気を悪くするそぶりも見せず、笑顔でこっくりと頷き返す。

「はい、その通りです。ただし、『血統魔術』は特定の血筋の方以外には使えないという点を除けば、その基礎となる部分は四大魔術となんら変わりません。

 魔術の発動に必要な条件は三つ。『正しい発音』と『正しい認識』、そして『正しい魔力量』です」

「発音と、認識と、魔力量?」

 ちょっと聞きには、よくゲームや本で出てくる魔法その物にも聞こえるが、具体的には分からない。
 善治郎の様子から、正しく理解できていないことを悟った美貌の家庭教師は、具体例を挙げて説明を始める。

「まず、魔術にはそれ専用の言語がございます。世間では安直に『魔術語』と呼ばれる言語なのですが、この言語を使用しなければ、魔術は発動しません。ご覧下さい」

 そう言って、オクタビアはピンと右手の人差し指を立てる。そして、

『中空に散らばる見えざる水は、この指先に集い、球形を取れ。その代償として我は、水霊に魔力十八を捧げる』

 そう善治郎の耳には聞こえた次の瞬間、オクタビアの指先に、丸い透明な水滴が浮かんだ。

「ツッ!?」

 その現象に驚く暇もなく、善治郎は頭を押させる。

(なんだ今のは? オクタビアさんがちょっと口を開いたら、滅茶苦茶長い言葉がこっちの耳に届いたぞ?)

 誓っても良いが、今オクタビアは、あんな長文を読み上げるほど、長く口を開けてはいなかった。
 なにが起きたのか分からないでいる善治郎に、オクタビアは指先に作った水滴を先ほど飲み干したお茶のカップに入れると、深々と頭を下げる。

「申し訳ありません、ゼンジロウ様。今のは私が浅慮でした。魔術語は、僅かな音の強弱、アクセント、音節の切り方で、意味が変化する非常に難しい言語なのですが、その代わりに短い音に非常に多くの意味を込めることが出来るのです。

 そのため、初めて魔術語を耳にした方は、短音に含まれる多くの情報量に不快感を覚えることがあることを、失念しておりました。重ねてお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした」

 オクタビアは、そう言って白いうなじが見えるほど、深々と頭を下げた。

 善治郎は、軽く頭を振って応える。

「今の話が本当であれば、どのみち魔術を習う際には、避けられない事態だったのだろう。最初の説明がなかったのは、確かにお前の落ち度だが、それは謝罪すればすむ程度の問題だ。
 説明を続けよ」

 謝罪を受け入れた善治郎に、オクタビアは恐縮したように応える。

「寛大なお言葉、ありがとうございます。以後、この様なことがないように、細心の注意を払います」

「うむ」

 善治郎は、大げさに礼を言う貴婦人に戸惑いを覚えたが、どうにか表情には出さず、鷹揚な答えを返す。

 確かにこれは、オクタビアが軽率といえば軽率だが、少々彼女が気の毒な面もある。

 元々、言霊の存在が一般的であるこの世界では、音の量と耳の届く情報量が異なっていることに違和感を覚える人間は少ない。まして、頭に衝撃を覚えるほど鋭敏な感覚を持っている者は本当に希だ。そう言う意味では、オクタビアも善治郎も運が悪かった、と言える。

「では、説明を続けます。今私は、『正しい発音』を『正しい認識』で持って唱え、『正しい魔力量』を注いだ結果、『水球作製』の魔術が発動したのです。では、これから、今上げた三つを意図的に間違えて見せます」

 オクタビアはそう言うと、また右手の人差し指をピンと建て、呪文を唱える。

『ウルムグォ』

 善治郎の耳に、全く意味の分からない短い呪文が聞こえる。しかし、呪文は発動しない。

「今、私はわざとほんの少しだけ発音を間違えました。それだけで意味が成立せず、呪文は発動しません。では、今度は正しい発音で、間違った認識の呪文を唱えてます」

 そう言ってオクタビアは、先ほど同様、ほんの少しだけ口を開き、短く言葉を口にする。

『中空に散らばる見えざる水は、この指先に集い、球形をとれ。その代償として我は、水霊に魔力十八を捧げる』

 すると、今度は最初に呪文が成功したときと同様、善治郎の耳は意味のある長文が聞こえてきたが、オクタビアの指先に水滴は現れない。

「今、私は正しく呪文を唱えながら、心の中では別な呪文が発動する様を想像していました。結果はごらんの通りです。では最後に、今度は、発音と認識を正しく行い、込める魔力量を意図的に間違えてみます」

『中空に散らばる見えざる水は、この指先に集い、球形を取れ。その代償として我は、水霊に魔力十八を捧げる』

 本日四度目になる『水球作製』の呪文は、正しく善治郎の耳にその意味を伝える。だが、やはり、効果は現れない。
 オクタビアは不思議そうにこちらを見る善治郎に、小さく笑って説明する。

「今私は、『十八』の魔力を捧げる、と魔術語で言いながら、あえて『十九』の魔力を込めました。結果呪文の発動は失敗です」

 その言葉に、それまでは一応納得して聞いていた善治郎が、驚きの声を上げる。

「ちょっと待って、多すぎても駄目なの、か?」

 とっさに、口調を取り繕うのを忘れかけた善治郎の問いに、オクタビアは頷き答える。

「はい。多すぎても、少なすぎても、魔法発動しません。これが、魔力消費量の多い大魔術の場合、多少の違いは誤差として見逃されるのですが、細やかな魔術ほど込める魔力の最適量は厳密です。
 そのため、大魔力を持つ魔術師は、多くの場合、私が今唱えたような細やかな魔術を苦手としています。もっとも、筆頭宮廷魔術師のエスピリディオン様のように、例外はいくらでもいますが」

 説明を受ければ納得のいく話ではある。二百㎜のペットボトルを傾けて、コップにすり切れ一杯まで水を満たすのと、十リットルのポリタンクを傾けて、コップにすり切れ一杯まで水を満たすのでは、どちらが簡単かは考えるまでもない。

 頭の冷静な部分でオクタビアの言葉を理解しながら、善治郎は半ば呆然と説明を聞き流していた。

 善治郎としては、魔術が使えると言うことにかなりドキドキワクワクしていたのだ。
 しかし、自分のような大魔力を持つ人間は、細やかな魔術には向かないのだとすると、基本的に後宮から出ることない自分は、まともに魔術を使う機会はほとんどないのではないだろうか?

「それは、下手に大魔力を持つと、一般的な魔術の習得にはかえって向かない、ということか」

「はい。事実、アウラ陛下は、時空魔法以外は、火系統の戦場用広域殲滅魔法しか使えないと聞いております。

 もっとも、そう言った大魔術は、込める魔力が多いだけでなく、呪文も極端に長いので、正確に発音出来るようになるまで、一つ習得するのに半年以上も時間をかけたという例も珍しくないようです」

 聞けば聞くほど、善治郎が魔法を使えるようになる日は遠そうだ。

「では、率直に聞くが、今日から学び初めて、私が魔法を発動できるようになるまで、どれくらい掛かる?」

 いつの間にか、教養やマナーの勉強が主題であることを忘れ、善治郎はオクタビアにそう問う。
 オクタビアは、善治郎が何を望んでいるのか鋭敏に察したが、教師役を引き受けた身として、嘘をつくわけにもいかず、華奢な身を縮こませ、首をすくめて応える。

「それは、その……正確に魔力を込めるには、まず己の魔力を自覚して、それを自在に操作できるようになる必要があります。通常、魔力を自覚できるようになるまで二年、その操作に一年が相場とされております」

「……三年」

 呻くように言葉を漏らす善治郎に、オクタビアは慌ててフォローする。

「あ、でも、そこを過ぎれば、あとは比較的簡単です。正しい発音を覚えて、正しい効果を鮮明に脳裏に描いて、正確に魔力を込めるだけですから。簡単な呪文なら一日で使えるようになります」

 その簡単な呪文が、大魔力を持つ善治郎には不向きだと先ほど言ったばかりであることを思いだしたのか、途中で言葉に勢いをなくしたオクタビアは、申し訳なさそうに上目遣いで善治郎を見る。
 その目線が、善治郎の頭を冷やしてくれた。
 考えて見れば、そもそも自分が魔術を覚える必要はないのだ。ただ、大魔力を持つ王族のたしなみとして『覚えておいた方が良い』というだけなのだから、習得に三年、五年と時間が掛かっても問題はない。

(どのみち、魔法を覚えても、俺の生活に役立つことはなさそうだしな)

 この時点では、自分の血統に流れる特殊魔法『時空魔法』の可能性を知らされていない善治郎は、安易にそう魔法の可能性を切って捨てる。 

「分かった。では、ゆっくり焦らずにやっていこう。よく、指導してくれ、オクタビア」

「はい、お任せ下さい、ゼンジロウ様」

 どうしたのか分からないが、短い時間で立ち直った女王の伴侶に、美貌の女家庭教師は、誠意を籠もった言葉と、柔らかな笑みで応えるのだった。
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