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理想のヒモ生活 作者:渡辺 恒彦

一年目

19/94

第三章2【女王の思惑】

 その日の午後、自分とファビオ秘書官の二人しかいない執務室で、アウラは昼休みに善治郎から譲り受けたコピー用紙の束を取りだした。

ファビオ秘書官は鉄面皮を保ったまま、ピクリと片眉だけ跳ね上げる。

「陛下、これは?」

「昨年の主立った貴族の税収書だ。婿殿の国政に対する理解を知る指針とするため、『文字を覚える資料』という名目で目を通して頂いたのだが、数日でほぼ完璧に再計算を済ませ、数値の不備を漏れなく指摘してくれた」

「……ほう」

 アウラの言葉に、細面の秘書官の目に、警戒の色が滲む。
 相変わらず、善四郎に対する警戒を解かないファビオ秘書官に、アウラは苦笑を隠さず言う。

「相変わらず、お前は婿殿に対する警戒を解かないのだな。婿殿には、お前が警戒するような野心はないと思うぞ」

 アウラ言葉に秘書官は素直に同意を示しつつ、それでもかたくなに答える。

「はい、その意見には私も同意します。この一月のゼンジロウ様の言動から判断しますに、あの方が政治的野心を持っている可能性は低いでしょう。しかし、それはあくまで低いのであって、無いと言い切れる根拠はありません。

 なにより、あの方の知性・教養を知れば、その野心の無さがあまりにアンバランスです。この一月の態度がよくできた擬態である可能性は無視できません」

 ファビオの目には、善治郎は極めて不自然な存在に見える。
 平民であれば、自分の置かれている立場を理解できるはずがない。貴族であれば、能力と立場に応じた野心を持たないはずがない。

 女王の伴侶という立場が、自分と周りにどのような影響を与えるのか。大枠で理解した上でなおかつ、女王の政治権力に傷をつけないよう、細心の配慮を払って振る舞う『男』など、果たしてそのような都合のよい存在がこの世に存在するだろうか?

 まあ、異世界の人間がこちらの常識に当てはまらないのはある意味当然と言えるので、もしかすると向こうの世界には普通に存在しているのかも知れない。
 だが、無害で協力的な振りをして、こっそり爪を研いでいる可能性がゼロではない以上、最低でも誰か一人は警戒し続ける人間が必要だ。

「陛下は、下手に警戒されない方がよろしいでしょう。寝食を共にしている人間に内心を隠し続けるというのは極めて困難ですから。その分、私がゼンジロウ様の言動に気を配っておきます故」

「わかった。苦労をかける、ファビオ」

「はい、陛下の側近となって以来、苦労の日々です」

 女王のねぎらいの言葉を、中年の秘書官は全面的に肯定して返した。

「……普通こういうときは、形だけでも「いえいえ、とんでもございません」とか、「陛下の為とあらばこの程度、苦労の内に入りません」とか、答えるのではないか?」

 口元に苦笑を浮かべるアウラに、ファビオは無表情のまま小さく肩をすくめ、

「事実をそのまま申し上げることが、私の役割であると自認しております」

 そう、堂々と言ってのけるのだった。
 事実、ファビオの耳の痛い直言には、これまで何度も助けられてきたアウラに反論の言葉はない。
 アウラは一つ息を吐くと、話を元に戻す。

「しかし、この数日婿殿世界で使われている『数字』という文字を見せてもらったが、これは便利だな。何らかの形で取り入れることが出来れば、有益ではないかと考えるのだが」

 善治郎がこの世界の文字を覚えると平行して、アウラも善治郎からアラビア数字の読み方と使い方について教わっている。
 当然ながら、文字と言語を丸ごと覚えなければならない善治郎と比べ、0から9までの十の数字とその使い方を覚えるだけでよいアウラは、ずっと早くアラビア数字の使い方をマスターしつつある。

 アラビア数字で筆算を行うのはまだ無理だが、アラビア数字で書かれている数を見て、そこに書かれている数字を理解できるくらいには、すでにその知識を自分の物にしている。

 善治郎から借りてきたこの納税書を見れば、アラビア数字の簡単さは一目瞭然だ。
 一つのたとえとして、同じ数を、アラビア数字と英語で書き比べてみれば、その違いがよく分かるだろう。

 アラビア数字で表せば「2932」とこれだけですむ数を、アルファベットで表記すると「two thousand,nine hundred and thirty-two」と、実にこれだけの長文になってしまう。

 納税書には、この様な数字が何百と記されているのだ。その一つ一つを書き記したり、目を通すのに費やされる時間は誤差の範囲だとしても、それが何百何千と集まれば、そこに生まれる時間の差は膨大なものとなる。読むにしても書くにしても、数字を導入すれば作業は遙かに効率的になるだろうし、善治郎が言っていたとおり、無学な一般庶民にも、「文字は読めないが、数字だけは辛うじて読める」という層が生まれる可能性もある。
 もっとも一般庶民に数勘定ができる層が増えたとして、そのことが国や王家にとってメリットとデメリット、どちらが大きくなるかは、分からない。

 希望的な意見を述べるアウラに、ファビオ秘書官は少し考えた後、答える。

「そうですね。数字が有益な存在であることは同意しますが、いきなり全面的な導入には反対です。現場に大きな混乱を招きますし、いかにアラビア数字というのが簡単に覚えられるものであると言っても、知らないものを一から習得するというのは、それなりの負担です。

 強制的に学ばせようとすれば、程度の大小は分かりませんが、反発は必至でしょう」

「む、そうか。そうだな……」

 ファビオの現実的な意見に、アウラはしばし顎に手をやり考え込んだ。

「ふむ、それならば、まずは数勘定を主としている部署に数字の読み方一覧表を配布し、今後王家が提出する資料は全て、既存の文字表記と数字表記を併記するようにするか。そうして、しばらく様子を見るというのはどうだ?」

「そうするには、最低でも王室付きの事務官達には、強制的に数字を学ばせる必要がありますが?」

 アウラの提案に、ファビオはあくまで冷静に疑問を投げかける。

「駄目か?」

 問い返されたファビオ秘書官はしばし黙考した後、首を縦に振る。

「いえ、それくらいでしたら大丈夫でしょう。早速手配しておきます」

「うむ、よろしく頼む」

 アウラは、満足そうに頷いた。
 一気に導入できないのはもどかしいが、この手のダイナミックな改革は、急ぎすぎると大概失敗するものだ。最悪、今後採用する新人達の初期教育にアラビア数字の習得を混ぜて、「数字を操れる人材は次世代から」、と割り切った方が良いかも知れない。

 当面、数字の導入による効率化は、目に見える形にはならないと思った方が良いだろう。
 即効性のある利益を求めるのならば、数字その物よりも、数字を使って善治郎が計算してくれた、この『納税書』の内容こそが力を発揮する。

「ベルビデス辺境伯に、コルンガ男爵。ダビーノ領主騎士に、ガメス領主騎士。納税額の差異が特に目に余るのはこの辺りか」

 名前を読み上げながら、アウラはペロリと赤い舌で唇を舐める。
 肉食獣の笑みを浮かべる女王に、中年の秘書官は諭すように冷静な声で助言する。

「陛下。例え不正であっても、これまでは見逃されてきた慣例がこざいます。急激に締め付けを強めては、暴発を招きかねません」

「分かっている。いきなり、罪状を突き付けて強攻策にでるような愚行はせんよ。これはあくまで、臭わせて向こうの譲歩を引き出すための材料だ」

 アウラはそう言って、少し苛立たしげに鼻の周りに皺を寄せた。

 人間は面白いもので、例え明文化されている違法行為でも、何十年という長い間、その行為が正当に取り締まられずに放置されていると、自分の違法行為が正当なものであると錯覚することがある。

 そう言う認識の人間を、ある日突然、厳正に法に基づいて処罰しようとすると、「これまでずっと何も言わなかったのに、何でいきなり!」と憤慨するものだ。

 それは感情的な意見であるが、多数意見である場合、配慮を怠ると王といえども手痛い反撃を喰らう事になる。カープァ王国における王と王家の力は、圧倒的な物ではあるが、結託する貴族の力を無視できるほどではない。

「さらに申し上げれば、陛下が今名前を挙げられた方々は、皆先の大戦で武功のある方ばかりです」

「……そうだな。彼等のあげた戦功が、我が国が戦勝国となった理由の一端を担っているのも、事実だ」

 付け加えるファビオ秘書官の言葉を素直に認め、アウラは首を縦に振った。

 現在残っている貴族の大半は、先の大戦を生き延びた面々である。単純に私腹を肥やすために、領民に重税を課したり、王国に払う税をごまかしたりするような無能は、ほとんどいない。そのような無能な王国に寄生するだけの貴族は、戦乱の世で家を守りきれず、たいがい没落している。

 だからこそ、残った貴族達はやっかいなのだ。

 先にアウラが名前を挙げた貴族達は、そうしてごまかした税を自領の軍備にあてたのだ。その兵力が、先の大戦では、国土防衛の一翼を担ったのだから、払わなかった税も回り回って王国のために使われたと言えなくもない。

 しかし、その税が正当に納められていれば、その分もっと円滑に王国軍が編成され、国軍を強化できたのも事実だ。

 軍の効率化のため、国税による王軍の強化をうたう王家と、王軍ではフットワークが重く、自領防衛の役には立たないと、自領軍強化の手を緩めない地方領主。
 どちらも間違っていない分、王家と地方領主の間に摩擦が生じるのは必然とさえ言える。

 そうした脱税行為が黙認され、地方領主の兵力強化が進めば、国内のパワーバランスに大きな支障を来すのは、火を見るより明らかだ。
 最悪でも、地方領主が連合軍を築いて王家に反乱を企てても、王国軍がそれを問題なく鎮圧できる力関係は保っておきたい。

 現状、主立った地方貴族達に、無駄に王家に刃向かうような現実の見えてない人間はいないが、次代、次々代の後継者達も全員有能で目端の利いた人物である保証はない。

「だが、違法行為は違法行為だ。加減はするし、彼等のメンツや名誉を傷つけないよう配慮もするが、それなりの代償は払って貰う」

 きっぱりと言いきるアウラに、ファビオはしばし黙考し、

「それでは、これまでの書類の不備が発覚したと内々に通達し、今後そのような事がないように、彼等の『自主的な協力を要請する』という形で話を持っていくのはいかがでしょう」

 そう、妥協案を提案した。

「まあ、その辺りが妥当な線か。分かった、細かい調整は任せる」

「はっ、了解しました」

 話が一段落したところで、アウラはふと別な話題を振る。

「そういえば、婿殿の家庭教師はどうなった? そろそろ、主だったところは出そろった頃だろう?」

 急なアウラの問いに、ファビオ秘書官は慌てず、肯定の返事を返す。

「はい。自薦三、他薦三十一。その大多数は、高い魔力を持つ、妙齢の未婚女性です」

 魔力の高い、結婚適齢期の未婚女性。あからさまな側室狙いの人選に、アウラは失笑を禁じ得ない。

「やれやれ、こちらの意図に気づかずにやっているのならばタダの無能ですむが、気づいてやっているのならばちょっと厄介だな。私はそこまで舐められているのか?」

 女王の真意を無視して、女王の伴侶に側室候補を送りこむ。血統維持という大義名分があるにせよ、ある意味主君に喧嘩を売っているに等しい。

「舐められていると言うより、それだけゼンジロウ様の側室に息の掛かった者を送りこむことに、リスクを上回る魅力を感じているのでしょう」

 ファビオの言葉に、アウラは不快げに鼻を鳴らす。

「フン、婿殿は側室の背後に踊らされるほど、迂闊な人間では無いと思うのだがな」

「同感ですが、それはゼンジロウ様の実態を知っている我々だからこそ言える感想です」

「まあ、そうだな。となると、やはり、婿殿の家庭教師は、パスクアラお婆様にご足労願うしかないか」

 そう言ってアウラは、身体の凝りをほぐすように、椅子に座ったまま伸びをする。
 そんなアウラに、ファビオ秘書官は珍しく少し口ごもりながら、口を開いた。

「いえ、それなのですが、一人こちらとしても無視できない人物が推薦されております。マルケス伯爵が、ご自身の細君であるオクタビア様を推薦されているのです。
 ご存じでしょうが、オクタビア夫人は貴族女性のかがみとも呼ばれるお方。知識、教養、魔法技術、あらゆる点から見てもケチのつけようがありません。その上、既婚者ですので一応陛下の意思をくんだ形にもなっております」

「あ、あのヒヒ爺ぃ……」

 予想外の展開に、アウラは喉の奥から絞り出すような声を上げた。

 知識と教養があり、魔法にも長けた、既婚女性。一見すると、アウラの意図を統べてくんだ人選である。もっとも、オクタビア夫人という人物が、マルケス伯爵の妻とは言っても後妻であり、現在まだ二十代の前半という若さで、その美しさと控えめで男を立てる人格から、ほんの数年前までは『宮廷の名花』として名をはせた人物であるという事実を無視すれば、の話であるが。

 ちなみに、アウラの元婚約者候補であり、マルケス伯爵の息子であるラファエロ・マルケスは、義理の母に当たるオクタビアよりも一回り年上である。

「まさか、あのヒヒ爺、自分の妻に不倫をけしかけるつもりか?」

 アウラの予想に、ファビオ秘書官は首を横に振る。

「いいえ、これはあくまで私の私見ですが、マルケス伯爵もそこまでは考えていないと思います。ただ、ご存じの通り、オクタビア夫人はこの国の常識に乗っ取った、『理想的な貴族女性』です。ごく自然に男を立て、男の自尊心を擽り、動的な自信を植え付けることに長けている方。

 そういう人物とゼンジロウ様を長時間接触させることで、ゼンジロウ様の積極性を引き出し、陛下とゼンジロウ様の間に亀裂を生じさせようとしているのでは」

 控えめな美人に、褒められ、尊敬の視線を向けられ、おだてられれば、大概の男はいい気になる。「俺だってやればできる」という気分になる。そうして、善治郎の精神状態を誘導し、政治への積極性をわき上がらせることが出来れば、貴族達にとって善治郎は使い勝手のよい、王権に直結するパイプとなる。

 少々、乱暴に例えれば、善治郎を「女王の尻の下から、引きずり出す」ことが目的というわけだ。

 この場合厄介なのは、背後で操るマルケス伯爵の腹は真っ黒でも、矢面に立つオクタビア夫人自身には、一欠片の悪意もないと言う点だ。
 アウラがこれまで聞き及んできたオクタビア夫人の人物像が正しければ、夫人は何の悪意もなく、純粋に『家庭教師』という職務に全力を尽くすはずだ。
 表面上は、善治郎の家庭教師として、最適の人選と言える。

「いかがされますか、陛下? 適当に理由をつけてお断りすることもできますが」

 こちらの真意を探るような、秘書官の不躾な視線に少し不快感を覚えつつも、アウラは首を横に振り、答えるのだった。

「いや、そこまでして伯爵の不評を買うのも得策ではないだろう。どのみち、いずれは婿殿も最低限表に出ることになるのだ。

 あれも駄目、これも駄目という訳にもいくまい。背後に控えるマルケス伯ともかく、オクタビア夫人自体の人格に問題が無いのであれば、むしろ婿殿にとっても益の多い人選と言える。受け入れろ」

「はっ、承知しました。では、そのように手配します」

 アウラの言葉に、ファビオ秘書官は、慇懃な動作で一礼して答えるのだった。
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