岩山
他人から見れば、私も人間嫌いの一人ということになるのかもしれません。東京や大阪のような都会で暮らすことなど想像もつかないし、そうしたいとも思いません。
かといって、田舎の小さな町というのも、あまりぞっとしません。人口が少ないということは、それだけ住民同士の接触が濃くなるということですから。ああしろこうしろと言われないまでも、昨日は何をしていただの、今日はどんな服を着ているだの、興味を持った目で見られること自体が嫌いなのです。
だから私が住まいとして選んだのがここです。ええ、すごい場所でしょう?
見てごらんなさい。黒々とした山脈がどこまでも続き、カミソリの刃のように鋭く割れ、あのあらあらしさは自然のきびしさ、なさけ容赦のなさそのもののようではありませんか。こんな場所に住みたがるのは、私のような変わり者だけでしょうよ。隣家など一軒もなく、一番近い村でも歩いて半日かかりますから。
でもこんな場所にも、いい点はあるのです。何年か前、私の住まいから歩いてさらに何キロか奥地でしたが、金の鉱脈が発見されたのです。狩をしていた男が偶然に見つけたのだそうですが、すぐに鉱山が開かれ、人々が住み着きました。今からお話しするのは、そのころの出来事です。
私はまだ若く、この山中に小さな小屋を建てて、一人で暮らしていたわけです。本当に気楽な毎日でした。人からあれこれとさしずされることもなく、好きなときに寝て、好きな時間に起きる。夜ふかしをする理由もないから、自然に早起きをする習慣がついてしまいますがね。
小屋の背後には岩山がそびえていました。目を覚ましてすぐ、小川へ顔を洗いに出て、それを見上げる瞬間がとても好きでした。黒々とし、頂上がペン先のようにとがった岩山です。
畑を耕したり、薬草を集めたりするのが私の日課でした。畑の作物は自分で食べるためでしたが、薬草は売るためでした。オオカミ草といいまして、岩陰などにときどき生えています。細いヒモのような形の植物で、秋の終わりごろに葉が紫色に変わり、これが虫よけ剤として有効だったのです。
山中を歩き、私はこの薬草を探したものでした。見つけると葉を集めてまわります。これを乾かしたものが薬草です。火をつけると、ぶすぶすと煙を上げて燃えます。その匂いをかぐと、どんな虫もすぐに逃げ出してしまいます。効果が高いので、町では結構な値段のつくものでした。
秋の終わり、もうすぐ冬がやってくるという日のことでしたが、小屋の外からガヤガヤと騒がしい話し声が聞こえてくることに私は気がつきました。窓の外を見ると、見慣れない男たちがいるではありませんか。それも二人や三人ではなく、十人近くです。
いかにも気が荒そうで、うさんくさくて怪しげな連中です。ボスと思われる一人が先頭に立ち、他の連中が後ろにしたがっているところなど、いかにもまっとうでない集団という感じでした。早い話が強盗団というところでしょう。小屋の前を流れる小川に目をつけたようで、しばらく休憩しようとしているように見えました。
ここまで長い距離を歩き続けてきたのでしょう。かついできた荷物を地面に降ろし始めました。その中には銃も見えているではありませんか。私が緊張を感じないわけがありません。すぐに小屋の外へ出ました。
あちらも気がついたようで、ボスが近寄ってきました。肩をいからせ、どすどすという感じです。覆面をしているので顔はわかりませんが、ひどく鋭い目つきではありました。
「おまえはここに一人で住んでいるのか? 他には誰もいないのか?」
ボスは、都会風のなまりのある声で話しかけてきました。もう私にも事情が飲み込めていました。見かけ通りこれは強盗団で、金塊めあてにあの金鉱山を襲うつもりなのでしょう。
どう返事をしようか迷っていると、ボスは繰り返しました。
「おまえは、ここに一人で住んでいるのか?」
私が黙ってうなずくと、ボスはにやりと笑いました。
「オレたちは明日の朝までここで休ませてもらうが、文句はなかろうな」
どう答えてよいかわかりませんでした。もちろん胸の中には怒りが煮えたぎっていました。私は大した人間ではありませんが、少なくともまっとうに生きてきたつもりです。
私は唇をかみしめ、ボスをにらみつけていたに違いありません。相手はにやりと笑い、ふところからピストルを取り出し、ちらりと見せました。古びたものでしたが、よく手入れされているように見えました。戦争が終わって何年もたっているとはいえ、まだまだ市中には残っていたのでしょう。
「文句はねえよな?」
ボスはうれしそうに笑っていました。
私は、再び首を縦に振るしかありませんでした。手の中にも小屋の中にも、武器らしいものは何一つなかったのです。
満足そうな顔で、ボスは私を解放してくれました。
私は小屋の中に戻りましたが、なんとかあの連中に思い知らせてやれないものかと頭をしぼり続けました。そして、あることを思いついたのです。
日が暮れるまで、私は小屋から出ることはできませんでした。彼らはゴザに寝転んで休息していましたが、見張りをつねに私の小屋のそばに立たせていました。
夜になりました。雨戸のすきまから、私は彼らの様子を観察していました。見張りはまだいましたが、私は楽観していました。思っていたとおり、仲間が寝静まり、二時間もたつころには、その見張りも舟をこぎ始めたのです。
荷物をかつぎ、音を立てないように私はそっと小屋の外に出ました。見張りは目を覚ます気配も見せず、私は簡単にその場を離れることができました。黒くとがった岩山へ向かって、私は歩き始めました。
小屋の前を離れると、道は何度も折れ曲がりながら、ぎざぎざに登っていくようになります。足音を立てないように気をつけながら、私は歩いていきました。ときどき振り返ったのですが、そのたびに小屋は小さく遠くなっていきました。
月の出た明るい夜で、雲も少なく、遠くまで見渡すことができました。月光を受けて、岩山は輝きながら私を見下ろしています。
目的地に着くのには、一時間以上かかってしまいました。岩だらけのきつい山道を登っていくのですから当然です。
このあたりも、私が薬草を探して歩く場所の一つでした。どこに何があるかはよく知っています。私は洞窟の入口の前に立つことができました。
天然の洞窟ですが、入口は大きくはありませんでした。でも中に入ると急に広くなり、すぐに幅も高さも二十メートルを超えるようになります。
教会の大聖堂の中に入って、真下から見上げているときのような気分を味わうことになります。あのくらくらする感じです。洞窟の中に入っても、私は休憩せずに歩き続けました。さらに奥へとむかいます。
左右の壁は黒い岩でできていましたが、あるところをすぎると突然色が変わりました。ランプの光に照らされると、どんなものでも多少は黄色っぽく見えるようになるものですが、そんな影響すら受けないほど、いきなり真っ白に変わってしまったのです。
私は立ち止まって見上げました。本当に雪のように真っ白です。ランプをかかげ、近づけて照らしてみましたが、蝶たちはピクリともしませんでした。
大きな羽根を広げて、ざらざらした岩の表面にとまっています。何十万匹も、それこそ無数にいます。すべてが同じ形、同じ色の蝶たちです。岩壁が真っ白に見えるのは、この蝶たちがとまっているせいだったのです。
大きさは大人の手のひらと同じくらいでしょう。一匹でその大きさなのだから、それが岩壁をおおっているところを想像してみてください。息をのむような眺めではありますが、不気味というのではなく、ただ単純に美しく、それどころか神々しいとでもいいたい眺めでした。蝶たちはほとんど動かず、羽根はもちろん、触覚や足をピクリとさせることさえありませんでした。
このあたりならどこででも見かける蝶で、珍しい種類ではありませんでした。でも変わっているのは、こうやって成虫のまま冬を越すということでしょうか。風のあたらない温かい場所に何十万匹も集まり、じっと春を待つのです。
そして春になったある日、いっせいにここを出ていくのです。太陽の光をキラキラ反射しながら、何十万匹もが一列になって洞窟から飛び出ていくさまは、この世のものとは思えない美しいものでした。
私は洞窟の中を進みつづけました。そのまま百メートル以上行き、終点まで来たところで背中の荷物を降ろしました。重くはないのですが、大量なのとかさばるのとで、かなりへたばっていましたから、降ろすことができてせいせいしました。
しばっていたヒモをほどいて、平らにならして地面に広げました。独特の匂いが鼻をつきます。虫よけ剤として使われるあの薬草でした。小屋の屋根裏に積み上げて乾かしていたのを、運べるかぎり持ってきたのです。
マッチを取り出し、私は火をつけました。薬草のあちこちに点火してまわったのです。からからに乾いていたから、すぐにぶすぶすと煙を上げはじめました。でも炎を上げることはなく、オレンジ色に光りながら、線香のようにゆっくりと燃えていくのです。
その煙が鼻に届くと、とたんにゲホゲホとセキが出そうになります。私は駆け出しました。ハンカチで鼻を押さえ、洞窟の出口を目ざして急いだのです。
小屋には、無事に帰りつくことができました。強盗団のイビキがかすかに聞こえてきます。見張りがまだ眠りこけたままでいるのも見えました。すぐに服を脱いで、私はふとんにもぐりこみました。
翌朝、目が覚めたのは、ボスのどなり声が小屋の中まで聞こえてきたからでした。ふとんの中で頭を振り、私は昨日起こったことを思い出そうとしました。そして自分の計略を思い出し、にんまりとほくそえんだのです。ふとんからはい出し、雨戸のすきまから、そっと外の様子をうかがいました。
私の小屋は、いつも濃い霧に包まれて朝をむかえました。すべてが白いベールをかぶり、百メートル先を見通すことも難しいほどで、まるで牛乳の海の底にでも沈んでいるような気分です。
私は耳をすませました。ボスはある若い男をどなりつけているのですが、その声はこう聞こえました。
「どういうことだ? あと半月は雪が降らないはずではなかったのか?」
ボスは真っ赤な顔をして、ある方向を指さしています。どなられている若い男は、目にしている光景が信じられないという様子で頭を振るばかりでした。
首を伸ばし、ボスが指さしている方向を私も眺めました。
小屋の背後には黒い岩山がそびえているということは、すでにお話ししましたね。このときも濃い霧の中に、その岩山だけは姿を見せていました。朝日を受け、まるで幻のように浮かび上がっているのです。いつもならインクのように黒く輝いているはずなのですが、でもこの朝、この岩山は真っ白だったのです。
どなりつけられるだけでなく、数発ぶんなぐられても、若い男は首をかしげることしかできない様子でした。十一月の半ばに雪が降るなど予想外だったのでしょう。
鉱山を襲撃する計画を立てるにあたって、彼らも過去の気象データはもちろん調べたでしょう。この地域の降雪は、いくら早くてもあと二週間は先のはずでした。でも現実にああなっているのだから仕方がありません。鉱山へ向けて今からあの岩山を越えていこうとするなど、わざわざ遭難しに行くようなものです。
あわただしく荷物をまとめ、もちろんあいさつなどもなく、強盗たちはそそくさと山を降りていきました。雨戸のすきまから、私は黙って見送りました。
いつものとおり、霧はすぐに晴れてしまいました。山々は太陽をいっぱいにあびて、空気は極限まですみきって、身ぶるいがしてくるような美しさでした。あの岩山も、すでにその全身を見せていました。
数分後、岩山をおおいつくすようにとまって、日光を十分にあびて身体をあたためた蝶たちはいっせいに飛び上がり、不思議な秩序でもって一列になり、洞窟の中へと戻っていきました。そのまま、翌春まで姿をあらわすことはありませんでした。そのあとには、いつもと同じように黒々とした岩山がそびえているばかりでした。
(終)
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