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地球の平和を守る為

作者:飛鳥弥生
サイエンスフィクション、だと長いのでSFと省略している、ただそれだけです。
『地球の平和を守る為』{ちきゅうのへいわを まもるため}

 ――飛鳥弥生 著

「……ねえ中迫{なかさこ}さん。毎日毎日、僕達は何やってんでしょうねぇ」
 狭い居酒屋、テーブルの向かいに座った佐久間{さくま}はしわしわのネクタイを左右にしごき、手にしたジョッキを呷る。焼き鳥の櫛を爪楊枝代わりにしーしーとやっていた中迫は「んん?」とだけ返し、お猪口をぺろぺろと舐めた。
 ぬるくなった熱燗とは冗談みたいだな、中迫はふとそう思った。
「楽しい仕事なんてありゃしないよって周りの連中は云うんです。勿論、僕だってそう納得はしてるんです。でもね……ああ、すんませぇん、ビールお代わり。中迫さん?」
 佐久間がとろんとした流し目でお銚子を見たので、中迫はぎくしゃくと頷いた。
「でもね、例えば僕らみたいな営業マン。ハイテクだか新素材だか知りませんけど、何が悲しくて亀の子たわしなんぞを売り歩かなきゃあならないんです? もっと他にあるでしょうよ」
「佐久間君、『タワッシュ』だよ。亀の子なんて呼んだら特許だか著作権だかで偉い人に睨まれるぞ」
 赤く火照った団子鼻を膨らませて中迫はちょっとだけ先輩面をしてみせた。佐久間はしかし肩を竦めただけで話題を引き戻した。
「たわしなんて下らないとまでは云いませんよ。いや、本当は云いたいんですけど、でも云いません」
 佐久間はひねくれた痴呆老人みたいに、云うだの云わないだのと繰り返す。
 佐久間は酒が入るといつもこうだった。
 営業部のエースと持てはやされていた頃のなごりとでもいうのか、若い割に頭は切れるのだが、いかんせん話が小難しいのだ。新入社員と女子社員への説教を生きがいとしている二課の荒木部長に、息の根も止まるような説教をしでかすほどの話術を持ちながら、昇進とは縁が無い。荒木部長をこてんぱんにしたのだから当然なのだが、どういう訳か本人はそれに全く気付いていなかったりもする。
 切れるのだか間抜けなのだか。
「楽しさってのを結論付けるならば、ある体験が充実しているかどうかだと僕は思うんですよ。充実なんてのは個人個人によって感じ方が違うでしょうけど、でもやっぱり充実の条件みたいなものがあると僕は思うんですよ。例えばある作業、つまり仕事と云いたい訳なんですけど、この成果が目に見える形で示されると随分と充実感があるんじゃあないですかね。穴掘りだったら、今日はこれだけ深く掘ったぞ、とか、田植えだったら、見渡してみてこれだけ植えたんだっていうようなもんです。
 ところが僕らときたら販売数が数字で現れるだけ、これじゃあとても充実なんて出来ませんよ。そりゃあ給料が増えるのは嬉しいですよ。でもね、何故それがたわしじゃなきゃあいけないんです? 販売数や給料に目を向けるんだったら、おたまだってしゃもじだって、要するに何でもいいってことじゃあないですか。だから、どうしてたわしなんだろうって、そう僕は思うんですね。充実ってのはそんなんじゃあないんですよ。誰がやっても、何を売っても代わり映えのしない、つまるところ営業マンなんてのは歩く自動販売機みたいなもんなんでしょうねぇ」
 だったら辞めちまえ、と云わないのが営業マンの掟だったりもするので、中迫はししゃもを齧りながら「そうかもなぁ」とだけ云い、再び満たされたお猪口をぺろぺろと舐めた。
 別れ際に佐久間は「偉業を成し遂げる、憧れるなぁ」などと独り言を呟いた。

 電車は走るよどこまでも、がたん、ごととん、がたん、ごととん――
 中迫は終電の吊革にぶら下がったまま夢見心地だった。俯き、細めた視界には中年の象徴とも呼べる太鼓腹が彼の呼吸に合わせて上下している。中迫は出来損ないの口笛みたいな溜め息を吐き、哀愁さえ漂う太鼓腹を二度三度とさすった。
 夜毎の酒は脂肪となり人知れず腹にしとしとと降り積もり、気が付けばこの有り様である。会社や家庭、つまり全ての場所での不満と愚痴を安酒で紛らわすようになったのはいつ頃からだろうか。
 もともとが下戸な中迫は、気分を紛らわす為にだけしか酒は飲まないと自らに戒めていたのだが、紛らわさなくてすむ気分などもう十年来ご無沙汰であり、狭い居酒屋をはしごすることは歯磨きと同じくらいの習慣となってしまったのだった。もっとも今日に限っては佐久間の愚痴を聞くばかりで、どうにも気晴らしにならなかったのだが。
 帰巣本能に頼ってぽとりと下車し、住宅街の薄暗い道をふらふらと歩く。冷たい風がかさかさの肌を撫で心地良かった。十五分ほどして漸く小さな掘っ建て小屋、ちがう、愛しのマイホームに辿り着いた。薔薇の棘のような妻と、高校生の娘と中学生の息子の待つ我が家だ。
 新聞の折り込み広告で見た時は随分と豪華だったのに、建ってみるとどうしてこうもみすぼらしいのだろう。まるでバラエティ番組のセットみたいで、飛び切り面白い冗談を吐いたら、がらがらと崩れるのではないかとさえ思える。こんなものに後十年以上も金を払い続けるのだと考えると酔いも覚めるというものだ。だからそんなことは考えない。
 出迎えもなく明かりもいたわりも無い。スーツと鞄を放り、ぬるくなった浴槽に浸かって洗濯板みたいな顔をごしごしとしごく。浴室にはタワッシュが山積みになっていて、この家にはそんな山が至る所で見掛けられるのだ。
「何でたわしなの?」と妻はしょっちゅうこぼしていた。化粧品や食品だったら良かったとでも云いたいらしい。寝顔だけは可愛らしい妻の横に潜り込み、中迫は浅い眠りに就いた。

 早朝のどたばた騒ぎは日本伝来の風習なのだろうと中迫は常々思っていた。皆が同時に洗面に立ちたがり、同時にもよおす、猫の額に建つ犬小屋はカーニバルの如きである。
 妻は「あなた、テーブルを空けて下さいな」と寝ぼけた声で訴え、娘が「トイレ? お父さんは後にして、臭いんだから」と金切り声をあげ、息子は顔を見てふんと鼻を鳴らすだけ。中迫はあっちこっちに追い立てられ、気が付くと押し入れの中だということすらあった。
 ともあれどうにか家を飛び出し電車に揺られ出社できるのだから、習慣とは恐ろしいものだ。
「――ふむ、頑張ってくれたまえ」社長のありがたいご挨拶を頂き、中迫他営業マンは次々と会社を出ていった。

 今日、中迫の担当は夕陽丘団地である。
 からりと晴れ上がった空の下、早くもとぼとぼといった風に歩き始めていた。なだらかな丘陵に階段状に開発された夕陽丘団地の入り口では何やら人だかりが出来ており、何とはなしに近寄ってみるとそこには人々に囲まれて妙なものがあった。
 端から端までで五メートルくらいの大きな皿の上に高さが二メートルほどの半球が乗り、皿の下からは細い支えが三本、全体がぴかぴかの銀色をした巨大なモニュメントだった。
 はて、こんなものがここにあったか? 中迫が首を傾げていると手近の主婦が「奥さん奥さん、ユーホーだわよ、これは」と跳ねるように云った。
「ゆーほー?」
 妙な発音だったのでそれがUFOだと気付くのに暫くかかった。ざわざわした群衆がめいめい勝手に推理していると、突然ユーホーが眩い光を放った。皆がわっと飛び上がり数歩下がる。
 皿の一部がのんびりと上がり、四角い穴から音も無くタラップが伸びてくる。そしてそこから世にも奇妙な生き物が出てきたのだが、それは一言で云えばクラゲだった。
 子供くらいの上背の水色をした、まさしくクラゲで、黒くて丸い目が三つ付いていて、細い手足をふらふらと揺すっている。そんなのが三匹、タラップを滑って降りてきた。
「110番だ!」「いやいや自衛隊だわよ!」
「ナサだ、ナサを呼べ!」「宇宙人だ! 侵略だぁ!」
 騒ぎはするが誰も逃げようとしないのは、そのクラゲ宇宙人ののんびりした動きと、何より可愛らしい姿ゆえだろう。と、ほにゃほにゃした声でクラゲ宇宙人が喋り出した。皆が騒ぐのを止め固唾を飲んで耳を澄ませた。
『ちっきゅーじん達よ、今よりこの星は、我々ガニメデ星人のものだ。逆らうものは、こうだ』
 洗濯ロープみたいな腕が振られたかと思うと、群衆とユーホーの真ん中あたりの地面がばんと弾け、底も見えないほどの深い穴が出来上がっていた。一秒とかからず群衆は散り散りになって消え去った。
『おい、おまえ』
 クラゲに指差され、中迫は漸く我に返った。驚きの余り体が硬直して一歩も動けなかったのだ。
「はははははい」
 中迫はどもりつつ答える。
『降伏するように統治者に伝えてこい』
 口らしきものは見えず、声はクラゲ全体から振り撒かれているようだった。
「とととと統治? つつつつつまり?」
『一番の権力を持ったものだ』
「けけけけ権力? というとしゃしゃ社長で?」
『しゃっちょ? うむ、そう呼ぶのならそうだ。伝えろ』
 で、中迫はどうしたかというと、さっとスーツに手を入れ携帯電話を取り出し、慣れない手つきでダイヤルして、
「ももももしもし、中迫ですが、しゃしゃしゃ社長は? え、会議? すすす済まないが緊急の要件だ、つつつ繋いでくれ、だだだだだ大至急だ!」
 震える声で叫んだのだ。クラゲと目が合わないように腕時計を睨み付けること二分、漸く電話口に社長が出た。
「社長! クラゲ星人があなたに伝えろと!」
 社長に対するとどもりが消えた。これぞ営業マンの鏡である。お客様と上司には決して醜態は晒さないのだ。
「ちっきゅーを貰う、そうあなたに伝えろと、え? いやいや、クラゲ……む、違った、ガニマタ星人の方だそうです」
 携帯電話に向けて頭を下げたり作り笑いをすること五分、中迫は、はあ、と溜め息を吐いてスイッチを切るとクラゲを空ろな目で見詰めた。
 社長は彼に対して「何でもいいからたわしを売ってこい!」と一喝したのだった。
 クラゲは恐いが社長の方がもっと恐い。マイホームローンが脳裏を過ぎる。中迫は重い足取りでユーホーに近寄ると顔を奇妙に歪めてぎこちない笑顔を作った。
「ああ、ガニマタ星人様、少々時間を頂いて私の話を聞いて下さいませ。いえいえ、お手間は取らせませんから。さてガニマタ様、こびり付いた汚れでお困りになったこと、ございませんか? ガスコンロの焦げだとか、浴槽の水垢だとか、はたまたタイルの間の黒かびだとか」
 何が始まるのかとクラゲは警戒しつつ、中迫の声に体を傾けた。地球文化に多少は興味を示したらしい。
「そこいらで売られているたわし、あれはいけません。柔らかすぎて汚れを撫でるだけでございます。そうかと思えば硬すぎて何もかも傷だらけです。環境の為を思うと洗剤はどうしても使えない、そんな方が増えている昨今でもございますし。さあ困った、どうしたものか」
 中迫は頭を抱えて俯いたり仰け反ったりする。その動きに合わせ三匹のクラゲもまた体を前後に揺らす。
「さあ、困った困った」
『ああ、困った困った』
 つられたのか、クラゲもまたふにゃふにゃした声で洩らし、細い腕を不安そうにふらふらさせる。急に中迫は黙り、暫しの沈黙、クラゲが熱い視線をつむじに注ぐ。このちっきゅー人、一体何を始めるのだ、そんな視線だ。
「そこで!」
 不意を付いて中迫は右手を高々と振り上げる。クラゲは体をびくりと震わせ、二歩程退いた。
「新開発! ミラクルたわし、その名も、タワァーッシュ!!」
 中迫はローカルの深夜にだけ放映されているテレビCMのナレーションの声色を真似た。普段はそんなことはしないのだが、気が動転していて兎に角精一杯なのだ。退いていたクラゲが三匹ともわらわらと寄ってきて中迫の鼻の穴を見上げた。
 CMの「タワァーッシュ!!」部分にはシンセサイザーを思わせるエコーと落雷のSEが掛かるのだが今は仕方が無い。すぅと息を吸い込み、中迫はラストスパートをかけるべく早口で捲し立てる。それでも聞き取り易い発音は決して忘れない。
「タワッシュは最新の材料工学が産み出した、まさしく史上最強のたわしなのです。宇宙技術を応用した弾性ヤシブリッド・ポリマーを主成分とした分子繊維は類希なる強靭さを保ちつつ、母材を傷付けること無く汚れ成分だけを文字通りピンポイントで捉えるのです。人間工学に基づく流線形の握り形状は力を100%伝え、女性やお年寄りにも優しい設計となっております。水を弾き腐り知らず、耐久年数は120年以上を誇り、また、かびの発生を押さえる抗菌処理は勿論、生活シーンのどこにでも馴染む親しみやすいデザイン。カラーリングはたわし業界トップクラスの12色をご用意、上品なダークグレイは若い方、可愛らしいピンクはお子様お嬢様、渋味のこげ茶は熟年の方にと、正に変幻自在。新開発! ミラクルたわし、その名も……」
 腕をぶんぶんと回し、後ろに大きく引き、溜めを作ってから、
「タワァーッシュ!!」
 一匹のクラゲに突きつけた。クラゲは仰け反って沈黙する。
 迫真の弁舌、肩で息をしながら中迫はタワッシュを握り締めて思った。これは今迄で最高の出来だ。目を閉じ、止めど無く溢れる充実感に涙さえ零れそうだった。
 今の部署に移って早五年、これほど見事な商品解説を成し遂げたことなどただの一度も無かった。居酒屋で佐久間が云っていた充実感を、中迫は生まれて始めて感じていた。
 そう、売れようが売れまいがもうそんな些細なことはどうでも良かった。俺は今、完全燃焼した、中迫は脳裏を過ぎる様々な光景を暖かな眼差しで見詰めながらそう思った。
『……く、くれ! 売ってくれ!』
陶酔の余り中迫はその声に気付かないでいた。ぶにょぶにょの四肢でズボンをがっちりと握られ揺すられて始めて我に返った。
『それを、そのミラクルを、タワッシュを我々に売ってくれ!』
「……あ、ええ。でも、その、そのお代のほうは?」
『お代? 通貨か? ちっきゅーのことは良く解らんが、希少金属がある、これでどうだ!』
 二匹のクラゲに抱えられてぴかぴかの金塊が運び出されてきた。中迫が目を剥いたのは云うまでも無い。
『ありったけのミラクルを我々に譲ってくれ!』
「……あ、ありがとうございます。で、では在庫を確認しまして、ええっと……納品はここで宜しいでしょうか?」

 再び携帯電話を握って一時間後、4トントラック一杯のタワッシュが次々とユーホーに運び込まれていった。運転手の隣に話を聞き付けた佐久間が便乗していた。
「な、中迫さん、こりゃあ一体なんの騒ぎで?」
 中迫の隣に立った佐久間は、銀色のタラップによって飲み込まれて行くタワッシュを呆けて見詰める。
「む……よく解らんが、ともかくタワッシュが売れたらしい……」
 荷揚げが終わると、代金である金塊と「さらばだ」という挨拶を残し、クラゲの乗った銀色のユーホーは空高く上っていった。中迫も佐久間も何となく手を振ったりした。

 会社への販売報告を終え本日の勤務を終了した二人は繁華街へと歩を進めた。行く先は昨日と同じ、狭くて安い居酒屋である。通りには早くも酔っ払いが出没し始めていた。道すがら中迫は独り言のように呟く。
「なあ佐久間君。今の仕事にも大した充実感はあるみたいだな。どうやら我が社のタワッシュは、地球の平和を守ったらしい。これほど遣り甲斐のある仕事、そうそうないんじゃあないかなぁ?」
 今日の酒はさぞかし美味いに違いない、中迫はそう予感した。

――おわり

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