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その①

「葵ちゃんって、ほんとカワイイよねー。」

「ほんとほんと。髪もつやっつやだし、背も高いし、スタイルも抜群だし。ほんとモデルさんみたい。」


「エヘヘ。そんなことないよー。」

私は照れながら答える。


「でもさ。なんか不思議だよね?葵ちゃんって、一緒に入学したはずなのになんかこの前初めて見たような、そんな感じがするの。」

「あ、私もー。こんなに美人さんだったらすぐに評判になりそうなものなのに。」


それはそのはずだわ。だって私はついこの間までは・・・・



「あ、じゃあ私、もうそろそろ帰らなくちゃ。」

「え?葵ちゃん、また今日もそんなに早く帰るの?もうちょっとおしゃべりしてこうよ。」

「ほんとにごめん。ちょっとさぼれない用事があって。」

「なに!?さては彼氏だなー?」

「ちがうって。じゃあ、また明日ね!」

「うん。ばいばーい。」


私は教室を後にする。

さぼることなどできはしない。なぜなら私はあの人の・・・・奴隷同然の身なのだから。


数ヶ月前のあの日。あの出会いから私の人生は狂い始めた。ああそういえばあのころはまだ自分のこと「俺」って言ってたっけ。


今思えばあれは出会いなんかじゃない。あの人は始めからそのつもりで、私のような子をひっかけるためのアリ地獄を掘って、その穴の底で大口を開けて待っていた。


私はその罠にまんまとはまり、彼の与えた快楽の虜となり、とうとうこんな姿にまでなってしまった。もう私は一生あの人から逃れることはできないだろう。圧政を敷かれた農民のように私は一生搾取され続け、あの人の私腹を肥やす無数の働きアリの1匹として人生を終わるのだ。


でもそれでもいい。それほどまでに私は快楽の虜となっていたから。いまさら抜け出すなんて考えられない。私はもはや、自ら望んで彼の奴隷となっているのだ。それが彼の仕向けたものだとわかっていても。


「さあ。急がないと。」

今日も私は、「仕事場」へと向かう・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


あれは、全天がどんよりと重たくて黒い雲に覆われたある梅雨の日のことだった。


「あれ?おかしいなあ。」

俺は道に迷っていた。下校途中、地元のよく見知った道を自転車で走っていたはずなのにだ。いくら走っても、目の前に広がるのは妙にうらさびしい人の気配をまるで感じさせない住宅街。人ひとり歩いていない。


自慢ではないが鋭いほうだと自負している俺の方向感覚も、そのときだけはjammingでもされたように東西南北を嗅ぎわけることすらできなかった。頼みの携帯電話もこんな住宅街の中にも関わらず圏外。俺はすこし背筋に寒いものを覚えて、一刻も早くここを脱出すべくとにかくがむしゃらに走りまわった。


えんえん1時間は走っただろうか?厚く立ち込めた雲の上では日がだんだんと西へ移動しているのだろう。少しずつ、少しずつ夜が近くなっていることを実感していた。


その時だった。もういくつ目かわからないほど曲がった角の先に、明りのついた小さな店があった。その古びたちいさな店には不釣り合いなほど明るい赤字の不気味なネオン看板には、筆記体の英語でこう店名が記されていた。


『Ant Lion』


ともかくここで道を聞かなければならない。俺は自転車を止め、おそるおそる店の古い木のドアを開けた。


暖色系の明りで照らされた店内。そこには所狭しと商品が陳列されている。すぐ目に飛び込んできたのは色とりどりの女性用下着。ブラジャー、ショーツ、キャミソール、スリップ・・・。そしてハンガーに掛けられた様々な種類の女性用衣服。普通のブラウスやスカートなどだけではなく、なんとセーラー服やロリータと思しき服、バニーガール用の衣装などもあった。更にはパンプス、ローファー、ミュール、ブーツ、あらゆる女性用履物。ネックレス、チョーカー、ピアスなどのアクセサリー、化粧道具、ウィッグ、その他俺には用途不明な小道具たち。


店内はあらゆる女性用品で埋め尽くされていた。


とりあえず、普通の洋品店でないことは納得した。店の奥にカウンターがあり、どうやらレジスターの影にうごめくものは人影らしかった。


声をかけようと近づいていくと、向こうもこちらに気がついたらしい。向こうから先に声をかけてきた。

「いらっしゃい。」

現れたのは40代くらいの男性だった。程よく背が高く、また程よく痩せていて、一見すると、なぜこんな怪しげな店でと思うような気品のある紳士といった感じだった。


「あの僕、道に迷ってしまって・・・」

「帰る道を知りたいんだろう?橘青一たちばなせいいいち君。」


「!?なんで僕の名前を。」

「君をここへ呼びよせたのは僕なんだ。当然知っているさ。」

穏やかな笑顔で話す紳士の、その唇の端が一瞬つりあがったのを俺は見逃さなかった。その笑顔の仮面の裏の、なにか只ならぬものが一瞬見えたような気がした。


「呼び寄せたって、どういう意味ですか?」

「いやいや、気にしなくてもいい。帰り道はちゃんと教えてあげよう。それより青一君。ちょっと買い物していかないかい?」

「買い物って。ここ、女性用の店ですよね?僕は男ですよ?」

「とんでもない。この商品は全部『男性用』に売られているものなんだ。」


「!?だってブラジャーもあるんですよ。」

「ここのブラジャーをつけるのは女性じゃない。男性だよ。」


紳士は一呼吸おいて続けた。

「つまりここは女装屋。世の男性たちが隠れて異性装を楽しむための、そのグッズを販売している店なんだ。」

ようやく俺はこの妙に品ぞろえの良すぎる店内に納得がいった。


「で、どうだい?君もちょっと買って行ってみないかい?楽しいよ。女装って。」

すでに嫌悪感を感じ始めていた俺はきっぱりと断った。

「僕、別にそういう趣味はないんで。」

「そうかい?君はずいぶん才能がありそうなんだけどなあ。」

「いや、ほんとに結構なんで。」


「そうかい?それは残念だ。」

紳士は大げさに肩をすくめる。

「じゃあ君には、特別にこれをあげよう。」

紳士は店の棚から小さな紙袋を取り出す。


開けてみるとそこにはフリルとリボンのあしらわれたピンク色のブラジャーとショーツが入っていた。

「いや、だから僕は。」

「いいのいいの。お代はいらないから。試供品みたいなもんだと思ってさ。」

「タダでもいらないんです。処理に困るんで!」

「そんなこと言わずにさ。」

しつこさにだんだん腹がたってきた。


「ほんとに。ほんとにいらないんです!!」

つい声を荒げて言ってしまった。


「強情な奴だなあ君も。じゃあこうしよう。君がこれをもらってくれるなら、僕は帰り道を教えよう。」

「ぐ・・・。汚いですよ。」

「タダだって言っているんだから、素直にもらってくれさえすればいいんだ。」

「・・・・・わかりました。」

俺はしぶしぶ紙袋を受け取る。


「とりあえず初めての君にはこのメンズブラとメンズショーツだ。サイズは君にピッタリなはずだよ。今は公に男性用のブラが生産されているんだから、まったくいい時代になったものだ。」

やはり穏やかな笑顔で話す紳士だが、測ったわけでもないのに俺に「ピッタリ」だなんて言いきったこの店主に更なる嫌悪感とうっすらと恐怖感すら覚え、早くこの場を立ち去ろうと思った。


「じゃあ、道を教えていただいてありがとうございました。失礼します。」

俺は足早に出口へと向かう。

「じゃあね、青一君。近いうちにまた会おう。」

『また』?なに言ってやがる。

「残念ですが、もう二度とここに来ることはないと思いますよ?」

嫌みたっぷりに言ってやる。


しかし店主は少しも動じず

「いいや。君は近いうちに必ずまたここに来るはずだ。それも自ら望んでね。」

変わらぬ笑顔でまた気にかかる言葉を言い放った。


これ以上の会話はよそう。自分が不快になるだけだ。

俺はその答えを無視し、

「じゃあ、失礼します。」

とだけ言って店主の顔を顧みもせず、木の扉を閉めた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


店内に一人になった店主。おもむろに葉巻に火をつける。


「なかなか威勢のいい犬君だったなあ。」

ひとりつぶやく。

「あれが僕の新しい飼い猫になるのか。フフフ、可愛い猫になってくれよ。」

不気味に笑いつつ、店の奥へと消えて行った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


店主に聞いた通りに自転車を漕ぎ出したと思ったら、いつの間にか自らの家の玄関に到着していた。不思議と漕いでいた感覚は覚えているのだが、どのような道を通って帰ってきたかは一切記憶から抜け落ちてしまっていた。例の紙袋は、帰り道に近くの公園のごみ箱にでも捨ててしまおうと思っていたのだが当てが外れた格好になってしまった。仕方なく紙袋を持ったまま家に入る。



 夕食後、俺はベッドに寝そべりながら今日起こった奇怪な出来事を反芻していた。夢まぼろしと言って頭の端の端へ片づけてしまっても十分なほどのふわふわとしたなんとも現実感のない事件だったが、机の上に置いてある紙袋の存在が俺の頭のdeleteキーもback spaceキーも押させなくしていた。


俺は一つ深いため息を吐き、さあ宿題をしなくてはと起き上がる。そこでふと俺は、机の上の例の紙袋に目がとまった。気になったのは、その中身である。


そういえばさっきは店主とのやりとりで精いっぱいで、ろくに見もせずに突っぱねていたからなあ。実際、どんな感じの下着だったんだろう。


年頃の男なら気になって当然・・・・だよな。

自分の行為を正当化させつつ、軽い興味本位で袋の中身を取り出してみた。先ほどみたピンク色のブラとショーツ。なるほど、確かに男の俺でも身につけられるくらいの大きさはあった。試供品のようなものと店主はいっていた。つまり俺に試してみろってことか。


しかしこんなものつけたら俺は明らかにはたから見たら変態確定である。だいいちこんな見ていて恥ずかしくなるようなふりふりした飾りやリボンが付いている下着、女の子が着るから可愛く見えるのであって、男の俺がつけたところで気持ち悪いだけなんではないだろうか。


やはりばかばかしい。明日の朝、さっさと捨ててしまおう。そう思って袋の中に戻しかけたその手が、不意に止まった。


ちょっとまてよ。・・・・・でもやっぱり1回くらい。

俺の内なる性的関心が手を押しとどめていた。


1回くらい、ちょっとつけてみたって別に問題はないよな。

俺は部屋の鍵がちゃんと閉まってることを確認すると、少しドキドキしながら服を脱ぎ、まずはブラジャーのほうから手に取る。そして、カップ部分を持ちおそるおそる自らの胸に近づける。ふわっとした感覚とともに、カップは俺のぺったんこの胸と乳首を覆い隠してピッタリと収まった。男性用というだけあって、カップの大きさももちろん小さく更にはカップ自体が中心に寄った作りになっているので男性でも違和感なくはまりこむようになっているようだ。

 カップを片手で押さえつつ交互に肩ひもに腕を通す。そして最後は後ろでホックを留める。初めてのことなので後ろ手でホックを留めるのはなかなか難しい。何回かの失敗ののち、かちっと確かに穴にとおった感覚がした。ベルトを軽く引っ張ってみる。外れない。どうやらしっかり留まったようだった。

 俺はゆっくりと手を離す。その瞬間、キュウっとしたしめつけられるなんとも言えない感覚が襲った。カップが、肩ひもが、ベルトが、胸部を、俺の胸をやさしくしめつける。


その不思議な感覚に俺は思わずため息を漏らしていた。


次はショーツ。良く伸縮する生地。俺は久しぶりにブリーフでも履くような感覚で足を通す。両手で上前腸骨棘、いわゆる腰骨付近まで持ち上げる。メンズショーツだけあって、前の布地は男のペニスを包み込めるくらいの余裕があった。フルバックタイプのものだったので生地が後ろも全体的に包み込んだ。


小さい頃履いていたような綿のブリーフとはまったく感触が違っていた。ポリエステル100%のつるつるした肌触り。それがすこしでも動くとスルッスルッと肌をなでる。



ブラジャーに包み込まれ、ショーツの擦れる感触。


き、気持ちいいかも・・・・。

それは、生まれて初めて体験する女性下着の感覚(あくまでメンズ用だが)だった。


そのあと恥ずかしくなってすぐ脱いでしまったが、着用したときのドキドキ感と、あのなんとも表現しがたい気持ちよさははっきりと俺の体に残っていた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


次の日学校に行ってからも、俺はあの下着のことで頭がいっぱいだった。授業中もどうも集中できず、ずっとボーッとしていた。


そして授業が終わると俺は引き寄せられるようにして家に帰り、気がつくと1度だけと思っていた下着にまた身にまとっていた。


その時俺は、昨日感じた高揚感とともになにか不思議と心が落ち着くような感覚を感じていた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


だんだんと下着を身につける時間は伸びていった。毎日家に帰ると、下着を隠し場所から引っ張り出しては身にまとい、そのまま気のすむまで過ごすのが俺の日課となっていた。そうしないと気持ちいい下着のことが頭にこびりついて何事にも集中できないからだ。


 はじめは20分程度、下着の着用感を確かめられれば満足できた。それが30分、40分、1時間と増えて行く。宿題をやるのにも下着を着けていないと集中できなくなった。マンガを読むときも、TVゲームをしているときも下着をつけていないと激しい違和感を覚えるようになった。ついには寝るときもブラとショーツなしではよく眠れなくなった。


 家族の前では当然ブラなど着用していたら服の上からでもばれてしまう。俺はできるだけ下着を着用する時間を増やすため、食事や風呂、トイレのとき以外は鍵をかけて自分の部屋に閉じこもるようになった。家族からは、ひきこもりだなどといわれるようになった。


 ブラを長時間するようになったら、体にブラの跡が残るようになった。こんなものを見られた日にはとても生きてはいけない。学校での体育などでの着替えはトイレで行うようになった。うちの学校に水泳の授業がないことを初めてうれしく思った。


 それでも、それだけ自分の生活を変えても、下着を着用したときの快感には変えられなかった。気持ちよさを感じると同時に、心が静まり、頭がスッキリする感じがした。着用の快感を渇望する不穏状態の自分から正常な自分に戻れた感じがした。もはや下着を着けている状態が自分にとってnormalであり、下着を着けていない状態はabnormalでしかなかった。


 授業を終え、サッカーの部活のある日(週5日)はそれを終えると、家に飛んで帰り下着をつけた。時間がもったいないので友達とは学校以外では極力遊ばないことにした。

でも俺は幸せだった。下着を身に付けた自分にこれ以上ない喜びを感じていた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


だがしばらくたったある日、俺はこう感じてしまった。


このデザイン、なんか、飽きたな。


毎日、毎日、いとおしく身に着けていたこの下着。こっそりと外出してはランドリーで洗濯していたこの下着。それほど大事にしていた下着なのに、あまりに毎日目にしすぎて見飽きてしまったのか、ひどくくたびれてつまらないものに見えた。


一度そう思い出したら、熱が冷めるのは一瞬だった。


もうこの下着は飽きたな。別のものが、新しい下着がほしい。新しい感触が、知りたい。


俺の脳裏にあのAnt Lionの店内がflash backする。店内にあった色とりどりの下着。赤、青、白、黒・・・チェック、水玉、花柄、縞々・・・・綿のもの、ベロア地のもの・・・・・。


行きたい。もう一度あの店に。そして新しい下着を買いたい!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


学校帰り。気が付いたら俺は、またAntLionの前に立っていた。例のごとく、どうやってここにたどり着いたかは理解できない。この間と同じ状況・・・同じ?いや違う。この間とは決定的に違うことがある。それは、俺がこの店に来られたことに「胸を高鳴らせて」いることだ。俺は迷わず扉を開けた。この間のように満面に微笑みをたたえた紳士風の店主がいる。その店主が、にやっと少し意地悪い笑みを浮かべる。


その瞬間、俺は前回自分が吐いた言葉を思い出した。

『残念ですが、もう二度とここに来ることはないと思いますよ?』

俺の体中にばつの悪さがこみ上げる。


「やあ青一君。また来てくれてうれしいよ。」

「そ、そうですね・・・。」

「それで今日は、一体何の用なんだい?」

「え・・・、っと。今度の文化祭でクラスの男子全員で女装することになりまして、そのために下着が必要になって。」

とっさに嘘をつく。

「ふーーん。」

店主はつかつかと近づいてくる。

「な、なんですか!?」

「ちょっと失礼」

「うわっ!」

着ていたワイシャツの襟をつかまれ横に引っ張られる。露出した肩には肩ひものくっきりとした跡が。


「ふむ。ちゃんと使ってくれているようだね。」

店主はニコッとして言う。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

俺はみるみる顔が赤くなっていく。


「そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫。ここは女装屋なんだ。ここにある下着たちはみな、世の男性のために売っているんだ。だから僕は君を変態だなんて思いはしないし、君引け目を感じる必要はない。むしろ僕は青一君もこの下着の気持ちよさに気付いてくれてうれしいよ。どうだい?あの時あんなに君は拒絶していたけれど、とっても気持ちよかっただろう?」

「・・・・・・は、はい。」

「そうだ。そうやって自分の気持ちを素直に認めることが大事なんだ。僕は君のその言葉を聞けただけで満足だ。今日は安くしとくよ。好きなだけ、思いっきり下着を買っていくといい。」


たがが外れたように俺は、きれいな可愛い下着たちをあり金をすべてはたいて買い込み、最高に幸せな気分で家路についた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


青一が去ったあとの店内。店主がひとりつぶやく。

「女装の魔力にとりつかれはじめてるな。順調順調。だが下着なんてまだ序の口。彼が次に求めるのは・・・・・。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


様々な種類の下着を試し、幸せな時を過ごしていたある日、俺はふと思った。


こんなに可愛い下着を着けているんだ。服だって女物にしたほうがより自然な感じになるはず。



なんだかモノ足りない。その思いが俺を支配した。こんなに可愛い下着を身につけていても男性用の衣服の下に隠されていてはその輝きが失われてしまうような感じがした。やはりブラとショーツは女性用の衣服の下に身につけられてこそ最も輝く。


 そうだ。スカート。スカートが穿きたい。ミニのスカートの奥に見えそうで見えないショーツ。想像するだけでもドキドキした。基本服を着ているときは見えないことを想定しているはずなのに美しく装飾されたショーツ。それが本来あるべき場所はスカートの中であると俺ははっきり悟った。


 ブラウスが着たい。薄いブラウスを着た女性のあの半分透けて出るブラジャーのライン。男性の視線をくぎ付けにし、魅了するあのスタイル。


 そうなんだ。こんな下着を身に付けた俺が無粋な男の恰好をするのは間違ったことなのだ。俺は、この下着にふさわしい女性的で華やかな衣服を着なければならないのだ。


 下校途中、気がつくと俺はまたAnt Lionの前に立っていた。


「うわ、この服可愛い。このスカートもいいかも。」

俺は次々と服をあさる。

「この間まで下着をつけるのさえあんなに嫌がっていた君が。ずいぶんな進歩じゃないか。」

店主は少し意地悪く、しかし嬉しそうに笑う。


「欲望に正直になれって言ったのはあなたのほうじゃないですか。」

「そりゃまあそうだが。しかし青一君。その服たちを買える十分なお金を君は持っているのかい?」

「う・・・・」

服を探す手が止まる。

「やっぱり。この間下着を買って行ったときに君はなけなしの全財産をはたいていたようだったからね。まあ、高校生なら仕方ないとは思うが。」


そうだ。お金がないのはわかっていた。だから今日は「見るだけ」にしようと思っていたのだ。だがしかし・・・・


「どうしても欲しくなってしまったんだね?」

俺は素直にうなずく。かわいらしい赤いチェックのプリーツスカートを握った手を、離せなくなっていたからだ。


「仕方ない。君の熱意には負けたよ。幸い、うちの店には『ツケ』という制度があってね。」

それを聞いた俺の心が歓喜に躍る。

「じゃあ、この借用証明書にサインしてくれるかな?」

俺は二つ返事でサインした。断る理由などない。それであのかわいらしい服が手に入るのだから。


俺はまた下着を買った時のような高揚感に胸躍らせながら家路についた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


店主のつぶやき。

「試着もせずに買っていったな。サイズは合っているが果たして『自分の思い描いていた姿』になるかどうかね。まあ、これが彼をもっと染め上げる起爆剤にはなるだろうな。」

また悪い微笑み口元に浮かぶ。

「しかし彼も若いな。完全に周りが見えなくなっている。まあ、こちらとしては好都合だが。フフフ、しかし。あんなに簡単に借金してはいけないなあ。世の中には悪い大人もたくさんいるんだ・・・僕のようなね。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


大急ぎで家に帰った俺は、今日買ってきた大量の服の包みを開けた。一番気に入った赤いチェックのプリーツスカート、おそろいのリボンタイ、白いブラウスを取り出す。


最近どんどん嫌悪感が増してきている男物の制服と下着を脱ぎ捨て、ブラとショーツをつけて精神が安らぎに包まれると、ドキドキ感を楽しみながらプリーツをまとめていた糸を切る。すると今までひだが崩れないようにまとめられていたプリーツが、ひらひらと開き出す。これが今これから俺の腰にひらめくんだ。スカートのファスナーを下げ、かがむ。開いた穴の中へ、足を1本、2本。入った。今度はそれを自分のウエストまで引き上げる。生地が俺のむき出しの足をさらさらとなぜる。生え始めていた脚の毛はこのためにすべて剃った。それは腕の毛も同様だ。俺の背中にぞわぞわっとしたむずがゆい快感が駆け上がる。スカートは俺の腰に収まり、ファスナーを上げてしっかりと留めた。軽く腰を振ってみると、俺の動きに合わせてスカートがはらはらと舞う。


ああ。なんて可愛いんだろう。

興奮で俺の脳内がどんどん沸騰していく。


すぐに俺はブラウスをはおる。いつもとは反対側、右を上に重ねてボタンをしていく感覚に酔いしれる。そして仕上げにスカートとおそろいのリボンタイ。襟首にまわして留め、リボンを胸の前正面に持ってくる。俺の胸元に、赤いリボンが花開いた。


これで・・・完成。

これで自分は上から下まですべて女物の衣服を身につけている。同世代、女子高生風の衣装。これで俺の装いは完璧になった。

俺は大きくひとつ感嘆の息を漏らし、一人で恍惚に浸った。スカートをめくってみると、そこにはこのスカートに合うように俺が選んだ縞パンがちらり。


もう最高だ。天にも昇るような気持ちだった。



ああ、そうだ。俺の頭の中にふとした考えが浮かんだ。この姿を、鏡で見てみよう。もともと男の俺の部屋には全身を見れるような姿見なんて置いてなかったし、下着のみを着ていた時期にもなにか恥ずかしくて自分の姿を鏡でまともに見たことなんてなかった。髪はもともと男としてはそこそこ眺めな感じにしてあるし、今自分がどんな可愛い姿になっているのか興味が出てきた。


一度普通の服に着替えて姿見を運び込み、再び女装して俺はせーので姿見に振り向いた。



「・・・・・・・・・・・・・・・なに、これ?」

鏡に映ったのは、俺が頭の中で勝手に妄想し、作り上げた可愛い俺・・・・ではなかった。


そこに映っていたのは、ただの、いつもの俺だった。サッカー部なために筋肉質な脚と腕、そして体。日焼けした肌。うっすらと生え、そしてこれから濃くなっていこうかというひげ。髪は長めとはいえ、やはりはっきりとわかる男の顔。


いつもの俺が、とても似合わない女子の制服めいたものを着て、絶望の表情でこちらを見ている。それだけだった。


俺の体を言い知れない絶望感が襲う。次々と湧き上がる感情が、1本の奔流となって俺の口からあふれ出た。


「こんなの・・・・こんなの俺じゃない!!!!」

俺は全精力を込めて、俺の身体を否定していた。

普通に考えたら、おかしいのは俺の体ではなくて着ている服のほうなのだ。しかしこのときの俺の心は既に、完全に女装の魔力に侵されてしまっていた。


俺の体は、俺の体はこんな体じゃいけない。俺の容姿はこんなに男っぽくてはいけない。俺の立ち居振る舞いは、こんなに大きく、男性的であってはいけないんだ。



次の日俺は、サッカー部の退部届を提出した。レギュラーで10番だった俺は、顧問にすがりつかれるほど慰留されたが、知ったことではなかった。


あれほど好きだったサッカーだが、俺の体をより筋肉質にし、生傷の絶えないものにするこの激しいスポーツに、俺は何の興味もなくなっていた。むしろ嫌悪感でいっぱいだった。

そう、だって俺の肌は白く、きめ細かく、余分な肉を持たない美しいものでなければならないからだ。


部活にも行かなくなったことで、俺のひきこもりはより一層ひどくなった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ほら、鏡を見て御覧?」

「え!?こ、これが俺?」

手鏡の中には、多少まだ角ばった印象が残っているものの、目のぱっちりした美少女が映っていた。しっかりと、しかし自然に女の子に見えるように施されたメイク。その潤った唇は、自分の顔だとわかっていても思わずキスしてしまいたくなるような衝動にかられてしまう。装着された黒いセミロングのウィッグは、俺の顔を女性的に見せるのに非常に強力な役割を果たしていた。


俺は立ちあがって全身を映してくれる姿見の前に立つ。そこには、制服姿の女子高生の姿が映っていた。まだ脚が筋肉質な感じがするが、部活をやめてから多少はましになった感じだ。脚を隠すようにニーハイソックスをはいているのがまた良いのかもしれない。


「ほら、メイクをすれば全然顔が変わるだろう?これなら君が男の子だなんて気付く人はまずいない。」

「は、はい。すごいです。」

俺は自らの変貌ぶりに鳥肌が立つような思いだった。今回の来店で、俺は店主の勧めで初めて本格的なメイクを施してもらった。ノーメイク、髪も男のままで女装をしショックを受けた俺は、メイクの重要さを痛感した。


「どうだい?いいだろう。これからはメイクも練習してみたらいいんじゃないかな。」

「はい、ぜひ。がんばります!」

「じゃあこのウィッグとメイクセットは・・・」

「買います。ツケで、お願いします。」

「わかったよ。」


俺は、鏡に向かっておそるおそる微笑んでみる。鏡の中の女の子も、ぎこちないながらもはにかんだ、抱きしめたくなるような微笑みを返してくる。


これが・・・わたs

!?。俺、今、自分のことなんて呼ぼうとした!?


自分の心の中で、何かが目まぐるしく変化している。その変化に、少し不安なような、胸が高鳴るような相反した複雑な気持ちを感じていた。今の自分ではなくなってしまうことに対する期待と恐れが表れていた。


胸の前で手を重ね、知らず知らずのうちに女性的なポーズをとっている自分に、まだ俺は気付いていなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「うん。本当にかわいくなったね。これじゃあもう本当の女の子と見分けがつかないよ。」

「ほ、本当ですか!?」

その言葉に嬉しさがこみ上げた。

メイクも、ファッションについても勉強した。脱毛だってした。筋肉も落ち、細くむちっとした脚と腕がのぞく。より華奢になった体に、女の子の服は以前にもまして輝きを放っているようには見えていた。そういう自覚はある程度はあったが、実際に他人に認められると隠れ存在していた自信は確信へと変わった。


俺は、可愛い。


鏡の中の自分を見つめて、にこっと微笑む。以前と比べて格段にレベルアップした美少女がそこにいる。表情を作るのも手慣れたものだ。


俺は鏡の中の美少女が自分であることに酔いしれ、なんとも言えない気持ちよさを感じていた。


「うん。仕草も、雰囲気もね。すこし前まではまだギラっとした男の目をしていたけど、そのオーラもすっかり無くなっている。女の子の目になってきているね。」

「うれしい・・・です。」

俺は頬を染める。言われてみれば、感情もなんとなく女性的になっている感じはある。



それを見て、店主はニヤリとした笑みを浮かべると、突然あることを切り出した。

「それで青一君。今までの支払いなんだけど、いつ払ってくれるんだい??」

「え・・・・?」

あまりに突然のことにふわふわした気分から一気に現実に引き戻される。


「今までの支払いがたまっているだろう?なにせ君が自分のお金で支払ったのは、下着だけじゃないか。」

そうだった。店主があまりに気前よくツケにしてくれるので、いままで欲望のままにどんどんいろいろな物を購入していたのだ。さらにここへきてメイクや脱毛の費用も上積みされている。


「え・・・・そ、それはそうなんですけど。」

「僕としては、もうそろそろ支払ってもらいたいものなんだがね。」

「いや・・・でも、あの、その。いつでもいいって。」

「確かにいつでもいいとは言ったが、限度ってものがあるだろう??それとも君はこのまま払わずにいるつもりだったのかい?」

「そ、そんなことは・・・」

「じゃあ払ってくれたまえ。」

「い、いえ。今すぐにはちょっと。」


「返せるあてがないのかい?それじゃあ仕方ない。悪いが僕も商売なんでね。とりあえず君のお金で買った下着以外のものはすべて返品してもらおうかな。使用済みでも構わない。すべて返品してくれたまえ。そして充分なお金を払ってくれたら再び君にもどそう。」

「え!?・・・・。いや、そんな!それは勘弁してください!お金はなんとかこれから貯めて返しますから。だから、だから返品だけは・・・・。」

今日から女装ができないなんて。そんなこと・・・そんなこと考えられない!


「拒否するっていうのかい?じゃあ僕はこの未払いのことを、君の保護者や君の学校に連絡するよ。ただしそうなると君の女装のことはすべて君の家族や周りの人たちに露呈してしまうことになるけどそれでもいいのかい?」

「そ、そんな・・・」

「僕はなにか間違ったことをしているかい?僕は商人だから商品を売り、君はそれを買った。だから君はその代金を支払う義務がある。更に僕はその支払いを今の今まで待ってあげることもした。君がお金を用意する時間は十分にあったはずだ。違うかい?」

いきなりそんなことを言うなんて。ずるいと思ったが、女装のことをばらすとおどされたようなものだった。従うしかなかった。


俺は、下着以外すべてのものを失った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


久しぶりに、本当に久しぶりに部屋で普通の男の格好をしていた。ブラとショーツは返さなくて済んだのでもちろん身に着けてはいたが。

ベッドに寝転んだ俺は放心状態だった。ひどい喪失感に襲われて何もする気が起きなかった。

大きなため息をついて、仕方なしに俺は眠りについた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


次の日から、地獄の日々が始まった。喪失感、脱力感の後にやってきたのはひどい禁断症状であった。

まるで、体が女装を求めているようだった。四六時中、授業中でさえも女装を求める体の疼きがマグマのように噴き出して俺を悩ませ続けた。

校内ならば女子生徒に、道端なら道行く女性に目が釘付けになった。それは、もう以前のような男性としての性的興奮の類ではなかった。


その服を。その服を俺によこせ!!


そう思わず手を伸ばしそうになるのを俺は必死でこらえた。

対症療法的に学校にまで女性用下着をこっそり鞄に忍ばせて休み時間、トイレの中で身につけても見たが、もはや下着程度では俺の体の疼きを抑えるための気休めにもならなかった。

 家に帰っても待っているのは可愛さのかけらもないような味気ない男物の服。ウィッグも、メイク道具も何一つない。この時ほど女兄弟がいないことを呪った時はなかった。

 更に欲求の発作が最も激しいのが夜だった。俺は毎晩発狂寸前で、しかし何をすることもできず、ただただ必死に朝が訪れるのを待った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そんな状態がしばらく続いたある日。また不思議と俺は、Ant Lionの前に立っていた。


女装を渇望する俺の心が俺を再びここへ引き寄せたのだろうか。疲れ切った俺の頭はもううまく働かなくなっていた。お金が用意できていないにもかかわらず、吸い込まれるように店のドアを開けた。


そこには悪魔のような店主の微笑みがあった。

「やあ、青一君。お金が用意できたのかい?ちょうどよかった。つい昨日新作が入荷したんだ。どうだい。可愛いだろう?」

手に持った青いワンピースをひらひらしてみせる。


ああ・・・・可愛い。欲しい・・・のに。なのに。


わかっている。店主は俺がお金を持っていないのはわかっていて、それでいて俺を・・・。


「どうした?青一君。お金が用意できたからここへ来たんだろう?」

「お・・・・・ねがいしま・・・」

「ん?」

「お・・・ねがいします」

「どうした?青一君。」

店主は笑みを崩さない。


俺は嗚咽とともにその場に崩れ落ちた。

「僕が。僕が悪かったです。お金は必ず払いますから、だからお願いです!返してください。でないと僕は!・・・」

「何大げさなこといってるんだい。女装なんて単なる趣味だろう?別にしなくたって死にはしない。それに君は男の子なんだ。男の恰好をしていることが本来自然なはずだろう?」

「自・・・・然?」

「そう。君は男の子なんだから。」


オトコ。俺はオトコだから可愛い格好しちゃいけないの?オトコだから。俺がオトコだから?

俺の内面で何かが崩れていく。


それなら、俺はオトコなんていらない。俺はオンナに、なりたい・・・。


「僕は・・・」

「ん?」

「僕は、自分が男なのが嫌いなんです。僕は、女の子になりたいんです!」


「洗脳、完了だな。」

ぼそっと店主が呟く。

「え?」

「いやいや、なんでもないよ。」


「そんなに泣かれちゃ仕方ないなあ。君の熱意には負けたよ。特別に返してあげよう。」

「ほ、本当ですか!?ありがとうございます!!」

「ただし、条件がある。」

「え?・・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 私は鏡の前で何度も自分の姿を確認する。髪よし。リボン、よし。エプロン、よし。スカートの裾、よし。靴下、よし!

何度確認しても私の鼓動はいっこうにおさまらない。


「葵ちゃーん!着替え終わったんならこっち手伝ってくれる?」

「あ、は。はーい!」

あやうく聞き逃しそうになる。女性名で呼ばれることはまだなれないなあ。

よし、これで最終確認。そう言い聞かせてもう一度だけ自分の姿をチェックする。

今日は黒髪のウィッグをツインテにしてみた。頭にはピンク色のヘッドドレス。今日の衣装はもちろん同色、ピンクのメイド服だ。胸には大きいリボン。スカートにはハートがあしらわれている。そして、このスタイルには必須アイテムの純白のふりふりエプロンとオーバーニー。脚にはまごうことなき絶対領域が展開されている。甘々な妹メイドスタイル。


最後にかるく小首をかしげて、うん・・・可愛い・・・よね?自分に自己暗示をかけるようにして無理やり気持ちを落ち着けるようにする。そして私は声の主のもとへ急いだ。


店主さんの『条件』とは、店主さんがオーナーをしているという男の娘メイドカフェでバイトすることだった。普通に高校生が飲食店でバイトするよりもずっといい条件で雇ってもらえる。もちろん、賃金はすべて未払いの代金のために上納しなければならないのでタダ働きなのだが。まあ、でもその程度の条件で買ったものが返してもらえるならたやすいことだと考えた。


しかし、いざこれから初めてお客様の前に立つとなると緊張感でガチガチだった。なにせ私は自分の女装姿を店主さん以外に見せたことがない。自分でもかなり可愛くなったと自負してはいたが、いきなり赤の他人にこの姿を見られて一体どんなふうな反応をされるのかとても不安だった。


おかえりなさいませ、御主人様・・・

おかえりなさいませ、御主人様・・・


お決まりのあいさつなのに緊張から何度も頭の中で反芻する。店主さんの前で女の子になりたいと自分の欲求をぶちまけてなにか心の壁をひとつ崩してしまったようで、あっという間に女の子の言葉遣いに染まっていき、今では女の子の格好をしているときには意識しなくてもそういう言葉で思考するようになっていた。



「葵ちゃん。これ、そっちに運んどいてくれる?」

「はい。有希ゆきさん。」

声の主は、私の教育係を務めてくれている男の娘の先輩、有希さんだ。歳はあまり変わらなそうだけれど、ウェイトレスがすっかり板についたような感じで余裕すらうかがわせるベテランメイドだ。とても優しくて、おしとやかで、なんだろう?体全体が醸し出す『女』のオーラが私の比ではないように感じた。


 店には何人もの所属するメイドがいたが、話を聞いてみるとどうもみんなあの店主さんによってこちらの世界に『目覚めた』らしい。同じ穴のムジナというやつだ。そしてみんな店主さんに借金があるというところまで一致していた。


開店時間になった。どうやらこの店は人気店のようで、開店と同時に並んでいた客がなだれ込んできた。私は慣れない接客による緊張と忙しさで目が回りそうだった。


開店時に並んでいた客がだいたいはけて少し余裕が出てくると、今まで意識の外に追いやられていた違和感を感じ始めた。


なんだろう?この感覚。今まで感じたことのない・・・突き刺さるような・・・。


視線!?


だった。客の男たちの舐めるような、少しいやらしさのまじった性的感情のこもった視線。男の自分には生まれてこのかた経験のない、初めてのそれをたっぷりと浴びせられているのだった。私の髪に、顔に、首筋に、胸元に、二の腕に、スカートに、ニーソに。そして、いわゆる絶対領域に。


なんか。すごく、恥ずかしい・・・・。

体の奥から熱いものがカーっと湧き上がってきて、頬を赤らめてしまう。自然と視線を泳がし、もじもじとした感じになってしまう。すると、その恥じらう感じがまたいいのか、男たちの視線は以前にも増して私を視姦するのだった。


でも・・・・。

すごく恥ずかしい。とても恥ずかしい。逃げ出してしまいたい・・・のに。

なのに、その感情の裏で・・・なにかとても誇らしい、胸を張りたいような気持ちが生まれているのはなぜなんだろう?

あれだけの男たちの視線が、私に注がれている。私の体が、男たちをくぎ付けにしている。

私には、それだけの魅力が・・・・ある。

私は・・・・かわいいんだ。


自然と私は、よりその視線を意識して動くようになっていた。より私に視線が注がれるように、よりかわいらしく、仕草もより女の子らしくなるように。


そうすることでまた視線が増える。性的な目線が私を刺激する。

なんか・・・気持ちいい・・・かも。

女の子になることの快感をひとつ知った気分だった。


ああ、やっぱり女の子になるっていいな。

満足感に浸っていたその時だった。


私の横を有希さんが通り過ぎる。すると、私への視線が一瞬にしてゼロになった。

え・・・・!?


男たちの視線は、一瞬にして有希さんに乗り移る。そしてそのまま、私のもとへ帰ってくることはなかった。

有希さんはブラックホールのように店内すべての男性の視線を飲み込むと、天使のような微笑みで男性陣の心臓をわしづかみにしてまた注文の品をとりに店の奥へと引っ込んでいった。

有希さんの姿が消えたことで視線はまた私のところへポツリ、ポツリと戻り始めていたが、私はショックでしばらくその場に茫然と立ち尽くした。


とてつもない敗北感が風穴をあけられた心を北風のように冷たくなぶっていく。

少々の視線を浴びたくらいで舞い上がっていた自分がひどく滑稽に思えた。それほどに有希さんの放つオーラは圧倒的だった。


私の心の中でまたなにか未知なる化学反応が起こっていた。その反応はもくもくと黒い煙を発し、心の中を覆っていく。


なんか・・・・悔しいなぁ・・・・・。


有希さんを、心の中で敵視するような感情。ライバル心?のようなものがふつふつと心の中で沸騰を始めていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


暗がりの中・・・・抱き合う男女。

女・・・・・・?


「それで、どうだい?青一君。いや、葵ちゃんか。最近店には顔出してないけど、うまく調教できてる?」

優しく抱きすくめているほうはあの店主だ。そして、その胸の中にいるのは、

「問題ありませんわ。私がちょっと女の色香というものを振りまいてみせたらすぐ女としての嫉妬心が芽生えて。いまどんどん女らしくなっていますわよ、彼。しなのひとつも作れるくらい。直情的というか、まあ調教が楽で私としては助かりますけど。」

有希・・・。

「そうかそうか。それは良かった。彼はいい素材だと思っていたんだ。それじゃあ割合はやく僕の飼い猫になってくれそうだね。」


「そんなことより。」

有希は人差し指で店主の口をふっと抑える。

「そうやって調教した猫を1匹、いつまでこうやって放っておくつもり?早く私もメス猫になりたいの。こんな汚らわしいオス猫の体なんてもうなんの未練もないんだから。そうして首輪をつけられてあなたの飼い猫になって、早くあなたに抱かれてみたいの。」

「そうだった。君はもう頃合いだな。よし、近いうちに『装置』を用意させよう。」

「ふふ。うれしい。」

有希は腕を店主の首に巻きつけ顔を近づけるが、店主は優しく引き離す。

「キスもだめなの?もう・・・」

憤慨した様子の有希だったが、

「キスは君が本当の女になったときにとっておこう。」

「男とはキスできないってこと?」

「そんなことはない。君はもう十分に美しい。ほとんど女さ。でも、本当の女になってからしたほうが君も気持ちいいだろうと思ってさ。」

そういうと有希の額に軽く唇をあて、すぐにその場を離れて行く。

それを有希は少し物足りなげな表情で見送った。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 人前で女装をさらすことにも慣れた私は、いつの間にか外出する時にも女装をするようになっていた。というか、せずにはいられなくなった。家を出るときに両親に見つかるという重大なリスクがあるにも関わらず、女として見られる快感を重ねて知ってしまった私は、もう男性服など見るのも嫌であった。

自分でもわかる。女装の『毒』は私の全身を侵し、遂に脳にまで達してきている。自分が男であることへのものすごい違和感。自分は女であるという新たな自意識が、土の中から既に顔を出す寸前にあることを感じる。

いまさらながらに警鐘を鳴らし始めた男の自意識。「お前は何をやっているんだ!?」「このまま突き進んでいっていいのか??」「お前は、男だろ??」


フフフ・・・・。おかしくて笑ってしまう。今更、男の私が何をしようというのかしら?今まで散々私をのさばらせておいて。もう私の意識は女の私のものとなりつつあるのよ。もう遅いの。もう遅いわ。私はもう・・・。だって、女の子になるってこんなに気持ちいいんだもの。



なのに。さらに女らしさに磨きをかけたのに、有希さんとの差、女らしさの差がどうしても、あと一歩のところで追い付けない感じにさいなまれていた。


私には、一体何が足りないのだろう?容姿?いいや、そんなことはない。今の私は十分に美少女だという自覚がある。店での人気もかなりのものだ。仕草だって・・・。じゃあ、なにが?


「ふぅん。なにか、足りない・・・ね。フフフ、なるほど。」

「その笑い方。店主さん、わかってるんですか!?私に足りないもの。」

店主にそのことをそれとなく漏らすと、上のような返答が返ってきた。

「フフフ・・・・。まあ、わからないと言えば、嘘になるだろうな。」

「何なんですか!?私に足りないものって。教えてください!」

「こればっかりは、僕が教えてどうこうなるものじゃないよ。自分で見つけるんだ。」

「じぶん・・・・で?」

「フフフ・・・。まあ、端的に言うと、君はまだ子供だってことさ。」

「???教えてくれたっていいじゃないですか。いじわる~!」

なじってみたが、店主はただ笑っているだけだった。



そんなある日、有希さんが突然店を辞めた。その時の有希さんのうれしそうな顔。何か、良いことでもあったのだろうか?



 すっかり行きつけとなったAntLion。メイド喫茶で働くようになって、店主さんはまた私にツケをしてくれるようになった。なので、せっかく働いているのに、私の借金は全く減ってないように思える。でも、店で新商品が売り出されるのを見ると、女の子化しつつある私の脳が黙って見過ごすはずがなかった。


 そして、今日もいつものように店の扉をあける。中はいつものように静かだ。店主さんに挨拶でもしようとつかつかと中に向かって歩いていく。


!!??・・・・・・・・・。



店主さんはいた。ただ、いつものようにレジの奥で微笑んで・・・・・・いるわけではなかった。その腕の中には、1人のオンナが。腕をからませ、店主さんと唇を重ね、情事に身を熱くさせている。その横顔は・・・・・。


「有希さん!?」

思わず声が出てしまう。でも、その姿は、なんというか、とてもしなやかで、柔らかくて、自然とふっくらとしていて、なんというか、もうどこからどう見ても女にしか見えない。というか、女だ。大胆に胸元が開いた服からは豊かなふくらみが覗いている。


あれ?有希さんって男の娘じゃなかったっけ?


有希さんに「似ている」女の子はこちらに気づくと、その煽情的な表情のままで話しかけてきた。

「あら、葵ちゃん。うふふ、しまったわね。まさか葵ちゃんに見られちゃうなんて。」

喉から出る声もまぎれもない、高い女の声だった。

「だからこんなところでするのはよそうって言ったんだ。」

店主さんがあきれた声を出す。

「いいじゃない。別に。私は気にしないわよ。」


「有希さん・・・・なんですか?」

「そうよ。『男の子』の葵ちゃん。」

「そ、その・・・・声。体も?」

「そう。もう私は100%混じりッ気なし、生粋の女の子よ♪」

かわいらしい口調で答える。





つづく・・・


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