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知恵の輪

作者:宵野遑
第5回TO-BE小説工房落選作
課題「余韻のある結末」
 どうにも気が晴れないので、財布の中に映画のチケットがあるのを確認し、退屈な講義を抜け出した。二枚のチケットの片方は、今ではもう使うあてがない。そのことが僕をもやもやとした気分にさせているのかもしれなかった。
 映画館は大学から二駅先にある。僕は電車に揺られながら、大好きなハリウッド女優の顔を思い浮かべた。その美しい微笑みを、今日は心ゆくまで鑑賞できるのだ。失恋の傷も少しは癒えるかもしれない。
 駅に着くと、上映まではしばらくの時間があったので、僕は少し歩き、目についた雑貨屋に入った。あてもなくぶらぶらと歩いていると店の片隅にパズルコーナーを見つけた。棚に置かれた知恵の輪を目にして、過ぎ去った時間が思い出として湧き出てくる。
 ――難しそう。あたし、そういうのダメ。
 ――難しいのがいいんだよ。やりがいがあるだろう。
 ――その知恵の輪って、外れたらどうなるの?
 ――別にどうにも。
 ――面白い?
 ――面白い。
 この会話を交わした日からほどなくして彼女と別れた。ちょっとした口げんかをきっかけに僕たちの関係は簡単に外れた。面白くも何ともなかった。きっと、はじめから上手く組み合わさっていなかったのだと思う。
 僕は棚に並んだ知恵の輪のなかから、難しそうなものをひとつ選び、購入した。
 それでもまだ時間があったので、数軒隣の喫茶店に入った。注文したコーヒーを手に喫煙席へ向かう。空席はひとつだけだった。席につき、煙草に火を付けたところで、先ほど買った知恵の輪を思い出した。カバンから取り出し、封を切る。中身を手に取ると、冷たい金属の重みが心地好い。この繋がった二つの輪を外せばよいのだ。
 まずは何も考えずに色々と動かしてみる。それぞれの輪は形状が微妙に異なっており、切れこみの位置を上手く合わせることができない。頭をひねり、解法を考え始めてからも、一向に外れる気配はなかった。二つの輪を外すことができないまま煙草を二本吸い終えた僕は、あきらめて知恵の輪をテーブルに置いた。
 ずっと手元に感じていた視線が動いた。おもむろに横を向いて確かめると、隣の席の若い女が知恵の輪を見つめていた。きっとこの人は僕の作業を興味津々で眺めていたのだろう。
「やる?」と聞いて、僕は知恵の輪を差し出してみた。
「ありがとう」と言って、彼女はそれを受け取り微笑した。
 いくらかぬるくなったコーヒーを飲みながら、知恵の輪に挑戦する彼女を眺める。目つきが真剣だ。白い指先の細かな動きにあわせて、金属が触れ合う音が鳴る。彼女の作業が正解への手順なのかはさっぱりわからなかったが、僕はじっと見守った。
 もう一本煙草を灰にし、コーヒーが残り一口になった。
「難しいね」彼女が横顔で言った。それが独り言のようにも聞こえたので、僕は邪魔をしないよう黙っていた。少しの間を置いて彼女は手を止め、それから顔を上げた。
「ね?」今度はこちらを向いて同意を求めてきた。
「そうだね」と僕は答える。
「駄目みたい」口惜しげな表情で彼女は知恵の輪を見つめた。
「一番難しそうなのを選んだんだ。簡単には外れないよ」
「でも、くやしいよね」
「そうだね」
「くやしいよ」
 彼女は知恵の輪を残念そうに差し出した。受け取ろうとして手を伸ばしたとき、腕時計が目に入った。上映の時刻が迫っていた。僕は急いでコーヒーを飲み干す。
「あげるよ。暇つぶしで買っただけだし、別に高い物じゃないし」
 そう言って、知恵の輪は受け取らずに腰を上げた。このあとの会話は長くなりそうだと思ったので、返事を待たずに喫煙席を出ようとした。
 それでも立ち止まったのは、手に冷たい感触があったからだ。
 見ると、彼女が僕の手をつかんでいた。
 目が合った。
「待って」と彼女が言った。
 僕は、自分の手から彼女の手を上手く外す方法を考えなければならなくなった。


――了

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