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憐神
作:Siko



相似形、二人の男


 報告書

 これは今回の学校で発生した騒動に対する報告書である。
 今回の事件は、報告にあった、4月8日深夜に耳ヶ崎の飲食店「エオリア」で、私、武田由里香と接触していた赤毛の男(被験者No24、以下赤毛と省略)が、4月28日の午前中、授業中であった菊城高校に対して、襲撃を仕掛けたものである。
 ちなみに今回の事件を起こした動機については不明。
 ただ、警察の体育教師の佐伯敏舛への取調べで得た証言によると、名簿を探していた事から、何者かとの接触を図ろうとしていたと思われる。

 被害者は、体育教師の佐伯敏舛が警棒で殴られた末、二階の窓から放り出されて右腕と右足の骨を折る重傷。
 数学教師の飯田善樹が警棒で背中を強打され打撲した事による軽症。私と赤毛が対峙している際に接触した警官隊14人が能力で眠らさせられた事による一時的昏倒。
 及びその時間の記憶の混乱である。
 伝わってくる報告として、彼らは口を揃えて大学生ほどの若い女性と1人の女子生徒が存在し、また、それとは別に身長の高い中年の男と男子生徒が戦っていたと聞いたが、そんな事実は無い。
 現場に居たのは私と赤毛のみである。
 恐らく、赤毛の男の能力を受けての副作用かなにかで、してもいない体験をしたと錯覚していると思われる。
 集団催眠か、或いはそれに順ずる能力が行使されたと思われる。

「ふぅ」

 中途半端にリクライニングした病室のベッドで寝たまま、作成中の報告者が映ったノートパソコンのモニターを見て思わずため息を一つ吐く。
 また報告書に嘘を書いてしまった。これで嘘は四つ目だ。
 以前の私なら、物部宗全と言う能力者や零児のことだけではなく、光や先生のことも隠さずに書いていただろう。だが、今は違う。
 隠しても何の影響も無い光や先生の事だけではなく、報告するに当たっての絶対に必要な事項である零児や宗全のことも隠して虚偽の報告書を書いている。
 何故か、理由は簡単なことだ。
 それは、研究所に対する、圧倒的な不信。

 零児がそうだと言われた「原典」の存在とは?
 恐らくあの物部宗全と言う男や零児達のような規格外の強力な能力を持った能力者の事だと思われる。
 ならば、何故そんなものが存在するのか。確実に彼らの能力の強さはオーバーテクノロジーだ。
 そして、その全ての事は、私が能力者になる時に受けた「能力」と言う物のレクチャー時の説明にも、どんな資料にも書かれていない。

 勿論、唯の1エージェントに過ぎない私に全ての情報が降りてくるわけでは無いのは解かっている。
 でも、知る必要があると思うのだ、自分自身が何をしているかを知るためにも。

 この、能力者のプロジェクトの全てを管理している最高責任者は、政治家でもある私の父だ。
 だから、父様は確実にすべての事を知っているのだろう。なのに、私は何も、殆ど何も知らずに働いてきた。
 一体、父様は、何をしているのだろうか。そして、何を、何故私に隠し続けているのだろうか。
 
 それら全てが、末端である研究所への不信へと繋がっている。


 ピピピピピ!


 気づけば携帯がなっている。ふぅ、個室って、気兼ねしなくて良いからこういう時楽だな。
 パソコンをいったん閉じて携帯を見てみる、と、着信、「山口」とある。私付きの所員、つまり研究所からだ。
 さて、嘘を付き通せるか、僅かに緊張しながら通話ボタンを押す。

「武田だ」
「ああ、お嬢様。怪我の具合は如何ですか?」
「別に、そもそもたいした怪我じゃないんだし、入院なんて大袈裟なんだ。それからもうお嬢様って言うな」
「そうは言われましても、お嬢様ですから」
「ふぅ、まあもうどうでも良い。それより、報告書も明日には上がりそうだ。完成したらメ−ルに添付して送る」
「了解いたしました」
「ああ。それから……この三日間、本当に菊城、塩山、耳ヶ崎一帯では能力者のものと思わしき事件は起きてないんだな?」
「ええ。だって、赤毛の能力者はお嬢様が始末なさったんでしょ?」
「あ、ああ。勿論だ。だが死体が上がっていないと聞くが?」
「まあ、あまり大々的に捜索する訳にも行きませんしね。海に落ちたのならその内上がるでしょう」
「そうか……。あ、あとだな、こう、ここ三日間で、本当に長身の中年男性の死体は見つかっていないのだな?」
「ええ。というか、何の事なんですか、その長身の中年男性って。ここ三日間はうちの市内では死体なんて上がってませんよ?」
「そ、そうか。いや、何でもないんだ」
「はぁ、まあ、お大事にしてください」
「ああ。わかった。ではな」

 ポチッとな。
 ふぅ。嘘を突き通すのも結構手間だな。に、しても……。
 赤毛の奴は良いとして、何故、宗全が。

 そう、何よりの問題は、宗全の死体が血溜りから消えていたのだ。
 考えられるのは、実は致命傷ではなく死んでいなかったか、或いは何者によって持ち去られるなど、回収されたか。
 そのどちらかだろう。

 そうしてあの時の光景を思い出す。
 確かに零児の手は、ナイフを持って奴の体を貫通していた。場所も、ほぼ心臓だろう。
 心臓を破壊されて生きている人間が……居るわけが無い。ああ。
 と、なると、やはり何物かによって回収されたと見るべきだろう。だが誰が?

 そして、もう一つ気がかりな事は、零児だ。
 あの時、何処かへと走り去っていた零児は、その後行方不明だ。
 だが、どう言う訳かこの三日間で能力者のものと思われる事件は全く起きていないらしい。
 単に、事件が表へ出ていないだけと言う可能性もあるが、研究所の調査の精度は高い。恐らく本当に何もおきていないのだろう。 
 ならば、今、彼は何処で何をしているのだろう?

 本当に、解からない事だらけで頭が如何にかなりそうだ。


 ふと、ベットのすぐ隣の窓枠に置いておいたナイフが眼に入った。零児の折りたたみナイフだ。
 あの時、彼が落として行ったのを拾って、そして病室に持ってきてしまった。
 取っ手の部分が適当につけられた、やや刃渡りの長い手作りっぽい何処にでもありそうな折り畳みナイフ。
 でも、何故か、手放す事ができない。不思議なナイフだ。

 そっと手にとって、そしてパチリと刃を出してみる。
 ナイフとしてはやや長く、そして肉厚な刃。焼きが入れてあるのだろう、美しい刃紋。光を反射して怖いほどに輝く白銀の刃。
 そして、そこには私の顔が映っている。

 やはり、凄い。これだけの業物は日本刀でも中々お目にかかれない物だ。
 そして、何よりの特徴は、そのナイフを手に握っているだけで、不思議な暖かみが手に流れ込んでくる事だ。
 これが、零児の、温もり……?

 いや、それだけではない、何か、不思議な力を感じる。なんなんだろうな、これは。
 気になって、刃の方へと直接指を触れてみる。
 と……。

 ―――――刹那、そう、ほんの一瞬だけ、頭の中で、懐かしい声が聞こえた気がした。


 勿論、実際に音がしたわけでもないし、何か物理的なことではないはずだ。恐らく、錯覚なのだろう。
 だが、そんな錯覚を引き起こすほどの何かがこのナイフには籠められている気がする。
 なんなのだろうな、それは。今の私には知る術も無いが……。

「すみませーん武田さん。検温の時間ですけどドアを開けてよろしいでしょうか?」

 ん? あ、そうか。少しぼおっとしていたな。ナイフを仕舞わなくては。
 機密に係わる報告書の作成中だけに入室時には声を掛けるような仕組みになっていて良かった。

「はい。大丈夫です。どうぞー?」
「はいっ、お邪魔しますねー」

 そう言うとピンク色のナース服に身を包んだ看護婦さん、今は看護師と言うのか? が入ってきた。
 
「はい、武田さん? 体温計です。これを挟んで、ピピって音が鳴ったら教えてくださいね?」
「ああ、はい」

 そう言って近づいて体温計を渡してくれる。
 と、その豊満なバスとがぷるるんと揺れた。
 
 凄い。うん。たゆたっている。同性の私から見ても凄い。これが、おっぱい……。
 わきに体温計を挟むときに、ついでに自分の胸を少し覗いて見る。

 なんだか、「すとーん」と言う音が聞こえた気がした。ブラしているのに。
 そして目の前の看護婦さんを見る。

「ん、なんですか?」

 小首を傾けながら、微笑んでくる。微笑んだ目の下の泣きボクロがせくしーだ。
 そして、その下の胸からはばいーんと言う音が聞こえた気がした。無論、気のせいなのだけど。

「いや、なんでも無いです」

 我ながら何を考えているのやら。いくらずっと事後報告に報告書詰めで疲れているとは言え女なのに女性の乳房についての考察を始めてしまうとは。
 しかしアレだな。私はまな板と言われても仕方ないかもしれないが、光はどうなのだろう。
 まあ、BかCはありそうだな。うん。程よい大きさだ。
 先生は、Dくらいありそうだな。かなり大きいし、羨ましい。
 それにしても、光のおっぱい……なにか、非常に良い響きだ。
 って、いかんいかん。そんな事を考えては。光は親友だ。間違いない。うん。そんな事を考える相手ではない。大丈夫だ。多分。

 
 ―――――ピピピピピ!


「はっ、そう言えば体温計……」

 忘れていた。体温を測っていたのだった。
 
「はい、計れましたね。えーっと体温計……」
「はい」

 そう言って手に持った体温計を渡す。
 
「んーっ。平熱ですね。特に問題ありません」
「はぁ」
「あ、あとお見舞いに来ているお客さんが居ますけど、入室して頂いて大丈夫ですか?」
「ええっと、名前は?」
「ええっと。いつもの片山さんと山園さんですよ」
「すぐに入れてください!」
「はい。解かりました。それにしても。二人とも毎日来てくださって、仲が宜しいんですね?」
「ええ。凄くあり難いです。あの二人が、毎日来てくれて、凄く嬉しいです。だって、あの二人は……」

 ―――なんだかいろんな経験を共にして戦友のように感じてしまうほどの仲なのだから。

「うふふふふ、羨ましいですね。女同士それだけ心通わす友達が出来るなんて」
「そうなんですか? だって、心が通じて無い人は友達とは言わないですよね?」
「そうですね。本当はきっと。でも、世の中はそう言うことばかりではないし、私の場合も……。きっと、あなたがそう言う人だから良い友達にめぐり合えたんですよ?」
「はぁ」
「あ、長話してお友達を待たせてしまいましたね。それじゃあ呼んできますね」
「あ、よろしくお願いします」

 そう言うと、看護婦さんは微笑んで部屋から出て行った。
 ふぅ、機密を保持していると言う建前を研究所の息のかかったこの病院側に示すためとは言え、二人にまで勝手な入室を許可できないのは心苦しいな。



 ―――――そうして、1人になった病室で、窓の外を見る。

 東北山病院。耳ヶ崎から少し離れた内陸側に聳え立つ東北山のほぼ頂点に立てられたこの病院の四階の部屋。
 山の上の病院だけあって眺めは良くて、菊城の辺りの高校や町並み、それから駅前のデパートや塩山の商店街や、そして耳ヶ崎が見渡せる。
 そして、その向こうには海が。沈み行く夕日を反射してキラキラと輝く海が見えた。

 海だけじゃない。道を行く人たち。夕日を浴びて陰影が濃くなっていく街並み、徐々に長くなって行く影を纏ったビル。 
 なんて、綺麗なんだろう。
 
 ふと、零児のことを思い出す。
 事件は起きていない。今の平和な、美しいこの街。
 彼は、今、何処で、何をしているのだろうか。

 一刻も早く、身体を治して彼を探し出さなくては。
 そう思う反面、彼に会うのが怖いという気持ちも当然ある。

 だって、あの時、私を刺すのを躊躇ったとは言えその後、彼の精神が、あの時生まれた「何か」に呑まれてしまった可能性だってある。
 それに何よりも、もう一度彼に会ったとき、彼が、完全に私たちの良く知っている「最上零児」で無くなってしまって居たら……。
 その事を想像するだけで、凄く心が、何か原因の解からない恐怖に包まれるのを感じる。

 そして、だからこそ気づけた。
 私は、こんなにも彼のことを大好きだったのだと。彼がいなくなる事を想像するだけで、こんなに気持ちが揺れる程に。

 零児と同じ時間を過ごすのが凄く楽しかったのも。
 零児と同じ物を見て感情を共有できると言う事が凄く嬉しかったのも。
 そして、できるだけ彼と沢山同じ時間を過ごしたいと思ってしまったのも。

 全ては、私が彼のことが大好きだったからなのだろう。

 これが、愛と言う感情なのか、それとも恋と言う気持ちなのかは、知らない。
 でも、きっと、そのどちらでも構わなくて、そして、どちらでなくても構わない。
 友達でも良い。ううん、違う。「友達でも」じゃない。「友達で」居たい。
 そう、一番でなくても良い。女としてでなくても構わない。
 友人として、ずっと長い時間を、近い距離で彼と共有したい。
 きっと、私は彼の事が人間として大好きなんだと思う。それが、偽りざる私の本当の気持ち。
 
 だから、会いたいんだ、零児に。

「ユリちゃん?」
「ん?」

 気づくと、私の顔を心配そうに覗き込む光が居た。

「あ、光……」
「大丈夫? 何かボーっとしてたけど」
「あ、いや、何でもない。少し考え事があって……光、来てくれてありがとう」
「ううん、私が好きで来ているんだから、お礼なんて言わないで?」
「うん。でも、ありがとう」
「ふぅ、でも、ユリちゃんらしいね。あ、今日は林檎持ってきたんだけど、食べれる?」
「あ、ああ。勿論」
「じゃあ、看護婦さんに果物ナイフ貰ってくるからちょっと待っててね」
「ああ。ありがとう」
「もぅ、お礼ばっかり……。じゃ、少し待っててね」
「うん」

 そう言って部屋を出て行く光。と、光の後ろに居た先生と目が合った。
 
「あ、先生も、居たんですね。わざわざ毎日ありがとうございます」
「居たんですねって……はぁ。武田さんは相変わらず正直と言うか素直と言うか……まあ、でも貴方のそれは美点だと思うし良いわよ。でも、貴方の大好きな片山さんを学校が終わってからここまで毎日ここまで車で送ってあげている私にも何かあっていいんじゃない?」
「ええ、本当に感謝しています。それに、勿論光が来てくれるのはとても嬉しいんですけど、先生もわざわざ同行してきてくれて、その事も凄く嬉しいです。本当にありがとうございます」
「うううぅ、この子は、相変わらず……まぁ、良いわ。で、怪我の具合はどう?」
「ええ、首の方は掠り傷ですし、腹の方も浅い傷なので、もう抜糸も済んで殆ど痕も残らないしすぐにでも退院できる、と個人的には思っているんですが……」
「でも、無理はしちゃだめよ」
「ええ、まあ、程々にしておきます」
「そうしなさい」

 と、光がナイフ片手に入ってきた。

「ユリちゃーん。今林檎剥くから少し待ってね」
「あ、ごめん。ありがとう」
「うん、えっとぉ……よいしょっと」

 そう言って、シャリシャリと林檎の皮を剥く光。手馴れた物らしく、クルクルと一本の長い林檎の皮が出来上がっていく。
 
「はい、ユリちゃん。どれ位食べる?」
「ああ、さっき薬飲むために昼ごはん食べたし、このひと欠けで良い」
「そう? じゃ、乾いちゃうし、この剥いた林檎の残りは私たちで食べるね。他のりんごはここにおいて置くから」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、先生の分も剥きますから」
「あ、うん。よろしく」

 そう言って光は林檎を剥き続ける。
 私は、貰った林檎を口につけた。口の中に爽やかな酸味と甘みが広がっていく。うん、美味しい。
 そして、林檎を食べながら窓の外を見る。
 

 山の上の病院の静かな病室。シャリシャリと林檎を剥く音だけが聞こえる。
 窓の外は、さっきより更に傾いた太陽が、まさに今、海へと沈み行く所だった。
 目に痛いほどの直接的な西日が乱反射して、海は、波間をキラキラと黄金色に埋め尽くしている。
 街のビルからは、さっきよりも更に長く伸びた影が道を覆いつくし、世界は、金と黒の二色の世界へとなっている。

 そんな夕暮れを見ながら、気づけばいつの日か零児と一緒に見た、屋上の夕暮れを思い出していた。
 ああ、零児……。

 そうだ、手がかり、零児の手がかりを探さなくては。

「光、先生。街の方で、零児の噂や、能力者が起こした様な不審な事件の噂などは、聞いていないんですよね」

「ええ、聞いていないわ」
「うん、聞いて無いよ。少し聞き込みとかもしたんだけれどね、誰も見ていないって」

「そうか……でも光。聞き込みも、程々にしておかないと。特に耳ヶ崎のほうでは絶対に行ってはいけないかな。あの辺りは危ないから」
「うん。解かってる。大丈夫だよ、ユリちゃんに心配を掛ける様な事はしないから」
「それなら良いんだ。それに……零児自身、私たちの知っている零児でなくなってしまっている可能性も否定は出来ないんだ。だから、何か解かっても……」
「でもっ、でも、ユリちゃんは身体が治ったら最上君の事、探すつもりなんでしょ?」
「勿論、そのつもりだ。でも、正直会うのが怖いって言う気持ちもあるし、だからこそ行動を起こす事に躊躇いを感じてしまっている気はする」 
「そんな……」

 と、沈みがちになった光の表情を見てハッとする。全く。何やってるんだ私は。ここは嘘でも力づけておく場面だろうに。

「大丈夫だよ、光。私が治ったら直ぐにでも零児の居場所を能力で探知して二人の前に引きずって来て謝らせてやるから」
「う、うん。ありがとう、ユリちゃん。でも、無理しないでね?」
「ああ、解かってる。大丈夫だから」

 そう、大丈夫だから、そう自分自身に言い聞かせるように呟く。だが、本当に大丈夫なのだろうか。
 本当は、どう思っているのか?
 恐いのではないか?

 本当に大丈夫なのなら、恐怖を感じていないのなら、ここまで傷が治ったのならばトウにこんな病院抜け出して、零児を探し回っているのだろう。
 少なくとも、自分にはそれだけの行動力があると信じていた。

 だが、それが今はどうだ。辺鄙な山奥の病室でこの程度の怪我を言い訳にして篭っているのだ。
 何故か。それはやはり恐いからなのだろう。彼に会う事が。

 あの時に感じた、圧倒的な力の差。刃向かっても死以外の未来が全く想像のつくことの無い絶望。
 そして、何よりも大好きな彼が、彼で無いものになってしまっているかも知れない。その可能性を直視する事が。

 ベットの横で、甲斐甲斐しく林檎を綺麗に積んだり花の水を替えたりしてくれている光を見ながら、心の中で謝る。
 ごめん、光。少しだけ時間が欲しいと。零児を探すのには、心の準備が必要なんだ。


 ――――――と、不意に世界が揺らいだ。
 気づけば、ベットの上で上半身を起こしていた状態から、ボスンと音を立ててリクライニング中のベットで上半身が倒れていた。 

「ユリちゃん? ちょっと、大丈夫?」

 ああ、これは。

「大丈夫だ。昼食の時に飲んだ鎮痛剤に睡眠薬のような効果の薬が混じっていたようだ。大丈夫だから……」

 ああ、ダメだ。急に薬が効いてきた。二人が来てくれているのに意識を保てそうに無い。

「光、先生。折角来て貰ってすまないんだが、このまま眠ってしまっていいか? 意識を保てる自信が……」
「あ、勿論だよ。ごめんね。何か毎日のように押し掛けて来ちゃって……」
「そんな事を言わないで光。私は、二人が来てくれて、本当に幸せに感じているんだから……」
「ユリちゃん……」

 空ろになった頭で、顔を窓の方へ向ける。
 上半身を起こしていた時に見えた窓の外の街並みは、ベットに倒れてしまうと見えなくて、窓からは藍色の空だけが見える。
 
 日は沈んだのか。そろそろ一番星が見え始める時間かな……。
 だが、それを確認する術も無く、重くなったまぶたが下りていく。

 徐々に閉じていく視界。そんな中。胡乱な頭で寝言のように、思ったことをただ口にする。

「光、ありがとう……来てくれて、本当に嬉しい」

 ……うん。

「私は、光と友達で、本当に良かったと思う。怪我をしても来てくれるから、寂しくなくて済む」

 ……うん。

「光……好きだ。君と友達で良かった」
「……うん。私も、ユリちゃんのこと、大好きだよ? ユリちゃんと、友達でよかった」

 そんな、幸せな言葉を聴いた気がした。



 ―――――そして、私の意識は泥沼のような奥底へと沈んでいった。

 



 幕間  side 二人の男



 気がつくと、見たことの無い場所で1人、立っていた。
 そこは、感じた事が無いほどの孤独感と荒涼感だけを感じる、まるで火星の上のような世界。

 何故だろう。寂しさのあまりふと泣きたくなった。

 さっきまで、光と一緒に幸せな時間を過ごしていたから?
 さっきまで、友達の温もりと共に在ったから?

 いや、それもある。でもそれだけじゃない。
 こんな場所、こんな寂しい場所が在って良い筈が無い。
 何となく、感じる。ここは私の居るべき場所じゃない。私のために用意された場所ではないのだここは。
 今回、私は偶然に、色んな要素が混じってこの場所に紛れ込んでしまっただけなのだから、ここでは、私はイレギュラーな存在なのだ。
 だから、重要なのは私についてではない。

 重要なのは、この場所の主。その者の為に、ここは用意された。
 だけど、ここには何も無い。あらゆる生物も、自然も、意志も、意味も、そして時の流れさえも。
 だとしたら、そこの主は、なんて孤独と存在しなくてはならないのだろうか。

 ――――そんな事を考えていたら、ふと違和感に気づいた。
 身体が、動かないのだ。

 身体だけではない、視界も動かす事はできず、声も上げられない。
 成る程、ここは本来私の場所では無いのだ。私は紛れ込んだだけ。
 

 ならば、この身に許された自由は、映画館に入った観客のように、ここで起こる事をただただ観賞するのみ、と言うことか。
 確かに、観客は話に干渉することはできない。その流れ行く話を追って行くことしかできないのだから。
 
 と、御誂え向けに、視界の中に人影が入った。
 

 その人影は、二人の男。中肉中背の、良く知っている男が二人。
 二人? 彼が二人……?

 だが、干渉する事が叶わない私には、声をあげて疑問を確認する事もできない。
 そして、そんな私に構う事も無く、その二人は適当に出っ張った岩を見つけて座り、そして話し始めた。


「なぁ、人格は記憶の積み重ねって意見について。どう思う?」
「オゥ、どうなんだろうね。俺はあまり感心できない意見だと思うな」
「何でまた?」
「その意見には穴があるんだよ。記憶の元になった一番大事な「――」が抜けてるだろう?」
「成程な。確かにそれは一理ある意見だ。でもさ、俺は人格は記憶の積み重ねって意見も十分説得力があると思うんだよな」

 そう言い切り男は目の前の男の方へと向き直る。
 その男は真っ直ぐともう1人の男の目を見つめ返しながら言った。

「ふぅん。どう言う事だ?」
「つまりはさ、結構単純に考えると、まず感情とは電気信号だろ?」
「ああ、一般的にはそう捕らえられているな」
「そう、シナプスに流れる電気信号がとか……まあ俺は学者じゃないから理論体系的に解かっているわけじゃないが……」

 そう言って空を見上げる。空にはただひたすら遠い、そして決して夜の訪れる事の無い、血のように紅い夕焼けが広がっている。

「この場所へ来て解かった事がある。魂の形成の問題なんだけど、つまり人格って言うのはさ、記憶って言うその人毎に違う形で出来上がっていくグラスに注がれた水のような物なんだよ」
「へーっ、そしてその意は?」
「うん、つまり記憶によって如何様いかようにも形を変える、むしろ記憶と言うグラス、まあ花瓶でも何でも良いんだが、その器によって強制的にそれの形に添うように変えられていく物なんだ。水を入れることによって、その水圧で割れるコップは無いだろ? つまりさ、人格と記憶って言うのは必ず相似形になるんだよ」
「成程な。確かにその通りではあるさ。だがな、考えても見ろ、グラスに入れた水は時間の経過と共に変質していくだろ? それは、その水に元から入っていた菌の影響でもあるだろうし、その入っている容器の材質によっては、その容器の物質が溶け出していく事もあるだろうさ。鉛で出来たコップに長い間入っていた水は飲めない物になるような感じでさ。でも、何の菌もはいらっていない水が、冷蔵庫に入れられていれば良く冷えた美味しい水にもなる。その、変質していく物が時間の経過、魂における「――」だと思うんだ」
「ふん。それもまた真実だろうな。まぁ、だが、まさかこんな経験をすることになるとはな。夢にも思わなかったぜ」
「そうだな。で、お前は最上零児は今後どうなっていくと思う?」
「ん? 別にどうもならんだろう。さっきも言ったとおり記憶と言う容器がある限り、その中の水が入れ替わったって、また容器の形と同じカタチに順応していくしかないのだからな」
「そうか。成程」
「まぁ、少し時間がかかるとは思うが、あいつも間違いなく最上零児だ。どう頑張ったて他の物にはならないさ」
「そうだろうな。しかし、まさかこんな経験をすることになるとは思わなかったな。実際この場所はあまり好きじゃないが……」

 そう言って男は空を見上げた。その視線の先には、決して朝を迎えることの無い暗い藍色の空が広がっている。
 そろそろ明るい星が光り始めている。しかしその星は、決して増えも、減りもせず、永遠に同じ場所に存在している。

「ただまぁ、少し意識を集中するだけでいつでもここを抜け出して、そしてあの美しい世界を感じられるとは思わなかったな」
「そうだな。それも以前より自由に感じることが出来る。これもやっぱり俺らが「……」だからか?」
「ああ、そうだろうな。だってここには俺たちと、盗み見してる子猫ちゃん以外誰もいない。ただ、気になるのは時間軸で考えて「……」や「……」も居ないって言う事から考えると……」
「そうだな。まぁ、不安要素はあるが、深く考えてもしょうがないな。後は、「最上零児」に任せるとしようぜ」
「ああ。じゃあ、世界に興味がある場所は尽きない。しばらくは色々見て回る事にするさ」
「ふぅん。俺は親しい人に会いに行く。全く、薄情な奴だよ。お前はさ」
「そう言うなよ。いつでも会えるんだ。良いじゃないか」
「そうだな。それじゃあ、またな」
「ああ」

 そう言うと二人の男は地平線へと向かって歩き出した。
 私はと言うと……まあ、何をすることも出来ない。声を上げて彼らを呼び止める事も、走って彼らを追いかける事もできない。
 ただただ、地平線へと向けて歩いていく、小さくなる後姿を見てることしか出来ない。

 だが、悲観する必要は無い。だって、何故かと言うとそれは……。





 幕間 SIDE 武田由里香



 天井が見えた。目が覚めたのだ。
 思わず、ガバリと上半身を起こす。明るい病室の中、カチカチと時計の時を刻む音が聞こえる。

「あ、ユリちゃん。起きたんだ」
「光……居たのか」

 時計を見る。眠りについてから2時間ほどたっているだろうか。

「すまない。帰ってくれていても良かったのに……」
「気にしないでユリちゃん。私は居たかったから居ただけだし、面会時間もまだ少し余裕あるしね」
「そうか、ありがとう」
「うふふ。それよりもどうかしたの? 突然飛び起きて」
「いや、少しな……」

 そう言って考える。
 そう、さっき見た夢について。

 夢……?
 いや、あの存在感、現実感。そしてあの時に鑑賞した事象。
 何となく解かる。あれは只の夢ではない。夢の中で感じたとおり、様々な偶然が重なり合ってあの場所へと行けたのだろう。
 ならば、あそこで語られた事は、唯の夢想ではなく、信憑性のある意見として取り上げるべきだと思われる。

 そう、あそこで「彼ら」が話していた内容が事実なのだとすれば、彼は、今でも……。
 そうと決まれば話は早い。すぐにでも彼を探しに行かなくては。
 
「すまないんだが、光」
「ん、何? ユリちゃん」
「そこのバッグを取ってくれないか?」
「うん、解かった」

 そう言って光に部屋の隅に置いてあるボストンバッグをベットの所まで持ってきてもらう。

「よいしょっと。これだよね? ベッドの上に置いて良い?」
「ああ、ありがとう」

 で、私はおもむろにバッグから着替えを取り出し、そして着ていたパジャマを全て脱ぐ。

「って、ちょとおおおっと、何やってるのユリちゃん! 突然服を脱いだりして!」
「いや何。下着まで脱ぐつもりは無い。すぐに着替えなくては」
「な、何で!」
「すぐに零児を探しに行かなくては! え、ええぃ、こんな邪魔な包帯……」

 そう言って腹の包帯はそのままにして邪魔になる首の部分の包帯だけを解いて放り投げる。
 僅かに痛みが走って、表情に出そうになるが気にせずに全て解く。

「ちょ、ちょっとぉ! まだ無理しちゃダメだってっばぁっ!」
「無理なんかじゃない。そもそもこの程度の怪我で引篭もるほど私はやわじゃない!」
「そんなこと言って無理しちゃあ……そもそも何で突然最上君を?」
「解かるんだ。彼は今も私たちの知っている零児なんだ」
「何で突然そんな事がわかるのよ!」
「それは、説明すると長くなるけど、兎に角大丈夫なんだ。だからすぐにでも彼を探さないと……っと、そう言えば先生は?」
「あ、先生は今飲み物を買いに言ってくれていて……」
「そうか。あ、じゃあ着替えも終わったし私は行く。先生によろしく言っておいてくれ。今日は来てくれて本当に嬉しかった!」
「あ、うん……って、何処へ行くつもりのなの?」
「それは、耳ヶ崎のほうかな、近づけば匂いで探れるさ。大丈夫。近い内にも零児を連れて二人の前に来るから!」
「そ、そうなの?」
「ああ、零児に会いたいだろう? 私も会いたい。だから、連れて来るさ!」
「う、うん」

 突然のハイテンションに驚いたからだろうか。やや怯む感じの光を傍目にベットの下に置いておいた袋に入った刀を掴んで、そして病室を後にする。
 と……。

「ねえ、ユリちゃん」

 後ろからの声で引きとめられた。

「ん、なに?」
「あの、さ。気をつけてね、ユリちゃんも」
「ああ、任せておけ!」

 そう言って、光に向かって笑顔で答える。
 そうして、部屋を出た。 

 携帯電話でタクシー会社の番号を探しながら、不意に、今の笑顔は、珍しく自分らしく笑えたかもしれない。何て事を思った。




 1



 ふと、喧騒の中、目が覚めた。
 何か、夢うつつの様な感覚。ざわざわと人の声が聞こえる。

 ああ、そうか。俺は眠っていたのか。

 家に帰ることも無く、この数日間は街を彷徨っている。
 今は……ホームレスに混じって公園のベンチで寝ていた。

 もともと体毛の薄い方なので、髭とかは伸びていないが、もう数日風呂に入っていないのだ。そろそろ体臭が気になりだした。
 だが、家に帰る気は無い。帰る必要も無いし、帰る目的が無い。
 それに、今は少し解からない事だらけで、混乱しているんだ。だから考える時間が欲しい。
 そして、何より……。


「今更どんなツラ下げて帰ればいいって言うんだよ」

 
 ふと、無意識のうちに漏れた言葉に苦笑する。
 俺は、こんなことを俺に考えさせる、この記憶が憎い。
 完全な能力者の俺は、完全に全ての物に囚われない自由な存在のはずだ。
 だが、現実はどうか? 今までの人生。記憶。しがらみに囚われて誰を殺す事も、家へ帰る事もできずにいる。
 でも、これは、換え様の無い記憶。俺自身の人生の跡。

 生まれたばかりの人格が、徐々に記憶に馴染んで、変化していくのが解かる。
 それが、例えようも無く、怖い。自分が自分で無いものになっていくようで。

 いや、どうなんだろうか。自分じゃない物なのか? 
 実は、それはこの上なく自分自身でもあるのではないのか? 本当に、さ。もう、何がなんだか。

 俺は一体、誰なんだろうか。
 否。答はわかっている筈なんだ。俺は……。



 揺れる街を見る。光るネオンに、蠢く人混。
 さっきからどれだけの時間が過ぎたのだろう。
 気がついたら耳ヶ崎の中でも一番の繁華街、耳ヶ崎二丁目の辺りに来ていた。
 全体的に治安の悪い耳ヶ崎でももっとも繁華街として機能しており、そして特にガラの悪い人間が集まる治安の悪い場所。
 何故、俺はこんな場所に居るのだろうか。
 
 だが、そんな自分の行動原理さえも解かる事ができない俺は、まるで人の欲望の渦に流されるように、フラフラと、目的も無く歩いていた。
 




相変わらず時間がかかりました。
でも外でもこれ書くためにノートパソコン買ったんですよ。
で、少しは更新早めれるかとも思ったんですが。

ただ、毎日書いてるんですが一日に2行くらいしか進まない。
もう認めます。遅筆でごめんなさい。
次話、「法悦の夜」(タイトルはあくまで予定)出来るだけ早めで頑張ります。
よろしくお願いします。

あと、「空を航る船」
キャラクターと設定は気に入ってるんですが、何処まで行っても平凡な日常にしかならなそうなので、少したったら削除します。
申し訳ありません。
ただ、個人的には気に入ってるので設定はそのままで少し手直ししてタイトルを変えて再UP予定なので少々お待ちください。






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