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憐神
作:Siko



Harbor Lights


 1


 冷静になれ。冷静になるんだ。今ここで俺が激昂しても何の解決にもならない。
 冷静にならないと勝てる戦いも勝てなくなる。ましてやこれから俺が行うのは切れそうな細い糸の上で行う綱渡りのような物。

 冷静に、成功するイメージだけを持ち続けろ。一瞬の気の緩みでもあれば、負ける。


「なぁ、零児、行くと言ったが、当たり前だけど奴らは唯では返してくれないだろう。勝算はあるのか?」
「ん、あ、あぁ、武田か。勝算か、勝算は……」

 無くは無いといったところか。口に出すのは憚られる事だが、俺は、奴を再起不能にするつもりも行動不能にするつもりも無い。
 これから俺が行うことは唯一つ。奴を殺すことだ。だから、口に出して武田達に伝えるのは憚られるんだよな。

「勝算は、無くは無いが、今は教えるわけにはいかない」
「何故だ?」
「それは、言えない」

 そう、言う訳にはいかない。俺は彼女たちに軽蔑されたくは無い。それが一番の理由だ。
 それに、何より成功する確率はあまりにも低いし、成功したとしても俺の命の保障は出来ない。
 だから、彼女たちにそんなところを見せるわけにはいかないし、これ以上心配かける訳にもいかないだろう。
 俺が、ここで能力者への禍根を絶つつもりだから、できれば、彼女たちには今回の事は忘れて、普通に生きて欲しい。そんなことだけを考えている。


 そのために必要な行為は何か。ここで宗全を倒してしまう事。しかし奴は俺より強い。
 ならば必要な方法は何か。それは結構単純な事。

 自分より格上の能力者を倒すには一つの力が敵を押さえている間にもう一つの力が敵に攻撃する必要がある。
 そして、そのもう一つの力が敵を攻撃する為に敵に隙を作らなくちゃならない。
 方法は……無くは無い。

 まず、能力を使って右腕の感覚を全身から隔離し、俺が右腕に命令を送ったときに全身の状態と関係なく自動的にある行動を起こすという状態にセットしておく。
 そして、奴との戦いの時には右手にナイフを持ちながら、左手と足だけを使って戦い、何とか時間を稼ぐ。
 奴が痺れを切らして、俺に対して渾身の一撃を放とうとするその瞬間を待つ。

 そして、奴が俺に対して必殺の一撃を放つとき、俺は敢えてその一撃を受ける。
 俺の体が完全に破壊されて、奴の注意が俺の破壊され行く身体へと向いて油断をするその一瞬を待つ。

 その時に痛覚感覚神経全てを全身から切り離しておいたナイフを持った右手に命令を送って、「その行動」を、起こさせる。
 その行動とは、ナイフを投げると言う、それだけのシンプルな行動だ。身体がどんな状態になっていようと、奴の眉間にナイフを投げるように右手には前もって指示を入れておく。
 
 上手くいけば、ナイフは油断している奴の頭に直撃し、頭蓋骨を突き破って脳を破壊することが出来るはずだ。
 能力の根源は脳にある。つまり、どんな能力者でも脳さえ破壊してしまえば確実に死に至ると言うわけだ。

 もういっそのこと右手にミギーでも住んでいてくれたら手っ取り早いんだがな。まあ能力で擬似的その状態を作る事にする。
 一つの体に二つの意思。そうすれば同時に二つの攻撃手段を生む事ができる。

 まあ、つまり、早い話が作戦が上手くいっても相打ち。失敗すれば犬死に。そう言う訳だ。
 でもそれは仕方が無いこと。奴が父さんと戦ったときもそうだったんだ。奴は自分より格上である父さんを倒すために、自分は囮となり二つの攻撃手段を同時に進行させた。
 だけど今回の戦いは俺一人で行わなければならない。ならば、注意を逸らすためには自分の命ぐらいの物を賭け金として用意しなくては敵は食いつかないだろう。
 だって、用意する物が大きければ大きいだけ、敵は乗りやすくなる。
 だから賭けようじゃないか、この命を。


 いつの日か言っていたよな宗全。
 一対一では最強とはいっても、戦略が入ってきた以上、そこに最強なんて物は存在しないって。
 その言葉、この身を持って証明させてもらうことにするぜ。

 それに、これで彼女たち三人をしがらみから放つ事ができて、姉さんの命を救う事ができるなら、俺の命なんていう賭け金、安すぎるくらいだ。
 そう、覚悟を決めてポケットの中のナイフを握りなおす。

「零児……」
「あ、武田。なんだ?」
「ん、いや、その、なんだ。勝てる……んだよな?」
「ああ、多分な」

 俺の生死に関わらず奴を倒す事を勝利と呼ぶならば、作戦さえ巧く運べば俺は勝てるだろう。

「ああ、きっと、勝てるさ」
「そうか。それならいい」

 だがそう言いながらも何故か武田の表情は暗く沈んでいる。

「ん、武田、どうかした?」
「ああ、別に、なんでもないんだ。なんでも……それよりも、良いのか、そろそろ時間だぞ?」
「ああ、もうこんな時間か。じゃあ、行ってくるぜ」
「ああ、行こうか」

 ん? なんか今会話の流れが変だったような気が……いや、まあいいか。

「それじゃあな。俺は行くから」
「そうだな、私も準備出来てる」
「あ、私も出来てるよ」
「そうね、行きましょう」

…………。

「ち ょ っ と ま て」

「どうかしたのか」
「うん、どうかしたの?」
「用事なら早くしなさいよ?」

「その、なんだ。文脈からすると、まるでチミ達着いて来るみたいな言い分だけど、そんな訳無いよな?」

「何を言ってるんだ、当然着いて行くに決まってるじゃないか。二人もそうなんだろ?」
「勿論だよ」
「当たり前じゃないの」

「ちょちょちょちょっと待てよ! 着いてきて良い訳無いだろ、すっげぇ危険なんだぞ?」
「だから私がついていくんだ零児。私だって……」

 そう言って床に転がっていた鉄パイプを拾って軽く振る武田。

「戦力にはなるし、大体私が居なかったら誰が赤毛の奴を押しとどめておくんだ?」
「う、まぁ、それはそうだけど……まぁ百万歩譲って武田は良いにしても後の二人は絶対ダメ。さっきので解かってると思うし、こんなことは言いたく無いけれど、正直足手まといなんだ、二人は」

 ああ、本当にこんなことは言いたくない。だが、あえて諦めさせるためにキツイ言葉を選ぶ。

「う、そ、それは解かってるけど、でもダメ。今回だけは私絶対ついていく」
「ええ、私もよ。絶対に邪魔になら無いように気をつけるわ。何なら見捨ててもらっても構わない。だから今回は譲れないわ」
「何でだよ、もう。武田からも言ってくれ。二人は着いてきちゃダメだって」

 と、武田を見ると、片手に鉄パイプを持ったままもう片方の手を口元に当てて考え込んでる。

「武田……?」
「ん、ああ。すまない。聞いていなかった。なんだ零児?」
「いや、だから武田からも言ってくれ。二人は着いてきちゃダメだって」
「ん? 何でだ? 私は二人もついて行っても良い、むしろついて行った方が良いと思うぞ?」
「なっ!」

 思わず絶句する。武田は賛成してくれると思ったのに。

「武田まで何でそんなことを言うんだ、おかしいだろ。だってコレから行く所はスッゴイ危険で命の保障も出来なくて……」
「だからこそついて行くんだ。零児にはそれが解からないのか?」
「解かるわけねぇだろうが、何でなんだよ!」
「それはな、零児。お前が死ぬ気だからだ」
「なっ、何を……」

 何を突然……。

「ああ、すまない、言い間違えたな。正確には零児、お前が死んでも構わないと思ってる。むしろ自分の命ぐらいを引き換えに君の姉を救い出せるのなら御の字だと思っている。さらには零児の計画と言うのは、零児自身の命と引き換えに宗全を倒す物だという事。そして、そんな、自分が死ぬような所を私たちに見せる訳には行かない、そう思っているとか。こんな所か」
「な、なんで……」
「ふふっ、何で解かったか、か? 零児は単純だからな。零児の考えている事くらいすぐに解かるさ。顔に書いてあるぞ?」
「なっ!」

 思わず顔を触る。

「ああ、やはり図星だったか。つまりだ、二人もその事を察しているからこそなんとしてもついて行くつもりなんだろうし、だからこそ私も二人がついてくる事に反対しないんだ。いいか零児、勇気と無謀は違う。命懸けで事に望むのと、初めから命を捨てる計算で事に望むのは全然違うことなんだぞ?」
「で、でもっ、お前も解かってるだろ、宗全の強さを! 命ぐらいをペットとしてでも出さない限り奴に勝つなんて無理だ」
「ああ、そうだろうな。でも何でそこまでして勝つ必要があるんだ?」
「当たり前だろうっ、だ、だって、姉さんが……」
「ああ、そうだ。今回の目的は零児のお姉さんを救い出す事だ。ならばいくらでも手はある。例えば零児が宗全を、私が赤毛を抑えている間に二人が救出するとかいくらでも方法はあるんじゃないか?」
「そ、それはそうだけど……でも、武田たちをそんな危険な目に合わすなんて事は」
「なぁ……零児」

 と、突然武田が近づいてきて俺の両肩に手を掛ける。
 急に近づかれたからか、少しドキリとする。

「こんなことを面と向かって言うのはおこがましいとも思うのだが、私は、その、なんだ。勿論零児と出会ってから少しの時しか経っていないのだが、だけど、零児に、その、友情のような物を感じている。それはきっと光も先生もだ。勿論2人の気持ちが友情なのか、それとも、別の形の気持ちなのかは解からないけれど、とにかく三人とも零児に何かしらの好意を抱いているのは確かなんだ。だから、零児のためになら多少の危険は犯す覚悟はあるし、零児の力になりたいと思っている。こんなことを、私が君に対して友情を感じてしまうのは、私の、思い上がりなんだろうか……?」
「そ、それは・・・・・」

 正直、驚いた。
 ここまでストレートに、気持ちに素直な言葉を聞いたのは初めてだった。
 だからだろうか。俺も、照れるとか、恥ずかしいとか、そんな感情が湧くより早く、自分の気持ちを口にしてた。

「それは、思い上がりなんかじゃない。俺も、勿論出会ってからの時間は凄く短いけれど、先生にも片山さんにも、そして武田にも、隆貴たかき以来かもしれない、友情と言うような、ハッキリとした好意を抱いてると思う。だから、武田が俺に対して友情を抱いてくれているのは、凄く嬉しいし、その気持ちは片道の、思い上がった気持ちなんかじゃない」
 
 そう、目を見つめて話す。
 と、武田はそのまま少し頬を紅く染めて、そして少し笑顔になって、ほぅと息を吐いて胸に手を当てる。

「そう、か。あ、あはは。この、何て言うか、気持ちが伝わりあうというのは、その、なんだ。すごく、嬉しいのだな」
「そうか、俺も武田が嬉しかったのなら、嬉しい」
「ああ、そうだ、私たちは友達だからな。だからこそだ。きっと零児も、私に何らかの危機が迫った時は助けたいと思ってくれるのだろう?」
「勿論だ、きっと、強くそう思う筈だ」
「ああ、そして、今の零児の危機に私は強くそう思っている。助けたいと、力になりたいと、強くそう思うんだ。先生と光、二人の事は、私がこの命に代えてでも守る。だからどうか、私のこの願いを聞いてくれないか?」
「そ、それは……」
「頼む、お願いだ」

 そう、目を見つめられて説得される。
 こんなに真っ直ぐに、気持ちをぶつけられては。

「ああ、解かった。力になってくれると、嬉しい」

 こんな言葉しか、返すことができない。



 2


「耳ヶ崎第三埠頭へはここからどのくらい掛かるの?」

 コレは片山さんの質問。
 と、言うわけで今は作戦練り練りタイムな訳だ。

「んー、まあ十五分もあればつくだろ。今七時半だから、後十五分したら出るぜ。他に質問はー?」
「はーい!」
「ん、先生、なんですか?」
「結局私たちがお姉さんを助けに行くタイミングは、二人が完全に戦闘に入った時なんでしょ? でもそれってあんまり時間は取れないわよね」
「ええ。でも、まず俺が宗全と取引して姉さんの姿を確認するつもりなんで、場所が解からないとか言う事は無いと思いますよ。あと、武田は赤毛より強いからいくらでも時間を稼げるだろうし、俺は、命懸けで時間を作って見せるから二人には安心して欲しい」
「でも、もしもお姉さんが何らかの拘束を受けていたら、例えば縛られて居たりしたらどうする?」
「ああ、その時は……」

 そう言って倉庫内の物置を探すと……あった。

「この包丁で紐をぶっちぎって下さい」
「解かったわ。でも、いきなり包丁が出てくるって凄い倉庫ね」
「まあ、たいていの物は転がってるんで」

 うん、今はどっかの会社が権利を持ってるらしいが、昔は車の改造屋で、その後ホームレスが住んで居たりした倉庫なので大抵の物は揃うのだ。
 ご都合主義と言うなかれ。

「解かったわ。この包丁で切ればいいのね」
「はい。お願いします。他に質問は?」

「はーい」
「なんだ、武田?」
「言いだしっぺの私が言うのもなんだが、どうやって逃走するんだ?」
「ああ、それは簡単。もしも無事に救出できたら適当な所で俺が適当になんか叫ぶから、俺が先生と姉さんを担ぐから、武田は片山さんを抱いて、俺に着いて来てくれ。俺は昔ここでよく隆貴と遊んでたから裏道も知ってるし恐らく逃げられると思う。或いは、武田が赤毛を完全に倒せれば、俺が時間を稼ぐから武田は姉さんを抱いて、二人と一緒に先に逃げてくれ。俺一人なら逃げるだけならきっといつでも可能だ。その時はまたこの倉庫で落ち合おうぜ?」
「了解だ。うまくやろう」
「ああ。あ、そろそろ時間だ。それじゃあみんな、力を貸してくれることに感謝している。そろそろ行くぞ」

「ああ、大丈夫さ」
「ええ」
「うん、頑張るよ」


 3


 ザアアァァァ……と波の音だけが聞こえる。
 日はとっくに沈み、港の白い外灯だけが、黒い水面を映している。
 黒い海に、反射して煌く白の灯り。その灯りだけがこの場における、道標。

 そうして、その場所に着いた。
 耳ヶ崎第三埠頭。決闘の場所。

 存在するのは倉庫と、コンクリートと黒く澱んだ海。
 そこを映すは、白い外灯と、空に独りきりで居る少し欠けた月。
 そこが、今回の決闘の舞台。

 波が引いているのか、満ちているのかは俺には解からない。
 だが、その波の音だけが、この影絵のように白と黒しか存在しない世界に現実リアルを主張する。

「逃げなかったのか。よく来たな」

 ふと、低く、よく通る声が響いた。

「宗全か。約束どおり来た。お前も出て来い」
「ふん」

 その声が聞こえたほうを見てみる。と、いつから居たのだろうか。
 倉庫の近くの暗い影に溶け込むように、影のように真っ黒な男が立っていた。

「時間通り、だな。褒めてやろう」
「うるせぇよ。お前に褒められてもうれしくねえって何度言えばわかる」
「ふむ、そうだった……む?」
「なんだ?」
「お前、後ろの女たちは?」
「あぁ、彼女たちが見物に来たいって言うからな。許可してやったぜ。俺って良い奴なんだ」

 無駄だとは思うが、作戦を悟られぬようあえて嘘の軽口を叩く。

「ふむ、てっきりお前は1人で来ると思ったのだがな。能力者の色気で篭絡した奴隷共をつれてきたか」
「貴様、なんて言った……」
「事実を言ったまでだ。そこの女たちはお前が能力を使って虜にした雌奴隷だろう? ああ、もしかすると能力無しでは生きられない身体にまでしたのか。ふん、所詮は人間。快楽の前には無力か」
「貴様、彼女たちを侮辱したな、ただで済むと思ってか」

 ああ、許せない。俺を友達と認めてくれて、俺も友情を感じた彼女たちを侮辱するなんて許せるはずが……。

「最上君っ、なに解かり易い挑発に乗ってるのよ!」
「そうだ零児、怒りで我を忘れると勝てる戦いも勝てなくなるぞ」
「私たちの事で怒ってくれるのは嬉しいけど、今は、ね?」

「あ、ああ。そうだな。すまない、みんな」

 そうだ、俺がこんなじゃダメじゃないか。どうも宗全を前にするとすぐに切れそうになる。

「ふん、女に助けられたか」
「ああ、彼女たちには助けられている。文句あるか?」
「いいや、別に」
「そうか、それよりも宗全。約束通り来てやったんだ。まずは姉さんの姿を見せろよ」
「ふん、良いだろう。つれて来るんだ」
「うぃーっす」

 そう言う返事が聞こえると同時に、倉庫の方から赤毛の男が姉さんを担いでやってきた。
 姉さんは縛られていたりは居ないようだが、意識は無いようでぐったりしている。

「おい、宗全ッ、貴様、姉さんに手は出していないんだろうな!」
「ああ、私は手を出していない。赤毛の方にもお前が来るまでは手を出さないように言ってある」
「アーん? 俺ぇも、まだなんもして無いってバーさ」
「そうか、なら良い」
「ウヒョヒョー!」

 と、突然赤毛の奴は地面に姉さんを横たえるとその足の太もものあたりを持って足だけを高く上げると足に頬ずりし始めた。

「き、貴様、一体何を……」
「うひひひひ、いい感触だなァッてさー、ウィンウィンウィンウィンッ!」

 そのまま足に頬ずりし続ける赤毛。

「き、キサマッ!」

 思わずナイフを抜いて構える。

「零児っ、冷静になれ!」
「た、武田。あ、ああ、そうだな」

 そうだ、ただ太ももに頬擦り……された、だけじゃないか。焦るな俺。

「ふむ、またもや女に助けられたか」
「うるさい、宗全、それで今回は随分と手の込んだ事をしてくれたじゃないか。お前の望みはなんなんだ?」
「ああ、少し試したい実験があってな、姉を借りるぞ」

 そう言うと、宗全は寝ている姉さんを抱き上げた。

「さて、貴様の姉は今私の手の中な訳だが……」

 片手で姉さんを持ったまま、もう片手でコートの中から小刀を出す。
 そして、その小刀の鞘を抜くと、刃の切先を姉さんの首に宛がう。

「貴様、一体何をっ!」
「ふむ、お前の姉の命は今私の手の中にあるということだ。少しでも私に逆らえば、お前の姉の命は無いと思え」
 
 そう言って少し手を動かす宗全。
 小刀の刃が薄く姉さんの首の皮膚を切ったのだろう。その白い首にツツーっと一筋の血が流れる。

「ぐ、ぐぎぎィッ、キサマッ、その刃を動かすんじゃないぞっ! さっさと用件を言いやがれっ!」
「ふむ、相変わらず言葉遣いがなっていないのだな」
「クッ、よ、用件を、言ってくれ、た、頼む!」
「ふむ、まあギリギリと言った所か。そうだな、まずは……お前の後ろに居る女達なのだが、お前の手で殺せるか?」
「こ、殺すっ!?」

 そう言われて思わず後ろ振り返る。
 後ろには不安そうで、そしてどこか悲しそうに泣きそうな顔をした三人が居る。
 俺を信じてついてきてくれた、この三人を俺の手で殺す?
 そんなこと……。

「それだけは、出来ない」

 出来るわけが無い。答は決まっている。

「ふん、そうか。ならば」

 そう言って少しだけ刃を動かす宗全。
 さっきより少し深く首を傷つけたのだろう。血の筋が少しだけ太くなる。

「や、やめてくれっ、頼む、な、何でも言う事を聞くっ、仲間にだってなるっ、だから、それだけは、姉さんだけはっ、頼むっ!」

 首から血を流しながら、意識は無いはずなのに少し苦しそうに身じろぎする姉さんを見ていると心がバラバラに引き裂かれそうな気分になって、思わずそんなことを叫んでいた。

「ふむ、仲間か。いつ後ろから刺されるか解からない仲間は要らないからな。ふん、まあ良い。ならば次の命令で最後だ」
「ああ、なんだ、早く言ってくれ!」

 そう言うと、宗全は赤毛を指差して言った。

「こいつと戦え。本気でだ」
「なっ、こいつと戦う、それで良いのか?」
「ああ、本気で、殺す気でやるんだ」
「あ、ああ。解かった」

 そうして、ナイフを構える。

「ふん、お前の出番だぞ?」
「ウィーッス。でもよぅ、宗全。本当に大丈夫なのかよ俺がやっちゃって。だってコイツお前とやり合ってたじゃん。本当に俺やっても大丈夫なの?」
「ああ、安心しろ。最上零児にお前は殺せない、無論純粋な技量や戦闘技術で言えばお前に勝ち目などあるはずは無いのだが、事殺し合いと言うことになれば、お前が最上零児に殺されることは在り得ない」
「ぬーん。まあ、それなら良いんだけどサー。ホント頼むぜ。よっし、オッケーだ。かかって来な最上キュン!」

 そうして二刀流で警棒を構えて立ち上がる赤毛の男。
 敵の目的は見えないが、今はやるしかない。
 
 そうして、ここに初めてとなる顔合わせの本気の「殺し合い」が始まったのである。


 4


 何合打ち合った事だろう。戦い始めて何分になるだろうか。
 なぜか、圧倒的に格下を相手にして、俺は未だに致命的な打撃を与えられずに居た。
 
 ナイフでは主に攻撃を受け流し、打撃によるダメージを狙うもなぜか当たっても巧く相手にダメージを与えられずに居た。

「オイオイ、最上君、偉そうにしててその程度でちゅかー!」
「チィッ、煩い奴がっ。食らえ!」

 そうして敵の攻撃を受け流し鳩尾みぞおちに打撃を与えてバランスを崩そうとするも少しずれた手は巧く急所に入らない。

「クッ、ちょっと痛いだけだもんねーこんなの!」
「なんで、何でなんだよ!」

 と、宗全が退屈そうな声を上げる。

「何をしている最上零児、この程度の相手に手こずっているようでは「殺し合い」には見えんぞ。ペナルティにお前の姉を傷つけていくか」
「や、やめろっ!」

 思わず少し注意がそれる。

「どーこ見てんだ……ヨッ!」
「グッ!」

 その隙に鳩尾に奴の警棒が刺さる。
 思わず肺の中の空気を出し切って悶える隙にふと頭上に気配を感じる。

 何も考えずに本能のみで後ろに転がると、今まで自分が居た場所に渾身の一撃で警棒が振り下ろされていた。
 危なかったぜ、流石にアレを食らったら唯ではすまなかっただろうからな。

 そうして、体勢を整えた隙に考える。

 おかしい。絶対的におかしい。
 戦いが始まってから今までに奴に与えた打撃は数知れず。だが、その殆どが碌なダメージを与えられていない。
 それもコレも、この「殺し合い」を意識し始めてからだ。
 俺が奴を「殺そう」と、強く思えば思うほどに、俺の攻撃は力を失っていく気がする。
 何故だ?

「ヒュー! あの体勢からでも逃げるって流石は最上君。ほれちゃうZE!」
「煩い」

 そうだ、コレは殺し合いだ。余計な事を考えるな。
 俺の目的はなんだ。奴を殺す事だ。ならばそれ以外の感情は不要。
 思考を最適化しろ。
 そうして向かってくる赤毛を見る。

 警棒を振りかざして、そして振り下ろす奴の動き。
 最高の動きはそれを受け流して、必殺の蹴りを放つ。

 そして計算通りに動き敵の攻撃を受け流す。そして急所に入れば内臓を破壊して間違いなく死へ至るだろう蹴りを放つ。

 勝った。

 そう思った瞬間!

「…を…しては……ない」

 頭に響いた微かな声と共に蹴りは思考を離れ、僅かに起動を逸らした。

「グッポァ!」

 妙な叫び声をあげて蹴りが入った赤毛の男は吹っ飛んでいく。
 ゴロゴロと転がりしばらくすると動きを止めた。だが。

「あーーーー〜〜〜〜、いってえよぅ、痛ってぇけど……」

 そのまま何事もなかったように立ち上がり。

「全然生きてるノラッキー!」

 また警棒を構えた。

「な、何でだ。何で、俺の攻撃は急所に入らない!」

 あまりの理不尽さに思わず声を上げる。

「ふむ、やはり自覚してなかったのか。お前の攻撃は全て僅かに急所を外しているという事に。さっきの勝負のときに言っただろう? お前の攻撃には威圧感が無いと。お前はどんな時にも相手を殺さないように攻撃しているのだ」
「宗全ッ! 俺は、そんなことはしていない!」
「いや、間違いなくしている。妙だとは思わんのか? 8歳の時のお前は私を軽々と追い詰めたというのに、肉体は成長して明らかに基礎的な身体能力が上がっているはずのお前が私に歯が立たないというのは」
「それは、そうだが。でもあれは物部の武術のせいで!」
「ふん、まだそんなことを思っていたのか。さっき言ったではないか? 貴様は本当は私よりも能力者としての力も戦士とての力も上だと。物部の武術とて万能ではない。その強さは最上の武術と互角程度の物だ。そして能力者としても戦士としても上のはずの貴様が私に歯が立たない。それが何故だかまだ解からんのか」
「わかるわけねぇよ。なんなんだよ。それは、お前は知ってんのかよ!」
「当然だ。それは、今の貴様は赤子1人殺せない出来損ないの欠陥品だからだ」
「何だとっ!」
「言っただろう? 貴様のかせは、全てが外れたわけでは無いと。全ては武烈が貴様に掛けた枷が原因だ。恐らくは、不殺の呪いのような物だろう。8歳のお前にそれは無かった。ならば、きっとあの時貴様と逢いまみえてから武烈が絶命するまでの間に掛けた枷か」
「そ、それは……」

 …………にやってはならないことなんだよ。だから、私は、これが君の枷になろうとも今ここで敢えてそれを行おうと思う。

「いつか、聞いた」
「そう、貴様は聞いたのだ。その言葉を」

 …………の誓約とする。すまない。勝手にこんな事をして。

「言葉を……聴いて」
「そして、それを律儀に守っている訳だ貴様は。ふむ、しかし武烈の力で私の事や怜の事を忘れさせられていたことを考えると、それはきっと貴様の人格の核になっているのか。ふむ、詰まらん偽善者だな武烈は。そんなくだらないことを核にするとは」
「くだらない事……?」


 君は、人を殺してはいけない


「ああ、そうだ。その言葉を核にお前は育ってきた、殺戮を好む能力者としては極度の矛盾を抱えてな」
「能力者が、殺戮を……」
「だが、貴様にはその矛盾を正すほどの価値は無いと思っていたのだが……考えが変ってな。貴様の能力の強さ、最上の血族による生命力の強さ、元来の戦士としての格も一級だ。お前は私の仲間に相応しい」
「おれが、おまえの、なかまに、ふさわしい、そんな事は、無い。それに、それは、俺も望んでいる事」

 思考が一定しない。奴の言葉のせいか、いつの間にか奴が俺に向けて発していた能力のせいか、全てに靄が掛かったようで、巧く一定した思考を保てない。

「ふん、それを望んだ、か。下らん宗教でもあるまいし、世の中で望むから作られるのは人に神と呼ばれる幻影だけだ。自ら望んだわけではなく人に作られた望みしか持てぬ貴様が偉そうに語る資格は無い。ああ、だが、能力としてはお前こそが私の仲間に相応しい。今、その枷を外して能力者としての矛盾から、苦しみから開放してやろう、最上零児」
「枷を外す……どうやって」
「こうやってだ」


「え?」


 その言葉は誰の物だったのだろうか。
 何が起きたのかが理解できない。何が起きたのか解からない。

 何故、俺の手のナイフは血に塗れて、赤毛の男の胸を貫いているのだろうか。
 記憶を、視界に入った映像を逆周りに再生してみる。

 ああ、そうか、ようやく解かった。

 俺と赤毛の男は戦っている最中だったんだ。そう言えば。
 お互いがナイフと警棒を構えつつも宗全の話を聞いているそんな中。
 おもむろに宗全は赤毛の男の背中を蹴った。

 不意に蹴られた男はナイフを構えた俺のほうへよろめいて。
 そしてそのままお互いが何が起きたか解からないままに、俺のナイフは奴の胸へと深々と刺さっていたのだった。

「い、イテェ、イテェ、イタイイタイいてぇぇぇぇいてえぇよう!」

 そんな、悲鳴で止まっていた時が動き出す。

「な、何で、俺が、痛い、イテェ、イテエイテエイタイイタイいたうわああぁァァウイテッじゃッ!!」
「お、俺は、俺は何を……」

 赤毛の男が動いた拍子に奴の体からナイフが抜ける。
 その瞬間溢れる赤、赤、赤、紅い血液。
 ドバドバと抜いたことによって血が止まることなく溢れていく。

「あひゃひゃははふはは、おかしゅいいヨウなんで俺の胸に刺さってんだコレおかしいありえねえイタイイタイ良いたうっひッッッ!!」
「あ、ああ、あああ……」

 止まらない。血が、止まらない、紅い、紅い、紅い紅い。
 あの夜の村の惨劇のように紅いモノがあふれ出していく。

 何も出来ない。血を止めることも、身体を動かす事も出来ない。
 誰もが動けない止まった時間の中。赤毛の男だけがフラフラと歩いている。

「おかしい、オカシイなぁ、あははやひゃ。何で一杯紅いのオカシイ! うっ、ハァッ、ハッ! ハッ」

 そのまま奴はフラフラと歩いていき、埠頭の端まで行くと、そのままザボーンと、間抜けな音を立てて海へと落ちていった。

「ふむ、アレでは助かるまい。奴は死ぬだろう」
「し、死ぬ。死ぬ……?」
「ああ。しかし、命令は聞いたな。約束通りお前の姉は解放しよう」

 そうして、姉さんを放り投げる宗全。だが、そんなことさえ気に留められない。

「奴が、死ぬ?」
「ああ、そして、殺したのはお前だ」
「殺した、殺した。殺した? 俺が?」

「ああ、お前が奴を殺した。お前は人殺しだ」




 幕間1
 最上零児SIDE



 もしもの話をしよう。

 ある所に、1つの理念が生まれた。
 その理念は、そうあるべき存在として生まれたからこそ、そんな存在でいられた。
 それだけのこと。


 例えばの話をしよう。

 ある所に、「美」と呼ばれる概念が生まれた。
 それは、別にヴィーナスでも何でも良い。美、美しいといわれる概念だ。
 その概念は、生まれながらにして、美しく、美しくあるべきものであった。
 
 そして、それは美しい状態であるからこそ美なのだ。
 当たり前のこと。

 
 例えばソレは、固定的な観念である必要は無く、そう願われて、そうして生まれた存在。
 生まれながらにして、そうなることを宿命付けられ、そうとしてしか存在できなかった。

 いや、むしろ、そうとして存在するから、その存在でいられた。
 美と言う観念にしても、美しいからこそ美と呼ばれる。ただ、それだけのこと。


 でも、もしも、その「美」が、何らかの力によって美しく無い状態になったときに、「ソレ」はどうなるのであろうか?
 
 ソレは、どうなる。


 実際にあった話をしよう。
 
 最上零児は、8歳のある夜。ある悲劇を迎えた。
 幼い身に降りかかった悲劇を不憫に思った最上零児の父親は、彼の一部の記憶を封印し、彼の人格に契約と矯正をした。
 この時、最上零児は一度死に、そして生まれ変わったのだ。

 この、生まれ変わった最上零児は、生まれながらにして「人を殺さない物」として生まれさせられた。
 つまり、ソレこそが、彼が生きるうえでの原則であり、彼が「彼」で居られる所以であった。

 何しろ、彼のその人格は、人を殺さないと言う制約から生まれた存在だったのだから。
 つまり、それこそが最上零児の核となったもの。
 その制約を柱に、彼は様々な経験を感情として肉付けし、生きてきた。

 しかし、もしも、もしもそんな彼が、何らかの力によって人を殺してしまったら、どうなるのだろうか。
 「人を殺さない存在」が「人を殺した」時に、それは「人を殺さない存在」ではなくなる。

 コレを名前に置き換えると、解かりやすい。

 「最上零児」が「最上零児でなくなった」時に、それは「最上零児」ではなくなる。 
 なんとも解かりやすい、シンプルな解。

 でも、そんな事がきっと、今回の答。



 5


 随分長い時間が経った気がするし。たった今のことだった気もする。
 脳の中では恐ろしい勢いで情報、行動原理が書き換えられていく。
 もはや、その中で残っている物は恐らく「記憶」と呼ばれるものだけなのだろう。

 ただ、何故だろうか、胸の中が恐ろしいほどカラッポな感じで、風が吹いているように寒い。
 それは、きっと自分が今まで八年間生きていた原理がなくなってしまったからだろう。
 
 ふと、口から小さな笑いが漏れる。

 古代から、心は心臓に宿ると信じられてきた。
 でも、科学の進歩と共にその説は否定され、心は脳に宿るものとされている。

 でもさ、アレって絶対嘘だよ。
 だって、今も脳は事務的に情報を書き換えているだけだけど、心臓かどうかは知らないけれど胸はこんなにも空っぽで、そして寂しい。
 心は胸に宿るんだなぁ。


「どうだ最上零児。枷を取り払って生まれ変わった気分は?」
「物部、宗全」

 コイツか。今回の原因は。

「寒い、寂しいな。今まで最上零児だったものはもう何処にも居なくなってしまったんだから」
「良いではないか。その人格すらも作られた、偽りの人格。今のお前のほうが格段に能力者としても、人としても正しい」
「そうか。ならば、貴様。俺が能力者として正しい最上零児ならば、今何を望むかわかっているのだろう?」
「ああ、殺人か? ふん、確かに八年間も封印していたんだ。自発的に誰かを殺したくなる事は非常に自然な流れだと思うがな」
「ああ、そうだ。そして、今、俺は誰でも良いから殺したい。例えば、今、一番近くに居るお前でもだ」
「ふん、成程な、だが、私も簡単に殺される気は無い。そこに突っ立っている女共の方が易いと思うがな」
「何を勘違いしてるか知らないがな、俺があいつらを殺すのも、お前を殺すのも、大して労力は変らないんだぜ?」

 と、ソレまで澄ました顔で居た宗全が、肩眉をピクリと上げた。

「ふむ、随分と大きく出た物だな。私を殺すのが易いと来たか。私とて八年間遊んでいたわけではない。確かに正面からぶつかれば勝ち目は無いだろうが、逃げ出すことぐらいは出来る」
「ソレはどうかな?」
「ふん、気に入らないな」
「そうか、俺もアンタが気に入らない」
「そうか。なら答は簡単だな。私は逃げる。正直、貴様を仲間にしそこなったことは痛いが、一人でも完全な能力者が増えるのは喜ばしいことだから今回は引かして貰う」
「出来ると思ってるのか?」
「ああ。ソレぐらいならばな」
「やってみろよ」

 そうして、ふわりと身をかがめ、跳躍の為のエネルギーを溜めるために宗全が体勢を低くした、その瞬間。

「なっ!」

 奴の驚く声を聞きながら能力を全開にしていた。
 奴も手練だ。動揺しても、行動を緩めることは無い。
 きっと一瞬後には倉庫の上へと飛び上がりそのまま逃げていくのだろう。
 ならば奴を殺すために俺に必要な行為はなんだ?

 答は簡単。ナイフを持って奴の胸を貫く。これだけだ。
 
 一瞬後。

「ごぼっ」
 
 
 身体を奴の前まで移動させ、既に空中に浮いていた宗全の胸にナイフを突き立てていた。
 腕は奴の胸を貫通して、背中からナイフを握った手が出ている。
 奴の口からは、水っぽい音が聞こえた。

「な、コレだけの事だ。簡単シンプルだろ?」
「キ、貴様、こ、これ程と、は……ゴブッ!」

 奴の口から逆流したように血が溢れ出す。
 当然だ。能力者とは言え身体を腕で貫通させられては唯ではすまないだろう。
 そうして、しばらくそのままで固まった後、奴の身体の背中から出ていた腕を、ずるりと引き抜いた。

 そのとたん、噴水のようにあふれだす血。
 奴の、黒い服、黒いコート、影のような男の全てが朱に染まっていく。

 なんて、虚しい。
 今までなんでこんなに簡単なことが出来なかったのか。

「宗全、アンタは俺を目覚めさせるべきじゃなかったんだよ」
「ぐ、ぐぼ、ぐぼぼ。い、や、これごぞが……目ザすべぎ、ぢがだ、ずばだじい、ぞ」
 
 宗全は、そう、俺を見上げて聞き取れない言葉を残すと、薄く笑って、倒れた。
 血が彼を中心に円を描くように広がっていく。

 また、一人殺したわけか。
 だが。まだ近くに人間が居る。

 そうして、俺は後ろに居る、三人の女へと向かって歩き出したのだ。
 


 幕間2
 武田由里香SIDE


 全てが、計画通りには進まなかった。
 零児のお姉さんがいたぶられて、ソレを見守る零児を見るのは、苦痛以外の何者でなかった。
 何も出来ない自分が、それどころかやはり枷になってしまった自分が呪わしかった。
 
 そして、今度は赤毛と零児の一対一。
 だが、明らかに格下であるはずの赤毛に苦戦する零児。

 だが、突然後ろから宗全が赤毛を蹴っ飛ばして、そのまま奴が零児の持っていたナイフに刺さる事によって決着はあっさりと着いた。
 そして、宗全の零児を人殺しと呼ぶ声。

 そんな物は、どう考えても詭弁だ。だが、その一瞬に何があったのだろうか。
 その一瞬後、時間にしても数秒後に、彼は、私たちの大好きな最上零児は何処にもいなくなってしまった。

 別に、視界から消えたわけでも、なんでもない。
 でも、感じるのだ。目の前に居る彼はもう、「最上零児」であって「最上零児」では無い何かになってしまったのだと。

 そして、その「何か」は宗全と二言三言交わした後、一瞬のうちに、ソレこそ私の目には捉えられず瞬間移動したように映って、そのまま宗全の身体を貫いていた。

 何が、起きたのかは全く解からなかったけれど、その景色からは零児が居なくなってしまった実感だけがリアルに感じられて、気づけば、私はただ涙を流していた。

「何を泣いている、武田」

 気づけば、目の前には何かが居た。

「ああ、私の親しい、友情を感じた、大切な友人が居なくなってしまったんだ」
「そうか。ソレは寂しいな」
「ああ」

 そう、何事も無いように語るソレ。
 だが、コレは、やはりもう零児ではないのだ。

「彼は、何処に行ったんだ?」
「しらねえよ。死んだんじゃないの?」
「グッ!」

 本人に突きつけられる死刑宣告に思わず感情があふれそうになる。
 でも、溢れそうな涙を耐えて必死で語る。

「私、お前が嫌いだ」
「そうか」
「いつか、零児の別人格に会ったときは、楽しかった。だって、彼もまた零児だったんだから。なのにお前は違う。その上私の大好きな零児をどこかに連れ去ってしまった。お前なんて大嫌いだ!」
「そうか、別に構わんがな。どうせお前もすぐに死ぬんだ」
「そうか」

 ああ、今ならわかる。零児は生きることに必死だった。
 彼の生涯の目的は生きることだったんだ。だから、彼はあんなにも輝いていた。
 だからこそ、私たちはあんなにも彼に引かれたんだろう。
 
 でも、コレは違う。
 ソレを反転させた、殺す物。
 退廃を司る物。

「返して、欲しい。零児を」
「無理を言うな。奴は死人だ」
「そう、か」

 やはり無理か。ならば。

「お前に頼みがある。私は良い。私が殺されるのは良い。でも後ろの二人は、先生と光は見逃してくれないか?」
「なぜ、そんなことを頼む?」
「だって、零児と約束したんだ。二人は命に代えても守るって」
「そう言えばそうだったな。だが、そんなこと俺には関係ない」
「そう言うか。なら、言葉通り命にも変えて守ってみせる」

 そう言って、鉄パイプを軽く振って構える。

「ふふ、光、先生、今度こそ異論は認めません。逃げてください」
「あ、ああ、でも」
「う、ううう?」

 要領を得ない返事しか返ってこない。
 彼女たちもきっと零児が零児で無いものになってしまったことは感じているのだろう。
 だが、能力を強くは感じられない彼女たちには細かいことが解かっていないのだ。

「ほう、お前が足止めをするから、か。できない事を……」
「出来るさ。私がお前を殺すのに、完全に息の根を止めるのにそのナイフで何秒掛かる?」
「うーん、どうだろうな。正直解からんが、今のお前の気迫だけは認めるよ、ただ技量が違いすぎる。そう長くはもたんだろ、例えばさ」

 そう言ってナイフを一閃する零児。
 その後するりと持って居た鉄パイプが音も無く切れて、半分の長さになった。

「ば、馬鹿な……」
「解かっただろ。今の俺ならお前も秒殺って訳」

 ふと、その言葉を聴いたときに、悲しみとも怒りともつか無い感情が襲ってきた。

「零児の声で、零児の顔でそんな事を言うな!」
「なに怒ってるんだよ」
「だって、だって」

 気づけば激昂して半分の長さの鉄パイプで彼に殴りかかっていた。
 だが、そんな攻撃当たる筈も無く、避けられついでに腹に膝を入れられる。

「グッ、ごほっ、ゴボッ」

 逆流しそうな胃液を必死で飲み込んで奴を見上げる。

「下らん感情。だな」
「そんな事ッ!」

 と、その時、私は気づいた。いや、気づけたのだ。
 なぜ、彼は私を蹴ったのかと。

「ごっ、ゴホッ、なあ、零児?」

 そしてあえて彼の名を呼ぶ。

「チッ、なんだよ」
「何を躊躇っている?」
「何がだよ」
「何故私を殺すのを躊躇っているかと聞きたいんだ?」

 その時、確かに彼の身体が僅かに震えるのを、私は見逃さなかった。


 6


「何故私を殺すのを躊躇っているかと聞きたいんだ?」

 その一言で、自分の異常に気づく。
 確かに、俺はこいつを殺すのを、躊躇っている。

 だが、

「躊躇ってなんかいないね」

 口から出たのはそんな言葉だった。
 思えば、こんな裏腹な言葉こそが生まれたばかりの自分の、初めての人間らしい言動だったのだ。

「いや、躊躇っているな」
「躊躇っていないさ」
「なら早く殺したらどうだ? 二人はダメだが私ならいつでもウエルカムだぞ?」
「お前……舐めやがって」

 そうしてそのまま動かない奴の首にナイフを突き出す。

「ツッ!」

 そう、確かにナイフは奴の首に触れた。そして少し切り進む。
 だが、少し血が伝うほど皮膚を切ったところで、手は止まった。

 だって、心は忘れても、記憶が覚えているんだ。
 その言葉の、その喜びを。その暖かさを。

「この、何て言うか、気持ちが伝わりあうというのは、その、なんだ。すごく、嬉しいのだな」

 その言葉が、嬉しかった。隆貴以来となった心の通じ合った友達ができた事が、涙が出るほど嬉しかったんだ。
 魂が一つや二つ入れ替わったってそうそう忘れられる物じゃない。


「どうした、殺すんだろ「零児」は」

 首にナイフを突きつけられながらも、平然とした顔でそう言い放つ彼女。

「う、うるさあいっ、煩いッ、黙れ!」

 そう叫んで、彼女の腹にナイフを持っていないほうの手で裏拳を叩き込む。

「ぐ、ウググッ!」

 かなり本気だったがどういうわけか生きている。だがそんな事は構わない。

「こ、コイツ等からっ、殺してやる!」

 そう叫ぶと、片山光と山園綾子の方へと向かう。

「や、やめっ」

 そう言って庇うように二人に覆いかぶさる武田を蹴り飛ばす。
 そうして、色の無い瞳で俺を見上げる二人に向けて、俺はナイフを振り下ろす……



「ふふ、最上君は私の可愛い生徒じゃない。確かに教師暦は短いけど、でも私も列記とした教師よ。そして教師は生徒を信用する物……」
「そうだよ。私を助けてくれた最上君を、私は信じる」



 ことが出来なかった。

 嬉しかったんだ。能力者と言うことも関係なく信じて貰えて。
 能力のことを知っても、態度を変えずに接してくれて。
 
 その言葉が涙が出るほど嬉しかった。
 その気持ちは、心が死んでも、記憶が覚えているんだ。だから。
 この喜びの記憶が、殺す事を拒否させる。

「どうしたの、最上君」
「私たちを、殺すんじゃないの?」

「う、五月蝿い。黙れっ!」

 そうして、いったん引いて、ナイフを構えなおす。

「はぁっ、はぁーっ、お、俺はっ、能力者だ! はっ、はぁーっ!」
「ああ、そうだ。お前は生まれながらの能力者だ」

 そう言いながら、武田が二人を庇うように間に立ちふさがる。

「そうだっ、俺は、能力者だっ、殺す、殺す事のできる能力者だ!」
「ああ、そうだな。だが、私たちのような非力な女も殺せないがな」
「非力な女? ハッ、武田は違うだろうが!」

 その言葉を聴くと、突然武田の目から涙が溢れる。
 あまりの事に、一瞬頭が真っ白になった。

「お、オイ?」
「あ、あぁ、零児、やっぱりお前は、零児」
「ち、違ああぁぁぅっ! 俺は、純粋な能力者だ!」
「ああ、だけど、零児だ」
「違う!」
「違わない。ならば私を殺してみろ!」
「やってやるさっ!」

 そうしてそのままナイフを構えて武田へ突進する。
 最上の技術も、能力者としての身体能力も無いただの無様な突進。

 だが、武田は避けなかった。


「ズッ!」

 そうして、ナイフは武田に刺さる。


 幕間3 
 武田由里香SIDE


 腹部に鋭い痛みが走る。
 熱を持ったような猛烈な痛み。鋭く、熱く、そして痛い。
 それは、確かに零児のナイフが刺さった痛みだった。
 
 ジワリと血が滲んでいくのが解かる。
 だが、それと同じように、コレが致命傷で無いことも解かった。

 何しろ彼のナイフは刃の三分の一ほどが刺さっただけ。
 それも全く内臓とかの無い場所に。
 やはり、彼には私たちを殺す事ができなかった。

「私の勝ちだな」
「ち、違う。俺は、殺せる……」
「ああ、でも、零児だから、友達は殺せないんだ」
「と、友達?」
「ああ、最上零児は優しい男でな。友達を殺す事もできないような男なんだ」
「で、でも、俺、は……」

 そうして自分の手元を見る零児。
 ずるりと、刃を引き抜く。
 僅かに出血があるが、問題は無い。

「だから、大丈夫なんだ。零児」
「でも、お、俺は、俺は……」

 ガシャリと言う音が、聞こえた。
 彼の手から、ナイフが落ちた音だ。

「う、うぁ、俺は……」
「零児、大丈夫だから」

 そう言って彼の手を取ろうとした瞬間。

「う、うわあああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 そう叫び声をあげると目にも留まらぬ速さで飛び上がり、倉庫の屋根へと飛び移ると、そのままどこかへと走り去っていった。

「ふ、世話の焼ける男だな。零児は」

 そう軽口を叩いた瞬間。
 
 現実感が戻ってきて腹に猛烈な痛みが走った。
 思わずその痛みに膝を附いてしまう。

「たっ、武田さん!」
「ユリちゃん、大丈夫っ!」

「あ、ああ。大丈夫だ。零児は深く刺せなかったんだ」
「そ、そうなんだ。良かったなぁ。う……」

「う?」

 突然俯いてしまった光を見る。

「う、うううわあああああぁぁぁぁぁん、怖かったよぅっ! 最上君は変になっちゃうしユリちゃん刺されちゃうかと思ったし、無事で、無事で良かったよおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!!」
「あ、ああ、そうだな」

 突然の号泣に凄くビックリする。

「ええ、どう言って良いのかわからないけれど、取りあえず武田さんが無事で、何よりだわ」
「はぁ、そうなんですけど……」

 よく見ると、先生も涙ぐんでいる。

「問題は山積みですけど、取りあえず生きてて良かったです」
「うわぁぁぁぁぁぁん、そうだよぅ生きてて良かったよぅ!!」
「ええ、本当に。ただ、彼……」
「はい、零児ですね。彼は……」

 彼は、どうなるのだろう。
 そして、私はどうすることが出来るのだろうか。

 ふと、足元に落ちている私と宗全の血で紅く染まった零児のナイフを手に取る。
 確かな重みを手に伝えてくるそれは、血塗れでありながら見たことも無いほどの業物であることが解かった。
 
 刃についた血を服で拭うと、恐ろしいほどの輝きを持った刃が顔を出した。
 でも、そのナイフからは、恐怖を感じるほどの出来でありながら、確かに零児の暖かさが残っていた。

 刃には、号泣する光と、それを苦笑いしながら宥める私の顔が映っていた。

 
 光の泣き声と波の音だけが聞こえる夜の海。
 波にさらされる埠頭の上。
 夜空にたった独りで居る月と、港の白い外灯に照らされた私たちは、とりあえず生きていた。

 そんな中私は、空の月と、白い外灯に、行きかう波の音に、いつしか零児と二人で見た、あの美しい夜の海を思い出していたのだった。
 
 まあ、なんと言うか、取りあえず、こうして私たちの長すぎる一日はようやく終わったのだ。


な、長かった。

今まで間が空いてすみません。
ただ、理由は解かって貰えると思います。
とにかく長い。なんと衝撃の二万文字越え。
原稿用紙が四百文字だから、えーっと、なんと50枚。

分割すれば良かった。
あ、話はまだまだ続きますよ。
今は雰囲気暗いけど、トンネルを抜ければ青い空が見えてくるお話な筈。
作者が言うんだから間違いない。多分。






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