とある下着の強奪事件(パンティロスト)舞台裏
事件が解決するまでの間に、被害にあった乙女たち(七名)を描いた舞台裏です。
どうぞ、本編(http://ncode.syosetu.com/n3377n/)の後にお楽しみくださいませ。
むさしの牛乳という文字と簡素なイラストがプリントされた、リッターサイズの紙パックを空けた眼鏡の風紀委員は、唇の端に残った白い液体をペロリと舌で舐め取って、ふとあることに気がついた。洗濯してカーテンレールにかけてあった下着が、一つも見当たらないのだ。
いきなりキョロキョロと室内を見回し始めた固法美偉に、ルームメイトであるセミロングの髪の少女は首を傾げた。
「どうしたの、美偉」
「……私の下着、知らない? なんだか数が減っているような気がするんだけど」
呼びかけに振り向いた眼鏡の風紀委員は、一瞬答えに迷ってから問いを放つ。出かける前には確かにあったのだが、記憶違いだろうか。あるいは、代わりに友が畳んでおいてくれたのか。
だが、後者の線は次の返事で消滅した。
「言われてみればあったわね。でも、美偉の下着は知らないわ」
セミロングの髪の少女は小さくかぶりを振ってから、何を思ったかポンと自身の下腹部を叩く。
「何なら直接確かめてみる?」
「何を言っているの、バカね」
口の端を持ち上げるルームメイトに固法は苦笑して、直後、一転してその表情が凍りつく。
(まさか)
調べてみると、彼女の下着はほとんど持ち去られていた。
◆
ところ変わってあるマンションの一室で、純白の生地に金糸の刺繍がほどこされた、コーヒーカップを連想させる修道服に身を包んだ少女が、ベッドの上に寝転がって雑誌を読んでいる黒髪の少年へと困惑顔を向けていた。
「とうま、とうま。私の……がないんだよ」
インデックスの呼びかけに、上条は手元の紙面から目を離して同居人を見やる。
「あん? 何がないって?」
肝心の部分が聞き取れなかった彼はのん気にそうたずねるが、純白シスターは言葉に詰まり、うー、と一声うなってから視線を伏せた。
「だから、……ぎ」
ぼそぼそとしたつぶやきはまたも少年の耳に届かず、それは再びの問いを生む。
「なんだ? ひたぎ?」
「私はそんな、どこかのホッチキス女みたいな名前なんて言ってないんだよ!」
頬を紅潮させたインデックスは、まるで野犬のようにかわいらしい口を大きく開いた。
「うおおお、落ち着け、いや、落ち着いてくださいインデックスさん!」
「とうま! 落ち着けと言われて簡単に人が落ち着くのなら説法なんて必要ないんだよ。まったく、だからとうまはデリカシーがないというか女心がわからないというか」
「すまん、俺が悪かった! ですから噛むのはどうぞご勘弁!」
両手を合わせて平伏することで完全降伏の姿勢を示す同居人を見るうち、純白シスターはいくらか落ち着きを取り戻したのか、怒気を収めて恥ずかしそうに語を継ぐ。
「……私の、下着がないって言ってるの」
「は?」
黒髪の少年は予想外の告白に、目が点になった。下着がない。ということは、あの下は……。
「どこを見ているの、とうま!」
「ぎにゃー!」
結局、全力の一噛みを身に受ける上条だった。
◆
「姫神ちゃん。私のパンツを知りませんか?」
「同じことを。私も聞こうと思っていた」
見た目が幼すぎる女教師の全国大会に出場すれば表彰台に上るのは間違いない、淡紅色の髪の女性は、巫女装束の長い黒髪を持つ少女と数秒間見詰め合った。神ならぬ人の身で、まさか自分たちの他にも同じような会話を交わす者がいるなど知る由もなく、小萌はあどけない顔と声に目一杯の驚きを込めて質問する。
「姫神ちゃんのもないんですか?」
「ない。ちなみに私は着物を着る時。下着は欠かさない」
「へえ、そうなんですねー」
可憐な女教師はしみじみとつぶやいてから、人差し指で自分の顎先に触れた。
「でもおかしいですね。確か、今朝学校に行く前はあそこに掛かっていたと思うんですけど」
パンティと靴下がぶら下がっていたはずのそこには、靴下のみが揺れている。
と、その時である。
「はっ! まさか、特殊な趣味を持つ男の子にネットオークションで転売したとか!?」
「昨日は。そのお金で分厚いステーキを食べることができた」
「姫神ちゃんったらいじわるですね。どうして私の分も残しておいてくれなかったんですか。お給料日が来るまでカレー続きなんですよ? 先生は、そんな子に育てた覚えはありません」
緊迫感に欠けるやり取りだったが、彼女たちの表情はいたって真面目なものだった。ちなみに昨日の夕食はカレーで、今朝は一晩寝かせたそれを食べてから二人は家を出ている。
「盗難事件として、届け出ておくべきでしょうか」
「もう済ませてある。部屋に残っている下着は。私たちが履いているものだけ」
「さすがですね、姫神ちゃん。っていうか、これ一枚しか残ってないんですか!?」
淡々とうなずく姫神に、小萌は両手を頬に強く押し当てる、ムンクの叫びないしはアッチョンブリケを思わせるポーズで受けた衝撃を表現するのだった。
自分の家に泥棒が入ったにも係らず、平和な二人である。
◆
「私を、婚后光子と知っての狼藉ですの?」
長い黒髪の少女が扇で口元を覆いながら放った問いに、答えるものはなかった。それは相手がただの屍だからではない。部屋には、彼女の他に誰もいないのである。
では、何ゆえ空力使い(エアロハンド)の使い手は突然独りごちたのか。元々婚后にそうした癖はなく、さりとて意識が既知の外にある向きの者になったわけでもない。予想外の出来事に、驚きのあまり思わずこぼした言葉がそれだったのだ。
(これは……)
噂には聞いていた。何でも、数日前から留守中に下着が奪われる事件が相次いでおり、今朝も、そのことでクラスメイトの数人がヒステリックにわめいていたのを覚えている。他人事でいられたのは、自分が被害者に列するハメになるとは夢にも思っていなかったからだが、同じ学区に住んでいる以上、その可能性を考慮してしかるべきだったことに、婚后光子は遅まきながら気がついた。
(その他の物は無事、のようですわね)
室内に荒らされた形跡は残っていなかった。実は一つ一つが非常に高価な品の、棚に飾られている人形たちにも変化はない。ただ、洋服ダンスの下着を収めた引き出しのみが空となっていた。
(まったく。こんなことなら新調したものを履いておけばよかったですわ)
彼女はオーダーメイドの、世界でたった一つしかない下着を愛用している。派手なデザインのものもあれば、清楚なイメージのものもあって、気分によって選ぶことができるようになっていた。
定期的に送られてくるその下着は昨日到着したばかりで、今朝はギリギリの時間に起床したため、つけ損ねてしまったのである。
(まあ、なくなったもののことを考えていても、仕方がありませんわね)
婚后は基本的に、所有物に頓着しない。大事にしないという意味ではなく、金持ち特有の大らかさがあるのだ。プライドが先行してしまい、とかく見栄を張り勝ちな彼女だが、気遣いの心や親切心を持ち合わせていないわけではない。お世辞にも謙虚とは言えないが、素直に己の感情を示すことが苦手な、不器用な彼女のことをよく知る者にとっては、行動の一つ一つがほほえましく映ることだろう。
「さて、と」
広げた扇の内側で、黒髪の少女はどうしたものかと小さく眉を寄せた。一枚残らず持って行かれてしまったため、今夜、履く分がないのである。その時、唐突に、不敵に笑うツインテールの少女の顔が思い浮かんだ。
(こういう時は、風紀委員に連絡すべきなのでしょうけれど)
婚后は軽くため息をつくと、しばらくの間逡巡してから携帯電話を取り出した。白井に相談するためではない。友人たちが被害にあっていないか、まずそれを確認しようと思ったのだ。
◆
(初春さん、遅いの)
ショートカットの少女は、まだ帰らないルームメイトのことを考えていた。子どもを助けるために、泥まみれになってしまった初春から、佐天の家に寄ると連絡は受けている。つまり、何も心配することなどない。そのはずなのに、先ほどから胸騒ぎがしてならなかった。
(だからって、電話をするのもヘンな話なの)
首から下げたペンダントを無意識にいじりながら、春上衿衣はそっと唇を尖らせる。いつもなら幼なじみの親友、枝先絆理とのツーショット写真が入ったこのアイテムは、彼女を無条件に落ち着かせるのだが今日に限っては一向に気持ちが鎮まらない。
とはいえ、気になったから、という理由のみで電話をかけるのはためらわれた。『大丈夫ですよー』という友の元気な声を一度でも聞けば、そのまま外泊することになったとしても、今みたいに思い悩むことはないのだろう。我が身のことよりも他人のことを優先して考え、動こうとする初春のことだ。電話をすればきっと、早く戻ってきて欲しいという催促と捕らえるだろう。そして、佐天と過ごす時間を邪魔するのは、本意ではない。その辺りを上手く説明できる自信はなく、結果、携帯電話を手にすることができずにいる。
春上はへにゃ、と崩れるようにテーブルの上へと投げ出した両腕の間に顔を伏せた。取り敢えず宿題でも片付けようと無理やり視線を鞄に向けてみるも、体は動き出そうとしない。その理由はよくわかっている。ルームメイトのことが気になって仕方がないのだ。
(……メールくらいなら、いいよね)
内心、ぽつりとつぶやいた語に答える者はない。少女は、ややあって携帯電話を操作し始めた。ようやく見つけた妥協点に、すがることにしたのだ。
◆
(一枚残らず、か)
木山春生は薄っすらと汗ばんだ裸体に直接白衣を羽織った格好で、気だるげに髪をかきあげていた。
それほど数が多かったわけではないが、手持ちの下着が残らず盗まれたらしい。らしい、というのは収めてあるべき場所にないからで、酒に酔った勢いでゴミ捨て場に持って行ってしまった可能性もあるということだ。部屋に帰ってきたのが久しぶりだと、本気でそんなことを考えてしまう。
(ここ数日、研究室に篭りきりだったからな。まあ、仕方がない)
不思議なのは、その他のものは一切手をつけられていないことだった。ちなみに、その間の下着はすべてコンビニで手に入れたものを使っている。決して、同じものを履き続けていたわけではない。
(しかし)
窓を開けると、生温かい空気がねっとりと肌に絡みついてきた。エアコンが壊れているのはさすがに想定外で、今さら、汗に濡れた服を着る気にはなれない。そして、今夜はとにかく暑かった。このまま出て行っても構わないだろうか、とぼんやり思う。
(……ふむ)
この数ヶ月、幾度となくその辺りで脱衣するのを制止してきた少女たちの顔を思い出して、結局、木山はコンビニに向かうのを諦めることにした。
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