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夫婦雛物語 番外編 子守唄
 早春のある日、ようやくにして風がここちよく感じてくる時期。中村家の居城式頭城のある山やそれを取り囲む山々に桜が咲き始めて、ほのかに薄紅色に染まりゆく季節。
 中村家の侍女、お藤は、城の中にある自室で暇をもてあましていた。何故か知らぬが、最近自分が侍女の仕事から外されていた。
 ベテランの領域に差し掛かり、個室を与えられるまでになり、今では若い侍女たちのとりまとめ役となっていた。自分は、それだけの仕事をしてきたという自負があった。が、それがどうして、と思ったら。こういうことだった。

 侍女を従えた当主の家成が、お藤のもとまでやってきた。侍女の腕の中に、赤ん坊が抱かれているではないか。
 家成は、お藤を真っ直ぐに見据えていた。この豪気な武勇の士は、誰と接するにもそうだった。それは、生まれながらにして人の主であるという無意識的な自覚がそうさせているようだった。だから、その声も高い。
 その高い声が、お藤に投げかけられる。
「おさなのことは、覚えておるか?」
「はい」
「これは、そのおさなの子だ。名は、おゆきというそうだ」
「おさなの……」
 覚えている。その若い侍女は家成の夜伽をつとめるも、主の不興をこうむり追い出されるようにして、侍女をやめた。
 おさなという、ひらがなの名であることから、かなり身分の低い家の出であることはわかった。そのため、何か気に入らないことがあれば、すぐに追い出されてしまうのも、わかっていたが。
 いざその現実を目の当たりにすると、お藤はおさなが哀れに思えてくる。素朴なその娘に、男の悦ばせ方などわかるわけもなく。侍女としての奉公も、食い扶持にありつくためだったのだろうが。
 しかし、子を産んでいたなど初耳だった。それからのおさなのことを、家成はこれといった感情も表さず、簡単に「死んだそうだ」と言い放って。
 しかし、なんというか、むごい。一瞬そう思ったがまさか主に向かって表に出すことも出来ず。ふと、家成が全然おゆきに目もくれていないのに、気がついた。もちろん、それも表に出せない。
「おゆきさま、ですか」
 と、当たり障りのない返答をする。名前からして、女の子のようだ。
「そうだ。おゆきの面倒は、お藤、お前に任せる」
「は、はい」
「よきむすめにせよ」
 よきむすめ。
 よき姫ではく、むすめというのか。かりにも近隣にその名を轟かせ猛威を振るう大豪族である中村家の血を受け継いだ子を、むすめというのか。
 おゆきは侍女の腕の中で、目をとじすやすやと眠っている。肌はその名の通り白いけど、やや膨らんだ頬はほのかに赤らんで、桃のようだ。
 つん、と指先でつつきたくなるような、柔らかさを思わせた。
 それを見ると、我知らず自分の頬も緩む。
 お藤は侍女からおゆきを受け取り、自分の腕に抱く。おもったより、重い。
 ようやく首がすわったばかりのころようだが、慎重に腕に抱きかかえる。
「では、たのむぞ」
 というと、家成は侍女を従えて部屋を後にした。それを見て、お藤はおゆきを抱きかかえたまま、胸のつかえる思いがした。血をわけた父でありながら、この冷たさはどうであろうか。これが、武家というものか。
 お藤がおゆきを受け取る間、一度でも我が子に目をやっただろうか。従う侍女も、家成の手前なのか、おゆきには無関心を決め込んでいるようだった。
 とはいえ、役目を引き受けた以上はやらねばなるまい。
 そう思うと、抱き方が悪かったのか不意になにか声が漏れ、おゆきの目が重そうに開かれた。
「あっ」
 と思ったときには、涙が溢れ出て、わっと泣き出しそうだった、が。
「おお、よしよし。よしよし」
 と、慌ててあやす。時には舌も出し、べろべろばーもする。何をしているんだろうと思ったが、それしかあやす方法を思いつかなかった。
 でも、効果はあったようだ。重そうに開かれた目がやわらかい「へ」の字を描き、溢れる涙も止まった。
「よしよし、いい子じゃ。ああ、違った。よいおひい様じゃ」
 あやすうち、おゆきの顔は笑顔になってゆく。桃のような頬の赤みもましてくる。
 でもすぐになまけようとすれば、とたんに目には涙が溢れてきて……。
 そうするうちに、あやすのに必死になっていって、お藤の頬も赤くなっていっていた。
 
 それから五年の歳月が経った。
 お藤はおゆきの面倒をよく見ていた。最初こそ、おさなの子を育てることに戸惑ったが。主の命であれば逆らうわけにもいかず。
 寝食をともにしてきたお藤の自室で、ふたりは年月を過ごした。気がつけば、もう五年になるのだ。それを示すように、おゆきはお藤が手を貸さなくとも、もう十分自分で歩けるようになった。
 日が昇り、侍女たちがふたりの布団を片付けた後朝食を持ってくる。おゆきは、箸も使えるようになってきた。朝食を一緒にとってそれを見て、ならその次はと。お藤は、朝食が終わり、それを侍女が片付けた後。
「名は、漢字でなければなりませぬね」
 と、言った。そろそろ、字も教えてあげなければ。ならまずは、自分の名前を漢字で書くことからはじめようと思った。
「漢字?」
「はい、あなたさまはかりにも家成様の御娘さまでありまするゆえ。いつまでも、おゆきと平仮名のままではなりませぬ」
「では、私の名は、漢字ではどうかくのですか?」
 そう言いつつも、平仮名も漢字も、その意味があまりよくわかっていなさそうだったが、それはおいおい教えればいい。
「そうですね。こう書くのですよ」
 と、お藤はおゆきの手をとり、その手のひらに指で『雪』の字をなぞろうとすれば。
「きゃは」
 と、おゆきはわらった。おや、くすぐったいのかしら、と思いつつも。お藤はそのまま、『雪』の字を書きつづけた。書き続けながら、自分の握る手の、なんと小さなことかとを思う。
「お藤、お藤。くすぐったい」
 よほど敏感なのか、おゆきはじっとしていられなくなっていた。
 おやおや、これは字よりもお行儀のほうも教えてあげなければと思いつつも、仕方がないと手を離して。
「しばしお待ちを」
 と言って、どこかへいって、お盆に乗せた紙と筆と墨の満たされたすずりを持って戻ってくる。
「さて、おゆきさまのお名前は、漢字ではこう書きます」
 と、畳に下敷きを敷き、そのうえにひろげた紙に、『雪』の字を書く。なかなか、達筆だった。おゆきは、好奇心一杯に、それを見ている。
 自分の名は、漢字ではどう書くんだろう。そう思って、筆の走り具合をまじまじと見つめる瞳は、きらきらと輝いていた。
「雪、雪……。これが、私の名ですか」
「はい、そうでございます。空から降ってくる雪でございます。雪は、白くてきれいなものでございます」
 お藤とお雪の脳裏に、庭やお城の屋根、山々がうっすらとおしろいを塗ったような雪化粧をしているところが浮かんだ。雪化粧とはよくいったもので。このあたりは温暖な気候で冬でも雪が積もることは稀だが、時折灰色の空より舞い落ちる白い雪の織り成すその冬景色の美しさに、心とらわれぬ者はないだろう。
「おひい様も、そのような姫御前さまにおなりくださいませ」
「うん」
 とお雪は、無邪気にもにっこりと首を縦に振った。

 人の過ごす年月は、楽しい事もあれば、悲しいこともある。
 お藤にとって、この時ほど、お雪とともにすごす中で、悲しさを覚えたことはなかった。
「私には、母上様はいないのですか?」
 その言葉を聞いたとき、心臓に杭を打ち込まれるようだった。人には、必ずと親があり。父親は、中村家成であるが、母親のことは、知らない。
 そのことは、いつかは話そうと思っていた。でも、そのいつかがいつになるのかは、決められなかった。
 まだ小さいお雪に、ほんとうのことを教えて、それでお雪はどうなるのか。考えるだけでも恐ろしい。だが、それは否応なくやってきた。
「他の子には母上様がいるのに、どうして私には母上様はないのですか? お藤は母上様ではないのでしょう?」
 その素朴な疑問がどこから持ち込まれたものなのか、考えるまでもない。家成の子はもちろんお雪だけではない。家成は妻を娶り、さらに二人の側室がいて。
 それらの間に子をもうけていた。その子らが、母親に甘えるところを何度か目にしたことがある。それを見て、お雪はうらやましそうにしていた。
 甘えるだけなら、お藤にも代わりができるが。やはり、血をわけた親子でなければなしえないものがあるのだろう。それを思うたび、お藤の心にはただ無念さがつのる。
 どう足掻いても、自分はお雪の母親にはなれないのだ。たとえ自分の持っている愛情をどんなに注ごうとも、それによって血をわけあうことなど、出来っこないのだ。
 お雪の母親は、おさなただひとりだけなのだ。
―どうしよう。―
 と考え込んでも、名案など浮かぶわけもない。下手にうそをついても、ただお雪を傷つけるだけなのは火を見るより明らかで。もっと下手をすれば、その火に自分も焼かれかねないのだ。
 つぶらな瞳が、まっすぐにこっちを向いている。それに捉えられて、逃れることは出来そうになかった。
 やんぬるかな。お藤はほんとうのことを話した。どうせ、いつかは話さねばならないのだ。なら、いっそ。
 お雪は、じっとお藤をみつめたまま、そのままじっとしていた。その瞳から涙が溢れでてくるのでは、と思ったが、意外なことにお雪は泣かなかった。
「母上様は、もう、いないのですね」
 ただそれだけを、ぽそっとつぶやいた。お藤はうなずくしかなかった。
 真実を知ったお雪の心は、どのようなものか。それを思うと、お藤の心は張り裂けそうだった。ほんとうに悲しいときは、何もかもが止まって消えうせるようで、涙すらも出てこないようで。

 それから、夜の帳が落ちるころ。お藤はお雪を寝かしつける。
 燭台の灯火が、闇を少しばかり追い払って。先に布団に入ったお雪の顔は、ほの暗い中うっすらと浮かび上がっているようだった。
 部屋にふたつ布団が並べられて、そのひとつにお雪が入って。お藤は、白い寝巻きのまま、お雪の入っている布団の横で正座をして。
 その寝顔に、そっと触れるような子守唄をうたっていた。

おかかが 
なんぞいうたか 
ねりゃれ ねりゃれと 
いうておる 
ねねば おかかもねらねぬぞ
ねらねねば むすめもおこせぬ 
むすめおこしたいから 
おかかをねかせてたもれ 
さもなくば 
むすめおきるときには 
おかかはまだねよる

【訳】
お母さんが
何か言いましたか
寝なさい 寝なさいと
言うておる
寝なければ お母さんも寝られないよ
寝られなければ 娘も起こせない
娘を起こしたいから
お母さんを寝かせてちょうだい
でなければ
娘が起きるころには
お母さんはまだ寝ているよ

 思えば、大きなお城に住まうお姫様なのに。どうして、こんな寂しい思いをしなければいけないのか。お雪が、一体何の悪いことをしたというのだろう。
 それなのに、どうして、城の者たちはお雪を遠ざけようとするのか。一度でも、向こうから来てくれたことがあっただろうか。お藤がやっと頼み込んで、家成や兄弟たちと、少しの間顔を合わせさせてもらうのが精一杯だった。
 ほんとうに、少しの間。
 何もかもが、お藤に押し付けられてしまって。同じ血を分けたもの同士ではないか、親兄弟ではないか。それが、どうして。それならば、貧しくとも祖父母のもとで暮らした方が、ひとりの子供としてまだ幸せなのではないか。
 眠るお雪の閉じられた目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。眠りについて心のたがが外れたのか、ひとつぶ、ふたつぶと、涙がこぼれ落ちてゆく。
 それを見て、お藤はうたうのをやめて、声を押し殺して涙を流す。そういえば、いまうたっていた子守唄の歌詞には、どんな言葉があった。
 ずっと、そのうたをうたってきたけれど。そのうたは、本当なら誰がうたってあげなければいけないのだろう。
 その晩、燭台の火を消すことが出来なかった。火を消してしまえば、お雪の寝顔が闇に飲み込まれてしまいそうで、怖くて出来なかった。

「おさな、見えますか? おひい様が」
 お藤は空に向かって、ちいさくそう語りかけた。
 蒼天に、陽が中天に昇り、雲が帯を引き、薄く幕を張りながら泳いでいる。それを眺めていると、風がお藤の髪を揺らす。
 気がつけば、髪に白いものが混ざるようになって。  
 部屋の障子を開けて、濡れ縁にすわり。そのまま空を眺めていた。目の前の庭では、草が伸びようとしているようだ。そろそろ、草刈をせねば。
 と思うお藤のとなりには、お雪。小さな手に鞠を手に持っている。さきほど、父の家成が。
「新しい鞠が手に入ったでな、お雪、そちにくれてやろう」
 と持ってきてくれたのだった。もっとも、すぐに引き返してしまったが。それでも、お藤はこの家成の行為に、感謝した。少しでも、子に対する父性愛はあるらしかった。
 お雪も嬉しそうだ。
「とてもよい鞠でございますね」
 というと、まんざらでもなさそうに、にっこりと笑う。えくぼが、かわいらしい。
 お藤も、お雪の笑顔につられて笑った。
 侍女として長年中村家に仕えてきたが、こう言ってはなんだが、よいお役目をいただいたと思った。おさなには、申し訳ないが……。
 だからこそ。
「おひい様は、私が立派に育ててみせます。だから、安心してね」
 と、空に向かい、哀れな後輩侍女に語らずにはおれなかった。
 だから、なにがあっても、守り抜こう。いつの日か、嫁に行くそのときまで。
 さてはて、おひい様のお婿様には、どのようなお方がなられるのか。と思いをめぐらせているうちに、気がつけば家中の殿方を吟味している自分に気付いた。
 なんともかんとも、何を勘違いしているのだろう。そう思うと可笑しくて。
「ふふふ」
 と、笑った。笑えば、お雪は何事かと問いかける。
「あ、お藤。笑った。何がおかしいの?」
「あ、いえいえ。別になにも」
「うそ、顔が赤い」
「え、そ、そうですか。いえ、ちょっと、風邪を召したようで」
「うそ、うそ。ほんとはなに?」
「ええ、だから、ほんとうに」
 その執拗な問いかけには困ったものだった。お雪もなかなかどうして粘り強い。
 でも、幸せだった。
 その気持ちになれることが、全てだった。

おわり
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