ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
とある下着の強奪事件(パンティロスト)
作者:鈴原
 とある科学の超電磁砲SSです。どうぞ、ご一読くださいませ。
「残念ながら今のところ犯人の目星はついていません」
 頭の上に色とりどりの花を乗せた少女の報告に、居合わせた少女たちは硬い表情で顔を見合わせていた。風紀委員(ジャッジメント)の第一七七支部は何とも形容し難い空気に包まれている。その原因は一昨日から立て続けに起きた未解決の事件であり、現場に残された痕跡や被害者の声、そしてネット上に流れる情報をまとめた初春飾利が同僚と先輩にそれを説明しているのだった。
「第七学区内のみとはいえ、狙われた部屋に共通項を見出すのが馬鹿らしくなりますわね。手当たり次第にやっているとしか思えませんわ」
 花飾りの少女と同じ学年の風紀委員、白井黒子は右の拳を顎先に触れさせつつ、その肘を抱くような態勢でうーん、とうなる。
「昨日の昼間、授業でひと気がない時間帯とはいえ午後二時から三時までの間に三十二件、すべて同じマンションを狙うなんて尋常ではありませんの。まったく、呆れるくらいに大胆ですこと」
「そうですね。それでいて、この犯人は極めて冷静に淡々と窃盗を実行しているんですよ。普通、これだけ続ければ証拠の一つくらいあっても不思議ではないんですけど、何らかの痕跡はあっても犯人に繋がるような物はなく、目撃情報も皆無です」
 大胆かつ繊細、というのが数々の花で彩られた少女の犯人に対する見解である。短時間にこれだけおびただし数の犯行を重ねておきながら、なお尻尾をつかませない相手なのだ。
 そして、もう一つ。
「これは勘ぐりすぎかもしれませんが、ここから手がかりを見つけられるものなら見つけてみろ、とわざわざ荒らした形跡を残しているような……上手く言えませんけど」
「つまり、わたくしたちを挑発していると」
「はい」
 初春はマジックインキの蓋を閉めると、手元に落としていた視線をツインテールの少女へとやった。
白井は指先を頬へと移して友のまなざしを受け止める。
「でも、何のために?」
「さあ、それはわかりません。何の根拠もない話ですし、意図なんてないのかもしれません。ただ、本人への手がかりが一切ないところをみると、そうなのかな、って思ったんです」
 幾つかの資料が貼りつけられたホワイトボードをじっと見つめたまま、後輩たちのやり取りに耳を傾けていた固法美偉(このりみい)は、そっと息を吐き出してから眼鏡のレンズを下側から指の背で押し上げた。
(下着ばかりを狙った犯行、ね)
 自身の黒いセミロングの髪にゆっくりと指を梳き入れながら、透視系能力(クレアボイアンス)の使い手は胸中で独りごちるようなつぶやきをもらす。偏執狂による犯罪行為、それも強い自己顕示欲を持つ者の仕業という自身の所見に疑問を抱いていた。今ひとつ相手の意図が読みきれない。どこか腑に落ちない。そして、理論だった説明はできないが、得体の知れない気味の悪さを覚えずにはいられない。逆に、単なるマニアが行っているものであったならば、胸を撫で下ろしたくなる奇妙な心境である。
「ところで初春。犯人はどこから現場に侵入したんですの? この建物は確か入り口で本人確認が必要なタイプでしたわよね」
「はい。手段はわかりませんが、正面から入ったみたいです」
「正面から?」
 白井は目を瞬かせた。あまりにも大胆すぎる行動である。部外者が立ち入れない場所に堂々と入れば、いくらなんでも目につきやすい。確かに壁面や地下、あるいは屋上から侵入するためにはかなりの能力者でなければ、人目につかず入っていくのは至難の業だが、正面突破よりは容易いのではないか。
(事件が起きているのはここだけではないですの。マンションの住人が犯人とは考えにくいですわね。成りすまし、だとすれば身近な存在か、少なくとも学生でしょうか)
 ツインテールの少女が思考をめぐらせている間も、初春の言葉は続く。
「目立たないところに現場にも残されていたシールが見つかりましたので、間違いないと思いますよ。残念ながら珍しくない品なので割り出しには役立ちませんけど」
「味なまねをしますわね」
 それはテレビや小説で見られる、著名な怪盗が自分の手によるものであることを示すための行為だ。しかし、屋内にあるのは人間の目ばかりではない。四六時中、ひと時も休むことなく監視は続けられているのだ。
「でも、それなら映像の一つや二つ、残っていませんの?」
「そのはずなんですが、監視カメラには一切姿が映っていないんです。そしてシールが貼られたのは、たまたま入ってきた人の影で死角になった瞬間でした。通り過ぎた後に、忽然と現れたんです。そして、記録媒体が書き換えられた線はまずありません」
 白井はすっと目を細めた。やはり犯人は外部者ではなく、学園都市の人間ということか。能力を行使して影に潜み、まんまと正面から入りおおせたというわけだ。
「言うまでもありませんが、居合わせたその方は完全にシロです」
「当然ですわね」
 もしそうなら事件はすでに解決している。
「光の屈折を利用した能力者でしょうか。あるいは」
 と、ツインテールの少女があらゆる可能性を探るべく、思考の海に意識を投げ出そうとしたその時だった。
「こんにちはー」
 元気な挨拶と共に扉が開かれて、白梅を模したヘアピンをつけた少女が姿を現す。初春飾利の親友、佐天涙子である。
「あ、今日は固法先輩もいらしたんですね」
 明るい声で言ってから、この部屋唯一の一般人はぱちぱちと瞬きをした。
「もしかして、会議中でした?」
「そうね。対策会議と言うか」
 張り詰めたとまではいかなくとも重い空気の中、のんきにたずねてくる後輩に眼鏡の風紀委員は小さく苦笑する。明文化されているわけではないが部外者は立ち入り禁止の場所であるこの支部に、堂々と入って来たのは佐天が初めてであった。他の生徒ならば十中八九遠慮してもらうところだが、よほどのことがない限り入室を許してしまうのは、その憎めないキャラクターによるところが大きい。
 もっとも、佐天涙子が半ば出入り自由となったのは、規律に対して厳格な固法やルールを遵守しようとする初春がとやかく言わないこと、それ以上に、本当に重大な案件を扱う時にはきちんと節度を守って自重するからで、無条件にすべてを認めるわけではない。
「へえ。事件ですか」
「ええ。下着ドロですの」
 注意を促させる、という意味もあるのか平然とそんな言葉を口にする白井に続き、眼鏡の少女は説明の語を加えた。
「どうやら犯人はよほど下着が好きらしくてね。この二日で百件近く、四百点以上の下着が盗まれているわ」
「四百……って、すごい数じゃないですか」
 仮に一週間分、七枚の下着を一組と考え、単純に割ってみると四百とは57週を補って余る量だ。順番に回していけば58週目にしてようやく最初に履いた一枚に戻ることができる。それこそ、店が開けてしまう膨大な数だった。
「犯人は男なんでしょうか」
「そうとは限らないかもしれないわよ」
 意味ありげに笑う固法に、佐天が首を傾げる。
「女の人かもしれない、ってことですか?」
「そうね。もしかすると」
 これは偏見なのかもしれないが、偏執的な下着マニアというと最初に浮かぶイメージは男だ。中にはそういう趣味の女性もいるのだろうか。
 と、ショートカットの親友がくつくつと肩を震わせていることに気づいて、佐天は問いかけた。
「ねえ初春。何がおかしくて笑ってるわけ? 私、何か変なこと言った?」
「いえ、変とかそういうことではなく、佐天さんが下着をこよなく愛する方だからじゃないですか」
「なっ……」
 予想外の答えだったのか絶句する友の表情に、初春は吹き出しそうになるのをこらえてうつむく。振り返ると、眼鏡の先輩も同じように笑いをこらえていた。なるほど、確かに日々スカートめくりをするのはパンティを見たいがため、という理論が成り立つ。
(そりゃあ、いつも初春のパンツを拝んでるけど)
 言い返すことができず、うー、と顔を赤らめたまましばらくうなっていた佐天は、ぐっと唇を噛み締めるといきなりの暴挙に出た。
「えい」
「ひゃあぁ!?」
 裏返った悲鳴と共に初春のスカートが宙を舞い、純白の布地が開帳された。
 結局、この日は手がかりになりそうな情報がないまま、会議はひとまず棚上げとなったのである。

 残っていた通常業務を済ませ、寮へと帰り着いた黒子は、扉を開くと同時、満面の笑顔で挨拶の言葉を口にしようとして瞬きをした。お姉様はまだお帰りではありませんのね、と内心独りごちつつ明かりをつけて、凝っているわけではないものの何となく重さを感じて肩を回す仕草をする。肉体的な疲労はないものの、とっかかりすら見つからない事件を取り扱う時は、精神力の勝負となる。先が見えない戦いを続けるのは、存外消耗してしまうものだ。
(当分は地道な情報収集をしなければ……と?)
 ツインテールの少女は唐突に違和感を覚えて眉をひそめた。何かが違う、と感じたのである。
「はて」
 室内は特に変わった様子はない。ベッドの位置も、きちんと整えたシーツも、ゴミ箱や時計などの小物にいたるまで今朝、出て行った時と同じである。
 白井は首を傾げながらもう一度辺りを見回すも、不審な点は見当たらなかった。気のせいだったのだろうか。だが鞄を下ろし、着替えようと思ったその時、彼女は発見した。
「これは」
 窓枠のところに見覚えのある、小さなテープが貼られている。ツインテールの少女は思わず息を飲んだ。連続窃盗事件の現場に残された淡い黄緑色のそれを、見間違えようはずはない。
「はっ!」
 白井は顔を引きつらせて鞄を放り出し、固めてある私物の元へと空間移動(テレポート)した。
(今夜履くはずだった勝負下着が! お姉様と過ごす甘いひと時が……!)
 犯人の意図は不明だが、狙われているのは下着のみ。当然、彼女のコレクションも標的となるはずだ。
 しかし、である。ツインテールの少女がほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、すぐに大量の疑問符が頭に浮かんでいた。
「でも、どうして」
 つぶやきを声に出してしまったのはそれだけ驚きが大きかったためで、その他の品も手つかず、まったくの無事だったのだ。
 と、ある考えがよぎり、白井はごくりと生唾を飲んだ。
(まさか、とは思いますが)
 そう。この部屋にあるのは彼女の物だけではない。
 案の定、と言うべきか。調べてみると、美琴の年齢にはふさわしくない、かわいらしいキャラクターの図柄が入った下着がごっそり消えていた。



 時は少しさかのぼる。
「何やってんの、アンタ」
 ある角度で蹴りを叩き込むと缶ジュースを吐き出す自動販売機が置かれた公園で、御坂美琴は幻想殺し(イマジンブレイカー)の少年とばったり出くわした。彼女がついたずねてしまったのも無理はない。
少し離れたところで小さな、五つくらいの女の子が泣いていて、彼自身は木の周りをぐるぐると回っていたからだ。
「よお」
「おっすー」
 こちらを振り向き気さくに応えてくる上条に、電撃使い(エレクトロマスター)の少女は挨拶を返した。だが、彼の視線はすぐに件の木へと戻る。
「ここに何かあるの?」
「ああ、そこの枝に引っかかっちまった風船を取ってやろうと思ってさ。今から木に登るところだ」
「……へえ」
 要は、見ず知らずの女の子が泣いている理由を解決しようとしているわけである。相変わらずの人の良さに、美琴は我知らず口元を緩めた。
 次いで、彼女の目線が捕らえたのは間近に設置された公園設備だ。
(うん、隣に電灯があるし、これならいけるわね)
 あっぱれな心意気に水を差すつもりはないが、美琴の能力をもってすれば瞬く間に片付く。元々、困っている人の力になることを惜しまない、むしろ進んで協力したい性格が、ツンツン頭の少年への呼びかけとなった。
「ちょっと下がってて」
「え?」
「いいからここは私に任せなさい」
 常盤台のエースと呼ばれる少女の唇が描く弧の形は揺るぎない自信の表れで、
「よ、は、ほっ」
 美琴はそんな掛け声と共に発生した磁力を使って電灯を地面代わりに駆け上り、見事に風船をキャッチして着地する。
 それを見た小さな女の子はぱっと表情を輝かせて走り寄ってきた。
「はい、どうぞ」
「わあ……お姉ちゃん、ありがとう!」
「はは、お礼ならこのお兄ちゃんに言ってあげてよ」
 はにかむ美琴から上条へと体の向きを変えて、風船を手にした少女は明るい声で礼を言う。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
「もう手を離すんじゃないぞ」
「うん!」
 嬉しそうに駆けて行くほほえましい後姿を並んで見送った後、黒髪の少年は改めて電撃使いの少女に声をかけた。
「お前、すげえな」
 すっかり感心した顔つきの上条に一瞬見とれて、美琴はあわてて前を向く。
「褒めたって何も出ないわよ」
 何の裏もないストレートな物言いに、素直にありがとうと答えられないことに、少女は幾ばくかの心苦しさを覚えて、何か次の言葉をと思ったのと同タイミングで、鞄の中の微かな振動に気づいた。
「あ、ごめん。ちょろっと待って」
「ん? ああ、メールか」
 彼女は、普段は話の途中でわざわざ携帯電話を取り出すことはないのだが、この時は取り敢えず間を持たせるために利用したのである。
 だが、数秒後に美琴はそれどころではなくなってしまった。携帯電話の画面に表示された『お姉様の下着が奪われました』という、白井から送られてきたメッセージをきっかり三度読み直して、顔を上げる。
 直後、「どうなってるのよー!」と怒りに満ちたお嬢様らしからぬ叫びが公園に響き渡った。

「何かあったのか?」
 気遣わしげに見つめる上条のまなざしを受けて、美琴はいらだち任せに答えようとする自分に急制動をかけた。向けられる瞳には真摯な思いが込められているのが見て取れたからだ。もし彼がからかうためにそう言ったのだとすれば、即座に電撃を浴びせたことだろう。だからと言って、ストレートに事情を説明する気にはなれなかった。
 学園第三位にして超電磁砲を操る、常盤台のエース。たゆまぬ努力の結果、一介の|能力者(レベル1)から|超能力者(レベル5)に到達した唯一の生徒。明るく気さくで相手を問わず分け隔てなく接する公平さを持ち、見ず知らずの他人であっても迷いなく手を差し伸べる、無類のお節介焼きでもある彼女は、相手の性別を問わず、「実は近頃噂の下着泥棒に入られちゃってね。あっはっは」などと、明け透けな物言いができる少女ではない。
 より正確には特定の人物を前にすると、いつもの調子でいられなくなってしまう。そのことを自覚してはいるものの、どうしてこうなってしまうのか、当の本人さえもわかっていない。過去に経験のない、しかし決して気のせいなどではないこの気持ちは、時折意識の深いところからひょっこりと顔を出して御坂美琴を落ち着かなくさせるのだ。
「別に、何でもないわよ」
 説明に困った電撃使いの少女はわずかに唇を尖らせて、ぷいとそっぽを向いた。直後に柳の眉が微かに寄せられたのは、自身のつっけんどんな返事と態度を悔いてのことである。それはチクリとした痛みとなって胸の奥でうずき、歯がゆく、もどかしくもあった。しかし、一度口に出したものは引っ込められない。どう次の言葉を切り出したものかという思いが、余計に彼女をいら立たせる。
 もっとも、そんな台詞くらいで引き下がるような上条当麻ではなかった。何しろ彼は、美琴以上にお人よしなのだ。
「いや、何でもないヤツがいきなり叫ばねえだろ」
「だから、何でもないって言ってるでしょ」
 気遣ってくれているのがわかる手前、さすがに怒鳴りつけるわけにもいかず、美琴はそう言って、うー、と一声うなった。バチッ、と前髪から火花が散ったのは、ままならない自身への苛立ちが現れたものである。
 黒髪の少年が反射的にすわ雷撃が叩き込まれるのかと身をすくめてしまったのは、いわゆる条件反射であったが数秒経っても彼女が顔を背けたままでいるのを見て肩の力を抜いた。
「だったらいいんだけどさ」
 美琴はどこか気落ちしているようには見えるものの、特別、取り乱している風でもない。何かがあったのは間違いないにしても、いつかのような大事件ではないのだろう。上条は胸中考えをまとめると小さくかぶりを振って、飲み物でも買おうといつもの自動販売機に足を向けた。そしてポケットから財布を取り出し小銭を確認しようとしたところで、ざっ、と土を踏む音が聞こえてかたわらへと視線を移す。
「……!」
 そこにはほんの少し唇を尖らせた常盤台のエースがいた。少女の意図を量りかねてぎょっとしたのか目を瞬かせる少年に、美琴は仏頂面のまま次の質問を放つ。
「ねえ、アンタ暇してる?」
「ああ、特に用事はないぞ」
 上条はあっさりとうなずいた。最初は雑誌でも立ち読みしようと家を出たものの、あれこれとしているうちにその気も失せて予定は宙に浮いている。
「だったら、ちょっと付き合ってくれる? 憂さ晴らしに」
「憂さ晴らし、ってお前何をするつもり……おい、御坂」
「いいから着いてきて」
 すたすたと歩いていく美琴を、少年はあわてて追った。返事の是非に関係なくどこかへ向かうつもりらしく、少女の足取りに迷いはない。
 すでに下着は奪われてしまったのだ。今さら足掻いたところでどうしようもない。こうした切り替えの早さもまた、彼女の美点であった。

「初春。見つかりそうですの?」
「もちろんそのつもりですけど、まだなんとも言えません」
 初春は尋常ならざるスピードでキーボードに指を走らせていた。作業内容は学園都市内に設置されている膨大な数の監視カメラ及び熱感知センサーを使った不審者の探索である。つい先ほど事件があった常盤台の女子寮を起点とし、しらみつぶしに何らかの異常を見つけ出そうとしているのだ。
 はっきり言って非効率極まりない力技である上に、何らかの形で外からは体温を感知できなければ徒労に終わるのだが、姿が見えない相手を捕らえる術は他になく、かつ、居場所が絞り込みやすい今しかできない捜索方法だった。
 ちなみに花飾りの少女は窃盗犯確保のために行われていた会議が終わった後、下宿先に戻っていたのだが、部屋でくつろいでいたところへいきなり空間移動(テレポート)してきた白井が現れ、転移の合間に説明を受けながら第177支部まで連れてこられて今に至る。
「こんなことになると分かっていれば、もっと早く固法先輩と上層部に掛け合ってあらゆる機器を町中に配備していましたのに」
 言ってもせん無きことと知りながら、ツインテールの少女はいら立たしさを隠そうともせず唇をぐっと噛み締める。申請したのは会議の後、つい一、二時間前の話であり、今日中に設置が間に合うはずがなかった。
「それがあれば、もっと楽に見つけられたかもしれません」
 こうした受け答えをしながらも初春の手は止まらない。これまでの対応については悔やまれる部分がないわけではなかったが、反省は後からでもできる。優先すべきは犯人の現在位置を特定することだった。
「さすがに、寮の近くにはいないようですね」
 五百メートル刻みで捜索の輪を広げること十回、現場の周辺には何の痕跡もない。だがこれしきのことでは花飾りの少女の忍耐力は毛の先ほども磨耗することはなかった。これは、ゲームを完成させる際に行うデバッグのようなもので、どこにあるのかわからない誤りを見つけ出す作業を初春は何時間もぶっ通しで行うことができる。学園都市の生徒でなければ、どこかの国で諜報員を務めていたとしてもおかしくない、プログラミング能力と耐久力を兼ね備えた一流の者であるからこそ、白井黒子は全面的に信頼して任せられるのだ。
「証拠品を持って逃げているのですから当然ですわね。犯人は現場に戻る、といった格言はこの場合、無視すべきですの」
「私もそう思います。念のため、調べましたけどね」
 だからと言って、ツインテールの少女の焦れる思いがなくなるわけではない。自分の身に降りかかった事件であるならともかく、今回は敬愛するお姉様、御坂美琴が係っている。一刻も早く取り戻さなければ由々しき事態になってもおかしくはなかった。
「わたくしの能力ではどうすることもできませんわ。ですから初春が頼りですの」
「はい」
「ですが、こうしている間にも!」
 たとえば、である。
「ああ、可及的速やかに犯人の位置を割り出さねばお姉様の下着が! お姉さまの、玉のお肌に触れた布地がいまいましいこそ泥の手で汚されてしまいますの! 陵辱! そう、これは姦通にも等しい悪魔の所業ですわ! きぃぃぃぃぃぃ! 万が一、億が一でもそのようなことがあれば! ド畜生めを、コンクリ詰めにして海の底コース! いえ、のこぎり引きでも生ぬるいですわね。万死を飛び越えて兆死に値しますわ!」
「落ち着いてください白井さん」
 友の喚き散らす声を聞き流しながら、初春は持てる能力をフル稼働し続ける。彼女とて下着ばかりを盗む犯人を、女の敵をそう易々と逃すわけにはいかないと思っている。それも、よく知った人が被害にあっているのだ。一層力が入るというものである。

「あの、御坂さん」
 三歩下がって師の影を踏まずの教えに従う弟子の如く、無言で御坂に付き従っていた上条が意を決して前を歩く常盤台のエースに声をかけると、彼女はこちらを振り向いて微かに驚きの表情を浮かべた。
「ああ、ちゃんと着いて来てたんだ」
「いや、着いて来いと言ったのはそっちだったと上条さんは思うんですけど」
 まったくもって理不尽極まりない発言に、黒髪の少年は言動に疲労感をにじませつつ返答する。道中、彼女が火花を散らしていたため、やぶ蛇にならないよう黙っていたのだが、どうやら杞憂だったようだ。
 立ち止まり、半身でこちらを振り向く美琴は屈託のない笑みをみせている。
「で、どこに向かってるんだ? そろそろ教えてくれてもいいだろ」
「言ってなかったっけ。ぱーっと甘い物でも食べて、ストレスを解消しようかなと思って」
「そっか」
 白井が聞けば「お姉様! そんなことをしたら取り戻すのに何日かかると思っていますの!? 黒子は絶対反対ですの! お姉様の美しいラインが崩れてしまいますの!」などと騒ぎ立てることは請け合いであるが、女の子の事情に疎い上条としては、そういうものなのかと相槌を打つばかりだった。
「取り敢えず、特大パフェかしら。大盛りにするのもありだし、他のメニューを攻めるのも手よね」
「お前、どれだけ食うつもりなんだよ」
 恋人同士でない二人組が一緒に店へ入れば勘定は半々、というがおそらく一般的である。問題は、今から向かうところが常盤台のお嬢様が行きつけの場所である点だ。胸を張って言うことではないが、彼は良くも悪くも平均的な家庭で育っており、仕送りの金額は生活費を差し引けばほとんど残らないレベルだった。ケチケチするつもりはないが、下手をすれば食事が塩と水だけになってしまう恐れがある。
 しかし、戦慄する上条にほほえみかけたのは死神ではなく天使だった。
「ああ、心配しないで。私が誘ったんだから、おごらせてもらうわよ」
「いや、待ってくれ。なんか、いつもおごってもらってばかりな気がするんだが」
「そう? いらない、って言うならそれでもいいけど」
 黒髪の少年は毅然とした態度で取り出した財布の中身をチェックするや、ほとんど首が直角になるまでうな垂れる。
「どうしたのよ」
「すまん。本日の予算じゃ自販機の缶ジュースが限度だ」
「そっか。じゃあ、決まりね」
 罵られることを覚悟していた上条は、美琴がつぶやいたきり上機嫌に鼻歌を歌い始めたのを見て、しばらくの間不思議そうな顔をしていたが、ふと我に返って手を打ち合わせた。いくら金持ちだからと言って、おごらせてばかりではさすがに気が引ける。礼として受け取るならまだしも、今回は何もしていないのだ。
「その代わりと言っちゃあなんだけどさ」
 きょとんとする常盤台のエースに、黒髪の少年はニヤリと笑った。
「今回は世話になるけど、次は俺のおごりな」
「え?」
 雷に打たれたように動きを止めた美琴は、無意識にやや上目遣いで少年を見やる。
「……いいの?」
「男に二言はねえよ。まあ、できれば店は選んでもらいたいところだが、なに、人間は少々食わなくたって死なないようにできてるからな。はは」
「バカね、そこまで無理する必要ないわよ」
 一体何をおごってくれるつもりなんだか、と少女は小さく苦笑すると、頬をほんのりと桜色に頬を染めながらわずかにうつむいた。
「でも、嬉しい。ありがとう」
「いや、礼を言われるほどのことじゃ」
 予想外の反応に、上条も気恥ずかしさを覚えて後ろ頭をかきつつ答える。両者の間に付き合い始めたばかりの恋人同士を思わせる初々しい空気が流れる中、学園第三位の少女は熱くなった顔を隠すように身をよじり、その拍子に宙を撫でたはずの手のひらが妙な弾力に押し戻されて、目を瞬かせた。
「へ……?」
 美琴は思わず辺りを見回したが、手の届く範囲に人はいない。更に言えば、ふくよかな双丘を持つ者など見渡す限り存在しなかった。
(どういうこと?)
 何もないはずの空間に女性の胸部としか考えられない柔らかな膨らみがあった、その意味を吟味しかけたところに、期せずしてかわいらしい着信メロディーが鳴り響く。
「……私のだ」
「みたいだな」
 上条は手のひらを見せつけるように差し出す仕草でもって、電話に出ることを促してきた。美琴は素直に従い、取り出した携帯電話の受話ボタンを押す。
「はい」
「お姉様。例の窃盗犯の居場所が特定できましたの」
 息せき切って語を継ぐ白井の言に、電撃使いの少女は我知らず息を飲んだ。
「いいですか、よく聞いてくださいまし」
 しかし驚きは一瞬のこと、一言一句逃すまいと美琴は意識を耳のみに注ぐ。
「犯人はつい今しがたセブンスミストの近くにあるクレープ屋の側を通ったはずですわ。もし近くにいるのでしたら気をつけて……もしもし? お姉様?」
「わかった。感謝するわ、黒子」
 なんという偶然だろうか。ついさっきぶつかったのは、下着泥棒だったのだ。姿が見えない者が、幾人も町をうろついているわけがない。
 常盤台のエースはのんびりと空を眺めていた上条の腕をつかむと、不敵な笑みを浮かべた。
「いい? 今からこの一帯で騒ぎが起こるから、アンタは不審者を発見して頂戴」
「は? どういうことだよ」
「アンタまでしびれるんじゃないわよ」
「おい、御坂」
 説明もそこそこに、美琴の前髪がバチッと激しい火花を散らす。黒髪の少年は反射的に右腕を前方にかざし、その一点を除く周りに超低電圧の電流が放射された。
「危ねえな、おい」
 見れば原因不明のしびれに襲われた生徒たちが、そこかしこで驚きの声を上げている。
「ねえ、何かおかしなこと、なかった?」
「いや、そう言われても」
「今度は見ててよ」
 ほとんど会話になってねえ、と悲鳴に似たうめきを漏らしつつも、上条は言われるままに辺りをつぶさに見て回った。特におかしなところはないぞ、と口にしかけた次の瞬間、通りの向こうで中年の男性がいきなり前のめりになる。
「なんだ、今のは。あのオッサン、勝手に転んだぞ」
「ビンゴ! あの、逃げていくヤツを捕まえるわよ!」
 美琴の目的はただ一つ、この場にいる全員の足を止めること、だった。その中で動き回れば、たとえ不可視であったとしても目立つに違いないと考えたのである。
「わかった」
 上条は事情を把握しないまま、協力する気になっていた。彼女が何の理由もなくこのような行動に及ぶはずがないと、知っているからだ。
「とにかくあいつを追えばいいんだな」
「ええ、お願い」
 下手な考え休むに似たり、と言う。路地裏で幾度となく複数の相手と拳を交えてきた経験が活きたのか、少年は立ち尽くす人たちの合間をかなりのスピードで駆け抜けて、そこにいると思しき何者かに右手で触れることに成功した。
 だが、変化はない。その者は、変わらず見えないままだった。
「ちょっと、どうして追いかけるのをやめるわけ!?」
 足を止めてしまった上条を見て声を荒げる少女だったが、
「能力者じゃねえ」
「は? って、いきなり走り出さないでよ!」
 ぽつりとつぶやいて再び駆け出した彼をあわてて追う。そして黒髪の少年は前を見据えたまま、こう続けた。
「御坂、今のヤツは能力者じゃないぞ」
「何言ってんのよ、アンタ。姿を消せるのに、学園都市の人間じゃないとでも?」
「そうだ」
 戸惑う少女に、
「この手で触れたのに、あいつの能力は解除されてないからな」
 上条ははっきりとそう言ったのである。



「右手、か」
 屈指のお嬢様学校である常盤台中学が保有する女子寮の一室で、学園第三位の電撃使い(エレクトロマスター)はベッドに身を横たえたままそっとつぶやくと、見つめる視線の先、天井へと向けた右の手のひらをぎゅっと握りしめてから息を吐き出した。何となく、体が重い。このえもいわれぬ気だるさは、昼間に走り回ったからではなく徒労感に起因するものだ。ここ数日、第七学区を騒がせている下着泥棒をあと一歩のところで逃してからまだ半日と経っておらず、今も消化しきれていない気持ちが胸の中でくすぶり続けている。
 当然ながら彼女の意識を占めているのは事件のことであったが、先ほどからどうにも上条当麻が口にした言葉が気になって仕方がない。
『この手で触れたのに、あいつの能力は解除されてないからな』
 よく知るツンツン頭の少年は、確かにそう言った。直後に犯人を追って走り回ったため、その時は微かな引っ掛かりを覚えながらもたいして気に留めなかったものの、改めて彼の発言を思い出してみると違和感があるのだ。
 上条の能力は、超能力と呼ばれるすべての力を無効化してしまう。磁力によって硬化した砂鉄は彼に触れた瞬間にただの砂に戻り、雷撃の槍も霧散してしまった。10億ボルトを直接叩き込むべく手をつかんだ時など、静電気すら起こすことができなかったのである。
(手で触れたから、ってアイツは言った。それって、右腕に限るのかしら)
 かつて、|絶対能力進化(レベル6シフト)実験を阻止する最中、あの少年は彼女の電撃によってダメージを受けていた。それも、これまでどのような攻撃も一切通じなかった彼を、下手をすれば息の根を止めてしまいかねない重態へと追い込んだのだ。何もかもをなかったことにしてしまうその力が発揮されていれば、そうはならなかったはずである。
(任意に能力のオン・オフをできるのは能力者なら当然の話だけど、もしそれができないのだとしたら、そして、アイツが|無能力者(レベル0)と認定されているのは、能力実験で計測しようがない右手で触れた能力を無効化するものなのだとしたら)
 御坂美琴は思わず息を飲んだ。過去の対戦を含め、記憶をたどっていくとすべてのケースにおいて辻褄が合う。
(でも、そんなの、あり得ないわよ)
 学園第一位の一方通行(アクセラレータ)に、たったそれだけの力で太刀打ちできるとは思えない。
右腕のみが能力を打ち消す、その程度の限定された力であの化け物にかなうはずがない。
(って、どうしてアイツのことばかり考えなくちゃいけないわけ? まったく)
 常盤台のエースは拳を握りしめると同時に目を閉じて、身を起こした。それから、頬に手を当ててみる。熱は帯びていない。ただし、心持ち鼓動は早かった。
(あー、きっと、急に起き上がったからよね。うん、そうそう、そうに決まってる)
 美琴は瞼を持ち上げつつ結論を下して、再度ベッドに寝転がろうとした途端、不意に何者かが後ろから抱きついてきた。
「お姉様」
 軽く身をもたせかける形で預けられた重みは電撃使いの少女がよく知ったもので、耳朶をくすぐるささやきは明るく脳天気なものに聞こえる一方、気遣わしげな響きを含んでいる。
「黒子」
 美琴は無意識のうちに自身の首を抱く白井の腕にそっと手を重ねながら、顔だけで振り返った。
「どうされましたの、お姉様。先ほどから、随分と深刻そうなお顔をなさっていますが」
「そんな顔、してる?」
「ええ。二、三日、お通じがなかった時のような」
 冗談で場を和ませようとしているのか、ツインテールの少女は返答に詰まるもすぐに笑みをこぼした先輩を見て、ほっとした表情をみせる。
「もしかして、例のパンツ泥棒のことでも考えてらっしゃいますの?」
 美琴にしてみれば、お気に入りの下着をごっそりと持ち帰られてしまったのだ。気にならない、と言えば嘘になるだろう。
「まあ、そんなところ」
 内心ぎくりとしながらも、常盤台のエースはなんでもない風を装って曖昧な返事をした。正確な情報は伝えていないが一応は本当のことを言っている。それを白井はどう受け止めたのか。穏やかにうなずくその顔から、読み取ることはできなかった。
「そういえばお姉様。昼間、あわててお電話をお切りになったのは……」
「そうだ。言い忘れていたけど、その下着ドロを見つけたのよ」
「はあ、そうでしたか……って、見つけましたの!?」
 ツインテールの少女は満面を驚愕の二文字で埋め尽くしつつ、叫ぶ。
相手は風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)が学園都市の機能をフル活用してもなお捕まえられずにいる犯人である。驚くな、というのが無理な話だった。
「当然、後を追われたのですわね」
「そりゃあね。放っておくわけにはいかないでしょ」
 義を見てせざるは勇なきなり、という。自分が正義の味方だとは考えていないが、多くの人間に迷惑をかけた者を前にして、更には自らが被害者でもある状況で、見て見ぬ振りをする御坂美琴ではない。何しろ、たとえ狙われたのが縁もゆかりもない誰かであっても進んで助けようとするのだから。
「それで、どうなりましたの」
「もう少しで捕まえられそうだったんだけどね」
 一緒に居た少年には触れず、美琴は小さく肩をすくめて結果だけを淡々と伝えた。
「あと少し、ってところで逃しちゃった」
 だが、待っていたのは彼女がまったく予想もしない反応で、白井はやっぱり、と口中つぶやきすっと目を細くすると敬愛する先輩をじろりと見やる。
「お姉様ったら、黒子が口酸っぱく何度も何度も風紀委員以外の人間が他人に力を行使してはいけないとあれほど……!」
「ごめんごめん。でもさ、たまたま近くに犯人がいるとわかっていて、逃す手はないじゃない」
「それはそうかもしれませんが」
 苦笑する美琴に、ツインテールの少女は不承不承、肯定した。電話をかけて知らせたのは白井であり、それがきっかけとなって犯人の発見につながったのだ。仮に風紀委員や警備員へ連絡していれば、その間に相手は逃亡し、痕跡を追うことさえ困難になる。
「で、どのような外見をしていましたの」
「うん、それなんだけどね」
 遠慮なくずいずいと詰め寄ってくる後輩を押し止めつつ、学園第三位の少女は苦笑いで答えた。
「わからないのよ。正確には、見えなかったから」
「でも、お姉様は犯人を追われたのではありませんの?」
「うん。私は犯人を追った。でも、姿を拝むことはできなかった」
 見えない者を追いかけるとは、これいかに。吹き出しに幾つものクエスチョンマークを記した状態で、白井は首を傾ける。予想どおりの反応に、美琴はからかっているのではないと示すかのように、ことさらに表情を引き締めた。
「アンタの疑問もわかるわよ。でも、顔が見えなかったとかそういうんじゃないの。そもそも、相手の姿が見えていなかったのよ」
「へ?」
 ツインテールの少女は間の抜けた声をもらした。



「おじゃまします」
「はい、どうぞ」
 白梅を模した花飾りをつけたセミロングの少女が開いたまま保持する扉をくぐりぬけて、頭上に幾多の花々を乗せたショートカットの少女は目を弓にしてうなずいた。
 ここは佐天涙子の部屋で、一緒にいるのは親友の初春飾利で、二人とも制服姿であるが見た目は大きく違う。身長や顔立ちのことを言っているのではない。というのも、風紀委員の少女は泥まみれになっている上に、白い柔肌に幾つも擦り傷があるせいだ。
「取り敢えず、お風呂に入って綺麗に洗い流しなよ。その間に制服をどうにかするから」
「すみません、せっかくのお休みなのに、こんなことに付き合わせてしまって」
「なーに水臭いこと言ってるんだか」
 申し訳なさそうに眉尻を下げる初春に、佐天は玄関の戸締りを確認して穏やかな表情で首を左右に振った。
「ええと、ここで脱がせてもらいますね」
「そうだね。そうしてもらえると助かるよ」
 泥は乾ききっていないとはいえ、部屋の中で脱げば多少なりとも下に落ちてしまう。掃除の手間を考えれば、この場に服を置いてもらった方がいい。
「鞄、置いてくるから」
「はい」
 佐天は部屋の奥に足を向けると、空いた手を肩の高さでひらひらと振った。そして、風紀委員の少女は友の思いやりに胸の中で礼を言う。一緒に風呂へ入ったことのある仲とはいえ、何の抵抗もなく互いの裸を見せ合えるかと問われれば答えは否、である。自分のスタイルに絶対の自信を持っているならともかく、やはり、まじまじと見つめられるのはさすがに気恥ずかしかった。そんなことを考えていると妙に照れくさく感じられて、それをごまかそうとするかのように、初春はそそくさと脱衣を開始する。
 制服が彼女の手に納まるのと、佐天がタイミングを見計らい声を発したのは同時だった。
「それにしてもさ。本当、初春は根っからの風紀委員なんだね」
 座って待っていたらしく言いながらひょっこり現れた友の顔は思ったより低い位置にあったことに、
風紀委員の少女はぱちぱちと瞬きをして、ふにゃ、と表情を緩める。
「あはは、そこまでたいそうなものじゃないですよ。ただ、危ない、と思った時には体が動いていたんです」
 初春が泥まみれになったのは、ボールを追って車道に出てしまった子どもをかばおうとしたためで、彼女が身を挺して救わなければ大惨事になるところだった。
「それくらいのケガで済んだからいいようなもんの、本当に肝が冷えたんだから」
「確かにあれは、危なかったですね」
 タイミング的に、ギリギリのところだった。子どもの腕を引き、歩道側へと引き寄せた彼女の鼻先をミラーがかすめ、足をもつれさせてしまった。その後はまるで漫画か何かのように、転んだ先には水がたまっていて、自分の体を盾にしたおかげで子どもは無事だったが、初春はなんとも痛々しい姿になったのである。
「でもあの子、ちゃんとお礼を言ってたじゃないですか」
「そんなの当たり前だから。それすら言わないようなら、拳骨を食らわしていたよ、私は」
「佐天さん、さすがにそれはやりすぎです」
 くつくつと喉の奥を震わせる友に、佐天は勢いよく立ち上がって唇を尖らせた。
「それでも足りないくらいだよ。だって、初春がこんな目にあってるのに、感謝もしないような子どもは……って、どうしたの、じっと見ちゃって。顔に何かついてる?」
「はい」
「え? ウソ、あの騒ぎの時かな?」
 あわてて頬を手のひらで撫で回し始める親友に、初春はくすくすと笑いながら歩み寄ると、控えめに制服を差し出しつつ言った。
「そうじゃないですよ、佐天さん」
「それって……?」
 驚きの表情をみせながらも佐天は衣服を受け取って、目を瞬かせる。それでは、一体何がついているというのか。
 彼女の胸に生じた疑問は続く台詞によって解決した。
「私のために、そんな風に怒ってくれる大好きなあなたの目と鼻と口はついていますが、泥ははねていません」
「……な、な、ななな」
 同じ音を繰り返す佐天の顔はあっという間に赤く染まり、それを知覚することで恥じらいはいや増して、余計に言葉をつなぐことができなくなってしまう。
「ありがとうございます、佐天さん」
「わ、私は別にお礼を言われるようなことなんて、してないから」
 思わず目線を伏せてながら言って、白梅の少女は上目遣いにちらりと友を盗み見た。すると、初春は照れくさそうにはにかんで、えへへ、と小鼻をかく仕草をみせる。
「では、お湯を使わせてもらいますね」
「うん。ごゆっくり」
 全裸の親友が扉を開いたその時、佐天はつい浮かんだ言葉をそのまま口にしてしまった。
「私も一緒に……」
「今、何か言いました?」
 はっと気づけば初春が不思議そうにこちらを見つめていて、
「なんでもない」
 佐天は火が出てもおかしくない熱さの頬を隠すように、さっと居間の方へと踵を返したのだった。



「犯人を捕らえる寸前で逃したのに、相手の姿が見えなかったとは」
 まるでとんちのようですわね、とつぶやいて白井は自身の顎先に握り拳の一端を押しつけた。通常、あり得ない話だった。だがここは二百三十万人もの能力者たちが住まう町、学園都市だ。あり得ないことなど、あり得ない。
 その代表格とも言える彼の学園第一位は、核兵器をもってしても倒せないと聞く。さすがにそれは都市伝説のようなものだろうというのが彼女の見解であるが、裏を取ろうにも情報統制が徹底されているためか、いくら調べたところで事の真相は明らかにならない。嘘かまことか、非人道的な実験が行われていたという噂もあった。
 ともかく、先入観で判断するのは早計である。
「どういうことですの、お姉様。まさか、相手が透明だったとでも?」
「そういうこと」
 美琴は後輩に相槌を打ちつつ短く答えると、小さく肩をすくめた。人ごみの中でなければ、姿は見えずとも電撃によって打ち倒せただろう。もっとも、周囲に大勢の人間がいたからこそ、その存在に気づくことができたのだが。
「いつでしたか、そんな能力者が常盤台の生徒ばかりが狙われたことがありましたわね」
「ああ、特徴的な眉毛の女の子が絡んでいたやつ?」
「ええ」
 それは個人的な恨みからある少女が犯行に及んだ事件だった。しかし、今回は対象者があらゆる学区から無作為に選ばれている。少なくとも、現時点では女性であること以外に共通項がない状態だ。ただ、奪われているのが下着のみということもあって、各支部ごとで対応するに留まっている。対策本部が立ち上がるのを待っていては、それこそ根こそぎ持っていかれてしまうかもしれない。
「でも、あの時とはまた違うみたいなの」
「と言いますと」
 首を傾げるツインテールの少女に、常盤台のエースはほんの一瞬躊躇する素振りをみせてから口を開いた。
「絶対とは言いきれないけど、犯人は能力じゃなく科学の力を使っているわ」
「は?」
 驚きの声が上がり、沈黙が落ちる。白井は笑い出そうとして、表情から美琴が冗談を言っているわけではないと知り、生唾を飲んだ。
「光学迷彩、ですの?」
「うん」
 体表面に周囲の景色を投影することで保護色としているのか、あるいは光そのものを捻じ曲げて不可視を実現させているのか。専門外であるため詳しいことはわからないが、いずれにしても高度な科学技術である。
「確かに学園都市の科学技術は外よりも二、三〇年進んではいますが」
「私も最初はそう思ったわよ。でも、そう考える方が自然なのよね」
「自然?」
 脳裏にツンツン頭の少年を思い浮かべながら、電撃使いの少女は無意識に後輩から目をそらした。
「そ。ちょろっと低周波を放ってみたら、反応したからさ」
 上条が触れても無効化されなかったから、と説明すれば手っ取り早いのだが、美琴にはそうすることができない理由がある。彼女自身が彼の能力を正しく理解しているわけではないため、
詳細についてたずねられてもさあ、と答えるしかない上、その人物名を耳にした白井が過剰な反応を示すのは疑うべくもないからだ。
「異常動作を起こした、と?」
「まあ、そんなところ」
 超電磁砲の少女が適当にお茶を濁そうとしたその時、白井が眼前に現れた。ぎょっとして目をむいたのは、後輩が空間移動(テレポート)によって音もなく移動したからではない。隠そうとしている事実、すなわちあの場に偶然居合わせた幻想殺しの少年と、共に下着泥棒の犯人を追ったことに、勘付かれたのではないかと思ったのだ。
「お姉様」
「な、なによ」
 半眼で見やる後輩に、美琴はばつが悪そうに顎を引き、やや上目遣いになる。こうなると半ば白状したも同然なのだが、竹を割ったような性情の彼女にとって、空とぼけたり嘘をつくのは至難の業なのである。
「まさかとは思いますが、人ごみの中で電撃を放ったのではありませんわよね? 言っておきますが、超低電圧だから許されるものではありませんのよ」
「ええと、それは……あはははは」
 都合よく勘違いしてくれたことに内心安堵しながら、常盤台のエースは笑ってごまかすことにした。よく考えてみると、いくら犯人を捕まえるためとはいえむちゃなことをしたものだ。
「お姉様、笑っていないできちんとお答えくださいませ」
 普段なら、白井が顔を寄せてくる時は語尾を甘ったるく伸ばしながら来るものだが、今日の彼女は真剣そのもの、軽口でごまかすことなど許さない、とばかりに厳しい表情をみせている。
「みだりに能力を行使してはいけないとわたくしが口酸っぱく言う意味を、ご理解いただいてますの? お姉様!」
「うん。ごめん」
「まったくお姉様は……って、え?」
 しおらしくうな垂れる姿に、ツインテールの少女は続けようとしていた説教を中断させた。そうして、美琴は目を瞬かせている後輩の言葉を肯定する。
「あんたの言うとおりよ。犯人を逃したくない一心で、つい周りの人を巻き込んでしまったわ」
「……わかりました」
 言い訳することなくあっさりと認め、頭を下げる者にくどくど言う気にはなれなかったらしく、白井は語気を緩め、眉尻をわずかに下げた。
「お姉様のことですから、慎重に電圧の調整を行ったのでしょうけれど。以後、お気をつけくださいませ」
「うん。気をつける」
 熱くなると視野が狭くなるところは、直すべき短所だ。学園第三位は他人の忠言を聞く耳と反省する心を持っている。強大な能力は、使いどころを誤ればただの暴力でしかない。
(わかっているはずなのに、この子にそんなことを言わせるようじゃダメよね)
 時には同僚に、先輩に、そして友に。白井黒子は心を鬼にして苦言を呈している。これまで幾度も目にしてきた彼女の横顔は、硬く強張っていた。好きな人に、耳に痛い言葉を望んで口にする者はいない。その、憎まれ役を進んで買って出る強さは、優しい心根の表れなのだろう。
 そして、たった今白井に辛い想いをさせたのは他でもない、美琴だった。
「黒子」
「はい、なんですの……って、お姉様?」
 あわてふためく息遣いを感じながら、電撃使いの少女は万感を込めて後輩を抱きしめる。
「ごめんね。それから、ありがとう」
 一つになった影は、しばらくの間離れることはなかった。

「仮に、その光学迷彩が実在するとなると実用性を試そうとするはずですわね」
 互いにベッドへ腰を下ろし、正面で向かい合いつつ少女たちは昼間の出来事の検証に移っていた。
「そうね」
 目視を不可能にする技術の確立は噂のレベルでもまだ聞いたことはないが、失われた最高峰のスーパーコンピューター、樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)を活用することで実現したのかもしれない。
 軍事において大きな有用性を持つ研究ならば、秘されていたとしても不思議ではなかった。たとえば民間で使用できる人工衛星の能力は、最先端のそれと比べて数段劣る。宇宙からの観測によって個人を特定できるということは、暗殺も容易に行えるということだ。国防を左右するような技術は、おいそれと流出させるわけにはいかない。姿を隠すことができる道具もまた、テロリストはもちろん敵対国に渡れば危険極まりない存在である。
「だとすればこれは、内部の何者かが実験を兼ねたものと考えられなくもない、ですが」
「うん。それにしては騒ぎが大きくなりすぎているし、第一、ショボすぎるのよね。下着泥棒って」
 もし上層部がこのような計画を立て、実行しているとすればお粗末に過ぎる。
「試作品をスキルアウトに使わせてデータを取っている、の方がまだ現実みがありますわ」
「実際、そういうことをした人がいたもんね」
 眼鏡をかけた狂気の科学者を思い出して、美琴は小さく眉をしかめた。成果を求めて暴走する手合いは物事の善悪など一顧の価値もないのだ。
「とはいえ、さすがにしばらくは行動を控えるのではないでしょうか。あわや、捕らえられるところだったのですから。もっとも、犯人が単なる享楽主義者で、女性の下着を愛して止まないヘンタイであればその限りではありませんが」
「そんなやつ、二回死ねって感じね」
 常盤台のエースはあからさまに嫌そうに目つきを険しくして、軽く嘆息すると共に、後方、ベッドのシーツに倒れ込みつつ瞼を下ろした。それから、今の台詞が先日立ち読みした漫画に登場するヒロインの口癖であることをぼんやりと思い出す。
「結局、ほとんど成果は得られなかったわね」
「何を仰いますのお姉様。犯人が能力者ではないかもしれないとわかっただけでも、前進ですわ」
 力強い宣言は、己に言い聞かせるためのものでもあったのか。数秒の沈黙を経て、ぽす、という音ですぐ側に白井が腰掛けたことに気づき、美琴は薄く片目を開いて頬をほころばせる。そこには、揺るぎない自信に満ちた風紀委員の姿があった。
「ひとまず今は初春からの続報を待ちましょう。闇雲に追いかけても捕まる相手ではありませんわ」
「そうね」
 ただ、いくら凄腕のハッカーであっても今回ばかりは手がかりを得ることは難しいはずである。犯人へとつながる情報の絶対量が少なすぎる。雲をつかむような、と表現しても過言ではあるまい。
 その一方で、電撃使いの少女は穏やかな気持ちでいられる自分を知覚していた。それは、隣にいる後輩が生み出してくれたものだ。
(事件が片付いたら、食べたがっていたスイーツの店に誘おうかな)
 喜んでくれるといいんだけど、と内心続けて美琴は口元を柔らかく弓にする。と、ツインテールの少女が和やかな表情でこちらを見つめていることを知って、微かに首を傾ける仕草をみせた。いわゆる、どうしたの、というジェスチャーだ。
「あの、差し出がましいようですが、お姉様、今宵の下着は残っていまして?」
「あ」
 超電磁砲の少女は目を丸くして、がばっと身を起こした。そういえば、犯人と遭遇したのは白井から下着を盗まれたと報告を受けた直後のことで、たった今、指摘されるまですっかり失念していたのである。
「私のは全部やられた……んだよね」
「ええ。一枚残らず、すべて」
 申し訳なさそうに言う後輩の姿に、美琴は困ったようにあははと苦笑した。
「どうしようか。今から、コンビニで買ってこようかな」
「寮監の巡回時間を過ぎれば、可能ですわね」
 コンビニエンスストアという呼び名は大げさなものではなくなっている。日用品はもちろんのこと、ぱっと思いつくものは大抵揃っていて、中には家電製品まで置いてある店舗もあるほどだ。
「ですが、わざわざ買いに行く必要なんてありませんわ」
 ツインテールの少女は緩く首を左右に振ると、膝を揃え、満面の笑顔で言った。
「わたくしの下着は無事でしたから、どうぞお好きなものをお使いくださいまし」
「え? でも、悪いわよ」
「いえ、どうぞ遠慮なさらず。むしろ、お姉様に使っていただければ光栄の極みですわ」
 確かに今から外に出るのは億劫であるし、せっかくの好意をむげにするのも悪い気がする。しかし、にこにこと続ける後輩の申し出をありがたく受けようと首を縦に振ろうとした次の瞬間、美琴は思いきり頬をひきつらせた。
「そして、黒子とめくるめく官能の夜を」
 邪なる異形の者と化した白井が、飛び掛ってきたからだ。



(あー、もう。私ってば何を言いだすんだか)
 壁を背に、髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回して佐天は膝の間に顔を埋めた。頬の熱はいっかな引こうとせず、鼓動は高いままだ。
(一緒に入って、どうするつもりなのよ佐天涙子。まったく、もう)
 穴があったら入りたい、とはこのことである。だが気を紛らわそうにも静かな夜に響くのは親友が使用しているシャワーの音のみで、そのことが余計にいけない想像へと走らせる一因となっていた。制御不能となった頭は、壁に打ちつけでもしない限り止らないのかもしれない。
(……背中の流し合いくらいはするのかな。で、同じ湯船に浸かって……)
 次々と浮かぶピンクの妄想に佐天はあわてて首を振り、悶々ともだえる。一人そんなことを繰り返していた彼女は、何かの拍子に白梅を模した髪留めを飛ばしてしまい、はっと顔を上げた。ピンは弧を描いて宙を渡り、何もないはずの空間に当たってその場に落ちる。
「え?」
 目の錯覚だろうか。だが、いくら瞬きしても、髪留めはすぐそこに転がったままである。
(……?)
 佐天が怖る怖る近づいて腕を伸ばすと、柔らかな感触があった。目に見えない何かが、そこにいた。
「きゃあああああああああッ!?」
 考えるよりも早く、口から悲鳴が飛び出していた。それでも、体は得たいの知れない何かを捕らえようと動く。半ば身を投げ出すように飛んだ先、指先を布のようなものがかすめるも、少女はつかみ損ねて床に不時着した。辛うじて顔面をぶつけることだけは避けたものの、肘と胸部の痛みに息が詰まる。
 しかし、彼女の行動は無駄ではなかった。この騒ぎにシャワーの音が止まり、
「どうかしましたか、佐天さん」
 のんびりとした声と共に風呂場の扉が開くと同時、激しい物音を伴ってパンティが廊下に散らばった。

「え?」
 佐天が目を白黒させたのも無理はない。つい今しがた、不審な何かをつかもうと反射的に腕を伸ばしたのは彼女であったが、その結果、いきなり降って沸いたように大量の下着が散乱し、床に倒れる何者かの姿を暴き出すことになろうとは、夢にも思わなかったからだ。
「神妙にしてください!」
 そんな中、事態をいち早く察知したのは風紀委員(ジャッジメント)の少女だった。正確には、異変に体が反応したと言うべきか。有事には考えるより先に動かなければならない。その習性が彼女を捕縛という行動に向かわせたのだ。
「風紀委員です!」
 初春は甘ったるい、しかし凛とした響きを伴う声で宣言するや、脳震盪でも起こしているのか倒れたまま動かない窃盗犯と思しき者を確保にかかる。
「ん、よいしょ、っと」
 風紀委員の少女は姿が見えないままの犯人からの返事を待たず、すぐ脇に用意されていた藤籠から取り出したタオルを拘束具として使用し、後ろ手に縛り上げた。先ほどまでシャワーを浴びていたはずなのだが、まだ取り外す前だったらしく頭髪を彩る幾つもの花々をわずかに揺らめかせる彼女の、なだらかな曲線を描く双丘を水滴が伝い、あるいはそのまま雫となってそのままこぼれ落ちる。
「初春、すごい」
 佐天は自身が思わず言葉を漏らしたことにも気づかず、眼前で繰り広げられる光景に見入っていた。この時彼女は水も滴るような、という単語を頭に思い浮かべたのだが、これは本当に雫が垂れているから美しいわけではなく、たとえば日本刀の刃文が持つ艶や滑らさが水面を連想させるところからきている語で、水が滴っているから綺麗だとする解釈は誤用である。
 それはさておき、濡れたままであることも一糸まとわぬ格好であることにも構わず、職務をまっとうしようとする初春の姿は確かにきらめいて見えた。もっとも、今は目の前のことだけに集中している風紀委員の少女は、己が裸体であることを知覚した途端、真っ赤になってへたり込むことは想像に難くないのだが。
「佐天さん、まずは警備員(アンチスキル)に連絡を! それから、白井さんたちにもお願いします!」
「うん、わかった」
 指示を受けた佐天は大急ぎでポケットから取り出した携帯電話を操作し始めた。たった今取り押さえられた人物が、このところ町を騒がせていた連続下着窃盗犯なのだと、遅まきながら認識する。
(犯人を捕まえたことを伝えて、それから……)
 佐天涙子は気持ちがはやるあまり番号を打ち間違えつつも、受話ボタンを押した。言う。
「あ、もしもし。あの、例の下着ドロを捕まえました!」
 少々上ずった友の声を聞きながら、初春はほんの少しだけ眉尻を下げた。手を縛られた状態で、しかも横四方固めで押さえ込んでいるのだ。あとは、警備員がやって来るのを待っていればいい。
 ちなみに横四方固めとは柔道の固技の一つで、仰向けに寝た相手に覆いかぶさる形で、相手の側方から首の下に差し込んだ腕で首を固め、残った腕で足を抱えて、腰を低く落として動きを封じるものである。小柄な少女の力でも、いったんこの態勢に入れば男でも簡単には抜け出せず、固められた側は伸し掛かられているため、徐々に体力を消耗していく。つまり、時が経てば経つほど脱出はいっそう困難となる。
「あ、御坂さん? 犯人、捕まえました! そう、それです! 今、初春が動けなくしてます!」
 興奮気味に話す佐天をちらりと横目で確認して、風紀委員の少女は唇をぐっと引き結んだ。有利な状況にあるからといって、油断するわけにはいかない。何しろ、これまで手がかりらしい手がかりを残すことなく盗みを成功させてきたのだ。
 加えてもう一つ、気になることがあった。どうやら、犯人は女らしいのである。素材の不明なタイツのようにぴったりと体を覆うものを身につけているためわかりにくかったが、微かに胸元が膨らんでいるのだ。姿は見えなくとも、さすがに密着した状態であればわかる。
 そして、今度は新たな疑問が生まれてくる。
(身長は私と同じくらい、か。でも、どうして下着なんか狙ったのかな)
 ふとツインテールの同僚を思い出して初春が苦笑したその時、それまで身じろぎ一つしなかった犯人が猛然と抵抗をし始めた。
「……!!」
 跳ね除けられそうになりながらも、風紀委員の少女は必死に押さえ込む。単純な力比べならば、十中八九負けていただろう。しかし、腕の自由が利かない上に全体重をかけられたまま、同じ体格の相手を押しのける程ではなかった。
 更に、
「初春!」
 と電話を放り出してやって来た佐天に足を押さえられては、犯人はどうすることもできない。文字どおり手も足も出ない中、しばらく二人がかりの拘束を解こうと暴れていたが、やがて体力が尽きたのか一切の抵抗を放棄した。
 だが、初春たちがほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、
Сука(スーカ)!」
 悪態の一つもつかずにはいられなかったとみえて、苦々しげな鋭い声が廊下に響く。そして、それは下着泥棒の少女にとってまったく予期しなかった反応を生んだ。
「下着泥棒って、女の子だったんだ」
「はい」
 驚きから目を丸くし、口をすぼめる友に初春はこっくりとうなずいた。今の声からすると、彼女たちと同年代か、やや上くらいである。ただ、聞き覚えのない言葉だった。どこの国のものだろうか。
「酢イカ?」
「そんな感じでしたね」
「急に食べたくなったのかな」
「そんなわけ、ないじゃないですか。日本語じゃないんですよ」
「あ、そっか。じゃあ、なんだろう」
 首を傾げる佐天の隣で、風紀委員の少女は笑いをこらえようとして失敗した。肩を震わせて笑う友の姿を見た佐天が、それに続いてぶっと吹き出す。二人は腕の力は緩めないように、こみ上げるおかしみにしばし、身を委ねた。
 その反応に、犯人は呆気に取られていたのか沈黙していたが、程なく怒りに満ちた声が聞こえてくる。
「Чернобог……Oh,shit !」
 しかし、言葉が通じない初春たちは、疑問符を浮かべるばかりだった。
「今度は何て言ったんだろう。最後は英語? 座れ?」
「そうじゃなくて、くそったれ、という意味のshitじゃないですか」
「ああ、sitじゃなくてshitね」
 合点がいった佐天は、ヒュウ、と口笛を吹く振りをする。
「チッ、こンな、ロくにコトバもシらないムチなガキどもにツカマるとはナ!」
 片言ながらもよく知った言語に、二人はぱっと表情を輝かせた。
「あ、日本語しゃべれるんだ」
「どう考えても外人さん、ですよね」
 沈黙する犯人をそっちのけで、初春たちはあれこれと推論を交わし始めた。すべての発言に入り混じった侮蔑といら立ちの感情が空回りし続けることに空しさを覚えたのか、なんの突っ込みも反応もない。もしかすると、諦めたのかもしれない。
「さっきのは英語じゃないよね。どこの国かな」
「まったく聞いたことがない言葉ですから、欧米ではないのかもしれませんね」
 よくよく考えれば、これは由々しき事態なのである。学園都市のセキュリティーレベルは高く、外部の者が侵入するのは至難の業だ。この街の科学技術は外と比べて二、三〇年は進んでいる。何かしらの能力を持った者でなければ、内部の人間が手引きしたと考えるのが妥当だろう。
「そんなことよりも、さ」
「皆まで言わないでください、佐天さん」
 しかし、初春たちにとって重要なのはそこではない。
「そうなんだよね。どうしてこの人はパンツなんかを盗んで回ったんだろう」
「白井さんをよりたちの悪い感じにすると、こんな人になっちゃうかもしれませんよ」
「うわー、白井さんの手当たり次第バージョンかあ」
 それはひどい、とつぶやくや佐天は数秒間どこか遠くを見るような目をしていたが、不意にからりとした笑みをみせた。
「なるほどね。要するに変態なわけだ」
「ふざけるナ!」
「わ、っと」
 変態呼ばわりされたことが腹立たしかったのか猛烈な勢いで暴れ始めた犯人を、二人は全力で押さえつける。
「クタばれビッチども! ワレワレにはスウコウなるモクテキがあル!」
「あー、わかった。わかったから暴れなさんなって無駄だから」
 と、風紀委員の少女は真顔になって親友に耳打ちした。
「事実を指摘されたから怒ったんでしょうか」
「たぶんね。きっと、家に帰ったらくんくんしちゃうんだよ」
「くんくん?」
 きょとんとした顔つきの友人に、佐天は大仰にかぶりを振ると、ひそひそと声を潜めて言う。
「だから、匂いをかぐの。もしかしたら、頭からかぶっちゃうのかもしれない」
「ええ!? それは変態すぎますよ佐天さん!」
「そう。だからバリアー。この変態性はきっと伝染する」
「!?」
 犯人の少女は二人に対して強い殺意を覚える一方で、冷静に己が置かれた状況を分析していた。話に集中しすぎているせいだろう、わずかに押さえつける力が弱まっている。これは千載一遇の機会だった。いったん離れることさえできれば、透明の彼女を発見する手立てはない。
(……ミンカンジンはなるベくキズつけるナとイわれているガ)
 ギリギリと奥歯を噛み締めながら、犯人の少女は一気に力を解放するべく呼吸を整える。少なくとも、先ほどまでの発言によって受けた侮辱はきっちりと返さなければならない。
 しかし、あと少しというところで彼女は意趣返しを断念せざるを得なくなった。招かざる客が、来てしまったからだ。
「このまま逃していたら、初春もくんくんされちゃうところだったんだよ」
「で、でも匂いをかがれるのは私じゃなくて下着なんじゃ……と、ちょっと待ってください佐天さん」
 初春の表情に緊張の色を見て取った佐天は、口を閉じた。耳を澄ますと、室外からこの部屋へと駆け寄ってくる複数の足音が聞こえてくる。
「全員、じっとするじゃん」
 そんな台詞と共に開いた扉から現れたのは、銃を手にした複数の警備員だった。
「よくやった、あんたたち。お手柄じゃん」
 まっ先に部屋へ飛び込んできた緑のジャージに身を包んだ長身の女性、黄泉川愛穂は一目で状況を把握するや、口の端をぐっと持ち上げて笑う。
「いえ。たまたまです」
 はにかむ風紀委員の少女に、警備員の女性は力強くうなずいてからしみじみとつぶやいた。
「まあ、色々と偶然が重なったのはわかる格好ではあるな。
ほらほら、何をしている。男たちは外で待機じゃん!」
「え……って、あ……」
 初春の悲鳴は遠く、数区画先のマンションにまで届いたという。それでも押さえ込みを解かなかったのは、見上げた風紀委員魂である。



「それにしても、初春が犯人を捕まえるなんて驚きましたわ」
「本当。すごいじゃない、初春さん」
 警備員に身柄の引渡しを終えた後、佐天が住むアパートへとやって来た白井と美琴は、事の次第を聞いて口々に初春を褒め称えた。
「やりましたわね、初春」
「ありがとうございます」
 えへへ、と頬を緩める花飾りの友を横目に、佐天が目と口元を弓にする。常日頃から一生懸命な親友が褒められたのが、我がことのように嬉しく思えたからである。
「でも、佐天さんのおかげなんですよ。最初に、犯人に気づいて足止めしてくれたんです」
「いやいや、初春なんて押さえ込みですよ押さえ込み。柔道家もびっくりな、横四方固め!」
 互いに功績を譲り合う二人に、美琴たちは表情を和ませた。まったくもって、いいコンビである。
「でも、姿が見えない相手なのにたいしたものだわ。私なんか今日のお昼に取り逃がしちゃったんだから」
「え、マジですか?」
「そ。マジよ」
 学園第三位の少女が捕縛し損ねた犯人を二人がかりとはいえ捕まえることができたという事実に、佐天はしばし声を失って、それから、初春にひしと抱きついた。
「ともかく、これで奪われた下着が返ってきますわね」
「あー、そうね。私たちの手元に戻るのは、取調べが終わってからだろうけど」
 人の口に戸は立てられない。最悪、御坂美琴は柄物パンティを履いているという噂が広まる可能性も考えなければなるまい。
「どうかしましたの、お姉様。少々顔色が」
「なんでもないわよ。大丈夫」
「でしたらいいのですが」
 美琴は無理に笑顔を作って、気持ちを切り替えることにした。今から悩んだところでどうすることもできない。結果が変わらないのなら、その時になってから気落ちすればいいのだ。
「ところで」
「うん?」
 心なし寄り添ってくるツインテールの後輩に、電撃使いの少女は目を瞬かせた。何か大切な話でもあるのだろうか。
「お姉様。今夜は安心して愛を営むことができますわね」
「は?」
 思わず聞き返してしまった美琴の前で、瞳を潤ませた白井の告白はなおも続く。
「何も遠慮することはありませんわお姉様。どうか黒子にお任せを。心を込めてご奉仕いたしますの。お姉様のためならば、一晩や二晩の睡眠など不要!」
 真剣に言い寄るその姿は一種異様であった。
(犯人が一体何者だったのか……きっちりと調べる必要がありますわね)
 何しろ、内心のつぶやきと言動がまったく一致していない。そして、内外の不均衡は一気に欲望の側へと針を傾けた。
「おっねえさまぁぁぁぁぁぁッ!!」
「本音と建前を逆転させるんじゃないわよ、この変態!」
 美琴の電撃と言葉による突っ込みは、ツインテールの少女を即時に眠りの世界へと導いた。



「お姉様、今からそちらのベッドに移っても構いませんか?」
 常盤台が保有する女子寮の、御坂美琴と白井黒子にあてがわれたその部屋で、暗闇の中、パジャマ姿のツインテールの少女はそっとささやいた。質問調でありながらも半ば独りごちる風であったのは、すでに美琴が眠っているかもしれないと考えたからで、無性に、側にいたいという想いがこみ上げてきて、口にせずにはいられなかったのである。
「いいわよ、別に」
「そうですわよね」
 一拍を置いて返ってきた言葉に、白井は残念そうにタオルケットをかぶろうとして、大きく目を見開いた。
「って、お姉様、まだ起きてらしたのですか」
 正直、O.K.をもらうことはおろか、返事すらないものと思っていたツインテールの少女は、表情を喜色で染め上げつつがばっと身を起こした。だが、その色合いは不意にほんの少しかげり、放つ言葉に微かな困惑が入り混じる。
「ですが、あの」
「うん?」
 美琴は寝返りを打つように、天井から左方にある後輩の方へ向き直った。その表情は、窓から漏れ入る光のみではっきりとは見えないが、ぬか喜びさせようと、承諾したわけではないようだった。
「お姉様。よろしいのですか」
 普段なれば黙殺され、あるいは冷たくあしらわれ、電撃ないしは枕が飛んで来てもおかしくはない場面である。白井が思わずたずねてしまったのも無理はない。
 しかし、だ。
「いいも何も、アンタが一緒に寝たいって言い出したんじゃない。要らないならそれでもいいけどね」
 台詞とは裏腹に、美琴はおいでと言わんばかりにタオルケットをわずかに持ち上げ、ツインテールの少女はあわてて首を左右に振った。
「いえ! 要ります! それはもう、ぜひともご一緒させてくださいませ!」
 勢い込んで宣言するや、即刻に空間移動(テレポート)してきた後輩を、常盤台のエースは珍しくも小さく苦笑しただけですんなりと受け入れた。
(それにしても、いったいどういった心境の変化でしょうか。もしかすると、わたくしの献身的な愛がお姉様に届いたとか)
 呼気が溶け合う距離で美琴と向かい合うことで自然と鼓動が早まる中、都合のいい解釈によって妄想モードに突入し一人身もだえし始めかけた白井は、ついと袖を引かれて我に返る。
「それで?」
「それで、とは」
「このまま寝るか、それとも少し話をするか、ってこと」
 ツインテールの少女にとって、これは迷う必要などまったくない問いかけだった。それでも答えるのに数秒を要したのは、嬉しさのあまり、言葉が出なかったのである。
「お話したいです」
「奇遇ね。私もそう思っていたの」
 ふふ、と唇を弓にする電撃使いの少女に、白井はわずかに頬を紅潮させつつ顎を引き、上目遣いになった。こんな風に扱われると強く照れてしまって、まともに顔を見れなくなってしまう。
「黒子」
「はい」
 名を呼ばれて応えた瞬間、抱き寄せられて白井は息を飲んだ。否、呼吸が止まった。高く跳ねた鼓動のせいで、そのまま心の臓すら止まるのではないかとさえ思えた。
「勘違いしないでよ。よくがんばったから、たまにはご褒美を、って思ったのよ」
 美琴は身を硬くする後輩の背をあやすようにぽんぽんと叩くと、優しくほほえんだ。
「そのお気持ちは嬉しいのですが、犯人を確保したのは初春たちですわお姉様」
 風紀委員の仕事に関して白井黒子に妥協の二文字はなく、かつ、己に課すハードルは高い。
結果至上主義ではないものの、この場合、褒美をもらうとすれば初春及び佐天であって、白井ではないのだ。今回の事件を解決するべく全力を尽くしたつもりではあるが、もっと上手く立ち回れたのではないか、と考えてしまう。
「何言ってんの。アンタだって、精一杯やってたじゃない」
 学園第三位は後輩の胸の内を汲み取って、殊更明るく言い放った。
「……お姉様」
 大好きな人に、敬愛する人間に褒められることは、なんと心地がよいのだろう。
ツインテールの少女は万感胸に迫って語を継ぐことができず、泣き顔に近い笑みで見つめ返すばかりだった。
「だからね、黒子。今夜はアンタに色々してあげる」
「色々って、お姉様」
「そんなこと、最後まで言わさないで」
 恥ずかしそうにつぶやいて顔を寄せてきた美琴の、柔らかな唇の感触を、白井は目を閉じることを忘れたまま、真っ赤になって受け止めた。



「ぐふふふふ、お姉様。そこは、駄目ですの」
 気絶している人間が突然発した不気味な寝言に、美琴はぎょっとした。
テーブルの向かいに並んで座っていた初春と佐天は、一度顔を見合わせてから苦笑いをする。和気藹々とした空気は、たったそれだけで白井色に染まった。
「いったいどんな夢を見ているんだか」
 膝の上でお姉様、を連呼する後輩に、電撃使いの少女は口元を引きつらせたまま嘆息する。
「白井さんのことですから、きっと」
「うん。間違いないね」
 おそらく、いや、一〇〇%桃色の光景が広がっているに違いない。
「お姉様」
 今度は何よ、と言いかけた直後、美琴は絶句した。
「大好きです」
「な」
 三対の視線を浴びながら、白井は穏やかな表情で、照れくさそうに笑みながら再び好き、と繰り返す。訪れた沈黙は、すぐに破られた。
「まったく、なんなのよいきなり」
 赤面し、唇を尖らせる常盤台のエースに、初春と佐天は思わず目を輝かせてうなずき合う。
「御坂さん、照れていますね」
「ええ、これは間違いなく照れていますね」
 ひそひそとささやきあう後輩たちの声が聞こえなかった振りをして、美琴はそっと白井の頬に触れるのだった。
 最後までお読みくださり、ありがとうございます。一体あの犯人は何者なの、と思われた方がいらっしゃるかもしれませんね。科学と魔術、どちらの陣営に属するかはともかく、女の子である辺りはとあるシリーズらしい、と思っていただければ幸いです。
 ちなみに、夢の世界で髪を結んだままの黒子ですが、部屋でくつろいでいる時にはちゃんと解いています。
 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。

▼この作品の書き方はどうでしたか?(文法・文章評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
▼物語(ストーリー)はどうでしたか?満足しましたか?(ストーリー評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
  ※評価するにはログインしてください。
ついったーで読了宣言!
ついったー
― 感想を書く ―
⇒感想一覧を見る
名前:
▼良い点
▼悪い点
▼一言

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項を必ずお読みください。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。