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奇跡のように美しい人 作者:月宮永遠

4章:聖杯

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「あの子にはいうなといわれているけど……聖杯契約者はね、主の運命を引き受けて最後は死ぬんだ」

 すぐには、何をいわれたのか理解できなかった。

「え……?」

 呆然とする佳蓮を、オルガノは深淵を灯した双眸で見つめている。

「レインジールの手に流星痕があったろう? あれは、客星かくせいの限界が近付くにつれて大きくなり、完全に成長しきると、主の身代わりとなって散るんだ」

「身代わり?」

「客星が物質エーテル界に留まる為に必要な熱量を、聖杯契約者は命を燃焼することで提供するのさ」

「命って……つまり、レインはどうなるの?」

「肉体と魂を燃焼させて、この世から消えるんだ」

 佳蓮は絶句した。

「――嘘でしょ? 流星痕って、翼の形をしたあれ? あれのせいで、レインが死ぬの?」

「もう双翼になって、羽ばたく寸前だよ。佳蓮の聖杯が満ちるまでに、間に合わないだろう」

「待って。本当に? なんで私の身代わりに、レインが死ぬんですか?」

「聖杯契約者の宿命だよ」

 千里を見通すような銀色の双眸を見て、佳蓮は慄然りつぜんとした。

「本当に? レイン、死ぬの?」

「そうだよ。あの子は、佳蓮の負担になることを恐れて、最後までいわずにいるつもりだよ。それはお互いに不幸だ。だからあたしは、佳蓮の刻限が近付いたら、明かそうと決めていたんだ」

 あまりのことに言葉が出てこない。茫然と佇みながら、ふと閃いた。

「……これが、私の罰なの?」

 年を取らず、時の流れに取り残されることが、自殺を図った咎へのあがないだと思っていた。
 でも違った? 愛する者を失う哀しみ――これこそが、生前の過ちに対する罰だというのか?

「佳蓮、絶望しちゃいけないよ」

 叡知を秘めた銀色の双眸が、案じるように佳蓮を見ている。

「聖杯を満たせれば、レインは死なずに済むんですか?」

「ああ」

「どうすれば、満たせるんですか?」

 オルガノは哀しそうに佳蓮の頭を撫でた。

「苦しみが癒えて、心が潤えば自然と満ちるだろう。焦っても、仕方のないことだよ」

「でも、このままだとレインが死んじゃうんでしょ? どうにかできないの?」

「その答えは、佳蓮が自分で見つけるしかない。レインに会いにいきなさい。あの子の傍にいることが、一番の近道だろうから」

「……結局、私が時計塔を出たことは、全部無意味だったの?」

「いいや。無意味なことなんて一つもない。ここにくるまでの出会い、経験の全てが聖杯を少しずつ潤したんだ」

「だって、私のせいでレインが……っ」

「運命は定まらぬ天災のようなものさ」

「……私……生前に自殺したんです。楽になりたくて……命を棄てたんです。だから今、こんな目に遭っているんでしょうか?」

「……辛かったね」

 頭を撫でられて、ぽろっと涙が零れた。堪え切れない嗚咽が、喉の奥から込み上げる。口を両手で塞いだが、止まらない。

「うぇ、ふぅ……ッ……私――」

 瞼の奥に、遠い故郷が蘇った。遥かな世界。美しい和の国、日本。家族の待つふるさと。
 髪を撫でる手に縋りつきながら、唇を割った。

 中学生の頃――

 毎朝、俯く佳蓮の手を、母は黙って引いた。小言の多い凡庸な人だったが、優しい人だった。
 学校の正門から少し離れた所で足を止めると、行ってらっしゃい、帰りも迎えにくるからね。
 励ますように背中に声をかけてくれた。
 俯いたまま、いってきます、とぼそぼそ応える佳蓮の背中を、母はじっと見つめていた。
 いじめに苦しむ佳蓮を見兼ねて、母は休学してもいいといってくれたが、頑固な父は許さなかった。
 学校を辞めてどうするのだ。いじめだって、同級生の意地悪の延長だろう。学校を休みたい口実ではないのか。 
 強い口調で責めたてられると、気の弱い佳蓮も母も、強くは出られず、終いには口を噤んだ。
 暗澹あんたんたる日々が続き、自殺に片足を突っ込んだ薬の過剰摂取オーバードーズで倒れると、頑固な父も態度を改めた。
 死人のような娘の顔を見て、流石に学校にいけとはいえなかったのだろう。
 進級は半ば諦めていたが、学校から日数はぎりぎり足りていると提案を受けて、頑張って登校しようと両親と話しあった。
 それでも、送り迎えがないと学校にいけなかった。
 みっともない娘でごめんなさい。明日はきっと、一人でいくから。
 歯を食いしばって学校に通った。震える手を叱咤して、一人も味方のいない教室の扉を開いた。足の震えを堪えて、机にかじりついていた。
 明日がくることに絶望しながら、瞳を閉じて眠りに就いた。
 あの頃は、自分のことで精一杯だった。でも、そんな佳蓮を見て、家族はどんな気持ちでいたのだろう?
 亡霊のような顔をしている娘を見て、どんな心境でいたのだろう?

 話し始めたら止まらなくなり、堰を切ったように過去を披瀝ひれきした。
 魂の告解に、オルガノは黙って耳を傾けた。泣きじゃくる佳蓮の髪を撫でながら、

「そりゃぁ、哀しいよ。佳蓮が哀しんでいるのと同じくらい、家族も哀しんでいるよ」

 静かな声で囁いた。

「……ッ……ごめんなさい」

 もっと綺麗に生まれたかった。
 泣きながら、母を詰ったこともある。悲しそうな顔を見ても、凶暴な感情が治まらずに、酷く責めたてた。
 心ない言葉で母を泣かせて、父に頬を張られたこともある。部屋に閉じこもり、ひりつく頬を手で押さえながら、私は世界で一番不幸な子供だと本気で思ったりした。

『ごめんなさい、お母さん。お父さん』

 遠い故郷の言葉、久しぶりの日本語を、唇はちゃんと覚えていた。
 遺書に、許してほしい、と綴った。顔も見ずに、あんな紙きれで詫びて、救いようのない愚か者だ。

「こんな親不孝をして、私、どうやって謝ればいいの……レインだって……私がいて、いいことなんて一つもないじゃんッ」

「誰も怒っちゃいないよ。神様だって、哀しい話に胸を痛めても、怒っちゃいない」

 今になって、手を引いた母の優しさが身に堪える。心配そうに見送る妹の眼差し。短気をぐっと堪えて、佳蓮を見守る父。家族の優しさに、いったい何を報いたのだろう。

「ああぁぁ……ッ」

 酷い話だ。哀しい話だ。なんて哀しい話なんだろう。誰も救われない哀しい物語。

「佳蓮。レインが待っているよ」

「あ、あ、合わせる顔がないっ」

 人を愛し、生に執着した今、命を棄てた罪が問いかける。どうして飛び降りたの?

「大丈夫、あの子は佳蓮のことが大好きなんだから。怒っちゃいないよ」

 逝かねばならない苦しみ、残される者の苦しみ、残していく者の苦しみ。混沌とした、無限の苦しみに突き落とされて、佳蓮はオルガノにしがみついた。

「人生ってのは、苦楽を煎じ詰めたものさ。全部終わって、辛くて堪らなかったら戻っておいで。とっておきのハーブティーを煎れてあげるから……」

 優しく髪を撫でるオルガノの膝に顔を埋めて、子供のように声を上げて泣いた。



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