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奇跡のように美しい人 作者:月宮永遠

3章:決意

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 時計塔の六十二階。
 四阿あずまや籐椅子とういすで、佳蓮は夕涼みをしていた。
 梢の揺れる音に瞳を開けると、視界一面に金色が飛び込んでくる。天井から、滝のように流れ落ちるミモザの群だ。
 異国の空の下で、燃える落陽を浴びていっそう輝いている。金と藍色の組み合わせを眺めていると、ふと在りし日の記憶が蘇った。
 東京の夏。
 く夏に叫ぶ、かまびすしい蝉の声。
 うだるような八月の暑さ。うなじを焦がす太陽光線。夏休みの切実な哀愁。
 学校に行く必要のない夏休みを、いつも心待ちにしていた。夏休みが始まると、外へ出掛けもせず部屋に籠り、昏れなずむ空を仰いでは溜息をついた。
 夏の黄昏は、冬よりもずっと侘しかった。
 妙に感傷的になっているのは、今日がレインジールの十七歳の誕生日だからかもしれない。
 この日がくることを、長く恐れていた気がする。
 時を止めたままの佳蓮の隣で、レインジールは蕾が開花するように美しく成長していった。
 彼が十七歳を迎える日を、遥かな時の向こうのように感じていたのに、いつの間にか追いつかれてしまった。
 この先は、追い越されていく一方かと思うと、背筋が凍りつきそうになる。その正体は、てしない茫漠ぼうばくの時の流れの中で、たった一人取り残されてしまう恐怖だ。
 薄い酸素を吸うような息苦しさは、哀愁漂う夏休みの黄昏を佳蓮に思い出させた。

「――佳蓮。ここにいたのですか?」

 逢魔おうまが時に木陰から現れたレインジールは、佳蓮を見つけて嬉しそうに微笑んだ。
 すらりと伸びた背は、佳蓮よりずっと高い。綺麗なアルトの声は深みのある声に変わり、頬の丸みもとれて、玲瓏れいろうたる美貌に変わった。彼は、奇跡のように美しい。

「ちょっと寝てた……」

 身体を起こすと、隣にレインジールが腰かけた。背中に垂らしている黒髪を、優しい手つきで梳く。
 昔は、こんな風に触れることはなかった。少し顔を寄せるだけで、真っ赤になっていた純情な少年だったのに。
 いつからだろう? 見上げるようになったのは。瞳の奥に、熱を灯すようになったのは。

「レイン、お誕生日おめでとう」

 複雑な感情に蓋をして、佳蓮はほほえんだ。

「ありがとうございます」

「お菓子を焼いたんだよ。後で食べようね」

「ありがとうございます。楽しみにしていますね」

 笑顔が眩しくて、佳蓮はそっと視線を逸らした。さりげなく彼の手から髪をとりかえして、席を立とうとすると、手を掴まれた。

「佳蓮」

「何?」

「祝福はしてくれないの?」

 一瞬、言葉に詰まったものの、佳蓮は大人しくレインジールの傍に座り直した。少し背伸びをして、白い頬に軽く口づける。

「おめでとう。レイン」

「ありがとうございます……佳蓮」

「ん?」

「唇には、してくれないのですか?」

 笑いかけても、レインジールは誤魔化されてくれない。じっと見返してくる。
 青い瞳の奥に、熱が灯る。
 直視できずに、佳蓮はそっと視線を逸らした。
 もう、昔のように彼をからかって遊ぶことはできない。向けられる一途な眼差しは、いつの間にか、熱を帯びたものに変わってしまったから。

「佳蓮、こちらをを向いて」

「……手、離して」

「佳蓮。私にキスをして」

「今したよ」

「もう一度、唇に」

「……」

「佳蓮」

「嫌」

 顔を背けると、頬を両手に包まれて、正面を向かされた。

「私の誕生日なのに?」

「……判ったよ」

 怯みそうになる心を奮い立たせて、レインジールの襟を掴んで引き寄せた。形の良い唇に、そっと唇を重ねる。一瞬の触れあい。すぐに離れようとしたが、腰に腕を回されて引き寄せられた。

「貴方の眼に、私は今でも十歳の子供に映っていますか?」

「え……」

 顔を上げると、強い光を灯した青い瞳に射抜かれた。

「もう、慈しみの口づけだけでは足りません」

「こら、我慢しなさい」

「佳蓮」

「ねぇ、離して」

「唇が欲しい」

「駄目。唇は、私とじゃなくてさ、恋人としなよ。レインなら、きっとかわいい子が幾らでも見つかるよ」

「佳蓮が世界で一番かわいい」

「もう、レインってば……」

 冗談にしてしまおうと佳蓮は笑ったが、レインジールは少しも笑わなかった。

「貴方は私を傍に置いてくださるけど、いつまで経っても、変化を受け入れようとはしてくださらない」

 熱を帯びた空気を肌に感じて、佳蓮は立ち上った。すかさずレインジールに手を引かれて、胸の中に転がり込んだ。

「ッ!?」

 唐突に、唇を塞がれた。
 やんわりと食まれて、吸われる。ちゅ、と濡れた音が響いて、心臓はドッと音を立てた。
 硬直する佳蓮を、力強い腕が抱きしめる。うなじの後ろに掌が潜り込み、後頭部を引き寄せられた。顔を傾けて、口づけは深くなってゆく。
 これまでにも、頬や額に、触れるだけのかわいいキスなら幾度も繰り返してきた。けど、こんなキスは知らない。
 唇のあわいを、優しく舌でつつかれた。唇が戦慄わなないて、涙が出そうになる。
 顔がゆっくりと離れる。
 涼しげな青い瞳の奥に、熾火が揺らいでいる。
 仄かに上気した顔。濡れた唇が艶っぽくて、佳蓮は首から上に熱が昇るのを感じた。ずっと隣で見てきたはずなのに、知らない男の人みたいだ。
 再び迫ってくるレインジールの肩を、佳蓮は腕を突き出して押し留めた。これ以上距離を詰めるようなら、暴れてでも逃げ出すつもりだった。
 本気の拒絶が伝わったのか、青い瞳に抑制の光が閃いた。姿勢を正すと、礼儀正しく佳蓮の手を両手で包み込む。

「……キスをありがとう、佳蓮」

 小首を傾けてほほえむ綺麗な顔は、喜びに満ちて、いっそう煌めいている。綺麗だけど骨ばった男らしい手に視線を落として、佳蓮は小さく頷いた。
 無理だ。
 もう、どうやっても、年下のかわいい少年とは思えない。
 背はとうに追い越されたし、華奢に見えても、服の下にはしっかり筋肉がついている。腕も胸も硬い。手だって、綺麗だけど骨ばっていて佳蓮とはまるで違う。海のように青い瞳には、憧憬や敬愛ではなく、もっと強い熱が灯っている。
 永遠に埋められない溝が広がっていく。

 もう、一緒にいるのは限界なのかもしれない。



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