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奇跡のように美しい人 作者:月宮永遠

2章:謳歌

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 夏の終わり。
 地方伯の庭園喫茶に招かれた佳蓮は、同席しているシリウスを冷静に眺めていた。
 彼は、地味な容姿をしていると思う。切れ長の一重や平坦な顔立ちは、よくよく見れば整っていなくもないが、レインジールと比べたら雲泥万里の差がある。
 しかし、佳蓮以外の人にとって、彼は非の打ちどころの無い麗しの皇子様なのだ。実際、娘達は、少しでも彼の眼に留まりたくて、けんを競っている。
 シリウスのすごいところは、毀誉褒貶きよほうへんに動じず、柔和な態度を崩さないところだろう。今も令嬢に囲まれて、四方から声をかけられているが、菩薩のような笑みを湛えている。リグレットが、彼を権謀術数の百戦錬磨と評していたのも頷ける。
 ふと眼が合い、佳蓮は誤魔化すように微笑んだ。
 シリウスは眼を瞬かせると、ほんのりと目元を染めた。はにかむ皇子を見て、令嬢達はうっとりとしている。キララだけは、不倶戴天ふぐたいてんの仇を見るような瞳で睨んできた。
 彼女は彼に恋をしているから、佳蓮に惹かれているシリウスの姿を見るのは苦痛だろう。
 人の恋路の邪魔はしたくないのに、美しすぎる我が身を時々疎ましく感じる。すごい悩みだな、と佳蓮は自嘲気味に席を立った。

「少し庭園を歩いてきます。皆さま、どうぞごゆっくりなさっていてください」

「私もご一緒してよろしいでしょうか?」

 追い駆けるようにシリウスが席を立ったので、佳蓮は慌てた。

「主役が抜けてはいけませんよ。気ままに歩きたいので、どうかお気遣いなく」

 名残惜しげな皇子に軽く会釈をして、佳蓮は逃げるように背を向けた。
 素敵な庭園喫茶だが、やはりシリウスがいると気疲れしてしまう。
 そろそろ帰ろうかしら……ぼんやり考えながら、藤やクレマチスのからまる石柱の回廊を歩いていると、

「ハスミ様」

 背中に声をかけられて、心臓が撥ねた。振り向くと、優雅な足取りでシリウスが近付いてくる。

「あら?」

「共もつけずに、お一人で歩いてはなりません」

「でも、庭園の中ですし」

 困ったように笑う佳蓮を見て、シリウスはため息をついた。

「油断は禁物です。一般公開もされている庭園ですよ。貴方のような佳人が一人でいれば、声をかけたくなる男が後を絶たないでしょう」

「それは……ご心配いただき、ありがとうございます。そろそろ戻りますね」

 もう少し庭園を見ていたかったが、二人きりになるのは勘弁して欲しい。

「良ければ、一緒に歩きませんか?」

「え、でも……キララ様は?」

「まだ席で茶会を楽しんでいますよ。私もちょうど、歩きたい気分だったのです」

 はにかむシリウスを見て、佳蓮は眼を眇めた。

「いけませんね、婚約者を置いてくるなんて。他の令嬢も、残念に思っているのでは?」

「ハスミ様は、残念に思ってくださらないのですか?」

 苦笑で返されて、佳蓮は言葉に詰まった。適切な言葉が見つからず、戻りますね、と呟いて背を向ける。

「お待ちください」

 シリウスにさり気なく手を取られて、佳蓮は渋々並んで歩き始めた。

「時計塔の暮らしは、いかがですか?」

 注がれる、賞賛に満ちた熱っぽい眼差し。
 居心地の悪さを感じながら、佳蓮はさり気なく視線を落とした。

「よくしていただいております」

「困ったことがあれば、いつでもおっしゃてくださいね」

「はい。ありがとうございます」

 望まぬ展開に佳蓮は困っていたが、シリウスも落ち着かない気分にさせられていた。これまで、何でも選ぶ立場にあった彼にとって、女性の関心を得られないというのは初めての体験である。
 柔和な笑みの下に隠された戸惑いを、佳蓮は知らない。ただ無関心に口を閉ざしていた。
 逃げ道を探していたところへレインジールの姿を見つけて、雲間から射す光を見た心地がした。

「レイン!」

 シリウスの腕に添えていた手を外し、スカートの裾を摘まむ。駆け出そうとした瞬間、シリウスに腕を引かれた。

「シリウス皇子?」

「そんな風にいってしまわないで。せめて、送らせてください」

 予想外に真摯な眼差しを向けられて、佳蓮はドキリとした。
 視線から逃げるようにレインジールを見ると、物憂げな表情でこちらを見ていた。

「ハスミ様!」

 気付けば駆け出していた。背中にシリウスが声をかけるが、佳蓮は振り向かなかった。

「レイン」

 呼吸を整えながら上目遣いに仰ぐと、レインジールは驚いたように佳蓮を見つめた。

「きてるなら、声をかけてよ」

 拗ねたように佳蓮がいうと、レインジールは表情を綻ばせた。佳蓮の頬を両手に包みこみ、額に唇を落とす。いきなり何をするのだ。顔を思いきり逸らすと、レインジールは嬉しそうに微笑んだ。

「お迎えにあがりました」

「羨ましいですね。レインジールを見て、思わず駆け出してしまうとは」

 柔和な笑みを湛えて、シリウスは傍へやってきた。レインジールは胸に手を当てて、忠実な騎士のように一礼する。シリウスは鷹揚に片手で応えながら、金色の瞳を佳蓮に向けた。

「残念ですが、時間のようですね。今度は私にエスコートをさせてくださいね」

 困ったように黙す佳蓮の手を取り、シリウスは眼を合せたまま、ゆっくり唇を落とした。素振りではなく、本当に唇が肌に触れた。手を放されると、思わず胸の前で手を組み合わせる。

「それでは、また」

 爽やかな笑顔でシリウスが去っていった後、二人の間に何ともいえぬ気まずさが流れた。

「……今日は茶会に呼ばれていたはずでしょう? こんなところで、殿下と何をしていたのですか?」

「見つかったから、一緒に少し歩いていただけだよ。途中で抜けたら、皇子が後を追い駆けてきたからさ」

「抜けた?」

「うん。そろそろ帰ろうと思ってた。いいところにきてくれたよ」

 レインジールは強張った表情で口を開いた。

「……佳蓮も、シリウス皇子に惹かれているのではありませんか?」

「えぇ?」

 胡乱げにめつけると、レインジールは失言を悔いるように視線を逸らした。
 まるで嫉妬しているようだ。いや、気のせいではなく、シリウスに嫉妬している。
 今でも信じ難いが、ここでは、恐ろしいほどの美貌を持つレインジールは凡人以下の容姿で、凡人たるシリウスこそが麗しの皇子様なのだ。

「シリウス皇子のことは、嫌いじゃないけど好きでもないよ。それに私、キララ様を影ながら応援しているから」

 ニベもなく佳蓮がいい放つと、レインジールは俄かには信じ難い、といった表情を浮かべた。

「彼はアズラピス殿下と共に、帝国の碧玉、光芒を放つ天子と、波濤はとうを越えて讃えられる、アディール帝国の皇太子ですよ」

「知ってるよ。否定はしないけど、別に惹かれない」

「……前から思っていましたが、佳蓮の好みは少々変わっていますね」

「レインにだけはいわれたくない」

「は?」

「別に。文句ある?」

「いいえ。殿下の魅力が貴方に通じなくて、ほっとしています」

「私の一番は、レインだから」

 大好きのあかし。そんなつもりで告げたが、レインジールは黙ってしまった。

「あ、そういう意味じゃなくて」

「そういう意味?」

「えっと……」

「教えてください」

「だから、弟のように気安いというか、レインは本当に特別だから」

「……弟?」

「うん」

 大分目線は近くなったが、彼はまだ一四歳だ。
 嘘はいっていないはずのに、軽薄な言葉に聞こえてしまうのは、レインジールが苦しそうな顔をするからだろうか。

「光栄です。でも、貴方は私が想うようには、想ってくださらないのですね」

「レインー……」

 いかにも困ったという声が出た。レインジールは悲しそうに顔を俯ける。

「私の気持ちを、知っているのでしょう?」

 言外に責められて、佳蓮は俯いた。
 両手首を掴まれて、肩が震える。顔を上げられずにいると、さらりと流れた銀髪が頬に触れた。

「ッ!」

 朱くなっているだろう耳朶に、柔らかな唇が触れる。とろりと蜜を流し込むように、佳蓮、と囁かれた。

「困らせてすみません……どうしようもないほど、貴方に惹かれてしまう私を、どうか許してください」

 言葉の意味を理解すると共に、カッと身体が熱くなった。
 信じられないほど、心臓が早鐘を打っている。心は浮き立ち、酩酊したように頭がクラクラする。
 甘い感情に戸惑いながら、漠然とした恐怖も感じていた。
 この先、どうなってしまうのだろう……知ることが怖い。少しも定まらない未来に戦慄する。
 心にわだかまる疑問から逃れるように、佳蓮きつく眼を瞑った。



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