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奇跡のように美しい人 作者:月宮永遠

2章:謳歌

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 最近、レインジールの元気がない。
 硝子温室で本を捲りながら、佳蓮は今朝も沈んだ表情をしていた少年のことを思い浮かべた。
 お気に入りの冒険物語シリーズを読んでいるのに、内容がちっとも頭に入ってこない。同じ文章を繰り返し眼で追い駆けていることに気付き、こりゃだめだと本を閉じた。
 今夜も遅くまで工房に詰めているのだろうか……
 昏れなずむ空を仰いで、工房へいってみようかと閃いた。
 思えば、レインジールに工房へ連れていって欲しいと頼んでから、一月が経とうとしている。向こうも忘れているのかもしれない。
 様子を見て、忙しそうにしていたら引き返せばいい。そう思い、軽い気持ちで塔を降りた。
 星詠機関は時計塔の下層にあり、十階までを占める広大な建物だ。
 時計塔は一〇〇階を越える高層で、六〇階から上は、全てレインジールの私物である。佳蓮が普段生活しているのは、主に六十二階。地上から大分離れているが、エレベーターより楽チンな魔導転送盤のおかげで簡単に下へ降りられる。
 一階へ降りた佳蓮は、柱の影から見知った顔がないか視線を走らせた。無事に脱出できたと判ると、何食わぬ顔で人に紛れる。
 玄関は、古い駅舎のような造りになっている。
 硝子張りの弧を描く屋根に、正面には金縁の豪華な大時計。
 公的機関と学び舎の融合した巨大施設は、カルチェ・ラタンのように雑多で魅力的だ。
 ここには魔導の権威や、知識人達が大勢集まっており、黒い制服を纏った学生の姿も多い。
 緑や噴水の設置された、ちょっとした憩いの場が無数にあり、至るところに本棚が置かれている。
 新鮮な気持ちで歩いていたが、笑いながら道行く学生を眼にして足を止めた。じっとりと手汗が滲む。

(……あれ?)

 星詠機関が学校の運営も担っていることは承知していた。以前は倒れてしまったが、もう平気だろうと思っていたのに。考えが甘かったのだろうか?
 いよいよ気分が悪くなり、引き返そうか迷っていると、熱い視線に気がついた。複数の学生がこちらを見ている。

「え、女神様?」

「本当だ。流星の女神だ!」

「うっわぁ、お綺麗だなぁ……」

「キャーッ、流星の女神だわ」

 一人が声を上げると、あっという間に伝染した。
 同じ年頃の学生達が、頬を上気させて、憧憬の眼差しで佳蓮を見ている。嘲りや嘲笑ではなく、空気を眺めるような平坦な眼差しでもない。
 賞賛の眼差しに、佳蓮はゆっくり自分を立て直した。笑みを浮かべると、彼等に手を振ってみせる。

「わぁ……」

「キャーッ」

 あちこちから歓声が上がる。まるで芸能人にでもなった気分だ。
 集まってきた群衆を見渡して、見知っている顔を探すと、つられたように彼等も顔を見合わせた。
 誰をお探しなのかな――ささめきが聞こえてくる。
 人が増えるにつれて、佳蓮は怖くなった。ひとまず移動しようときびすを返すと、

「女神様」

 背中に声をかけられた。振り向くと、素朴な顔立ちの少年が追い駆けてきた。なかなかの美男子なのであろう少年は、佳蓮を見て眼元を染めた。

「あの、どちらへ? お急ぎですか?」

「レインジールの……長官のいる工房はどちらでしょうか?」

「あぁ、もっと奥ですよ。良ければ、案内いたします」

 言葉の語尾が、少し震えている。勇気を振り絞って差し伸べたのであろう手に眼を落とし、佳蓮は逡巡してから手を重ねた。

「……では、お言葉に甘えて」

「はい!」

 頬を紅潮させる少年の初々しさに、思わず笑みが零れる。
 他愛もない会話をしながら歩いていると、廊下の奥から息を切らして、レインジールが走ってきた。

「佳蓮!」

「あ、レイン」

「お一人でいらしたのですか!?」

「うん」

 背後に列を成す学生を見て、レインジールは咎めるような眼差しを佳蓮に向けた。

「護衛もつけず、不用心ですよ」

「大丈夫だよ」

「貴方は少しも判っていない」

 不機嫌も露わに眉をあげるレインジールを、まぁまぁと佳蓮は宥めた。

「レイン、そう怒らないで」

 手を伸ばして髪を撫でると、レインジールは身体を強張らせた。周囲からは悲鳴のような歓声が沸き起こる。

「か、佳蓮……!」

 興奮したような観衆の反応に、佳蓮は怯んだ。背後をちらりと振り返り、再びレインジールに視線を戻した。

「ごめん……」

 紅潮した顔を俯けるレインジールを見て、佳蓮も気まずげに謝罪した。

「もう! いいからこちらへ」

 レインジールは佳蓮の手を掴むと、駆け出すように歩き始めた。

「レイン、ごめん。怒らないで」

「怒っていません」

 そういう声が怒っている。大人しく従っていると、念願の工房に通された。
 部屋は広く、天上は高い。
 壁に穿たれた色硝子の窓から、陽が斜めに降り注ぎ、美しい色彩を床に描いている。
 部屋の中央に鎮座した大きな雪花石膏アラバスターの机には、様々な硝子瓶、工具類、複雑な図形や文字が綴られた書面が無造作に散らばっていた。机に置かれた小型望遠鏡を、小柄な少年が覗きこんでいる。

「ジラン。少し外してください」

「は、はい!」

 研究に勤しんでいた少年、ジランは飛び上がらんばかりに驚いた。とても愛らしい顔をしている。佳蓮を見て眼を丸くした後、内気そうに顔を俯けたまま慌ただしく出ていった。
 扉が閉まると、レインジールはやれやれ、といったように小さく息を吐いた。

「えっと、素敵なお部屋だね。これ、差し入れ」

 菓子の入った籠を渡すと、レインジールは不機嫌を溶かして微笑んだ。

「ありがとうございます。散らかっていてすみません」

「全然散らかってないよ」

「どうぞ、こちらにかけてください。埃がつかない程度には、掃除をしていますから」

 促されるまま、佳蓮はゆったりとした籐椅子とういすに腰を下ろした。
 机の傍に、樹のように大きな観葉植物が配置されており、天井からも、大小様々な緑が吊るされている。

「温室みたいだね。素敵。居心地が良くて、落ち着く」

「前任者の趣味です。私の師でもある女性で、薬草学を専門にしていました」

「へぇ、女性だったの」

「はい。自由な人で、後継に私を選んだ後は、辺境に隠居してしまいました」

「今は、どこにるの?」

 尋ねながら、煉瓦の壁に張られた大きな地図の傍へ寄った。
 アディールの俯瞰図だ。複雑精緻な文様の隙間は、二進符号バイナリーコードのような線の羅列で埋められている。
 隣に並んだレインジールは、大陸の端を指さした。

「ここ? 端っこだね」

「妖魔から国を守る、古い要塞都市の一つですよ」

「そんな危ない所で隠居生活を送れるの?」

「心配無用です。師は、主力一個隊を遥かに凌駕する、非常に優秀な魔導師ですから」

「へぇ……」

 相槌を打ちながら、隣の少年の様子を盗み見る。視線に気付いて、レインジールは顔を上げた。

「どうかしましたか?」

「レイン、最近元気ないよね。何かあった?」

「え? いえ……」

「仕事忙しいの?」

「いえ、そんなことは」

「嘘。最近、遅くまで工房に籠ってるじゃん。ちゃんと休んでる?」

「心配をおかけして、すみません」

「無理してないならいいんだけど。今朝も沈んだ表情をしていたし、気になっちゃって」

「佳蓮……」

「レインは弱音とか全然吐かないから、心配だよ。いろいろ頑張り過ぎてない? 私で良ければ、愚痴くらい聞くからね」

 頭を撫でると、レインジールは苦しそうな顔をした。思い詰めたような表情をしたかと思えば、微笑みを浮かべて顔を上げた。

「では……少しだけ、つきあっていただけますか?」

「いいよ」

「こちらへどうぞ。最上階の星詠宮へお連れします」

 差し伸べられた手を取ろうとした時、ふと左手の甲が視界に映った。

「あれ、流星痕……」

 朱金の紋様は、以前と少し形が違っていた。ついこの間まで、羽を畳んだ片翼の形をしていたのに、今は双翼になりつつある。

「なんか、大きくなっているね」

「聖杯が満ちると共に、流星痕も成長するのです」

「ふぅん?」

 曖昧に頷く佳蓮を見て、レインジールは微笑んだ。さぁ、と差し出された掌に、そっと手を重ねる。次の瞬間には球状の白い空間に立っていた。

「――わ、すごっ」

 白い壁はたちまち透明になり、四方を夜闇の星空に囲まれた。空を埋め尽くす、無数の星と星。空恐ろしいほどの満点の星空を、佳蓮はぽかんと口を開けて仰いだ。

「……すごい、降るような星空」

「ここなら、全方向の空を仰げます。佳蓮の部屋からは、見れない光景でしょう?」

「うん……」

「あの最も明るい惑星状星雲の中央に、佳蓮のいらした天上の楽園はあると言われています」

 アンドロメダのように青く輝く星雲に眼を凝らして、佳蓮は不得要領に頷いた。地球で眺めていた星空とはまるで違うが、この広大な宇宙のどこかに、天の川銀河も存在しているのだろうか?

「佳蓮。私が傍にいて、不満はありませんか?」

 唐突な質問に、佳蓮は少年の顔をまじまじと見つめた。

「ないよ」

「本当に?」

「何でそんなこと訊くの?」

「……佳蓮にだけは、つまらない男だと思われたくありません。至らない点があれば、遠慮なくおっしゃってくだい」

「レインに問題なんてないよ。あるとしたら、私の方だ」

 レインジールは力なく首を振ると、天を仰いだ。

「私では、佳蓮の聖杯を満たせないかもしれません……」

 憂いを帯びた横顔に、佳蓮は不安を掻き立てられた。

「……それって、何か問題あるの? 私は全然平気だけど」

 確か、アディールに佳蓮の存在を定着させる為に、聖杯を満たす必要がある、そうレインジールは話していた。
 ここの環境にもすっかり馴染んだし、昏倒することもなくなった。佳蓮としては、もうとっくに定着しているつもりだった。

「聖杯がどうかしたの?」

 佳蓮を見上げたレインジールは、不安な表情を消して、美しい笑みを浮かべた。

「――いいえ。何も。少しずつ、満ちてきましたね」

 いつもと変わらない、天使のような微笑。美しい笑顔に、何か大切なことを隠している気がして、佳蓮は少しだけ不安になった。



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