七
「冗談じゃねえ。坂濠の人殺しに、うちのだいじな娘をやれるか」
老婆のかすれた怒声とともに、火箸や盆が飛んできた。
みえは平五郎のまえに立ち、話を聞くよう哀願したが、女の母は聞く耳をもたなかった。
「みえ、出戻ってきたかと思えば、よりによって坂濠の男となんかくっついたか、あばずれの親不孝め」
ありったけの口汚い言葉で娘を罵倒すると、老婆は娘ごと、平五郎を家から追いだした。
平五郎は川東にいる。みえの母に、みえを嫁にもらうための挨拶におとずれたのである。しかし結果は思ったとおりだった。
「ごめんよう。おかあは、いつもあんなだから」
みえがすがるようにわびた。
「でも、きっとおかあもわかってくれる。あんたは坂濠の平五郎なんかじゃねえ。源太さんの生まれ変わりなんだ。源太さんがわしをもう一度、嫁にもらいに来てくれたってわかれば、おかあの考えも変わるにちげえねえんだ」
出なおさなければなるまい。平五郎はみえを連れて家に帰ることにした。
坂濠への細い道を歩く二人の背後から石つぶてが飛んできて、平五郎の背中にあたった。平五郎はうずくまった。
「うちの淫売によそ者の客がついたと思ったら、坂濠の平五郎でねえか。その女がだれの嫁だったのか、知ってるのか」
川東の若者が五人、みえと平五郎とをとりかこんだ。
「この女はうちの集落のもんだぞ」
男のひとりがみえの肩を抱こうとするのを、平五郎は立ちあがって止めようとした。ほかの男が足をかけて、平五郎を転倒させた。
「こいつ、本気でみえを嫁にする気なのか。源太を殺したやつが、源太の捨てた嫁をもらおうっていうんだな」
倒れた平五郎に、嘲笑と足蹴が見舞われた。
「やめてくれ、こいつは平五郎じゃねえ、源太さんなんだ」
割って入ったみえの言葉に嘲笑が一瞬やみ、それから爆笑がおこった。
「気が狂った淫売がほしければ、くれてやる。だが売女は売女らしくしねえとな」
一人がみえを羽交い絞めにし、ほかの二人がみえの着物を乱暴にはぎとった。
「やめてくれ、やめてくれ」
みえは泣き叫んだ。
「おれたちみんなに見せた身体でねえか。いまさらなにが恥ずかしい」
立ちあがって止めようとする平五郎の顔面に蹴りがはいった。
鼻血をふきだしてあおむけになった平五郎を三人が囲み、これでもかといわんばかりに蹴りつけ、踏みつけた。平五郎に抵抗する力がなくなると、男たちは順番に平五郎の身体に馬乗りになって、頬を思いきり殴った。
平五郎はみえが全裸にされ、輪姦される一部始終を見た。ことがおわると、男の一人が平五郎とみえにそれぞれ唾を吐きかけ、悪乗りしたもうひとりが小便をかけた。
「また世話になるぜ」
げらげら笑いながら、男たちは川東へ帰っていった。
日が暮れようとしている。
全身を痙攣させながら自失していたみえが気をもちなおし、血と汚物にまみれて仰向けに倒れる平五郎のところへ這いよった。
「ごめんよう」
あざだらけの顔をいとおしげに両手でつかんで、みえは泣いた。
男は一度も意識を失わなかった。
蹴られ、殴られた痛みも、嫁にとろうという女を目のまえで犯され、あげく小便をかけられた屈辱もすべて、これから決して忘れることはないだろう。
さいわい、骨折はしていなかった。平五郎は立ち上がると、みえに着物をはおわせた。
川を渡り坂濠に入ると、若者が数人、待ちかまえていた。宵闇のなか、先頭に見えるのは実吉だった。
「おまえ、一体どうしたっていうんだ」
実吉が問うた。怒りと悲しみをはらんだ、別れの言葉だった。
平五郎は坂濠を追われた。
家族から縁を切られ、友人は敵になった。源太を殺した武勇は忘れられ、川東の狂った娼婦を嫁にとった恥さらしとして嘲罵された。
村から消えることを望まれていたし、坂濠のだれもがそれを予想していたのだが、平五郎とみえは残った。
集落をへだてる川をすこしのぼった山の中に、破れた狩小屋がある。二人はそこに居をかまえた。
川東の男たちがみえの《客》としてやってきては、平五郎を気絶するまで殴りつけ、みえを犯して去っていった。やがて坂濠の男たちも、同じことをするようになった。
そんな若者衆に実吉が加わっていたことがあった。平五郎と目が合ったときには、さすがに気まずい顔をして目をそむけたが、やがて居直ったように罵声をあびせ、みえを犯した。
女を抱いた代価としていくらかの金を置いていく者もおり、二人はそれを生活の足しにした。小屋のまえを耕して畑にしようとしたが、寝ているあいだに誰かが土地に塩をまいたので、あきらめざるをえなくなった。山菜や木の実を摘んで、なんとか生きながらえた。
みえは幸福そうだった。平五郎を源太さんと呼ぶのは以前と変わらなかったが、ほかの言動はいたって正常で、よき妻として夫につくした。
秋も深まったころ、みえは身ごもった。父親がだれなのか皆目わからないが、みえは源太との子供がようやくできたと大喜びをした。
押しかけて来る男の数は減っていたが、それでもときおり数人の集団が現れた。
妊娠が明らかになったとき、平五郎は初めて、本気で男たちを追いはらおうとした。相手は数を頼みにかかってきたが、平五郎は四人の男をめちゃくちゃに殴り、一人の腕を折った。それからというもの、小屋にはだれも寄りつかなくなった。
冬はきびしかったが、夏の間に薪を準備していたのでなんとか乗りきれそうだった。手製の罠でイノシシを狩り、滋養とした。
雪が解けだすころ、何者かが小屋に火を放った。みえも平五郎も眠っていたところをはね起きて消火にあたったが、小屋は全焼してしまった。みえの腹はだいぶ大きくなっていた。
「どうしよう、源太さん」
女は平五郎の胸にすがって泣いた。平五郎は山にのぼることにした。
山上はまだ雪深い。身重のみえを歩きやすくするための工夫には一苦労をとったが、二人はなんとか《独鈷ノ淵》へやってきた。
割れた巨石のあいだから、冬も休まずこんこんと水が湧き出ている。みえは《結婚》からずっと、平五郎に淵から遠ざけられていた。
「竜神さまは、おれたちを結びつけるので疲れたと言っていた。淵の底で眠るから、邪魔するなということだ」
納得は不承不承だったので、淵にやってきたときには、みえは家を失ったことも忘れてはしゃいだ。
「竜神さまあ。いねえのか」
女は大声で呼ばわった。
「言っただろう。竜神さまは眠ってるんだ。あまり無理に起こすとたたりがあるぞ」
「たたりなんかあるもんか。竜神さまにそんなことできねえ。だって竜神さまは、ただの人だもの」
「えっ」
平五郎の目が点になった。
「源太さんもしかして、あの竜神さまがほんとうに竜の神様だと思ってたのか。おかしな人だなあ」
みえは楽しそうにけらけらと笑った。平五郎は唖然として、妻を凝視した。
「竜神さまは、別々に暮らすことになったわしと源太さんを、もういっかいくっつけてくれた恩人だ。わしは礼が言いたいんだ。もう、この山にはいないのか? 源太さん、何か知ってるんでないのか?」
みえは真顔になってたずねた。
一呼吸おいてから、平五郎は告げた。
「竜神さまは、竜神さまだ。淵の底に眠ってる。いつかまた、おれたちのまえに出てくるよ」
「源太さん」
「それまで、おれたちはここで暮らそう。この近くに洞穴がある。そこに寝泊まりするんだ」
「わかった」
みえはしっかりうなずいた。
「赤ん坊が生まれて、春になったら」
平五郎は言葉を切った。
「春になったら。わしら、どうするんだ?」
雪は流れて消えるだろう。新しい命の息吹を約束して。
平五郎の罪も、汚辱も、巨石の間から湧き出る清水とともに流れさるだろうか。みえの心にこりかたまっていた、いわれなき罪が消えてなくなるように。
「いや」
ひとりごとのように、平五郎はこたえた。
罪は消えない。赦されることはない。なぜなら平五郎はこれからも決して、自分を赦したりはしないから。
みえが笑っていた。平五郎も笑った。
赤ん坊が産まれたら、山を下りねばなるまい。街へ出て、生きていくほかはない。
ダムの計画が実行されても、山上に位置する《独鈷ノ淵》はダム湖のほとりに残るということだ。
坂濠と川東、集落の恩讐は水の底に消える。竜神はこの淵の底に眠りつづける。
水の上に残るものに、美しいものなどはない。美しくなくとも、生きている。
それだけで充分だと、平五郎は思った。
(了) |