一
平五郎は崖下を見おろした。ブナの森は朝もやに煙っている。
一年前、野田頭源太はこの崖をころげ落ちて死んだ。
ハイライトを口にくわえ、火をつける。水気をふくんだ落ち葉のにおいにタバコの煤がまじりあって肺をひとめぐりすると、高まった鼓動はいくらか落ち着いた。
東の空が明るんできたのは、つい今しがたのことだ。坂濠からおよそ二時間。この山にうまれ、猟師として育った平五郎でなければ、未明の獣道を懐中電灯ひとつでここまで来るのはむずかしい。
薄暮の森に、野鳥のさえずりがひびきわたっていた。ウグイス、オオルリ、サンコウチョウ、ジュウイチ。おびただしい夏鳥の声はおりかさなり、清冽な音の洪水となって静寂をおしながした。
(この声が、俺の心も洗ってくれればいい)
平五郎は不器用な頭で、このようなことを考えた。
ブナの幹でハイライトを消しつぶし、ひょいと投げた。吸殻は優雅にひらひらと舞いおちて、ちょうど源太が倒れていた落ち葉だまりに着地した。
崖は急峻というほどではない。高さは五、六メートル。山歩きに慣れた者でなくても、注意すれば木の幹や岩をつたって、のぼりおりすることができる。
源太もまた、物心ついたころからこの山とともに生きている。崖をころげ落ちたのは不注意からではなく、平五郎の撃った散弾を被弾したためである。
《事故》から一年半。裁判はようやくひと段落ついた。判決を要約するとこうなる。
『N県S村坂濠地区の市澤平五郎は仲間と狩猟中、藪のむこうにいた同村川東地区の野田頭源太をイノシシと誤認し猟銃を発砲。散弾二発をわき腹に被弾した野田頭は錯乱し、やみくもにかけ出して崖下に転落した。市澤以下、坂濠の狩猟チームは野田頭を救助し、応急処置をほどこしたが、野田頭は腰骨を骨折しており、まもなく死亡した』
業務上過失致死。執行猶予つきの有罪判決だった。
散弾銃の免許は取り消された。むこう三年、銃を使えない。イノシシ猟は罠をつかうか、弟たちの勢子に徹することになる。
入りたての保険のおかげで、遺族に支払うべき金は用意できた。冬の猟には難儀するが、夏の農作業にさしつかえはない。
裁判が有利に終わったのは、坂濠の名士たちが腕のいい弁護士をやとい、平五郎を支援したからである。遺族がこれから起こそうとしている民事訴訟も、彼らの力を借りれば乗りきれるだろう。
死んだ野田頭源太は、坂濠にとなりあう川東の青年だった。二つの集落は川から引く水がもとで、江戸の昔から対立と抗争を繰りかえしている。灌漑の整備で水争いこそなくなったものの、おたがいの憎悪と対立は、昭和の今もなお続いていた。
平五郎の《過失》がかばいだてされるのは、彼がとくべつ村から愛されていたからではない。川東に対する坂濠の体面のためなのである。
吸殻に魅入れられたように、平五郎は谷底をじっと見つめていた。
蛇蝎のごとくに憎みあう坂濠と川東のあいだには、暗黙のうちに猟場の棲みわけがある。しかしこのあたりはどちらの縄張りというわけではなかった。昼間であっても、このあたりにやってくる者はめったにない。
理由は二つあった。ひとつはここが難所であるわりに、鳥獣の数がさして多くないということ。山の中腹にあたるこの場所は崖にかこまれた、せまい台地状をなしている。獣を追いこむのに有利といえば有利だが、それ以上に狩猟者の危険が大きい。つまり猟場としての魅力が薄い。
もうひとつの理由は、平五郎の今いる場所から少し登ったあたりにある泉だった。《独鈷ノ淵》と呼ばれるこの湧き水の泉は、坂濠、川東はもとより、S村全域の狩猟者から崇敬を受けている。知られざる山の聖地なのである。この泉をどこかひとつの集落が独り占めすることはゆるされない。
平五郎と仲間は若者らしい気まぐれで、めずらしくこの場所で狩りをすることになった。そして事故がおきた。
禁猟期の五月。深夜に家を抜け出し、歩いてここまできたのは、事件の現場をもう一度見たい欲求に駆られただけではない。
野田頭源太は青年団の団長をつとめたこともある、川東の男衆のリーダー格だった。それを殺した平五郎を、坂濠の若い衆は罪人どころか、敵将を討ち取った英雄のようにあおぎ見ている。
集落どうしの対立はそれほどに根深い。
あわただしく不自由な、被疑者としての生活。執行猶予つきとはいえ、前科者としてのこの後の人生。三年間、猟銃を使えない暮らし。
人ひとり死なせたことに対する、平五郎の代償といえばこのくらいのものである。
無傷ではない。しかし。
心の中に重く薄暗いもやのようなものが残り、そのもやに導かれるようにして、ここにきた。
朝啼きがやむと、平五郎は崖下の吸殻から目を上げ、落ち葉と枯れ枝をふみしめて《独鈷ノ淵》へ向かった。 |