killing me; the sacred guardian
霊峰の頂きに吹き荒ぶ風は、道半ばで心を挫かれた旅人の断末魔を思わせた。
いったいどれほどの人間が、この山を越えようと足掻き、幾度となく霊峰の土に還っていったのだろうか。その怨嗟の声が、永遠に溶けることのない根雪の隙間から漏れ聞こえるようにすら、知覚する。
その頂きに、影が二つ、相克していた。
かたや、威厳を示さんがごとく、巨躯をいきり立たせる孤高の竜族。
かたや、年端もいかぬ亜人の少女。無謀にも両手棍を得物に立ち向かっていた。吹雪に視界を阻まれ、何度も雪に足をとられながら、濃灰色の中を、竜を討ち取らんと意志を固め、両眼に灼熱の輝きを宿している。棍棒を袈裟に振るうたび、金色の腰まで届く髪が舞った。
その体裁きを難なく硬質の装甲で受け止める竜。少女が立て続けに繰り出す決死の猛攻は、子竜の悪ふざけよりもかよわく、無力だった。
竜は、これから己の成すべき責務に苛まれていた。竜族の長は如何なることがあろうとも霊峰を護り抜かなければならない。かつてこの地を護っていた先代は、噴火による火砕流から生まれた魔物によって、命を落とした。その先代が最期に残した言葉を、竜は幾星霜経てなお、覚えている。時代が流転しつづけ、人間が知恵を付けていく様を見届けながら、竜は今もここに君臨している。ある腕利きの冒険家はこの霊峰を“終わらない冬”と形容したという。その比喩はまったくもって相応しいなと、竜はほくそえんだ。
しかし、それも今この刻をもって終わる。
ひとりの少女に討たれる瞬間を待つことなく。
彼女は、もはや何の反撃もないことに疑問を抱かないのだろうか。ただ、ひたすらに夢中になって――あるいはやけっぱちか――真似事のような戦闘技術を駆使して、竜の前足に叩き込んでいる。痛くも痒くもないとはこのことをさすのだろう。
さて、彼女はいつになったら気づくだろうか。霊峰を護る竜が授かる至宝、紺碧の輝きを放つ宝玉の存在に。宝玉は竜族の生命そのものを象徴していて、それは竜の細く長い首の付け根にある。最期を迎えるときには、この宝玉を継承しなくてはならない。
果たして彼女はこの辛く長い刻を生きていけるのかと、一抹の不安が過ぎる。
竜は静かに身を横たえ、目を閉じた。
それでも、目蓋の奥に浮かび上がるのは、遥か遠くに浮かぶ故郷の地ではなく、この霊峰。霊峰と共に生き、霊峰の土で眠る者には相応しい最期だと思った。
その頭上に、あたたかい何かが降り注いだ。ああ、極寒の地にも雨は降るのだな、と妙に感心してしまった。最後の力を振り絞って薄目を開けると、少女が竜のそばに跪いて、静かに涙を零しているのが辛うじて見えた。数多の人間を殺戮し、頂きに佇みつづけた古竜を想って。なんともったいない涙であろうか。地獄の業火に鱗はおろか、骨肉まで焼き尽くされる運命が待ち受けているだけの穢れた身に捧げるべきではない、と竜は言った。
亜人の少女はかすかに首を振ると、こうしなくてはならないの、と言った。育て親の最期さえ看取れなかった私の、せめてもの罪滅ぼしだから、と付け加えて。
竜は頷きながら、意識が急速に薄れていくことを感じた。濃灰色の景色も、深々と視界を埋めつくす牡丹雪も、今は遥か遠く、自慢の鉄色をした翼を広げることさえかなわない。
そんな竜の脳裏に一点、鮮烈な映像が過ぎった。決してありえないはずの未来。厚き雲海の向こう、高き空の果てへ、かよわき亜人の少女を背に乗せて翔ぶ、一匹の若き竜の残影を。
さようなら、と小さく歌うような声がした。吟遊詩人と自称する旅人の歌声よりも心の奥深くに共鳴するような、慈愛に満ちた旋律だった。この謳で地獄までの道を送られるならば、それもいいと竜は思った。
――願わくは、少女が終わらぬ諍いの雪解けにならんことを。