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あわせ鏡 改定版 作者:齋藤 一明
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危機管理室

 危機管理室

 その翌日、岡山県水島のコンビナートで化学プラント火災が発生した。炎が燃え広がらなかったのが不幸中の幸いともいえるのだが、合成樹脂に火がついたものだから消火が遅々として進まない。そんな様子が夕方のニュースで放送された。
 画面上は黒煙がもうもうと立ちこめてはいるものの、炎は比較的狭い範囲に限定されている。といっても、夕暮れで薄暗くなった背景を浮かび上がらせる炎は、なかなか衰えをみせないようだ。
 もしかして、これもカレンダー通りなのだろうかと気が滅入ってくる。

「勘太、おかわりは?」
 ぼんやりとテレビに見入っていた目の前に、琴音の手が突き出されていた。
「琴音、おかわり」
 俺が返事をするより先に、親父が茶碗をそこに載せる。
「はいな。お父さんは健康だねぇ。お母さんは?」
「じゃあ、かるく」
「はいはい、健康の第一歩だからねぇ」
 就職してすぐからだからもう二年になるのだが、琴音は我が家の台所を自由に舞っている。箸も茶碗も湯呑みもすべて買い揃え、いつでも我が家で食事ができるように持ち込んでいた。時もとき、俺の弟が金沢で大学生活を始めたことを幸いに、弟の席はいつのまにか琴音のものになっていた。最初こそ週に一度くらいだったものが、今では一日おきに我が家で食事をしている。小学校からの腐れ縁とはいえ、こうして家族に溶け込んでいることは歓迎すべきだろう。が、琴音は理屈で相手を負かす性格だということを忘れてはいけない。こうして既成事実を積み重ねることで万事思うようにしようという作戦、つまり、琴音流の攻めなのだろう。実際、俺の家族を味方につけ、ともすれば俺の地位さえ脅かしかねない存在となっているのだ。が、そんなことはともかく、テレビが伝えるニュースのほうが気になることだ。
 そっと席を立ってカレンダーを確認すると、きっちり書いてある。ご丁寧なことに水島の二文字がきっちり書かれていた。
 それにしても、どうして水島なのだろう。石油化学コンビナートなら他にもたくさんあるではないか、大分でもいい、鹿島でもいいのに、どうして水島なのだろう。そして、どうして今日なのだ。
 今日が無印だったなら、俺の夢は不確かなものとして笑い話の種になる。むしろそうなってくれたほうがどんなに気楽なことか。が、事態はますます深刻になってきた。

「あった?」
 俺の顔色で察したのだろう、琴音がポツリと呟いた。
「なあ、家の者に話しておくべきだろうな」
 かるく頷いた俺は、琴音に家族を連れてくるよう言った。

「なんだ、おい。琴音の家族を呼ぶって……。あっ、あぁ、照れくさいから一度ですます魂胆だな? 俺はかまわないけど、やっぱり別々に話すのが筋じゃないのか? もう結婚したのも同然だけど、親にとっては張り合いってものがなぁ。とにかく母さん、寿司の出前を注文しておけよ。ちょちょっと髭剃って、上着を着てくるから」
 琴音の家族を呼ぶということが、どうしてこういう考えにいきつくのか首をかしげたくなる。親父の早とちりは死ぬまで直らないとみえる。
「親父、勘違いしていないか? 大事な話なんだけど」
「当たり前だ。いい加減な話じゃないことくらいわかってる。本当ならな、日曜日の昼間に話すことだ。まあいいから琴音、産みの親を連れてきなさい」
 親父は完全に勘違いをしているようだった。


「これから大事なことを言うから、落ち着いて聞いてほしいんだけど」
 両家の親を客間に集め、俺は神妙にきりだした。
「ようやくか? えぇ? ようやくその気になったか? 遅いんだよ、なあ前田さん」
 親父が湯呑みを座卓に置いたときに、コトンと硬い音をさせた。
「そうそう、しなくていいことはさっさとするくせに、肝心なことは遅いんだから。うかっとしてたら先に子供ができてしまう。はらはらしてたんだぞ」
 琴音の父親も、俺の親父とどっこいの慌て者とみえ、勝手に想像して続きを急きたてた。二人ともきちんと正座をして俺の話を促しているところをみると本心のようだ。

「そういう話じゃなくて、もっと大事な話なんだけど」
 四人の親に申し訳なく思いながら、おれは口火を切った。
「そういう話より大事な話があるのか? まさか、子供ができたとでも?」
 それには俺も琴音も面食らってしまった。
「ちょっとお父さん、どうしてそんなことになるの。私たち……そんなこと……」
 すかさず琴音が父親の口を封じようとした。
「うそをつけ。高校の頃からだろうが、知ってるんだぞ。相手が勘太ならかまわないと思って気付かぬふりをしてたんだ。テレビや音楽のボリュームを大きくするんだから、知恵が回らんというか、莫迦というか。俺だって経験があるんだ、それくらいピントくるわ」
 琴音の父親があっさり種明かしをすると、俺の親父は目をむいた。
「なんだおい、お前、琴音の部屋でもやっていたのか? さすがに家でやるだけだろうと思って黙っててやったのに、この莫迦が」
 親父までが俺たちのことに気付いていたらしい。それも高校の頃からにばれていた。琴音が言い返さずに赤くなって俯いたものだから、余計に認めた格好になってしまった。
「経験があるって……、高校生の頃からまずいことをしていたのですか?」
 切り返してはみたが、とても敵う相手ではない。そんなことで時間をむだにするより、話を進めることにした。
「実は、切羽詰ったことがあるから、落ち着いて考えてほしいのだけど」
 座卓にカレンダーをひろげて、俺はこれまでのいきさつを話してきかせた。


「勘太、お前正気で言っているのか? 元を正せばお前の夢なんだろ?」
 親父の疑問はもっともなのだ。誰が考えても同じことを言うだろう。しかし、無理やりにでも信じさせねばいけないと俺は思った。
「そう、俺の夢だ。だけど、何度も言うけど、この赤丸は実際におきているんだ。今日もそう、ちゃんと書いてある」
 カレンダーの日付をなぞり、今日のところで指を止めた。木下の名刺を取り出してそこへ置いた。
「昨日のお客さん、北海道警察の警視正だそうだ。警視正っていうと、小さな県の本部長クラスらしいよ、今日、役所で調べたんだ。その木下さんがわざわざ訪ねてきた。今と同じ説明をしたのだけど、この人は信じてくれている。俺が覚えているのは一ヶ月先のことまで。そこで大災害がおきるということだ。だから、せめてその前後はどこかへ避難してほしいんだ。現金と通帳と印鑑さえ持っていれば大丈夫だから」

「そんな莫迦な話を信じろってか? ただの夢だろ?」
 親父は、やはり合点がいかぬようだ。それは仕方がない。何を言おうが、元は俺の夢から始まったことだから。
「夢だよ、夢にはちが……」
 畳の上で携帯が振るえだした。

「木下さんからだった。政府の危機管理室が動くそうだよ。朝から説得をしていて、そこにコンビナート火災がおきたから信用する気になったそうだ。空振り覚悟で対策をするそうだけど、俺たちを特別の職員にするって。つまり、手伝えということだ。勤め先を説得するために、朝にはこっちへくるそうだよ」
 木下の言葉をかいつまんで皆に聞かせた。
「なんだと? 国がまともに取り合うってのか? だけどなあ勘太、なにも避難までしなくても……」
 政府機関が対応に乗り出すと決定したからには、相当な危機意識があるのだろう。親父もそれには反対していないが、避難には消極的だ。
「気持はわかるけどさ、あの地震が南海地震かもしれない。だとすると東南海地震を誘発し、東海地震を引き起こすかもしれない。それが心配なんだ。三つの地震が連動したら、太平洋岸にはすごい津波が押し寄せる。そうなったら避難しようがなくなるんだからさ」
 三連動地震による津波予測は、何度もテレビで注意喚起がおこなわれた。三重県の太平洋沿岸部には最大三十メートルの津波が押し寄せると予想されている。しかも地震発生から津波が到達するまでの猶予はほとんどないに等しい時間だ。伊勢湾最奥の名古屋ですら、十五メートルとか二十メートルの津波が予想されていた。また、海抜が低く平坦な名古屋では、市の中心部まで一気に津波に流される。名古屋駅ですら水没すると予測されていたはずだ。水道も電気もガスも止まり、移動手段を失ってからでは避難するにも方法がないではないか。障害物だらけの道路が使えるのかも大いに疑問だ。とはいっても、俺自身がこれまで災害のことを深刻に考えていなかったのも事実で、親父の暢気さには共鳴する。けども、こんどばかりは是が非でも避難させたかった。
「そんな、おまえ……。どこへ行けって? 当てはあるのか?」
 国が動き出すということを知って、まんざら冗談ではないと感じてくれたのだろうか。それでいい、結果として家族が真面目に考えてくれたらいい。当惑げな親を見ながらそう思う。
「そうだな……、幸雄のところがいい。あそこなら町が大きいから収容力がある。それに日本海側だから津波の心配は少ないだろう」
 どこか適当な土地を記憶の中でさがしていたら、弟が下宿している金沢を思い出した。弟の下宿は、金沢の町でも山手にあった。飲み水には困らないので、米や缶詰類を多めに持ち込めば、暫くの間は避難生活を続けられないだろうか。
「金沢か?」
「うん。あそこなら穀倉地帯が近いし、海にも近い。飲み水にも困らない。なるべく開けた高台に逃げてくれよ」
「まあ、考えてはおくが、何を言い出すかと思ったら……、結婚の話じゃなかったのか」

「勘太、じゃあ聞くが、琴音とのことをどうするつもりだ?」
 琴音の父親が辛抱をきらしたように俺を見据えた。
「どうって、いずれ結婚するつもりだけど」
「じゃあ言わせてもらうけど、そんな大きな災害がくるというのなら、ひょっとするとどっちかが死ぬかもしれん。まあ黙って聞け」
 そういうことならと断って、二人の父親が胡座に直した。座卓を押しやって俺との間に何もなくしてしまう。気障りなことを言えばつかみ掛かることもできる状況だ。どっちかが死ぬかもしれんと言われ、反論しようとするのを手で制して言葉を続けた。
「そうなったら結婚もへったくれもなくなってしまうからな。そんなことなら、順序は違うが仕方がない。すぐにでも籍を入れたらどうだ? 俺はそう考えるのだが、松永さん、あんたどう思う?」
 とんでもない話がとびでてきた。が、誰もが結婚自体を咎めていない。というより、俺と琴音がようやく結婚にふみきったと早合点していたようなのだ。琴音に躊躇する気持がないのなら、俺は明日にでも入籍してかまわないとさえ思っている。それを条件に、俺の忠告に耳を傾けてくれるのなら、それでいいのだ。
 琴音も、俺の視線を受けてしっかり頷いた。


 いつも通りに出勤して、仕事を始めた矢先だった。部長の電話が鳴ると、訝しげな表情で部長が俺を手招きした。何事かと様子を窺う課長にも手招きをして席を立った。
「松永、区長がお呼びだ。何か心当たりがあるか?」
 木下が誤解を解いたはずなのに、部長はまだ俺を疑っていた。
「さあ……、悪いことは何もしていませんが、どういうことですか?」
「わからん。だけど、すぐに来るようにと区長が」
 俺と部長をかわるがわる見ている課長を連れ、部長は廊下へ出た。

 区長室には、木下が待っていた。そして、区長の表情はいつにまして強張っていた。
「松永、君は今日から木下さんのもとへ出向することになった。これが市長からの辞令だ。どんな役目か知らんが、しっかりやってくれ」
 木下に向かい合って座っていた区長は、強張った表情のまま机から辞令をとると俺にそれを伝達した。その意味するところを知らない部長と課長は、いったい何がおきているのだろうと、区長と俺をただ黙って見ている。
「松永は、国の危機管理室へ出向になった。この木下さんが市長から辞令を預かってこられたので、確認したところ本物だった。当面の予定は一ヶ月程度。状況しだいで期間は決められないということしか市長は説明しなかったよ。それで木下さんにお訊ねしているのだが、まだ公表できないとしか……」
 なんとも頼りない説明しかできない区長である。
「早急に公表することになりますが、現時点では説明することができません。ご迷惑をおかけしますが、必ず生きたままお返しします。それで勘弁してください」
 木下は、応接椅子にかけたまま首だけ向けた。先日と違って尊大な態度をとっている。

「失礼ですが、あなたはたしか北海道警察の方でしたね。それがどうして危機管理室と関係があるのですか?」
 部長が訝しげに訊ねた。
「私も危機管理室に出向となりました。国家公務員だからしかたのないことですがね。今回、大災害が発生する危険が高まっていますので、その対策をせねばなりません。残り期間のこともあり、松永君に手伝ってもらうこととなりました」
「でも、松永とはほとんど面識がないのでは?」
「ええ、実はそうなのですが、そこはまあ……」

「松永にいったい何をさそうとしているのですか?」
「彼にしてもらうことはたくさんあります。資材調達、書類の退避、まあ、我々で気付かないことを提案してもらうことになっています」
「それだけでは中身がわかりませんよ。市長の辞令があることですから認めますが、どうしても理由は明かせないのですか?」
「いえ、それはかまいません。しかし、漏らせば社会が大混乱します。それを嫌っているのです」
「それがどうして松永なのです? そんなことに首を突っ込んでいるというのですか?」
「そうですよ、彼こそが元凶です。だから彼には責任があります。……まあ、いいでしょう。ただし、正式に通達があるまでは職員にも秘密にしてくださいますか? いえ、二日か三日後には一斉に通達を出しますが」
「秘密事項なら当然です」
「いいでしょう。では、今日から最優先で住民避難の方策をとってください。市外へ、できれば県外へ避難させてください。もし避難が遅れたら、他からの援助は期待できないと考えてください。それほどの被害が予想されます。猶予期間は一ヶ月。役所機能も同様ですよ、原簿を厳重に保管してください。できれば地下、いや、それはこちらで判断してください」
「何を言っているのですか? いったい何があると」
 最優先で住民避難と言われ、区長は当惑しているようだ。区の人口は十二万。それを避難させるとすればどこに。どうやって移動させるのだ。そうする根拠があるというのなら、先に示してもらわねば応じられることではないのだ。
「津波の危険があります」
「津波?」
「東南海地震が予想されます。その際にどのくらいの津波に襲われるか、予測されているはずです。被災マップも作成されているはずです。東南海地震がおきると太平洋岸は甚大な被害を受けます。人口密集地域はほとんど太平洋に面していますので、なんとか人的被害を食い止めねばなりません。そのための仕事を始めるのです」
「まさか、そんなことになるなんて」
「誤報なら幸いです。しかし、万一本物だったらどうします?」
「それは、考えたくもありませんが、地震の兆候でもあるのですか?」
「ありません。というより、わかりません。しかし、それを裏付ける兆候があります」
「兆候?」
「はい。恐ろしいほどの確率で将来を予測しています。科学的な説明がつかないので、きっと皆さんは笑い飛ばすでしょう。ですが、考えられない確率でさまざまな予測をたて、その通りになっています。ですから危機管理室として、それを規定の事実として対応にあたることにしました。とにかく、役所機能を避難する準備をしてください」
 言葉は丁寧だが、木下はにこりともせずにそう告げた。
「松永さん、早速ですまないが、今から私の指揮下に入ってもらう。気の毒だが、休日は諦めてもらう。し残したことがあれば、今のうちにすませてくれ」
 先日とはまったくちがう目つきだった。
「じゃあ、今日のうちに婚姻届を出します」
 昨日の今日である。琴音を入籍するのに反対する者はいないだろう。それよりも、万一のことを考えれば、それが琴音を安心させるだろうし、どちらの親をも安心させることになるだろう。
「そうだな、それが良い。では、他のメンバーを浚いに行こう」
 木下は勢いよく立ち上がった。


 琴音の勤める病院でも質問が繰り出された。当然のことだ。いくら危機管理室から依頼の電話があったにせよ、本当に国の機関からの依頼だとは俄かに信じられないだろう。優秀な医師とか看護師の派遣ならともかく、ごく普通の看護師を臨時職員にするというのだから。が、木下は、強引にそれを認めさせてしまった。そのあたりになると公立病院は話が早い。直属上司の辞令を用意すれば良いのだから。

 雅の銀行などは、半ばパニックとなった。どうやら新手の詐欺とでも勘違いされたようで、次々に対応する相手が交代し、やがて警察官が闖入してきたのだ。制服警察官ばかりか、私服捜査員が大勢でおしかけてきた。
 木下が身分証明を提示すると、口調は丁寧になった。が、木下の提示した身分証は警察官であることを証明したにすぎず、危機管理室の職員を証明するものではない。問い合わせ先を教え、納得させるまでは容疑者扱いである。そして、確認できてからがまた大変だった。何の目的か、なぜ雅でなければいけないのか、なぜ危機管理に銀行員が必要なのか。説明できないことばかりだ。しかし木下は、不同意なら命令書を持って来ると言い放った。

 そして遠山の番になった。遺体の身元確認のために必要な要員だということは理解してもらえたのだが、今日の治療をどうするかということになった。もとより名案なんてあるはずがない。といっても、木下にとっては想定内のことだったようで、雑用をすませ、着替えを用意するように言いつけて県警本部へ行くと言い残して姿を消した。

 俺は琴音とともに役所へ戻った。婚姻届を提出するためだ。
 そういえば、夢の中にいた俺と琴音は、まだ他人だったような気がする。もしそうだったら夢と違うことをしているのだが、それが今後にどう影響するのだろう。吹けば飛ぶような若造が結婚したところで、未来にとって痛くも痒くもないことだろうか。
 ただおもしろいことに、立会人の署名を頼んだことで、遠山と雅も入籍すると言い出した。どうせ遠からずそうする気でいたのだから、万一の事態がおきて同じ墓に入れてもらえないでは困ると考えたのだろう。考えることは俺たちと同じだった。


 なかば浚われるように木下の指揮下に入れられた俺たちは、それから家へは帰らず、夕方の新幹線で東京に運ばれた。駅に待機していたワゴンの乗せられて、どこへともなく連れられて行った。
「まず、辞令を受けてもらう。いろんな者がいるが、気を使う必要はないからね、気楽にしてくださいよ」
 車が動き出すと、木下が行き先を教えてくれた。内閣府に設置された危機管理室だという。内閣府がどこにあり、どんな仕事をしているかなど、俺にはまったく興味がない。そんな組織の存在自体を意識したことすらない。ところが、知らぬ間にそこに組み込まれてしまったようだ。
 ここが国会だといわれるまで、どこを走っているのかまったく知らなかった。
 門衛が警備する通用口を抜け、車は地下の駐車場に止まった。
 通用口に三人ばかり職員らしき人が出迎えていた。真っ先に車を降りた木下が、気安げに話しかけている。俺たちが下車すると、運転していた職員が背後に立った。ほんのわずかな着替えだけを提げた俺たちは、見ようによっては強制送還される外国人のようでもある。

 五階のエレベーターホールは、少し照明を落としてあった。この階は用のある者以外は立ち入らないとかで、少しくらい薄暗くても良いのだろう。案内の職員が言うように廊下を行き違う者が一人もいない。職員は、一つのドアを開けた。

「やあ、面倒をかけましたねぇ。もう少ししたら発会式が始まりますが、まだ時間があります。その間に書類を作ってしまいましょう」
 快活に話しかけてきたのは木下と同年代で、今枝と名乗った。今枝欣吾、危機管理室長だそうだ。木下とは同期で、警察庁からの出向らしい。ということは、木下は本当に北海道警察の職員なのだろうかと疑問が沸いた。道警と警察庁はまったく別の組織のはずだからだ。
「じつはね、私も警察庁の職員なのですよ。今枝が危機管理室に出向になったように、道警に出向しています。もっとも、こんどはここに出向ですが」
 黙っていたことを詫びるつもりなのか、しきりと頭を掻いていたが、あらためて今枝に紹介をした。

「木下から話を聞いたとき、正直なところ笑いましたよ。北海道へ飛ばされたことを根に持ってるとまでは思わないけど、ガタがきたのかな、とね。けどね、カレンダーを広げて説明をするのですよ。もういい加減にやめようと言ってもきかないのです。時間だけがたちましてね、昼になりました。どうせならということで管理監を誘って食事をしている最中に、コンビナート火災の一報が入ったのです」
 気負いのない、まるで世間話をしているような話し方だ。話の途中で運ばれたコーヒーを薦め、無造作にタバコを取り出した。
「おい、庁内禁煙じゃないのか?」
 別に咎めているのではない。なぜなら、言った木下自身もポケットを探っているからだ。
「いいんだよ、そんなこと。ちゃんと空気の入れ替えをしてるんだから、堅い事言わないでくれ」
 言いながら使い捨てライターに火を点していた。

「いや、驚いたねぇ。唾とばして言った通りになったのだから。管理監も驚いてね、あらためて木下の話を聞いたのですよ。そこで結論を得まして、官房長官の裁可を仰いだ。そういう経緯です。連絡が遅くなったのは、ゴーサインが出るのを待っていたからなのです」
 今枝という男も気さくな話し方をする。友人同士の雑談のように肩肘を張らない話し方だ。
「あのう、管理監というのは?」
 耳元でボソボソと琴音が呟いていた疑問を口にしてみると、警視総監を昨年退官した山崎という人で、二人にとっては警察庁の先輩にあたるそうだ。そして、官房長官というのは、テレビでよく見るその人だということだ。
 そういわれて、俺たち四人は顔を見合わせた。だって、そんな政治の中枢にいる人が関係しているのだ。尋常なことではないことを痛感したのだった。

 せっかくのコーヒーを半分も飲まないうちに、別の職員が部屋にやってくる。グレーの壁の前に立たされて、写真を撮られた。身分証明に使うのだという。それがすむと、すべての指から指紋が採られた。


 案内された会議室は、優に二百名を収容できる広さがあった。正面の壇上に国旗が掲げられているだけで、何の飾り付けもされていない。そこにびっしりと椅子が並べられ、肩を触れ合うように大勢の職員が席についていた。壇の脇に置かれた机に案内されて、式が始まった。

「それでは、発会式に先立ち、資料の点検を行います。席に各自の名前が入った封筒を用意していますので、それを取り出してください」
 紙袋を探る音がしたほか、寂として咳払いすらなかった。俺たちの席にも紙袋が用意されていて、印刷物の束が三部とそして辞令。そして今しがた撮ったばかりの写真を使った身分証明が二つ入っていた。一つは首から提げられるように長い紐がつき、ひとつは木下が示したような革ケースに収まった本格派だ。
「今回、確度の高い情報が寄せられた。困ったことに科学的証明のできない情報だが、詳細に検討した結果、既定事実とみなして危機管理に当たることが決定された。これより諸君は出身省庁の枠組みを越えて事に望んでほしい。説明に入る前に官房長官より訓示がある」
 えっと俺は壇上を見たが、目つきの悪い男が二人ほど立っているだけだった。

 官房長官の簡単な訓示に続き、管理監もまた短い訓示をして、壇上に今枝が立った。
「資料の中に茶封筒があるはずだ。それを参考にしながら話を進める。言うまでもないが、これは厳秘だ。政府から公表された後も口外してはいかん。肝に銘じてもらいたい」
 茶封筒を示して厳重な注意を促した。封筒にはでかでかと厳秘の二文字が睨みをきかせている。今枝の動きに誘われるまま中の書類を取り出すと、そこにも厳外秘と大きく赤で印刷してあった。
 その極秘資料こそ、カレンダーを写したものだ。
「まず初めに断っておくが、これは夢に従って書かれたものだ。だから科学的根拠は一切ありえない。では、なぜそれを問題視するのかを説明する」
 木下がどういう説明をしたのかという不安は消えてしまった。今枝は、それほど正しく俺が語ったことをトレースしている。
 極秘指定された資料は、退院から発災までを月別にしたカレンダーになっていて、木下が持ち帰ったものに書いてあることが漏れなく載っていた。そして、予想した日に何があったかを記してある。その記述は昨日の火災まで記入されていた。

「実は、この情報が寄せられたのは昨日の朝だ。しかし、たぶん諸君が思っているように、私は取り合わなかった。夢でみたことが現実になるなど、悪い宗教にかぶれたかと思ったのだ」
 場内から失笑が漏れた。
「ところがだ、管理監を交えて昼食を摂っていたときに、コンビナート火災の一報が入ったのだ。そこで精査してみると、人為的に発生させられない事象、長崎の豪雨についても記載がある。それが、八月の六日まで続いている。これが、その時に示された原本だ」
 今枝は、俺たちが作ったカレンダーをさし上げた。
「そこで管理監と協議した結果、官房長官の裁可を仰ぐことになった。猶予期間は一ヶ月しかない。諸般を考慮すると三週間しか猶予がないと考えてもらいたい。その期間で何ができるか、明日中に結論を出してくれ。第一の目的は、被災者を極限まで減らす努力だ。言うまでもないが、被災者が多けりゃそれだけ人手を割かねばならなくなる。予定外の物資もいる。第二は、被災者の生存を保障することだ。復興の際の働き手を死なせてはいかん。他国の侵略ではないから、国土よりも人命を優先する。第三は、重要書類の退避だ。特に戸籍原簿を退避させる。サーバーなんてものは壊れてしまうと思え。その三項目を最重要課題として、各省庁で方針を出してくれ。質問があるか?」
 概要を説明し終えた今村が言葉を切った。すかさず方々から手が上がった。

「内閣の決定ということなら従いますが、ぶっちゃけたところをお答えください。どれくらいの確立で発生すると予想されていますか」
 少壮の元気そうな職員だった。自分が同じ立場にあったとすると、やはり腑に落ちないと思う。それをこういう場で表明する勇気はないだろうが。巨大な台風がこっちに近づいているというような、科学的説明がつかないことに対し、どう対応すれば良いか困っているのだろう。
「危機管理室が動くということは強権を付与されると考えますが、法手続きは大丈夫なのでしょうか」
「公表の予定はどうなるのでしょう。全面的に公表すると外資が撤退する可能性があります。地震が発生するより早く、経済の混乱が予想されます」
「本当に、このようになるのでしょうか。国費を使うことに対する突き上げがあるでしょう。対策はあるのですか」
 各省庁から出向しただけあって、いろんな方面からの不安が質問された。が、今枝は不敵な笑みを漏らしただけで、それらを一蹴してしまった。
「国民の生命と財産を守るのが国家の役割だ。今回は、生命を唯一の財産と捉えてもらおう。そこまでしかできんだろう。明日、諸君が持ち寄る方針をまとめしだい、政府が公表するだろう。どこまで公表するかは俺が考えることではない。明日は、午後五時にここへ集合してくれ。言い忘れたが、今回配った身分証は、交通実費を支払うことができる。また、宿泊料の支払いもできる。出張の際に窓口へ示せば良いようになっている。ただし、国費から支払うのだから無駄遣いはするな。使った履歴は全部残るからな」
 思いがけない利用法に頬を緩める職員が多かった。

 今枝の部屋に戻った俺たちは、この場所へ来る方法を教えられていた。身分証がなければ機械が入庁を拒むことも教えられた。その際、給与の話になった。
「ところで君たちの処遇だけど、内閣府の参与ということにしたい。ちょっと生臭い話だけれど、参与の労働時間は八時間以内という規定があるのだよ。だけど、それは諦めて貰いたい。また、そういう事情だから残業手当は支給できない」
 言い難そうに口ごもった今枝が、チラッと俺たちも顔色を窺う素振りをみせた。
「えっ、ただ働きということですか?」
 こういうことに敏感なのは雅だ。とにかく勘定高いのは職業的なことばかりではないだろう。
「だからね、なんとか基準報酬だけで我慢してもらえないだろうか。そのかわり、宿泊費はこっちでもつ」
 どんなところで生活させられるのかを言わずに、今枝は宿泊費のことではポンと胸を叩いてみせた。
「無理やり連れてこられたのだから、家賃くらいもってもらわないと。それで、報酬っていくらですか?」
「それが、一応決まっていてね、日当二万七千円。その代わり、突然のことだから手持ち現金に不自由でしょう。ですからカードを支給します。ただし、使った分は報酬から差し引きますよ」

「そこで頼みがあるんだ。この人たちは新婚でな、宿泊所に配慮してやってくれないか。特に今夜は初夜だ」
 木下が俺たちの事情を話してくれたはいいが、どういうつもりか初夜といって言葉を切った。
「初夜? 初夜って、あの初夜のことか?」
 あの初夜も、この初夜もあるわけがないのに、今枝が驚いたように聞き返す。
「なんだい、今日結婚したのか?」
「式は挙げていないが、入籍をすませたそうだ。もっとも、本当の初夜かどうかは知らんぞ」
 やはり、からかっている。どうもこの二人は茶目っ気があるようだ。
「そうか、いやぁ、気がつかなかった。じゃあさ、東京にいる間はホテル住まいをしてもらおう。残業代を払わないのだから、それくらいかまわんだろう」
 珍しいものでも見るような顔で俺たちを見て小さく頷くと、今枝はどこかへ電話をした。

「じゃあ、新婚さんにはホテルへ行ってもらおうか。明日は、九時までにここへ来てくれ。木下共々、俺の直属として動いてもらう」
 ニヤニヤ笑う木下と今枝。まるで腕白坊主のようだ。
 とにかく、そうして東京での第一夜が終わった。
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