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あわせ鏡 改定版 作者:齋藤 一明
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発端

この話は、以前同じ題名で投稿したものを改定したものです。
前作は、慌てたために事象ばかりで終わってしまったので、今回は対策を講じる場面に力を入れたいと考えています。

**大橋秀人さんが『スマイルジャパン企画』の復活を提唱されました。
題して、 震災復興支援3.11 スマイルジャパン2016

東北の震災を風化させないため、辛い経験をされた人々に少しでも頬を緩めてもらえるよう願って、話を書くということで力になりたいという趣旨です。
今回、『スマイルジャパン2016』として私もお手伝いさせていただきます。
また、日下部良介さんも元気よく参加されています。

どうか、趣旨に賛同していただける人が増えますように

また、こういう災害救助組織はどうかと提言したのが、私がここで活動を始めるきっかけでしたので、縁というものを感じます。
『明日を紡ぐ』
 ヘタクソな話ですが、興味があったら是非読んでください。
 四角く切り取られた空に浮かんだ千切れ雲が、勢いよく彼方へ飛び退ってしまう。色を失った青空という言い方をすると言葉を知らぬ奴とそしられそうだが、鉛のように淀んだ空は確かに色を失っている。強い日差しを遮るためのガラス越しだから仕方ないとはいえ、赤も青も抑えられて、夕暮れのような色味はやっぱり味気ないと思う。色濃い景色がはっきりと色彩を主張しているのだが、どうにも嘘くさくて嫌いだ。やっぱり色のついていない素通しの窓にかぎる。特に車窓というものはそうでなければいけないとあらためて思った。そんな俺の我侭とは関係なく、蒼空にポコンと筋斗雲のようなちぎれ雲が浮かんでいた。
 空と海の境目は、色を失った朧なものだ。そんな思いこみが見事に覆され、湾曲した境目がくっきりとした線になっていた。色褪せた空に対し、海原は真夏の日差しを照り返して眩しく、黒いとさえ感じる。その水平線を断ち切るように、甑島が水面に黒々と姿を現した。裾を白砂で覆い、養殖筏か牡蠣筏かが点在している。
 ぽつんと見える筏の上で、盛んに作業をする人影があった。別の筏にも何人かの人影がうごめいている。点々と浮かぶ筏をつなぐ一本の糸。船外機を取り付けた海苔船が、波穏やかな湾に細い糸を引いていた。

 そんな光景が、一瞬の切り通しから垣間見えた。空調の効いた車内、ゆったりとした座席に深く腰をうずめて車窓に釘付けになる。子供の頃から鉄道が好きで、今でも列車に乗ると車窓に釘付け。向かい合わせの仲間たちと談笑する間も、目を放せないでいた。
 生返事を返す俺に愛想をつかしたのか、俺を除け者にして会話が弾んでいる。楽しそうな笑い声を載せて、列車は継ぎ目のないレールを疾走していた。

 ヒュイーーーン、ウィーーーン……
 インバーターが奏でる甲高い唸りが、小さく響いているだけである。レールの継ぎ目を踏む音はもちろん、レールと車輪の軋む音もない。時折突入するトンネルだけが異音の源であった。

 ドッ、ゴォーーーーーー……
 ヒィーーーン……
 トンネルから吐き出されると急に静かになった。小声で話しかけても十分に聞こえるほどの騒音でしかないのだ。
 床下から聞こえるモータ音が高まり、低くなり、隘路を抜けるたびに甑の浜は岬に隠れて見えなくなってしまった。

 今日は八月四日、木曜日。時刻は午後三時をすぎたところ。
 天草の島々をすぎて上甑をほんの少し見たと思ったら、長いながいトンネルが待っていた。山陽新幹線もトンネルの連続だし、ずいぶん長く感じるものが少なくないが、九州路を初めて新幹線でたどってみると、山陽路のトンネルは子供だましに思えた。これでもかというほど長いトンネルが最後の最後に待ち構えていたのだ。
 欠伸が出るほど長いトンネルから吐き出されるとすでに市街地が始まり、ビルが点在している。
 やがて列車がつんのめるように速度を落とすと、窓の外はビルまたビルの市街地である。つい今しがたまで眺めていた、緑の山とキラキラ輝く海は、人造物の彼方に暫しのお預けとなった。が、それも良いだろう。今日と明日さえ我慢すれば、すぐにもあの白砂を満喫できる。窓の向こうに出現したプラットホームを見やりながら、俺は短い休暇をどうして楽しもうかとばかり考えていた。

「さすがに新幹線は速いなあ、大阪から四時間かかってないぞ。昔は違ったぞ。名古屋で乗り込むのが夜の九時だ、大阪まで二時間半。岡山まで五時間だぞ。ちょうど今頃だったかなぁ、夜通し駆けた特急がラストスパートかけてたはずだ。それとくらべると、便利になったもんだなぁ」
 ホームに降り立った俺は、惚れぼれするように真っ白の車体を見やった。
「そうだなぁ。初めて鹿児島へ来たときなんか、夕方ちかくに着いたもんだ。ほんと、速くなったなぁ」
 遠山源太は、鹿児島の歯学部を受験するまで、遠方への旅などしたことがない男だ。奴ばかりでなく、それは前田琴音(ことね)加藤雅(みやび)も同じで、この二人は三時間以上列車に乗ったのは修学旅行だけだ。そのくせ外国旅行は何度もしているのだからおかしなものだ。

「源太、懐かしい?」
 雅がからかうように正面にまわりこみ、八重歯を見せた。女性にしては長身の雅がヒールの高い靴を履いても、尖った顎を仰向けねばならぬほど源太は大男だ。そして、雅と源太が並んで立つと絵になる。均整のとれた雅の肢体はモデルのようで、人前に出る仕事のためか化粧を欠かしたことがない。ましてや今日のように仲間だけの旅行となれば、くっきりとした化粧をしているから余計に目立つ。
 源太に身を寄せて無邪気に見上げている雅は、真っ白のスーツに身をつつんでいた。彼女自身が自信たっぷりに選んだだけあって、丈の短いスーツはとてもよく似合う。その雅が、源太の目を覗き込んで可笑しそうに笑った。
「おうっ、懐かしい。風も言葉もいいなぁ。いい匂いがするよ。鹿児島へ来たんだなぁってな」
 周囲を眺め回した源太が奇妙なことを言った。なぜなら、この場から見えるのは、どこにでもありそうなビル群なのだ。駅名表示がなければ熊本も福岡もかわらない。
「そうだよねぇ、私の知らない六年間だからねぇ。どうせ言えないことばかりしてたんでしょ」
「よせよ、医学部も歯学部も勉強に追い回される毎日なんだぞ。雅みたいに学生気分ではしゃぐ余裕なんかあるもんか。やましいことなんか一つもないんだからな」
「どうだかねぇ、女子だっていただろうし……、このこのぅ」
 雅は、源太をからかっては楽しそうに笑いこけた。

「雅ぃ、知ってるよぅ、内緒で鹿児島へ通ってたこと。行くたびにきれいになって帰ってきたもんねぇ。いったい何しに行ったのかなぁ?」
 いくら幼馴染とはいっても、目の前でいちゃいちゃされると誰だって面白くないにきまっている。ましてやここは駅のホーム、節度というものを弁えてもらいたい。それは琴音も同感だったとみえ、二人を冷かすふりをして止めさせるつもりなのだろう。あいつらにくらべれば、俺と琴音は同い歳でも大人なのだ。
 悪戯っぽく呟いた琴音は、雅がなにか言い返す先に俺の後に回り込み、腕をそっととった。当然いるべき場所、すべきことと決めているのだろう。そして、バッグを持ったままウゥーンと伸びをした。

「あっ……」
 伸びをしたまま琴音が小さな悲鳴をあげた。
「どうした?」
 首を捻じ曲げた俺は、琴音の格好を見るなり悲鳴の意味をすぐに理解した。小さくバンザイをするような格好の琴音は、顔を仰向けた状態で固まっていた。
「動くな! みんな動くな!」
 切羽詰ったときに発する甲高い声だ。普段はソフトなのに、慌てるとキンキン声になってしまう。少しは大人っぽくなってきたと仲間に認められても、この声でだいなしだ。

「なんだ、またか。しょうのない奴だな、ほんとに」
 琴音が悲鳴を上げるのはしょっちゅうだ。コンタクトをしていることを忘れて、大きな目を見開く癖がある。どうせまたうっかりして零してしまったのだろう。俺は、まず自分の足元に妙な反射光がないことをたしかめて荷物を置いた。琴音の荷物を受け取って反射光をさぐり、自分の荷物に並べた。

「またやっちゃたの? あんた子供の頃から進歩しないねぇ。こんな場所で目ぇ剥く癖、早く直そうよ」
 さっきの一刺しに対する雅の反撃だが、皆、馴れたものである。それほどに琴音はコンタクトを零してきたのだ。俺だって何回も、何十回もレンズ探しをさせられたのだから、要領をつかんでいる。案外遠くへは飛ばないものなのだ。ただ、急に三人が足元を探し始めたものだから、出口へ向かっていた他の乗客までもがその場に釘付けになってしまった。

「ちょっと、勘太! あんたどこを見てるの。顔が近すぎる!」
 雅に苦情を言われる筋合いなどないではないか。俺は零れ出たレンズを探しているのだ。髪だとか胸元に引っ掛かっていることが多いから、まずはそこから探しているだけなのに、妙に棘のある言い方をする。
 今日のためにばっさり落とした髪には引っ掛かりようがないから、とりあえず胸元を確かめているだけだ。それに、こんな公衆の面前で顔を近づける理由などまったくない。だいたい、レンズは正面から見つけにくいものだ。あちこち角度を変えてキラッとした反射を探しているだけなのだ。
「仕方ないだろ? こうしなきゃわからないんだからさ。服の上を見てるだけじゃないか。雅みたいなのを着てたらさ、そりゃ俺だって遠慮するさ。けど、琴音は清楚だからな、ちゃんと襟までボタンがかかってるんだしさ」
 きっとむくれるだろうなと思いながら言い返してやった。あんな薄手で襟の開いたものを着ているのなら顔を近づけるのを遠慮するだろうし、ましてや指一本触れていないのだ。それはともかく、それらしい反射を見つけられなかった俺は、ゆっくりとしゃがんでスカートにかかった。
 新幹線の中でジュースをこぼした琴音は、ホットパンツを汚してしまったのでプリーツスカートに穿き替えていた。女子高生が好んで穿いているのと同じ、極端に丈の短いスカートだ。こういうのは襞が多いから引っ掛かるところが多すぎる。どうせまた雅のチェックがはいるのを覚悟しながら、襞の裏側まで調べてみる。が、どこからもレンズの反射がない。どうやらいつも同じような場所に引っ掛かるとは限らないようだ。
 そして俺は、スカートから伸びる足元に目を近づけた。

「勘太、あんたどこを見てるの! 琴音のスカート覗いたって見つかるわけないでしょうが。小学校からずっとイヤラシイんだから」
 琴音の足のむこうでしゃがみこんだ雅が、俺を睨みつけていた。叱られた子供のように首をすくませてみせたが、地面をさがすのに懸命な雅は、かるく膝をくつろげている。そこに日が差し込んで、奥まで丸見えになっていることに気付いていないようだ。ただでさえ短いスカートなだけに、奥に控える黄色の光沢が丸見えで、皺の一本、毛穴や産毛までくっきりと見えた。ことさら吹聴しないだけで、俺は視力がすごくいいのだ。
「雅ぃ、たのむからそっち向いてくれよ。そんな開けっ広げに見せないでさぁ。薄い黄色だっていうのはよくわかったから」
「勘太、どこ見てるの! 本当にあんたは助平なんだから。こっちを見るな!」
 大慌てで膝を閉じた雅は、そのまま立ってしまった。

 周囲をいくら探してもみつからない。まさかと思いながら、俺は琴音の片足を持ち上げてみた。やはり何もない。
 念のためにともう片方をゆっくり持ち上げると、ハイヒールの底が一箇所だけピカリと光を跳ね返した。

「あった! あったぞ琴音。よかったなぁ、次は気をつけろよ」
 切符の上に薄いガラス板を載せてゆっくり立ち上がると、心配そうに成り行きを見守っていた人たちから拍手があがった。

「あぁーーーっ、どうしよう」
 恥ずかしそうにポーチをごそごそやっていた琴音が、困ったような声をあげた。
「どうした?」
「う? うん、……うっかり洗浄セット忘れてきちゃった」
 しょぼんとした声だ。
「またかよ。えっらそうなこと言ったって、やっぱり琴音だわ。雅ぃ、悪いけど貸してくれよ」
 切符にコンタクトを載せているからよそ見ができない。俺が空いた手を無造作に伸ばすと、その手に紙箱が載せられた。
「わるいな」
 何気なく受け取った俺は、見もせずにそれを琴音におしやった。

「ちょっと、これ、ちがう!」
 琴音は小声だった、しかも早口である。
「違うって、おまえ……」
 言いながら箱を見て唖然とした。琴音を窺うと、顔を赤らめてうつむいている。どうやら、俺になんとかさせようとしているようだ。
「……雅ぃ、……気持はありがたいけどさぁ、コンはコンでも、これは違うコン……。そらぁ、ありがたく貰うけどさぁ、こんな場所で渡されたって……」
 俺たちの様子で何かに気付いたのか、雅はあらためてポーチを探った。そして、真っ赤になって俺の手から箱をひったくった。


 洗浄液で入念に洗ったコンタクトをすると、琴音は周りの人たちに丁寧に頭をさげ、遠山と雅には舌先を出して首をすくめてみせた。そして俺には、満面の笑みをみせたのである。ただし、笑顔の下には、ハイヒールが突き刺さった俺の靴があった。
「琴音ぇ、痛いって。あれは雅が悪いんだ。別に俺が覗いたわけじゃないんだぞ。元をただせばお前が悪いんだ。どうしてあれくらいで怒るんだ? 妙な影があったなんて一言も……」
 満面の笑みをたたえたまま、一旦解放した琴音は、こんどはもっと勢いよく踵を突き立てたのだった。

 小旅行

 俺たち四人は幼馴染である。小学校から高校までずっと同じ学校に通っていた。
 小学生の頃は喧嘩相手だった。特に雅は乱暴で、琴音は理屈で俺たちを翻弄し続けていた。中学生になって体格と体力に差がつき始めると、それが余計に酷くなった。

「あいつら、本当にズルイなぁ。陰にかくれて暴力ふるうくせに、ちょっとさわったくらいで先生に言いつけるんだから。あぁ、頭にくる」
 遠山と俺は、よくそうぼやいていた。また、そういう時にかぎってそれを知られてしまうのだ。

「勘太、なんか文句でもあるの? だいたいねぇ、最近生意気なんだよ、勘太のくせに。こらっ、逃げるな源太。こそこそみっともないでしょ。勘太おいて逃げるような卑怯者なんだ、あんたは。あぁ!」
 いつもこれであった。雅がまくし立てる横で、琴音が腕組みをして睨んでいる。土手で対峙する四人は、それでも仲良しだった。

 奇しくも、四人は同じ高校に合格した。だから、当然四人が列を組んで登校したものだ。
 ヒョロヒョロッと背ばかり伸びた遠山。平均より背が高くて大きく胸が膨らんだ雅は、キュッと括れた腰にまでとどく髪をなびかせ、対する琴音は、ショートカットが好きだった。背こそ小柄だが、全体にやわらかな丸みをつけていた琴音は、制服を着ていなければ中学生である。が、そこはそれ、胸や腰には十分なボリュームをつけていた。俺は、相変わらずガリガリに痩せていた。とにかく、一年生の夏休みまでは四台の自転車が堂々と行進していたのだ。

 初めての夏休みが終わると、少し早い秋風がそよぎだしていた。
 二学期が始まってすぐ、雅も琴音も上級生と付き合うようになっていた。自然と通学も別々になり、やがて部活の関係から、遠山とも別れて通学するようになった。

 まず琴音が戻ってきた、そして雅も。するとまた四人での行列が再開された。
 二年生のクラス替えでまたしても琴音が去り、雅も去った。遠山は次なる目標を据えて勉強に忙しかったし、俺は部活にのめりこんでいた。だから、寂しいという気持も感じぬまま冬休みを迎えようとしていた。

「勘太、すぐ来て!」
 庭で木刀の素振りをしていた俺を、雅が呼びに来た。突然のことだった。
「なんだ? まだ稽古の途中なんだけど、急ぎか?」
 なんの用事かわからない俺は、危険な風きり音をたててやる。
「うるさい、黙って早くこい! 琴音が大変なんだから……」
 雅の剣幕に驚いた俺は、木刀をぐっと突き出して言った。
「どうする? 竹刀のほうがいいか?」
「ばかっ、早く来い。服、ちゃんと着て」
 本気で言った俺を小ばかにしたのか、雅は、急きたてるように自転車にまたがった。


 遠山を加えた三人が向かったのは琴音の家である。
 ピッタリと閉ざされた入り口の前で、俺たちは声をかけ続けた。が、のんびり説得するのは俺の性に合わない。力任せに押したり引いたりしているうちに隙間が広がり、無理やり戸を開けることができた。

「わたし……、……わたし……」
 うなだれて私としか言わない琴音を、俺たちはじっと待っていた。

 じっと、じっと……

「琴音、……あの噂、本当なの?」
 雅が一言、琴音の耳元で囁くと、それまで堪えていた涙が一気に溢れ出した。

「うわさ? 何かあるのか?」
 遠山に訊ねてみたが、フルフルと首を振るばかりだった。当人の悩みの元凶に思い至れなかった俺たちは、たしかに無神経だっただろう。声をひそめるなんてことをしなかったのだから。だけど、それで良かったのだと今でも思っている。変に声をひそめていたら、よけいに琴音が傷ついていたはずだと思っている。
 そんな俺たちに業を煮やした雅が小声で説明してくれたのだが、琴音が、付き合っていた奴に捨てられたというのだ。とかく女にだらしない奴で、琴音のことを面白みのない女だと周囲に吹聴したらしい。そして、琴音とは男女の仲であったとも自慢げに語っているそうだ。

「誰なんだ。そいつの名前を言え、半殺しにしてやる」
 カーッとなった俺は立ち上がった。だてに剣道部の主将をしているのではない、腕っ節には自信がある。
「落ち着け勘太。そんなことをしたらお前が悪者になるだけだ。それより、もっと困らせてやろう。一生をだいなしにしてやるんだ」
 源太は運動が苦手だ。だから部活にも消極的だ。腕力勝負など源太が口にすることはないが、そのかわり知恵は回る奴だ。その源太が困らせると言うからには、並大抵のことではないのだろう。相手を退学にでも追い込むつもりなのだろうか。それとも慰謝料をふんだくるつもりだろうか。
「一生だいなしだって? そんなことができるのか?」
「頭を使え」
 遠山は俺のズボンを強く引いて、とにかく座れと促した。

「そいつに脅しをかけてやろう。心配するな、俺たちは絶対に安全な脅しだ。いいか、琴音が警察に駆け込んだらどうなる? それもな、大学合格直後とか、就職直後にだ。そいつには、いつでも強姦で訴えられると脅すんだ。そんなことになったら、学校も就職もパアになる。きっとビクビクしたまま卒業だ、卒業した後もビクビクするだろう。それで勘太の役目だけどな、琴音のSPをやってくれ」
「SPだと?」
「おまえ、琴音が好きなんだろう? だったら守ってやれよ」
 たしかに、俺は琴音に淡い恋心をいだいていた。それは中学の頃からだ。琴音とたわむれる夢を見ては夢精したこともある。だけど、あまりに親しすぎた。それに、男女交際について、俺は臆病だ。いくら本気で誘ったにしても、相手が受け入れてくれなければ恥ずかしい思いをする。妙な自尊心がそれを許さないのだ。だから、言い出せぬまま今になっていた。

「ちょっとぉ、二人とも琴音のこと考えてる? なにを二人で盛り上がってるの、まったく。とりあえず今日はこれで帰るけど、勘太、あんたはしばらく残って琴音についててあげて。それで、毎朝琴音を迎えにくるの。琴音も、勘太が来るまで家で待つ。勘太の部活が終わるまで待ってる。いいね!」

 それから琴音は、しょっちゅう俺のそばにいるようになった。不安げに俺の上着をいつも握って、まるで小学生に逆戻りしたようだった。
 そうこうするうちに手をつなぐようになり、迎えた冬休みに、俺は琴音と結ばれた。ぎこちない交わりだった。


 雅も似たようなことでふさぎこんだ。元気者の雅が、正月だというのに琴音のところに居座ってしまったのである。俺と琴音は、体を交えたことで情がこまやかになっていた。いつも一緒にいたいと思っていた。そこへ雅がおしかけてきたのだが、顔色が優れないし、話をしても生返事である。
 こんどは琴音の出番であった。長い時間をかけて雅の口をほぐしてみると、品性のない女だと言いふらされたことを気に病んでいるらしい。決してそんなことはない。雅は元気なだけで、荒っぽくもなければ場違いな冗談も言わない。きちんと場の空気を読める奴なのだ。
「源太、雅の係はお前だからな。腕っ節ならいつでも貸すけど、雅だけはいかん。あいつは天敵だ。それに、俺は琴音で手一杯だ」
 悪気などは微塵もない、正直な気持ちだった。琴音との秘密の行為を覚えた俺は、他の生徒など目に入らぬくらい琴音に夢中になっていた。一回ごとに大胆さを身につける琴音。それに対して、俺はただガムシャラなだけだった。
 考えてみれば、俺の一言が幼馴染四人の結束を決定づけたのかもしれない。


「ねえ勘太ぁ、雅きれいになったよ。どうしてだろう」
 新入生を迎える直前だったか、雅の微妙な変化に琴音が気付いたのだった。勝気な雅が、恥らうような、甘えるような仕草を源太だけにみせるようになっていたのだ。源太がどうやって雅の心を解きほぐしたのかは俺も琴音も知らない。ただ、俺たちのように幼い頃から惹かれていたのだろうと、今にして思うだけだ。
「あいつら、さては助平なことをおぼえたな」
 月に一度くらいのペースで体を重ねていた俺は、先輩風をふかせてにんまりしたものだ。そのとき決まって、琴音は満面の笑みを花咲かせながら俺の脚を踏みつけたものだった。


 前置きが長くなってしまったが、俺たち四人は幼馴染であると同時に、互いに将来の伴侶なのだ。その四人が、うきうきと鹿児島に降り立った。開業間もない新幹線の旅である。源太の恩師が亡くなって丸六年、その七回忌にあわせてやってきたのだ。もちろん法要に参列するのが目的の第一だが、ついでに甑島での夏休みをすることが目的だった。

 四人がワイワイと出口へ移動する。当然のように、案内役は源太だ。それに続いて、俺も切符を自動機に挿し入れた。と、源太が通り抜けたとたんにゲートがパタンと閉じてしまい、あろうことかキンコンとチャイムまで鳴りだした。隣でも、雅が通過できたというのに、琴音が俺と同じめに遭っている。
 駅員は、同じ不具合がほぼ同時に起こったことに首をかしげていた。

 源太は、俺たちを城山にある観光ホテルに案内した。どうやら法要に参列する予定を変更して、挨拶だけで済ますことにしたようだ。それなら雅が同伴しても迷惑にならないだろうし、夕食までにホテルへ帰ることができるそうだ。雅も当然のようについてゆくことになった。残された俺と琴音は、ホテルの薦めのままに城山の散策にでかけた。

 異国を二人きりで歩くのは初めてのことだ。たまに遠出をしたところで、たかだか車で二時間ほどのところばかり。それに、何日も休みを合わせることも贅沢な望みだ。カレンダー通りに休日がある俺とは違い、琴音は夜勤のある交替勤務なのだ。それに、親の目を気にする必要が無いので、二人とも有頂天である。新婚旅行の予行演習のようなものだ。
 誰も知った者のいない町、見慣れぬ街路樹。通る車のナンバーさえもが、異国にいることを実感させ、俺たちは開放感を味わっていた。
 なるべく日陰を選ぶとはいえ、鹿児島の太陽は射るように暑く、ただ立っているだけで汗が玉になってあふれてくる。だというのに琴音は腕を絡めて離そうしない。それどころか、あっちへ、こっちへと眺めの良さそうなところをみつけるとぐいぐいと俺を引きずりまわすのだった。そして、やっぱり桜島の威容にみとれたのだが、行く手に人だかりをみつけた。

 青ざめて蹲っている青年を老人がみつけたようで、通行人に手助けを求めていた。若者は浅い息をして、口から涎を垂らしている。
「ちょっとごめんなさい」
 看護師ですと断った琴音が脈をとった。男物の腕時計に目を走らせながら首筋に指先を当て、あららと声を出さずに口だけを開けている。そのまま額に手を当て、目蓋を開けた。

「確かなことは言えないけど熱中症のようだよ、日陰に移しましょう。誰か缶ジュースを買ってきてください。大きいのを三本。それと、水を一本。救急車を呼んでください」
 テキパキと指示をして、青年を木陰に移した。

 琴音は、届いた缶ジュースを青年の脇に挟ませ、もう一本を太股に挟ませた。そして水の容器を開けると、ジャバジャバと服の上からかけてしまった。
「これでいくらかは回復するでしょう。救急車が着たらそう言ってください」
 あっさりしたものだ。そこまでし終えたら、興味をなくしたかのように立ち上がった。
「大丈夫なのか?」
 顔色はさほど悪くはないが、今にも腹の中味を戻しそうな表情なのは変わらない。ただ、水をかけたからか、呼吸が少し深くなったようではある。でも、そんな患者を放り出して良いのかと心配になるのが普通だろう。
「今はこれ以上できないよ、だから心配しても意味ない」
 すべきことはしたのだから、落ち着くまでは他人が関与できないという意味だろう。しかし、道具のないところでテキパキと処置できるとは、琴音は立派な看護婦だ。それを感心してみせると、琴音はエヘンと胸を張った。褒めたついでに下着が見えていたことを教えてやると、耳まで真っ赤になった。
「ちょっと、どうして教えてくれないのよ」
 目を真ん丸に見開いた琴音は、慌てて俺の後に回り込み、ぐいぐいと服を引っ張った。早くこの場を離れようというのだろう。俺がろくに向きを変えないうちに、強引に引っ張ってゆく。片方の手は、スカートの裾をしっかり押さえていた。

「おまえさぁ、看護婦になりきっていたぞ。パンツ穿いてるつもりだったろう?」
 横に並ぶなり訊ねてやると、うんと首だけ動かした。
「やっぱりな。周囲に目を配れないのがお前らしさだからな」
 立ち木の木陰に青年を寝かせたために、琴音は膝をついたり前屈みになったものだ。腿の半分以上を露出させるスカートなど、ないのと同じだった。ただ、それを詳しく話したらどうなるか、結果は目に見えている。ハイヒールのときは余計なことを言わないに限る。ホームで踏まれた痛みを二度と味わいたくはない。
「ねぇ、行こうよ。救急車きたみたいだしさぁ、恥ずかしいよ」
 遠くにサイレンが聞こえてきた。看護師であると名乗ったこともあり、まごまごしていたらいつまでも引き止められてしまうだろうことは容易に想像できる。ましてや好奇の目で見られるのは確実だろう。琴音は走ってでもその場から立ち去りたいようだった。


 翌日、俺たちは観光をしながら串木野にやってきた。今夜はここに泊まり、いよいよ明日から甑島でのバカンス。用心してはいても、ついはしゃぐのを抑えきれず、琴音に足を踏まれてしまう。だけどその琴音でさえ興奮をかくせないのか、二人きりになるといつもと違う姿をみせた。
 鹿児島ではホテルに、そして串木野では旅館に泊まった。鹿児島市から少し離れただけだというのに濃い紺色だった夜空が漆黒となり、気味悪いほどの星が出現した。それには琴音も雅も声をなくしてしまった。

 そして、潮風に吹かれて渡った島の美しさに、俺は絶句した。水も空気も、ここが日本かと信じられなくなるほど澄んでいた。
 それほど澄みきった海なら是が非でも中を覗き見したくなるものだが、残念なことに源太は泳ぎが苦手だ。泳ぎだけでなく、運動そのものが得意でない。進学から歯科医の勉強と、スポーツに興じることを我慢したツケなのだろうが、どうにかして少しでも磯で泳ぎたい俺は、強引に磯と浜の境目へ皆を連れ出した。
 海に突き出した岬には大きな岩が波に洗われている。その付け根は身長の倍以上の深みになっていた。
 ドボンと飛び込めば透明な水の中に細かな泡が霧のように広がる。おっかなびっくり水際から飛び込んでいた琴音と雅も、徐々に面白くなって高いところから飛び込んだりした。飛び込んだはずみで水着が脱げてしまうと忠告しても、一旦点った火は消すどころか、メラメラ燃え盛ってしまった。一度ならず波間にただよう水着を取りに行かされたにもかかわらず、二人は面白がって飛び込んだものだった。そうして三人がはしゃいでいる間、源太はぬるま湯のような潮溜まりに浸っているだけだった。
 泳いだ後の気だるい疲労感をものともせず、俺たちは旺盛な食欲をみせたものだ。出てくる料理の美味しいこと。特に刺身はどれを食べても甘味があり、歯ごたえがあった。
 はるか西の彼方に夕日が沈んだのは八時近かっただろうか、刺身を盛り付けてあった氷が融け、腹がふくれると疲れがでてきた。だれだったかが不覚にも漏らした欠伸を合図に、俺たちの一日が終わった。
 とはいえ、その夜も俺と琴音は睦みあった。
 二人とも日に焼けた肌がピリピリして、互いにシャワーをかけるだけで大騒ぎだ。そして水気だけを拭った二人は、西に面した窓の前に立った。遠く水平線が仄白く海と空を隔てている。やがて残照が真っ暗な空に追い払われ、点々と星が輝き出した。
 名古屋のような都会と違って空を照らす明かりのないこの島では当たり前の光景なのだろうが、真夜中でも空が明るい都会しか知らない俺には、気味悪くなるほどの星に圧倒された。じっと見とれている琴音をそのままにして、俺は部屋の明かりを消した。すると、部屋の明かりがガラスに反射して見えなかった芥子粒のような光が目にとびこんできた。
 琴音は、窓に手を差し伸べるようにしてそれに見とれていた。なにも身に纏っていないことを忘れたかのように、じっと夜空を見上げていた。星座に詳しくない俺には、こんなに多くの星を、どうつなでば星座になるのかわからなかった。そのことを呟いたのだが、琴音も惚けたように首を振るだけだ。
 やがて俺たちは、無数の星を見ながらまさぐり合った。満天の星を二人だけで独占したつもりになって、すっかり馴染んだ互いのからだを求め合っていた。

「ね、ねぇ。そろそろ子供がほしい。勘太と私の子供」
 忙しい息のなか、一度、二度身をこわばらせた琴音は、上ずったように搾り出すと、いきなり背を反らせた。
「お、おう。子供、ほしいな。けど、その前に結婚しないと」
 どんな顔で言ったのだろう。だけど照れくささなど少しもなく、当たり前の気持ちを口にしただけだ。
 言葉にならない声をあげながら、琴音が激しくかぶりを振ってしがみついてきた。
 やがて途切れがちだった声もなくなり、荒い息遣いだけになった。
 不意に琴音が俺の首っ玉にかじりついた。反らせていた背を海老のようにして俺にしがみついた。と同時に三度目のわななきに襲われ、ずいぶん長い痙攣のあと、籠めていた力が失せていった。

 そのまま俺たちは、冷房の効いた部屋の中から真っ暗な海を眺めていた。そう、上掛けも何もないベッドの上で、俺は琴音の肩を抱いている。
 フットライトの淡い明かりがぼんやりと窓に二人の裸体を映し出し、その奥は漆黒の闇しかなく、世界を創世した伊邪那岐と伊邪那美のようだ。

 ドンドンドンドン、ドドドド……
 地鳴りが突然聞こえてきた。

 まずい!
 思う間もなく大地が激しく揺れた。
 ベッドサイドに置いた飲み物やタバコが吹っ飛ぶほどの揺れである。俺は咄嗟に琴音をベッドに押し倒し、その上に覆いかぶさっていた。

 ホテルで良かったと、この時ほど感じたことはない。俺の部屋であれ琴音の部屋であれ、本棚もあれば箪笥もある。そこにテレビや小物を置いているのだから、押しつぶされても仕方ない状況だ。幸いなことに倒れてくるものがなかっただけ幸運だった。

「琴音、服を着ろ。パンツを穿けよ」
 揺れがおさまると、すぐに身支度をしようとして、はたと困った。フットライトが消えて真っ暗なのだ。部屋に入るなりシャワーを浴びたのだから、脱いだものがどこにあるのかわからない。
「馬鹿! 下着くらい忘れないよ」
 慌てて言い返す琴音も、脱いだものを手探りで探している。
「馬鹿! ズボンだ、ズボンを穿け。なかったら俺のを穿け」
 と、ベッドの下で明滅する明かりが見えた。誰からの電話かわからないが、それこそ天の助けというものだ。携帯電話をパカッと開けると、ぼんやりとした明かりが乱れた室内を照らしだした。
「勘太は?」
「着替えをもってきてる。それと、運動靴を持ってきたか?」
「荷物の中に」
「いいか、ベッドを下りるな。靴を履いてからにしろ」
 急いで琴音の携帯に発信して電話機を探し出した俺は、次々に襲う余震の合間をぬって琴音に身支度をさせた。そして、隣部屋の遠山と雅の確認にむかった。

「勘太―、かんたーー」
 琴音の叫び声がした。
 抱き合ったままうろたえている遠山と雅に身支度を言いつけて部屋に戻ると、琴音が窓の外をしきりと指差している。
 その先は真っ暗なはずなのに、妙にくっきりとした白波が、横一線に広がっていた。
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