前世持ちの憂鬱
英雄や偉人を輩出した一族や類似した環境下で誕生した人間には、稀に過去の誰かの記憶を持っていることがある。
そういう人を俗に“前世持ち”と呼ぶ。
そんな前世持ちに対し、神殿や国の偉い人たちは選ばれたゆえに役目があると言う。そして、当時を知る人間として、興味本位か学術的な意味合いでなのか、あちらこちらで質問攻めにあったりする。
平和なご時世なら精々住んでいる街で名が広まる程度なのだが、一度厄介なことがあれば過去の威光を再びと有象無象が集ったりする。
さて、そんなあまり有っても嬉しくない前世持ちなのが、私とその兄なのである。
それも厄介なことに、ただいま絶賛復活中の魔王様を倒した勇者が居た時代の偉人だったりする。
“闇を抱きし智者”
“悲劇の白き戦乙女”
そんなキャッチコピーが本の帯に付きそう、というか二つ名として付いている偉人である。
確かに思い出そうとすれば、私ではない誰かの記憶が伝記とそう大差ない形で蘇る。まあ、大分内情は違ったりするのは誤差の範囲だろう。
私としては、記憶があろうとそれを活かすだけの才などこの身には備わっていないので、黙って隠し通すつもりだった。
だが、生憎前世持ちは、神殿に仕える巫女にとっては一目見れば判別できるほどわかりやすいらしく。
兄と一緒に神殿近くを歩いているところを確保されてしまったのだった。
国どころか世界の危機だ。
現代兵器が通じない魔王という脅威は、確かにそうなのだろう。
だがしかし、記憶だけの私と兄に何が出来るだろう。
そう言えば、神殿は記憶を持った者のみが使えるという伝説の武器なるものを出してきた。
うん。確かにそんな記憶があった。
今や製造が難しい神代の武器。それならば、確かに魔王を倒すことは出来るだろう。
だけど、持ち主となる私はただの小娘。文武両道を体現している兄とて、ようやく二十歳になったばかり。
平和な時代に生まれ、碌な戦闘どころか人を殴るのも稀な人生。
サポートをするとは言われても、正直やりたくないのが本音だった。
だけど、人の良い兄は綺麗事を並べ立てる大人たちに、「平和のためならば」と武器を手にした。
兄は、その代わりに私の不参加を大人たちに承諾させたのだが、さすがに大事な兄だけを送りだすことはできず。
結局は知識の提供だけという形ではあるが、対魔王の為の組織に参加することになった。
「だから、本当はこんな状況も関係も望んでいなかったの。分かる?」
向かいに座る私を睨む女性に、何度目かわからない説明をした。
もっとも私を睨む視線の威力は一向に収まりを見せないので、理解も納得もしてはくれなかったのだろう。
「その割には?ここによく顔を出しているようだけれど?」
言葉には隠し切れない棘がある。
私とて来たくて来ているわけではない。
今私が居るのは、対魔王の為に世界各国が協力し用意した施設の一つで、武器に馴染むためのトレーニングジムだ。
私と彼女が座るテーブル席は部屋の隅にあり、中央では二人の男性が現代ではめったに見ることの出来ないファンタジーな現象を起こしている。
二人のうち黒髪で精悍な顔つきなのが、私の自慢の兄だ。
「兄さんが助言が欲しいって言うから。こうして実際に見ないことにはそれも出来ないだろう?それ以外に理由はないよ」
投げやりに返答する。
多分、遭遇すると分かっていながらもこうして実際に会えば、げんなりと気力が削がれる。
私達と同じように、目の前の彼女も中央のもう一人も前世持ちである。それも大人たちにとっては、対魔王の大本命といってもいいだろう。
“光の勇者”
“清らかなる水の聖女”
キャッチコピーはこんな感じ。
もっとも目の前の彼女には、こう言っては失礼だがあまり似あってはいない。特に“清らかな”の部分が。
生まれつきのものを悪く言うのはいけないことだ。が、彫りが深く派手な顔つきは確かに美しいのだが、化粧と仕草があいまって百歩譲っても清純には見えない。
ただ、外見に反して中身は確かに純粋なのだろう。
彼女の愛は昔も今もただ一人、勇者たる彼へと注がれている。
今までは住んでいる場所もあってか、他の前世持ちはこの施設を利用すること無く、彼女と彼の邪魔をすることはなかった。同じ境遇に立たされた二人にとって、それは親密な時間を過ごしていたことだろう。
それを邪魔するように現れた私達兄妹、とくに女である私を敵視したくなる気持ちはわからないでもない。
だが、だからと言ってこうして顔を合わす度に睨まれて、説明というか言い訳を繰り返す苦痛を味わう私の身にもなって欲しい。
ちなみに兄さんがこの施設を利用する以上、私にここを訪れないという選択肢はない。おまけに他の施設は遠すぎるから、兄さんに余所にしてくれとも言えない。
私にはどうしようもないのだ。不可抗力なのだ。
そんなうんざりとした気持ちが伝わったのだろう。
彼女の眉間に、更に深い皺が刻まれる。
「信じられないわ。前もそう言って、貴方はあの人の心を奪ったくせに!」
きつい口調だ。
だが、しかしいい加減にして欲しい。
嫌々来ている身の上で、厄介なことになりそうな人間とわざわざ親しくなろうなんてマゾ気は、私にはない。
彼女は特に顕著なようだが、前世持ちはその記憶が覚醒するのが早ければ早いほど、その自我は記憶のほうに引っ張られる。中には前世そのままに成長する人もいる。
私のように、十歳を過ぎて以降だと、それは別の誰かのただの記憶と割りきりやすいらしいし、異なった自我に成長しやすいらしいのだが。
「これも何度も言うようだけど、私の前の人は、彼にそんなことしてないから。」
親しくはあっただろうが、彼女の前世に嫉妬されるほどではないだろうに。
「嘘よ!私、はっきりと思い出せるわよ!」
そう断言されてもね。
勇者とその時代に関する伝記にも書かれているが、勇者の活躍はなにも戦闘だけではない。
聖女を始めとして数多い女性が、勇者を慕い恋こがれた。
だが、打倒魔王に燃え、禁欲的な姿勢を貫く勇者は誰の手を取ることもなく。
そんな彼の心を奪ったのは。
「あんな死に方されて、優しいあの人が、可哀想な貴方以外の誰を見れるというの!」
最後の戦いにおいて、己を庇って死んだ一人の女騎士“悲劇の白き戦乙女”だった。
確かに、その献身が決定打なのかもしれない。
しかし、私の記憶が正しければ、勇者は最初にあったその時から、彼女に惚れていたのだ。
文武両道。才色兼備。おまけに勇者として立った彼をその肩書で見ることはせず、優しく見守っていた人。
いきなりの選抜に、まだ何も覚悟が出来ていない不安な心持ちの時に、ただでさえ好みの人に好意を向けられてしまっては惚れずにはいられなかったのだろう。
だから、他の恋した女性には出会う順番が悪かったと諦めて欲しい。
と、ここまで回想して、はっとした。
「ええっと、もしかして、勘違いしてらっしゃる?」
「何よ。何を勘違いしているというの。」
苛立たしげだ。
だが、今まで私がこうまで彼女に嫌われている理由は、共通の記憶を利用して彼に近づこうとしている。そう思われているからだと、考えていたのだが。別の可能性に気づいてしまった。
「私の前世が誰かって知ってますよね?」
ここで初めて彼女にあった時には、すでに神殿の人によって連絡が来ていたようだったから、特に自己紹介などしていなかった。
だが、もしかしたらそれが間違いだったのか。
「何?誤魔化す気?あの女騎士でしょうが。」
やっぱりか!
勇者な彼が知っていたから、てっきり知っていると思っていたのに。
もしかして、私が思っていたほど二人は親密じゃなかったのか?
いや、今の二人の関係はこの際置いておいて。
それよりも訂正しないと。
「違います!そっちじゃありません!」
思わず口調が強くなる。
私の記憶の誰かは、“闇を抱きし智者”で勇者の親友。付け加えるなら男だった。
智者というか痴者って言いたくなるような変態知識の持ち主でもあって、正直直視したくない記憶だ。
「え?じゃあ……」
「“悲劇の白き戦乙女”な女騎士は、兄の方です。」
つい指を指してしまう。
その先には、一旦休息にしたのか、タオルで汗を拭く二人が談笑していた。
「……嘘」
目が丸くなっている。
記憶があるから、昔と今の兄の姿を比較してしまったのだろう。
偉丈夫な兄と、筋肉はついていたがグラマラスな女騎士とでは性別が違うからだけで済ませられないほど、外見にギャップがある。
私にとっては、今更なギャップだが。
「だから、私にばかり絡んでいたんですね……」
呆然としている彼女には悪いが、思わず舌打ちをしたくなる。
今が男だから、兄は敵視されていないのだと思っていたのだが。
これは厄介なことになったか?
嫌な予感は、的中してこそ予感となる。
案の定、“聖女”の嫉妬の対象は、私から兄へと移った。“聖女”の記憶が強いのだろう彼女にとって、“智者”は敵にならないのだろう。
前世持ちの中には、記憶の持ち主と自分を同一視してしまう者の方が多いそうだ。多分彼女もそうだ。だから、余計に私と“智者”を切り離して考えようとも思いつかないのだろう。
しかも、オンナスキーのオッパイスキーだったからね。今も昔も“勇者”として凛々しい青年を巡る女の戦いに参加するはずがないと思われている。
まあ、実際に“勇者”を“智者”の記憶のせいで、そんな目で見られないので考えは当たっているのだが。
「貴方からも何とかしなさい!男同士でとか、お兄さんがそうなるのは貴方も嫌でしょう?」
今日も兄とともに施設に来れば、まるで待ち合わせていたかのように彼女たちが居た。
そして、訓練を始める兄たちを観戦する形で、以前と同じように彼女と二人席につく。
前はこうして二人だけになれば、睨まれていたのだが、今はこうして一方的に彼女の相談というか命令を聞き流している。
彼女の言い分だけ聞くと、まるで兄が彼をたぶらかそうとしているかのようだ。
だが少し待って欲しい。
確かに、こうして訓練の回数が重なっていくごとに、兄と彼は確かに仲良くなっている。
それは対魔王として考えれば良いことだろう。
「そうは言ってもなぁ」
視線の先、兄と会話する彼の姿がある。
再び“勇者”として立つことを期待され、それを受け止めようとしている彼は凛々しい。訓練も真摯にこなし、兄の助言も素直に聞いている。
こうして招集される前は、プロのスポーツ選手を目指していたらしい。
“勇者”として戦場に赴く以上、その夢は潰えたともいえる。その心情はつらいものがあるだろう。
だが、兄と会話している今、その瞳は柔和で嬉しげだ。
「何が言いたいの?」
「あ。いや別に。」
思わず漏れた独り言に反応され、むにゃむにゃと口ごもる。
彼に恋する乙女たる彼女には、はっきり言ってはいけないだろう。
私は、あの彼の表情を知っているなどと。
言ってしまえば、彼女の嫉妬は強くなるだろうし、兄にも迷惑を掛ける。
きっと記憶からくる一時の気の迷いだ。そうに違いない。
昔、恋を自覚していない頃の“勇者”が“戦乙女”に向けたのと同じだなんて。
下手に彼を問いただして、兄に恋されても困る。
まったく。
世界の存亡よりも今、目の前の修羅場の予兆に、ものすごく気が滅入る。
この憂いだけは、今と昔の私の共通な思いなのが一層辛い。
嫌な共通点だ。