無名ホテル(2)
「先ず第一にここは何というホテルなんだ? ここがホテルだ何て知らなかったよ」
「名前なんか無いわ。昔風に言うと売春宿なんだって。あたし達はただホテルとか言ってるけど、先輩の人達は、
『無名ホテル』なんて格好付けて言ってる」
「無名ホテル? ははは、ちょっと洒落た言い方だな。でも何処にも表示が無いし、何とか商事とかの看板があった様な気がしたけど」
「それは別の会社の看板だと思うわ。……それじゃ良く分からなくて入って来たんだ」
「まあ、そういうことだな」
光輝はあゆみが警戒して、何も言わないのではないかと心配していたのだが、かなりのお喋り屋さんの様なので助かったと思った。
「以前はそういう人はお断りしてたんだけど、客の入りが悪いから、入って来た人はマスターが身分証で確認して、怪しくない人だけ受け付ける事にしてるのよ」
「へえ、普通の風俗だと、名前とか住所とかは調べないのに、ここはちょっと変わってるね。お客が嫌がらないのかな?」
ちょっと首を傾げた。
「ここはだってほら、非合法でしょう? あたしはまだ十六なんだし。本番ありは普通認められないでしょう? それに未成年の人にタバコやお酒を勧めたりするし」
あゆみは声を潜めて言った。
「ふうん、成る程ねえ。それでマスターがフロントに立っていて、怪しいかどうか確認しているんだ」
「うん。あの、お客さん、警察の人じゃないよね? スパイとかでもないわよね。警察とかにチクられるとあたし凄く困るんだけど」
あゆみは本当に困った様に顔をしかめて見せた。
光輝は話し易くする為に、警察とは関係ないことをさらりと言う事にした。
「ああ、俺は学生だから、警察とは特に関係ないよ。話は聞えてなかったのかな、割戸学園高校の三年A組だって言ったと思うけど」
「勿論、フロントの声は部屋に筒抜けになっているけど、半信半疑だったのよ。3Aの男の人っていうと、今は誰もいないって聞いてたし。
それについ、以前良くここに来ていた、香林っていうイケメンの人を思い出すのよね。週に一、二回は必ず来てたわ」
「こ、香林! ここに来ていたんだ!」
光輝は噂のハンサムボーイ、香林薫の正体がやっと見えて来た気がした。
「香林君の事知ってるの?」
「噂に良く出て来るからね。直接会った事は無いけど」
「お金持ちで、ハンサムで、すっごく嫌な奴!」
あゆみは吐き捨てる様に言った。
如何にも不愉快そうに言うので、少し間を置いてから声を掛けた。
「嫌な奴なのか?」
「うん、傲慢の塊みたいな男だった。何時も私達を見下していたわ。だったら来なきゃ良いのに。あたしじゃ無いんだけど、ここの誰かがミルクさんにチクッたらしいのよ。良い気味だわ。
あたしも一度抱かれた事があるんだけど、この街の女王様がもうじき俺のものになるって、自慢気に何度も何度も言ってた。
あたしだって一応女なのよ、そんな事をたらたら自慢されたら面白くないよ。それに自分はお金持ちで、頭が良くて、その上、顔も良い。パーフェクトな男だって言ってたわ。
それであたしに言ったの。『俺の奴隷になれ! そうすれば一生面倒を見てやる』って、マジ顔で言ったのよ。『馬鹿馬鹿しい! どうして私があんたなんかの奴隷にならなきゃならないの!』って怒鳴りたかったんだけど、『もう、冗談ばっかり!』で終ったのが悔しくて悔しくて! ほんっとに、もう!!」
あゆみは段々激高して来て、光輝に食って掛からんばかりだった。
「わ、分かった。分かったから。……それでその香林薫って奴はミルクさんに殴られたんだろうね、きっと」
あゆみの興奮を鎮める為になるべく穏やかに言った。
「あ、ああ、ご、御免なさい。あたしこれが悪い癖なのよ。直ぐカッとなるの。マスターにも注意されてるんだけど、なかなか直らないのよ。
その、ミルクさんに殴られたかどうかまでは分からないけど、それからぱったりここに来なくなったわ。そのうち海外に留学したって噂が流れて来たのよ。
念の為に、あたし先輩にそれと無く電話で聞いてみた事があったんだ。その先輩と言うのはここの人じゃなくて、あたしの不良時代の先輩の事なんだけど。ハルカって言うんだけど、同じクラスだよね?」
「えっ! ハ、ハルカって、青空ハルカの事だよな」
光輝は意外な繋がりに驚いたし、冷や汗も掻いた。
『ハルカがもしもあゆみちゃんと俺がこんな事をしていることに気が付いたら拙いぞ。それこそカッとなるかも知れない』
「ハルカ先輩と、お客さんと何かあるんですか?」
光輝の態度が急に変わったので、あゆみは勘を働かせた。
「まあ、友達以上の関係って奴だな」
言葉を詰まらせながらやっとそれだけ言った。
「えっ! と、友達以上ですか! 大変だっ! 先輩はちょっと怖いですから。前に先輩の彼氏に手を出した女子をボコボコにした事があって、その女子、今は車椅子なんですよ!」
「車椅子! 歩けなくなったのか?」
「はい、その女子は、先輩と顔を会わせるのが怖くて、遠くに引っ越しちゃいましたけど、私はそうなりたくないです。あ、あのう、済みませんけど帰って下さい。
私の事は絶対内緒にして下さい。それとこれは、営業的には凄く拙いんですけど、二度と来ないで下さい。お願いします。ううううっ、……」
余程ハルカが怖いのだろう。話をしているうちにあゆみは泣出してしまった。
『ハルカは彼氏には優しくても、恋敵には誰であろうと情け容赦しないのか! この女子の怯え様はただ事じゃない。ああ〜、お子様クラブに付いて聞きたかったんだけど、これじゃちょっと聞けないな。いや、一言だけでも!』
最後の一言に賭けてみた。
「ああ、分かった。直ぐ帰るけど一つだけ、『お子様クラブ』って知ってるか?」
「お子様クラブ? ああ、なんか聞いた様な気がするけど、良く分からないわ。とにかく早く帰ってよ!」
あゆみは遂に怒り出した。
『もうこれ以上は駄目だな、さよならあゆみちゃん!』
心の中だけで別れを告げて、部屋を出た。普通は送って来るのだろうが、ハルカの影に怯えているのか、あゆみはベットから立ち上がろうとはしなかった。
「あれ? お客さん、あゆみちゃんはどうしました?」
フロントの前に来ると、怪訝そうな顔でマスターが言った。
「それがその、立てないらしいんですよ。何か怖がっていて……」
「ちょっと、お待ち下さい。それはどういうことでしょうか!」
マスターの顔は急に裏家業の凄みのある顔に変わった。 |