夢見ココの事情(4)
ココと光輝の乗った乗用車が見えなくなって、ミルクは館の中に戻った。
「もう良いわよ。舞ちゃん」
館の中でも特にごく少数の者しか入れない『ミルクの部屋』に入ると、朝日奈舞はまだそこにいた。
「済みません、うっかりしていました」
「ちゃんと処置して置かなきゃ駄目じゃないの」
「今後この様な事が無いように気を付けます」
舞の顔にはあのブツブツは無かった。
「ココさんがトップアイドルなんかにならなかったら、そんな細工なんて必要なかったのに、彼女が目立てば、当然彼女の友人として貴方は脚光を浴びるわ。
正直言って貴方はココさんより数段綺麗だから、マスコミがほって置かないわよ。でも貴方には私を守る義務がある。目立ってしまっては私を守れないでしょう?」
「はい、だから醜化粧をして、目立たなくする方法は見事に成功しました。ミルクさんのお陰で私は朝日奈一族を守ることが出来ています」
「でも、それは絶対の秘密の筈よ。特にココさんの前では朝日奈村の話はして欲しくなかったわね、何度も言う様で申し訳無いんだけど。でもこの頃貴方何か変よ? ひょっとして誰か好きな人が出来たんじゃないの、例えば小寺井さんとか」
「いいえ、それは、……有り得ません」
舞の苦しげな否定の仕方から、ミルクは彼女が光輝を相当に好きになっているらしいことを悟った。しかしミルクもまた光輝の事が気になって仕方が無かったのだ。
『相変わらずミステリアスなのよね、光輝さんて。比べたくも無いけど香林薫なんかとは月とすっぽんの違いだわね……』
再び醜化粧をした舞をリムジンで送り出した後、ミルクは一人展望室でこうこうと輝く月を無心に眺めていた。
光輝とココとを乗せた洒落た赤い乗用車は中山マンションに向かって、比較的ゆっくり走っていた。ゆっくり走ることを密かにココは指示していたのである。
「今、思いついたんだけど、舞さん、車で帰ったのかな?」
「えっ、どういうこと?」
「いや、何時ものリムジンがあったからさ」
「ふふふ、ミルクの館に何台車があると思っているの?」
「ああ、そうか、そうだよね、はははは……」
光輝は一家に車は一台という庶民的発想から抜け出せない自分に苦笑した。
「何か女の子っぽい室内装飾ですね。フリルとかハートのマークとか一杯付けてあって。ちょっと珍しくて楽しいです。ピンクのレースのカーテンも洒落ていて良いですね」
甘い車用の香水の匂いに少しくらくらし始めながらも、気持ちを切り替えて、そう言って大いに褒めた。
「あ、有難う。嬉しいわ!」
ココは大好きな光輝を独占出来たみたいな気がして、かなりはしゃいでいた。しかし前の座席の助手席に乗っている男のマネージャーが、後ろを振り向いて水を差す。
「ココちゃん! 今売り出し中の男優さんを断ってまで、推薦した人と言うのはその男ですか!」
「ちょっと、何よ、その言い方!」
ココはかなりきつい調子で言った。しかしマネージャーも引っ込んではいない。
「あのね、ココちゃん、そういう事もあろうかと、オーデション仕込んで置きましたからね!」
「な、何の事?」
「申し訳無いんだけど、そちらの誰でしたっけ?」
「小寺井光輝さんよ」
「そうそう、その光輝さんを、ココちゃんが幾らお気に入りでも、誰も知らないんだよ。他のスタッフを説得出来ないよ。それは分かるよね?」
マネージャーも必死である。
「それはそうだけど。でもかなり濃厚なラブシーンがあるのでしょう? 他の人じゃ嫌よ。映画だったら我慢するけど、プロモーションビデオじゃ嫌!」
ココはそう言いながら光輝にちょっと寄り掛って行った。最初は無造作に耐えた。しかし車の中の甘味な香は光輝の心を少しずつ和らげつつあった。
『奇麗な手だったし、歌も踊りもとても上手だし、それなりに悩みを抱えている様だしね……、それに綾姫とは別れてしまったし、俺の命だって今年中に消え去るかも知れないし……』
そういう思いが光輝の心を揺さぶっていた。ココの心を少しずつ受け入れ始めていたのだった。
「でもね、皆さんを説得する為に、オーデション募集は明日の新聞に結構大きく広告出しましたからね」
「じゃあ、光輝さんを見捨てるの!」
「いいえ、話しは最後まで聞いて下さい。最終選考に十名残します。でもその中に、ええと、その、そちらの人を入れます。必ず入れます。
それなら良いでしょう。それが限度です。その十名から色んな試験をして一人ずつ落として行って、最後の三人で決選投票という事になります。
審査員はココちゃんと、監督と総合プロデューサー、作詞、作曲の先生と編曲の先生。全部で五人で決定して貰います。それでその模様は後日テレビ放映します。
優勝者はプロモーションビデオに出演する資格と、旅費、宿泊費、食費の他に、お小遣いとして十万円のギャラを出します。もう決定しましたからね。ココちゃん、これが限度だからね。譲れないよ!」
マネージャーはココに付入る隙を与えなかった。
「私に無断でそんな事を決められても、納得行きません。光輝さん以外の人が優勝しても私は、その人とは撮影に協力出来ません」
ココも相当頑固である。沈黙していた光輝が口を開いた。
「俺が優勝すれば良い訳ですよね。まあ、頑張ってみるけど、駄目だったらココちゃん、ああ、ちゃん付けでいいのかな? 兎に角やるだけやってみるよ。もしどうしても駄目だったら、ココちゃん引退すれば?」
「えっ! 引退! 引退かぁ……」
「ば、ば、馬鹿な事を言わないで下さい! 引退だなんて縁起でもない!」
マネージャーは激怒した。
「でもね、ココさんは自分の体は自分のものだと思っている。そう思っている限り、女優にはなれないんじゃないのかな?
女優でも男優でも俳優の体は半分は自分のものでも、半分は他人のもの、つまり観客のものなんじゃないのかな? それが出来ないんだったら、俳優にはなれないんだから、引退するしかないよ」
光輝の奇妙な言い方は何と無くマネージャーを納得させた。ココは考え込んだ。
「分かったわ。葦木さん、言う通りにする。光輝さんを最終選考に残して、フェアに試験をしてそれで、もし光輝さんが落ちたんだったら、他の人でも我慢するわ。それで良いのよね」
「はーっ! そうです。フェアにやります。絶対フェアにやりますから引退なんて言わないで下さいよ」
マネージャーは一安心したようだった。
「じゃあ、暫く後ろを見ないでいて頂戴。お願いね」
「あ、は、はい」
頻繁に後ろを見ていたマネージャーは、慌てて前を見た。
ココは悲しげな顔で光輝を見詰めながら、やがて目を閉じ、ゆっくりと唇を光輝に寄せて行った。光輝は暫く躊躇ったが、
『あの傲慢なココちゃんにしては本当に良く頑張ったよな。うーむ、そうだな、……よし、ご褒美のキスということにしよう』
自分自身にそう言い聞かせてキスに応じた。キスは中山マンションに着くまでの間続けられた。濃厚ではあったが時間の切迫した切ないキスでもあった。
マンションに着いて、光輝は車を降りたが、
「じゃあ、また来週まで、さよなら!」
「じゃ、じゃあ、また、ううううっ!」
光輝は複雑な顔で、ココは泣き顔で別れを告げた。ビルの谷間から明るく丸い月がじっと二人を見詰めていた。 |