音痴の作曲家(3)
光輝は女性達が汚れた空の容器を片付ける間、音楽室のピアノの近くの椅子に一人座って待っていた。自分も手伝うと言ったのだが、
「先生は黙って椅子に座っていて下さい。かえって邪魔になります」
と、舞に言われていうことを聞くことにした。
階段から一番離れた位置に、大きなグランドピアノが置いてある。
『立派なグランドピアノだな。しかしどうやって運び込んだんだろう? 足はねじ式になって取り外し出来るとしても、本体は階段の幅より広そうだけどな』
そんなことを考えているうちに思ったより早く三人はやって来た。
「早かったな。もう少し洗うのに時間が掛ると思ったんだけど」
「ふふふふ、誰も洗っていません。食器洗い機があるんです。商売柄私は手を荒れさせる訳には参りませんから」
ココは自慢の綺麗な手を広げて、裏表を回転させ、光輝の直ぐ目の前で見せびらかした。
「ああ、本当に綺麗な手だね。これだったら手タレさんにだってなれる」
今までココの手なぞ殆ど見た事も無いし、気に掛けた事も無かったのだが、目の前で見る彼女の手は確かに綺麗だった。
「うふふふ、そうでしょう。キスしても、いいえ、な、なんでもありません」
ココは手にキスしても良いと言いたかったのだが、ミルクの視線を感じて止めた。
「一つ聞いても良いかな」
「どうぞ、何でしょうか」
光輝の問い掛けに、ミルクはココとの事もあって幾分神経質になっている様だったが、勤めて平静そうに言った。
「このグランドピアノはどうやってここに運び込んだんだろう。階段の幅より広いと思うけど」
「うふふふ、そんな事なら簡単だわ。分解してここに運び込んでから中で組み立て直したのよ。勿論専門の業者さんに頼んだのですけど」
ミルクはほっとして答えた。いつぞやのブラックホールの時の様な難問をぶつけられると思っていたのだった。
「ああ、分かってしまえば簡単なことだったんですね。ピアノは分解出来るんだ」
「物が大きいですから、そうでないと運ぶのが大変ですから。勿論すっかりバラバラじゃなくてパートに分けるんですけどね」
「はははは、そうだったんだ。……さて疑問が解けたところで、今日の俺の授業の進め方なんだけど、ミルクさん、音楽会で発表する為の作品を作りたいということでしたよね」
「ええ、その積りですが」
「ピアノ曲ですか? それとも声楽曲なのかな? クラシック系に限るのか、それともポップスやまさかと思うけど演歌だったりは……」
「ふふふ、さすがに演歌は無いと思うけど、特に決まりは無いわ。唯一あるとすれば時間制限位かしらね。それと当然のことだけど、下品な歌詞なんかは駄目ですわ」
ココは実に滑らかに答えた。予め準備していた答えの様な感じだった。
「時間制限というのは?」
「原則一グループ八分です。大勢集まるので皆に作品発表のチャンスを与える為にそうしているんです」
今度はすかさずミルクが答えた。
「一つのグループで一曲なんですか?」
「持ち時間の中であれば何曲でも良いんです。グループの入れ替えの時間を二分と見て、毎回二十組位ずつ発表します。終了までに大体四時間位かかります。
特に順位は付けませんけど、評判の良かった曲には優秀賞が与えられます。優秀賞の作品は記録に残るんです。決定は皆で投票して決めるんですけど、自分達の作品には投票出来ません。
私達の作品はまだ一度も優秀賞を貰った事がありません。何とか高校在学中に一度でも賞を取ってみたいのですけど……」
ミルクの言い方は段々落ち込む様に感じられた。
「だけど俺が入っても良いのかな。俺はグループの一員じゃないぞ」
「ふふふ、ご心配無く。今日から小寺井さんは私達のグループの一員ですわ。それなら問題無いでしょう?」
相変わらずココはすばしっこく言ってのける。
「ええっ! い、良いのかな、俺は歌ったりは出来ないと思うけど。演奏も駄目だし、勿論指揮も出来やしないし……」
「何の問題もありません。体調が悪いからとか言って、見ているだけの人なら他のグループでも沢山いますから」
何故か緊張感の高まっているミルクに代わって舞が説明した。
「ああ、そうなんだ。一つ聞き忘れていたけど、グループの名前は?」
「昨日までは、『お嬢様同盟』、今日からは『お嬢様同盟+α(プラスアルファ)』になりました」
舞が恥かしげも無く、すらすら答えた。
「あああ、お嬢様同盟と言うのは、音楽グループの名前だったんだ。+α、ですか……」
光輝はちょっとクラクラ来た。
『お嬢様同盟と言う言葉自体俺には抵抗があるけど、それにくっ付いている俺は一体何だと思われるかな……』
光輝には自分が何だかお嬢様達に飼われている、ペットの様なイメージが浮かんだ。少なくとも嬉しくは無い。
光輝の表情から察するものがあって、沈黙気味のミルクが、
「+αと言っても、付け足しではありません。+αこそが主役なのだと、グループ紹介の欄に書く積りですから」
と言った。しかし顔色はやや青ざめている。
「さてと、それじゃあ、いよいよ始めよう。先ずテーマを決めないとね。それであのう、器楽曲にするんですか。それとも伴奏と声楽を入れるのか、アカペラ、つまり伴奏無しの声楽だけにするのか。それと作詞もするんですか? 八月末が発表会だとすると、余り時間が無いけどどうします?」
光輝は現実的な話から入った。しかしお嬢様同盟の三人は顔を見合わせるだけで、具体的な提案が全く無かった。
「ああ、そうそう、とても大事な事を言い忘れていた。ミルクさんのピアノを俺は聞いたことが無いので、一曲弾いて貰えませんか?」
ミルクは更に顔面蒼白になった。
「はい。あ、あの、な、何を弾きましょうか?」
ミルクはこの瞬間を恐れていた様である。
「ええと、そうだな。ミルクさん今まで曲を作ったことがある?」
「ええ、二、三曲ですけど。でも余り自信が……」
「一番自信のある奴を弾いて貰えれば良いんですけど。作った曲は発表したんですか?」
「発表なんてとても。今までやって来たのは有名な曲のアレンジばっかりで、純然としたオリジナル曲は無いんです」
「だったらかえって都合が良い。ミルクさんの曲が良ければそのままで良いし、失礼だけどイマイチだったら、それこそアレンジするとか、詞を付けて歌にするとかすれば良いんじゃないかな?」
光輝も本当はついさっきまで少々緊張気味だったのだが、自分以上にミルクが緊張してくれているので、逆に気分が楽になったのだった。
ミルクがぐずぐずしているので光輝は今度はココと舞に話し始めた。
「ところで、お二人はどういう役割なんですか?」
「ミルクさんのアレンジした曲に適当に詞を付けて、歌っていました」
ココは何とも滑らかにものを言う。舞はやや苦しげに話し出した。
「優秀賞なんかには程遠かったです。結構本番でもとちりましたし……」
「そりゃしょうがないよ。プロだって間違えることがあるんだから」
光輝がミルクに、
「間違えても大丈夫だから、弾いてみなよ。どうせ俺は音痴なんだし、分かりゃしないよ!」
と、まるで他人事のように言ったので、ふっと肩の力が抜けたのか、やっとピアノに向かって座り、弾き始めた。 |