中柳量子の話(3)
「さっきもちょっと言いましたけど、父の駄菓子屋は十年位前に駄目になりました。それだけだったら良かったんですけど、それが元で、父と母は何時も喧嘩ばかりしていました。へへっ、そのとばっちりが私に来ました。
私は余り面倒をみて貰えなくなっちゃったんです。借金だらけでお金が無くて、食うや食わずの生活でしたから、私は栄養失調になって、発育不全になりました。その結果がこの貧弱な体なんです」
光輝は聞いていて胸が詰まった。
「そうだったのか。うーむ、なんて言ったら良いのか……」
「ああ、別に同情して貰おうとは思いません。今は随分回復しましたから。ただ私が怖かったのは、この割戸シティの学校の校風です。いいえ、この街全体の風潮が怖かった」
「割戸シティの風潮?」
「はい、他の街とはちょっと違う風潮かも知れません」
光輝は綾姫も、『この街は他の街とは違う』と言っていた事を思い出していた。
「どんな風に違うんだろう? 余り良く分からないんだけどね。綾姫さんもそんな様な事を言っていたと思うけどね」
「あ、綾姫さんの事は余り言わないで下さい」
「えっ! ど、どうして、かな?」
光輝には量子の気持ちが掴めなかった。
「あ、な、何でもありません。……兎に角、私の栄養失調の状態は、二人が別れて間も無く解消しました。母一人子一人になると、母は、再び私の面倒を良く見るようになったからです。
この家と土地は私の曽祖父が購入したものでした。古くなった家を父が借金して大幅に改築して駄菓子屋にしたんです。
結局それを売り払って、借金の一部は返済出来ましたが、まだかなりの借金が残っています。それで父は行方不明になって、何とか凌いでいます。私達母子も一時的にアパートに引っ越しました」
「どうしてここに戻って来れたんだろうね?」
「ここを買ったのが、割戸大造さんでした。ミルクさんのお祖父さんの」
「へえーっ、それで?」
「大造さんは本当に良い人で、事情を知って私達に格安の家賃でここを提供してくれたんです」
光輝は割戸大造がなかなかの人物であるか、或いはもっと別の思惑のある恐ろしく腹黒い男かのどっちかだろうと思った。
「それでさっきの話に戻るんですけど、小学校に入ってから間も無く私にも分かりました。学校に限らずこの街では一般に何かに秀でた者は優遇されるけど、そうでない者は、冷遇される、つまり苛められる事を知りました。
私はスポーツは何をやってもクラスで一番びりでしたから、勉強するより他に、苛めから逃れる方法が無かったんです。
スポーツではダントツの最下位だから、勉強はダントツのトップで無いと苛められそうだったので、死に物狂いになって勉強しました。
それともう一つ、母は幾つもパートをやって稼いでいますから、大抵夜遅く帰って来ます。私は母が帰って来るまで、勉強する習慣が付いてしまったんです」
「でも小学生には辛い事だったろう? 眠かったんじゃないのか?」
光輝は同情心で一杯になりながら、静かに聞いた。
「怖かった……」
「怖かった?」
「はい。ひょっとすると母はもう帰って来ないんじゃないかと思うと、怖くて眠れなかった。鍵を開けて、母が部屋に入って来る足音が聞こえると、それでやっと安心して眠れたんです」
「うーむ、俺の人生も結構厳しいけど、量子さんの場合も、随分厳しいんだな……」
光輝は目頭を熱くしながらそう言った。
「それで、気が付いてみたら、本当に学年でダントツのトップになっていました。お陰で私は苛められる事が無かったのですが……」
「苛められなかったんだったら、それで良かったんじゃないのか?」
「ええ、その点は良かったんだけど、周囲が天才だと騒ぎ出したんです」
「ああーっ、そうか、それが嫌だったのかな?」
「いいえ、私は逆上せ上ってしまった。馬鹿だったんです。小学校を卒業すると、私は飛び級して、中学二年に編入されました。
中学の時にもダントツのトップの成績だったので、中学を卒業して、割戸学園高校の二年A組に編入されたんです」
「へえーっ! 兎に角凄いな!」
光輝は本当に尊敬の念で言った。
「ところが、もう小寺井さんも分かっていると思いますが、割戸学園高校のA組はモンスター組等と言われる恐ろしい所でした」
「ああ、はははは、確かにとんでもないクラスだ。全国のトップクラスが集結しているような、まあ、確かにモンスター組だな」
「そうなんです。中学の時までは私はオールマイティでした。全ての科目がトップテンに入っていました。特に数学は良かったのですが、その他の科目も良く出来たので、自分は天才だって自惚れてしまったんです」
光輝は段々量子の言わんとすることが飲み込めて来た。
「でもA組に入って愕然としました。私が他の人より勝るのは数学だけで、他の科目は随分見劣りするんです。天才だなんていう自惚れは吹き飛んでしまいました。
だけど周囲の人は相変わらず私を数学の天才と呼んでいます。その数学だって怪しいのです。確かに高校の数学なら満点を取る自信があります。でもそこまでなんです。
割戸学園大学に入る積りなのですが、入ってからが不安なんです。大学の数学は桁違いです。正直言って自信がありません。
そんな時にとんでもない人が私の目の前に現れました。ブラックホールが自分自身を飲み込む、そんな発想は聞いた事がありません。
正しいかどうかは別として、ユニークな発想に痺れました。小寺井さん、勿論貴方の事です」
「ええっ! で、でも、特に表情を変えた様子も無かったので気が付かなかったけどね……」
「はい、女は素知らぬ振りをするものなんです。でも女にはそれが分かる。三年A組の全員が貴方のことを好きになっています」
「ま、まさか。それに、中本亜美さんは違うでしょう?」
「いいえ、彼女も小寺井さんの事を好きだと思います」
「ど、どうして? 全然そんな風には見えないぞ」
「あのスカートを翻したのは、絶対わざとです。急いでいる振りをして、急に立ち上がったのは、貴方に下着姿を見せたかったからなんです」
「偶然だと思ったけどな」
「だって、彼女にはジーンズのズボンもあるんですよ。どういう訳か、転校生が来ると分かると、あの短いスカートを穿いてくるんです」
「えええっ! だけどそれは俺が好きとかじゃなくて、言い難いけど、誰であっても兎に角、男性に好かれようとか思っているんじゃないのか?」
「少し違います。何時もなら、数日置きにスカートとズボンを交互に穿くのに、小寺井さんが来てからは、ずっとあの超ミニスカートのままなんですから」
「うーむ、どうなんだろうねえ……」
光輝は考え込んでしまった。 |