御殿(1)
「詳しい事はアタシにも分からないけど、警備上の問題なんじゃないか?」
「成る程ねえ、そういえば、出入りのチェックが厳しいし、防犯カメラみたいなのがあちこちに付けてあるものな」
光輝は一応納得した。
「アタシがミルクさんのボディガードでも、それは学校内だけの話だし、アタシの両親が働いていても、ミルクの館に自由に出入りは出来ないんだからな」
「中山マンションみたいだな。あそこもチェックが相当に厳しくて、ちょっと外泊し辛いんだよ。別に違反じゃ無いんだけど、ガードマンの人の目があるから、何と無く気が引けてね」
「何だそれでミルクの館に泊まらなかったのか?」
「美味しいご馳走があるから、本当は泊まりたかったんだけど、ちょっとね」
「色気より食い気か。あーあ、ミルクが聞いたらがっかりするだろうな」
「ははは、言うなよな」
「あい、あい!」
ハルカとすっかり打ち解けた話が出来たところで、車はハルカのアパートの前に着いた。
「じゃあな、ここのアパートは出入り自由だから、光輝だったらいつでも大歓迎だぞ。今だって良いんだけどな……」
「はははは、今日は遠慮しておくよ。じゃあね」
「うん、バイバイ!」
車は一、二分で中山マンションに着いた。
「どうも有り難う御座いました。皆さんに宜しく」
「はい。では、失礼致します」
運転手は礼儀正しく頭を下げてミルクの館に帰って行った。郵便受けにあった、組織からのコインロッカーの幾つかの鍵を手に入れてから、光輝が自室に戻ったのは午後十時頃だった。
「ふうむ、色々な事があったな。ああ、しかし今日は疲れた。全部明日にしよう」
光輝は精神的な疲労を覚えて、目覚ましだけセットして、直ぐ眠ってしまった。
翌朝は午前五時に起きた。
『今日は午後三時に綾姫が迎えに来るんだよな。それまでに色々やっておかないと』
光輝はカップ麺を作って、朝食をあっさり済ませると、直ぐ組織への報告書を作った。今回は長い報告書だったので、昼近くまで掛った。一旦外出して手紙を出し終わると今度は勉強である。
『ふう、少しでもやっておかないと。しかし腹が減った。カップ麺の連荘で行くか。今夜、綾姫のところでご馳走になれば、栄養の偏りは一応解消されるだろう。
うーん、少し甘え過ぎかな? あーあ、自分が普通の日本人だったら、綾姫と結婚して……、いや、普通の日本人だったら、そもそもこんな所にはいないよな。馬鹿なことを考えるのは止めよう』
光輝は一瞬甘い夢に浸り掛けたが、直ぐその思いを振り切って、勉強を始めた。
午後三時少し前に、光輝は何種類かの教科書とノートや文房具等を入れた、黒いバックを持って、マンションの玄関先で綾姫を待っていた。
午後三時を少し過ぎた辺りで、綾姫を乗せた何時もの高級外車がやって来た。ミルクの方とは違って、こっちの運転手は何時も同じである。
「御免なさい。待ちました?」
後部座席から降りて来た綾姫はたった一、二分の遅れを謝った。
「いや、全然。ああ、今日の着物は青いんだね。髪形とか髪飾りとかも先週と違うみたいだな」
「はい。週替りにしているんです。似合っているでしょうか?」
「ああ、とても綺麗だよ」
光輝は本心でそう言った。
「わあ、嬉しい!」
綾姫は光輝に褒められた事が嬉しくて堪らなかった。上気して頬が赤くなった。
「あ、あの、く、車に、乗って下さい。家に着くまで少し時間が掛りますから、色々お話して参りましょう」
光輝を先に乗せてから綾姫は車に乗り込んだが、光輝にピッタリくっ付いて乗った。
「横堀さん、お願いします」
初老の運転手、横堀石男は光輝を少し気にしながら、
「はい、お嬢様。ごほんっ!」
ちょっと咳き込んで、警戒心を見せた。お嬢様によからぬ事をするな、という警告の意味の様である。それから車はおもむろに走り出した。
「今夜は夕御飯を食べて行って下さいますわよね」
「い、良いんですか?」
光輝はその積りだったが、それでは余りに無遠慮過ぎると思って、多少遠慮して見せた。
「お嬢様、まだお会いして間もない方と、ご一緒に食事をされるのはどうかと思うのですが……」
運転しながら横堀は綾姫に意見した。
「うふふふ、横堀さんは苦労性ね。勉強を教えて貰うお礼に、食事をして頂くだけですから、特別な事ではないのですよ」
綾姫は軽くいなした積りだったが、
「ええと、その、光輝さんでしたか、貴方遠慮しなさい。第一お嬢様に寄り過ぎています。もう少し離れて!」
横堀はルームミラーを見ながら、そう指図した。
「あ、は、はい」
ずけずけとものを言う男だと思いながらも、綾姫を思う余りにそう言うのだと考えて、光輝は少し綾姫から離れた。
「よ、横堀さん、ちょっと無礼だわ。光輝さん気を悪くするでしょう!」
綾姫はかなりムッとして言った。折角光輝の体温を感じる事が出来るほど接近したのに、これでは何にもならない。
「綾姫様! 綾姫様は男というものをご存じない。特に若い男性は、何時狼に変身するか分からないのです。私が目を光らせていなければ、この車の中でさえも、いかがわしい事をするかも知れないのです。気を許してはなりません!」
横堀はまるで自分の娘にする様に、厳しい口調で言った。
「こ、光輝さんはその様な人ではありません。失礼にも程があるわ!」
綾姫もまた、実の父親に対するかの様に口答えした。
『いやはや、こりゃあ、とんでもない事になったな。この二人は一体何なんだ?』
光輝は途中で車を降りたい様な衝動に駆られたが、そんな事を言い出そうものなら、尚更二人の間がこじれてしまいそうで、とても言い出せなかった。
車の中が嫌悪な雰囲気のまま、目的地の綾姫の家に着いた様である。
「着きました」
横堀がぶっきら棒にそう言うと、
「はい。どうも。じゃあ、降りて下さい、光輝さん」
「あ、あの、ど、どうも、有難う御座いました」
光輝のお礼に横堀は何も答えずに、その場を去った。ただ、古扇家流の家元の家らしいものが何処にも無かった。目の前にあるのは、巨大な超高層ビル一本だけである。そのビルは公園のような所の中に立っている。
「綾姫さんの家は何処にあるんだ?」
光輝は不思議に思って聞いた。
「はーっ、またやっちゃった。光輝さん呆れたでしょう?」
「うーん、何だか良く分からないんだけど」
綾姫は車の中の事で頭が一杯で、光輝の質問に答える余裕がなかったのだ。ビルに向かって歩きながら、漸く光輝の質問を思い出して答えた。
「そうそう、大抵の人は古風なお屋敷を想像するらしくって、このビルが私の家だって言うとビックリするのよね。ここが古扇家流の総本山、古扇家御殿、通称は単に御殿なのよ」
綾姫の説明に、光輝はビルの最上階までずうっと見上げた。屋上付近には雲が掛っている。 |