美術室での出来事(1)
美術室に入って驚いたのは、人が大勢いることだった。男子も女子もいる。3Aの組の者は綾姫、ハルカ、光輝の三人だけだったが、その他の全てのクラスの者が入り混じっている。
美術室といっても、キャンバスが林立している訳ではなくて、普通の教室の前の方が広く空いているだけだった。その分後ろの方には殆ど空きが無い。
「あんまり普通の教室と変りは無いんだね」
光輝は席がまだ決まっていないので、立ったまま綾姫に話し掛けた。
「ええ、人数が多いからこうしているみたいだわ。……ああちょっと、貴方、この人に席を譲ってくれないかしら。こちらは今日から来た3Aの人なんだけど」
綾姫は光輝の隣に座りたくて、自分の右隣に座っている、3Cの男子生徒に頼んだ。
「お、俺がどうして動かなきゃならないんだ!」
その生徒は抵抗した。
「ああ、あのう、あんたもそこの席を替わってくれないか?」
さっきまで後ろの方に座っていた、ハルカが立って来て、綾姫が交渉している席の更に右隣の女の子に話し掛けた。
「あっ! ど、どうぞ!」
その女子生徒は3Bの生徒だったが、ヤンキー風のハルカを見た途端に、あっさりと席を譲った。後ろの方には空席が三つばかりあり、そこに座った。
「頼むから、席をこの人に譲ってくれないかな」
次にハルカは自分の突き出た胸を、その抵抗を続ける男子生徒の、顔面すれすれまで近付けて言った。
「うう、あ、な、な、……」
「ねえん、うふふっ、お願い譲ってぇ……」
うろたえる男子生徒に、今度は甘ったるい声で意味有り気に笑いながらもう一度頼んだ。
「わ、わ、分かったよ。しょ、しょうがないな」
ハルカのお色気作戦が功を奏したのか、その男子生徒は渋々席を譲った。
「ハルカさん、やり過ぎだわ」
綾姫は軽く注意した。少々やり過ぎには違いないが、成功した以上、強く叱咤する事も出来なかった。
「い、いいのかな、こんな事をして」
光輝もちょっとハラハラしたが、結局一番前の席に、光輝の左に綾姫、右にハルカが座る事になった。
始業のチャイムが鳴ると、担当の大原春樹先生がやって来て、一通り出欠を取ってから光輝に話し掛けた。
「君がたった一日で音楽から美術にやって来た、転校生君か?」
まだ三十代だが頭の毛の薄い、何処と無く気障っぽい先生が美術担当だった。
「はい」
「ええと、小寺井光輝君だね。ミルク様に睨まれたのかい?」
「いいえ、ココさんに嫌われたというのが主な理由です」
「はははは、なーるほどねえ。まあ良いでしょう。昨日の今日じゃあ、道具は何も持って来なかったろう?」
「はい、今朝学校に来てから決まったもので……」
「今日は本当は水彩画の勉強、まあ、実際に外に出て写生をして貰うのだが、こんな事を言うのもあれだが、君に私の道具を貸す訳にはいかない。
筆というものは微妙なものでね、一度変な癖が付くと、もう使い物にならないんだよ。ところが上手い具合に、ここにクレヨンがある。クレヨンならどうと言うことは無いから、これを貸すことにしよう。何でも良い、自由に描いてくれたまえ」
「はい、あ、有難う御座います」
光輝は、
『何か、一言多い先生だな。単に水彩の道具は無いけど、クレヨンならあるからこれで描いてくれ、で良いのにな』
そう感じた。
先生の用意した画用紙でめいめい支度を始めたが、生憎やや強い雨が降って来て、外で写生する事は出来なくなった。
「外で自由に題材を選んで何か描いて欲しかったのですが、この雨では仕方が無いですね。この教室の中にある何かを描いて下さい。ああ、窓の外の景色でも良いですよ。
ええと、教室からは出ない様にして下さい。他のクラスの授業の邪魔になるといけませんから。じゃあ、皆さん、私は用事があるので少し席を外しますが、しっかりと一時間位は掛けて描いて下さいよ。その頃には戻って来ますからね。
私が戻って来てから、絵を描き終った人は、私に見せて下さい。私がオーケーだと言ったら、帰っても宜しい。ただし駄目だったら、時間を延長してでも完成させてから帰る様に。
タイムリミットは三時間ですからね。その時点で完成しないと、フリータイムの評価は零点になりますよ。その点をお忘れなく。では、失礼」
先生がいなくなると、教室は少しざわついた。私語がかなり多くなったのである。
『3Aのクラスとはやっぱりかなり違うな。真面目に描いている者も少なくないけど、話ばかりしている連中も居る。まあ、この位が普通なのかな』
光輝はそう思った。ただ、何を描いたら良いのか、決めかねていた。
『余り迷っているのもあれだな、零点になっちゃ拙いから、ええと……』
迷いながら、綾姫とハルカの絵を見た。
『ええっ、二人とも俺の横顔か! はーっ、皆や先生になんか言われそうだな……』
まだ鉛筆でのデッサンの段階だが、二人とも相当に上手かった。
『これだけ上手いと何にも言えないしな。ああ、何を描けば……』
迷いに迷って、降りしきる雨を描く事にした。
『うーむ、雨といってもな、そうだ窓ガラスに付く雨を描こう』
方針が決まった。画面一杯に窓だけを描き、クレヨンでは所詮細かい表現は出来ないので、おねしょの地図の様に、一枚一枚の窓ガラスに、雨で濡れた様子を描いていった。
先生が戻って来る少し前位に描き終わった。綾姫とハルカは彩色に入っていたが、
『二人とも甲乙つけ難いほど上手いな。画家になれるんじゃないのか?』
光輝が感心しながら二人の絵を見ていると、間も無く大原先生が戻って来た。
「さて、描き終った人は持って来て下さい」
先生の言葉が終るや否や、真っ先に光輝が絵を見せに行った。
「窓ガラスが雨に濡れている図。へえーっ! 分かり易いですね。うーむ、良いでしょう。しかし教師生活十有余年、こんな変った絵は初めて見ましたよ。良い悪いとか、上手い下手とかではなく、何かこう日本人離れした発想ですねえ」
大原先生は何気なく言ったのだったが、『日本人離れした発想』という言葉は、光輝をドキリとさせたのだった。 |