犯人さがし
いまから5~6年前、栃木県のとある公立小学校で起きた、悲しいいじめ事件の話である。
その事件は、ある秋の日の放課後から始まった。事件が起きたのは五年生のクラスだった。
その日、 その教室には、 生徒全員が居残って、めいめいの机に黙って座っていた。窓から夕陽が射し込んで、教室をオレンジ色に染めていた。子供たちの目の前に置いてあるランドセルの赤と黒の地肌が、その夕陽に照らされて鈍く光っていた。
放課後のチャイムが鳴ってだいぶ経つのに、誰も立ち上がって帰ろうとしないのは、彼らの担任教師ーーまだ若い女教師だったーーが、その日発覚したクラス内のいじめについて、延々と説教をしていたからだった。
「はいみなさん、先生もう一度聞きますよ。この紙をA子さんの机の中に入れたのは誰ですかー?」
女教師は教卓のすぐそばに立っており、そう言うと、左手に持っていたノートの切れ端を、ひらひらと揺すった。その切れ端には、赤いサインペンで「殺してやる」と書かれていた。
女教師の隣には、A子という、いじめを受けた張本人の生徒が立っている。A 子は、小柄で色黒、栄養失調かと思えるくらい痩せ細った女の子である。ピンク色の派手な縁のメガ ネをしており、その奥の目は、クラスメイトの顔を見るの が気まずいのだろう、うつむいて教室の床を見つめていた 。
女教師の呼びかけに答える生徒はいなかった。何人かの生徒が顔をあげ、自分がやっていないことを暗にアピールするために、泣きそうなひどくまじめな表情で女教師を見つめ返しただけだった。あとの生徒は黙って下を向いたままだった。
「あれー、やっぱり誰もいないようですね。おかしいなあ 。・・・やった人がいないなら、なんで勝手に紙が机の中に入るのかなあっ!?」
女教師はそう言うと、右手で、がん、と教卓を叩いた。クラス全員が体をびくん、と震わせて、いっせいに顔をあげた。しかし、やはり沈黙は続いたままだった。
このYという名字の女教師は、この年はじめて担任クラス を持ったばかりの、経験の浅い教員だった。25歳、黒髪を後ろにひとつしばりに束ねて、化粧っ気もまるでなく、小太りの地味で真面目な外見。見た目の通り、仕事ばかりで彼氏はもちろん居ない。
Yは自身が中高とおだかやかな校風の女子校で過ごし、特にいじめにかかわった経験がなかった。そのうえ、大学受験も教員採用試験も苦なく通過してきて挫折を知らな かった。そのため、この日の昼休み、A子が自分の机に紙が入れられていることを告白しにきたわけだったが、Yにとって自分の受け持ちのクラスでそんないじめが起きたことは、許しがたい事実だった。
「わかりました!先生すごーく残念です」
Y教師は、生徒たちの沈黙のあと、突然教室に響きわたるほど大きな声でこう言った。その頬には、教育者としての 余裕を失っていないことを示すため、笑顔がたたえてある 。
「A子さんに嫌な思いをさせて、しかも今先生に嘘をついている人がこの中にいることが、わかりました!すごーく残念です。もう一度聞きますよー。犯人さんは、正直に手を挙げて教えてください。正直な人には、先生怒ったりしませんよ。」
生徒たちはやはり黙ったままだった。校庭で遊ぶ他のクラスの子供たちの笑い声が、小さく聞こえるだけだった。
「 ・・・やっぱりいないみたいですね。では、帰りのホームルームはこれで終わりにします。ただ、先生すごーく残念なので、みなさんにこれから宿題を出します」
子供たちは固まったまま話を聞いた。
「今日から、このなかの誰か一人に、先生がお願いをします。お願いをされた人は、その日の放課後に、今日犯人さんがしたみたいに『殺してやる』と書いた紙を、クラスで 一番嫌いな人の机の中に入れて帰ってください。みんなにばれないようにですよ。紙を誰が書いたのかも秘密になるよう、先生もこっそりお願いしますので、安心して紙を書いてください。紙を机に入れられた人は、次の日にはそれがわかると思いますので、朝のホームルームで机の中に紙 が入っていたことを発表しましょう」
「一人ずつ、毎日違う人に、一枚だけ書いてもらうよう、これからお願いしていきます。犯人さんは、自分がこんな紙を」
そう言ってYはあたらめてA子の机に入っていた紙をひらひらさせた。隣ではA子が色黒の顔を真っ赤にして、うつむいていた。
「もし書かれたらどんな気持ちがするか、よーく考えてみ てください。みなさんも、書いた人の気持ちと書かれた人の気持ちがわかるよう、いっしょに宿題をしていきましょう。犯人さんは、辛かったらいつでも先生にこっそり言ってください。そこでこの犯人さがしはおしまいにしましょう」
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次の日から、Yが言った通りの「宿題」が始まった。
毎日、Yに指名された生徒が、嫌っている生徒の机に「殺してやる」と書いた紙を放課後に入れておく。次の日の朝、紙の入っていた生徒はそのことを全員の前で発表しなければならなかった。
毎朝のホームルームで、Y教師が元気よく、
「はい、今日机の中に紙が入っていた人は誰ですかー?」
と聞く。しばらく沈黙があったのち、誰かしらがおずおずと手を挙げる。
それからYと生徒とのやりとりが始まるのだった。
「○○さんですね!では、立ち上がって、紙になんて書かれていたか、読み上げてください」
「・・・殺してやる、です」
「そうですか、ひどい言葉ですね。読んでみて、どんな気持ちがしましたかー?」
「嫌な気持ち、です」
こんなやりとりが毎日続いた。
中には、紙に書かれた文字を読む前に泣き出す生徒や、逆に自分が紙を書くことに強い拒否反応を示す生徒もいた。
しかし、Yはこの宿題を止める気はなかった。犯人である生徒を罰しているという快感と、クラス全員にいじめ問題の重大さ、悲惨さをこの宿題を通じて教えているという教育観。さらに、周囲の先輩教員、管理職の教頭へ、「当いじめ問題にはクラス全体へY自ら指導中」という報告ができるという、彼女にこの宿題を続けさせる強い動機があったからだ。
彼女はすでにノイローゼになっていたのかも知れない。だが、彼女自身はあくまでも子供たちの道徳教育をしているのだという考えを捨てなかった。朝のホームルームのやりとりのあと、Yは必ずこう付け加えるのだった。
「そうですか、そんな気持ちになったんですね。二度と、こんなことはないようにしたいですね。○○さん、ありがとうございました!昨日紙を書いてくれた人も、嫌な気持ちもあったでしょうが、ありがとうございました。みんなで、こんないじめが二度と起きないようにはどうすればいいか、犯人さんとA子さんがいまどんな気持ちでいるか、考えましょう。ではこれで朝のホームルームはおしまいです・・・」
しかし、Yの思いとは裏腹に犯人はなかなか出て来ず、かわりにクラス全体に暗い雰囲気が漂い始めた。具体的な事象で言えば、紙に「殺してやる」という言葉以外の文章を書く生徒が現れ始めたのである。例えばそれは、
「お前のことが、実はずっと嫌いだった。もう学校で顔を会わせたくない。それでもまた学校に来るようなら、殺してやる」
といった文面であったりした。また、文自体は「殺してやる」の一言であっても、複数の色のボールペンを使って何重にも書き重ねているなど、念の入った書き方も出てきた。
秋も深まり、教室の冷え込む朝のホームルーム開始前には異様な緊張感が走り、子供たちの笑い声はなく、その日の紙の発表が待たれるのだった。
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Yは、さすがに自分がやりすぎていることに気づいてきていた。しかし、いまさら自分からこの犯人さがしを止めることはできなかった。ここまでくれば、後は犯人との根比べだと思っていた。実は、彼女ははじめから犯人の目星をある程度つけていたのである。
彼女が犯人と想定していたのは、クラスで一番の問題児のB 男か、A子とそれなりに仲のよい、C子だった。
B男は、メガネをかけたもやしっ子だった。身なりに気を使わないタイプで、上着の両肩にいつもフケがついていた。
B男は特に他の生徒へいじめをするわけでも、成績が特別悪いわけでもなかった。しかしこの年の一学期、薄気味の悪い事件を起こしていた。それは、クラスで飼っていたグッピーの死骸を、ある放課後、理科室で顕微鏡を使って眺めていた、というものだった。
鍵を閉めにきた理科の担当教員に、その現場を見つけられたB男がした言い訳は、「このグッピーはもともと水槽の中で死んでいた。どうしても興味が抑えきれなくなって、人に見つからないように水槽からすくって、顕微鏡で覗いた」だった。しかし、必死にそう話すとき、確かに彼が勃起をしていたということを理科の担当教員から聞き、YはB男が異常な性格をしていると確信した。それからずっと問題児としてみてきたのだった。
B男はA子と特に仲が良いわけでも悪いわけでもなく、A子をいじめる動機は一見なさそうだった。しかし同じ美化委員であるという接点はあった。それに、そもそもこういう男子は何をしでかすかわからないと、Yは考えるのだった。
一方、C 子はすらりと背が高く、顔も整った美形の女子だった。発育が良く、もう生理が始まっているとC子の母親からYは聞いていた。真面目で、成績も優秀な優等生。しかし、A子へ嫌がらせをする動機は十分あるとYには見えた。
C子にはD子という、親友のクラスメートがいた。学校の行き帰りも、休み時間も常に二人でいっしょにいるような、この年ごろの女子にありがちな親友である。
しかし、そのC子の無二の親友であるD子と、ここ二三ヶ月、A子がかなり仲良くなってきていたのだった。C子とD子がいままでずっと二人きりで下校してきていたのが、最近A子も加わって帰りはじめていた。それがちょうど、A子へのいじめが起きる前のころのことだったのである。
Yは、犯人はまず間違いなくこのB男かC子と見、どちらかが早くYへ打ち明けてくれることを望んだ。
一方で、B男とC子には「殺してやる」の紙を書く役をさせず、後ろまわしにしていた。懲らしめのため、周りのクラスメートが自分のしたいじめで苦しむ様子がこの二人に見えるようにさせたつもりだった。
また、毎日、
「犯人さんの気持ちを考えましょう」
と朝のホームルームで生徒たちに呼びかけることで、いつまでも紙を書く役が回ってこない二人に対し、暗に「犯人はわかっているよ」と示し、追い詰めていた。
Yは、そのうち二人のどちらかがYへ犯行を打ち明けるか、学校を休むなど、なにかしらメッセージを出すかするはずと考えていた。後者であれば、Yの方から理由を尋ねてやればよい。
Yは早くそのときが来ることを望んだ。しかし、B男とC子、どちらも目立った兆候を示しはしなかった。他の生徒と同様、宿題に対する緊張とストレスを示し、苛立っているように見えるだけだった。
Yに対し、特別にアクションを起こしてきた生徒はD子だけだった。 このD子は、小柄で背はA子と同じくらい。色白でふっくらと肉がついており、健康的な外見をしていた。 最近すっかりA子と仲良くなったD子は、一度Yのところへやってきて、「A子ちゃんが、みんなに迷惑をかけるのが申し訳なくって、『もういじめのことはいいから宿題をやめてほしい』って、言ってます」と言ってきたのである。
YはD子の優しさを感じながらも、いま中途半端に犯人さがしを止めるわけにはいかないと思い、宿題を続行した・・・。
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犯人は、宿題が二十人ほど終わったところで現れた。その日の時点で、紙をまだ書いていない生徒は、残り十人もいなくなっていた。
それは放課後、ホームルームが終わってかなり過ぎた夕暮れだった。冬の始めの弱々しい夕陽が、その日、教室の真ん中にてるてる坊主のようにぶら下がったA子を照らしていた。
次の日の朝、捜索が進むなかで警官が教卓を調べると、その引き出しからひときれのノートの切れ端が出てきた。その切れ端にはこう書かれていた。
「ちょっとしたいたずらのつもりでした。本当にごめんなさい。先生、私はあなたを殺したい。A 子」