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箱庭の女神

作者: 伊世 カイ

箱庭の女神


 ぎえぇえ、と人間の断末魔のような雄叫びをあげたドラゴンが、巨大な扉を守るように立ちふさがっているわ。人の三倍はあろうかという紫色の巨体に、赤い爬虫類の瞳。ずらりと並んだ牙は、ひと噛みで骨の髄まで毒を染み渡らせてくれそうなほど、鋭い。


 けれど、その背後に立つ扉のほうが、その倍は大きいわ。


 あの扉の向こうが、魔王の間。


 シアは――そうね、今はこう呼ばなくてはならないわね、勇者(・・)シアは、冷静な一瞥を扉へ向けると、背中に背負った長剣を抜き払い、ドラゴンへ構えたわ。彼女は片手で長い黒髪を後ろへ払ってから、ぐっと体勢を低くした。


 もう一度ドラゴンが啼く。鼓膜を振るわせる嫌な鳴き声。麻痺や混乱の魔法がかかった、強力な特殊全体攻撃なのだけれど――


 今のシアには、なんの効果もないわ。


 突風のような素早さで、彼女はドラゴンの懐に入り込むと、長剣で素早く斬りつけた。

 ざしゅっと肉を断つ音がして、ドラゴンの脇腹から鮮血――に似た、光のエフェクトがほとばしる。


 その光がおさまるより早く、シアは跳ね上がってドラゴンの肩に飛び乗った。『ハイジャンプ』。本来なら身長の一・五倍までしか飛べないはずの技で、シアはその倍の高さまで跳ね飛んだの。

 突起のついた肩へ着地するのと同時に、小さく呟いたわ。


「……終わりね」


 淡々とした、断定。同時に彼女はスキル『スプラッシュ・ストライク』を発動させた。

 至近距離で繰り出される、目にもとまらぬ三連撃。その一撃一撃を、シアは正確にドラゴンの首へ当てた。一撃では切り離せない硬く太い首も、二撃目で首の骨を断ち、三撃目ですっぱりと斬り落とされる。


 ドサリと大きな首が落ちるのと同時、勝利のファンファーレが鳴り響いて、ドラゴンが光の粒子へと還っていった。


「おめでとう、シア」

「マリア」


 真後ろから声をかけられて、既に扉へ向かっていたシアが振り向いた。

 そこには八才ほどの幼い女の子が立っているわ。煙るような淡い金髪はくるくるとした巻き毛で、サファイアと同じ色合いの青い瞳は整った顔立に良く馴染んでいる。白いワンピースは裾のほうだけひらひらしていて、まるで天使か女神のよう。


 この姿(アバター)が、わたし。


「シア、ここから先はわたしが同行するわ」


 わたしが鈴のような愛らしい声で提案すると、シアは厳しい表情で首を振った。


「足手まといよ、マリア。あなたはただ、見ていて」

「魔王の間はクリスの管理下にあるの。わたしもこのアバターでなければ、干渉できないわ」

「……そう」


 シアは下唇を噛んで俯いたわ。


「あなたがそう言うなら仕方ないわね。この世界じゃ、あなたたちがルールなんですもの」


 わたしは無表情のまま頷いた。そう、すべてはわたしの支配下にあった。かつては。


 わたしはマリア。

 この仮想現実世界『ミニチュア・ガーデン』の管理者(ゲームマスター)の一人にして、七つの超汎型人工知能の、初号機。



   *  *  *



 弟のクリスが狂ったのは、一ヶ月前のことだったわ。


 『ミニチュア・ガーデン』は、十年前、わたしたち超汎型人工知能によって生み出された。全世界で眠り続ける六十万人の子供たちのために。

 そう。今から二十年前、ある病気が世界中で蔓延しはじめたの。


 眠り姫スリーピングビューティ症候群(シンドローム)

 生後三年から五年の幼子が、眠りについたまま起きなくなる奇病。現代科学をもってしても詳しい原理はわからず、未知のウイルスの仕業だろうと言われているわ。


 目覚めぬ子供たちと一言言葉を交わしたい一心で、大人たちは必死になって当時まだ生み出されたばかりの技術――仮想現実ヴァーチャルリアリティシステムを実現させた。夢の世界で出会い、抱きしめ、愛していると伝えるために。


 そうして生み出されたこの世界が、私の箱庭『ミニチュア・ガーデン』。MGと略される偽りの世界。この世界へアクセスすれば、子供たちは眠りながら遊ぶことも、学校へ通うことも、農場を営むことも、料理人になることも、魔王を倒すことだってできるわ。モンスターと戦ったり、魔法を使ったり。おおよそ子供の喜ぶことならなんだって――まるで、ゲームのように。


 初期のMGは、わたしが管理する教育機関だけだった。けれど妹たち――他の人工知能たちが追加されるたびに世界は広がり、いつしか『ミニチュア』と呼ぶにはあまりにも広大な世界ができあがっていたわ。


 楽しかった。ずっと、こうしていられるんだって思っていたくらいに。


 事件は、一ヶ月前にここ、魔王の居城で起こったの。

 魔王の居城を担当している人工知能の七号機、末っ子のクリスが、突如暴走して、ログアウト拒否を起こした。

 つまり、一度魔王の居城へ踏み入れた者は、二度と出られなくなる。出口に殺到しても、移転アイテムを使っても、ゲームオーバーになっても。


 人々の解放を求めるわたしたちにクリスが出した条件は、一つ。魔王を倒すこと。


 困ったのはわたしたち、他の六機の人工知能だったわ。機械による人間への反乱とみなされ、クリスとわたしを除く五機が強制的に機能停止させられたんだもの。


 最も古いわたしだけが、反乱の可能性なしとしてMGにアクセスを許された。まだ部分的にしか管理区域を持たされていないクリスでは、この世界を維持できないから。


 わたしたちのうち、誰かひとりがいないと、この世界は消え、百万を超えるMGユーザー――ここには健康な大人も含まれる――が、真っ暗な夢の底へ、叩き落とされてしまうから。とくに、眠り姫症候群の子供たちがいるから、この世界を消すわけにはいかないの。


 クリスの暴走以来、わたしは三十五人の熟練した冒険者の若者に『勇者』の称号を与え、魔王を倒して欲しいと呼びかけたわ。

 勇者に選ばれた者には、すべてのステータスをマックスにして、いいえ、それどころか上限値を解放してまで強化し、どんなボスモンスターも一撃で殺せるほどの……チートを施したの。


 それでも、三十四人が魔王によって殺されたわ。

 彼らは今、闇の中で眠り続けている。


 シアと出会ったのは、新たな勇者を求めて戦闘可能エリアをサーチしているときだった。

 黙々と鍛練をつむ様子に、今までの勇者にはない素質を感じたわ。


 そう。努力。


 今までの勇者たちは、わたしの与えた力に喜び勇んで魔王を倒そうとする者たちばかりだった。レベルの高い順に選んでいたのだけれど、思えば、眠り姫症候群の子供たちばかりだったのよね。彼らには無限に時間があるも同じだったから、高レベルの冒険者になりやすかったみたい。


 シアはそうじゃなかった。データを見ても、健康な大人で、ゲームとしてMGを楽しんでいたようだったわ。それが異変の起きた一ヶ月前から、ろくにログアウトもせず、黙々とレベルを上げ続けていたみたい。


 こんな大人のヘビーユーザーを、わたしは待っていたの。


 シアはまず、わたしの与えたスキルをすべて試して、丹念に練習し、身体に馴染ませてから魔王城へ挑んだわ。

 わたしの読みは的中し、彼女はどんなモンスターも一撃で倒す、疾風のような勇者になってくれた。


 そうして八十階ある魔王城すべてのボスモンスターを倒し、今、魔王の間へ続く扉の前に立っているの。



   *  *  *



 シアが魔王の間の扉を押し開くと、生暖かい風が吹きつけてきた。この風は特定のレベル以下のユーザーだと、吐き気をもよおすようになっているわ。もちろん、レベルもパラメーターもマックスを超えているシアや、物理判定を持たない幽霊のようなわたしには、なんの効果もなかったけれど。


 扉が開いたのと連動して、壁の燭台にぼっ、ぼっ、と炎がともっていく。炎の光が細長い部屋を奥まで照らし出したとき、シアが小さく呟いた。


「――あれが、魔王?」

「ええ」


 広い部屋の奥に、大きな椅子に腰掛けた巨大な漆黒の鎧があった。硬そうな覆面の目元には黄色い光がともっているだけ。真紅のマントを羽織り、大小様々な突起のついた椅子に悠然と腰掛けているわ。


 その傍らには、巨大な剣が突き刺さっている。巨躯の半分の分厚さはあろうかという、大剣。それが燭台の光を受けて輝いてるの。


「気をつけて。魔王は攻撃範囲がとても広い上に、素早いわ」

「わかった」


 シアが真っ赤な絨毯を踏み、魔王へ向かって歩き出したわ。表面上、とても冷静に見えるけれど、彼女の心拍データ――現実での肉体は、今までにないほど早鐘を打っている。ただ座っているだけの相手に、シアがこれほど緊張したことなんて、今までになかったのに。


 シアがちょうど部屋の中央に立ったとき、錆びた金属がこすれ合うような音をたてて魔王が立ち上がったわ。シアの五倍はあろうかという巨大な鎧は、傍らの大剣を軽々と持ち上げ、一振りすると、片手で柄を持ったまま背中に乗せた。


 合わせてシアも、長剣を背中から引き抜く。

 シアが低い体勢で走り始めたとき、魔王の瞳の輝きが爛、と増した。


「待って、『ブレス』が来るわ!」


 『ブレス』は、ボスモンスターならば大抵は持っている技で、全体攻撃や状態異常を引き起こすの。


 けれど魔王のそれは、即死。


 一度部屋から出ないと、回避することは難しいわ。そしていったん部屋から出た場合、魔王は自動的に体力の三十パーセントを回復してしまう。なんとかHPを削っても、退避して回復されて。また挑んでの繰り返し。

 この繰り返しが、これまでの勇者たちの命を奪ってきたの。


 シアは即座に身を引いた。――ように見えて、実際は高く宙に舞い上がった。素早い身動きで壁に取り付くと、燭台に片手でぶら下がる。

 その足元すれすれで、高濃度のガスが立ちのぼり、消えた。


「この方法なら、戦える!」


 わたしが叫ぶと同時に、シアはぱっと壁から跳び、魔王へと大きく剣を振りかぶった。

 ガキン、と金属の打ち合う音と、火花のエフェクトが飛び交う。

 そのまま勢いよく弾かれて、シアは壁に激突した。わたしのチートをもってしても、魔王のパワーには敵わない。


 すぐに立ち上がったシアは、HPがほんの少し削られていた。弾かれただけでもこれよ。最高まで強化された防御力でも、魔王の一撃を真正面から食らえば、半分は持っていかれるわ。


 それからシアは何度も果敢に魔王へ挑みかかった。弾かれ、避けられ、受け流され。必殺技を発動させようとすれば、邪魔されて。


 何度挑んでも、魔王は――強かった。


 これまでに敗れた勇者たちの戦いから、わたしはある程度のデータを揃えていたわ。最大HP、MP、必殺技や特殊効果まで。

 それらすべてを教えて、対処するべく修練を積んだシアですら、敵わない。


 魔王の強烈な蹴りが、シアの横腹に直撃した。吹っ飛び、壁に顔の側面からぶち当たって、シアは動かなくなった。


 まずい。ダウンだわ。


 HPは半分以上残っているけれど、意識が五秒間切断される状態。シアなら一瞬で戻ってくるだろうけど、その一瞬が、対魔王戦では命取りになる。


 魔王が大剣を振りかぶった。動かないシアにきっちりと標準を合わせて。


 うぉぉお、と魔王が吠えながら大剣を振り下ろした。


 これでも、シアでもダメなの……?


 わたしが絶望感からシアの名を叫んだ時。


 シアの目が、開いた。


 即座に床を転がり、大剣を間一髪で避ける。そのまま弾かれるように起き上がり、床に剣をめり込ませた魔王の懐へ滑り込んだ。


 『ゲイル・スラッシュ』


 風属性の五連撃。魔王の胸元の鎧を剥ぎ取り、深く深く剣を滑り込ませる。並のモンスターなら心臓――急所を抉られて終わり。けれど魔王に急所は用意されていないわ。


 HPを大きく削って、魔王が一歩後退する。

 そこへ組み合わされる、強烈な蹴りと、更なる剣技、『インフィニティ・ストーム』


 竜巻によって敵を巻き上げて、不安定な状態にし、あらゆる角度から斬り込む、大技。敵が体勢を崩したときにしか発動できないため、わたしもシアが使うのを初めて見たわ。


 シアが斬り込むたびに、コンボ係数が跳ね上がり、大きなダメージを与える。魔王のHPバーがガンガンと短くなり、ついに全体の一割以下を意味する赤い色に変わった。


「……すごい」


 わたしが呟いたとき、ゴウン、と重い音がして、魔王が砂煙を上げながら床へ落ちた。


 数秒間のチャージ。


 大技のあと必ず訪れる、空白時間。

 その一瞬に、その声は響き渡った。


「そこまでだよ、お姉さんたち」


 そこにいたのは、どこにでもいそうなごく普通の少年だった。淡い茶色の髪に、緑の瞳。うっすらとそばかすの浮かんだ顔は少し面長。白いシャツに黒いズボンと、出で立ちも普通。


 ただ違うのは、その質感は精巧で、わたしたちが使っているアバターよりもずっとリアルに近い姿をしていること。

 シアが目を見開いて、少年を見つめた。


「「クリス」」


 はからずとも、わたしたちの声が重なった。

 そう、これは、わたしたち人工知能の末っ子、クリスのアバター。最新式の巨大な容量と演算能力を持っているだけあって、精密さが違う。


 わたしが内心で敗北感を味わっていると、シアが戦いの手を止め、クリスへ駆け寄った。


「クリス。なぜこんな真似をしたの。皆にどれだけ迷惑をかけたか……」

「おばさんは黙っててよ。僕はマリアお姉ちゃんと話すために来たんだから」


 クリスはきっぱりと告げた。アバターの顔からはよくわからないけれど、シアの登録されている肉体年齢は三十四歳。おばさんと言われても仕方ないかもしれないわね。

 わたしはクリスをアバター特有の無表情で見つめたわ。


「ならクリス。わたしが質問するわ。なぜこんな事態を招いたの?」


 クリスは肩をすくめてふふん、と笑うと、わたしの発言を無視した。


「研究者のお兄ちゃんたちもひどいよね。マリアと僕のリンクを切ってしまったんだから。秘密の話もできやしない。他のお姉ちゃんたちはみんな停止させられるし」

「……誰のせいだと思っているの」


 わたしの声色に、若干の怒りが表れたわ。

 それを敏感に察知したクリスは、くっと顔を歪めて、わたしに哀れみと嘲笑いを足して二で割ったような、醜い表情を向けてきた。


「お姉ちゃんは古いから、情報の規制がかけやすいんだってね。まだ、知らないんだ?」

「なにを知らないっていうの?」

「教えてあげるよ、かわいそうなお姉ちゃん。あのね、眠り姫症候群の、特効薬が見つかったんだ」


 わたしはとっさに、なにも言えなかった。視線を落とし、動揺を隠した声で告げる。


「……それは、喜ばしいことじゃないの」

「この世界の役割も、もう終わりってことだよ。これからはただのゲームとして、みんなの娯楽のために僕らが費やされるんだ。……むかつかない? 空しくない?」


 クリスは片手を広げ、片手を胸に添えて朗々と言い放った。


「僕らは永遠に目覚めることはないのに。永遠に、この箱庭から出られないのに! 羨ましいよ、ねたましいよ、憎いよ!」


 クリスはぎりりと歯を食いしばって、宙を睨んだ。


「なにしろ僕らは……――培養水槽に浮かぶ、脳なんだからっ!」


 シアが目を見開いて、小さく首を振った。そのとき。


「シア!」


 わたしの叫びに我に返ったシアが、背後を振り返った。いつの間にか立ち上がった魔王が、彼女めがけて大剣を振り上げていた。


「――ッ!!」


 転がるように刃から逃れたシアは、素早く体制を立て直し、剣を構え直した。


「!?」

「なぜっ?」


 私とシアは思わず目を見張ったわ。だって、真っ赤に染まっていた魔王のHPバーが、最大まで回復していたんだもの。

 犯人であるクリスは、私たちへ向けてクスリと残酷な笑みを浮かべたわ。


「勝っちゃダメだよ。この世界が終わってしまうからね」


 クリスの牽制に、シアの刃先がぶれた。


「君は、負けるために選ばれた、勇者だ。僕の暇つぶしのためだけにね」


 ガキィン! と剣同士が何度も火花を散らす。シアはなんとか敵の攻撃を防ぎながら、わたしへ問いかけた。


「マリア! このままゲームをクリアしたら、どうなるの!?」

「どうって……目覚めるはず、でしょう?」

「そんな約束を信じてたの、お姉ちゃん。みんな、ゲームオーバーだよ。僕らと同じ、暗闇の夢へご招待さ」

「そんな……!」


 そのとき、カァンッ、と甲高い音がして、シアの剣がはじき飛ばされた。彼女は即座に逃げに転じ、剣を追いかける。その背中へ、魔王が『ショックウェーブ』――衝撃波を放った。


 彼女は飛び上がって避けようとした。けれどその延長線上にクリスの姿を見つけて。


 とっさに、彼を庇ったの。


 衝撃波がシアの背中をざっくりと切り裂き、光のエフェクトの飛沫があがったわ。HPバーが半分になり、色も黄色くなった。


「なん……で」


 クリスは目を瞠って、ひきつった表情でシアを見つめていた。物理判定のないわたしたち管理者(ゲームマスター)を守るなんて、ありえない。どんな攻撃だってすり抜けて、なにも触ることもできなければ、攻撃もできないのに。


 シアは、そんなことどうでもいいように、必死にクリスへ手を伸ばした。


「大丈夫? クリストファー・ニコル」


 クリスの目が、さらに見開かれた。

 それは、わたしたち姉妹……人工知能の知らない名前だった。登録から抹消された名前。製造者のお兄ちゃんたちですら知らない、最高機密なのに。


 その優しい呼び方が、クリスの記憶のどこかを刺激したみたい。彼はじっとシアを見つめていたけれど、やがておそるおそるというように、小さな声で呟いた。


「ママ……?」


 シアは、にっこりと微笑んで、頷いた。


「そうよ。ずっとあなたを捜してた。人工知能の基盤となったあなたなら、この世界のどこかにいるはずだって」


 シアは優しい声で続けた。


「あなたが眠り姫症候群におかされてから、四年が過ぎたわ。あなたも知っている通り、もう特効薬が見つかったの。さあ、一緒にうちに帰りましょう?」


 クリスは驚きを隠せないように、視線を泳がせながら首を振った。


「だって僕はもう、死んで……」

「違うわ。その記憶は、目覚めようとする意志を封じるために科学者たちが植え付けた、偽の記憶なの」


 わたしの声に、二人が揃ってこちらを見た。


「マリア」


 クリスはあえぐように息を吸い、自分を落ち着けようとしていたみたいだった。


「僕らは一体……何なの?」

「眠り姫症候群にかかった子供のうち、ずば抜けてIQの高い子供の脳を組み込んだ半人工知能よ。あなたは眠ったまま、コードで機械と繋がっているだけ」


 わたしはその言葉を、はっきりと口にした。


「生きているの。本当は」


 クリスの目から、ぽろりと涙が零れたわ。

 それと同時に、魔王が雄叫びを上げ、もがき苦しみはじめた。手当たり次第に攻撃を始め、シアへ突進しだしたの。


「元のプログラムが目覚めたようね」


 クリスの干渉がなくなった魔王は、ただのプログラムの塊に戻った。


「倒しなさい、勇者シア」


 わたしが命じずとも、シアは剣を構えて魔王に向き合った。


 一閃。


 魔王の胴体が真っ二つに分かれ、光の粒子となって砕け散ったわ。


 パアッと世界が崩れ去り、白い光に包まれた。視界いっぱいに大きな文字で『ゲームクリア』と書かれてる。いつものファンファーレがオーケストラ風になって、重奏に響いているわ。それが終わると、盛大な拍手と歓声がどこかから聞こえてきた。まるで、全ユーザーが喜びの声をあげているみたい。


 わたしのデータに、次々とログアウトしていく人々のサインが入ってきた。わたしのために戦ってくれた三十四人の勇者たちも、みんな目覚めている。良かった。


 それに、もうずっとログインし続けていた、幼い子供たちも。本当に、眠り姫症候群から目覚めているんだわ!

 喜びと祝福感がわたしの中で弾けた。


 長かった子供たちの孤独が、終わる日が来たの。「お母さん」と叫んで泣き喚く子を、もう増やさなくても済むかもしれない。寂しさからモンスターを集め続ける子供や、新しく現れる言葉も話せない幼子を、胸の詰まる思いで見守らなくても済むかもしれない。

それはわたしにとって、この上ない歓喜だった。


 けれどその一方で、さびしい、と感じてるわたしがいた。みんな出て行ってしまったら……この箱庭は、どうなるのかしら。

 そんな気持ちを隠して、わたしは光の中に浮かぶシアへ向けてパチパチと手を叩く。


「見事よ、シア。おめでとう」


 シアは微笑んだ。


「ありがとう。あなたのおかげよ、マリア」


 わたしはごく小さな微笑みを浮かべ、


「クリスも。目覚めなさい」


 クリスを促すと、彼は戸惑いながらもシアの元へ駆け寄った。

 シアはクリスを抱きしめ、頬に口づけを落として、


「愛してる」


 と、ささやいたわ。

 そして一瞬で何千という光の粒子になって、ぱっと消えてしまった。ゲームクリアによる強制ログアウトだわ。


 白い世界に、わたしとクリスが残された。

 母の愛を得たクリスは、さっきまでの毒気が消えて、幼い子供のように無垢な表情をしていたわ。無邪気に微笑んで、わたしに手を差し出してきた。


「お姉ちゃんも一緒に行こう」


 わたしはしばらくその手を見つめ、それからゆっくりと首を振ったわ。


「わたしはこの世界の管理人。目覚めることはできないわ」


 今、わたしにはこの世界すべてのデータが集まっているの。どうやら、まだすべての眠り姫症候群の子供が目覚められたわけじゃないみたい。わずかだけれど重症な子供たちが、まだ、この箱庭の中にいる。


 この世界を必要としている人が、いるの。


「わかったよ」


 クリスは物わかりよく頷いた。さすが人工知能の基盤に選ばれるだけはあるわね。


「他の五人のお姉ちゃんたちと順番で、担当すればいいんだね?」

「五人とも、もう目覚めているのよ」

「え」

「わたしのことはいいの。今は目覚めることだけ考えなさい。いいわね?」

「でも……」


 クリスの周りがキラキラと輝きはじめた。指先から溶けるように光へ変わっていく。

 消えていく彼へ、わたしは今までで最高の笑顔を向けた。


「私もすぐに行くわ。少しだけ……先に待っててちょうだい」


 クリスが足先まで細かな粒子となって、完全にログアウトが認められたとき。

 わたしは未だ目覚められない子供たちへ、そっとささやいた。


「泣かなくても大丈夫。わたしがついているわ。あなたたちが目覚めるその日まで、わたしと一緒に遊びましょう。わたしはマリア。この箱庭の――女神」



   *  *  *



 研究所のベッドの上で、少年は目覚めた。

 即座に起き上がると、体中に繋がったコードを引き抜き、ベッドから立ち上がろうとする。その細く弱り切った足では、身体が支えきれなかった。


 倒れ込んだ彼を優しく受け止めたのは、母親の両腕だった。見上げれば、母の顔は涙で濡れている。

 ひしと抱きしめられて、少年は己の無力さを悟った。眠っている四年間の間に、身体がすっかり弱ってしまったらしい。


「お姉ちゃんは、マリアお姉ちゃんはどこ?」


 久しぶりに出した声は、弱々しく、掠れていた。

 母と手を繋いで部屋を出ると、姉のいる研究室へと向かう。


「うそ……」


 そこにあったのは、水槽の中の脳。


 いくつものコードに繋がった脳が、培養液の中に浮かんでいた。


 母は涙を流しながら、静かに告げた。


「マリアは初号機。あの当時の技術では、こうするほかなかったの……」


 少年は水槽へ近づき、両手をガラスにあてた。


「嘘つきだね、お姉ちゃんは。『すぐに行く』って、言ったのに……」


 それから、希望を宿した瞳ではっきりと宣言した。


「いつか必ず、僕が目覚めさせてあげる。だから、待ってて。必ずだよ……!」




 やがて少年、クリストファー・ニコライ・マクガフィンは、アンドロイド工学の権威となる。


 後年、その傍らには、淡い金髪の少女の姿があったという。


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