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ストーカー

作者:深月咲楽
 視線を感じて顔を上げた。

 向かいの席、隣の席、さり気なく見渡すが、特に目が合う人もいない。

「気のせいか」

 私は再び、膝の上の本に目を落とした。

 ここ3週間ほど、どうも誰かに見つめられているようで落ち着かない。電車の中でも、ランチをとっているレストランでも、そして職場でさえも、なぜだか変な視線を感じてしまうのだ。

「ストーカーに狙われてるんちゃうかな?」

 私は真面目に悩んでいる。

「お前みたいな年増にのめり込む男なんて、オレくらいなもんやで」

 カレシの克己は、喜んでいいんだか何だかわからない言葉で、私の悩みを否定した。

 たしかに、今年34歳になる十人並みの容姿の女なんて、そうそうモテるはずもないが。

「あ、降りなアカンわ」

 アナウンスに、私は本を閉じて立ち上がった。電車が停まり、ドアが開く。

「ほんまに、人おれへんなあ」

 時計は11時55分をさしている。水曜日の終電とあっては、人はかなり少ない。

 ホームに降り立ったのは、疲れ切った顔をした中年のおじさんと、学生っぽい雰囲気のおにいさん、そして私だけだ。

「しゃあないわな。お世話になった方やし」

 栄転する課長の壮行会。一次会で抜け出すつもりが失敗し、こんな時間になってしまった。

「まあ、電車があっただけでも、よかったってことで」

 改札を出て自宅に向かう。駅からは徒歩で約15分。

 いつもは自転車を使っているのだが、今日はお酒も入るからと、歩いて通勤した。

「正解やったかもしらんなあ」

 頼りない街灯の下をふらふらと歩きながら、私は独りごちた。かなりの量のお酒を飲まされ、足元がおぼつかない。

「ん?」

 私はふと足を止めた。後ろから、足音が聞こえたような気がしたのだ。

 恐る恐る振り返る。しかし、そこには暗がりが広がっているだけだ。

「気のせいやんな」

 体の中で鳴り響く心臓の音に気付かないフリをしながら、私は再び歩き始めた。

「気のせい、気のせい」

 声に出しながら歩き続ける。そう、気のせい、ただの気のせいなんだ。

「――ちゃう、これ、気のせいちゃうわ」

 耳に神経を集中させる。たしかに、自分とは違う足音が、背後でこつこつと響いている。

「どないしよ」

 足が自然と早くなる。それに伴い、後ろの足音の回転も早くなったようだ。

「もうアカン」

 角を曲がると、私は全力で走り始めた。

 門を開け、玄関に続く階段を駆け上がった。震える手で鍵を開けて中に入り、すぐに鍵とチェーンをかける。

 手探りで電気を付けた途端、私はへなへなとその場に座り込んだ。酔いはすっかり冷めている。

「やっぱりストーカーや」

 心臓はまだガンガン鳴り続けているし、息もなかなかおさまらない。

 これで家族でもいれば、心配してお水の一杯でも持って来てくれるのだろう。しかし、一人暮らしでは所詮ムリな話だ。

「お父さん、お母さん」

 昨年、交通事故で亡くなった両親の顔を思い出す。

 彼らが残してくれたこの家は、私ひとりで住むにはあまりにも広過ぎた。でも、このご時世、なかなか買い手もつかず、結局こうして、ひとり淋しく住み続けているのだ。

「アカン、アカン。しっかりせな」

 両手で軽く頬を叩くと、私はゆっくり立ち上がった。

 家中の窓の鍵を確認し、2階にある自分の部屋へ。電気を付けて中に入ると、すぐ、窓辺に向かった。

「よし、大丈夫」

 鍵はしっかりかかっている。私はほっとして、カーテンに手をかけた。

「あれ? 今……」

 向かいの電信柱の陰で、何かが動いたような気がした。じっと目を凝らす。

 それは、人影のようだった。

「嘘やろ?」

 泣きそうな思いでつぶやく。しかし、家という砦の中にいるからだろうか、同時に怒りも込み上げて来た。

「よし」

 私はカーテンを引くと、部屋の電気を消した。これで、私の影は映らないはずだ。

「顔だけでも確認したる」

 私は、カーテンの間から、そっと外を覗いた。

 後ろから月明かりを受けているため、顔が陰になりよく見えないが、体格はかなりガッチリしているようだ。

「ん?」

 その影が大きく動いた。何かをポケットから取り出したらしい。

「煙草かな?」

 口にくわえるような素振りから、そう推測する。少しして、ライターでも付けたのだろう、顔の辺りがぱっと照らし出された。

「あっ」

 ほんの一瞬。でも、顔ははっきり見えた。

「どこかで見たで。あの顔」

 でも、どこでだったのか、どうしても思い出せない。

 私はカーテンをしっかり閉めると、部屋の電気を付けた。すぐに、ベッドの枕元に置かれた電話を取り上げる。

「もしもし」

 短縮ダイヤルを押すと、ややあって、克己の眠そうな声が聞こえた。

「なあ、これから来られへん?」

 私の言葉に、彼は一瞬間を開けてから答えた。

「何を言うてんねん。今、何時やと思ってんの?」

「まだ1時」

 私は答えた。

「まだ、ちゃう。もう、や。明日、朝早いねん。頼むわ。ほんまに」

 カノジョがこんな怖い思いをしているというのに、あからさまに迷惑そうなその声。私は思わず溜息を付いた。

「また職場に泊まってるん? ほんまに、いつになったら会えるんよ」

 ここ一ヶ月、彼とは電話で会話をするだけで、直接会っていない。仕事が忙しく、職場に缶詰めになっているらしい。まさか職場に押し掛ける訳にも行かず、何度か訪ねてみた彼のアパートは、いつも留守。

 思わず恨み言も口を突くというものだ。

「しゃあないやないか。メッチャ忙しいねんから」

「会われへんのやったら、せめて話くらい聞いてえや」

「わかったって。ほんで、何やねん」

 克己はついに観念したようだ。私は先ほどの出来事を話し始めた。

「今日の帰り道な、変な男の人に後ろ付けられてん」

「はあ?」

 克己はとぼけた声を出す。

「お前、まだそんなこと言うてんのか? せやから、気のせいやって」

「それが、ちゃうねんて」

 私は必死で訴える。

「今も、家の前で立ってんねん。その人。絶対ストーカーやわ」

「え? ほんまか?」

 克己の声が、少し真剣になった。

「ほんまやで。もう、気味が悪うて」

 私は身震いした。

「すぐに行ってやれるとええねんけどなあ。とにかく、きちんと鍵かけて寝えや」

「そうするわ。ありがとう。おやすみ」

 克己の言葉に頷くと、私は受話器を置いた。

++++++++++++++++++++

 克己から電話をもらったのは、ちょうど会社を出ようとしていた時だった。今、会社の裏にある喫茶店にいると言う。

 昨日はあれからなかなか寝つけなかったため、何となく体調が悪い。しかし、克己に会えると思うと、憂鬱な気分も吹き飛びそうだ。

 克己と出会ったのは半年前。駅前の駐輪場で、ドミノ倒しの犠牲になった私の自転車を、彼が引っ張り出してくれたのだ。ちなみに、彼の自転車は、私のそれの下敷きになっていた。

「何で、倒した自転車をそのままにできる人がいるんやろう」

「信じられへんね」

 すっかり意気投合した私達は、それから間もなくして本格的に交際を始めた。

 彼の両親も既に他界しているらしく、お互い、ひとりの身。私達は気楽に交際を続けていた。

「どこかな?」

 喫茶店に入って、中を見回す。彼は、店の隅っこの席に座り、手を振っていた。

「オレ、思うねんけどな」

 コーヒーを飲み終わると、克己は話し始めた。

「お前、しばらく家に帰らん方がええんとちゃうかな?」

「どういうこと?」

 私は聞き返した。

「オレが時々使うビジネスホテルがあんねんけどな。セキュリティもきちんとしてるし、しばらくそこに泊まったらどうやろ?」

 何やかや言いながらも、彼は私のことを心配してくれているんだ。

「ありがとう」

 私は微笑んだ。

「大体、あんな遅い時間に外歩いたりするからアカンねんで」

 克己が怒ったように言う。

「せやけど、一応、終電には間に合ってんで」

 私はそう答えて、はっとした。

「そうや。終電で一緒やった男やわ。家の前に立ってた人。どこかで見たと思ってん」

「何やて?」

 克己は驚いた顔をした。

「ほんなら、ずっとお前のこと、付けとったってことか」

「せやから、そう言うてるやん。やっぱりストーカーやわ」

 私の言葉には答えず、彼は伝票を手に立ち上がった。

「今もどこかで見張られてるかもしらん。急いでここを出よう」

 克己はきょろきょろと周りを見回しながら、細い路地に入った。

「ここを5分ほど行ったところに、さっき言うてたビジネスホテルがあるねん。とりあえず、そこにチェックインしようや。後のことはそれからゆっくり考えよう」

「そうやね」

 表通りと違って、ここは人通りがほとんどない。

「こんな道があってんね」

「おお。表は賑やかでも、一本入るとこんな感じの道は意外とあるねんで」

「へえ」

 いつも通っている街なのに、知らない場所に来たみたいだ。私は少しワクワクしながら、彼の後ろを歩いていた。

「あれ?」

 と、その時、後ろから走り寄る足音が聞こえた。振り返ると、そこにはあの中年男の姿が見える。

「あの男や」

「何やて?」

 克己が私の顔を見る。中年の男は、こちらに向かって走りながら、上着の内ポケットに手を入れていた。

 ――刃物でも持っているのかもしれない。

「逃げよう」

 私達は一目散に駆け出した。

「こっちや」

 克己が私の手を引っ張って、細い路地に入って行く。私は言われるがままに、走り回った。

 がむしゃらに逃げ続けるうちに、その男の姿は消えていた。

「あー、もうアカンわ。息、苦しい」

 私は道路の真ん中に座り込んだ。

「オレも。こんなに走ったん久しぶりや」

 彼も私の隣に腰を下ろした。額の汗を拭いながら私の顔を見る。

「汗まみれのお前も可愛いなあ」

「こんな時に何を言うてんのよ」

 私は、肘で彼の脇腹を小突いた。

「よっしゃ、ほんなら、そろそろ行くか」

「うん」

 克己の言葉に立ち上がろうとした時、不意に、誰かに肩を掴まれた。思わず顔を見合わせ、振り返る。

 そこには、あの中年男が立っていた。

 驚きの余り、声も出ない。

「まったく、手間かけさせやがって」

 その男は太い声で言うと、再び上着の内ポケットに手を入れた。

 ――刺される!

 身を縮める私の前に差し出されたのは、黒い手帳だった。

「警察手帳?」

 中の写真を見ると、確かに彼だ。

「刑事さんなんですか?」

 私が小さい声で尋ねると、彼は頷き、克己に話しかけた。

「村越勝彦やね」

「いえ、彼は『高崎克己』ですよ。ねえ?」

 私は克己の顔を見た。彼の顔色は真っ青だ。

「そうか。今度はそういう名前を名乗ってるんか」

 事態が把握できずきょとんとしている私の方に、その中年男は一枚の紙切れを見せた。

「こいつに出てる逮捕状や。罪状は結婚詐欺」

「結婚詐欺?」

「この男は、結婚詐欺の常習犯でなあ。指名手配がかかっとったんや。一ヶ月前、ようやく居所を突き止めてんけど、一足違いで逃げられてもうて」

 克己はうなだれている。

「でも、私は何も被害に遭ってませんし……。何かの間違いとちゃいますか?」

 私はすがる思いで、刑事に尋ねた。

「せやから、あなたを張らせていただいとったんですわ。何の収穫もなしに、ターゲットから手を引くとは思われへんかったんでね」

「ターゲット……?」

 たじろぐ私の目の前で、彼の手首に手錠がかかる。

「お嬢さん、正味な話、こんな男にひっかかったらアカンで。自分で自転車倒しといて、善意の人みたいな顔して引っ張り出してあげる。それがこの男の手口やからね」

 急かされてよろよろと立ち上がった克己は、私を見下ろしてこう言った。

「な? ストーカーとちゃうかったやろ?」

 パトカーのサイレンが近付いて来る。私はただ呆然と、その場に座り込んでいた。


<了>

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