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この作品には 〔残酷描写〕 が含まれています。

呪われた森と王子様と彼女

作者:青い鴉
 呪われた森。現代に生きる君たちには想像もできないだろうが、そういうものが中世にはあった。そこは森番もエルフもいない、呪われた場所。人が入れば迷い、迷えば逃れられず、逃れられないがために死に、その死体を堆肥にして森が育つ。そういう恐るべき森が中世にはあちこちに存在していた。
 その中でも、とりわけ魔女が死に際に呪ったといわれる森は凶悪だった。その中に魔女が住み、宝が眠っているという噂につられて、何人もの愚者が挑み、二度と帰っては来なかった。死者が死者を呼ぶように、毎年何人もの人々が犠牲になった。この森には決して入ってはならぬ。ついに王国は命令を発した。それでも森の供物となる者の数は減らなかった。それゆえにその森は畏怖を込めてこう呼ばれた。
 呪われた森、あるいは、死の森と。

 

 彼らは何でも屋だった。冒険者などとはとても呼べない、瑣末な仕事の請負屋をやっていた。彼らの名については特に語るまい。とりわけ若く、愚かな者の名前を並べ立てるほど、悲しいことはないのだから。とにかく、彼らは何でも請け負っていた。どぶをさらえと言えばどぶをさらい、人を探せと言われれば人を探した。だが殺しは請け負っていなかった。とはいえそれは高尚な信仰のためではなく、そういう仕事はもっと儲かる仕事を請け負う者に回っていたためである。とにかく、彼らは何でもやった。
 そしてついに彼らに、もし賢者が見るならば、まさしく死を宣告するような依頼が来た。呪われた森の入り口で薬草を集めろという依頼である。彼らの一人はそれを子供でもできる簡単な仕事と呼んだ。だが年長の者の意見は違った。あの森はとにかくやばい。この街の同業者の、誰もがびびって手を出さない。日が高いうちはまだいいが、日が暮れてしまえば神の加護は失われる。うっかり森に入ったならば、決して生きて出ては来れない。
 議論の末に、通常のニ倍の相場で、しかも前払いなら引き受けるということで決着がついた。昼ごろ交渉が行われ、相手方はそれを了承した。幼い彼らはその交渉の成果をたいそう喜びあった。彼らはワインを飲み、パンとチーズを食べた。つまるところ、それが彼らの最後の晩餐なのであったが、彼らはそこに思い至ることなく、翌朝から仕事にとりかかることとなった。

 

 
 空は曇り、森の前の原っぱはじめじめしていた。そもそも視界に呪われた森が入ること自体、非常に憂鬱な気分にさせられた。森そのものがぶわっとイナゴのように飛んで来て、自分達を食べてしまうのではないかという、およそありえない妄想がその場を支配していた。年長者は原っぱには薬草が見当たらないことに気付き、舌打ちした。薬草を採ってこれなければ依頼はご破算になってしまう。前払いでもらった金を、そっくりそのまま返すなどという決定は論外であった。年長者はしぶしぶながら、森のほうに少し近付くことを彼らに伝えた。
 哀れなことに、反対者は出なかった。そこに一人でも賢者がいたのなら、そんな無謀なことは決してしなかったであろうに。案の定、薬草は見つからなかった。そして夜は驚くほど早く訪れた。そこで彼らは賢明にも、森から離れることにした。夜の森などという危険なものに関わっていては、命が幾つあっても足りないという格言を、ようやく思い出したかのようであった。だが、そのときには既に手遅れになっていた。たまたま雲が晴れた。それとも、狼の群れの吼え声が、雲をつんざいて、満月を覗かせたと言うべきであったろうか。
 彼らは狼に取り囲まれていた。人間たちは非情にも、一番年下の少女を残して逃げた。いや逃げようとした。だが無駄だった。狼は草むらを掻き切って飛び掛り、迷うことなく男の喉笛を噛み千切った。叫ぶ者、あがく者、ナイフを取り出す者があった。だが無意味だった。男たちは狼によって殺された。逃げようとしなかった一番年下の少女だけが、最後に残った。いや、逃げようとはしていたのだ。だが足が震え、腰が抜け、一歩も歩くことができないでいたのだった。そのまま彼女は気を失った。結論から言えば、それが、それだけが正解だった。
 ある者が狼を遠ざけ、彼女を優しく抱きかかえた。まさにこんな時に、満月の晩にだけ現れる魔物といえば、諸君らにもおおかた想像がつくであろう。

 

 
 次に彼女が目覚めたのは、シルクのベッドの上であった。誰かが親切に狼を退け、自分を救い出してくれたことは明らかだったが、その部屋はあまりにも異質であった。いつも自分が寝泊りしている、質素な街の宿屋には無い上品な調度品が、そこかしこに溢れていた。まず目に付いたのはフルーツの盛り合わせを乗せ、平面の台の下に美しい曲線を描くテーブルであったが、それはベッドの縁も同じであった。よくよく目を近づけて見ると、上質な木材に、微細な素晴らしい彫刻が施されていた。そこはまるで立派な貴族の館のようだったので、彼女は自分が騎士様にでも助けられたのかと錯覚したが、すぐに頭を振ってその妄想を脇にどけた。
 確かに自分は助けられた。だが、ここは貴族の館ではない。窓を開けると、そこにはただ沢山の茨と樹木が折り重なり、延々と広がっているのが見て取れた。そこは街や森の外ではなく、むしろ森の中だった。彼女は盆の上のフルーツと、調度品を再びよく観察した。そこには森で取れる材料だけが使われていた。象牙や銀、ましてや金は無かった。それで彼女は、ここが噂に聞く「森の中の館」であることを悟った。
 彼女は知らぬ間に、森の最も奥に、魔女が住むという館にまで運ばれてきてしまったのだ。もしそうなら、それはもはや決して森から出られないということを意味していた。彼女は泣いた。

「どうして泣いているんだい?」上品なテーブルの、フルーツの盛り合わせの影から踊り出たリスが少女に話しかけた。そしてぶどうの皮を剥き、中身をごくりと丸飲みした。まるで人の言葉を喋れるのが当たり前とでもいう風な調子だった。

「どうしてって、森から出られないからよ」少女はごく普通に返事をしていた。そのことに自分でも驚いた。

「別に」ともう一つのぶどうを丸飲みして、リスは言った。「そんなにすぐ出て行く必要はないと思うけどね」

「この館には、あなたの他に誰がいるの?」少女は問題の核心を訊ねた。

「王女様と、王子様がいらっしゃるよ。むかしは魔女もいたもので、その分陰気臭かったけれど、もう居ない。あとのことは王子様に聞くといい。きっともうすぐいらっしゃるし、詳しく話してくださるだろうから」

 そう言うと、リスはベッドの上を跳ねるように走り、開いた窓からととと、と地面に向かって駆け下りた。その早業はまさに目にもとまらぬものであった。

「王女様と王子様? それじゃあまるで童話の――」そこまで言ったところで、彼女は来客の影に気付いた。

「ようこそお嬢さん。『呪われた森』に、ようこそおいでくださいました」

 来客は一礼した。頭を上げれば、それはまごうことなき王子様だった。上等な白いブラウスに、レースのついたベストを着ている。革靴もソックスもこれ以上無いくらいに立派なもので、窓からの光を浴びて輝いてさえ見えた。それに、ショートカットの金髪の美しいことといったら。ここまで王子様らしいと、なにか違和感を持ってしまいそうなものだが、彼女にはそれさえ見つけられなかった。靴の先からてっぺんまで、まったくもって王子様であった。

「私を助けてくれたのは、あなたなのですか」少女は失礼な口調になっていやしないかとびくびくしながら質問した。王子は微笑んで言った。

「そうであるともいえるし、そうでないともいえる。さあ、僕といっしょに館の中を見て回ろう。この館へのお客様はひさしぶりだから、見せたいものがたくさんあるのだ」

 そうして二人は、様々なものを見て回った。他の部屋、バルコニー、そして階段を降り、ロビー、玄関、外へ出て、噴水、庭木、薔薇園、様々なものを見た。憂鬱だった少女の心は晴れ、太陽は真上に昇り、なんだかお腹がすいてきたので、少女は食事はありますかと勇気を持って王子に問いかけた。王子はもちろん、と言った。
 客間では、ダイニングテーブルの上で、料理がほかほかと湯気を立てていた。不思議と給仕はいないようだった。シャンデリアの下、ダイニングチェアーに腰掛け、二人はパンをちぎり、スープを飲んだ。少女が食べ終えるのをしっかり待って、王子は言った。

「この森は呪われている。君が思っているよりも、ずっとずっと強い力で」と。

 王子は王女のことを話した。王女は決して眠りから醒めないのだと、王子は語った。眠りを覚ますためのキス。魔女はその点にこそ全身全霊をもって呪いをかけたのだと、王子は言った。自分の呪いを解こうという浅はかな試みが、むしろ魔女の呪いの恐ろしい引き金を引いてしまい、この森は茨と樹木に覆われ、永遠に呪われてしまったのだと。

「だから君をすぐに返すわけにはいかない」と王子は言った。
「この森がそんなに生易しい場所だと思われたら、きっととても悲惨なことになる。人々がずかずかと乗り込んできて、この森の樹木を焼き払おうとしたら? 森の呪いは相応の罰をもって彼らを迎えるに違いない。僕はそれを何度も見てきた。何度も何度も人々は森を侵そうとし、その都度彼らは目を背けたくなるような姿になった」

「あなたは、この森は、いつからここにあるのですか?」少女は問いかけた。

「ずっとだ。あの星空に新しい星が生まれる前から、ずっとこの森はあった。魔女の呪いは恐ろしく強く、王女は目覚めず、ずっと僕はこの森に縛り付けられている」王子は歯を食いしばって言った。そうでもしなければ、涙がとめどなく零れ落ちて、干乾びて死んでしまうとでもいうように。

「私が帰らなくても、きっと人々は私の死体が無いことに気付いて、やって来るでしょう」少女は悲しそうに言った。王子の言うとおりなら、その人々はきっと森に殺されてしまうということが分かっていたからだった。

「君はずっと隠れていればいい。辛い目に合うのは僕だけで十分だ」
「そういうわけにはいきません。迎えの者が来たならば、私は帰らねばなりません」
「そうか」王子は言った。そして苦々しいものを食べたような顔をした。

「それなら、なぜ私を狼から助けたのですか? なぜ私をここに連れてきたのですか? 話を聴いていると、まるで私があそこで死んだほうが良かったように聞こえます」

「それは――それは僕が、狼男おおかみおとこだからだ」王子はそう言うと、ぶるっと震え、一匹の狼の怪物になった。少女には、一体何が起きたのか咄嗟には理解しかねた。目の前にいたのは王子ではなく、一匹の大きな人狼だった。
 空を飛ぶカラスが意地悪そうに歌った。

「王子様は呪われた。王子様は呪われた。王女様にキスをして、王子様は呪われた。
その身はもはや人でなし。狼男と相成った。満月の夜に抜け出して、少女を一人連れ帰る!」

 大きな狼の怪物は再びぶるっと震えた。そこには元の通りの王子様が居た。あまりの変化の術の早さに、少女の目はついていけなかった。

「あのカラスが歌った通り、もはや僕は人ではない。あの時、王女にキスをした時、僕は呪いに撃たれ、王女の呪いを解くための資格を永久に失った。僕の表の姿は、この森を守る狼たちの王だ。正直に言えば、あのとき君を助けた理由も何もかも、僕にはもう決して思い出すことができないのだ」

 少女は困った。一人で帰ることもできず、迎えの者たちは森に殺されるという。どうすればいいのか分からなかった。だから、だから少女はとりあえず王子の頬を手のひらでしたたかにった。そうするしかなかった。

「すまない……」それを聞いて、少女は泣いた。

 謝罪の声が聞きたかったわけではなかった。森から帰る手段があると言って欲しかった。いまにして思えば、黒パンも、安ワインも、酸っぱいチーズも、あの質素な宿屋のベッドと天井でさえも、ひどく懐かしいものだった。それらが既に失われてしまったと知るのは、少女にとってはあまりにも酷な仕打ちであった。少女は森の中の館から帰れなくなったのだ。おそらく、きっと、永遠に。

「明日か明後日の昼、人間たちは君を取り戻すために遠征をしてくるだろう」と王子は予言した。
「それが、君が帰還を果たせる、最後のチャンスだ」と。

 

 
 クスノキの大木がざわざわと揺れた。人間が森のその領地を侵したとき、その葉は教会の早鐘のように打ち鳴らされる決まりだった。呪われた森はいつもどおりに戦闘の準備を始めた。まず手始めに、クスノキの上等な葉がぽとりぽとりと落ちて、立派な槍兵の部隊に変じた。くるみを拾っていたリスたちはあぶみを備えた栗色の駿馬へと変じた。そして、飛び交っていたカラスたちは黒い甲冑を着た騎士の姿に変じ、それらに跨った。カラスのくちばしの先のように尖った漆黒のランスを振り上げて、黒衣の騎士たちは雄たけびを上げた。それは森の中を反響し、陰惨で禍々しい交響曲を奏でた。人間たちの調査団は、森の奥から聞こえるその曲を聴き逃した。これほどわかりやすい葬送曲はなかったろうに。

「報告通り、狼に殺された死体は三つか。いつも連中とつるんでいる女が居ないな」「女だけ逃げたのでは?」「女だけで逃げたとは考えにくい」「こっちに引きずったような跡があります」「森のほうに連れ去られたのか」「呪われた森に」「死の森に」

 公騎士団は一通りの調査を終えると、ピストルや斧で武装した無愛想な傭兵たちに命じた。

「これより森の中に調査に入る。前回の連中のように全滅だけはするなよ。それでは報告書を書けんからな」笑えないジョークだった。
「お前たちはアリアドネの糸というのを知っているか? 知らんだろうから説明してやる。入り口の木に糸玉の端を結びつけ、そこから進みながら糸をずうっと伸ばしてゆくのだ。こうすれば、我々の足跡が残る。どうやって帰ればいいのか誰にでも分かるという寸法だ。いかに難攻不落の迷宮であったとて、この方法ならば決して迷うことはない」

 しかしその方法が、この呪われた森に本当に効果を及ぼすかについては、公騎士団の者は注意深く明言を避けた。いずれにせよ彼らは森に敵意を持って侵入した。侵入してしまった。もしそこに賢者がいたならば、彼らとは逆方向に、目を瞑って、耳を塞いで歩き去るようにと助言しただろうに。だが悲しいことに、彼らの中には賢者がいなかった。彼らはその時、明白に呪われた森の敵になった。

 彼らが少し行くと、そこには開かれた広場があった。彼らは少し動揺した。もっと深い謎が、神秘の森があるものと推察していたからだ。だが、そこには予想外の魔物が待ち受けていた。それは眼窓オクルスだった。彼らの頭上に突如として現れたその円形の怪物は、彼らのことをしっかりと値踏みした。恐怖にすくまない者はなかった。ただ、一人が、勇敢にも、そして無謀にも空に向けてピストルを発射した。ぱあんという音が響いて、オクルスは消えた。だが誰も、それが夢まぼろしであったとは思わなかった。確かに自分達は値踏みされたのだという認識が消えずに残った。

 彼らはさらに先に進もうとした。そこには茨があったので、傭兵の斧が振るわれた。一振るい一振るいするたびに、身の毛もよだつような絶叫がどこからともなく響いた。ついに彼の手に鞭のように茨が巻きついた。かと思えば、それは即座に重い鉄の鎖となった。肉の内側に食い込んだ茨の棘は、そのまま鉄のそれに変わった。重さによって皮膚が裂け、すぐに彼の手は血だらけになった。
 彼らはそれを見て、魔女の呪いが未だにこの地を支配しているのを確かめた。にもかかわらず、誰も撤退を指示する者はいなかった。全員がオクルスによって思考を麻痺させられていた。彼の手から斧をもぎとり、傭兵たちは再び茨を切り裂き始めた。注意深く、慎重に、茨は取り去られた。その先にはあのクスノキがあった。そして、そこには槍兵たちが整然と並んでいた。

 傭兵たちのピストルが火を噴いた。最前列の槍兵たちは薙ぎ倒された。それでも槍兵は前進を止めなかった。隊伍を組み、方陣を敷き、無表情で槍兵たちは行軍した。後方から馬のいななき声が聞こえる。そう、黒衣の騎士たちの突撃だ。傭兵たちは我に返り、槍兵ではなく馬のほうにピストルの狙いを定める。だが遅かった。その馬の装甲と騎士の甲冑は銃弾を寄せつけず、重騎兵の突撃は傭兵たちの戦列を崩した。
 その間にも、槍兵は黙々と行軍していた。公騎士団の者が重騎兵の突撃を受けて我に返り、撤退を指示した時には、槍兵は彼らを射程に収めていた。「突け!!」槍兵は突いた。多くの者が串刺しになった。「突け!!」さらに多くの者に槍は突き刺さった。「突け!!」「突け!!」「突け!!」

 一等先に逃げ出した者がいた。自らが得意絶頂に解説したアリアドネの糸を辿って、彼は走った。だが不可思議なことに道は伸び縮みし、直線は曲線へと変換されていた。彼は森の入り口に到達しようと試みるのだが、それは森の呪いによって不可能であった。後ろから馬の蹄の音がする。彼はついに畏怖に囚われ、後ろを振り返った。その瞬間、黒衣の騎士の剣は彼の首を刈り取り、それは森の柔らかな地面に音も無く落ちた。まるで貼り付いたような恐怖の表情であった。

 

 
 しかし傭兵たちには別働隊がいた。実力から言えば、こちらが本物であった。本隊からの連絡が途絶えたとの報告を受け、別働隊が動き始める。見敵必殺。否、見的必殺との指令が別働隊には下されていた。有り体に言えば、みなごろしである。森に住むすべからくを抹殺せよと、そして殺した分だけ金を払うと、傭兵たちには伝えられていた。
 彼らは火と油を用いることを躊躇わなかった。たちまち茨は燃え上がり、森は絶叫を発した。狼の群れの吼え声が響いた。人狼は――王子は、彼女を肩に乗せてここに来ていた。やってきた人間達に彼女を引き渡す。それで丸く収まるのであれば苦労しない。彼らは女がさらわれたとは聞いていたが、無事に保護しろとまでは命令を受けていなかった。そして彼らに道徳を期待するのは、ああ、神に裏切りを期待するのと同じく、無意味であった。

 彼らはその鍛え抜かれたピストルの技によって、狼たちを殺した。草むらに隠れているのをそのまま殺すこともあれば、自らに飛び掛ってくる狼の眉間を打ち抜くこともあった。それらの技は彼らにしてみれば造作もないことだった。たまらず、狼たちは狼男に助けを求めた。草むらから、彼女を肩に乗せた怪物が現れる。幸いにも「女を撃たない」という銃士としての最後のプライドが彼女を救った。だが狼男は別だった。肩を撃たれ、腰を撃たれ、腕を撃たれ、そして最後に心臓を撃たれた。

 彼女は「撃たないで!!」と懇願した。人狼はもはや立ち上がらないようだったので、傭兵はピストルを構え直した。その空隙に、彼女の悲鳴が届いた。「撃たないで!! 彼はこの森の最後の良心なのよ。殺してしまえば、それこそ、どうなるか分からない!!」
 傭兵たちはその発言を訝ったが、とりあえずこの喧しい女を殺そうと腹を決めた。そのときだった。最後の力で再び立ち上がった人狼が、その分厚い心臓が、彼女の盾となった。何発もの銃弾を心臓に喰らい、最期に人狼は王子の姿に戻った。
 彼女は絶叫した。
「この森は呪われている」彼女の頭の中に、あのときの王子の声が響いた。「この森は呪われている。君が思っているよりも、ずっとずっと強い力で」

 傭兵の足元に蔓延はびこる草が足に絡みつき、鉛に変わった。茨が鋭い鞭となってしなり、鉄の鎖に変わった。いまや全ての傭兵たちは森という鎖によって繋がれていた。そこで針葉樹の葉が剣となり、広葉樹の葉が槍となった。傭兵たちは雨あられと降り注ぐ鉄の武具によって針串刺しにされた。彼女には何が起きているのか最後までよく分からなかった。ただ、目の前が鈍色にびいろのもので埋め尽くされ、背景が赤く塗りつぶされていくことだけが分かった。
 それは本物の魔女の呪いであった。誰にも解けず、誰にも理解されない。王子の存在によってかろうじて防がれていた真の呪い、魔女の最期の呪いであった。傭兵たちはあっけなく死んだ。天国にも地獄にも行かれそうにない哀れな姿になって、全員雁首揃えておっんだ。
 幸いにも、彼女は途中で気を失った。それが賢明だった。今や森の呪いは、はち切れんばかりに躍動する筋肉のように生気を得て、森の外にまで広がる勢いだった。樹木がざわめき震えた。そこには剣兵も槍兵も弓兵も騎兵も居た。大軍団がえいえいおうと掛け声を上げていた。そして黒衣の騎士がそこに合流すると、彼らは濁流となって森の外へと湧き出した。

 

 
 王国は呪われた森から大軍団が現れたと聞いて慌てふためいた。賢者の助言もこのときばかりは当てにならなかった。盾を持った兵を森の周囲に展開させ、名も無き軍団を堰き止めるのが精一杯であった。それも、もって数時間が限界で、溢れ出した軍団は進軍し、王国の首都を壊滅させるであろうというのが、名軍師たちの冷酷な意見だった。魔女の呪いはそれほどまでに強く、無尽蔵に沸いてくる軍団には打つ手が無かった。
 心臓を撃ちぬかれた王子は、死んではいなかった。その血まみれの手で、心臓の中に食い込んだ鉛玉を取り除こうとしていた。血反吐を吐きながらも、一発一発の鉛玉を、彼は摘出していった。狼男を殺せるのは銀の弾丸だけである。王子は最期の鉛玉を引きずり出し、彼女を抱えて森の奥へと進んでいった。目指すは王女様の部屋である。あの呪いの引き金となったあの場所で、王子は再び王女にキスをしようとしていた。たった一度のキスで狼男になったのである。二度目のキスでどんな怪物に、野獣、魔王になるのかは分からない。だが、いまこの森の憎悪を、魔女の呪いを収めるにはそれしかなかった。
 王子は血みどろになって、気を失っている彼女を抱えた。失血死してもおかしくない状況で、王子はよく耐えた。痛みはもはや死痛を通り越して一回りしていた。ただ王子は館への道を歩いた。王国軍と森の軍団が戦っている音が響いてきていた。無駄な足掻きだった。魔女の呪いは強い。それは世界そのものを滅ぼすための呪いなのだ。自らを一顧だにしなかった王国への復讐か、それともただの気まぐれか。今となってはよくわからない。ただ、全ての樹木が軍団に変わった時、王国は崩壊してしまうであろうことは確かなことだった。

 王子は館の前で倒れた。彼女は正気に返り、王子をベッドに引きずっていった。テーブルクロスで止血をし、薬を塗ったガーゼを貼り、どうか生き返るようにと願った。効果はたちまち出たようだった。血は止まり、王子はむくりと起き上がった。僕は王女にキスをしなければならない。王子はそう言っていた。彼女が肩を貸して、王女の部屋に連れて行った。王女様は綺麗だった。そして外の喧騒は何も知らぬとばかりに、すやすやと眠っていた。王子は言った「僕がどうなるかは分からない」と。けれども君には手を出さないようにする。それは約束する。王子様は王女様にキスをした。たちまち姿は恐るべき野獣のそれに変わったが、彼女はそれでもやさしい王子の味方だった。

 魔女の呪いは、封じられた。大軍団は木の葉になって風に舞った。リスは地面のくるみを集め、カラスは空を飛びながら大声で歌を歌った。
「王子様は決めた。王子様は決めた。自らがどんな化け物となろうとも、王女様を救おうと。
王子様は決めた。王子様は決めた。世界がどんなにくだらなくても、呪いの森を治めようと!」

 

 
 彼女は王女様を見つめている。館の一室、何の心配も無く眠る美しい眠り姫。自分の為に何が起こってしまっているのかを知らない世間知らずの眠り姫。そして唇を重ねようとして、彼女は踏みとどまる。王子様でさえあの狼男へ、そして野獣へと変じたのだ。自分のキスで状況がよくなるはずはない。彼女は席を立ち、王女様の部屋から出る。どっと疲れが襲ってくる。
 いつも用意されているディナーを食べに、彼女は階下に降りてゆく。彼女はもう人間達の、そして呪いの恐ろしさを十分知っている。森から出るなどということは、どう考えても不可能だ。諦観といえば諦観だが、毎日の料理には困っていない。食材は勝手に補充され、好きな料理を作ることもできる。彼女は自分の作る食事を王子に食べてもらえるだけで十分だった。本当に十分だったのだ。

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