第八話 虫愛ずる姫君
はるか昔、平安時代のころ、京の都のきらびやかな街の一角に、按察使の大納言と言う大変身分の高いお方が住んでおりました。一人の娘がおり、両親は大変かわいがっておりました。ですが、この娘のいう事は変わっておりまして、
「世の人は蝶々や花と言った外見の美しいものに惹かれるけれども、私はそうじゃないと思う。人間は誠実に、物事の本質を追求してこそ意味があるってものよ」
などと、齢十四歳にしてこんな事を考えているのです。そして、部屋中に虫かごを置き、毛虫やら色んな虫たちを飼い、
「成長していく様子を観察するの」
と一日中眺め、
「特に毛虫は何を考えているのかわからないところが趣き深くていいわ」
などとのたまい、髪の毛を後ろでくくって、およそお姫様らしくない質素な着物に身を包み、化粧もお歯黒もせず、手のひらの上で毛虫を遊ばせたりするので、侍女たちはおののいて近づくのを嫌がるのでした。
侍女どもに虫を捕まえて来い、と命じても誰も行かないので、お姫様は村へ出て、近所の子ども達を集めます。
「これ、バッタ太郎、お前はバッタを集めておいで」
「バッタ太郎……ひどいよ、お姫様」
「うふふ。まぁいいじゃない。これ、トンボ麻呂。そなたはトンボを採ってきて」
「はぁい」
「そして、お前はクワガタ上皇よ。頼んだわよ、あと毛虫もね」
そう言いながら、子供たちにおこづかいを渡すと、子どもたちは現金なもので、あっという間に散っていきます。このように過ごしているものですから、いつしかあだ名は「虫愛ずる姫君」になってしまったのでした。
「これ、姫や、もう少し今風の娘のたしなみをしてはどうだね」
と、ある時、食事を取りながら父の按察使は言いました。すると、虫愛ずる姫君は、
「でもお父様、所詮そんなものは移ろい行くもので、私はそんな事より万物の真理を知りたいのです。毛虫はどうして蝶々になるのでしょう?」
父が答えられずに黙っていると、さらに姫君は凄い勢いでまくしたてるので、父も何も言えなくなるのでした。
可哀想なのは侍女たちで、姫君の部屋の掃除をしていると、天井から蜘蛛がスーッと降りてきて悲鳴を上げたり、籠から逃げ出した蛾などが部屋中飛び交うので逃げ惑ったり、しかし、姫君本人は涼しい顔をしているのでした。
やがて、この虫愛ずる姫君の噂は都じゅうに広まり、さてその奇人変人はどんな風貌なのだろう、と多くの男が見物にやってきます。ところが、すだれの奥から垣間見える姫君は、質素ながらたいへん美しい風貌をしており、見た者はみな「惜しい。きちんとお洒落にしていれば」などと思いながらも、手に毛虫を乗せて喜んでいる姫様はなぁ、と思って去っていくのでした。
その頃、都には不穏な噂が立っておりました。なんでも、旅人が最近行方不明になることが増えてきたらしいのです。
「本当だって。岩みたいな大きさのアリが七兵衛をくわえてもっていっちまったんだ!」
とある京の茶屋の中でまくしたてている男がおりました。周りの人々も耳を傾けています。
「どこでなんだ?」
「澤山街道の途中の大庭山の近くだよ。夜中に二人で道を急いでたんだ、そしたら山のほうから真っ黒な馬鹿でかいアリンコが来て、ああ、思い出しただけでも恐ろしい」
そこまで言うとその旅人は体を震わせて、二度と大庭山には近づきたくない、と震えるのでした。
その後も、何人もの旅人や行商が大庭山には巨大なアリが出る、危うく食べられかけた、と口をそろえるので、時の朝廷も放っておけず、討伐隊を結成し、巨大アリを退治をする事にしました。
「本当なの?その話は」
侍女の立ち話を耳にした虫愛ずる姫君は聞きました。
「はい、屈強なもののふを集めて、今日にも退治に出かけるそうです」
姫君も少し前から巨大アリの噂話は聞いておりました。何かよくない予感がして、ふと思い立って家を出るのでした。
その日、およそ百人もの巨大アリ討伐隊は、大将の横乃上時麻呂を中心に、京の都から大庭山へと到着しました。山は鬱蒼とした木々に茂っており、何が出てもおかしくない雰囲気です。
「たいまつを常にかかげろ。もののけは火に弱いはずだ。火矢の用意もしておけ」
そう言いながら、慎重に山道に分け入りました。旅人達の証言では、街道を歩いているとすぐに出てきたらしいが、と時麻呂は思い出しながら、ゆっくりと歩を進めます。
「時麻呂様。あそこに大きな洞窟があります」
指さされたほうを見ると、確かに山道をもう少し上がった場所に黒々とした穴が開いています。豪胆で知られる時麻呂も思わず唾を飲みました。
「よ、よし、入ってみるか」
「う、うわっ」
一人の武士が悲鳴を上げました。洞窟の入り口にはなんと、生々しいちぎれた人間の手があるではないですか。一同は思わず足がすくみました。
その時、洞窟のほうで何かが揺らめきました。なんと、人間の五倍はありそうな大きさのアリがゆっくりと出てくるではありませんか。
「火矢を射よ!者ども伏せろ!」
巨大アリを見るなり時麻呂は伏せながら叫びました。後ろにいた弓隊が一斉に矢を放ちました。何本かがアリの黒々とした体躯に刺さりました。
「グギューッ」
巨大アリはこの世のものとも思えぬ咆哮を上げて洞窟のほうに逃げました。一瞬の静けさが訪れます。
「油断するな!また出てくるかも知れぬ」
言いながら慎重に時麻呂は脇差を抜き、少しずつ洞窟の中へと進みました。瞬間、飛び出してきた巨大アリに噛みつかれ、空中で振り回されました。一匹ではなく、次々に数匹出てきたので、討伐隊は大混乱に陥りました。武勇が取りえの武士達は、突如現れた巨大アリの群れと必死に戦いましたが、やがてまず火矢が尽き、何匹かを倒したものの、後から後から出てくる恐ろしいほどの数の巨大アリたちに、次々と食われてしまいました。すでに大庭山を埋め尽くすほどの巨大アリが、何かに怒り狂ったように行進を開始しはじめました。何百匹の巨大アリは、一路京の都を目指しているようです。
その様子を討伐隊の見物ついでに木陰でこっそり見ていたバッタ太郎たちは仰天して、全速力で都へ戻りました。
京の都の外れの道を、一人歩いていたのは虫愛ずる姫君でした。何かに導かれるように歩を進めています。そこへ、必死の形相でバッタ太郎たちが走ってきました。
「姫様!大変だよ!巨大アリどもが都を襲いにくるよ、逃げよう!」
と言うなり、有無を言わせず姫様の手を引っ張ります。彼方遠くには確かに真っ黒な何かがこちらへやってくるのが見えます。引きずられるまま姫君は何かを考えていましたが、やがて、きっぱりと言いました。
「私が彼らを止めます。あなた達は検非違使のお館に知らせに行きなさい」
そう言うと、姫君はそこに立ち止まりました。クワガタ上皇は涙目で危ないよ、食べられちゃうよ、と言いましたが、聞く耳を持ちません。
「いいから早く行きなさい!」
その声には不思議な威厳があり、バッタ太郎たちはまた一目散に駆け出しました。
やがて、虫愛ずる姫君の前に、数百匹の巨大アリがやってきました。先頭の一匹が、姫君の前で立ち止まりました。
――お前は俺達の言葉が分かるのか
――わかります。私はあなた達のことが大好きなの
――人間どもは俺達の巣を襲った。報復せねばならない
――お願いですからそのような真似はやめてください。それにあなた達が先に人間を襲ったのでは?
――人間が無闇に山に入り我が物顔で縄張りを荒らすからだ
――もう二度とあなた方の住処を荒らしません。どうか許してください
後ろのほうの仲間が構わず殺してしまえ、と言っている。都のほうからも、人の群れがやってきます。おそらく検非違使が急遽軍を編成し戦いにやってくるのでしょう。いけない、と虫愛ずる姫君は焦りました。このままじゃどちらかが全滅するまで殺し合いになってしまう。
――では、私の命で許してください。そう約束してくれたなら、まず人間のほうを説得して帰らせます。その後私を殺してください。
そう言った姫君の目には嘘はなかった。先頭を来ていた巨大アリは実は群れの王でした。王は、くるりと踵を返しました。そして一言だけ言いました。
――二度と俺達の縄張りを荒らすな
そして、数百匹の巨大アリはみな大庭山へと帰っていきました。立ち尽くす姫君の元へ、検非違使の一隊がやってきました。
「娘、大丈夫か?何故アリどもは引き返していったんだ?」
「縄張りを荒らすな、とだけ言っていました」
そう答えた姫君に、バッタ太郎たちが飛びついて抱きつきました。
「心配したよぉ姫様!」
「無事でよかったよ!食べられちゃうかと思った!」
姫君は初めて笑顔になりました。こうして、虫愛ずる姫君の不思議な力で、京の都は守られたのでした。(終わり)
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