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愛のモノリス 作者:稲葉孝太郎

第2章

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燃え立つ科学者

「熱い! 焼ける! 体が焼ける!」
 突然暴れ始めたかぐや。それを制止しようと、神楽が駆け寄る。
「きゃッ⁉」
 でたらめに振り回された手のひらが、神楽の頬を掠めた。爪が皮膚を切り、うっすらと血が流れる。
 神楽は傷口を押さえてかぐやと距離を取ると、今度は彼女の腕を取り押さえようとした。だがこれも失敗し、かぐやに突き飛ばされた神楽は、絵本のそばに倒れ込んでしまう。凄まじい力だ。脳のリミッターが外れているのだろう。
 このままではかぐやの身に危険が及んでしまう。下手をすれば、強制覚醒が起こり、記憶障害が悪化してしまうかもしれない。
 神楽が三度目のトライをかけようとしたところで、再びかぐやが叫んだ。
「誰か! 誰かこの火を消して!」
 火? 神楽は動きを止め、あたりを見回す。火事の形跡はどこにもない。
 幻視だ。トラウマの内容が強烈過ぎて、思い出の世界とトラウマとが融合してしまっているのだ。
 神楽は室内に視線を素早く走らせ、花瓶を見つけるとそれを手に取った。
 そして花を引き抜くと、中身をかぐやの顔にぶちまける。
「ひゃッ⁉」
 かぐやは暴走を止め、その場にへたり込んだ。
 両手で顔を拭うかぐやに、神楽が話し掛ける。
「大丈夫? 怪我は?」
 かぐやはぼんやりと神楽の顔を見上げ、それからまわりの状況を確認する。
「ここは……宇宙船の中じゃ……」
「違うわ。ここは月代さんの夢の中よ」
 神楽はにっこりと微笑むと、かぐやが立ち上がるのを手伝う。かぐやは、今まで見ていた光景が忘れられないのか、少しばかり怯えるような顔付きをしていた。火の手の跡を追うように、部屋の隅に視線を向けている。
「いずれにせよ、正気に戻ったようで良かったわ」
「す、すみません……あ!」
 かぐやが、ふいに声を上げた。
「どうしたの? 何か思い出した?」
「神楽さん、ほっぺたに傷が……」
「ああ、これ?」
 神楽は、人差し指でそっと切り傷を撫でた。
 指を離してみると、確かに血糊が広がっている。
「これはさっき、花瓶を取りに行くとき切ったのよ」
 優しい嘘。神楽の言葉に、かぐやは疑問を挟まなかった。
 かぐやはポケットに手をやると、何かを取り出そうと指を動かす。
 だが、目当てのものは見つからなかったらしい。今度は、両手をお椀の形にし、そっと目を閉じた。かぐやの動作の意味を、神楽はすぐに理解する。何かを夢現化しようとしているのだ。
 神楽が黙って様子を伺っていると、かぐやの手のひらに小さな紙切れが浮かんだ。それは一枚の絆創膏。かぐやはそのテープを剥ぎ、神楽の頬に絆創膏の接着部を添え、優しくそれを貼った。
「あ、ありがとう」
 思わず顔を赤らめてしまう神楽。
 まさか、思い出屋の自分が介抱を受ける側に回るとは、神楽も予想していなかった。ぽりぽりと頬を掻き、気まずそうに天井を見上げる。
「……ところで、何か思い出した?」
 神楽は事務的な態度を取戻すと、かぐやにそう尋ねた。
「い、いえ、何も……」
「何も?」
 これには神楽の方が驚いた。あれだけの反応を見せて、何も思い出せなかったというのだろうか。トラウマの核心に触れたと考えていた神楽は、思わぬ肩透かしを喰らってしまう。
「じゃ、じゃあ、さっきのは何? 私をからかったの?」
「え? ……い、いえ、そういうわけじゃないです。ただ、宇宙船の中で火事が起きたシーンがリアル過ぎて……」
 神楽は、かぐやの理由付けにぽかんと口を開けた。そして、あらためてこれまでのかぐやの行動を分析してみる。案外自分は、この少女に見当違いなイメージを抱いていたのではないか。そんな思いが、神楽の中でだんだん頭をもたげ始めた。
 それに、と神楽はかぐやの肌を見つめる。もしかぐやが現実世界で何らかの火事に巻き込まれていたなら、どこかに火傷の痕が残っているはずだ。いくら整形技術が発達したとはいえ、かぐやの透き通るような肌質まで戻せるはずがない。
 そう考えた神楽は、とりあえず物語を終わらせにかかった。
「ま、まあいいわ。で、その後はどうなるの?」
「その後?」
 再び首を傾げるかぐや。
「宇宙船の中で火災が発生して、その後は?」
 神楽の言葉に、かぐやはようやく質問の意味を察したようだ。
 そして、意外な答えを返してくる。
「その後はありません」
「……?」
「娘はそのまま死んでしまい、そこで話は終わりです」
 何と言うバッドエンド。神楽は、頭を抱えてしまう。
 けれども、全くの無駄足というわけでもない。登場人物が焼死したとなれば、それは神楽の身内の死を暗示しているのではないだろうか。それが彼女の読みだった。父親だろうか、母親だろうか、それとも、この部屋に住んでいたかもしれない妹だろうか。
「いや、そうとも限らないわ……」
 神楽はそう呟き、部屋の奥へと視線を移す。ベッドの隣にある勉強机の上。
 もうひとつのメモリー候補が、じっとふたりを待ち受けている。
「月代さん……これは罠かもしれない……」
「罠?」
 神楽は鍵を握り締め、今度ははっきりとかぐやの視線を捉えた。
 かぐやは、何が何やら分からないといった顔をしている。
「同じ階層にロスト・メモリーがふたつ……少しおかしいとは思ってたんだけど……こうなってみると、片方は連中の罠のような気がしてきた……」
「連中……?」
 そう口にした瞬間、かぐやはハッとなり、一歩後ろに下がる。
「忘れ屋……ですか……?」
 神楽は、真剣な表情で頷き返す。
「月代さん、あなたは連中から偽の記憶を植え付けられようとした可能性が高いわ。だとすれば、このふたつのメモリーのうち、どちらかが偽物、あるいは両方偽物っていうことも考えられる……。もちろん、推測の域を出ないけど……」
「ど、どうすれば……?」
 焦りを見せるかぐやを前に、神楽は勉強机へと足を伸ばした。
「大丈夫。偽物と本物を区別する方法はあるから。今は、二番目のロスト・メモリーを優先しましょう」
「は、はい」
 かぐやも神楽の隣に立ち、勉強机の上を見回す。小学校の教科書とキャラクターものの鉛筆や消しゴム、それにプリント類が散乱している。
「うわ、ごちゃごちゃしてますね」
 かぐやは、特に考えもなくそう呟いた。そんな少女の隣で、神楽は含み笑いを浮かべる。これは、かぐやの机なのだ。床の上に散らばった絵本も、かぐやのずぼらな一面を示しているに違いない。
 しかし、そんなことはどうでもいいかと、神楽は気を引き締め直す。
「勉強机の上にあるってことは……学校関連……?」
 神楽は、机の上にあるノートを手に取り、ぱらぱらとページをめくった。真面目に授業を受けているらしく、奇麗な字で漢字の書き取りがしてある。
「月代さん、この中で何か……」
 そこまで言いかけて、神楽はふと机の上に目を留めた。今しがた手に取ったノートの下から、一枚のプリントが姿を現す。
 そのこと自体は珍しくもなんともない。授業用の演習プリントなど、小学校でも山ほどもらうのだ。そうではなく、そこに書かれた文字が、神楽の注意を引く。
「これは……英語……?」
 神楽はノートを横に取りのけ、代わりにプリントを拾い上げる。
 びっしりと紙面を埋めるアルファベットの頂上に、他の文字よりも大きなサイズでタイトルが印字されていた。

 Project MONORIS

「プロジェクト……モノリス……?」
 神楽は、タイトルから視線を下ろし、本文に目を通そうとした。ところが、最初の数単語で、神楽は読解を諦める。彼の英語能力が問題なのではない。神楽は、英語は比較的得意な科目だった。
 問題は、その内容にあった。一行追うごとに、見たこともない単語や化学記号、はては数式まで飛び出し、解読を全く不可能にしていた。仮に日本語で書かれていたとしても、内容が分からないのではないか。そう思わせるような文章である。
「科学の論文かしら……?」
 神楽は、見た目の印象からそう結論付けた。
 けれども、それは新たな疑問を生む。小学生の頃と思わしき部屋の中に、なぜ学術論文の類いが転がっているのか、見当がつかなかったのである。
「別の部屋から持って来た……? いや、それでも内容が……」
「神楽さん、どうしたんですか? 何を見てるんですか?」
 神楽の肩越しに、かぐやが覗き込んでくる。
 書類の文面に目を留めたかぐやは、しばらくその横文字を追った。
「月代さん、これに見覚えある?」
 期待のこもっていない問い。
 ところが、当のかぐやは急に真面目な顔になり、視線を紙のあちこちに走らせる。
「ちょ、ちょっといいですか?」
 かぐやは神楽の許可を待たず、プリントを指の間から抜き取る。
 顔を近付け、穴が空くほどにその表紙を見つめた。
「……これは」
 かぐやがぼそりと呟く。
「これは?」
「ど、どこかで見た覚えがあります……というか……これ……」
 かぐやは、タイトルのすぐ下を指差す。
 その指示対象を追った瞬間、神楽は言いようのない驚きに包まれた。

 PhD Kaguya SAIJYO

「かぐや……さいじょう?」
 神楽はプリントを取り返し、その名前に見入った。
 書かれている位置からして、論文の著者かなにかに思える。
 もっとも、神楽が気になったのは、そこではない。月代かぐやと同じ名前を持つ人物がいるということに、あるいは少なくともその記憶があるということに、神楽は戸惑いを隠せなかったのである。
「サイジョウが名字だと仮定すると……月代が偽名だった……?」
 もしかすると、月代かぐやが見つからなかった理由はそれかもしれない。神楽がそんな考えを巡らせている間、かぐやは相変わらず論文の中身を読んでいた。
 不思議に思った神楽が、そっとかぐやに尋ねる。
「読めるの?」
 かぐやは、びっくりしたように視線を上げる。
「あ、いえ、そうじゃありません。ただ、この文章、どこかで……あ!」
 かぐやが突然声を上げる。
「記憶にあるのね?」
「は、はい、確かこのプリント、私がどこかで燃やしたような……」
「燃やした?」
 神楽はそっと手を伸ばし、プリントを受け取ると、それを蛍光灯にかざした。
「……どこにも焦げ跡はないけど」
 プリントは、印刷されたての状態だった。紙質は良好で、染みなどもついていない。火にくべられる前の記憶だろうか。神楽は、そんなことを思う。
「月代さん、あなた、両親のどちらかが外国人ってことはない?」
「両親……ですか……」
 かぐやは、ぼんやりとそう呟いた後、そのまま口を噤んでしまった。
 神楽の中で、だんだんと疑念が大きくなる。
「家族の記憶がないの?」
「……ありません」
「お父さんとかお母さんの顔も思い出せない?」
「全く……」
 そのとき、部屋の外で何かが壊れる音がした。神楽は反射的にプリントを握り締め、それをポケットの中に滑り込ませた。
 ふたりは同時にドアを見やり、それが空耳でないことを確認し合った。
「何ですか、今の音?」
「さあ……」
 神楽は首を捻る。これまで見た部屋の中に、何かが壊れるようなイベントを示唆するものがあっただろうか。
「……ちょっと見てくるわ」
「そ、そうですね。見に行きましょう」
「月代さんはここで待ってて」
 神楽にそう言われ、かぐやは少し意外そうな顔をした。
「なんでですか?」
「別に深い理由はないわ」
 嘘だった。神楽は、得体の知れない妙な感覚に囚われ始めている。それは、二番目の証拠品がいとも簡単に見つかってしまったときから、ずっと彼女の頭を掠めているものだ。
 ひょっとして、この思い出の中に、自分たち以外の誰かがいるのではないだろうか。よくよく考えてみれば、隠れる場所はいくつかあった。クローゼットの中、ベッドの下、あるいは神楽たちが見落とした隙間があるのかもしれない。
 万が一、思い出屋たちが一条橋家の館を突き止めていたとしたら、そして、神楽たちが能力を使うタイミングを見計らっていたとしたら、彼らもまたこの夢の世界にいるのかもしれない。
 神楽は、緊張した面持ちで声をかける。
「それじゃ、様子を見てくるから、私が戻るまでは絶対に部屋を出ないでちょうだい」
 そう言って、神楽はさりげなく先ほどの花瓶を拾い上げる。
 武器とまではいかないが、無いよりはマシだ。
「そうだ。念のため、内側から鍵を掛けといて」
「か、鍵ですか?」
「いいわね?」
 神楽の有無を言わさぬ口調に、かぐやは大人しく頷いた。
 神楽は扉を閉め、かぐやが内側から施錠したことを確認すると、廊下に並ぶ部屋の扉を一瞥する。
「音の方向からして……ここ?」
 神楽が選んだのは、向かい側の壁にある一番右手の扉。中学生の部屋だ。
 神楽はドアノブに手を掛け、慎重にドアの隙間から室内を覗き見た。
 ……誰もいない。その代わり、クローゼットの上にあった積み木の城が崩れていた。
 神楽は扉を開放し、室内に足を踏み入れる。
「バランスが悪かったのかしら……?」
 神楽は花瓶をそばに置くと、崩れた積み木のピースに指を伸ばす。ところが、その指は積み木の数センチ手前でぴたりと止まった。
「これは……携帯……?」
 神楽は、積み木の山の中に、真っ白な折りたたみ式の携帯電話を見つけた。赤い円錐のブロックを退けて、その下に埋まっていた携帯を手に取る。蓋を開けると、セットされていたタイマーが画面に映っていた。
「まさかバイブレーション機能で……?」
 神楽は、崩れた積み木を見つめながら、タイマーの時刻をチェックする。時刻は、十一時十七分を指していた。その数字に何か意味があるのではないかと、神楽は腰を上げ、かぐやのもとへ戻ろうとする。
 その瞬間、背後で人の気配がした。
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