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愛のモノリス 作者:稲葉孝太郎

第2章

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見つからない名前

 翌日、神楽たちは、朝食の到来とともに目を覚ました。
 あの後、一条橋家の広大な邸宅に案内された三人は、神楽とかぐやが同室、泰人は別室という割り当てで睡眠を取り、全ての作業を翌日に回した。朝食が部屋に運ばれたとき、神楽ですらまだ寝ていたほどである。それくらい疲労が溜まっていた。
 ベーコンエッグとオレンジジュースを並べるメイドに、神楽が声をかける。
「逆木くんに、十一時四十五分頃、部屋へ来るように伝えてもらえませんか?」
「かしこまりました」
 メイドは、それだけ言って、そそくさと部屋を出て行った。朝食を平らげたふたりは、少し室内でくつろいだ後、指示された時間にノックの音を聞く。
「先輩、来ましたよ」
「入って」
 神楽の返事と同時に、泰人は堂々と扉を開けた。真っ赤な絨毯の上に足を乗せると、窓際でソファーに座って雑誌を読むかぐやへ、少年は瞳を向ける。
 かぐやも泰人の登場に気付き、顔を上げるとにっこりと笑った。
「あ、泰人さん、おはようございます」
「おはよ。昨日は、よく眠れた?」
 泰人の質問に、かぐやは頷き返す。
 その仕草とは裏腹に、表情は冴えない。目の下に隈こそないが、少し眠たそうだ。一晩であれだけの体験をしたのだ、無理もないと、泰人は黙って向かいに腰を下ろす。
「コーヒーでも飲む?」
「あ、ブラックで」
 神楽は、別のメイドが持って来た淹れたてのコーヒーをカップに注ぎ、泰人に手渡す。少年はフゥフゥとそれを冷ました後、ぐぃと喉に流し込んだ。
「ミルク入れた方が体にはいいわよ?」
「さあ、どうだか」
 ふたりの会話に、かぐやがくすりと笑った。
 何がおかしいのか、神楽にはさっぱり分からない。
「あ、すみません……なんか、夫婦みたいだなと思って……」
「それはないわ。先輩と結婚するなんて、よほどの物好きだよ」
「ちょっと! どういう意味よ⁉」
「日本語の意味通り受け取ってもらって結構です」
 キッチンから襲い掛かって来そうな剣幕の神楽を尻目に、泰人は壁の時計を見た。
 針は、十一時五十七分を指している。
「もうすぐじゃないですか?」
 泰人の呟きに、神楽が表情を変える。
「ええ、そろそろかかってくるはずだけど……」
 それを最後に、三人は一様に口を噤んだ。
 五十八分……五十九分……十二時ジャスト。

 プルルル プルルル

 病的なまでの几帳面さだ。時計の数字と睨めっこしながら、通話ボタンに親指を掛けていたであろうフブキの姿を想像し、神楽は思わず口の端を綻ばせた。
 神楽は、すぐに電話を取る。
《もしもし? 神楽?》
 スマートフォンから、少女の声が聞こえて来た。
「ええ、私よ。どう? 何か掴めた?」
《それがね……》
 通話が、そこで一旦止まる。
 その先があまり好ましくない内容であることを、神楽はすぐさま察した。
《月代かぐやって十代の女の子は、存在しないのよ。少なくとも、国の住基ネットに登録されてないわ》
「……どういうこと?」
 神楽が、自問自答するようにそう尋ねた。
《どうって……こっちが訊きたいわよ。名前を間違ってるんじゃない?》
 フブキの返しに、神楽はかぐやの方へ顔を上げる。
「月代さん、名前は本当にこれで合ってるの?」
「は、はい、私が思い出した名前は、月代かぐやです……」
 かぐやの返事に、神楽はさらに泰人の方へ首を捻った。
「泰人が見つけたピースは、本当に名前のピースなの? 実は、もっと別の何かってことはない?」
 神楽の問いに、泰人はどぎまぎした表情を浮かべた。
 駆け出しの自分に訊くなと、そんなニュアンスが込められている。
「ロスト・メモリーは、ネームプレートのところにあったよ」
「そう……」
 神楽はこめかみに指を当て、しばらく瞑想に耽った。
「フブキ、芸能人や歌手で、月代かぐやっていう芸名の人物はいないかしら?」
《ちょっと待って……》
 しばしの沈黙。スマートフォンの向こうで、キーボードを打つ音がしている。
 フブキが何をしているのか、神楽には見当がつかない。
《いないわ。該当者なし》
 あまりの仕事の速さに、神楽は目を見張る。
 そしてその驚嘆は、すぐにある疑念に取って代わられた。
「……どうやって調べたの?」
《ググったのよ》
 神楽は、スマートフォンを取り落としそうになった。
「ググった? ……もうちょっとマシな調べ方はないの?」
《マシって、これが一番に決まってるでしょ。検索エンジンにも引っかからないような芸名じゃ、こっちもお手上げだわ。整備された芸名データベースがあるわけでもないのに》
 フブキの言う通りだった。いくらフブキでも、町の片隅で活動しているバンドマンやアマチュアアイドルなどの名前まで把握できるわけではない。
 それに、月代かぐやが本名ではなくニックネームなのではないかという推測も、あくまでひとつの可能性に過ぎないのだ。そこにリソースをつぎ込む余裕はなかった。
「……分かったわ。念のため、二十五歳くらいまで調査範囲を広げてくれない?」
「えー? かぐやちゃんが二十五歳に見えるって、先輩目が悪いんじゃないっすか?」
 泰人の批判を無視して、神楽はフブキの反応を待つ。
 通話口から聞こえて来た返事は、彼女の期待を裏切った。
《ああ、それは意味ないわ》
「意味がない? どうして?」
《私もそう考えて、三十歳まで全部照合したもの》
 フブキの返答に、神楽はちらりとかぐやを盗み見る。
 いくらなんでも、三十歳を過ぎているようには思われない。
 神楽は項を垂れながら肩を落とし、スマートフォンに耳を当て直す。
「分かったわ……ありがとう……」
《ま、そう気を落とさないでよ。神楽の情報が空振りってのも珍しいけど……。それに免じて、料金は半額にしといたげる。じゃあね》
 そこで、通話は途切れた。
 神楽はしばらく液晶画面を眺めた後、おもむろに溜め息を吐く。
「一回目の回想で手掛かり無し、か……」
 神楽の結論に、泰人とかぐやがお互いの顔を見やった。ふたりとも意気消沈している。
 一分ほど沈黙が続いた後で、最初に口を開いたのは泰人だった。
「先輩……これってどういう……」
「それは、私が知りたいわよ」
 神楽は、顔も上げずにそう答えた。怒っているわけではない。様々な可能性を模索し、妥当な解を導き出そうと、少女は意識を集中しているのだ。
 そのことを知っている泰人は、不安げな顔をするかぐやに目配せする。神楽に任せておけば大丈夫だと、少年の瞳が語っていた。泰人は場の雰囲気を和ませるため、コーヒーをかぐやにも勧める。
 黒い液体が縁まで満ちたところで、神楽はようやく思考の海で息継ぎした。
「考えられるのは……」
 それが、神楽の第一声だった。泰人とかぐやは、一斉に固唾を飲む。
「考えられるのは、泰人が見つけたロスト・メモリー……あれが偽物だってことね……」
 神楽の言葉に、泰人の手が止まった。
「偽物……? ロスト・メモリーに本物とか偽物なんてあるですか……?」
「……あるわ」
 それは、泰人が初めて耳にする情報だった。
 泰人は黙ってポットを戻すと、カップをかぐやに差し出す。
 そして、神楽に問いた気な眼差しを向けた。
「偽物の記憶があるってことは……俺たちの能力は完璧じゃないってこと?」
 神楽は悩まし気に答えを返す。
「いえ、そういう意味じゃないわ。私が知っている限り、思い出屋の能力に欠陥はないはずよ……」
「じゃあ、偽物の記憶っていうのはいったい……?」
 少年の質問を無視して、神楽はかぐやの目を見つめた。
 コーヒーカップを手にしたかぐやは、気まずそうに視線を逸らす。
「月代さん……ちょっとショッキングな話になるけど、聞いて欲しいの……。私たちの能力は、人間の思い出したくない記憶を探索し、それを再生させることだわ。そのプロセスに欠陥はないの……だけど……」
 神楽は、一段と声を低める。
 かぐやは、真っ直ぐと彼女の瞳の奥を見据え始めた。
 それが良からぬ知らせであることを、かぐやは勘付いているようだった。
「だけど、そこに介入することができる連中がいる……。忘れ屋よ……。私の予想では、月代さんは既に連中の手で記憶を改竄されているんだと思う……」
 神楽の冷静な分析に、かぐやの手からカップが滑り落ちた。
 絨毯の上にコーヒーが飛散する。
「ご、ごめんなさい!」
「かぐやちゃん、大丈夫?」
 泰人がハンカチを取り出し、床を拭き始める。
 その間も神楽は、一人淡々と自説を開陳していく。
 まるで、自分自身と対話しているかのように。
「月代さんは、昨晩の回想の時点で記憶を改竄されていた……。こう考えれば、全て辻褄が合うわ……。月代さんの脳は、刷り込まれそうになった偽の名前を拒絶して、それをロストさせてしまったのよ……」
 泰人は床を拭き終え、ようやく神楽の説明に歩調を合わせ始めた。
「じゃあ、昨日の夜、あのルナとか言う女の子が追って来なかったのも……」
「ええ、連中の行動が悠長だったのには、理由があったのよ。連中は、自分たちが押し付けようとした記憶がうまく働かなかったことに気付き、私たちと同じ結論に達した。偽の記憶がロストしてる、って。だから連中の目的も、泰人が見つけたロスト・メモリーを再生することだったんだわ……要するに、私たちはババを掴まされたってわけ」
 神楽は、そこで言葉を終えた。
 泰人の顔が、見る見る重たくなっていく。
「ごめん……俺、かぐやちゃんに変なことしちゃったかも……」
 反省する泰人の前で、神楽が腰を上げる。
「いえ、これは私の責任よ。もっとクライアントである月代さんのことを調べてから取りかかるべきだった。それをいきなり泰人くんに任せた私のミスだわ」
 責任を引き受け合うふたりに、かぐやが静かに話し掛ける。
「いいえ、もとはと言えば私が原因です……でも、月代かぐやが本名じゃないなんて……私はいったい、誰なんでしょうか?」
 唯一得られた手掛かりが消え、三人の顔に影が差す。
「……もう一度行くしかないわね」
 神楽の宣言に、かぐやと泰人がハッと息を呑んだ。
「またあの世界に行くんですか?」
 半分不安、半分期待の入り交じった声で、かぐやが尋ねた。
「ええ、このままじゃ埒が開かないわ。それに、月代さんが記憶障害を患っているということは、忘れ屋たちの改竄が失敗している証拠よ。おそらく、どこかで手違いがあったんだと思う……。それなら、後発の私たちにもチャンスがあるわ。奴らが記憶の改竄に成功する前に、月代さんの正常な記憶を掘り起こすのよ」
「で、でも誰が行くの?」
 隣で泰人が口を挟んだ。
 もっとも神楽の答えは、少年にもとっくに分かり切っているのだが。
「私が行くわ」
 神楽はそう宣言して、かぐやの隣に座り直す。
「泰人、この部屋の管理を頼んだわ」
「オッケー、任せてよ」
 それを聞いた神楽は、かぐやの前に右手を差し出す。
「さあ、行きましょう」
 かぐやも目を閉じ、ふたりは指を絡め合った。
 目を閉じると、瞼越しに蛍光灯の灯りが映り込む。
 それはだんだんと輝きを失い、暗転していく。
 最後には、闇が全てを覆った。

 ☽

 神楽が目を覚ましたとき、彼女の神経が初めに感じ取ったのは、左手に伝わる柔らかな毛玉の感触だった。瞼を上げ、その正体に目を向けると、小さな熊のぬいぐるみが、神楽の顔を興味深そうに覗き込んでいた。
 神楽は上体を起こし、急いで自分の居場所を確認する。
「ここは……子供部屋……?」
 神楽は、室内を詳細に観察する。
 花柄の可愛らしいカーテン、ベッド、あちこちに散らばる子供用のおもちゃ……。
 どう見ても、幼稚園か小学校低学年の女の子が好みそうなデザインだ。
「月代さんの子供……? いや、そんなはずは……」
 常識的な線に沿って考えを進める神楽。
 そのとき、彼女はようやくあることに気が付いた。
 部屋の中には、神楽一人しかいない。
「つ、月代さん……⁉」
 神楽は床に手を着いて飛び上がると、かぐやの気配を求めて四方を見回す。
 しかし、どこにもその片鱗はない。
 同調の失敗か? 神楽に緊張が走る。
 神楽の頭が一瞬真っ白になったところで、ふいに背後のドアが開いた。
 猫の写真が添えられたカレンダーが揺れ、ドアの隙間からかぐやが顔を覗かせる。
「神楽……さん?」
「月代さん!」
 神楽は、かぐやが部屋へ足を踏み入れるや否や、彼女に駆け寄った。
「どこにいたの? 先に目が覚めたとか?」
 神楽の剣幕に、かぐやは一歩引き下がった。
「いえ、私もさっき目が覚めたばかりです。ただ、起きたら神楽さんがいなくて……」
 かぐやの説明が意味するところを、神楽は即座に察した。
「別の部屋にいたってこと?」
 かぐやは、黙って頷き返す。
 神楽は今いる部屋の中をぐるりと見渡し、ロスト・メモリーがないかを確かめる。
 目視できる範囲にはないようだ。
 だが、部屋にはクローゼットや机があり、その中を透視することはできない。
 神楽がクローゼットへ足を伸ばそうとしたとき、かぐやが彼女を呼び止めた。
「あ、あの……メモリーなら、もう見つかりました……」
 神楽は、驚いてかぐやを振り返る。
「どこに?」
「私がいた部屋の中です。ただ……」
 かぐやは、そこで言葉を区切った。その理由が、神楽には見えてこない。
「ただ?」
「ふ、ふたつあるような気がするんですけど……」
「……」
 神楽はかぐやの横を通り抜け、部屋を出る。
 清掃の行き届いた板張りの廊下が、右手の方へ続いていた。左側は壁になっており、神楽の起きた部屋が一番奥にあることを示している。
 廊下には、いくつもの扉が見える。かなり大きな建物のようだ。
「月代さん、どの部屋?」
 後を追ってドア枠に姿を現したかぐやに、神楽が尋ねた。
「すぐそこです」
 かぐやが指差したのは、神楽が出て来た部屋と同じ側にある、すぐ隣のドアだった。
 神楽は躊躇うことなくドアノブに手を掛け、それを回す。
 神楽が力を込めると、それは音もなく開いた。
 少女の目の前に、もうひとつの部屋が姿を現す。
「こ、これは……⁉」
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