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愛のモノリス 作者:稲葉孝太郎

第1章

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我が名はかぐや

 部屋を出た泰人とナナコを待ち受けていたのは、左右に伸びる白い通路だった。
「ここは……どこですか……?」
「病院の廊下……かな……?」
 そう呟いてから、泰人は首を左右に九十度回し、通路の奥を探った。どちらの側も、頑丈な金属製の扉で封鎖されている。その向こうに何があるのか、泰人たちには伺い知ることすらできない。
「ここも窓がないですね……」
 ナナコが耳元で囁く。確かに、窓が見当たらない。通路も、先ほどの部屋と同じくらい殺風景で、ひとつだけ違うとすれば、等身大の鏡が、出口のすぐ前の壁に掛けてあることくらいだ。
「この鏡は何だろ?」
 泰人は、目の前の鏡を覗き込む。
 濡れた髪の毛が額に張り付き、彼女の細い顎から水滴が流れ落ちていくのが見えた。
「は〜、びしゃびしゃだな……」
 泰人は、額に張り付いた前髪を摘まみ上げる。鏡越しに背後へ目をやると、部屋の中でスプリンクラーが、くるくると回りながら水をまき散らし続けていた。
 その鏡の世界に、ナナコの顔がひょいと現れる。
 泰人が振り返ると、少女は手をもじもじさせながら話し掛けて来る。
「あの……これからどうするんですか……?」
「うーん、そうだね……ナナコちゃん、ここがどこだか思い出せた?」
 泰人の質問に、ナナコは首を振った。
「ここがナナコちゃんの家じゃないことは確かっぽいけど……」
 泰人は、腕時計に目をやる。残り時間は三十分を切っていた。
 どうやら、部屋の中で時間を使い過ぎてしまったらしい。
「早くロスト・メモリーを見つけないと……」
「そのメモリーの特徴を教えていただけませんか?」
「うーん、特徴って言われても……。大切なグッズだったり、ただの文字列だったり、記号だったり……。ナナコちゃんが見れば、すぐそれと分かるはずなんだけど……。独特な印象を受けるらしいから……」
 適当な言葉を探す泰人の目に、奇妙なものが留まった。自分たちが出て来た扉のすぐ横、ちょうど目線の高さに取り付けられた、真っ白なプレートである。
「ん? 何だこれ?」
 泰人の発言に、ナナコも扉の方を振り返る。そして、眉をしかめた。
「これは……」
 ナナコの反応に、泰人の顔が強ばる。
「何か見覚えがある?」
「み、見覚えはないですが……何だか不思議な感覚がします……」
 泰人は、唇を固く結び、プレートをもう一度見上げた。
 不思議な感覚。これがメモリーで間違いない。泰人は、そう確信した。
 しかし、ナナコが何かを思い出した気配はなかった。少女は、ぼんやりとプレートを見つめたまま、その表面を目で追っている。
「こ、これからどうすればいいんでしょうか?」
「……何も思い出さない? 自分の名前とか……」
 その途端、泰人の前でナナコの顔色が曇った。
 それはすぐに苦悶の表情へと変わり、ナナコは両手で頭を押さえ始める。
 泰人は、慌ててナナコに寄り添う。
「どうしたの? 何か思い出した?」
 ナナコは頭を抱えたまま、泰人の腕に身を任せる。
「いえ……ちょっと頭痛がして……」
 痛みは徐々に去りつつあるのか、ナナコは泰人の腕から起き上がり、こめかみを撫でた。
 だが、今度は泰人が渋い顔をしている。
「あの……何か……?」
「ごめん、酷かもしれないけど、もう一度、さっきの私の台詞を思い出してくれない?」
「え……? 泰人さんの台詞を……?」
 泰人の頼みに、ナナコは眉をひそめる。
「そう。多分、ナナコちゃんは、さっきの会話のどこかで、記憶を刺激されたんだ。何かを思い出しかけたんだよ。ただ、ナナコちゃんの心がそれを拒んだから、頭が痛くなったってわけ。分かる?」
「何かを思い出しかけた……?」
 泰人は、両腕をナナコの肩にかける。
「焦らないでいいから、ゆっくりね。頭が痛くなったら、すぐに止めてもいいよ」
 泰人の真剣な眼差しに、ナナコは意志のこもった瞳で頷き返す。
 そして目を閉じると、先ほどの泰人の台詞を暗唱し始めた。
《……何も思い出さない? 自分の名前とか……》
「名前……うッ……⁉」
 ナナコは、再び頭を抱えた。
 泰人は、ナナコが平静を取り戻すまでじっと待ち続ける。
 すぐにでも質問を投げ掛けたいところだが、泰人はクライアントの安全を優先した。そしてその間、思考をフル回転させ、ナナコが呟いた言葉の意味を探る。
 名前……白地のプレート……壁のすぐそば……。
 そのとき、泰人のニューロンに電流が走った。
「ネームプレート!」
 泰人は、急いでプレートに駆け寄り、その表面を凝視した。一見滑らかに見えたそれは、明らかに何かで擦られた後を残している。記憶消去の痕跡だ。そのことに気付いた泰人は、大声を上げて顔を引き離す。
「やっぱり!」
 押し付けた左頬が、うっすらと赤みを帯びていた。
 だが、そんなことはお構い無しに、泰人はナナコに話し掛ける。
「ナナコちゃん、大丈夫? まだ耐えられそう?」
「え……ええ……一回目ほど痛くはありませんでした……」
 ナナコの返事に、泰人は安堵の表情を浮かべた。
「心が慣れてきたんだね。良かった……。いい、これから重要なことを話すよ。また頭が痛くなるかもしれないけど、我慢して聞いて……。ナナコちゃん、君は名前が思い出せないんじゃない……思い出したくないんだよ……。だから、あそこに掛けられてるはずのネームプレートが、真っ白になっちゃってるんだ」
「ネーム……プレート……」
 心が楽になり始めたのか、ナナコの頭痛は再発しなかったようだ。
 まだ少し調子が悪そうに見えるものの、言葉には乱れがない。
「そのネームプレートに何が書かれていたか、思い出せない?」
 核心部分に触れた泰人は、黙ってナナコの反応を待つ。
「……何も思い出せません」
 ナナコは、消え入りそうな声でそう答えた。
「ネームプレートを見た記憶は?」
「あ、ありません……」
 ネームプレートの存在自体が、記憶から消されているのだ。そう考えた泰人は、腕組みをし、軽く目を閉じる。
 こんなとき、アドバイザーはどうすればいいのだろうか。神楽から教わったことを思い出そうと、泰人は記憶を辿った。
「……そうだ。トラウマになってることは、ダイレクトには思い出せないんだ……。何かワンクッション置かないと……」
「……間接的にってことですか?」
「そう……」
 とは言ったものの、どうすればその間接的な記憶の再生ができるのか、駆け出しの泰人には見当がつかなかった。
 一度だけ、神楽が連想ゲームのようなものでクライアントの記憶を引き出した場面に立ち会ったことがある。泰人はそのテクニックを学ぼうと神楽に頼み込んだが、断られてしまった。まだ早いというのだ。
「あの人、いつも俺を子供扱いするんだよなッ!」
 悪態をつく泰人だが、これでは問題の解決にならない。
 とりあえず、適当に考えをめぐらせ、少年はあるアイデアを思いついた。
「そうだ、もしかすると、上塗りされてるのかもしれない。マニキュア落としとか、そういうものを出せない?」
 泰人の問いに頷き返し、かぐやは両手をお椀型に組むと、早速マニキュア落としを夢現化させ始めた。五分ほどして、ピンク色の小瓶ができあがる。
「どうぞ」
「サンキュ」
 それを受け取った泰人は、ポケットから取り出したハンカチにそれを染み込ませ、プレートを強く擦ってみた。
「……んー、だめか」
 プレートは、相変わらず白いままだ。
 匂いのきつくなったハンカチを放り投げ、泰人はもう一度頭を捻る。
 さらに五分ほどして、少年はポンと手を叩いた。
「そうだ! 確かインクに紫外線を当てると、薄い文字でも読めるようになるんだ!」
「紫外線……ですか?」
「そうだよ。紫外線照射装置とか、そういうのは作れない?」
 キラキラと輝く泰人の目に、少女の戸惑った顔が映り込む。
「そ、そういうものはちょっと……」
 がっくりと肩を落とす泰人。
 だが、無理なものは無理なのだ。少年は自分にそう言い聞かせる。
「こうなったら、通路の向こう側にヒントがないか、確かめてみよう。俺はあっちを担当するから、ナナコちゃんはこっちをお願い」
 そう言って、泰人は閉鎖された通路奥の扉へと足を向けた。
 重々しい把っ手に指を掛け、思いっきり力を込めてみる。
 ……びくともしない。
「ダメです、こっちも開きません」
 通路の反対側から、ナナコの悲愴な声がした。
「ここを開けろッ!」
 拳をいくら打ち付けてみても、扉は頑として口を開けようとはしない。
 手首の関節に軽い痛みが走ったところで、泰人は叩く手を止めた。
「やっぱり俺じゃダメなのか……」
 涙目になりながら、泰人は腕時計を見た。残り時間は、既に十分を切っている。
 泰人はもう一度部屋の前に戻り、プレートを穴の空くまで見つめた。
 何も読み取れない。
 万事休すか。泰人は、むちゃくちゃに髪を掻きむしった。正面の鏡の中で、ぼさぼさ頭の自分が悶えている。
「ん……鏡……?」
 泰人は、部屋から出た直後のシーンを思い出す。スプリンクラーでずぶ濡れになった自分は、この鏡の前に立った。
 あのとき、なぜ後ろの壁に掛かっているプレートに気付かなかったのだろうか? 鏡の中に立つ惨めな自分の姿に気を取られ、後ろの背景が目に入らなかったのだろうか?
 ……違う。あのとき、彼は部屋の入口を視界に収めていた。そうでなければ、スプリンクラー自体が鏡越しに見えないはずだ。
 泰人は、鏡に駆け寄る。
 そして鏡の中を覗き込み、自分の肩越しに視線を伸ばした。
 ……プレートに文字が写っている!
 この鏡こそ、ナナコの封印された記憶に通じる、隠し通路だったのだ。
「ナナコちゃん、鏡を見て!」
 泰人の叫び声に、ナナコが駆けつけた。
 ふたりは、左右対称になったアルファベットを、慎重に読み上げていく。
「T・S・U・K・I・S・H・I・R・O……ツキシロ!」
 泰人が叫んだのと同時に、ナナコが顔を上げる。
「ツキシロ……」
 ナナコは胸元で柔らかに指を折り曲げ、そっと目を閉じる。
「私は……かぐや……月代かぐや……!」
 その瞬間、泰人たちは現実へと引き戻された。

 ☽

 泰人が目を覚ますと、そこは健老人の車の中だった。
 高速道路のランプが、窓ガラス越しに流れては消えていく。
 夢見心地の醒めやらぬまま、泰人は、助手席から覗き込む神楽の顔を認めた。
「あら、お目覚めね。どうだった?」
 神楽は、あまり期待していないような声でそう尋ねた。
 泰人が唇を動かす前に、隣でナナコが悩まし気な寝息を立てる。
「う……ん……」
 神楽と泰人の視線が、ナナコの挙動に注がれる。
 ナナコはそれを敏感に感じ取ったのか、うっすらと目を開け、車内を見回した。
「ここ……は……?」
「おはよ、ナナコちゃん……じゃなくて、かぐやちゃん」
 泰人の挨拶に、神楽がぎょっと目を見張る。
「泰人……潜入に成功したの……?」
「ちょっと、何ですかその言い方は! まさか失敗前提だったとか⁉」
 顔を真っ赤にして怒る泰人に、神楽は申し訳なさそうな愛想笑いを浮かべる。
「ま……まあ……そんなとこかな?」
「ひどいッ!」
 狭い空間で両足をばたばたさせる泰人を他所に、神楽はナナコ、否、かぐやへと視線を移す。
「あなた、名前を思い出したの?」
 神楽の問いに、かぐやははっきりと首肯する。
「はい……私は、月代かぐやと言います……」
「つきしろかぐや? ちょっと書いてくれない?」
 神楽はポケットから手帳を取り出し、ボールペンと一緒にかぐやに手渡す。
 かぐやはすらすらと自分の名前を書き、神楽にそれを返した。
「月代かぐや……か。よし、これなら同姓同名の問題も無さそうね」
 神楽はそう言うと、スマートフォンを抜き出し、何やら操作を始めた。
 電話帳を開いて画面をプッシュすると、機体をそのまま耳に押し付ける。
 しばらく呼び出し音が鳴った後で、ふいにそれが途切れた。
《もしもし……?》
 眠たそうな少女の声が聞こえてくる。
「もしもし? フブキ?」
《そうだけど……あんたさあ、夜中の十二時過ぎに女子中学生の携帯に電話して来るって、頭おかしいんじゃないの?》
「まあそう言わないでよ。急ぎの用事なの。フブキを天才と見込んでのね」
 神楽のおべっかに、回線越しの雰囲気が変わる。
《……ははーん、このフブキ様を、天才美少女ハッカーと見込んでの頼みなわけね……。いいわよ》
 単純な奴だと思いつつ、神楽は仕事の話を進める。
「調べて欲しいのは、ある人物の素性。名前は月代かぐや。ツキは満月の月。シロは代理人のダイ。かぐやは全部平仮名ね。年齢は、十五歳から十八歳の間。念のため、十代の女性は全部調べてみてちょうだい。その少女が見つかったら、私の携帯に返信を入れてくれないかしら」
《……国の住基ネットをハッキングしろってこと? また厄介な仕事ね……》
「ペンタゴンよりは簡単でしょ?」
《……分かったわ。連絡は明日の正午でいい?》
「ええ、頼んだわ。報酬は、いつもの口座で」
 そこで通話が途切れた。
 若干失礼な別れ方だが、神楽は気にせずスマートフォンを仕舞う。
「十二時間後には、月代さんの正体も分かるわ。泰人、お手柄よ」
 神楽の褒め言葉に、泰人は得意げな顔をして腕を組み直す。
「だろーッ? 俺だって、やるときはやるんだぜ!」
 泰人が土産話を始めようと意気込んだところで、かぐやが割って入る。
「泰人さん、神楽さん、本当にありがとうございました」
 その場で頭を下げるかぐやに、ふたりはお互い顔を見合わせる。
「いえ、別に仕事だから……。まだ言ってなかったけど、記憶が戻った暁には、料金を払ってもらうことになるし。……心配しないで。法外な値段は吹っかけないから」
 神楽は安心させるようにそう言ったが、内心保証はできなかった。基本料金、フブキへの調査費用、それに部屋を荒らされた損失。もしかすると、監視カメラも忘れ屋たちの手で壊されてしまったかもしれない。
 神楽はそれらをざっと概算した後、敢えて口を噤んだ。
「……ところで、私はこれからどうすればいいのでしょうか?」
 かぐやが、神楽と泰人の顔を交互に見比べながら言った。
「そうね……。さすがに野宿させるわけにはいかないし……かといって健さんの車に一晩中乗ってるわけにも……」
 神楽が思案顔でそう言ったとき、老人が横合いから話し掛けて来た。
「屋敷に泊まっていかれては?」
「え……いいんですか……?」
「ええ、公子お嬢様は休暇でご不在ですが、それでもよろしければ」
 老人の申し出に戸惑うかぐや。公子というのは、この町の有力者、一条橋家の息女で、大金持ちのお嬢様である。彼女自身は思い出屋ではないが、いろいろなコネクションを持つ彼女は、神楽たちにも一定の援助を行っているのだ。無論、ボランティアというわけではなく、それなりの労働で報いなければならないのだが。
 その労働が面倒なので、神楽は一瞬躊躇した。しかし、他にいいアイデアも浮かばない。
「じゃあ、お願いするわ」
「かしこまりました」
 老人が、視線を道路に据えたまま頷いた。相変わらず頭に?マークを浮かべているナナコもといかぐやを尻目に、カローラはインターチェンジを下り、普通車線に入った。
 それに合わせてもう一台の車が高速を下りたことに、神楽たちは気付かなかった。
+注意+
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