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愛のモノリス 作者:稲葉孝太郎

第1章

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守人と狩人と

 コンコンコン

 そのせっかちなノックの仕方に、神楽は聞き覚えがあった。
「……泰人? 入ってもいいわよ」
 神楽の声に合わせてドアノブが回り、勢いよく扉が開く。
「やっほー! 神楽先輩ばんわー!」
 ドア枠の向こう側に現れたのは、濃紺の詰め襟制服に身を包んだ快活そうな少年。栗色の髪をなびかせながら、ぴょんと部屋の中へ飛び込んで来る。
「神楽先輩、さっきのメール……⁉」
 泰人と呼ばれた少年は、顔を赤らめてパッと口元に手をやる。
 目が、見知らぬ黒髪の少女に釘付けだ。
「し、仕事中に失礼しやした!」
 そう言ってくるりと背を向けた少年の肩を、慌てて立ち上がった神楽が掴む。
「ちょうどいいところに来たわ。手伝いなさい」
「……こんな時間にですか?」
 泰人は、半信半疑の表情で、少女を見返した。
 少女の容姿を頭のてっぺんから爪先まで眺め回した後、泰人は元気よく挨拶する。
「うっす! 俺の名前は泰人! 君は?」
 クライアントにいきなりため口で話し掛ける泰人。
 神楽は思わず頭を抱えてしまう。
「こ、こんばんは……私は……」
 そこで、黒髪の少女は言葉を切った。泰人は、怪訝そうに少女の顔を見つめる。
 そこへ助け舟を出したのは、神楽だった。
「彼女、記憶がないらしいの。記憶喪失ってやつ」
「記憶喪失……?」
 状況を把握した泰人は、少女に同情的な眼差しを送った。
 だが、すぐに相手を励ますような笑顔を見せる。
「大丈夫。神楽先輩が何とかしてくれますよ!」
「あのねぇ、人の仕事を勝手に請け合わないでちょうだい」
「いやー、神楽先輩は、一流の思い出屋ですからね」
 泰人のからかうような口調に、神楽はうっすらと頬を赤らめた。
 それから泰人は、突然頭に電球を光らせ、ポンと手を叩く。
「あ、そうだ! ナナコちゃんでいいですか?」
「ナナコ……ちゃん……? 誰だそれ?」
 神楽は、泰人の意味不明な発言に眉を寄せた。
「このままだと、お互いにコミュニケーションが不便じゃないですか? だから、名無しの可愛い子ちゃんで、ナナコちゃんに決定! ナナコちゃん、よろしくッ!」
 なんと泰人は、初対面の人間にいきなりあだ名を付けてしまったのだ。呆れるやら可笑しいやらで、神楽だけでなく黒髪の少女、もといナナコも釣られて笑ってしまう。
「あれ……ネーミングセンス良くなかった?」
 見当違いなところを心配する泰人に、ナナコが笑いを堪えながら答える。
「いえ、素敵なアイデアですわ。では、しばらくの間、ナナコでお願いします」
「気に入ってくれたんですね!」
 泰人のペースに乗せられて、場の雰囲気が塗り替えられていく。それまでの猜疑心に満ちた空気が、嘘のように晴れ渡っていた。神楽は、泰人の登場に心の中で感謝する。
 そんな神楽に、泰人が問いた気な眼差しを向けてくる。
「ところで神楽先輩、さっきのメール読みました?」
「メール? ……仕事中は電源オフに決まってるでしょ?」
「ちぇ……せっかく人が美味しいケーキ屋さんを教えてあげたのになあ……」
 泰人は、拗ねたように携帯を取り出すと、着信を確認し始めた。
 ぽちぽちと親指でボタンを押しながら、泰人は思い出したように口を開く。
「ところで、ビルの前に停まってる車、ナナコちゃんの?」
 携帯から顔を上げずに尋ねる泰人。
 神楽は、訝し気に少女を見やる。
「……連れがいるんですか?」
「い、いえ」
 少女は、否定的に首を振った。
 神楽は窓際に歩み寄り、カーテンの隙間から路地を見下ろす。
 ……確かに、黒塗りの車が停めてある。近所では見たことのない車種だ。
「ナナコさん……あなた、誰かに追われているのでは……?」
 追われているという言葉に、ナナコは身震いする。
「わ、分かりません……ただ、少し前から誰かに見られているような気は……」
 ようやく神楽は、少女が無意識に感じていた恐怖の源を悟った。
 顔を引き締め直し、泰人に声を掛ける。
「泰人、乗ってたのはどんな奴?」
 携帯をいじっていた泰人も、さすがにその手を止めた。
「……黒づくめの怪しい男がふたりと、女の子がひとり」
「……まずいわね」
 神楽と泰人はお互いに頷き合い、急いで退室の準備を始める。
 神楽は革靴から動き易いスポーツシューズに履き替え、薄手のカーディガンを羽織る。
 その横で泰人が、誰かに電話を入れていた。
「健さん、二十分で来れます。本社に泊まってたみたいです」
「そりゃ運がいいわね」
 濃紺のリュックを背負い、神楽はナナコに歩み寄る。
「急いでここを出ますよ、お姫様」
 事情を飲み込めないナナコを連れて、神楽たちは部屋を後にした。廊下を左に曲がり、なるべく音を立てないようにしながら、薄暗い夜光灯の下を進んで行く。
「あ、あの、これは一体……?」
「それは後で説明するわ……っと、説明します」
「べ、別に敬語でなくてもいいです……年齢も同じくらいだと思いますし……」
 ナナコの提案に、神楽は片方の眉毛を上げてにやりと笑う。
「じゃ、そうさせてもらうわね。やっぱ、同世代に敬語は堅苦しくて」
「神楽先輩、裏口はあっちっすよ?」
 一番後ろを歩いていた泰人が、背中越しに注意した。
 だが、神楽は進路を変えない。
「裏口は危険よ。先回りされてる可能性があるわ。非常口を使いましょう」
「了解」
 ふたりの謎めいた会話に、ナナコは大人しく従った。
 神楽を先頭に、三人は階段を上がって行く。そして、隣のビルのベランダが見える突き当たりの窓辺で歩を止めた。
 神楽が、音を立てないように、そろりと窓を開ける。
「ま、まさかここを……?」
 ナナコの表情が強ばる。
「大丈夫。隣のベランダまで、五十センチくらいしかないでしょ? ビルのオーナーが、建築法違反で増設した代物よ。ちょっとした非常口として使わせてもらってるの」
 神楽は泰人の荷物を預かり、ひとまとめにすると、ぽんと自分の腰を叩く。
「よし、泰人が先に行ってちょうだい」
「え、俺からですか?」
「あんた、いっつも私のスカート覗いてるでしょ?」
「あ、バレてました?」
「今度から見物料取るわよ」
 軽口を叩き合いながら、泰人が窓の敷居を跨ぎ、そのまま隣のベランダに飛び移った。
「次はナナコさんね」
 いきなり指名を受けたナナコは、びくりと肩をすくめる。
「わ、私は……」
「心配しないで。後ろで支えるから。水たまりを飛び越えるような感じで。ただ、ここは四階だから、下は見ない方がいいわね」
 神楽の気軽なアドバイスにも、ナナコは体を動かさない。決心がつかないようだ。
「ほら、早くしないと、連中が来ちゃうわよ?」
 少々脅迫じみた手法だが、神楽の思惑通り、ナナコは窓枠に手を掛けた。それから慎重に壁を跨ぎ、ミリ単位のじれったい動きでベランダに足を伸ばす。
 神楽も泰人も、ナナコの集中力を乱さぬよう、口を堅く閉じている。
 ナナコの爪先がベランダの端に触れたところで、泰人が両手を差し出す。すると、辛抱が利かなくなったのか、ナナコはそのまま泰人の腕の中へとダイブした。
「とととッ!」
 思わずバランスを崩しそうになる泰人だったが、なんとか全身でキャッチする。
 一瞬ヒヤリとした神楽は、袖口で額を拭った。
「じゃ、荷物受け取って」
 神楽は泰人に荷物を放り投げ、腕まくりをすると、あっさりベランダに飛び移る。
「待ち合わせ場所はいつものコンビニね?」
「まだちょっと早いかもしれないですね」
 神楽は、腕時計で時間を確認する。
 部屋を出てから十分が経過していた。
「それじゃ、ちょっとばかり事務所の様子を見てみますか……」
 神楽はポケットからスマートフォンを取り出すと、指先で器用に操作を始めた。ブラウザを立ち上げ、怪し気なウェブサイトに飛ぶと、パスワードを入力する。
 画面に現れた映像に、ナナコがアッと声を上げた。
「こ、これって……憧夢の中……?」
「部屋の隅っこに仕掛けてあるカメラの映像よ。画質は悪いけど、音声だって拾えるの……あら、お客さんね」
 斜め上から室内を見下ろすアングルに、黒いスーツとサングラスをした体格のよい男の姿が映り込んだ。
 男は室内を一瞥した後、おもむろに事務机の上を漁り始める。
《どうやら、取り逃がしたようですね》
 液晶の向こう側から、冷たい少女の声がした。声の主は、姿を見せていない。
《申し訳ございません、ルナ様》
 男が従僕のように腰を曲げ、入口に向かって頭を下げた。
《構いません。私の指示が少し遅かったようです》
 その黒服の前を通り過ぎ、ルナと呼ばれた少女がカメラの中央に現れた。少し中性的な顔立ちをした、色素の薄い少女。だが、その眼には、見る者を脅かすような冷たい輝きが潜んでいる。
 それを見た神楽は、チッと舌打ちをした。
「やっぱり……忘れ屋ね……」
「忘れ屋……?」
 画面を覗き込みながら、ナナコが尋ねた。
「思い出屋の中でも、記憶の抹消と改変を仕事にしている連中のことよ。政治家のスキャンダルを揉み消したり、殺人事件の証人の記憶を改竄したり……そういう闇の部分を請け負う組織。私たちが結婚コンサルタントだとすれば、連中は離婚屋みたいなもん。お互い対極にいるけど、どちらにも需要があるってわけ」
 神楽が説明をしている間、ルナは画面の中で部下たちの作業を単調に眺めていた。その冷静さは、むしろ神楽の方が不審に思うほどだった。
 なぜ追って来ないのだろうか。そんな疑念が、神楽の脳裏をよぎる。
《焦ることはありません。全ては、こちらの手の内なのですから……》
 そう呟くが早いか、ルナはカメラに向かって視線を上げた。
「チッ、気付かれたか……。さっさとずらかろう」
 神楽はスマートフォンをポケットに突っ込むと、荷物を受け取り、ベランダから伸びている非常階段を駆け下りた。非常階段は、憧夢のあったビルとは反対側の、人通りの多い複線道路に続いていた。
「あ、健さんの車です!」
 ルナが、右手にあるコンビニの角を指差した。
 赤いカローラが一台、ドアを開け放したまま停まっている。
 神楽たちは駆け足でその車に向かい、体を押し込んだ。
「ほら、早く乗って!」
 助手席に神楽、後部座席にナナコと泰人を乗せると、ドアが閉まり、行き先を尋ねることもなくカローラは出発した。
「こんばんは、神楽お嬢様」
 運転席に座っている老人が、丁寧な挨拶をした。
 着ているものは質素だが、どこか気品が溢れている。
「高速周りでよろしいでしょうか?」
 神楽はシートベルトを締めながら、軽く相槌を打つ。
「ええ、それでお願いするわ」
 テールランプの洪水に流されながら、車は混雑した車道を進んで行く。道が全て頭に入っているのか、運転手が途中で横道に逸れると、車は渋滞から抜け出し、スムーズに高速のインターチェンジへと辿り着いた。
 ETCシステムを抜けたところで、神楽はサイドミラーに目をやる。
 ……追われている気配はない。
「よし、それじゃ続きを始めましょうか」
 神楽はそう言うと、助手席からナナコの方へ首を捻った。
「ナナコさん、さっきの話を、泰人にも聞かせてやってくれないかな?」
「は、はい……」
 軽く頷いたナナコだったが、一向に話を始めようとはしない。運転席の方をちらちらと盗み見ている。どうやら、見知らぬ男の素性が気になるらしい。
 神楽は、ナナコの警戒心を解くため、男を簡単に紹介する。
「この人は健さんって言って、この地域の思い出屋を統括する関係者の一人よ。憧夢どうむは暖簾分けみたいなものだから。こうやってときどき、手伝ってもらってるの」
「手伝い……?」
 ナナコは、神楽の言葉の意味を理解しかねたようだ。
 そこへ、泰人が割り込んでくる。
「要するに、思い出屋って言うのは宇宙人に攫われて……」
 シッと声を立て、神楽が泰人の締まりのない口を封じた。
 泰人が申し訳なさそうに体を縮めたところで、神楽はナナコに向き直る。
「ごめんなさい。それ以上は詳しく話せないの」
 神楽と泰人の謎めいた会話に、ナナコはひとり置いてきぼりになってしまう。
 そんなナナコの気持ちを察したのか、泰人がそっと少女に話し掛けて来た。
「ねえ、さっきの話っていうのを聞かせてくれない?」
「は、はい……実は……」
 ナナコは、不安を紛らわすかのように、淡々と話を続けた。それを聞く泰人の反応は、随分と大げさなもので、「凄ぇ!」「うわー!」などと大声で相槌を打ち、ナナコの気分を和らげてくれる。
 ナナコが全てを話し終えたところで、泰人がパッと顔を輝かせた。
「ナナコちゃんの前世は、かぐや姫なんだね!」
「え……あの、そういうわけでは……」
「泰人、クライアントの話は、もっと分析的に聞かなきゃだけよ。話を額面通りに受け取るのが、泰人の悪い癖ね」
 助手席から、神楽が声を掛ける。
「かーッ、先輩は夢がないっすねー」
「先輩の言うことは素直に聞くものよ……っと、そろそろ始めましょう」
 神楽はそう言って、再びナナコの方へ向き直る。
 そして、唐突に右手を差し出した。
 ナナコは、神楽の華奢な指を、しげしげと見つめる。
「私の手に触れてみてちょうだい」
「はい?」
「触れてみてちょうだい」
 ナナコは、怖々と手を伸ばし、神楽の指先に触れた。
「目を閉じて」
 言われた通り、ナナコは目を閉じる。
 すると、真っ暗なはずの視界に、だんだんと映像が揺らぎ始めた。それは形を変え、先ほどの憧夢の姿を取る。
「⁉」
 ナナコは、思わず目を開けてしまう。
 見れば、そこはやはり車の中だった。
「何か見えた?」
「は、はい……神楽さんのお店が……」
「これが、思い出屋の能力よ。他人の記憶に介入することができるの」
「他人の記憶に……介入……?」
 ナナコの反応を、神楽はあらかじめ予想していた。初めて思い出のカウンセリングに訪れる人間は、誰でも戸惑いと恐怖心を垣間見せる。記憶を弄るという作業に、言い知れぬ不安を感じるのだ。
 神楽は先を急がず、ナナコの目を穏やかに見つめ返す。
「記憶を調べるって言っても、別にあなたの頭をいじくるわけじゃないわ。私たちは、脳波を同調させることによって、同じ意識領域を形成することができるの。以心伝心ってやつ」
「以心伝心……ですか……」
 ナナコの呟きに、神楽は微笑んで頷き返す。
「ナナコさんも、精神分析のシーンを見たことがあるでしょう。患者をベッドに寝かせて、催眠状態に誘うアレ。その現代版と思ってもらえればいいわ」
 説明を終え、神楽は右手を引っ込めた。そして、泰人の方へ視線を移す。
「今回のアドバイザーは、私じゃなくて泰人くんよ」
 唐突な指名に、泰人が驚きの表情を浮かべる。
「な、なんで俺なの⁉ 神楽先輩がやるべきっしょ!」
 車内に、泰人の大声が響き渡った。
「逆木様、運転中はお静かにお願い致します」
 運転手の健老人が、バックミラー越しに注意した。
 泰人は後部座席から体を乗り出し、神楽に小声で詰め寄る。
「なんで俺なんですか? ナナコちゃんは、神楽先輩のお客さんでしょ?」
 神楽は、落ち着けと言わんばかりに泰人を押し返す。
「ナナコさん、これはちょっと言い難いんだけど……。あなたは、記憶障害に陥っている可能性が高いわ。月の民云々についても、お伽噺か何かの混同だと思うし……」
 ナナコもその可能性に気付いているのか、敢えて反論しなかった。
 神楽は、先を続ける。
「でも、思い出屋って言うのは、あらゆる状況を想定しなきゃいけないの。だから、一旦先入観に囚われてしまった以上、私は今回の治療に不適任かもしれない。あなたが記憶障害を起こしているという思い込みが、足枷になるかもしれないから」
 その台詞に泰人は全てを察したらしく、口を挟んだ。
「で、俺が代わりに行くと?」
 神楽は、厳かに首肯する。
 泰人のおどけていた顔も、次第に真剣味を帯びてきた。
「じゃ、ナナコさん、さっきと同じように目を閉じて。泰人があなたの手に触れるから、怖がらずにリラックスしてちょうだい」
 ナナコは、言われた通りに目を閉じた。背中を座席のシートに委ね、両手を膝の上で揃える。
「では、この逆木泰人、失礼ながら、お体に触らせていただきます」
「余計なこと言わなくていいの」
「……はい」
 泰人は緊張した面持ちでナナコの肌に触れた。
 シルクのようなすべすべとした感触が、少年の触覚をくすぐる。
「一時間以内に戻ってきて。それ以上は、一時撤退で」
「了解です」
 そう言って、泰人も目を閉じた。
 ナナコが先にがくりと首を垂れ、それからすぐに泰人も入眠状態に陥る。
 記憶の世界に旅立ったふたりを見送りながら、神楽は治療の成功を祈った。
+注意+
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