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愛のモノリス 作者:稲葉孝太郎

最終章

16/17

月へ行く少女

 視界が開ける。闇に覆われたブラインドから、微かに夜景が見えた。
 神楽たちは、博物館に帰ってきた。室内は、同調の前と同じ風景。ひとつ違うとすれば、気絶したルナが金髪男とスキンヘッドに囲まれ、介抱されていることくらいだろうか。いくら敵とは言え、記憶障害になっていなければ良いがと、神楽は心配になる。
「お目覚めかね……神楽くん……」
 男の声。泰人のものではない。
 神楽は大きく深呼吸し、車椅子の男と対峙した。
「西条静、あなたの負けよ。全て片がついたわ」
 男に向かい、神楽はこれまでの経緯を説明した。背後に控えていた泰人も、注意深く彼女の冒険譚に聞き入っている。しばらくしてかぐやも目を覚まし、そこで神楽は話を終えた。
「というわけで、かぐやさんはもう独立した一個の人格よ。諦めなさい」
 少女の宣告に、西条静は表情を変えずに答えた。
「諦める……? これは私の生涯を賭けた……」
「西条静」
 そう言って立ち上がったのは、かぐやだった。
 彼女は西条静の目を見つめ、性格が変わったように話し始める。
「強がりは止めなさい。あなたにはもう時間が残されていません」
 かぐやの台詞を聞いて、神楽と泰人はお互いに視線をかわした。
 いったい、何の時間が残されていないというのだろうか。神楽がそれを尋ねる前に、西条静が口を開く。
「どこでそれを知った……?」
「研究所で、あなたと医師の会話を聞きました。私の記憶を入れ替えるよりも先に、あなたの寿命が尽きます。そうですね?」
 かぐやの断言に、神楽は腰を浮かせる。
「どういうこと?」
「西条静は末期ガンなのです。私が誕生して記憶を移植されたとき、余命は既に一ヶ月を切ろうとしていました。そもそも、彼の研究は完成していなかったのです。西条かぐやの記憶が暴走したのも、移植を焦ったからに他なりません」
 暴かれた病人の秘密に、室内は静まり返った。
 忘れ屋のメンバーも、この情報は聞かされていなかったらしい。ふたりの黒服は、サングラスの奥からじっとクライアントの西条を覗き込んでいる。
 その西条静が、静寂を破った。
「時間がなかった……もはや研究を完成させる時間は……ゴホッ!」
 西条静は大きく咳き込み、激しく体を震わせた。
 金髪男が駆け寄ろうとするが、西条静はそれを拒む。
 数分してようやく咳が収まり、彼はゆっくりと語り始める。
「科学が進歩し、医療が発展したにもかかわらず、人間の生命は有限だ……。なぜだ? なぜ人間は死なねばならん? 宇宙の構造を解明し、生命の神秘を暴き出した人間は、神々と同等の存在ではないのか……? だから、私はこの研究を行った……」
「クローンに記憶を移植し、永遠に生き続ける技術……ってこと?」
 神楽の確認に、西条静は深く頷き返した。
 確信に満ちた男の顔に、神楽は疑問を投げ掛ける。
「なぜあなたは、自分自身で実験しなかったの? 死ぬことが確定してるなら、万が一の可能性に賭ければ良かったじゃない?」
 神楽は、躊躇いがちにそう尋ねた。
「……」
 西条静は黙って答えない。首を左右に振り、少女に答えを返す。
「どうしたの? なぜ答えないの? まさか、男ではうまくいかないとか、そういう縛りでもあるのかしら?」
 沈黙。
 気まずい空気が流れる中で、西条静は上半身をルナたちに向けた。
「君たちはもういい……帰りたまえ……」
「ハッ?」
 金髪男が、事情を飲み込めない顔をしておかしな返事をする。
「帰りたまえ。君たちの任務は失敗した……。ここまで人格が確立されては、もはや現在の研究成果ではどうしようもない……。クローンをイチから作り直す時間もないのだ……」
 金髪男とスキンヘッドは、両脇からルナを抱え、部屋を出て行く。
 扉を閉めかけたところで、金髪男が振り返った。
「ご期待に添えず、申し訳ございません、後ほど返金を……」
「その必要はない」
「ハッ?」
 ルナを抱えたまま、金髪男は西条の顔を覗き込んだ。
「しかし、ご依頼は西条かぐやの……」
「余命いくばくもない男に、金を返してどうする?」
 金髪男は押し黙って一礼し、ドアノブを握り締める。
 そこへ、西条が言葉を継いだ。
「それに、そのルナという少女……面白い逸材だ……。今回の料金は、彼女の教育費と思ってくれたまえ……では……」
「ハァ……」
 金髪男はそう呟き、ルナと西条を見比べた後、扉を閉めた。
 病弱の男と、若者三人が室内に残される。
 仕事を終えた神楽は、これからどうするか考えを巡らせ、そして口を開いた。
「それじゃ、私と泰人の出番は終わりよ。……帰りましょう、泰人」
「え、あ、はい。か、かぐやさんは?」
 泰人の指摘に、神楽は少女を振り返る。
「あなたはどうするの?」
「え……私は……どうしましょうか?」
 まるで他人事のようだが、かぐやは真剣な顔をしている。よくよく考えてみれば、彼女は日本の戸籍には載っていない存在なのだ。住所もない。身内もいない。ないない尽くしの彼女を放ってはおけないと、神楽は声を掛ける。
「ま、とりあえず一条橋さんのとこに居候したら? 住み込みで働かせてくれるわよ」
「そ、そうですね……では……」
 かぐやは目の前の男を盗み見、それから部屋を出て行こうとした。
 神楽と泰人がそれについていく。
「待ちたまえ」
 西条静の声に、三人が振り向いた。
「……どうしたの? まだ何か用?」
「ひとつ頼みがある……」
「頼み?」
 神楽と泰人は顔を見合わせ、怪訝そうに車椅子の男を見据えた。
「かぐやさんに関することなら、お断りするわ」
「私の思い出に関することだ……」
 西条静の言葉に、神楽は目を細めた。
 敵が依頼人になることに、少女は若干の考慮時間を要する。
「つまり、思い出屋に用があると?」
 神楽の問いに、男は頷き返した。神楽は泰人に視線を送り、かぐやの保護を指示する。
「……罠じゃないでしょうね?」
「もはやかぐやには用はない……。彼女は、私の妻ではないのだからな……。彼女は、もはや赤の他人だ……」
 赤の他人。その言葉を、西条は自分に言い聞かせるように呟いた。
「そう……。それなら、クライアントとして用件を仰ってください」
「私を思い出の中で死なせて欲しい」
 男の依頼に、神楽たちは互いに顔を見合わせた。
 穏やかでない話だ。神楽は、単刀直入に男の真意を問う。
「自殺を手伝えと? それはできま……」
「私はもう長くない……。抗がん剤などの末期医療を受ける気もないのでな……。だから最後に、かぐやとの思い出を見せて欲しい……頼む……」
「死なせて欲しいというのは、比喩ってこと?」
 西条静はしばらく口を噤み、それから曖昧に頷き返した。神楽は不審に思う。
 だがいずれにせよ、思い出の中で自殺したところで、それは同調の中断になるだけだ。そう考えた神楽は、踵を返した。
「分かりました。クライアントとしての依頼なら、お引き受けしましょう」
「せ、先輩……」
「泰人、安心して。私が一人で行くわ」
「でも、あいつは敵なんですよ?」
 泰人の発言に、神楽は西条へと向き直る。
「それは違うわ。思い出屋として依頼を受けた以上、彼との個人的因縁は関係ないから」
 少女の言葉に、泰人は納得したのか、それとも反論が無意味だと考えたのか、口を閉ざした。しかし、今度はかぐやが割り込んで来る。
「危険です。罠だったらどうするんですか?」
 本気で心配するかぐやに、神楽はそっと微笑み返す。
「うーん、まあ確かにリスクはあるんだけど……ほら、聞こえない?」
「え?」
 かぐやは耳を澄ます。廊下の向こうから、誰かが小走りに近付いて来る。
 それはドアの前で止まると、ノックもせずに扉を開いた。
「神楽様ッ!」
 部屋に飛び込んで来たのは、健老人だった。
 いくら鍛えているとはいえ、休まず館内をうろついたのだろう。息が上がっている。
「ハァ……ハァ……ご無事でしたかッ!」
「ええ、三人とも無事よ。……忘れ屋の連中は?」
「い、いえ、神楽様のところにいるものとばかり……」
 そのとき、窓の外から風を切るプロペラの音が鳴り響いた。
 それは神楽たちの部屋の前を通過した後、一目散に東京湾へと消えて行く。
「しまった! 空か!」
 部屋を飛び出そうとした健老人の背中に、神楽が声をかける。
「待って! 館内の警備はどうするの?」
「既に警察と警備会社へ通報済です! ではッ!」
 そう言い残して、老人は廊下の奥へと消えた。
 神楽は、西条静に向き直る。
「というわけで、もう逃げ場はないのですよ。それでも依頼なさるのですね?」
「ああ、罠ではない……本心からの依頼だ……」
 そう答えた西条静の瞳を、神楽は見つめ返す。
 そして、ゆっくりと前に出た。
「先輩……やるんですか?」
「ええ、これは依頼だからね。……西条さん、料金はきちんと払っていただきますよ?」
「ああ、分かっている。憧夢宛に支払おう」
 神楽は男のそばにあるソファーへ腰を下ろすと、右手を差し出した。
 西条静にはもはや余力が残されていないのか、緩慢とその手に触れる。
「目を閉じてください」
「……」
 男が瞼を下ろし、神楽もそれに続く。
 男の息が引くのに合わせて、神楽の視界が滲んだ。

 ☽

 心の冷えるような静寂。神楽は、ゆっくりと瞼を上げる。
「……ここは⁉」
 神楽は、驚きのあまり周囲を見回した。自分の居場所が分からない。夜のように見えて、遠くからは眩い太陽の光が射している。
 真っ暗な空間に、青い星が浮かんでいた。白い雲の流れと、その背後に見える緑が、少女に自分の居場所を教えてくれた。
「ここは……月⁉ なぜ? 西条静の思い出なんじゃ……」
 狼狽する神楽に、男の声がかかる。
「安心したまえ」
 神楽はハッとなり、声の主を探した。
 見れば、車椅子に乗った西条静が、懐かしそうに地球を眺めている。
 その目は、何もかも捨て去った、静かな男の目だった。
「……どういうこと? あなたは、月へ行ったことがあるの?」
「ここは宇宙開発センターの訓練室だ」
「訓練室……? もしかして……これもホログラム……?」
 神楽は、じっと目の前の風景を見つめた。確かに、画質が荒い。呼吸は可能であり、気温も快適な温度に保たれている。
 落ち着きを取戻した少女は、訓練室という単語にある閃きを抱いた。
「ってことは、十二年前の……⁉」
「そうだ……ここが、彼女の墓場になった……」
 男はそう言って、瞳を閉じた。神楽は一歩下がり、男を思い出に浸らせる。
 神楽は同調前に、もっと別の思い出を描いていた。ふたりの馴れ初めか、結婚式か、あるいは新婚旅行か……。妻が死んだ場所への同調など、微塵も考えてはいなかった。その理由を察するには、少女はまだあまりにも若く、あまりにも無垢であった。
 神楽は考えることを止め、目の前のスクリーンに目を投じた。美しい。宇宙から見る地球は、なぜこれほどまでに美しいのだろうか。月代かぐやもまた、この美しさに憧れ、宇宙飛行士を目指したに違いない。少女は、ふとそう思う。
 同時に彼女は、かぐらが初めて憧夢を訪れたときを思い出す。あのときかぐやは、月から地球を見下ろす記憶があると言った。おそらくあれは、このホログラム映像のことだったのだろう。全ての謎が解け、後には心地よい空虚感だけが残る。
「……」
 彼女が地球の青さに見蕩れていたところで、ふいに背後で扉の開く音がした。
 一筋の明かりが漏れ入り、神楽と西条静の間に人影が差す。
 振り返った神楽は、一瞬息を呑んだ。
「あなた、こんなところにいたのね」
 ホログラムの裂け目に現れた女。それは、月代かぐやだった。ただ、その顔立ちは大人びており、彼女が思い出の中の妻だと分かるのに、数秒とかからなかった。
「かぐやか……」
 西条静は車椅子を動かすこともなく、そばに来た妻と寄り添い合う。
「どうしたの? こんな映像、何度も見てるじゃない?」
 女は呆れたようにそう尋ねた。
「少しばかり……懐かしくなってな……」
「昨日今日が懐かしいって言うの? うふふ、おかしな人ね」
 妻の笑い声に、西条静もつれられて笑う。
「出発まで三ヶ月を切ったわ。頑張らなくちゃね」
 妻は、自分を励ますようにそう言った。
 神楽の心に、小さな針が刺さる。永遠に叶わない夢が、そこにあった。
「ああ……行けるといいな……月へ……」
「あら、留守番だから妬いてるの? 大丈夫よ、月の石をお土産にしてあげるから」
「そうか……月の石か……楽しみにしてるよ……」
「期待しててちょうだい。それにあの話、考えてくれた?」
 妻の問いに、夫は答えない。昔話をされたように、その瞳を見つめ返す。
「酷いわね。忘れちゃったの? 子供の話よ。そろそろひとりくらい欲しいじゃない?」
 妻は拗ねたように言葉を返す。
「ああ、子供か……」
 西条は、再び地球へと視線を向けた。
 星の青い夜。全ての時が巡り、悲劇は繰り返す。そして愛もまた。
 西条はしばらくそれを眺めた後、神楽に声をかける。
「神楽くん、あの子を……娘を……頼んだ……」

 ☽

 気が付けば、そこは応接間だった。
 神楽は自分の身に何が起こったのかを理解できない。
「あれ、先輩、早かったっすね」
 泰人の暢気な声が、反対側のソファーから聞こえてくる。その隣には、かぐやが足を揃えて座っていた。
 神楽は腰を上げ、室内を見回す。
「ち、違うわ。私は同調を止めていない……⁉」
 神楽は、車椅子の男に目を留める。様子がおかしい。
 少女は西条静に駆け寄る。男の肩に触れると、その体は力なく崩れ落ちた。
 ただ彼の幸福そうな笑みだけが、神楽にあの地球の光景を想起させる。
「死んでる……」
「ええ⁉」
 泰人も慌てて腰を上げ、西条静の息を確かめた。
「……呼吸してないっすよ!」
「きゅ、救急車を! 健さんはどこに!」
 泰人が風のように部屋を駆け出し、神楽はスマホを確認する。
 電波は立っていない。窓を開けようとしたが、完全なはめ込み式だった。
「ど、どうして……? 自殺……?」
 死体と向き合った神楽は、車椅子の周りを調べる。
 血痕は見当たらない。あらかじめ毒物を飲んでいたのだろうか。しかし、嘔吐した形跡も見当たらないし、そのようなシーンを見た覚えもない。
 まさかの自然死だろうか。そのとき、神楽はそのカラクリを察した。
「そうか……脳腫瘍だったんだわ……」
「え?」
 そばで固まっていたかぐらが、口元を覆いながら神楽の横顔を見つめる。
「西条静は脳腫瘍だったのよ。あるいは、他のガンが脳に転移したのか……。ともかく、脳が著しく損傷を受けている中で同調してしまい、その負荷で脳の機能が停止したんだわ。彼は、自分の記憶を移植しなかったんじゃない……移植できなかったのよ……」
 神楽の推論に、かぐやは己の創造者を眼差した。
 神になろうとした男。その寝顔は真に安らかであり、そして、父の顔であった。
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