挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
愛のモノリス 作者:稲葉孝太郎

第3章

13/17

拒絶する家

 偽物の青空を抜けた神楽の前に広がったのは、前回彼女が踏み入れた住宅の中だった。呆然と辺りを見回す神楽の下から、ルナの声が聞こえてくる。
「すみません。早く上がってください」
「ご、ごめん」
 神楽は梯子を上りきり、廊下でルナの到着を待つ。
 ルナが全身をホログラムから引き抜いたところで、ふたりは状況整理を始めた。
「ここは、前回と同じ場所じゃない」
「そのようですね……ただ……」
 ルナはそう言って、周囲の壁を詳細に観察する。
「少しだけ構造が違います。廊下の奥を見てください」
 ルナの指摘に、神楽は廊下の奥を見やった。左右に同じ扉が三つずつ並んでいる。
「どこが違うの……? 前も扉は六つで……」
「一番奥の右の扉です。あれは前回、金属製だったはずです」
 神楽は思い出した。前回の同調で訪れた場所は、泰人が侵入した記憶領域と、金属製の扉で繋がっていたのだ。しかし、この廊下はそうではない。構造は一緒だが、別の区域と考えざるをえなかった。
 ルナの観察力に驚きつつも、神楽は別の疑問にぶつかる。
「でも、これだけ構造が一緒ってことは……」
「同じ記憶領域の別の場所、ということでしょうか?」
 ルナも、そこまでは断言できないようだった。
「とりあえず、中を調べてみませんか?」
 ルナの誘いに、神楽は頷き返す。
「そうね、それが一番だわ」
 神楽は左手側の一番近くにあった扉のノブに触れる。
 そして、じっと後ろにへばりついてくるルナを見つめ返す。
「あなたは反対側を調べてちょうだい。手分けした方がいいでしょう?」
「それは困ります。私の身の安全を確保していただかないと」
 あからさまに他人を道具扱いするルナ。
 少しばかり腹が立った神楽だが、それは腹の中に飲み込んだ。
 ルナの助力がなければ、ここまで来れなかったのだ。自分と彼女との間に横たわる明確な能力差は、神楽も認めざるをえない。
 同時に、なぜこの少女が闇の組織に身を落としているのか、それも気になり始めていた。
「あなたが所属してる組織は、なんていう名前なの?」
「それはお答えできません」
 予想通りの回答。神楽は、黙ってドアノブを回す。
 蝶番が軋み、部屋の全貌がその姿を現した。
「……え?」
 神楽は小さな呻き声を上げ、部屋の中を見回す。
 部屋の外観が酷似していた以上、内装も酷似しているはずだ。それが、扉を開けるまでの神楽の予想だった。
 ところが、室内は全く別の様相を呈している。
 ……何もないのだ。
「ここは……倉庫? それとも工事中?」
 神楽は、もう一度よく室内を観察した。壁紙もカーペットもない。
 打ちっぱなしのコンクリートが剥き出しの部屋だった。
「ここは何もなさそ……⁉」
 そのとき神楽は、部屋の片隅で光るものを発見した。慌てて中に入り、その光源が何であるかを確認しようとする。
 床に腰を屈めた神楽は、一枚の透明な破片を見つけた。
「これは……ガラス片……?」
 神楽はルナと相談するため、後ろを振り返る。
 ところが、彼女の姿はなかった。
「……ルナさん?」
「はい」
 すぐに返事をし、ルナは敷居の向こう側に姿を現した。
 彼女は慎重に周囲を警戒した後、ゆっくりと室内に足を進み入れる。
「どこへ行ってたの? やっぱり別行動にする気?」
「いえ、少しだけ廊下を調べていました。何か見つかりましたか?」
 神楽は、拾い上げたそれをルナに見せた。
「ガラスの欠片……ですか」
 彼女の言う通り、それはただのガラス片である。特別な形でもなければ、表面に何か文字が刻んであるわけでもない。
「これは……キーアイテムではなさそうですね……」
 ルナは無表情にそう呟く。
「でも、この部屋になぜ……? 壊れるようなものは何も……」
 神楽の言葉に合わせるように、パタンという乾いた音がした。
 振り返ると、入口の扉が閉まっている。
 神楽が駆け寄りドアノブを回したが、鍵が掛かっているのか、それとも別の力が働いているのか、木製のドアは微動だにしなかった。
「閉じ込められてしまったようですね」
 神楽の背中越しに、ルナが声を掛けた。
「何を暢気な……」
 単なる事実の描写にしか思えないルナの発言に、神楽は顔をしかめる。
 ところが、その事実の重大さに、神楽はすぐさま思い至った。
「私がいる限り、トラップは発動しないんじゃないの?」
「そのはずなのですが……」
 ここにきて、ルナは微かに怪訝そうな顔をした。感情が完全に死に絶えているわけではないらしい。少しばかり人間味を見せてくれたルナに向かい、神楽は先を続ける。
「もしかして、私も敵と認識され始めたとか……?」
「その可能性はあります。同調前に、かぐやさんはあなたにも反発していました。あれを契機として、防衛システム自体が書き換えられつつあるのかもしれません」
 ルナの冷静な分析に、神楽は焦りを覚えた。
 もしふたりとも敵と認識されれば、工場跡のトラップのように、容赦なく排除されてしまうだろう。時間がない。そう考えた少女は、脱出の方法を練り始める。
「……ねえルナさん、あなた、爆発物は夢現化できるの?」
 神楽のきな臭い問いに、ルナはあっさりと頷き返した。
「じゃあ、それで扉を……」
「待ってください。この部屋の扉は、先ほどの感触からして、かなり重量があります。中に金属板が仕込まれているのかもしれません」
 ルナの言葉を、神楽は数瞬理解しかねた。だが、すぐにその真意を悟る。
「それを破るには、どのくらいの火力が必要?」
「正確には計算できませんが、おそらく私たちも巻き込まれて死亡します。この部屋には遮蔽物がないので、隠れようがありません」
「じゃあ、その遮蔽物も夢現化すればいいんじゃない?」
「……そうですね」
 ルナは悪びれる様子もなくそう返事をすると、早速、夢現化を始めた。
「かなり時間がかかると思います。しばらく待っていてください」
 そう言うと、ルナは精神を集中させるため、両目を閉じた。
 手伝ってやれないもどかしさに駆られながら、神楽は爪先で床を二度叩く。
 普通なら、一方的に助けてもらっているシチェーションだが、神楽はだんだんとルナの弱点に気付き始めていた。廃工場で天井の穴を見つけたのは、神楽だ。扉の爆破と防護策を考えついたのも、神楽だ。年齢不相応な分析力と冷静さを兼ね備えているルナだが、かえってそれがマイナスになっているのではないだろうか。人間、追い詰められて初めて能力を発揮することもある。恐怖心や緊張を感じない分、ルナは物事を一定以上のレベルで見られなくなっているのかもしれない。
 そんなことを考えていた神楽は、手に軽い痛みを感じた。反射的に指を開くと、先ほどのガラス片が、コンクリートの床に転がり落ちる。
「……」
 神楽はその破片を眺めながら、ふと妙な感覚に囚われた。
「ルナさん」
「……」
「ルナさん!」
 少女の大声に、ルナは瞑想を中断する。
「……何でしょうか?」
 特に怒ることもなく、ルナが言葉を返した。
 神楽は相方を邪魔したことに多少の罪悪感を覚えつつ、そっと唇を開く。
「防衛システムの書き換えには、どのくらい時間がかかるの?」
「……正確にはお答えできませんが、二、三時間ほどかと」
 神楽は腕時計を確認した。同調から四十分が経過している。
「ということは、まだ初期段階ってこと?」
「書き換えが行われているとすれば、そういうことになります」
 神楽は、床に煌めくガラス片をじっと見つめた。
 彼女の集中力を他所に、ルナが口を開く。
「では、夢現化作業に戻り……」
「ねえ、この部屋はどこかおかしくない?」
 神楽はそう言って、四方の壁を見回す。
「これじゃ、まるで改装中の建物みたいだわ……」
「……だからどうしたというのですか?」
 どうやら、泰人と話すときのようにはいかないようだ。
 そう悟った神楽は、単刀直入に言う。
「防衛システムは、この部屋を改装したかったんじゃない?」
「……何のためにですか?」
「この部屋にある何かを隠すためよ!」
 少し声を荒げてしまった神楽は、そこで口を噤む。
 彼女の言わんとすることをようやく理解したのか、ルナが先を継いだ。
「それはもしかすると、中枢へ繋がる道でしょうか?」
「多分……そうだと思うわ……」
「しかし、それならばなぜ扉を閉めたのでしょう?」
 尤もな質問だった。
 しかし、それにも神楽は答えを用意している。
「これも工場跡と同じで、心理的な罠なんだわ。地下にあると見せかけて、天井。それと同じように、密室下で外に出ようとする恐怖心を煽っているのよ。現に、私たちはこれ以上部屋を調べず、無理矢理にでも扉を破ろうとしたじゃない」
「……神楽さん、あなたの推理は分かりました。では、どこに通路が?」
 ルナの疑問に応えて、神楽は足下のガラス片に視線を落とした。
「これがヒントなのよ」
「ガラス片が、ですか?」
 神楽は軽く首を縦に振り、先を続ける。
「この部屋に窓はないでしょ? それなのに、ガラス片が落ちてる……。これはきっと、窓を封鎖するときに、ガラス片が飛び散ったのよ。それをシステムは掃除し切れなかったんだわ」
「お言葉ですが、前回の侵入時には、窓はひとつもなかったはずです」
「それなんだけど……」
 神楽はガラス片から視線を離し、今度は入口の反対側の壁を眺めた。
「あのとき、廊下の奥にあった階段が、途中で消えてたでしょ? あれは、明らかに地下から地上へ上がるためのものだわ。あれも実は、防衛システムによるホログラムだったんじゃない? 途切れているように見えて、実は隠されていただけなのよ。ただ、あなたの侵入を感知して、システムが作動したんだわ」
「……分かりました。ということは窓は……」
 ルナは神楽の視線を追い、同じく正面の壁を見やる。
「廊下の向きが変わっていない限り、この壁にあったはずよ」
 そのときだった。何か液体の滴るような音が、頭上から聞こえてきた。
 不審に思った神楽が顔を上げると、天井の一部が破れて水が噴き出していた。
「くっ! ビンゴだったようね!」
 神楽は軽く舌打ちをし、ルナに向き直る。
「やっぱりシステムは私も排除する気だわ! トリックがバレたんで、攻勢に出たのよ!」
 焦る神楽とは対照的に、ルナは落ち着き払っていた。
 何を悠長なと思いつつ、神楽はルナに叫びかける。
「ルナさん! 早く扉を破りましょう!」
「いえ、これはシステムのミスです。いいアイデアを思いつきました」
 ルナはそう言うと、再び瞑想を始める。
 神楽はルナの意図を読み取れず、思わず声をかけそうになった。
 だが、すぐに声帯の動きを止め、この場を彼女に任せる決意をする。結局のところ、夢現化ができるのはルナしかいないのだ。
 神楽は、彼女の作業を慎重に見守る。
 何がシステムのミスなのか、それは神楽には分からない。
「……」
 ルナは手のひらを上に向け、じっと目を閉じている。だんだんとそこに影が現れ始めた。
「え……これは……」
 影は固い質感を帯び、ついにはひとつの機械を形作る。
 その形状は、神楽の全く予期していないものだった。
「銃……?」
 神楽の呟きに合わせて。ルナが瞼を上げる。
「ふぅ……さすがに工作機械は疲れます……」
 うっすらと汗を掻きながら、ルナは息を吐いた。
「こ、これは何……? 銃器に見えるけど……?」
 そうは言ってみたものの、ルナは工作機械だと言った。
 確かに、銃にしては胴体が太く、弾倉も見当たらない。
 銃床と思わしき部分からは、透明な太いチューブが伸びていた。
「これは水圧で石材を工作する機械です。コンセントが見当たらないので、バッテリー式にしました。小型ですが、今は十分なはずです」
 そこで、神楽はようやく少女の計画を理解した。
「じゃあ、すぐに始めてちょうだい。確か窓の位置は……」
「それは全て私の頭の中にあります。下がっていてください」
 ルナはそう言うと、さらに右手を軽く上げ、ゴーグルを夢現化した。
 水は既に膝元まで達している。
 ルナはチューブの先を水に浸けると、水圧銃を壁に向かって構えた。
「では、いきます」
 そう言うと、ルナはトリガーを引いた。水が勢いよく噴射され、刃となってコンクリートに切れ目を入れていく。相当手慣れているのか、ルナはぴったり窓枠に沿って照準を定め、見る見るうちに四角い穴が空いた。
 がらりと音を立て、コンクリートの塊が崩れる。
 それは水飛沫を上げ、水中に没した。
 その向こう側から、太陽の光が漏れ入ってくる。
「外よ!」
 神楽は眩しさに目を細めながら、窓辺に駆け寄った。
 ルナも機械を捨て、水を掻き分けて歩み寄る。
「に、庭だわ!」
 窓から見えるのは、ちょうど建物の一階に面する庭園だった。
 大小さまざまな木々が植えられ、ところどころに花壇が咲き誇っている。
「神楽さん、システムが対応する前に脱出しましょう」
「ええ」
 神楽が窓枠から体を乗り出し、外に出る。
 芝生の感触を踏みしめながら、神楽はルナの脱出を手伝った。
「ふぅ……助かったわ……」
 新鮮な空気を吸い込み、神楽は眼鏡を直す。
 水滴をハンカチで拭いてから、辺りを見回した。
「……建物の外には出られたけど、ここは?」
 あまりにものどかな風景。
 これまでの緊迫感と閉塞感が嘘のようだ。
「ずいぶんと、豪華な庭ね……相当な金持ちみたい……」
「……」
 ルナは神楽のコメントを無視して、辺りに視線を這わせている。
「ねえルナさん、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「……何をですか?」
 ルナは庭へ視線を向けたまま、感情のこもっていない声を返す。
「かぐやさんは、西条静の何なの?」
「……」
「ルナさん?」
「それは、クライアントの個人情報です」
 ルナの返答に、神楽は眉をしかめた。
「でも、かぐやさんはこちらのクライアントでもあるわ。まさか、私を利用するだけ利用して、ポイってわけ?」
「……」
 神楽の抗議に、ルナは関心を示さなかった。
 本当に使い捨てする気だろうか。神楽は、軽く身構える。
 だが、もし使い捨てする気なら、とうにこの場で始末されているはずだ。それとも、このカラクリ屋敷を抜けても、まだ防衛システムが作動しているというのだろうか。その可能性を考慮しながら、神楽も周囲を一瞥した。
 攻撃される気配はない。蝶が少女の視界を舞っている。
「……何か聞こえませんか?」
「え?」
「何が軋む音がします」
 ルナの指摘に、神楽は耳を澄ませた。

 ギィ…… ギィ……

 確かに聞こえる。船を漕いでいるような、木の軋む音だ。
「あの生け垣の向こう側ですね」
 ルナは、右手の方にある薔薇の生け垣を指差した。
 確かにその方向から聞こえてくる。
 そのことを確認するが早いか、ルナはそちらへ足を向けて歩き始めた。
「ルナさん!」
 神楽は慌てて後を追う。
 得体の知れない恐怖が、少女の中で芽生え始めていた。生け垣を迂回し、小さな薔薇の蕾を横手に進むと、先ほどの音が次第に大きくなってくる。灌木を抜け、雑草の入り交じった野菊の咲き乱れる空間に出ると、音の正体が露になる。
「……月代さん!」
 目の前で、月代かぐやがロッキングチェアーを漕いでいた。
 まるで老女のように、その瞳は穏やかで奥深い。
「月代さん、ここにいたのね!」
 神楽が駆け寄ろうとしたとき、ルナがそれを制した。
 足止めを喰らった神楽は、彼女を睨みつける。
「どうしたの? 彼女の安全を確保しないと……」
「彼女は月代かぐやではありません」
 ルナの一言に、神楽は女を見やった。
 ……どう見ても月代かぐやだ。神楽がそう言おうとした瞬間、女の方が先に口を開く。
「ようこそ……月代かぐやの思い出の中へ……」
 女の声に、神楽は一歩引き下がった。
 確かにそれはかぐやの声だ。しかし、リズムが余りにも違い過ぎる。
 地の底から蘇った死者が語っている、そんな響きを孕んでいた。
「月代……さん?」
 神楽の呼びかけに、女は意味深な笑みを浮かべる。
「私は月代かぐやの思い出……」
 神楽は、全てを悟った。
「あなたが……防衛システム?」
 神楽の震える声に、女は笑みを絶やさず答える。
「ようこそ、私の思い出の中へ。お待ちしておりましたわ」
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ