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愛のモノリス 作者:稲葉孝太郎

第3章

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2人のクライアント

 片桐老人と別れた神楽たちは、階段を下りて一階へと向かう。正面玄関に辿り着いたところで、神楽たちは自分の眼を疑った。
 外側からシャッターが下りているのだ。
 神楽は驚いて受付に視線を向けた。しかし、誰もいない。
「しまったわ、出るのが遅過ぎた……」
 大方、館内に客はいないと判断され、例の受付の女性が玄関を閉めて帰ってしまったのだろう。そう考えた神楽は、緊急用のインターフォンがないかを確認する。
 いくら閉館時刻を過ぎたとは言え、無人ということはありえない。ガードマンくらいはいるはずだ。神楽は、玄関の自働ドアの近くに、赤いインターフォンを見つけた。神楽が急いで近付くと、非常用と書かれた注書きが読み取れた。
 神楽は、躊躇わず通話ボタンを押す。
「もしもし?」
《……》
「すみません、誰かいませんか? 館内に人が残ってるんですけど?」
《……》
「もしもーし?」
《……》
 神楽は軽く舌打ちすると、通話ボタンから指を離す。
「参ったわね……」
「健さんに電話したらどうですか?」
 背後でそう尋ねた泰人の助言に、神楽は指を鳴らす。
 その手があったかと、おもむろにスマホを取り出し、健の番号を探した。
「頼むから、寝てないでちょうだいよ……」
 神楽は通話ボタンを押し、スマホを耳に当てる。奇妙な発信音が鳴ったかと思うと、すぐにツーツーという音に変わる。
 訝しんだ神楽が液晶画面に目をやると、電波が立っていない。都心だからありえないだろうと思い、スマホを軽く揺すってみたりするが、反応はなかった。
「どうしたんすか? 健さん留守電?」
「電波がないわ……」
「え?」
 泰人も自分の携帯を取り出し、電波の状況を確認する。
「あ、俺のも〇本だ!」
 どういうことなのかと、神楽は周囲を見回す。すると、受付の近くにある看板に、こう書かれているのが見えた。

 【館内で携帯等はご利用になれません】

 コンサートホールと同じ要領で、電波が遮断されているのだ。そのことに気付いた神楽は、少しばかり焦り始める。明日になれば当然出られるのだが、それまで博物館の中で一夜を過ごす気にはなれなかったし、それに何かよくないことが起きているような気がする。
 神楽は、他の出口がないか確かめようと、館内見取り図に足を運ぶ。
「んー、いくつか非常口はあるみたいだけど……」
「片桐さんに相談してみては?」
「片桐……? ああ、あの館長……」
 かぐやのアドバイスに、神楽はなるほどと頷いた。何でもひとりで解決しようとするのは自分の悪い癖だと、神楽はあらためて己の未熟さを痛感する。
「さっきの様子だと、まだ二階のどこかに……」
 そのときだった。右手の通路奥から、誰かの足音が聞こえてくる。
 警備員か。その可能性に安堵した神楽は、非常灯で照らされただけの薄暗い廊下の奥に視線を凝らした。
「……な」
 声にならない声。影の中から現れたのは、黒づくめにサングラスの男二人組。彼らとは初対面でないことを、神楽はすぐに察した。
 ルナの部下だ。
「そんな……どうして……」
 後ろで、泰人が悲鳴にも似た声を上げる。
 一番怯えているのは、かぐやだった。泰人の後ろに隠れ、今にも逃げ出しそうな態勢で神楽と男たちを交互に見やっている。
 そんなかぐやの視線を受けながら、神楽は思考をフル回転させていた。館内を闇雲に逃げ回ってみるか。そうすれば、非常ベルのひとつも見つかって、警報を鳴らすことができるかもしれない。ただ問題は、それまでこの屈強な男たちの追跡から、どれだけ逃げ切れるかということだった。
 神楽が決めあぐねていると、少し背の高い金髪の男が口を開く。
「一色神楽さんですね?」
 男に名前を呼ばれ、神楽は戸惑う。
 相手が名前を知っていたこともそうだが、それ以上に、まさか「さん」付けで呼ばれるとは思ってもいなかったのだ。
 どうやら、急に襲い掛かられたりはしないらしい。神楽は、平静を装う。
「そうですが……何か御用でも……?」
「お手数ですが、我々とご同行いただけませんでしょうか。もちろん……」
 そう言って、金髪の男はかぐやたちに視線を向ける。
「逆木さんとあの少女も一緒に」
 男の申し出に、敵意は感じられない。
 だが、理由が分からぬ以上、おいそれとは話には乗れなかった。
 神楽は、様子を伺う。
「理由を説明してもらえませんか?」
「ある方とお会いしていただきたいのです」
「ある方? ……ルナさんのことですか?」
 男は、否定も肯定もしなかった。
「会ってどうするんです? これまでのことについて謝罪でもすると?」
 少し皮肉っぽくなってしまったが、神楽は男の答えを待つ。
 しかし、どちらも口を開こうとはしない。サングラスの奥は見えないが、じっと神楽の出方を伺っているようだ。
「あなたたち、忘れ屋ですよね? 違いますか?」
「……そういう風に我々を呼ぶ人もいます。ご同行願えますか?」
「私たちに会いたがってる人も、忘れ屋ですか?」
 別に無駄な質問をしているわけではなかった。健老人が異変に気付き、何かリアクションを起こしてくれるのを待っているのだ。
 けれども、助けは来そうにない。
「いいえ、お会いしていただきたいのは……我々のクライアントです」
「クライアント?」
 神楽は、掠れた声でそう呟き返した。
 信じられない。それが彼の第一感だった。仕事の性質上、忘れ屋のクライアントたちは、多かれ少なかれ非合法な領域に手を染めている。したがって、通常の思い出屋の場合とは異なり、クライアントが自己の素性を明かすことは、ほぼありえないのだ。
 敵も何かおかしな事態に陥っていることは、神楽にも容易に把握できた。
「そちらのクライアントは、どこにいるんですか?」
「この博物館の応接室です。ご案内致します」
 男は神楽が了承したものと思ったのか、相方を残して階段へと足を運ぶ。
 神楽は、背後の泰人たちを振り返り、軽く首を縦に振った。
 泰人が頷き返し、かぐやは怖々とその肩の後ろで震えている。
「危害を加えることはありません。さあ、こちらへ……」
 神楽たちが金髪の男の後を追って階段に足を掛けると、待機していたもうひとりの男が彼らを挟むように後ろについた。それにかぐやはびくりと肩をすくめたが、男はなるべく距離を取って歩いている。
 先頭の男は、二階からさらに三階へと上がり、絨毯敷きの廊下を進んで行った。そして、その一番奥にある高級そうな木製の扉の前で立ち止まり、四度ノックをする。
「お嬢様をお連れ致しました」
 お嬢様? 神楽はかぐやを振り返り、少女の顔を見つめた。
 そうこうするうちに、中からくぐもった声が聞こる。
 入れと言ったのだろう。男はドアノブに手を掛け、それを引く。
「失礼致します」
 金髪の男が先に入り、神楽はその後に続いた。
 中は、応接間らしい調度品と絵画に囲まれた部屋で、ところどころスペースシャトルや人工衛星の模型が置いてあるところに、博物館特有の趣向があった。
 奥の窓はブラインドが下ろされており、最後の西日が隙間から漏れ出ていた。
 そしてその西日を背にして、テーブルに腰を下ろす男の姿があった。逆行で顔はよく見えないが、ひどく猫背で、痩せこけた顎の下で、骨張った両手の指を組んでいる。
 金髪の男はさらに一歩進み、病人と思わしきその男に話し掛ける。
「お嬢様をお連れ致しました」
「うむ……」
 男の声は、外見と同様に弱々しかったものの、神楽が思っていたような老人の声ではなかった。四十代そこそこと言ったところだ。
 彼がクライアントなのだろうか。神楽がそんなことを考えていると、椅子に座った男は顔を上げ、神楽の目を見据えて来た。髪はほつれ、頬骨が浮き出ているが、その瞳は確固たる意志の強さを伺わせている。どこかしら知的な雰囲気も感じられた。
「君が、一色神楽くんかね?」
 辛うじて聞き取れた質問に、神楽は軽く頷いた。
「はい……あなたは?」
「私かね? 君がよく知っている人物だよ」
 男の奇怪な言い回しに、神楽は眉をひそめた。
 しかし、すぐに男の正体に思い至る。
「西条静……?」
 少女に呼び捨てにされた男は、小気味良い笑いを立てた。それはすぐに咳へと変わり、金髪の男が慌ててそばに駆け寄る。
 だが、西条はその手助けを拒絶し、咳が収まるまでしばらく体を揺すっていた。
 三十秒ほどしたところでようやく咳も収まり、西条は肩で息をしながら会話を再開する。
「失礼……時間がないものでね、本題に入ろう」
 本題。神楽はその内容に、おおよその見当をつけていた。
 かぐやを渡せというのだろう。そう考え、神楽の顔に真剣味が増す。
 ところがその予想は、あっさりと裏切られることになる。
「かぐやは、私のことを思い出したかね?」
 神楽は、予期していなかった質問に、一瞬思考が止まった。
「……いえ」
 喉の奥から絞り出された答え。それは、嘘ではない。事実だった。
 その返事を聞き、西条の顔が寂しそうに笑った。
「そうか……」
 西条はそう呟くと、両腕をテーブルの下で動かす。神楽の位置からでは、西条が何をしているのか把握できない。何事か見守っていると、西条は滑るようにテーブルの後ろから移動し、神楽たちの前にその全貌を現した。
 西条は、車椅子に座っているのだった。
「ルナくん、君の言った通りだな……」
 老人は、横向きになったままルナの名前を口にした。
 神楽が室内を見回すと、入口に近い方の壁の隅にルナの姿があった。両腕を背中で組み、背筋を伸ばして直立している。ルナは、神楽の驚きになど目もくれず、西条に言葉を返す。
「はい、お嬢様の記憶はまだ戻っていません。しかしそれは、お嬢様が家出をなされたときに、一時的に記憶が混乱しただけのことです。より正確に言えば、記憶同士の衝突を感知した脳の……」
「ルナくん、それは釈迦に説法というものだよ」
 西条は、子供に言い聞かせるような口調で、そう嗜めた。
「……失礼致しました」
 ルナは姿勢を正したまま口を噤んだ。
 西条は溜め息を吐き、かぐやの方へ顔を向けた。
 かぐやは、西条の顔を、見ず知らずの他人のように見つめている。
「やはり……無理なのか……」
 誰に言い聞かせているのか、西条は肩を落とす。
 暗くなり始めた室内に、静寂が訪れた。思い出屋と忘れ屋、そしてそれぞれのクライアントが一堂に会するという異常な状況に、誰もが言葉を発するのを躊躇っていた。
 それを敢えて破ったのは、やはり神楽だった。
「西条さん、用件はそれだけですか?」
 西条は、じれったいほどゆっくりと顔を上げた。
 そして、神楽の顔を覗き込む。
「君は少し気が短いようだな……短気は損気だぞ……」
「私は、そういう説教を聞きに来たんじゃありません。まさか、月代さんの記憶が戻ったかどうかを確認するために、私たちを呼んだわけじゃないですよね?」
 神楽の挑発に、西条は口の端に笑みを浮かべた。
 どうやら、浮き足立っているのは神楽の方らしい。
 そのことに気付いた神楽は、急に自分がただの高校生であることを思い知らされた。
「まあそれだけ若いということか……羨ましいよ……。さて、どうやら後ろの……逆木くんだったかな、彼もお疲れのようだし、そろそろ本題に入ろう。さきほどの質問は、そのための下調べだったのだから……」
 西条は車椅子の車輪を一回転させ、それから神楽たちの方へと正面を向けた。
 それを手伝おうとした金髪男の手を、西条が振り払う。
 金髪男が後ろに控え直したところで、西条は乾いた唇をおもむろに動かす。
「今から勝負をしてもらう」
「……勝負?」
 先ほどの質問も意外だったが、これはその斜め上を行っていた。
「何の勝負ですか?」
「この面子を見て分からんかね?」
 神楽はムッと口元を結び、部屋の隅にいるルナを盗み見た。
 ルナは、相変わらずの鉄面皮で、傍観者のように目の前の出来事を見つめている。
 しかし、彼女が当事者の一人であることは、もはや明白だった。
「思い出の中で勝負をつけると?」
「そうだよ……それが一番だからな……」
「ずいぶんと公平なんですね」
 神楽の感心した口ぶりに、西条は眉間に皺を寄せた。
「公平……? そんなものは計算に入れておらんよ……これが、一番確実だからな」
 今度は、神楽は眉間に皺を寄せる。
「確実……? 百パーセント勝つってことですか?」
「ふふ、相変わらず思考が極端だ……若者の特権だな……」
「ですから、私はそういう……」
「神楽くん、一流の相場師が備えるべき条件を知っているかね?」
 突然の経済の話題に、神楽は思考の糸がこんがらがってしまう。
 西条は神楽が答えられないと見たのか、それとも最初から答えなど期待していなかったのか、自ら先を続けた。
「それはね、リスクを取れるということなんだよ……ただ、その額が尋常ではないというだけだが、これが難しくてね……一億円の宝くじを買うために百円を捨てることは、誰にでもできることだ……だが、一億の儲けを得るために、一千万のリスクを負うことは、誰にでもできることではない。そして、それこそが必要なのだよ……。こういう研究結果があるのを知ってるかね。最も投機家に向いているのは、確率論的にプラスである限り破産を恐れずそれに賭けることができる、精神異常者なのだと……」
 目を白黒させる泰人に対して、神楽ともう一人かぐやは、西条が言わんとしているところを理解していた。
 西条は、自分を精神異常者呼ばわりしているのではない。むしろ、逆なのだ。
「つまり……あなたは、全ての可能性を計算した結果、これが最も期待値として高いと読んだわけですね……だから、私たちが勝つかもしれないというリスクを取ると……」
 西条は、神楽の理解力に満足したのか、ニヤリと歯を見せて笑った。
「その通りだ。だからこそ、こちらは忘れ屋の中でも選りすぐりの者を雇ったのだ……そうだな、ルナくん?」
 ルナは、西条の呼びかけに答えなかった。
 謙遜しているのだろうか。神楽がそんなことをうっすらと考えていると、金髪男ともう一人のスキンヘッドが、潜入ゲームの準備を始めた。
「西条さん、これが罠ってことはないでしょうね?」
「ふふ、もちろん、その可能性はあるな……」
「はっきりしていただけませんか?」
「どんな事象もその確率はゼロではない、とだけ言っておこう……」
 喰えない親父だと神楽は内心毒づきながらも、話を打ち切った。
「神楽先輩、やっぱり止めた方が……」
 泰人が、心配そうに話し掛けてくる。
 そんな後輩に対して、神楽はにこやかに笑いかけた。
「ここは私に任せて」
「でも、罠だったら……」
「その可能性は低いわ」
 神楽は、そう言って西条に振り返る。
「ほお……その思考過程を教えてもらおうか……」
「西条さん、あなたは相当な資産家ね。忘れ屋を個人で雇ったり、亡くなった奥さんのためにこんな博物館を建てたり、常人の資金力でできる芸当じゃないもの。だとすれば、私たちから月代さんを奪還することだって、もっと簡単にできたはず。そうでしょう?」
 そこで神楽は言葉を区切り、西条の様子を伺う。
 男は、無表情に神楽の説明に聞き入っていた。幾分か、血行が戻ったようにすら見える。
「ふむ……それで?」
「要するに、あなたはこんな面倒なことをしなくても、いくらでも暴力に訴える機会があったのよ。それならば、今さらここでおかしな小細工を仕掛けて来るとも思えないわ」
「なるほど……しかし……」
 再び、西条が弁解を求める。
「警察沙汰を嫌って、その小細工に出たとは考えられないのかね?」
「それについては……」
 神楽は首を傾け、ニヤリと笑ってみせる。
「どんな事象も、その確率はゼロではない、とだけ言っておきましょうか」
「ハハッ!」
 西条は、軽快な笑いを上げた。軽く咳き込みながらも、笑うのを止めない。
「ゴホッ……面白い……ゴホッゴホッ……おい、準備はできたか?」
 西条はルナへと視線を移す。
 ルナは、相変わらずの冷たい瞳で老人を見つめ返した。
「いつでも」
「よし……ではルナくん、後は頼んだぞ」
 部屋の隅から、ルナが一歩前に出る。
「お任せください」
 ルナはそう言うと、部屋の中央にあるふたつの黒皮のソファーのうち、入口から向かって右側に腰を下ろした。ショートカットの髪を揃え、背筋を伸ばしたまま神楽の準備を待つ。
「神楽くん、きみの番だ。それとも……」
 西条は、神楽の後ろに立つ泰人の方へ視線を伸ばす。
 それを敏感に感じ取った泰人は、びくりと体を震わせた。
「そちらの泰人くんが挑戦するかね?」
 室内の視線が、一斉に泰人へと向けられた。
「お、俺は……」
 困惑する泰人。その泰人に、神楽が安心しろと頷き返す。
「ここは私に任せて。泰人は……」
「待ってください!」
 突然の叫び声に、室内が静まり返る。
 声の主は、かぐやだった。
 かぐやは肩を怒りで震わせながら、その場にいる全員を睨みつけた。
「どうして勝手にそんなことを決めるんですか⁉ これは私の記憶なんですよ! 私はこんなことに参加しません! 帰らせてください!」
 そこまで言って、かぐやは間を置いた。喋ることがなくなったのではなく、怒りで喋ることができないといった様子だ。
 当のかぐやを無視して話を進めていたことに、神楽は自己嫌悪を覚えた。
 何とか取りなそうと神楽が舌を動かす前に、西条が口を開く。
「やはり性格も瓜二つか……」
「何がですか⁉」
「西条……いや、月代かぐやにだ……」
 かぐやは、そこで唇を結んだ。
 会ったこともない人物に喩えられるのが、妙に腹立たしいのだろう。
 神楽は、そう勘ぐった。
「私は私です! 月代かぐやが誰であろうと、もうどうでもいいんです! たとえその女性が私の母親だとしても、関係ありません!」
「おまえは、自分の過去について知りたくないのか?」
 西条が尋ねた。
 かぐやは、車椅子の男を厳しく睨む。
「知りたくもありません」
「そうか……」
 そう呟いて、西条は右腕を上げた。
 何か指し示そうとしているのだろうか。神楽は、目を細める。
「ンむッ⁉」
 背後でかぐやの呻き声がした。慌てて振り返ると、スキンヘッドの男がかぐやの上半身を押さえ込み、白い布を彼女の鼻と口に押し当てている。
 その動作の意味を、神楽は即座に察した。
「月代さんを放しなさい!」
 神楽が駆け寄ろうとしたときに、かぐやは既に意識を失っていた。スキンヘッドの腕の中にぐったりともたれかかり、首をがくりと垂らす。
「危害を加えないって言ったじゃない⁉」
 神楽が、西条に詰め寄ろうとする。だが、それは金髪の黒服に阻まれた。
 その後ろで、西条が言葉を返す。
「落ち着きたまえ……危害は加えていない。少し眠ってもらっただけだ」
「クライアントの意志を無視する気?」
「……君は、クライアントの意志が絶対だと思うのかね?」
 西条の質問に、神楽は吐き捨てるように答える。
「当たり前よ! 人には、思い出す権利があると同時に、思い出さない権利もあるの! あなただって、思い出したくないことのひとつやふたつはあるでしょう⁉」
 神楽はそこまで言って、少し躊躇いを見せた。次の台詞を言うかどうか迷ったのだ。しかし、心を決め、西条に向かってそれを言い放つ。
「そうよ、西条かぐやの死のようにね」
 言ってはならないことを言ってしまった。
 そう感じていた神楽に、西条は不敵な笑みを返す。
「私が、妻の死を思い出したくないというのかね?」
「そうよ。強がりは……」
「むしろ逆だよ……一日も忘れたことはないし、忘れようと思ったこともない……なぜ愛した人のことを忘れようとするんだね……?」
 西条は、問い掛けるように神楽の目を見据えた。
 愛する人の死。神楽の人生の中で一度も経験したことのない悲劇。
 それがどのようなものなのかを、少女は知らない。
「神楽くん……あらゆる記憶が、その人の一部なのだ……思い出さない権利があるのではない……記憶と向き合う勇気がないだけだ……かぐやは、自分の人生から、思い出から逃げようとしている……そうは思わないかね?」
 神楽は、答える術を持たなかった。
 答えに窮した少女に、西条は静かに語りかける。
「では、始めよう」
+注意+
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