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時の軌跡 ~アヴァロニア大陸回生記~ 作者:タチバナ ナツメ

第一章 守護騎士篇

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第二話 逢魔の森にて・2

【扉絵:『剣士ユダ』デザインイラスト】
挿絵(By みてみん)
 ――駄目だ、やられる!
 絶望が、ユダの脳裏を支配していた。
 目を瞑ってしまいたかった。
 耐え難い現実から、目をそらしてしまいたかった。
 しかし、恐怖という名の呪縛が、それを許そうとはしてくれない。瞬きすらも叶わぬほど、ユダの全身はすっかり硬直しきっていた。
 たとえ自身が代わって命を落とす羽目になろうとも、鉢合わせたくはなかった。
 二言三言を交わしただけに過ぎない間柄だったとはいえ、同じ人間が、怪物の餌食となる瞬間になど――。

 ぴしゃりと濁った水音が響き、醜悪な異形が再び地に落ちた。
 異形たちは総じて皆、地上の如何なる生き物よりも、人という種を好んで喰らう。
 活きの良い大の男を丸々と飲み込んだ《隷鬼(スレイヴ)》は今や、さぞかし満ちたりた心地でいることだろう。
 恐怖に(おのの)く人の血を、肉を。一片の慈悲さえかけることもなく、我欲のままに引き裂き貪る、おぞましき怪物――《異形》。
 震えるほどの怒りが、ユダの奥底で渦巻いていた。
 しかし、何より許しがたかったのは、自分自身に他ならない。
 奴らの気配を嗅ぎ取る力を持っていながら。急所を見破る力を持っていながら。
 隣人が惨たらしく呑み込まれてゆく様を、ただただ見つめていることしかできなかった自分自身が、何よりも許せなかった。
 恐怖を凌駕する激情に打ち震えながら、ユダは形なき仇敵をじっと見据える。
 構うもんか。たとえ勝てそうにもなくたって、僕はもう逃げない――!

 ところが、次の瞬間のことだ。
「え……?」
 驚きのあまり、ユダはただ唖然と開口し、立ち尽くしていた。
 注意深く見てみると、異形の周囲の景色が、予想とは大きく食い違っていたのである。

 地に落ちた異形が、真っ赤な炎に包まれている。
 そこにあったのは、火だるまとなった異形が、うぞうぞと為す術なく地面を這い回る光景であった。
 何だ? あの炎は、まさか――!
 ぬかるんだ地面に触れても、《隷鬼》に取り付いた紅蓮は少しも衰えを見せない。
 おそらくあれは、水への耐性を備えた炎――“黒魔術”によって生み出された、特別製の炎に違いない。
 そして、それを創り出したのは他でもない。今しがた《隷鬼》の体内へひと呑みにされたものとばかり思っていた、あの金髪男だったのである。
「生きてた――!」
「当たり前だ。雑魚とまでは言わねえが、これしきの異形にいちいちやられてたまるかよ」
 呑み込まれるどころか、男はあの瀬戸際、驚異的なスピードで頭上めがけて剣を振り抜き、汚泥の塊のような異形を叩き斬ってしまったようだ。
 よくよく改めてみたところ、炎に包まれた《隷鬼》は、まるで熱したナイフを刺し入れられたバターのように、すっぱりと二分割されていた。
「あのブヨブヨした《隷鬼》を、一刀両断するなんて――」
「そんなものは簡単さ。俺様の天才的な妙技をもってすりゃあ、な?」
 余裕綽々の笑みを浮かべた男は、ぽかんと口を開けたままのユダへ見せ付けるかのように、手の中の豪奢な剣を高々と掲げてみせた。
 武器と言うより、それはまるで“芸術品”だ。どう見積もっても、使い勝手は度外視されているとしか思えない――柄から持ち手の細部に至るまで、緻密な彩飾の施された幅広の剣。
 見た目の華やかさだけにとことん(こだわ)って作られたかのような男の剣は、その刀身に、煌々と燃える紅蓮の炎を纏っていた。
 まるで炉に()べられた熱鉄のように、紅く煌めき、燃え盛る宝剣。おそらくこれこそが、形のない異形の体を鮮やかに分断したからくりのすべてだ。
「そうか。貴方はもしかして――」

 しかし、その時。
 口を開きかけたユダの中を、吐き気を催すほどの強烈な悪寒が走り抜けていた。
「くっ……!」
 まるで頭の中に棒きれか何かを捻じ込まれ、ぐるぐると脳みそを撹拌(かくはん)されているかのような――この筆舌に尽くしがたい感触には、はっきりと覚えがある。
 それは声なき声。異形の発した“断末魔”だ。
 意識の中に直接流れ込んでくる彼らの声は、強固な“思念”の塊であると考えられている。
 空気を伝う“音”とは(ことわり)を分かつものであり、それゆえ、耳を塞いだところで到底防げるものではない。しかし、分かっていても尚ユダは、毎度この狂乱の叫びに直面するたび、反射的に全身を強張らせ、耳を覆ってしまう。無防備な意識の根底を揺さぶられるがゆえに、そうでもしなくては、気が触れてしまいそうになるのだ。
 個体の持つエネルギーが大きければ大きいほど、異形の断末魔は強烈さを増してゆく。
 眼前の《隷鬼》が放った声は、これまで対峙してきたどの異形にも勝るほど、凄絶極まりない威力を秘めていた。
「おい、大丈夫か?」
 それなのに、目の前の金髪男は、苛付きすら覚えるほど涼しげな顔をしている。
 まさか、聞こえていなかったのか?
 ――いや、そんなはずはない。
 しかし、“精神攻撃”とも言うべきこの凄まじい叫びを聞いて尚、どうしてこんなにもけろりとしていられるのだろうか。
 頭の底にこびりついた残響に顔を(しか)めながら、ユダは怪訝げに男を見つめていた。
「言いたいことは分かるぜ。こうも馬鹿正直に、顔に出されちゃあな。しかし、与太話は後だ」
 ユダの訝しげな眼差しなどものともしない様子で、男は燃え盛る刃を平然と肩に担いだ。
 思わず「熱くないのか」と問うてしまいたくなったが、ユダはどうにか喉元でその愚問を飲み込んでいた。
 水の力による消火は不可能。そして――言ってみれば都合良く――術者が敵と見なしたものだけを、高熱の侵食によって溶かし尽くそうとする。男の生み出した炎の不思議な性質を目の当たりにしたユダは、いよいよ確証を得ていた。
「貴方は“魔剣士”なんだね。だったらあの異形を恐れないのも分かる」
 安堵に息を漏らしつつ、ユダは傍らに佇む男を見上げる。すると男は、甘いマスクをほんの少し歪め、おどけたように肩をすくめてみせた。
「ご明察。滅多とない巡り合わせってわけだ。なかなかのツキだぜ、お前」
“魔剣士”とは、黒魔術の力を武器に宿して戦う剣士の総称である――と知ってはいるものの、実物を目の当たりにするのは、ユダにとってこれが初めてのことだった。
 相棒から聞かされた話によれば、魔道と同時に剣の道にも通ずる彼らは、この広い大陸においても少数派の存在で、実力の他に天性の才能も伴わなくては、易々と志せるものではないらしい。
 何でも、魔剣士の扱う黒魔術は、普通の魔術士が扱うものとは比べ物にならないくらい複雑な構造をしているらしいんだけど――
 そこから先の詳しいことはよく分からない、というのが本音だ。ユダにとって、魔術はひどく不得手な分野だからである。
「この天才魔剣士サイ様がついてりゃ、風前の灯火だったお前の命は、手厚く保証されたも同然ってこった。感謝して敬えよ、少年」
 しかし、能ある鷹は爪を隠すからこそ憧れの対象とされるのではなかろうか。
 それにしたってこの男は、持ち前の軽薄さに加えて、もはや厭味などというものは通り越しているのではないかと思えるくらい、多大な自信に満ち溢れている。
「けど、ここから先は長期戦だぜ。奴は一定の形状を保つ事がない分、急所を特定するのが難しい。俺の魔剣でこうしてある程度の足止めは出来るが、無駄に時間をかけちまえば、すぐにまた元通りってわけだ。いかに素早く急所を見つけられるか、見つけられるまではとにかく延々と切り刻みまくるしか無いわけで――」
 男の饒舌に反論したいことは多々あったのだが、相手もそう言っていた通り、今がその時でないことくらいは重々承知している。ムッとした表情は隠さないまま、ユダは男の両側で蠢く二つの塊を交互に見据えた。
「急所ならもう、わかってる。僕の目には、奴らの“(コア)”の位置がはっきりと見えるんだ」
「へえ、そいつは驚きだ。子供(ガキ)の玩具にしとくには、少々勿体無え力だな」
 男は意外そうに目を見開いたが、減らず口は相変わらずだ。激したユダは、圧し殺してきた感情のたけを思わず吐き出していた。
「僕は子供じゃないよっ!」
 苛立ちに任せて詰め寄ると、男はニヤリとユダに不敵な笑みを見せつけてくる。
「そんなの、見りゃ分かるよ。ついでに言やあお前は“少年”でもねえよな。てめえのことを“僕”なんて呼んでたから、初めはうっかり野郎だと思い込んでたんだが」
 男には、他人(ひと)の領域に土足で踏み込むような態度を改める気など、さらさらないようである。
 そっちがその気ならと、異形に対するそれと変わらないほどの冷たい眼差しを向けてやるも、男はますます増長したようにニヤつくばかりで、少しも応えた様子を見せない。
「な、何だよ――」
 男の心算を読み切れず、とうとうユダがめげかけてたじろぐと、男は唐突にすいとユダの眼前に鼻先を寄せてきた。
 麝香(ムスク)のような甘い香りが、ふわりと鼻孔をくすぐる。
「いや、これが男な訳ねえよなと思ってさ。お前、いい女だし。ぶっちゃけ、俺の好みなんだよな」
 唐突に、ひたすら軽々しくて薄っぺらだった男の声が、やけに深く艶っぽく輪郭を帯びていた。耳朶に絡みつくようなその妖しい声音に、ユダは思わずぎくりと身を怯ませる。
「ふ――ふざけないでよ! こんな時に、信じられない!」
 両手両足を激しくばたつかせ、悲鳴じみた声で叫んだユダは、力の限り後退(あとずさ)る。
 耳に残った甘い残響を思い返すと、何故だか目元に熱が飛び交い、耳元のあたりがひどくくすぐったくなった。
「まあ、いいけどな。お前、名前は? 俺はサイだ」
「僕は……ユダだよ」
 サイと名乗った男は、動揺するユダをしたり顔で見つめ続けている。
 結局のところ、終始彼の調子に乗せられっぱなしになっている自分が情けなくて、悔しくて。
 どう言い返してやれば、この尊大な男を出し抜くことができるだろう――そんな風に躍起になって、反論の言葉を見つけようとしていた折のことだ。
「そ、そうだ……しまった」
 ようやっとユダは、我に返っていた。自身のことながら、ほとほと呆れかえる気楽さだ。たった今まで、死ぬか生きるかの瀬戸際に立たされていたことも忘れ、すっかり話し込んでいたなどとは。

 ――ほどなくして、刻限は訪れていた。
 ぬかるみを掻き分けるような気味の悪い音が響き、離れてしまった半身を愛おしむかのように、二つの《隷鬼》が無数の触手を伸ばし合う。やがて出会った触手と触手は、見る間にするすると絡み合ってゆき、再び元の“ひとつ”になろうと互いを取り込み、融合していった。
 術の持続時間を超過したせいだろう。サイの点火した炎は、いつの間にかほとんど消えかけてしまっている。他ならぬ術者本人が“足止め”とはっきり称していた通り、《隷鬼》が炎熱によって受けたダメージはごく僅かにとどまっていたようだ。
 その僅かな傷を癒すため、地を這いずる傍らで、地表の小さな生き物たちを所構わず取り込んでいたのだろう。《隷鬼》は先程よりも、数段大きなサイズに膨れ上がっているように見えた。
「サイさんはもう一度あいつを斬って、隙を作って。そしたら後は僕がやる」
「そうは言っても《隷鬼》って奴は、あれでそこそこ知能の高い異形だ。おそらく同じ手は食わねえだろうぜ」
「そこは、()()()()()の腕の見せどころでしょ?」
 ようやっと、尊大な助っ人にしっぺ返しをお見舞い出来た気になっていた。
 ユダがほんのり面持ちを柔らかくすると、サイはちらと明後日の方向を見遣り、僅かに考えるような間を置く。
「――言ったな、惚れるなよ?」
 そうして、すぐにまた余裕たっぷりの面持ちを取り戻した彼は、深々と腰を落とすと、我流のでたらめな(かた)で、燃え盛る剣を身構えた。
「覚悟しやがれ、泥水野郎!」
 雄叫びを皮切りに、サイはためらうことなく大地を蹴っていた。
 力強く跳躍したサイは、大きく頭上へ白刃を振りかぶり、《隷鬼》もろとも地面を(えぐ)り取るかのような勢いで、体重の乗った一撃を繰り出す。
 しかし相手はやはり、変幻自在の流動体生物だ。サイの剣閃と、尾を引くように纏わりついた炎の及ぶところだけを器用に体の中へと押し込め、《隷鬼》は軽々とその一撃を回避していた。虚しく空を斬った剣は、刃の長さの半分を地中に(うず)めてしまう。
 しかし、泥と苔、小さな石つぶてを跳ね散らかしながら、サイは瞬く間にそれを引き抜き、休むことなく二撃目を叩き出す。  
 目にも留まらぬ速さで繰り出された紅蓮の一閃は、見事に《隷鬼》の体の一部を斬り裂いていた。

「あ――!」
 まただ。またあの声。
 しかと構えていたにもかかわらず、意識の根幹に流れ込んでくる音にはどうしても抗う事が出来ない。
 再びあの脳髄を揺るがすような断末魔が聞こえ、ユダは僅かの間、現状の何もかもを忘れ、夢中で耳を塞いでいた。
 ――刹那。
「ユダ!」
 くぐもったサイの声をとらえた瞬間、ユダの意識は急速に現実感を得ていた。
 唐突に、ぼんやりと滲んでいた視界が鮮明な輪郭を帯びる。
 取り戻した視力でユダが最初に捉えたものは、こちらの死角ギリギリの位置を狙うかのように、地べたを伝い伸ばされた、無数の触手であった。
 背筋に悪寒が走った頃にはもう、全てが遅かった。
 足首に鈍い痛みが走ったかと思うと、空と大地が大きく反転する。それと同時に、心の奥底へ闇そのものが滑り込んできたかのような、身の毛もよだつ感覚が、ユダの全身を支配してゆく。
 ――深淵と、瞳がかち合った。
「嫌だ――離せっ!」
 傍らで闇がこちらを見据えていることがとにかく恐ろしくて、今すぐ掴まれた足ごと切断してでも逃げ(おお)せたい衝動に駆られる。
「離せ、離せ、離せぇっ――!」
 ――嫌だ。
 一刻も早く、“あれ”を切り離さなくてはならない。
 ――怖い。
 そうしなくては、全てをこじ開けられてしまう。深い淵に押しやってきた脆弱な心を、丸裸にされてしまう――
 闇に心を侵される恐怖。
 瞬く間に錯乱状態に陥ったユダは、気がつくと、手の中の剣を逆手に構え、自らの脚にそれを突き立てようとしていた――。

「何やってんだ、しっかりしろ!」
 その時、再びユダの意識の隅に、サイのくぐもった声が響いていた。
 同時に背中から地面へ叩きつけられたユダは、咳き込みながらも懸命に身を起こす。すると途端に、恐ろしいイメージは消え失せ、闇色に塗りつぶされようとしていた意識が、元の色調を取り戻していた。
 おそらく、サイがあの忌まわしい触手を斬り飛ばしてくれたのだ。ぬかるみにへたり込んだユダの足元には、炎に包まれた触手の断片が転がっている。
 しかし、ユダが最も目を奪われたのは、そこではなかった。
「あ――これは」
 逆手に握った抜き身の剣に、真っ赤な血液が滴っている。刀身を縁取るように伝い、ぽたぽたと刃の先から落ちる鮮血が、ユダの膝を濡らしていた。
「サイさん――どうして?」
「そりゃこっちの台詞だ。お前、大丈夫なのかよ……」
 ユダの足首に絡み付いた触手を、サイが薙ぎ払った直後のことだ。
 恐怖に突き動かされるまま、自らに突き立てられようとしていた刃を、彼はその手で阻んでくれた。臆することなく、剥き出しの刃を掴み上げてくれたのだ。
 彼の勇気ある行動がなければ、今頃地面に転がっていたのは、ユダ自身の足首だったかもしれない――
 やれやれ、とばかりにサイが溜息をこぼすのを見とがめてすぐ、ユダは泡を食って剣の柄から手を離していた。
「ご、ごめんなさい! 僕――」
 支えるもののなくなったユダの剣が、地に転がり落ちる。すると苦々しく顔を歪めたサイは、革手袋もろともざっくりと裂かれた掌に、ふうふうと息を吹きかけていた。
「利き手じゃなかった分、まだマシだ。それよりお前は、もっと自分の心配しろよ」
 ここに来てようやっとユダは、自らに訪れた“本当の惨劇”を自覚する。
 サイに言われるがまま足首のあたりを見やると、革製のブーツが無惨なまでに溶かし尽くされていた。中でも《隷鬼》に直接触れられたとみられる部分は、革の装甲を完全に溶かし切られ、真っ赤にただれた皮膚が露出している。
 しかし、凄惨な見た目とは裏腹に、痛みは全くと言っていいほど感じていなかった。怪我の度合いが酷すぎるせいで、既に皮膚感覚そのものが離断されてしまっているのかもしれない。
 これほどの傷を負っておきながら、一切の苦痛を感じずに居られていることは、逆に幸運であったと考えるべきなのか――しかしながら、感覚をなくした足先は、ぴくりとも動かなくなっていた。
 まずい――これじゃあ、まともに立ち上がることさえ出来やしない。
 俄かにユダが焦りを感じ始めたそのとき、断末魔をあげた直後から動きを止めていた異形が、いつの間にか姿をくらませていることに気が付いた。
「しまった……!」
 慌てて気配を探ると、すぐに手応えは返ってきた。しかし、再びユダが《隷鬼》の息遣いを感じ取ったのは――
「下――?」
 何と軽率だったのだろう。
 相手は、変幻自在の流動体生物。それを分かっていながら、“地中”という格好の潜伏場所に思い当たりもしなかったとは。
 刹那、土中を疾り抜けた《隷鬼》が、間欠泉のごとく急噴出する。地表に飛び出した液状の強襲者は、容赦なく全方向からユダとサイの二人を包囲し、ひと呑みにしようとしていた。
「泥水は泥水らしく、ぬかるみに潜んで不意打ちってか。俺様の目ぇつけた女に軽々しく手出ししたことを、あの世で深ぁく後悔させてやるよ」
 醜悪な怪物が、ユダの頭上で濁った天蓋を(かたど)る。
 怪我と極度の恐怖とで硬直しきっていたユダの傍らで、掌を滴る鮮血を無造作に振り払ったサイは、不敵に微笑んでいた。
煉獄(れんごく)の業火よ!』
 けたたましくサイが吼えた途端、剣に宿った炎が、瞬時にして青く染まる。
 冴え渡る青はどこか冷え冷えとして見えたが、空気を伝い肌へとぶつかってくる熱は、先ほどまでとは比較にならないほどの高温を孕んでいた。
「てめえは、一生地べたを這いつくばってんのがお似合いだ!」
 そして再び吠えたてたサイは、冷たく輝く剣をでたらめに振りかぶり、《隷鬼》の体表に青白いアーチを刻み込んでいた。
 瞬間、斬り裂かれた異形の半身は見事に吹き飛ばされ、ユダの頭上には再び、枯木色の梢と、分厚い雲の浮かぶ曇天が姿を現していた。
「やった――!」
 味も素っ気もない鈍色(にびいろ)の空との対面が、こんなにも喜ばしく感じられたのは初めてだ。
 ()くして、異形はぴたりと動きを止める。
 元来、動作の間緩(まぬる)い《隷鬼》は、毎度悲鳴をあげるタイミングも一足遅くなる。
 はっきりと、愚鈍な異形に隙が生まれる手応えを感じていた。

 今度こそは、アイツの金切り声が響くよりも速く――!
 そうして全身全霊を奮い起こしたユダは、サイが斬り飛ばした飛沫のひとつから、鮮烈な七色が放たれる瞬間を見た。
 狙うなら、今だ。
 仕留めるなら、今しかない!
 気が付くとユダは、深手を負った足のことなど忘れ、傍らの剣を掴み上げると、その輝きに向かって躍りかかっていた。
 地面もろとも、無我夢中で。
 飛び付いた虹色の宝石に向かって、ユダはまっしぐらに剣を突き立てる――!
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