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時の軌跡 ~アヴァロニア大陸回生記~ 作者:タチバナ ナツメ

第一章 守護騎士篇

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第十七話 試験開始・2

 雲の上にいる。
 分厚く樹海全体を覆っていた瘴気は、既に遥か下方を流れ、いつもより随分と近くなった紺青の空には、真っ白な満月が浮かんでいる。
「相当高いところまで上がってきたね」
 そう言ってユダが冷え切った鼻っ柱をごしごしと擦ると、まっすぐ前だけを見つめていたガラハッドは、ちらとユダの方へ視線を落としていた。
 つい先ほど――凍てついた嘲笑を浮かべ、《食屍鬼(グール)》の群れを消し炭にしてみせたときの様子とは打って変わって、相棒の紫暗の瞳は穏やかな光をたたえている。
 得意の白魔術ではなく、敢えて詠唱の言葉を並べる手間をかけてまで爆発の黒魔術を編み上げ――使い勝手の関係で滅多とお披露目されることはないが、彼は白魔術のみならず、黒魔術にも精通している――森の一区画を丸々吹き飛ばしてしまったあの時の相棒とは、全くもって別人のようである。
 更地と化した大地を一望したのち、「これで見晴らしがよくなった」と爽やかに微笑み、唐突にユダを抱えて空へ舞い上がってしまったときには、一体これから何をしでかすつもりなのかとそわそわしたが――
 いつも通りに彼はユダを抱え、遮るもののない空の上を悠々と翔んでいる。考えなしの行動に及んでいるとは思えない落ち着きぶりである。そんなこんなでユダは、遅ればせながらも密かに安堵していた。

 たったひとついつもと違っていたのは、目も眩むようなこの高さに関することだけだ。いつもなら、こうまで高いところを翔ぶことはない。地上を跋扈する異形たちの凶牙をやり過ごすというだけならば、もっと低いところを翔んでも問題はないはずだからである。
 これほどの高所ともなれば、地上付近と比べて格段に空気は薄いはずだが、瘴気の及ばない環境であるせいか、そんな風には感じない。むしろ地上よりも、ずっと清々しい心地さえしていた。
 彼方の向こうには、槍衾(やりぶすま)のように尖った岩山の群れが見える。おそらくあれは、トランシールズとアルスノヴァの国境付近に横たわる峻岳――“深淵の裂け目バースト・オブ・アビス”と呼ばれる、“竜族”の楽園だ。彼らは切り立つ山々に囲まれた谷底に王国を築き、静かに永い時を生きていたのだという。
 しかしながら、かつては地上最強種族と謳われていた(ドラゴン)たちも、災厄の業火に抗うことは出来ず、滅びの道を辿ってしまったらしい――が、相棒の見解によれば、そんなものは“根も葉もない噂話”に過ぎないのだという。
 確かに《審判》以後、竜の目撃談はぷっつりと途絶えているようだが、そもそもあそこは、《審判》の以前から人の身では近づくことのかなわない辺境の地であるから、真偽の確かめようなどないというのである。
 混沌の世相真っ只中の現在では、このような――あるいは、より悪質な――虚説が当たり前のように氾濫している。それゆえ、聖域の外に生き残った人々の中には、事実無根の噂や悪夢のような妄想にとらわれ、心を病む者も多かった。だからこそ無二の相棒は、“この目で確かめたもの以外は信じない”と、繰り返し豪語しているのかもしれない。

 雑事を思ううちに、“目的地”は近づいて――いるような、いないような。どうにもはっきりとしない。()()があまりに巨大であるために、どこまで進んでも近づいた気にならないのである。
 懸命に首を捻り、鼻先を向けた前方には、雲をも越えて突き出した、並外れて大きな一本の樹があった。あれこそが、目指す場所――“天空樹”である。
 一体どれだけ長い年月をかければ、あれほどの巨躯を帯びるというのだろう。しかし、樹海の枯れ果てた自然と一線を画する点は、何もその大きさだけに限ったことではない。
 重厚な幹を据わらせ、翡翠色の瑞々しい枝葉を空一面に広げる天空樹は、まさに“生きて”いる。世界中の緑が死に絶えた中で、あの天空樹だけは唯一今も、枯れることなく生き残っているのだ。
 淡い光の衣を纏う荘厳な佇まいは、まるで穢れた雲海を優しげに照らし続ける灯台のようであった。
「綺麗――空の上ってこんなに綺麗だったんだね。空気も澄んでるし、空に浮かぶ家があったら住んでみたいって思うくらいだ」
 絶景を目の当たりにした高揚感に煽られ、ユダは思わず黄色い声をあげていた。
 再びこちらを向いたガラハッドは、ほんの一瞬驚いたように目を丸くしていたが、すぐさまいつもの冷静に立ち戻り、呆れたように瞼を据わらせていた。
「何なの、それ……子供の空想じゃあるまいし」
 ――何ともまあ、夢のない受け答えである。とはいえこの冷めた言い回しこそが、まさに彼の真骨頂なのだけれど。
 ムッとしたユダが僅かに頬を膨らませて押し黙っていると、相棒は瞳だけを泳がせて、すぐさまこそこそとユダの方を伺ってきた。
「まあ、気持ちは分からなくもないけど。ここに住むなら、毎日あの樹も拝めることだしね」
 言って気にするくらいなら、最初から何も言わなきゃいいのに――案外と彼は日頃から、ユダの前ではそれほど深い考えもなく話しているのかもしれない。
 相棒の静かな取り乱し様が何とも滑稽に感じられ、思わずユダは満面の笑みを零していた。そんなユダと再び目を合わせたガラハッドは、殊更気まずそうに口元をへの字に曲げて、わざとらしく視線を逸らした。
「このあたりの空は、あの樹があるおかげで特別清浄なんだ。これくらいの高度まで翔べる技術を持った魔術士なら、きっとみんな知ってるはずだよ。君も技術を磨いたら、たまには空を散歩してみるといい。地上にはない意外なものが見つかるかもしれないから」
 気まずさを無理くり流してしまおうと考えているのか、相棒はやけに饒舌になっている。
「そんなこと、出来るようになるのかなぁ……」
 やっとまともに話してくれるようになったのだから、深追いはさて置き、今は楽しむことにしよう――
 そう思ってはみたものの、苦手な魔術の話題となると、どうにも顔つきが曇るのを抑えきれなくなってしまう。包み隠さぬ表情のままでユダが見上げると、ガラハッドは「仕方のない奴だ」とばかりに苦笑を浮かべ、小さく息を漏らしていた。
「出来るさ、必ずやれると信じていればね。いつだって君はそうだったじゃないか」
 相棒のその台詞を聞いた途端、ユダの胸を奇妙な感覚が締め付けていた。
 何だかまるで、とんでもなく古い昔から、僕のことを知っているみたい――そんな途方もないイメージが、ユダの脳裏を(よぎ)ったのである。
 もしかすると彼は、《審判》の瞬間よりもずっと以前から、ユダのことを見守り続けていたのだろうか。
 もしもそうならば良い。そうでなかったとしても、今のこの瞬間、彼が傍らに居てくれる現実があるだけで、自分にはもう充分なのだけれど――
 そこまでを思ったところで、いつもの煩い痛みが頭の奥に差し込んでくるのを感じ、ユダは小さくかぶりを振って、()()を吹き飛ばそうとしていた。幸いと言うべきか、一足先に前方へ目をやった相棒が、こちらの異変に気付いた様子はない。

「さあ、着いた。君はここへ来るの、初めてだったよね」
「これが、“天空樹”――」
 視界いっぱいに広がる霊樹の迫力に、ユダは思わず息を呑んでいた。
 分厚い瘴気の晴れる風向きの良い日に限られてはいたものの、その姿は地上を歩く途中でも、ぼんやりと遠くに認めることはあった。しかし、間近に見る天空樹はまさに、神々しいほどの輝きに溢れていたのである。
 天と地を繋ぐ架け橋とも言われた聖なる大樹の頂は、枝葉のひとつひとつから呼吸と拍動の音が伝わってきそうなほど、強い生命の気配に満ちていた。
「すごい……こんなに綺麗な場所がまだ残ってたなんて。天空樹が災厄の影響を受けてないって噂は、本当だったんだ!」
 (はや)る胸を押さえて降り立った樹上の楽園は、清らかな潤いをたっぷりと含んだ、青々しい香気に溢れている。大樹の優しい光に導かれたものか、そこには、樹海の奥地では一匹たりと見かけることのなかった生き物たちが、数多く集っていた。
 黄金色(こがねいろ)の幹の上を気ままに駆け回る、小さく愛らしい獣たち。のどやかにそよぐ枝葉の上では、色とりどりの翼を纏った鳥たちが、楽しげにさえずっている。昨晩味わったばかりの、王城の庭園での感動を遥かに凌駕する絶景であった。
「ねえ! 動物がいっぱい居るよ、ガラハッド!」
 叫ぶや否や、ユダの歓声に驚いた小動物たちがばたばたと逃げ去ってしまったのにはほんの少しがっかりさせられたが、それでもこのかつてない胸の高鳴りに、易々と収まりがつくはずもない。
 こんな場所を知っていたのなら、もっと早くに教えてくれれば――初めこそ非難めいた思いも浮かびはしたが、次々と押し寄せてくる感動の波にすっかり心の内を支配されてしまうと、そんなことはすぐにどうでもよくなった。
 居ても立ってもいられず走り出しかけたユダであったが、思いがけず背後から相棒に腕を掴まれ、敢えなく衝動は未消化に終わる。
「はいはい、分かったよ。とりあえずそこへ座って。まずは治療が優先だ。忘れてるかもしれないけど、君は怪我人なんだよ」
 言われて傷だらけの腕を目に入れたところで、ようやっとそこにヒリヒリと痛みの感覚が蘇ってくるのを感じた。大樹の頂を包む気配は確かに清浄そのものであったが、高所の冷たい空気はひどく傷に障る。促されるまま幹の出っ張りに腰掛けたユダは、遅れて襲ってきた傷口の疼きに、思わず眉間を歪ませていた。
 そんなユダの背後で、相棒は何も言わず自らの外套をはずし、そっと肩に羽織らせてくれた。それだけで、肌に差し込む痛みがほんのりと軽くなる。
 ほどなくして、ユダの眼前に(ひざまず)いた相棒の施術が始まっていた。
「さっき君は空の上に住みたいって言ってたけど……本当にやってみるとするなら、ここは一番の適所かもね」
 治療のひとときは、談話のひとときである。
 嬉しいときも、悲しいときも、些細ないざこざで気まずい空気が流れたときも――どんなときも、こうして相棒とふたり、まっすぐ向き合って話すことの出来る有意義な時間だ。
 こんなときに話すのは、小難しい講義よりも専らとりとめのない四方山話ばかりである。怪我を負ったときにだけやってくるこの特別なひとときを、何よりもユダが楽しみにしていることを――彼はきっと、知る由もないだろう。
「樹の上の家なんて、おとぎ話みたいで素敵だね。確かにここなら、異形に襲われる心配もなさそうだ。でも、ふかふかのベッドも便利な魔具(マジックアイテム)もないから、ちょっと不便そうだけど」
 相棒の手の平から溢れる温かい光を見つめながら、ユダは満面の笑みを浮かべていた。
 幸せの訪れを噛みしめていると、ついつい今が、辛い試練の最中であることを忘れてしまいそうになる。
「ついこないだまでそんなものとは無縁の生活をしていたのに、君はもう便利な暮らしに慣れちゃったのかい?」
 そんなユダを見上げたガラハッドは、困ったように眉を寄せ、柔らかく口端を持ち上げていた。
「それにしても、さっきは随分頑張ったね。まさか君に《浄化(パージ)》の術式が扱えるなんて思ってもみなかった。参加者の中で他に白魔術を扱えそうなのは、レヴィンさんの妹の――ラナって子だけだったはずだから、初めは君じゃなくて彼女が居るんだと思ったよ」
 頬の傷を塞ぎにかかった手で、相棒はそのまま、ユダの頭をぽんぽんと撫で付けた。
 ユダにとっては苦手分野の代名詞ともいえる魔術に関して、他者から評価を受けたことなど初めてだったかもしれない。
「ああでもしなくちゃ、殺されちゃうと思ったから――君に教えてもらったことを必死に思い出したんだよ。加減を失敗したから、魔力がカラッポになっちゃったけど」
 何よりも、滅多と他人を評価することのないガラハッドに褒められたことが、素直に嬉しかった。だらしなく緩まってゆく口元に力を込め、ユダは懸命に、笑い出したくなる衝動と戦っていた。
「まあ、その辺りは何度も試して慣れるしかないね――結局魔術っていうのは、理論なんかよりよっぽど、感覚で理解した方が早く身につくものなんだ」
「習うより慣れろってことだね」
「そういうこと。恐れずに何でもやってみることが、上達への近道だよ。応用のためには基礎理論を正しく理解することも大事だけど、それは一歩先へ進んだ後でも、決して遅くはないから」
 話し込むうち、ユダの腕に刻まれていた無数の切り傷は、見事なまでに消えて無くなっていた。
 元通りになった腕を、大袈裟な身振りでぶんぶんと振り回してみせると、ガラハッドは穏やかに微笑んで、安堵したように息を吐いていた。
「次は魔力の補填だね。手っ取り早く魔力を回復させるには、竜の生き血を飲むのが一番なんだけどねえ……そんなものが都合よく手に入るような環境じゃなさそうだから、僕の魔力を少し分けてあげる」
 言いながら彼方の峻岳を見遣ったガラハッドは、含み笑いを浮かべ、さらりと物騒な発言を零していた。
「いや。手に入ったとしても、そんなものを口にするのはちょっと……」
 再びユダの眼前にかざされた手から、慣れ親しんだ相棒の気配が流れ込んでくる。それは瞬く間にとろりと瞼が重くなるほど安らかな感触であったが、同時に王都名物のワインよろしく、並々とグラスに注がれた竜の生き血を飲み干す自分の姿を想像したユダは、思わず頬を引きつらせていた。
「そうかい? 竜の血ってすごいんだよ。飲む前よりも魔力は増大するし、疲れを感じにくくなって、数日なら寝なくても平気でいられるようになるんだ。ついでに痛みや恐怖も忘れられるから、酒を飲んだときの何倍も、生きてるのが楽しくなるんだよ?」
「そ、それって本当にすごいって言えるのかな……」
 不眠不休のまま動き続け、痛みも恐怖も感じることのない人間。それはもはや、人として侵してはならない領域を踏み越えてはいまいか――
 考えるほど身震いの止まらなくなったユダは、喰いつき気味で話すガラハッドから、少しでも遠ざかろうと身を仰け反らせていた。けれども、したり顔を浮かべた相棒は、ユダが仰け反った分だけ、前のめりになって熱論を続けようとしてくる。
「何言ってるんだよ、どう考えたってすごいでしょ? 昔、西方の剣闘士の間で、竜の生き血が流通した事があってね――あまりに人間離れした狂戦士がたくさん出来上がってしまったおかげで、剣闘試合が成り立たなくなっちゃったらしいんだ。狂った剣闘士たちは、だんだん猛獣と人間の区別もつかなくなって、周りの人間まで手当たり次第に殺すようになっちゃったんだって。結局は全員が国王に捕らえられて、火あぶりにされたらしいよ。それから西方では、竜の生き血の流通そのものが禁止されたとか」
「それ、どう考えても危ない薬だよ! 絶対飲んじゃいけないやつだよ!」
 何てものを勧めるのかと、ユダは被害者意識を募らせ、相棒を思い切り睨め付けていた。
「そんなことはないよ。彼らはきっと、使い方を間違えただけなんだ。竜の生き血は一度に使う量を間違えると、強い依存を形成することがあるみたいだからね」
 ところが、よほどユダの反応が面白かったのか、ガラハッドはころころと肩を揺らして笑っている。
 いや、それよりもだ。
 ユダが最も気に掛かった点は、そんなところではなく――
「君って、竜の血を飲んだことがあるの?」
 声を押し殺して笑うガラハッドに、鼻先がくっつくのではないかというほど近づいたユダは、訝しげな眼差しを向けるとともに、短く問うていた。
 すると、それまで心底面白おかしそうに笑い続けていたガラハッドが、唐突に真顔へ立ち戻る。意味ありげに脇へ目を逸らした相棒は、小さくこう答えていた。
「いや、それは……まあ、君の想像に任せるよ」
 どうしてそこ、いちいちボヤかすかなぁ――
 彼の無双の強さをもってすれば、竜の一匹や二匹、倒せないこともない気がするところがまた、あれこれと余分な想像を掻き立てるのだ。
 それ以上の詮索は、とてもとても重ねる気にはなれなかった。
「さあ、終わった。休憩はこのくらいにして、そろそろ今後の計画を立てよう」
 そうして、とうとう至福の時間は終わりを迎えてしまった。
 何だかんだで、結局のところはあっという間である。相棒の話はいつも、どれだけ長いあいだ聞き続けていても、決して飽きることがない。
 ――このままずっと、こんな毎日が続いていけばいい。
 特別な時間が過ぎ去ってゆくたびに浮かぶその願いを、ユダは再び胸の奥で小さく繰り返していた。

「計画って言ってもね――ユダ、僕は」
 強く戒めるような口調で切り出された相棒の第一声に、はっとさせられる。それだけでユダは、彼の意図をほぼほぼ読み取ってしまったのだ。
「駄目だよ。試験が終わるまで、ここでじっとしてるって言うんでしょ? そんなのずるいよ。他のみんなは今もどこかで、一生懸命戦ってるかもしれないっていうのに」
「そうは言っても……地上がどれだけ危険な状態か、さっき嫌ってほど味わったばかりじゃないか」
 ユダの推測が間違いでなかったことは、もはや一目瞭然だ。不服そうに眉を寄せたガラハッドは、曇った顔つきのまま脇を見遣っていた。
「僕は、僕とユダが生きてさえいれば、他はどうなっても構わないと思ってる」
 すげなく突きつけられたその一言は、おおよそ予想の範疇であったが、それでもやはり、ユダにはひどく痛烈であった。
「僕はそんな風には思わないよ。一刻も早くみんなの無事を確かめたい。困ってる仲間が居たら、助けに行かなくちゃ」
 思わず漏れかけたため息を飲み込んで、ユダは相棒をまっすぐに見つめた。
 彼はいつもこうなのだ。自分とユダ以外の存在に、驚くほど関心を向けない。驚くほど熱を持とうとしない――まるで、目まぐるしく移り変わってゆく世界そのものに、ひとかけらの執着も持ち合わせていないかのように。
 今思い返せば、彼が王都(ウルヴァス)へ留まることをすぐに了承しなかったのも、そのためであったのかもしれない。
 どうしてなの、ガラハッド――
 泣き出しそうになるのを堪え、ぎゅっと唇を噛み締めたユダと目を合わせた相棒は、困惑したように紫暗の瞳を泳がせていた。
「随分主張するようになったね……王都へやってくる前の君は、こんなに頑固じゃなかったのにな」
「ガラハッド、そんなこと言わないで。みんなを捜そうよ」
 頑固なのは一体、どちらだというのか。
 助けを求める仲間に手を差し伸べないなどという選択肢は、(はな)からユダの中には存在していない。その志はきっと、他の参加者たちも同じであるはずだ。
 言葉を探しあぐね、ユダは俯き黙り込む。長い沈黙の隙間を、小鳥たちの澄んださえずりが空しく埋めていった。
「分かったよ――」
 ところが、意外にも先に白旗を揚げたのは相棒の方だったのである。
 はっと顔を上げたユダに向かって、相棒はなんとも苦々しく顔つきを曇らせ、こう付け加えた。
「だけど、無茶はしないと約束してくれ。出来ないものは出来ないと諦める。いくら助けたくても、共倒れになったら意味がないんだよ」
 半ば、諦観したかのような言い回しだった。あっさりと折れてくれたのは、彼の方もこうしてぶつかることを予想していたからなのかもしれない。
「分かったよ、ガラハッド。ありがとう」
 精いっぱいの笑顔と謝辞を向けるも、彼の紫暗の双眸はいつまでも晴れないままだった。

「で、君はこれからどうしたいんだい?」
 ――気持ちを入れ替えなくては。
 未だ姿の見えない仲間たちのことを思うと、個人的な感情になどかまけてはいられない。
 深い呼吸とともに心機を入れ替えたユダは、大樹の遥か下方――瘴気の向こうに沈む、おどろおどろしい景色を思い返していた。
「天空樹の上が安全なら、みんなをここへ連れてくるっていうのは?」
 それは、試練の場となる樹海が、この霊樹の膝元であることを知った瞬間から、ずっと暖め続けていた作戦だった。
 とはいえ、記憶喪失の自分にこそすぐには思い当たらなかったが、《審判》以前からこの樹の特性を知っている者ならば、誰でも思い当たる作戦であったに違いない。
 自らが動くより先に、自然と皆がこの霊樹の膝元を目指していてくれれば――そんな風に考えたのだ。
「それは――たぶん、やめた方がいい」
「どうして?」
 ところが、相棒はいともあっさりそれを棄却してしまった。すぐさま噛り付いたユダを制するように、彼は「いいかい」と人差し指を立ててみせた。
「この樹は、近付くものを“選ぶ”んだよ。つまりここへは、誰でも来られるわけじゃないんだ」
「え?」
「この樹は万物の根源たる“マナ”の力を放出しながら生きている。僕と君は揃って全く平気な(たち)みたいだから何も感じないかもしれないけど、そうでない人間の場合、あまりに強い正の気に()てられて、気がふれてしまう可能性があるんだ」
 いつだってどこでだって、彼の“講義”は唐突に始まる。息を呑んだユダをよそに、相棒は尚も教示を続けていた。
「本来、山や森っていうのはそういう場所だったんだよ。この樹のように強大な存在じゃなくても、人間が緑の気に長く触れ続けると、心を病んでしまうんだ。例えば精霊やエルフのような、元々人間よりもマナのエネルギーに近い生き物でなくちゃ、深い緑の中で生き続けることはできない」
「緑の気――“マナ”かあ。清浄な力が人の害になることもあるなんて、意外だな。存在感は全然違うけど、瘴気と似てるところがあるような気がする」
「瘴気とは対極に位置する力だよ。どんなエネルギーも、一定の触れ幅を越えれば、地上のほとんどの生き物にとっては毒素になり得るんだ。人間は正と負のちょうど真ん中に存在している生き物だから、どちらの力にもほどほどにしか順応出来ない」
 ――なるほど、道理で。
 過酷な試練を謳っていたわりに、こんなにもあからさまな安全地帯が用意されているのは、どうにも矛盾が過ぎると思っていた。
 しかしここが、多くの人間を拒む場所なのだと分かれば納得がいく。そして尚のこと、この場に留まるだけでは、誰ひとりとして救うことなど出来ないのだと確信していた。
「そっか……じゃあ、他に安全そうな場所を探して、みんなでそこに集まるしかないね。もしかしたらもう、そういう場所を見つけて隠れてる人もいるかもしれないし」
「この樹海に安全な場所なんてあるかなあ……まあ、考えられるとするなら」
 黒い手袋に包まれた手で顎のあたりを軽く撫でこすって、ガラハッドはほんの少し考え込んでいた。すぐさま思案を終えた相棒は、そのまま彼方の下界をまっすぐに指差してみせる。
「君の力でじっくり地上を探知して、異形の気配の少ない場所を割り出すって方法はどうだい。そこに他の参加者が居るかどうかは分からないけど、まずは拠点になり得る安全地帯を確保することから始めてみたら?」
「それ、いいね! 早速やってみるよ」 
 毎度のことながら、彼の切り替えの速さには感服させられる。やると決めたらとことんやるのが、無二の相棒の敬うべきところだ。
 ならば自分もと、勢い込んで下方を覗いたユダであったが、視界の端にほんの少し下界の景色が映り込んだだけで、その凄まじい高さに足が竦むのを感じていた。とても傍らの相棒のように、立った状態で下を覗く勇気など湧いてこない。
 幹の上を這いつくばるような格好で、ユダはおそるおそる眼下の樹海を一望していた。
 ――大丈夫、怖くない。
 万一転げ落ちたとして、相棒がそれを易々と見過ごすはずなどないのだから。
 ゆっくりと目を閉じ、外界を感じ取る力のすべてを離断する。そうして徐々に、内側の神経を研ぎ澄ませてゆく。
 例えるならば、びっしりと体内に、極細の糸を張り巡らせてゆくようなイメージだ。それをそのまま、瘴気の向こうの大地のイメージに重ね合わせてやると、闇夜の森を蠢く不気味な気配が、その傍らへひとつ、ふたつと現れ始める。すると、やがてそれらの奇怪なものたちが、隈無(くまな)く張り巡らされた神経の糸を揺らす手応えが伝わってくるのだ。

「……どうだい、何か掴めた?」
 普段こそ、ユダの探知能力は“自らの視力の及ぶ範囲”と極めて限定的な索敵範囲しか持ち合わせていないが、全身全霊をかけて集中力を高めれば、広大な空間を洗うこともできる。そのためには、今のように五感のほとんどを手放す必要があり、特段信頼のおける安全地帯を確保していることが、使用においての絶対条件なのだが――
 見るもおぞましい異形の気配を肌で感じ続ける作業というのは、何度試みても慣れぬままである。
 相棒の呼びかけに目を開けると、ユダの額には大粒の汗が滲んでいた。気が付けば、ひとりでに肩が上下するほど、息も上がりきっている。
 拳でごしごしと汗を拭ったユダは、目眩の起こらない程度にちらちらと下界を側めながら、索敵の手応えを思い返していた。
「うん……この森の中には、異形の数が極端に少ない場所が二箇所あるよ。ひとつは山裾(やますそ)の方だから少し遠いけど、もうひとつは――この樹の根元から、わりと近いところだよ」
 淡々と感じたままを述べてみると、唐突に傍らへしゃがみ込んだガラハッドは、ユダの指す方角を食い入るように凝視し始めた。
「どうする? とりあえず、近い方を調べてみようか」
 何か思うところでもあるのだろうか――
 剣呑とした面持ちで下界を見つめるガラハッドは、どういうわけかユダの呼びかけに応えようとしない。
「ねえ、ガラハッド。聞いてる?」
 痺れを切らしたユダが返答を促すも、彼は一向に口を開こうとはしなかった。
 仕方ないな――
 寒気がするほど気は進まなかったが、薄目を開けたユダはほんの僅かずつ首だけを伸ばし、おっかなびっくり下界を覗いてみることにした。
 すると、強風のいたずらか、偶然にも下方を渦巻いていた瘴気が大きく流れ、下界の様子がはっきりと見えたのである。ガラハッドが見つめていたのは、やはりユダが探知によって割り出した安全地帯と一致しているようだった。
 あれは、集落の跡だろうか――?
 見渡す限りを枯れた植物と淀んだ沼に覆われた樹海の中に、たったの一点、人の手で築かれた建造物のようなものが密集している場所がある。よくよく見てみると、先ほどユダが《食屍鬼》の群れに追い詰められていたところから、そう遠くない地点であった。
「……あそこへ行くのかい? 確かにあそこは、隠れるにはいいところかもしれない……ただ、天空樹の影響を受けやすい場所ではあると思うけど」
 やはり彼は、あの集落跡について何か知っているらしい。
 しかし、追及の手を伸ばそうと考えた矢先に、いつもの煩わしい痛みが、頭の芯を走り抜けていくのが分かった。
 どうして、こんな時に――?
 戸惑いながらもユダは、霞む意識を奮い立たせ、傍らを覗き込む。
「もしかしたら、誰かがもうあそこに辿り着いてるかもしれないよ。行ってみる価値はありそうだけど」
「分かった……君が言うならそうしよう。早速向かうかい?」
 拒む理由などあるはずもない。迷うことなく、ユダは大きく縦に首を振っていた。
「じゃあ、多少気分が悪くなるかもしれないけど、我慢してね」
 すると唐突に、素早く腰を上げた相棒が、再びユダの体を両腕に抱え上げようとしていた。
「え? どうし――」
 痛みのおかげで状況把握が追いつかず、ユダは彼の意図をはかりかねている。
 しかし、慌てふためくユダのことなどお構いなしの様子で、ガラハッドはすたすたと大樹の先端へ歩を進めてゆき――
「ちょ……ちょっと待って、ガラハッド! まだ僕、心の準備が……!」
 とうとう次の瞬間には、黄金の幹を軽やかに蹴りつけ、鈍色の瘴気の渦巻く下界に向かって跳躍していた。
 すぐさまユダの全身は、腹に収まった臓腑を残らず持ち上げられるかのような、耐え難い浮遊感に包まれる――
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